具体的には丸一節ほど。
帝国は変わった──そんな噂が流れ始めてからしばらく経つ。
いつからなのかは定かではないが、まことしやかに流れる噂を人々の耳が捉えるとたちまちの内にその流れは加速した。
アドラステア帝国と言えば、このフォドラ最大の国である。大陸の南半分を領土とし、貴族制度の起こりにもなった最古の大国だ。
北にファーガス神聖王国が生まれ、東がレスター諸侯同盟として分かれてからも、帝国の影響力は依然として大きく、背負う歴史と威信は大陸中に渡っている。
そんな帝国が何を思ったか五年前、人々から信仰を集めるセイロス教に戦いを挑んだ。大陸最強と謳われるセイロス騎士団を撃破した帝国軍はガルグ=マクを占拠。そしてフォドラ全土に向けて宣戦を布告した。
当時は士官学校の生徒であったエーデルガルトがいつ皇帝の座に就いたかは明らかになっていない。あくまで皇女でしかなかった彼女では全軍を動かす権限などなかっただろうから、あの時点で皇帝になっていたのは間違いないのだが詳しい経緯は不明である。
ともあれ、皇帝として立ち上がったエーデルガルトが帝国を率いて戦争を始めたのは確かだ。そんな彼女の意図するところは何なのか、何を目的とした戦いなのか。帝国が布告した檄文はこう語る。
≪教団はフォドラを支配せんとする欲望のために教義を利用し、人々を欺いてきた≫
≪かつて鷲獅子戦争の末に王国が生まれた際、帝国との仲裁に教団が動いた≫
≪また、同盟が興る切欠にもなった三日月戦争、その仲裁にも教団が動いた≫
≪何故か? それらは己の権勢を保ち、信仰を以てフォドラを支配するためだ≫
≪人々を争わせ、民の安寧を脅かし、その調停を担うことで人心を集める≫
≪女神に救いを求める人々の心を利用し、金をかき集め、贅を尽くす偽善者≫
≪そんな者にフォドラを導くことなどできはしない≫
≪故に、アドラステア皇帝エーデルガルト=フォン=フレスベルグの名において≫
≪ここにセイロス教団との開戦を宣言する≫
装飾された言葉を幾らか省いてまとめるとこのようになる。皇帝の名の下、正式に帝国から発された文書だ。
ここで気になる点が二つある。
一つ目に、帝国は『教団に』戦いを挑んだこと。
セイロス教団が人心を集めてそれに合わせて金をかき集めていることは、はっきり言って否定できない事実だろう。
かつてのガルグ=マクだけを見ても、山間に構えるという立地にも関わらず毎日のように人が訪れていた。お世辞にも整備されているとは言えない道が山の中を通り、足を運ぶのは逞しい者ばかりだった。
信仰のために険しい道のりに挑む信者は分かるとして、商売のためにガルグ=マクをわざわざ訪れる商人も多く、各国の主要都市から離れているというのに人の流れは活発な場所だった。
そんなガルグ=マクを一つの都市として見てみると、不思議なほど恵まれた町なのが分かる。
政情が不安定な王国。
共同体と言いつつ貴族同士の力関係に左右される同盟。
近年あった政変で権勢が崩れた帝国。
そういうフォドラの乱れた空気とは裏腹にガルグ=マクばかりが豊かに栄え、引いてはそこを拠点にして各地域に手を伸ばしたセイロス教団がますます影響力を増していたのが五年前までの現状である。
加えて言えば、宗教団体であるにも関わらず独自の騎士団を抱え、さらにその騎士団がフォドラ最強と謳われるほど精強なのもよくよく考えたらおかしい。
セイロス騎士団が大陸の守護者として治安に貢献しているのは平民でも知っていることだ。しかしながら本来その役目は各国の軍が担うべきもので、信仰どころか戦力までもが一ヶ所に集中されていたのだ。
もしこれが教団が意図して作り出した状況だと言うなら、欲望のために教義を利用したという文面は合っている。
まるでこの現状が歪んでいるとして正すために戦いを挑んだ帝国に正義があるような物言いだ。
なので戦いを挑む動機は理解できなくもないのだが……文面をよく見てほしい。
セイロス教団との開戦を宣言する、とある。セイロス教を異端として弾圧するとか帝国内から撤廃するとかではなく、教団と戦うと書いてある。
つまり、セイロス教の教義そのものは否定していない。むしろそれを不当に利用している教団を許さないとして、正しい教義と信仰を守るために戦うとしているのだ。
エーデルガルトはセイロス教を認めていないのではないのか?
教義は否定していないなら、何故平民の信者などの一般人が生活するガルグ=マクごと攻め落とそうとした?
フォドラ全土の統一を目的としているなら、セイロス教を否定することで自身を神格化させられる絶好の機会だろうに、狙いは他にある?
その辺りが分からない。
二つ目に、『皇帝エーデルガルトの名において』の部分。
帝国は大きい。領土は広く、力は強大、国家としての影響力は頭一つ抜けている。
そんな帝国を背負って立つエーデルガルトがセイロス教団というフォドラ中に信仰を根付かせた組織に戦いを挑もうというのに、帝国の威光を使わない理由がない。
だと言うのに、こういう正式な文書のどこにもそういう文言がないのである。
五年前のガルグ=マクを強襲した手勢を見たところ、エーデルガルトが率いるのは明らかに帝国軍だけではない。聖墓に突如出現したり市街で暴れたりした魔獣から分かるように、謎の組織との繋がりがある。
それは以前からフォドラを騒がせていた事件との関連を匂わせる。ガルグ=マク近辺に起きた事だけでも、聖廟襲撃、フレン誘拐、ルミール村の惨劇、そしてジェラルトの殺害。多くの事件の黒幕が関わっているのではないか。
エーデルガルトが何を目指しているかは知らないが、ガルグ=マクを襲うなどという暴挙に及ぶからには目的のためなら手段を選ぶ性格ではないのは間違いなく、その組織から支援を受けていることは明白。
そうまでしてセイロス教団に戦いを挑んだエーデルガルトが、である。
今さら帝国の権威を語ることを躊躇うだろうか?
公文書になく、その後の布告にもそれらしき文面はない。このままでは歴史に残る資料には皇帝一人だけが矢面に立ったように記されるだろう。
これではまるでエーデルガルトが責任も悪意も全て自分一人で背負い込もうとしているみたいではないか。
何故エーデルガルトがガルグ=マク襲撃に踏み切ったか。
帝国を率いておきながら何故自分だけを前面に立たせる姿勢を取ったのか。
真意を探ろうにも敵対関係になった帝国とは使者を送ったりもできず(一応他国を探る『草』を密かに潜らせてはいるが)推察する以上は何も分からないまま五年が経過して今に至る。
さて、そんな帝国とエーデルガルトだが。
五年前から今に至るまで帝国内の動きを見てみれば驚かされる。
帝国軍による領地巡回。それによる治安回復。
軍需以外でも経済活動の活性化。
街道の整備、及び各都市間の連絡網の確立。
とても戦時中とは思えないほど帝国内の状況が改善しているのだ。
普通、戦争なんていう緊張下に置かれれば人々は委縮し、軍事関係を除いて多くの分野でその動きは鈍くなるもの。
そうならないのは、その国は常に緊張下なのが当たり前であるくらい余所に戦争を仕掛けていて平民がその状態に慣れてしまっているからか、あるいは……例え他国との戦争が続いていても平民が大丈夫だと思い変わらず日々を過ごせるくらい国家を信じているからか、どちらかだ。
国内でいくつか乱が起きた事はあれど、国と国がぶつかる戦争は数百年起きていないフォドラを思えば、今の帝国は恐らく後者。
不安が生まれても、エーデルガルトの実力とカリスマがそれらを抑え込んでいると見た。大したものである。
実際に調べた帝国内の動きを考えれば一目瞭然。
それまでは各地の貴族に任せきりにしていた領地の運営に皇帝が手を出し、端々にその影響を広げているのだ。
かつて七貴族の変で切り崩された中央集権体制を復活させたようなもので、エーデルガルトの力に裏打ちされた仕組みは上手く働いており、戦時下でも帝国内の気風は強いままだ。
特に大きいのが帝国西部のヌーヴェル領とそこにある港を復興させたこと。海を隔てたブリギット諸島との連携が密になり、ブリギットの姫であるペトラの積極的な協力もあって今では兵力の派遣まで叶い、疑似的に帝国の国力が強まったことになる。
同盟との戦線を押し込まれたこともあったが、それだって現在の状況が整う前に行われた一度の戦闘で不意を打たれただけであり、以後はベルグリーズ伯を中心とした名だたる将が留めている。
帝国内の情勢が整っていくのに比例して防衛の力も増しているのだから同じことはもう起こらないだろう。
そしてついに帝国は動き出す。
1185年、星辰の節。本来なら千年祭が執り行われただろう時に合わせるようにガルグ=マクへと進軍する。
来たか──察知した者は誰もが思った。
五年も続いた状況を打ち破るため、エーデルガルトが本格的に動き出したのだ。
フォドラの中心に位置するガルグ=マクを抑えれば王国にも同盟にも対応できる。前線拠点としては申し分ない立地であり、東西の戦線維持のために一度は手放してもこうしてまた抑えに行くのは当然だったのだろう。
王国も同盟もセイロス教団さえも荒れ果てたガルグ=マクに手を伸ばす余裕がない中、帝国だけは悠々を二度目の制圧を果たしてみせた。
長い間塞がれていた帝国とガルグ=マクを繋ぐ直通の道を整えたのもこのためだったのか。戦時中にも関わらず国力の差を見せつけられたみたいだ。
ここからいよいよ決戦が始まるのか。フォドラを平定する戦争、終わりの始まり。
俄かに緊張が高まり……しかし、拍子抜けする事態になった。
帝国は、エーデルガルトは何を考えたのか、制圧したガルグ=マクをなんと一般向けに開放。交通の要衝としてだけでなく、セイロス教の本拠地としても守護することを宣言。
しかもこの地の守りを任せるのに充分な兵を残して軍を退かせたのだ。
──なんで?
それまでのエーデルガルトの姿勢からは考えられない動きに誰もが困惑した。
帝国の最高戦力と言われる
困惑は止まらない。
軍を退かせたエーデルガルトは帝都アンヴァルに帰還するのではなく、その足で帝国内を練り歩く。衆目にその姿を晒し、多くの民に直接語り掛けたのだ。
≪信仰と税を貪り、民を欺いてきた偽りの支配者が去って久しい≫
≪古の昔、聖者セイロスより加護を授かったフレスベルグ家の末裔として≫
≪あるべき信仰が歪められていくかつての教団を見過ごすことはできなかった≫
≪そして今、ガルグ=マクは新しく生まれ変わり、全ての人々に門を開いた≫
≪未来へ進むため、心の支えを求める敬虔な民を教団が欺き続けるのなら≫
≪正しき教義を信じる全ての者のため、まずは帝国がその背を押そう≫
≪いつか自らを立てる力を得た時、信仰ではなく人の手で次の世代を導くため≫
≪故に、アドラステア皇帝エーデルガルト=フォン=フレスベルグの名において≫
≪ここに真なるセイロス教の復権を宣言する≫
──いやなんで!?
まさかの皇帝直々の布告、何よりその内容に民は仰天した。
驚天動地の出来事である。
ガルグ=マクの再生とセイロス教の復権。どちらもエーデルガルトなら絶対にやらなかったはずの動きだ。ガルグ=マクまでの直通の道を作り、軍を出して制圧したのは戦争のためではなかったと誰が思えただろう。
まず、エーデルガルトがセイロス教を嫌っていたというのはそもそも風聞でしかなかったのが明らかになった。むしろこの声明からして彼女自身がセイロス教の敬虔な信者だとも言える。
嫌っているように思えたのは、人々の心にはかつてのセイロス教団の方針が全てだという先入観があったからで、それに反旗を翻したエーデルガルトが反逆者に見えたからだ。
いや、反逆したのは間違いではないだろうが……エーデルガルトなりの考えがあったのだと分かる。
セイロス教団とそのトップの大司教レアのやり方を見ると、一見すれば民に慈悲深いようで僅かでも許容範囲から外れてしまえば速やかに断罪するという、言ってしまえば狭量な姿勢が窺える。
分かりやすい例が五年前のロナート卿の反乱だ。当時の
王国の領主であるロナート卿にセイロス教団が断罪を下した。それは見方を変えれば、国に属する貴族の処遇を宗教団体が独断で裁くという武力干渉である。
反乱などと暴挙に及んだ者を捕縛するのは無理があるという意見もあるだろうが、その鎮圧だって【雷霆】のカトリーヌに加えて【灰色の悪魔】ベレトなんて特級戦力を二人も揃えたのだから決して不可能ではなかったはず。
なのに、士官学校の学級課題として当たらせることで生徒という足手まといを同行させて余裕を奪い、討伐という形に落ち着かせたのだ。
そうして主に逆らったという名目で自分の意に沿わない者は全て滅ぼすレアの姿勢が浮き彫りになる。これでは女狐呼ばわりもむべなるかな。
エーデルガルトはそれが許せなかったのではないだろうか。
教団が定めた教義を声高に謳えば一方的に裁いていいのか。主とやらを盾にすれば何をやってもいいのか。そんなもの、個人の好みでフォドラを勝手に弄る横暴だ。
セテスのように現状に不満を持っている者も教団内にはいたらしいが、行動に移さなければ何もしていないのと同じこと。
変えるためには誰かが立ち上がらなければならなかった。それがたまたまエーデルガルトだっただけのこと。
しかしながらガルグ=マク襲撃という強引な手段に及んだエーデルガルトがこうも懐の深さを見せつける動きを取るだろうか。
エーデルガルトと言えば皇女だった時から威圧的、上から目線、頑固、等の悪い言い方をすれば独善的な人物だった。そんな彼女が民が心の支えとして求める宗教を支援し、弱者に理解を示すような方策を打ち出すものか。
ここに至るまでの背後に、ある人物の影を感じざるを得ない。
「お前なのか、きょうだい……」
同盟の盟主、リーガン家が居を構える水上都市デアドラ。そこに建つ館の一室でクロードは小さく呟く。
執務用の机に足を乗せ、行儀悪く椅子を傾ける彼は何とも言い表せない表情だ。
自分がこうと決めたら他を受け付けないエーデルガルトの頑固さは士官学校にいた時から知っている。ガルグ=マク襲撃の最中に対峙した時の様子を思えば今でもそう変わっていまい。
星辰の節の末から始まった帝国の不可解な動きは、何度考えてもエーデルガルトが自分で決められたものとは思えない。側近のヒューベルトの線も薄いだろう。
間違いなく彼女に助言した人物がいる。そして、あのエーデルガルトが即座に行動に表せるほど素直に意見を聞き入れる相手と言えば一人しかいない。
守護の節の間、続々と集まる情報の中にそうと思わしき人物が見える。
翠の髪。翠の瞳。黒衣に身を包んだ細身の男。
ガルグ=マクで見たと思えば、翌日には帝都アンヴァルに現れ。
軍の訓練に加わったはずが、遠く離れた領地で平民に混じり土を耕していたり。
それまで一切目撃情報がなかったのに、帝国各地で急にその姿が散見されるようになったのだ。
まるで分身でもしているかのようにあちこちで目撃され、相次ぐ情報に振り回されているのは受け取る自分だけではないだろう。
同盟から帝国に送り込んだ『草』の方がこんな情報を寄こすことに困惑しているかもしれない。
(まあでもあの人だったらこんな変な動きをしてても納得しそうになるんだよな~)
たははと乾いた笑いを漏らす。
持っていた紙を机に放って頭の後ろで手を組んだクロードが考えるのは当然、渦中の人物……脳裏に浮かぶのは集められた情報が示した通りの姿だった。
帰ってきたのか。あの人が。
五年前の戦いで行方を眩ませて以来、フォドラのどこにも姿を現さなかったのに。
今年の星辰の節はガルグ=マクの千年祭が執り行われるはずだった。それに合わせるように現れて、再びエーデルガルトに力を貸すようになったのか。
決戦に踏み切ろうとしていた皇帝を説き伏せ、より良い未来へと導く賢者の如く。
「はー、考えること多くて疲れるわ……休憩すっかね」
「ほら、紅茶」
「お、ありがとな。東方の着香茶とは分かってるじゃん」
「君が好きなやつだろ。久しぶりに淹れたけど上手くできたかな」
「いい感じだよ。俺の舌はそこまで上等じゃないから気にし過ぎんなって」
「それならよかった」
「ん、いいね。あえてぬるめの紅茶ってのも落ち着くよ」
「疲れてる時にはわざとぬるく淹れるのもやり方の一つ。君が教えてくれたよな」
「そんなこと言ったか?」
「紅茶は熱いものだと思ってたから聞いた時は驚いた。新鮮だったから覚えてる」
「そうかい」
「ああ」
「…………」
「…………」
「ふ~……」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………っぷろあ!?!?!?」
変な声と共に思い切り噴き出してしまった。
反射的に首を捻って横を向けたので、噴き出した紅茶を机周りの書類に浴びせることは辛うじて回避できた。
「ぶっふぇ! えっほ! げほっげほっ!」
咽てなかなか収まらない咳をしながら、クロードは何とか視線をそちらに向ける。
その声と、自然体の立ち姿。長く見ていなくても記憶から薄れることはなかった懐かしい相手。
「けほっ…………先生?」
「久しぶりだな、クロード」
ちゃっかり自分が持つカップにも紅茶を注ぎながら柔らかく微笑むベレトがそこにいた。
席を執務机から応接用のテーブルに移して。
ぬるい紅茶と一緒に盤面遊戯を挟んでクロードとベレトは向かい合っていた。
「しっかしまあ、全然変わってないなあんた」
「眠ってる間に体が勝手に変わってなくてよかった」
「五年もねえ……こっちとしちゃ少しホッとする気分だが」
「クロードはかっこよくなったな」
「お、そう見えるか? 見てくれも大事な武器だし気を遣ってるんだぜ」
「髭は、ちょっと違和感があるかも」
「渋いだろ?」
「単純に俺が見慣れてないだけか」
「まあ俺も盟主としてはまだ若いし、貫禄が身に付くのはもうちょい先の話かね」
互いに長く間を置かずリズムよく駒を動かしていく。雑談を交わしながらでもその手付きは慣れたものだった。
指揮を得意とするクロードは士官学校にいた時からこういう盤面遊戯でも優れた指し手であり、級友相手に連勝を重ねるほどだった。ディミトリとエーデルガルトを同時に相手取って勝ったこともある。
そんなクロードに好敵手としての手腕を見せたのがベレト。
傭兵だった彼はこの手の遊戯に馴染みがないかと思いきや、ジェラルト傭兵団の中でよく賭け勝負をして腕を磨いていたらしく、戦場での知謀も相まってかなりの腕前だった。
五年前に茶会の席などで勝負を持ちかけると中庭の一角に見物人が集まるくらい白熱した一戦を繰り広げたことも多く、その勝敗は一進一退といった具合に当時は実力が釣り合っていた。
懐かしさも感じる中、対面のベレトを見るクロードは思考を深める。
(見た目は変わってない……だが、本当にあの先生なのか?)
驚愕を落ち着けてこうして向き合うことにしたが、疑わしさ極まる相手だ。
盟主の館だけあって警備はそれなりに厳重なはずなのに、自分の下まで侵入を果たしたベレトは紛れもない不審者である。
先刻、噴き出した紅茶で濡れた口元を拭うクロードに向けてベレトが差し出したのは一通の書簡。受け取り、頭の混乱を抑えながら目を通したそれはアドラステア皇帝エーデルガルトから送られた親書だった。
暢気に自分の紅茶を飲むベレトを見て衛兵を呼ぶ気にもなれないまま、親書を読み進めていく内にクロードの頬は釣り上がっていった。書かれていた内容が想像を絶していたのだから。
公的な言葉を連ねた部分を除いて要約すると、書かれていたのは大きく二つ。
一つは、戦争という本来であれば交渉における最終手段にいきなり及び、生む必要がなかったかもしれない犠牲を生んだことへの謝意。
もう一つは、これ以上必要ない犠牲を生まないためにも早期の停戦を求め、同盟の盟主として皇帝との会談に応じてほしいという要望。
──やりやがったこいつ!!
親書からベレトへ目を移したクロードは胸の内で喝采を上げた。
公にせず内密に渡す文書とは言え、あのエーデルガルトが自分の非を謝罪する文を
ヒューベルト以外の誰にも明かさないまま聖墓を襲い、ガルグ=マク襲撃も強行したエーデルガルト。一度決めて走り出したら止まらないし譲らない性格なのは分かっていた。
そのエーデルガルトを何の打算もなく助けたベレトだからこそ、彼女も信頼して何かしらの意見を聞き入れて姿勢を変えたのだろう。
そう、変えたのだ。変えられないだろうと誰もが思っていたものをベレトは変えてみせた。それはこのフォドラの、世界の運命を変えたと言っても過言ではない大きな変革である。
一人の個人が世界を変える。英雄と称するに相応しい所業を感じ、クロードは感銘に胸を震わせたのだ。
あんたがエーデルガルトじゃなくて俺を選んでくれりゃあな──思わず口を突いて出そうになった言葉を呑み込む。たらればを語っても意味はない。一度はきょうだいと呼んだ仲でも、今はもう相容れない立場になってしまったから。
そうして意識をできるだけフラットにして改めてベレトを見て、ふと疑問に思う。彼はこんな人間だっただろうか?
落ち着くまでの時間稼ぎのために持ちかけた盤面遊戯に付き合ってくれるベレトは見た目こそ五年前のままだが、行動の質が変わっている気がしてならない。
ベレト=アイスナーと言えば真面目な人間だと記憶している。世間知らず故の天然気味な性格ではあるが、基本的に誠実な人柄だ。だからこそ曲者揃いの士官学校でも生徒達から受け入れられたのだ。
そんなベレトが皇帝の親書を届けるという公的な任務を帯びた身で、盟主の館に忍び込むなんて危険な行動を取るか?
当の盟主のクロードが知己であり、名より実を選ぶ人間だからこうして受け取れただけで、本来なら捕らえられてその場で首を刎ねられても文句は言えない暴挙だ。かつてのベレトがこんな行動に出るとは思えない。
今し方、あの戦いから五年間眠り続けていたとは聞いた。崖から落とされてずっと意識がないまま五年が過ぎ、クロードが想像した通り千年祭に合わせるように目覚めたのだと。
つまりベレトの意識の上では五年分の空白があり、彼からすればあの戦いがあったのはつい最近のようなものである。性格が変わるような時間などなかったはず。
先ほど悪戯めいたやり方で声をかけて驚かせ、勝手に紅茶を淹れる茶目っ気まで見せた姿がどうしても五年前の彼と重ならないのだ。
それでも、次に動かす駒を考えるベレトを目の前にすれば認めざるを得ない。
「やっぱり変わったな、あんた」
「そうか? なら嬉しい。俺も少しは成長できていることになる」
思わず出た感想を聞いて表情を綻ばせるベレト。
彼の笑顔を見ると諦めたはずなのに諦められなくなりそうで、クロードは苦笑してしまった。
「それで、親書は読んだんだろ?」
「ああ、目は通したよ」
「どうだろう。エーデルガルトに応じてくれないか?」
駒を動かしてベレトは訊ねる。
盟主の館に侵入までして届けた親書。皇帝の使者として渡したそれに対する返事を聞かねばならない。
エーデルガルトが目指しているものは先ほどクロードに説明した。紋章至上主義という常識の破壊。神から与えられた力による支配を脱し、人の手による世界を作り出すこと。全ての人々の未来のため、まずはその基礎を固める。
帝国の方針を変えたのはやはりベレトだったと本人の口から語られた。星辰の節に目覚めた彼が再会を果たしたエーデルガルトを説得し、そこから帝国が見せた動きは先述した通りである。
もう無為に戦いに走る帝国ではない。君もエーデルガルトに協力してくれないか。そう問うた。
「そうだね~」
「……」
「まあ……ない、な」
「……そうか」
クロードの軽い返事に、ベレト短く返した。
当たり前と言えば当たり前のことだ。
都合が良い。その一言に尽きた。
そもそもこの五年に渡る戦争は帝国が、エーデルガルトが始めたものだ。教団も同盟も王国も、それに応じて戦っているだけ。
そっちが始めた喧嘩をそっちの都合で終わらせようだなんて、そりゃ虫が良すぎる話じゃない?
同盟の盟主としても、野望を台無しにされた個人としても、そう簡単に頷くわけにはいかないのである。
「却下されるのが分かっていた提案だろ?」
「まあ、エーデルガルトのやってきたことを思えば虫の良い話だろう。それでも俺は同盟の盟主クロードに、そこを曲げてでも応じてくれないかと聞きに来たんだ」
「俺に頷いてもらえる勝算があったってことか、そりゃどうして?」
「五年前に君が話してくれた野望は、エーデルガルトの目指しているものとそう大きく変わらないと思ったからだ」
かつての士官学校でクロードは
そうして交流を重ねていく中でクロードは自身の猜疑心を上回るほどの興味と期待をベレトに寄せるようになり、彼に伝えたのだ。
『なあ先生。俺はいつか、フォドラの中と外を分かつ壁をぶっ壊したい』
『狭苦しい常識だの価値観だのに縛られるから無用な争いが生まれるのさ』
『繋がりを育むのに、生まれも血も関係ないはずなんだ』
『邪魔な壁を取っ払った広い景色を見たい……それが俺の野望』
『いつか、あんたと一緒に見たいもんだぜ、きょうだい』
血は繋がらずとも心は繋げられる。
腹を割って話せば意気投合できるかもしれない。
それはやってみなければ分からないこと。
なのにフォドラの人間は壁の内に閉じこもって外を見ようとしない。
そんなの、もったいないじゃないか。
フォドラの常識に捉われないクロードは笑いながら語ったのだ。難しいことではない。ただ一歩踏み出せばいいだけ。そのための風穴を俺が開けてやる、と。
話のスケールが大きかったからか、最初に聞いた時はベレトも漠然と受け止めるだけだったが、後になって思い返すとクロードの狙いはフォドラの全てを塗り替える壮大な野望だと分かった。
そしてそれは、エーデルガルトほど過激ではないにしろ、フォドラの常識の破壊と称しても過言ではない内容だと気付く。
であるならば。
二人は協力できるんじゃないか?
一部分だけでも道を重ねられれば同じ未来を目指せるんじゃないか?
エーデルガルトとクロード、二人の意思を知る自分なら両者の橋渡しができるのではないか。
使命感に燃えるベレトがこうして同盟への使者の役を買って出て、今に至る。
「だとすれば、こうやって忍び込んできたのは悪手じゃないか? あんたが政治に疎いのは分かるが、俺がこのことを公表しちまえば帝国への心証はどうしたって悪くなる。まあ正面から面会を申し出たところで通してもらえたかはあやしいが……」
和睦を願うなら心証を損ねてはいけないだろう。盟主の館に侵入するなど明らかな悪手ではないか。
傭兵出身のベレトが政治的感覚に疎いにしても、彼は決して馬鹿ではない。視野の広さで言えば並の官僚以上だろうに、その程度のことを考えられなかったとは思いにくい。
そう訊ねたクロードにベレトは簡潔に応えた。
「俺としては、クロードに対する誠意のつもりだよ」
「どういうことだ?」
「今ここで俺を始末してしまえば全てなかったことにできる、ということさ」
「……っ!」
ベレトの覚悟の程を感じ取り、息を呑む。
彼は文字通り、命を懸けてクロードとの絆を信じたのだ。
見た時から分かっていた。ベレトは武装していない。天帝の剣も、普通の鉄の剣はおろか、腰の短剣すら外している。今の彼は丸腰だ。
無論、彼が素手でも戦える実力者なのは知っている。しかし素手のみで向かう戦場などありえないと士官学校で教えた彼が完全な非武装でクロードの前に姿を現したという事実が、その発言を確かなものとしていた。
(ああ、もう……あんたって人は!)
例え道を違えたとしても、この絆を信じれば再び会える。
そんな願いを込めて呼んだきょうだいの縁をベレトは今でも信じているのか。
クロードは自分が人たらしだという自覚がある。
他人と関わる中で話術だったり距離感だったり様々な手段で相手の懐に入り、その関係を良いものにしたり、または意識を誘導したりなどしてきた。盟主となってからもそうやって同盟を制御してきたものだ。
それは彼が今まで身に付けてきた手練手管、彼なりの努力の賜物である。
だがベレトは違う。
純粋な本心から生まれた言葉と態度はこんなにも心を揺さぶるのか。
傾国の美女なんていう言葉があるが、性別が男だというだけでベレトは間違いなく国を傾けるに足る存在だと言えよう。
ベレトから
「君から要望があれば俺からもエーデルガルトを納得させておく。妥協できる部分を話し合うためにも帝国との会談に──」
「待て待て先生。今すぐ同盟全体の答えを出すことはできない」
「……すまない、急かせてしまったな」
「一応、各諸侯による共同体っていうのが同盟としての体裁なんだ。議会を通さないまま俺の一存で決めるわけにはいかない。悪いがしばらく時間をくれ」
「分かった」
「ただまあ、会談に応じる形になるように俺も何とか調整してみせるさ」
「いいのか?」
「そこは俺の腕の見せ所ってね。俺の口の上手さは知ってるだろ?」
「そうじゃなくて」
「どうした」
「クロードはエーデルガルトの話に応じる気があるのか? 今の言いぶりだと君自身は前からそういうことを考えていたように聞こえた」
「あーっと……そこは、あんたに対して筋を通す意味でってところかな」
意外そうな表情をするベレトに肩をすくめてみせる。そんなことができるのもこうして命があるからこそだ。
そもそもの話をするなら、謀略と戦略を得意とするクロードにとって、ベレトほどの実力者にこうして侵入を許してしまった時点で敗北にも等しい状況なのだ。
ベレトとて丸腰のまま館の衛兵一同に囲まれてしまえばただでは済まない(いやまあ彼なら切り抜けてしまうかもしれない)が、今この部屋で一対一で戦うことになれば同じく武装していないクロードに勝ち目はないだろう。五年前より成長していても戦闘力でベレトを超えたと思うほど自惚れていない。
そうして盟主を暗殺されてしまえばその時点で同盟の敗北なのである。侵入を果たしたベレトが暗殺者として来たのではなく親書を届ける使者として対話を望んでくれたことでむしろクロードは助かっており、実は内心でヒヤヒヤしているのだ。
この下りも議会で説明しないわけにはいかないと思うと頭が痛くなるが、黙したままでは話が進まない。
盟主が危機に陥ったことを、多くの諸侯は警備体制を含む不手際としてあげつらい糾弾するだろう。帝国との戦線で長い間拮抗しているからと、帝国と渡り合えていると高を括っている者からすれば今回の件はクロードをこき下ろす良い機会なのだ。
そういう謗りは甘んじて受けるとして、この敗北同然の状況に追い込まれた同盟が帝国から温情を与えられたことを理解できないほど愚かではない諸侯達を説得して、会談に備えるのがクロードが今からやらなくてはいけないことだ。
「とにかく、エーデルガルトの呼びかけに応じてくれるなら俺も助かる。よろしく」
「おう。両国間のやり取りなんて久しぶりになるからやり甲斐があるってものさ。何とかしてみせるよ」
張り切るところなのか、やる気を見せるクロード。彼が会談に対して前向きなのが分かり、ベレトは安心できたようだ。
目的である会談の予約が叶って使者の役割は果たせたと言える。
ただ、話はそこで終わらない。
「ところで先生、話は変わるんだが」
「何だ」
「
「……え?」
コツリと動かした駒と共にクロードがした宣言に、盤面へ目を落としたベレトが気付いた時には勝敗は決していた。
何かを賭けていたのではなく、本気でやったわけでもない。会話の中の空いた思考で行われた、言わば手慰み代わりに行われた勝負。
目を走らせたベレトはすぐに察した。
(詰んでいる……)
いつの間にか誘導されている。逃げ道を塞がれている。追い込まれている。
完膚なきまでの敗北だ。
「あんたさっき言ってたよな。五年前から勝手に成長してなくてよかったって。俺もそう思うよ」
「どういう意味だ?」
「実力も五年前と変わってないそのままってことさ」
冷めた紅茶を飲み干してクロードは不敵に笑う。
「腕っ節はともかく、頭の切れは今は俺の方が上みたいだな」
同盟の若き盟主、クロード=フォン=リーガン。
頭脳を戦わせれば負け知らず。知謀において右に出る者なし。
盤面の勝負では【灰色の悪魔】を下すほどの力を身に付けたのである。
その威圧を感じてベレトは納得したように頷いた。
「そうだな」
「って、言い返さないのかよ! あっさり認めるのな」
「目の前に勝敗が示されてるんだからクロードの方が上だろう?」
「いやまあそうだけどよ……所詮こんなの盤面の遊びだ。実際の戦場であんたがどれだけ怖い存在なのかは分かってるって」
すぐに威圧を引っ込めたクロードは肩をすくめる。勝ち誇ってみせたのはポーズでしかなく、こんなことでベレトに勝った気にはなれない。
強いて言えば、侵入したベレトがクロードを襲わなかったおかげで命拾いしたことと合わせて、とりあえず一勝一敗のイーブンに持ち込めたぞという意趣返しの意味があったくらいか。
まあとにかく、遊戯の決着は同時に対話も終わりだという合図にもなったわけで。
それを察したベレトは自分の紅茶を飲み干し、カップを置いて立ち上がる。
「じゃあ俺はそろそろ行くよ」
「あいよ。折を見て同盟からも使者を送るから、ちゃんと招き入れるようにエーデルガルトに伝えといてくれ」
「分かった。待ってる」
そそくさと窓へ(扉ではなく窓から侵入したのか)近付くベレトを見送る。
やれやれと内心で呟く。突然現れたベレトによって目を白黒させられる思いをしたが、終わってみれば得るものは多い再会だった。
何よりエーデルガルトの真意を知れたことは大きい。恐らく彼女はずっと前からかつてのフォドラを憂いていたのだろう。状況を変えるには戦争という強引な手段に及ぶしかないと考えていたが、ベレトによって考えを改め、今では穏やかな道を選べるならそれに越したことはないと考えられるくらいには落ち着けたか。
さーて忙しくなるぞと考えていると、窓枠に手を掛けたまま動きを止めたベレトが目に映った。
去るのではなかったのか。その背中を見やるクロードの前でベレトはおもむろに振り返る。
「クロード」
「なんだ?」
「君に野望があるように、俺にも目指しているものがある。野望と呼べるほど壮大なものじゃないけど、俺にも願望があるんだ」
唐突に話し始めたベレトが振り向いた。クロードを見つめるその表情は──
「君の言葉を借りれば、俺にも見たい景色があるということだ。その景色を見るためには君の存在も不可欠なんだよ」
──微笑んでいた。
五年前、悪魔と呼ばれるほど感情が見えず無表情でいることが常だったベレトがまるで普通の人間のように……否、それ以上。心から湧く希望をそのままに、力強ささえ感じさせる瞳を向ける。
「俺は諦めない。士官学校で過ごしたあの日々のように、また俺達は肩を並べて笑い合えると信じている。だから大丈夫だよ、きょうだい」
そこまで言って踵を返したベレトは窓枠に足を掛けると、跳び上がるように窓から出ていった。ろくな物音も立てずに壁を登ってしまったのか、酷くさっぱりとした去り方である。
部屋に一人残ったクロードは静寂に包まれる。ベレトが現れてからはずっと彼の主導で話が進められて、珍しく振り回された気分だった。
嫌な気分ではない。最近は部屋にこもりがちだったり議会に奔走したりしていたので、ベレトという突風が吹き抜けた今はどこかすっきりしている。
改めて親書を手に取る。
エーデルガルトが変わった証。
ベレトが彼女を変えた証。
このたった一通の書簡が今後のフォドラを大きく変えていく切欠になるのか。
親書を丸めて執務机に向かって放り投げる。ところが狙いが外れて机を通り越し、その向こうの椅子に当たって床に落ちてしまった。
すぐ傍の机にも乗せられないほど力加減を誤った手を見る。微かに震えた手。それが如何なる感情によるものか。
「ああ、くそっ!」
その場で横になる。盟主の館らしく調度は優れ、床に敷かれたカーペットは昼寝でもできそうなくらいふかふかと心地よい。
しかし、クロードの気は少しも晴れなかった。
この震えは恐怖ではない。
興奮とも違う。
分かるのは、己への怒りと失望。
──大丈夫だよ、きょうだい。
「俺は、もう……あんたをきょうだいとは呼べない……!」
ベレトが現れて、自分は何を考えた。
暗殺者じゃなくてよかった? 頭の切れは自分の方が上?
そうじゃないだろう!
何故、再会を喜べなかった。
何故、彼を歓迎できなかった。
握手なり抱擁なり、するべきことがあったじゃないか。
生きていてよかったと何故言えなかった。
エーデルガルトに味方したベレトはもう敵だから?
一度思惑から外れた動きをしただけで切り捨ててしまうなら何のためのきょうだい呼びだ。
彼を見極めようと長い時間をかけて友誼を深めたのは何のためだ。
頭の中で回る怒りを払うように床を叩く。
過去に戻ることはできない。今の自分は同盟の盟主として動かなければいけない身だ。すぐにでも各諸侯に呼びかけて議会を開かなくてはいけない。
根回しすることを考えて先んじて話を通しておかなくては。同盟としては対帝国の意見が多い今、ベレトと約束した通り帝国との会談に応じる方向へ話を持っていくためにも……
そこまで考えてクロードは勢いよく体を起こす。
ここに現れて去ったベレトは五年前と変わらない姿だった。体が成長したこともなく、本人曰く女神の心だったという少女と融合して髪も瞳も翠色に変わったあの姿のまま。
思い立ったことを確かめるべく部屋を飛び出した。
廊下を走り、階段を駆け下り、庭を突っ切って館に併設された厩舎に飛び込む。
勢いよく扉を開けた中で、反応したものがゆるりと首を巡らせたのを見たクロードは小さく笑みを浮かべた。
女神の加護を授かったにも等しいベレトが近くに現れても、それに全く反応した様子が見られない己の相棒を認めて彼は思う。
(いいぜ、先生……あんたが何を考えているにしても、今はもう相容れないんだ。俺は俺でやらせてもらうよ。自分の野望を諦めてないのはお互い様だ。戦うことになったとしても恨みっこなしだからな)
会談と、その先の未来を見据えて野望の寵児は笑う。
激動のフォドラで、彼もまた時代を動かすに足る器故に。