場面を同盟から帝国に移して続きます。
「そんな感じでクロードに会えて、会談には前向きに応じる形で動いてくれることになった」
心臓に悪い──ベレトから報告を受けたエーデルガルトとヒューベルトの偽らざる本音である。
戦線も、ミルディン大橋も、グロスタール領も、間にあるものを全てこっそり通り抜けたベレトが皇帝の親書を携えて盟主の下へ侵入を果たした。帰還した彼からそう報告を聞いて、何もそこまで無茶しなくてもと突っ込みたくなったものだ。
「と、とにかく
「クロードに会いに行くと言い出した時はどうなることかと思いましたが……」
ガルグ=マクに帰ってきたベレトが意気揚々としてきた報告を聞いて二人揃って安堵に肩を落とす。
再会して早々にベレトを失うようなことになってしまえば……考えたくもないが、目も当てられないことになるだろう。特にエーデルガルトの精神に今度こそ致命的な罅が入っていたかもしれないのだ。
今回の提案をしたベレトがやけに自信に満ちていたので押し切られる形で親書を預けたものの、一歩間違えれば全てが終わっていた可能性もあった。受け入れたクロードには感謝しなくては。
後、ヒューベルトに説教してもらわなくては。誰をって? ベレトを。
エーデルガルト達生徒との再会を果たしたベレトが帝国に力を貸すようになってから既に一節以上経つ。
この僅か一節で帝国はその方針を大きく変えた。と言ってもそれを詳しく理解している者は少ない。皇帝が直接舵を取っているが故に、詳細を知らないままでも臣下達が一体となって動けるのが今の帝国の強みなのだから。
それもエーデルガルトのカリスマがあればこそだが、次代の皇帝に任せる前にこの中央集権体制を存分に使わせてもらうことにした。
まず最大の敵とされているセイロス教団に対して。
五年前にガルグ=マクに攻め入った帝国が敵対するのは当然なのだが、その当然を根本から変えてしまうことにした。
セイロス教団とは敵対しても、セイロス教のことは味方に付けることにしたのだ。
と言うより、そもそもエーデルガルトは最初からセイロス教の現状を憂いて行動したのだ、という姿勢を押し出した。
皇帝エーデルガルトはセイロス教の教義を否定していない。大司教レアの暴力的な善悪論が許せなかっただけ。フレスベルグの血を引く者として教義が歪められていく現状を見過ごすことはできなかった。そんな筋書きを流布して。
敵対していたセイロス教をまるで擁護するような声明を出すことにエーデルガルトもヒューベルトも初めは難色を示した。
だが、感情に流されて判断を誤ってはいけないとベレトは二人を諭す。
使えそうな『武器』が既に場にあるのなら利用しない手はない。
フォドラにはセイロス教という人心を味方に付けるのにとても都合の良い宗教があるのだから、それを使って人々から支持を集めればいいのだ。
それは、かつて士官学校で行われた対抗戦でベレトが立てた作戦のように、わざわざ新しい得物を用意しなくても敵が持っている『武器』を鹵獲して使えばいいじゃないか、という傭兵の思考から生まれた方策だった。
ガルグ=マク復興の理由も同じ。
元々エーデルガルトがこの地を制圧したのは決戦の前線拠点に使うため。加えて、帝国がフォドラ統一を果たした暁にはガルグ=マクが交通の要地になると見越し、先にこの地を帝国の支配下に置いて流通を活性化させたかったから。山を切り開いて直通の道を作ったのもそのため。
そこで話をこのようにでっち上げる。
セイロス教の本拠地が戦争のせいで荒らされたままなのを放置できなかった。アドラステア皇家とセイロス教の遺恨のせいで平民の信者が行き来しにくいままでは信仰の妨げになってしまうから、戦争の平定よりもこの地の解放を先決した。むしろ積極的に奨励したいから道も作った。
いやいやそれって最初に帝国が攻め入ったのが事の元凶じゃん今さらそんなこと言われても信じられないよ、と反応されるのは分かっている。
そこで役に立つのがベレトの立場。
ニルヴァーナ。セイロス教団の大司教レアが直々に授けた聖人の称号。
教団が認めた聖人が今の教団と敵対した帝国に味方する。ご丁寧にベレトの髪と瞳はレアと同じ翠色。目に見えて分かる大司教と同格の姿が皇帝エーデルガルトの傍にいると人々に示せばどうなるか。
何これどっちが正しいの??? そんな風に困惑せざるを得ない。
その困惑こそが狙いである。これまでのフォドラで当たり前の価値観とされていた教団一強の情勢、何をするにしても教団の決定ばかりが優先された以前のフォドラではありえなかった困惑こそ欲したのだ。
人は弱い。強い者は極一部のみであり、大多数は弱い。それが前提。
しかし弱いからこそ考える。目前の事象と状況に迫られて考える者が必ず現れる。弱くても関係ない。人が人である限り、必ず考える。
そうやって自分で考えて動く者がいる世界こそ、人が人によって立つ世界なのだ。
まあ、状況を示すだけでは選択を迫られても自分から動き出せない弱者の方が圧倒的に多いだろうし、色々と支援してやらなくてはならないのだが……
もちろんこの決定に至るまで、エーデルガルトに葛藤があった。
何年もかけて準備してきた計画。そのために固めた覚悟。様々なものを翻してしまうのはある種の裏切りになるのでは? 過去の自分の決意をなかったことにしてしまうのでは?
だとすれば……あの日々は何だったの!? 恐怖と屈辱に耐え、体を、運命を狂わされた私は何のために生き延びたの!?
ヒューベルトにも見せたことがなかった癇癪を起こし、喚き散らす姿さえ見せた。
それを受け止め、支えたのもやはりベレトだった。
『大丈夫だよエーデルガルト。君は自分が思っている以上に強い子だ』
今まで積み上げてきたものが消えるわけではない。これまで自ら選び、鍛え、時には堪え、自分が何者であるかを自分で決めてきたのは間違いなくエーデルガルト本人の強さなのだから。そうやって立つ君の姿が多くの人に影響を与え、様々な繋がりを作ってきた。そんな君を信頼する人がいることを忘れてはいけない。
ともすれば自身を持たざる弱者だと思いがちなエーデルガルトにとって、こうしてかけられたベレトの肯定の言葉は何よりの支えとなった。
これにより、頑ななエーデルガルトの心に大きな余裕が生まれたのだ。
ベレトはかつて彼が言った通り、エーデルガルトを
そんなこんなで余裕が持てたエーデルガルト。皇帝の威厳は備えたまま表情は明るく、人当たりも穏やかに、纏う雰囲気もどこか柔らかくなっていく。
そういう変化があった彼女が今まで目を背けていたことに気付くのは自然なこと。
空き時間にベルナデッタと一緒に花の世話をしたり。
適当にあしらっていたフェルディナントの決闘を流さず付き合ってやったり。
同じ王族として並び立つ宣言をするペトラと認め合ったり。
その中でも、リンハルトの
『ちょっと面倒臭すぎますよ、貴女って』
と、カスパルの
『何でも自分を基準に考えるのがエーデルガルトのよくねえとこだよな』
という発言が彼女の心に突き刺さる。そういう非難の言葉も心に余裕があればこそ素直に受け入れられたのだ。
また、特に彼女を打ちのめしたのはハンネマンとマヌエラの発言だった。
紋章の研究のためにガルグ=マクから居を移したハンネマンと一緒にマヌエラも帝国に身を寄せた。それまでの縁によりエーデルガルトに重用されることになった二人は能力もあって順調に(たまに喧嘩しながら)活動していた。
そんな二人にエーデルガルトは訊ねた。紋章の価値とセイロス教の権威を崩そうとしている自分についてきてよかったのかと。
『君の野望が我が夢を壊すと? ふむ、それは無用な心配だよエーデルガルト君。我輩は君の思想に強く共感している。だが同時にこうも思う。そう簡単に紋章の影響は消えない……だからこそ我輩は研究を続けているのだよ』
『何て言うのかしらね……主の存在はあたくしにとって心の支えよ。けれど、あたくしの体を支えるのは結局のところあたくし自身、でしょ? 主への感謝とあたくしの人生は別の話だとは考えられない?』
目から鱗が落ちる思いだった。
紋章を地位の根拠にするのではなく、純粋な力、ただの手段の一つとして考えられる大人がいたのか!
セイロス教を心の支えとしながら、自らそこを離れて自分の力で生きる決断ができる大人までいたのか!
『私って本当に頭が固かったのね……これでは貴族連中と変わらないわ』
こんなこと、少しでも他人の話を聞こうと意識を向けていればもっと早くから知ることができただろうに。今までの自分がどれほど頑なだったか……否、それ以下の視野狭窄だったかを痛感してエーデルガルトは珍しく落ち込んだのである。
しかし反省した後すぐに動き出し、セイロス教の扱いを含めた帝国の今後の方針を決めた迅速果断は流石と言えるだろう。この立て直しの早さもベレトがいるからかもしれない。
そうして新しい方針を固めて動き出したエーデルガルト。主の奮起する様子に溜息を吐きながらも口元を綻ばせるヒューベルト。それに釣られて気合いを入れ直す仲間達。
それを見て安心したのか、ベレトは自分の知る情報をエーデルガルトとヒューベルトにどんどん伝えている。
ディミトリとエーデルガルトは義理の姉弟に当たる。『え?』レアも遠い過去に女神の加護を受けたそうだ。『先生と同種の存在ということですか』クロードとは士官学校できょうだいの関係になった。『へぁ? それは知って、あ、えと』大修道院に納めるのに相応しくない書物はアビスの奥にある書庫に送られる。『我々が知らない情報もそこにありそうですな』炎帝が投げた短剣は昔ディミトリがエーデルガルトに贈った物。『わ、や、お』『先生、すみませんがそこまでで』
矢継ぎ早に繰り出された情報に慌てる(?)二人を尻目にベレトは思ったのだ。三国の関係を変える鍵は恐らく自分が握っている。今からでも自分の動き方次第で良い方向に向かわせることは必ずできる。
仲間達と同じく気合いを入れ直したベレトがエーデルガルトと一緒になって民の前に姿を晒したり、馬やドラゴンを駆って帝国内を東奔西走するなど、自分にできることは片っ端から手を付けた。
そんな風に張り切るベレトが同盟のクロードの下へ向かうまで、実に濃密だったこの一節を振り返ってみよう。
………………
…………
……
帝国内で活動する傍ら、ベレトに幾つもの再会があった。
その一つとしてまず彼らがいる。
「「「「「「レト坊ー!!!」」」」」」
「みんな、久し」
「「「「「「今まで何してやがったてめー!!!」」」」」」
「ぶ、んっ」
飛び掛かってきたジェラルト傭兵団の面々に押し潰されるという過激な再会があった。
そのまま抱き締められたり、胴上げされたり、頬ずりされたり、熱烈な想いをぶつけられたベレトがされるがままだったり、再会の現場となったガルグ=マク大修道院の食堂が一時騒然としたものである。
五年が経ち、ベレトが知るものより歳を取った彼らの顔は見慣れなかったが、態度もあってすぐに誰だか分かったので違和感はなかった。
同じくらいだったのに明確に年上になったジードやヨニック。
気苦労と共に顔の皺も増えたガロテやレンバス。
最年少だった子供から一気に背を伸ばし別人のように成長したダンダ。
大きな変化はないながらも歳を重ねた印象を受けるドナイなど他の面子。
ベレトを慕い、家族のような絆を結んだジェラルト傭兵団は今も変わらず彼を受け入れてくれたのだ。
やがて落ち着いた彼らは再びベレトと行動を共にすると宣言した。
「あれから俺達はお嬢に雇われる形で帝国から依頼を受けて活動してたんだ。まあ付きっ切りってわけじゃなかったけどよ」
「みんなもエーデルガルトを助けてくれてたのか」
「というか、レト坊をだな」
「俺を?」
「俺達はジェラルトさんの下に集まってできた傭兵団だ。みんなあの人のことが今でも大好きだし、あの人のためにできることって考えたら自然とレト坊のことになってよ。ジェラルトさんが安心できるようにお前の助けになるって決めたのさ」
レンバスが語るには、ジェラルト傭兵団の意思はジェラルトのものであり、例え死んだとしても団の方針は彼の望みに殉じるものにすると全員で決めたのだという。
そしてジェラルトが気にかけていたのはいつだってベレトのことだと団員は皆知っており、ベレトの助けになるように動こうとして自然と帝国に行くことにした。
今では皇帝お抱えの傭兵団として活動しているのだ。
「そうだったのか……ありがとう。嬉しいよ」
「な、なんだ、えらく素直じゃねえかよ」
頬を緩めるベレトを見て驚く彼らだったが、可愛い坊の良い変化だと感じたのか、みんなで手を伸ばしてベレトの頭をぐりぐりと撫でるのだった。
「レト坊はお嬢を守りたいんだろ? なら、お前の意思が俺達の意思だ。これからはお前が正式に俺達の頭だ。よろしく頼むぜ」
「分かった。みんな、またよろしく」
「……もう一人でどっか行くなよ」
「ああ、頼りにしてる」
こうしてジェラルト傭兵団と合流したベレトは、彼らを引き連れて帝国各地を飛び回ることになったのだ。
本当に飛び回る奴があるかついていく方の身にもなれ、と苦情が入ったのは内緒である。
そうして帝国の方々を回る中で、意外な再会もあった。
アドラステア帝国建国前の時代の遺物が出土したとのことで、フォドラを股に掛けて自由な商売をする商人アンナがその確保に動いた。一攫千金の儲け話とあっては飛びつかない選択はなかったのだろう。
しかし話を持ちかけてきたのがバシャルドという商人で、以前は大修道院にも出入りしていたなど身元は確かだったのだが、今では黒い噂も付きまとう人物だ。
アンナは今ではエーデルガルトとの交流もあるくらい帝国内では有力な商人で、彼女の活動を支援することも大事だとしてベレトが手を貸すことになった。
「あらまあ先生、とっても久しぶりじゃない! 皇帝陛下が急に元気になったって噂は貴方が原因でしょ? 今までどこ行ってたのよ~!」
「久しぶりだなアンナ。また会えて嬉しいよ」
「……やだ、先生ってば変わった? いい顔するようになったわね。いえ、むしろ変わってない? 何でそんなに若いままなの?」
五年前にガルグ=マクの街で交流があったベレトと意外なところで顔を会わせ、彼の顔をアンナはまじまじを見つめた。
そんな話をしているところに、血の臭いを感じたとして突然現れ同行を申し出たのがこれまた意外な顔。
かつて死神騎士の姿でベレトと剣を交えたイエリッツァである。
「生きていたか……」
「あんたも無事だったんだな」
「……壮健か」
「ああ」
「それは、僥倖……」
一度は殺意のやり取りすら経験した間柄の二人。
だがイエリッツァは凪いだ瞳で見下ろすだけで、ベレトも身構えたりすることなく脱力した自然体のまま、二人は無表情で向かい合う。
「死者と死合うことはできん……だが、生きているならば、斬りようもある」
「飢えているのか、戦いに」
「……私の中にいる魔物……死神がお前を逸楽と見なし、求めている。だが、今は斬れん……戦いが終わるまで決して斬るなと言われている……」
「誰に?」
「皇帝に、だ……かつて私は、皇女だったあの女と取引をし、その命に従うことを約束した……」
「エーデルガルトと契約しているのか」
「死神は、殺さねば生きられん……放っておけば、道行く人を殺す……皇帝は、奴に狩場を与えてくれた……故に、こうして従っている」
「……」
「今はまだ、狩場を失うわけにはいかん。お前と死合うわけにも……」
「つまり俺達は似た者同士なんだな」
「……何?」
納得したように頷くベレトに、そこで初めてイエリッツァは眉をひそめた。
「あんたは今、傭兵みたいにエーデルガルトに雇われる契約をしてるようなものだ。契約内容を遵守して戦ってるなら俺と同じ傭兵だ。一緒に戦おう」
「……死神と、肩を並べることに、躊躇いはないのか」
「昨日の敵が今日の味方という状況は傭兵にとって珍しくない。それに、手合わせくらいなら空いた時間にでもできる。後で付き合うよ」
「そうか……お前は、心地好いな……」
「あの~、お二人さんそろそろいいかしら? 一緒に行くのよね、出発するわよ?」
こんな感じでかつての敵とも言えた死神騎士ことイエリッツァをあっさり受け入れたベレトは、連れ立ってアンナの仕事に協力した。
結局、馬脚を露したバシャルドが出土品を独り占めようとしたのでアンナが焦ったところ、瞬く間に敵の手勢を制してみせたベレト(+ジェラルト傭兵団)と、即座に後始末へと動いたイエリッツァによって事は解決。
敵に回してはいけない相手を敵に回したと悪徳商人が思い知る傍ら、イエリッツァとアンナとの再会もあったのだ。
また、黒鷲の学級以外の生徒との再会もあった。
アンヴァルに足を運んだ際、ラディスラヴァ、ランドルフなどの帝国軍に属する仲間と顔を会わせた他、没落したエーギル家と協力体制を取るという繋がりで意外な顔を見たのだ。
「御機嫌よう先生! 生きていたようで何よりだよ」
「先生! 本当に……本物の先生なんですね」
それは本来なら同盟にいるはずの二人の元生徒。
「ローレンツ! マリアンヌ! 二人はここにいたのか?」
「驚いたようだね。かく言う僕も、自分が帝国にいることに驚いているよ」
再会を喜びながら、まずローレンツが自身の境遇を説明してくれた。
五年前の戦いよりも、その後の同盟内での出来事が問題だったらしい。
帝国による宣戦布告を受けて、レスター諸侯同盟はその名が意味するように貴族達による対応を急がされた。王を戴くファーガス神聖王国とは違い、諸侯による議会で動く同盟はどうしても各貴族の意思をまとめるところから始めなくてはいけないからだ。
元から親帝国派と反帝国派という派閥があった同盟。今回の戦争を機によりはっきりと溝が浮き彫りになった。武力を伴う内紛が起こるのか、そう危機感を覚える者も少なくなかった。
だが、そんなことにはならなかった。
以前ヒューベルトがベレトに説明してくれたように、一部の戦力が突出した成果を上げた同盟は反帝国派として早々にまとまったのである。
その一部の戦力というのがかつての士官学校の生徒。それも、ベレトの指導を受けて急激に成長した金鹿の学級の生徒だったのだ。
台頭した彼らの多くが加わった勢力がそのまま同盟の中で最も大きな力を持つ派閥となり、それが反帝国派という形に落ち着いた。
反帝国派の旗頭であるリーガン家のクロードを筆頭に。
東の山脈フォドラの喉元の守護は実家のゴネリル家に任せて、とりあえず自分は手伝いくらいしてあげようかなと英雄の遺産片手に表明したヒルダ。
同盟でも最大規模の商人組織であり、独自の私兵団まで抱えているヴィクター商会を後ろ盾に持つイグナーツ。
そのヴィクター商会に雇われて多くの護衛任務をこなす傍ら、本人の人柄によって平民から広く人気を集めるラファエル。
同盟の端々まで走り回る足の速さと律義さを買われ、一つ一つは小さくも束ねれば大きな声となる人々の信頼を背負うレオニー。
帝国に潜む謎の組織の存在を嗅ぎ取り、現状のままでは信を置くわけにはいかないという意思を明らかにするリシテア。
親帝国派には、領地が帝国と隣接し、昔から親交があったことで急に背くわけにはいかないとするグロスタール家のローレンツ。
ちなみに中立にも、近年急に発言力と富を増して存在感を高めながらも特定の勢力に加担していないエドマンド家と息女のマリアンヌ。
ご覧のように、圧倒的に反帝国派の数が多かった。
ここまで戦力に差ができてしまえば同盟内での争いなんてやってられない。そう判断したグロスタール伯は膝を屈し、同盟の方針は反帝国としてまとまったのである。
本来ならクロードがその外交手腕を振るい、あえて貴族同士の小競り合いを起こしてまとまりのなさを演じることで帝国の介入を防ぐ奇策を展開していた。
しかし、ベレトの指導を受けて強くなった生徒が各派閥に加わると情勢はそれだけで一気に傾いてしまい、勢いで流れが決まってしまった。
レベルを上げて物理で殴ればいいとは言うが、レベルを上げ過ぎて物理で殴ったらすぐ終わったなどという展開はそうそうあるものではない。クロードもさぞかし頭を抱えたことだろう。そんな同盟を改めてまとめてみせたのは流石なのだが。
そうして勢力争いに負けたグロスタール家のローレンツが何故ここにいるか。
「グロスタール家の嫡子ではあるが、正式に父の跡を継いだわけではない今の僕は無位無官に近い。ある意味、身分に縛られない動きが可能なのだよ。そこで父は僕を帝国に出向させ、将来のための繋がりを維持させようと考えたのさ」
貴族とは言え、名ばかりにも映るこの身。同盟領に残っていたところでできることなど高が知れている。ならばいっそフォドラの情勢を広い目で見つめられるよう見聞を広めるために帝国に訪れたのだと言う。
形は違うが、ブリギットから半ば人質に近い意味で帝国に送られたペトラに似た扱いだと言えるかもしれない。
子の成長と、再起を期待した親の判断か。
「かつて誇っていた地位を失った今の僕は惨めと言えるだろう……しかし! 僕は貴族の誇りまで失ったりはしない! この志は誰にも奪われたりしないと、僕はフェルディナント君から学んだのだ!」
「ローレンツは今はフェルディナントの手伝いをしてるんだな」
「うむ。先生なら知っているだろう。五年前、帝国宰相のエーギル公が罷免されて以来、実質的にエーギル家は領地の統治権を失った。僕以上に全てを奪われたと言っても過言ではない……だがそんな身の上でも彼は心を曇らせなかった。彼は素晴らしいぞ先生! 貴族とは斯くあるべしという理想を崩すことなく尽力している。彼を間近で見ていると、僕も負けていられないと奮起させられるのさ!」
それまで自身の根幹であった貴族という立場を奪われて初めは動揺したが、そこで屈したままではそれこそ己の理想とする貴族として恥ずべき行為。奮い立たせてくれる友と肩を並べるべく、今の自分にできることを積み重ねるのみ。
いずれ貴族制度をなくそうというエーデルガルトの野望はもう知っている。それならそれで代わりとなる社会の仕組みを作ってみせる。未来の平民達をまとめて守り、導いてこその貴族なのだから。
──後に彼らの尽力で平民を広く育成する学び舎、士官学校ならぬ庶民学校が設立される。人を教え導くのには特別な立場である必要がないという観念が少しずつ知れ渡るようになり、いわゆる日本で言う寺子屋に該当するものがフォドラに生まれる切欠になった。
ローレンツの境遇は分かった。ではマリアンヌは?
「先生は以前お話したことは覚えてますか?
「エドマンド辺境伯だったな。新興の貴族で、立場を有利にするために色々やってると」
「はい……私のことも、家の立場を有利にする手段の一つ、というか……エドマンド家は中立を掲げていて、同盟の中で特定の派閥に加わることを義父は避けてるみたいなんです。そこで私を帝国に向かわせて、陸続きの繋がりを作ろうとしたんです」
同盟の北部に領地を持ち、海に面して独自の港も備えるエドマンド家は新興とは思えないほど力をつけている。
例を挙げると、フォドラ全体の問題である東のパルミラ対策としてフォドラの首飾りと称される砦の整備に同盟の各諸侯が負担を担うことがあったのだが、人材が少ないエドマンド家は兵を出す代わりに砦の改修費の大半を受け持ち、方々に掛け合って優秀な職人をかき集めた。
新興らしく人員は乏しいながらも富と人脈は同盟でも屈指のものだと分かる。
人が育つのにはどうしても時間がかかると考えたエドマンド辺境伯は、娘を帝国に送って繋がりを作ろうと考えたのだ。
この戦争に同盟が勝っても負けてもその後で動きやすくなるように。
「初めは、私なんかに何ができるか不安でした……でも、フェルディナントさんが励ましてくれたんです」
ガルグ=マク以上に異郷の地に来たマリアンヌは心細い日々を送っていた。繋がりを作るなんて自分には最も縁のないことで、どうすればいいのかさっぱり分からず。
ほぼ同時期に帝国に来ていたローレンツとは当時はすれ違いがあり、マリアンヌは俯いてばかりだった。
そんな彼女にある日フェルディナントは説いた。
人は何かを成し遂げるために生まれてくる。貴族も、平民も、例え賊でも、どんな境遇であっても為せることは必ず存在する。そして何かを成し遂げれば、そこに自分が存在する意味が生まれるのだ。
当時、貴族として生まれ持ったものを奪われても挫けることなく背筋を伸ばすフェルディナントが言うからこそ響く言葉だった。
ならば、自分にできることは何だろう?
胸に刻む言葉を得たマリアンヌは彼女なりに考えた。
そうして思い出したのは士官学校の思い出。そこで見聞きした経験。
「先生が教師になって、初めは私も他の人と同じように遠巻きに見てました……無表情で、愛想のない人で、その……私と似てるなって……」
「ああ、自分でも愛想がない人間だと思うよ」
「でも先生は、自分にできることをたくさんしてました。人当たりとか関係なく、自分にできることを尽くして……そうやって行動する先生を思い出したら、私も、とにかく何かできることをやってみようって……!」
学級の垣根を気にせず多くの生徒に声をかけ、話を聞き、時には訓練に付き合うベレト。教師の交代制が始まってからは授業でも関わるようになり、マリアンヌは彼の本質に気付いた。
無表情で無愛想。似ているのはそこだけで、行動の性質が全く違う。
ベレトの行動には常に誠意があった。無表情のままでも他人と向き合うことをやめなかった。無愛想に見えてもその行動は他人に寄り添うものだった。
翻って自分はと言うと、笑みの一つも浮かべない無表情で他人を突っぱねてばかりで、無愛想な態度で他人との会話を断ち切ってばかり。
これのどこが似ているというのか。ベレトの方がずっと意味がある人だ。
ならば……ベレトと同じような行動を取れば、自分にも意味が生まれるのでは?
思えば五年前の無愛想な自分にも、ヒルダやイグナーツなど気にかけてくれる人はいた。その些細なやり取りがあった時だけは意味があったように思う。
今度は私が自力で意味を作る番だ──マリアンヌはそう考えたのだ。
とにかく自分に何かできないかと探すマリアンヌは、貴族の令嬢がするには似つかわしくないのを承知で馬の世話を申し出るところから始めた。
動物と意思を交わす元々の性格が噛み合ったのか、一頭の馬から始まって徐々に馬房全体、次第にペガサスやドラゴンの面倒まで見るようになり、今では若くして騎士団保有の騎馬の管理を担うにまで至ったという。
動物達から慕われ、次第に周囲から尊敬を集めるようになり、いつしか笑顔を浮かべられるようになってきたのだ。
「ずっと前にシルヴァンさんが言ってました。人の価値は、笑顔で決まるって」
「シルヴァンが?」
「何と! あの男がマリアンヌさんにそんなことを?」
「はい……人は、人と関わることでしか成長できないから、笑顔になれるくらい成長して、人の中でも強かに生きていこうって……私も、自分が笑顔になれてることに気付いた時、嬉しかったんです。私、少しは強くなれたって」
「そうか……シルヴァンが……」
「あの軽薄な男も、悪くないことを言うものだね。事実、笑顔を浮かべたマリアンヌさんは美しいと思わないかね、先生?」
「ろ、ローレンツさん……!」
「マリアンヌは初めて会った時から綺麗だったぞ?」
「えぇ!?」
「ほほう、彼女の静謐の美を先生は既に見抜いていたということか。どうだいマリアンヌさん、僕だけではないだろう。見る目を持つ者ならこうして君の真の価値をすぐに見出せるのさ」
「真の価値というのはよく分からないが、マリアンヌはそのままでも綺麗だよ」
「はーっはっはっは! やはり貴方はよく分かっている!」
「も、もう、二人共そこまでにしてください……!」
顔を真っ赤にして慌てるマリアンヌを横に、ローレンツが彼らしい高笑いで場を締める。ベレトの目に映る二人は五年前と変わらないようで、しかし確かに成長していた。
当時の生徒が今も逞しく生きていると改めて知り、ベレトは嬉しく思うのだった。
ガルグ=マクであった再会も忘れてはいけない。
帝国軍の本隊がガルグ=マクを去った後、残った部隊の中にも知った顔がいた。
東から西へとフォドラを大きく横切る移動をしていたベレトが途中でガルグ=マクに立ち寄り、大修道院の玄関ホールを歩いていた時である。
エーデルガルトから聞かされていた人物がここにいるとのことで、時間を作り会いに来たのだ。
「やっ!!!」
ホール中に響き渡る大声が聞こえたベレトは声の主を探してその場を見回す。探すまでもなくすぐ見つかり、その顔を見て表情を明るくする。
「ややややややっ!!!」
なおも大声を上げるその人物は大股でベレトに近付いてくると、その両肩をがっしと掴む。じんわり目を潤ませて、そのまま抱き締めてきた。
「やっと会えたああああ!!! 会えたぞおおおおお!!!」
「アロイスさん、久しぶりだな」
感極まったように叫ぶアロイスを抱き締め返し、ベレトも再会を喜んだ。
ちなみに人前である。
「生きていると信じた我が執念!!! 振り払う疑念!!! 捜し続けて五年!!! ついに貴殿に会えたあああ!!! 女神の奇跡はここにあったのだあああ!!!」
「ああ。
涙混じりに叫ぶアロイスに釣られたのか、珍しくベレトも表情を綻ばせる。
繰り返すが人前である。
「うおおお先生えええ!!! 本当に無事でよかったああああ!!! また会えてよかったぞおおおおお!!!」
「アロイスさんも生きててよかった」
落ち着く気配がないアロイスが何度も大声で叫び、それを抑えるでもないベレトは素直に喜ぶばかり。
くどいようだが人前である。
要するに注目の的なのだ。玄関ホールは人の往来が多いからね。仕方ないね。
戦争が起こっている今のフォドラでは生き別れになる人も珍しくないので、そういう二人が感動の再会を果たしたのではないかと察して温かく見守る目が大半なのは幸いなのか。
まあ中には容赦なくツッコミを入れる人もいて。
「やかましい! 食堂まで響いてるぞ!」
真横から飛んできたスプーンがこめかみに当たり、余程の衝撃だったのか吹き飛ぶアロイス。
体に回されていた腕に引っ張られてベレトも体勢を崩すが堪えて、聞き覚えのある声の方を見るとやはり知った顔がそこにいた。
「同僚がおかしい奴だと思われるこっちの身にもなれ……」
「シャミアまでいたのか」
額を抑えたシャミアが近付いてくる。頭を抱えて転がるアロイスをジト目で見下ろす彼女を見ていると、五年前のガルグ=マクにもありそうな光景に思えた。
「何だその顔は。私がここにいるのが意外か?」
ベレトの視線に気付いたシャミアが片眉を上げて見やる。
「そうだな。シャミアもアロイスさんもセイロス騎士団所属だという印象があった」
「アロイスはそうだろうが、私は傭兵だ。騎士団にいたのは教団が実入りの良い契約相手だったからだ」
「じゃあ今は帝国に雇われているのか」
「まあな。ヒューベルトは今までで一番気前のいい雇い主だよ。まあそれは理由の半分だが」
「?」
疑問符を浮かべるベレトを見て小さく笑ったシャミアは、立ち話もなんだと言って場所を移す提案をした。
食堂の片隅に移動して腰を落ち着けた三人は向かい合う。そこでも興奮を抑えられなかったアロイスが酒を持ち出して再会の祝杯を上げ、音頭を取る彼にベレトは笑って、シャミアは渋々応じる。
そこに落ち着くまで、周囲で遠巻きに見ていた人達は食堂に入ってきたシャミア、ベレト、悶えながらベレトに担がれて運ばれるアロイスを見て「ああ、いつものか」といった具合で何かしら納得したように視線を戻した。
その中で目立つ髪色のベレトを見て「おや、あれが噂の?」とでも言うかのように興味を抑え切れない様子でチラチラと目を向ける人もいた。
ベレトが崖に落ちて行方不明になり、先日帰還した経緯は知っていたようなので逆に二人に訊ねた。五年前から何があって今に至るのか。
「元々フォドラには思い入れが少ないんだ。セイロス教にも、騎士団にも」
酒を一口飲んでからシャミアは口を開く。五年前と変わらない怜悧とも言える表情だが、ベレトには彼女の声色に柔らかいものがあるように感じられた。
「騎士団にいたのはレアさんに拾ってもらった恩があったからで、それも充分返せたと思っていたところで戦争が始まってな」
「その時はまだ騎士団を抜けなかったのか?」
「ああ。私としては縁とやらは重視しないんだが、向こうは少しでも人手が欲しかったんだろう。私に契約延長の話が来た。報酬はよかったからもう少し力を貸すことにした」
ガルグ=マクの戦いで敗走したセイロス騎士団ではそれまで以上に戦力を求めていて、凄腕の射手であるシャミアの存在は手放せないものだった。以前よりも上乗せされた報酬を得られるという契約でまだしばらく騎士団に繋がれることにしたのだ。
しかし世知辛いもので、ガルグ=マクという拠点を失い、帝国と戦う羽目になったセイロス騎士団がいつまでも潤沢な資金を用意できるはずもなく、シャミアに支払われる報酬はすぐに目減りしていく。
そんな時にシャミアへ内密に接触を図ったのがヒューベルトである。
「あの時はタイミングの良さに思わず笑ってしまったな。報酬が絞られて、事情が事情だから仕方ないと分かっていても不満を覚えたちょうどその時だったよ」
思い出し笑いをするシャミアは当時を振り返る。
セイロス教に興味がなく、騎士団との繋がりもあくまで契約でしかない彼女にとって、より良い条件の契約を提示されればそちらを選ぶのは当然のこと。
それでも敵対しているセイロス騎士団のシャミアにこの話を持ちかけてきたヒューベルトの判断は実に愉快なものだった。
常人ならば教団への信仰や、騎士団への仲間意識があるだろうと考えて声をかけようとは思うまい。徹底した合理主義を貫くシャミアだからこそ頷く契約だ。
手段を選ばないのがヒューベルトという人間だが、貴族生まれの彼がこうも傭兵に理解ある判断ができるとは。
「たぶんヨニック辺りの入れ知恵じゃないかな。ヒューベルトがそう思ったのは」
「ああそうか、ジェラルト傭兵団と付き合う内に傭兵の扱いを学習したのか。不思議に思っていた謎が今さら解けた気分だよ」
「父さんの主義では信頼が大切だが、傭兵は基本的に金にうるさいのは俺も知っている」
「ただ、話に乗ったのは理由のもう半分にあんたがいたからだ」
「俺が?」
「前に一緒に仕事した時から思ってたのさ。あんたに任せると色々と楽だと」
戦場において慧眼とすら表せるベレトの洞察力と指揮は、弓兵のシャミアにとって極めて頼もしいものである。五年前に仕事で海賊退治に駆り出された時、彼の指示で放った自分の矢が吸い込まれるように次々と敵に当たった時は快感すら覚えた。
そんな有能な指揮官がいる部隊へ、今いる騎士団よりずっと良い条件で誘われたのであればシャミアが乗らない理由はなかったのだ。
「しかし、まさか当の先生が行方不明とは思わなかったから、ちょっと肩透かしを食らった気分だったぞ」
「それはすまない」
「謝る必要はない。これからは皇帝直属軍の指揮官として頼りにしてるよ。せっかく戻ってきたんだから五年分の不在を取り返してくれ」
「その通り!!」
急にアロイスが横から口を出したのでそちらを向くと、一気に飲んだ酒杯を置いて大きく息を吐いたところだった。
「貴殿に会えて、ようやく私は本懐を遂げることができる……今まで捜し続けたこれまでの苦労が報われるというものだ!」
「俺をずっと捜してたのか」
「ちなみに言っておくと、戦争やら何やらで余裕がなかった生徒とは違ってアロイスは本当にあんたを捜してばかりいたぞ。五年も飽きずにずっとな」
感無量とばかりに涙ぐむアロイスを見てベレトは驚く。シャミアの補足によれば、彼は文字通りベレトのためにその身を尽くしてくれたのだ。
セイロス騎士団でもそれなりの立場にいたアロイスがこうして帝国に協力するとも言える行動をしていることが驚きである。
部下もいただろうし、何より彼は妻子がいる身。下手な選択のツケは自分だけでなく妻と娘にも降りかかるのだから。
五年前、ガルグ=マクの戦いが起きてセイロス騎士団が敗走し、帝国に味方したベレトと離れ離れになったことでアロイスは酷く悩んだ。ジェラルトが殺され、その息子のベレトは自分が守らねばと考えていたアロイスにとって、当時の状況は足元を揺らがせる不安なものだったのだ。
そんな彼に、娘はこう言った。
『好きな人のために頑張らないお父さんなんてお父さんじゃない』
目が覚める思いだった。そうだ。かつてジェラルトに見出された時からずっと、自分はいつだってそうしてきたじゃないか。
同じように妻も言った。
『好きな人を守るために頑張る貴方が素敵ですよ』
自分は幸せ者だ。本当にやりたいことを応援してくれる家族がいて、それができる力があるのだから。
程なくして騎士団を辞し、王国から帝国へ渡るアロイス一家。
途中、裏切りだと考えたらしき騎士団の追手を妻の
途中のヴァーリ領でまさか屋外で出会うとは思わなかったベルナデッタに導かれて帝都アンヴァルへ向かい、無事エーデルガルトとの謁見が叶った。
しかしここで肝心のベレトが行方不明だと知らされる。まさかの事態ではあるが、覚悟を決めたアロイスは挫けない。
王国と教団が手を組んだ連合軍。想像以上の攻勢を見せた同盟。これらを同時に相手する東西の戦線で悩まされていた当時の帝国に、立場で言えばただの平民でしかないベレトを大々的に捜索する余裕がなかった。
そこへ現れたアロイスは、急に帝国軍に加えられる信用も立場もなく、かと言って遊ばせておくには惜しい有能であり、加えてガルグ=マク近辺の地理に明るいという理想的な人材。
そう。ベレトの捜索活動に打ってつけだったのである。
「私の方から願い出たいくらいだったから即決で請け負ったのだ。あの時は不思議なほどあっさり話がまとまったな」
アロイスがどれほどベレトを大事に思っているか、憧れのジェラルトに次いでベレトを慕っていることを士官学校での生活を通してよく知っていたエーデルガルトは、彼の覚悟を汲んで捜索隊の長に任命。ガルグ=マク周辺や下流の村を捜す活動を支援したのだ。
結局ベレトは自力で帰還してしまい、アロイスの捜索活動が実を結ぶことはなかったのだが、別にそれはそれで構わない。
「今こそ、団長に代わって貴殿を守る! その約束を果たす時が来たのだ!」
今後はベレト指揮下の黒鷲遊撃軍に名を連ねる者として、また普段は勝手知ったるガルグ=マクの守り手として、再び大修道院に身を置くことになったのだ。
ちなみに遊撃軍にはシャミアも同じく加えられている。有事の際はアロイスと一緒に参戦することだろう。
「ありがとうアロイスさん。改めてよろしく」
「はっはっは、気にするでないぞ先生! 貴殿と私は、同じくジェラルト殿に育てられた兄弟同然の仲! このアロイスが力になれることがあれば何でも頼るがいい!」
「だが今日はもう上がっておけ」
「ふむん?」
「顔、真っ赤だぞ。大して強くもないのに一気に飲むから……」
「なーにを言う! 先生と再会できた今の私は疲れなどしゅらんのだ!」
「……」
「……」
「む? 分からなかったか。今のは疲れなど知らんと、酒に乱れると書いて酒乱という言葉を掛けたもので──」
酔って舌がもつれたんじゃないの?
まあ、ともかく。
ガルグ=マクで思わぬ再会があったベレトは、出発までの間二人と言葉を交わすのだった。
そしてガルグ=マクと言えば当然彼らもいる。
この地の復興と活動を支える、縁の下ならぬ地下の柱、アビスに。
住み着いていた野盗を掃討した帝国軍が去り、元からこの地にいたアビスの住人が残った部隊と力を合わせてガルグ=マクを守ることになった。
その際、住人と相談したヒューベルトの口からベレトが帰還したことが伝えられている。地上の者でありながらアビスの人気者でもあったベレト生存の報に、彼を直接知る住人は大いに喜んだ。
人伝にただ報せるだけでなく直接挨拶するためにアビスを訪れたベレトが歓迎されるのは当然のことだった。
しかし、そこはやはりアビスと言ったところ。些か物騒な歓迎になったのは場所柄なのか。薄暗い地下に足を踏み入れたベレトはいきなり襲われたのだ。
「お前……俺達を五年間も放っとくとはどういう了見だ」
横合いから飛んできた拳を受け止めたベレトが見たのは、険しい目で睨んでくるバルタザール。五年前より一層迫力を感じさせる巨躯で拳に体重をかけてくる。
「バルタザール、そんな顔をするな」
「……」
「殺気がないのに睨んでも意味がないぞ」
「……だっはっはっは! 変わんねえなその澄まし顔はよ!」
すぐに表情を和らげるとバルタザールは拳を引いた。彼からすればこの程度は戯れの範疇だ。ベレトなら苦も無く防ぐし、気にしないという信頼があった。
彼が手を挙げるとそれが合図だったのか、次々に灯される火で周囲が徐々に照らされて、そこら中に隠れていた者達が一斉に顔を出す。挨拶を終えたアビスは一転して歓迎ムードになったのだ。
そんな中、高所に現れた一人の女性が手をかざすと小さな火の玉が生まれ、続けて腕を振るうと氷が作られ、更に振り回すと光が飛び、指の動きに合わせてそれらが一斉に踊り出して空中を彩る。美しい光景に合わせて歓声があちこちから上がり場を盛り上げる。
やがてその女性が一際強く腕を振って締めるように手を握ると、踊る光の欠片が一気に集まり、弾けて一瞬で消えた。派手な美しさと裏腹に終わりは切ないほど呆気ないが、だからこそ胸に響くものがあるのかもしれない。
見上げていた者からも口笛が上がり、賛美の声が集まった。
「おーっほっほっほっほ!! 我が魔導を称えなさい!! 皆様が今ご覧いただいた光景は未来に描かれる新しい世界の一つですのよ!!」
その場で足を踏み直して高笑いする豪奢な女性はコンスタンツェ。
──後世で平和になってからは戦闘だけではなく娯楽のために魔法が発展し、こうして観賞目的に作られた魔法のせいで他国から花火という文化が流れてきてもフォドラでは受けが悪かった……などという出来事は余談である。
「コンスタンツェ、とても綺麗だったよ」
「ええ、ええ、そうでしょうとも! 光栄に思いなさい先生! この新魔法は今日、貴方のために初めて披露したものですのよ!」
「君はやっぱりすごい子だ。ありがとう」
「~っ! ……さあ皆様、我らの友の生還です! 歓迎いたしましょう!」
号令に促されてアビスの住人に包まれたベレトは熱烈な歓待を受けた。
門番の男のように五年前からの知り合いと挨拶する他、面識のない人とも顔を合わせたりもする。ベレトのことを知らない新参者は何故彼をここまで歓迎するのか分からず困惑が見えた。
ある意味ではアビスの救世主の一人とも言えるベレトの活躍を語る場となり、当事者のバルタザールとコンスタンツェが主導しながらところどころ誇張された表現も交えて盛り上がった。(ただし語るべきではないことは決して口にしない。アルファルドの末路も、始原の宝杯についても、軽々に広めていいことではないのだから)
話すのが得意ではないベレトが聞き役になっていたところ、不意に彼と肩を組んできたのは化粧を施した美貌の人物。
「よう先生。やっと帰ってきたな」
「久しぶりだなユーリス。元気にしてたか」
「おー、元気も元気。じゃなきゃやってらんねえよ。そういうあんたは風邪引いたんだって?」
「ヒューベルトから聞いたのか」
「奴が珍しく御機嫌だったぜ。エーデルガルトもな」
くくくっと笑うユーリスは五年前と同様にアビスの代表を務めていた。
帝国軍が一度は制圧したガルグ=マクから手を引くことになった時、遠からずここの治安は乱れるだろうと予想できた。アビスの守護を旨とするユーリスにとっては看過できない事態である。
エーデルガルトの方でもそれは見越していたので、軍は退かせても密かな支援は続けることを約束し、最低限の自衛を手伝える程度の人員と物資を運び込ませていたのだ。
いつか再びこの地を制圧する時、アビスの協力が得られるのを見越して。
ユーリスとしては戦争を始めたエーデルガルトに対して思うところは大有りだったが、セイロス教団と敵対しても可能な限りアビスを尊重する判断をした彼女(と助言したベレト)への義理を汲み、ひとまず手を組むことにした。
教団がいたからこそ秩序が守られていたガルグ=マクである。教団が去って乱れればアビスに危険が迫るのは確実。多少気に食わなくてもそうするしかなかったのだ。
そして実際に支援を受けてみれば想像以上の厚遇で驚かされた。アビスの子供まで含めて最低限食べるに困らない程度の物資を回してくれるだけでもありがたいのに、出稼ぎという形で帝国領内に働きに行く仕事を斡旋してくれるとは思わなかった。
一方的に施しを与えられるだけでは矜持が許さないユーリスにも受け入れやすいものであり、部下達に仕事を割り振って彼らの目の輝きを見れば認めるしかなく。
稼ぎも悪くなく、お土産片手にアビスに帰ってくる大人を見て、子供達はいずれ自分もここを出て外で働くのだと希望を口にするようになり。
いつしかガルグ=マクの闇と称されたアビスらしからぬ明るい雰囲気が地下に生まれていた。
人の手によって立つ世界。エーデルガルトが語る理想にはアビスのような日陰者もちゃんと含まれているのだと彼女は行動で証明しているのだ。
「ま、少し癪なところもあるが、今はあいつらに感謝してるよ」
「あの時、事前に説明できなかったのは、すまなかったな」
「いいって、もう……先生だってそうだぜ。あんたの助言があったからアビスは無事なんだ。寄る辺のない奴らがああして笑ってられんのも助けてくれる誰かがいるからだって分かってる」
矜持は貫くが意地は張らない。認めるべきことはきちんと認める。
柔軟な立ち回りができるユーリスは素直に感謝を口にできる人間なのだ。
「そんなわけだから、同じく感謝してるあいつにも一声かけてやってくれ」
「向こうにハピもいるのか」
「気付いてたか? ひねくれ者だからな、顔を出すのが恥ずかしいんだろうよ」
ユーリスが指で示した方へ足を運ぶと、瓦礫の陰に隠れるようにして一人の女性が座っていた。
口に加えた干し肉をプラプラさせていたところにやってきたのがベレトだと分かると彼女は露骨に顔をしかめた。
体ごと逸らして顔を隠すとあからさまに突っぱねる声色を出す。
「なんで主役がこんなとこに来てんのさ。あっちに戻りなよ」
「ハピとも話したかったんだ」
「……ずるいなー、君って。ニヤニヤしないように我慢してたのに、たった一言で嬉しくしてくるんだもん」
肩越しに振り返ったハピの目を見て、ここにいても許されたと感じたベレトは隣に座った。
住人の賑わいが微かに聞こえてくる場所で二人は何とはなしに語る。
「先生は、さ」
「ああ」
「ユリーとヒューが言ってたけど、ガーティがアビスを守るように考えてくれたのって、先生がそう言ってくれたからでしょ?」
「確かにあの戦いの前の作戦会議で、アビスに手を出してはいけないと言った」
「そっか……ありがとね。ハピ、ここが好きなんだ。迂闊に外を歩けないハピには、アビスが第二の故郷みたいなもんだし」
溜息を吐くと魔獣を呼ぶ。そんな摩訶不思議、と言うにはかなり物騒な体質のハピにとって、他人に余計な詮索をしない雰囲気があるアビスはありがたい場所だった。
あんな戦いが起きた後でもアビスが無事でいられたのはエーデルガルト(ちなみにガーティというのは彼女のことである)が支援を続けてくれたからで、それがベレトの助言によるものだと知って素直に感謝したものだ。
だからこそ、ベレトが行方不明になったと知って酷く落ち込んだ。
嫌いな教団をガルグ=マクから追い出したと聞いた時は痛快な気持ちだったが、直後にベレトのことを聞いて、あまりにも無情な展開に思わず溜息を吐いてしまうほどに。
「けっこー悲しかったんだよ? 君がいなくなって」
溜息を吐いても吐かなくてもまるで気にせず、体質を知った後も恐れる態度も一切なく、実際に魔獣が現れても粛々と撃退してみせて、そこまで至っても尚彼女に向き合う姿勢を変えない自然体のベレトをハピは大層気に入っていた。
崖から落ちたというベレトを捜しに、山の下流などを張っていたアロイスとは別の方面、例えばアビスからしか行けない谷の底へ下りたりと彼女なりに何度も捜索活動をしてくれたそうで。
一度はガルグ=マクを去ろうとまで考えていたハピだったが、ベレトを案じるが故に動かずにはいられなかったのだ。
「そんなことまでしてくれたのか。ありがとう」
「……やっぱ今のなし」
「どうして?」
「こんなことまで喋っちゃうつもりなかったじゃん……あーあ、恥ずいなあ」
膝に顔を埋めてしまったハピを見て、ベレトは嬉しく思った。
本当に自分は恵まれているのだと思い、こういう人達のためにも自分は諦めてはいけないのだと決意を新たにした。
他に、ベレトが帝国に味方をするにあたって無視できない問題がある。
割り切れるヒューベルトはいいとしても、特にエーデルガルトが引け目に感じてしまうことがあるのだ。
「先生、お耳に入れておきたいことがあります」
「どうしたヒューベルト」
ある日、ガルグ=マクの執務室でヒューベルトが話を切り出したことがあった。
「エーデルガルト様、よろしいですね?」
「ええ……
同席するエーデルガルトにも確認を取って話し始めたのは、彼らが今まで関わってきたあの謎の組織についてである。
「先生は既にお気付きかもしれませんが、我々は帝国を率いている他にある組織と通じてその力を借りています。五年前に策動していた者達のことを覚えておいででしょう」
「それは、ソロンやクロニエのことか」
「はい。そしてあの者達の首魁が帝国の摂政、アランデル公なのです」
「ディミトリの伯父の人だな」
ん゙ん゙──エーデルガルトが急に咳き込み損なったような声を絞り出す。
以前ベレトが伝えた情報の中にあったディミトリと自分の関係性が与えた衝撃は大きく、受け入れた今でも不意に話題に出されるとつい反応してしまうのだ。
思い返してみれば、彼はやけに自分を気遣っていたような……よく体調を聞いてきたし、そういえば私の髪の色が変わったことに気付いていたようだし……
士官学校でのディミトリの態度を振り返ると色々と思い当たる節があり、ああだこうだ考えた末にエーデルガルトは一応納得している。
「……あの者はエーデルガルト様の協力者ということになっています。しかしそれは仮の姿。その正体は帝国とは全く違う組織の首魁であり、我々とは別の企みがあるようなのです」
エーデルガルトの反応をスルーしてヒューベルトは続けた。
かつてエーデルガルトを捕らえ、地下に繋ぎ、彼女を含むフレスベルグ家の子供達におぞましい肉体改造を施した一団。帝国の陰に潜んで活動する謎の組織。その長がアランデル公なのだ。
正しくは『アランデル公の姿を借りた何者か』だとヒューベルトは睨んでいる。
子供だったエーデルガルトを連れて王国に亡命した時と、帰国した直後に彼女を捕らえた時。当時の様子を冷静になってから思い返したエーデルガルトによれば、姿形は同じに見えても態度が別人のように違った。
昔はセイロス教団へ積極的な寄進を行っていたのに、帰国を境にその動きも途絶えている。それも態度が変わった時とタイミングが重なっている。
そしてソロンやクロニエのように全く別の姿に変わる術があるのであれば、アランデル公もまた何者かが成り代わっている可能性が極めて高い。少なくとも同一人物だと考えるよりは納得しやすい。
恐らく、本物のアランデル公は既に亡き者にされている。
成り代わったあの男は別人の姿へと変身する術でフォルクハルト=フォン=アランデルを演じているのだ。
「炎帝の活動を支えていたのはその組織だったんだな」
「はい。彼らはエーデルガルト様を利用して何事かを企んでおり、そのためにはセイロス教団とレアの存在が大きな障害だったようなのです。教団を打ち倒すという利害が一致した我々は手を組むことにしました」
「敵の敵は味方、ということか」
「仰る通り……セイロス教団という強大な存在を相手取るのに、帝国軍だけでは抗せませんので」
五年前に暗躍していた炎帝とその手勢は、帝国と繋がっていたと言うより、帝国と繋がっていた組織から支援を受けていた。そう表した方が正しい。微妙な違いだが、大事な違いだろう。
人だけでなく魔獣まで手配してみせる力は真っ当な組織ではありえない。現在の技術レベルを大きく上回る何かを隠し持っている。
これほどの力を借りなければ教団に打ち勝つことなどできない。エーデルガルトが立ち向かおうとするのはそれほどの敵なのだから。
ヒューベルトの語りを聞いて、はてそうだろうかとベレトは思う。
そもそもの話、そんなにも強大な組織が何故帝国の陰に隠れてコソコソと活動しているのか。
力とは正義だ。騎士団の強さで主張を押し通してきたセイロス教団。その騎士団をガルグ=マクで破った力で現状に異を唱えた帝国。強いからこそ意志を貫ける世の中である。
自分だって、ジェラルトに厳しく鍛えられて身に付けた力があるから今まで生き延びてこれたのだし、教師になってからもこの力を主軸にして生徒を指導できた。
力があるということはそれだけ大きく活動できる屋台骨があるようなものだ。
なのにその組織は強大な力を持っているくせに隠れて活動している。まるで見つかるのを恐れるように。実際恐れているのではないだろうか。見つかってしまえば多くを敵に回してしまうから。何しろ活動の内容が内容である。
思うに、その組織には大きな制約があるのかもしれない。例えば、構成する人員が少ないとか? もしくは活動できる場所が限定されている? 物資などは技術力でカバーできるかもしれないが……
そんな風にベレトが思考を巡らせていると、自分を見つめているエーデルガルトに気付いた。
「どうした」
「……何とも思わないの?」
「何をだ?」
「私達が奴らと手を組んでいることを、師は責めないの?」
ベレトに非難されるかもしれない。されても仕方ない。そう思いながらも恐怖を抑えられない。それでもエーデルガルトはこの問題に向き合うことにした。ずっと欺いてきたようなものだが、守ると言ってくれた彼にせめて今からでも誠実でいたい。
「奴らは言わばジェラルト殿の仇……貴方にとって敵と言える存在よ。それと手を組む私達に思うことはないの?」
微かに震える唇を噛み締めてエーデルガルトは訊ねる。
それに対するベレトの態度は相変わらず自然体。
「ない」
「……本当に?」
「エーデルガルトにもヒューベルトにもない。強いて言うなら、ずっと君を苦しめてきたり、ディミトリの家族を殺したり、ドゥドゥーの故郷を滅ぼしたり、俺の生徒を傷付けてきたその組織に憤りを覚える。けど君達が今は利用するべきだと判断したなら俺もそれに倣おう」
「先生は我々の所業に思うところはない、と?」
「逆に聞くが、二人は望んでやったのか? 楽しんだり、気分良くやれたのか?」
あっけらかんとしたベレトが口にするのはどこまでも他者を想う発言。離れた者も含めて生徒を大切に想う彼の自然な気持ちだった。
五年前、組織と手を組み炎帝として暗躍していたエーデルガルトは数多くの人間を欺いていた。何食わぬ顔で生徒を演じ、ベレトでさえも騙して野望のために動いてきた。
そのことへエーデルガルトに後悔はないのだろう。毅然とした、今も胸を張って訊ねてくる姿を見てやはり強い子だとベレトは思う。非難も罵倒も受けて当然、向けられるのなら全て正面から受け止めようという意志が窺える。
そんな彼女を見ればそこに快楽を見出していないことくらい理解できる。選んだ道に悔いがないのなら責める気持ちはベレトにはない。
行った事の責任を背負おうとする意志は大いに結構。
自分がやるべきなのは彼女の隣に立ち、支え、導き、手助けしてやることだ。
ヒューベルトについては論ずるまでもない。彼は心身の全てをエーデルガルトに捧げている。覇道を歩む彼女に尽くすことはヒューベルトにとって善悪や快不快の問題ではない。
言葉にするなら『そういう風にできている』のがヒューベルトという人間なのだ。
よって彼にも思うところはなく、むしろ最近はエーデルガルトを守る者という意味で親近感が芽生えているベレトであった。
「それに父さんの仇であるクロニエは俺の手で殺した。俺の怒りはそこで終わらせてある」
誰よりも敬愛していた父を絶対に許せない手段で殺された。その怒りを胸に復讐を遂げたベレトは、もうその時点で割り切れている。
ジェラルトが殺された。殺したのはクロニエ。そのクロニエを自分が殺した。
そこでおしまいである。クロニエがどんな組織に所属していようが、はっきり言えばどうでもいいこと。傭兵の性か、恨みを長続きさせずすぐに区切りをつけられる思考をベレトは備えているのだ。
──大切な人を殺されたことへの怒りを憎しみへ醸成することなく復讐心を速やかに晴らしてしまったが故に、全てを
「ありがとう、師……」
「貴殿がそう割り切っているのであればこちらも助かります。何しろ奴らの戦力は現状不可欠なもの。セイロス教団という恐ろしい相手と戦うのに帝国軍だけでは心許ないものですので」
安堵するエーデルガルトの横でこう言うヒューベルトだが、実はベレトが彼らに味方するようになってから事情が変わっている。
五年前のガルグ=マクの戦い以前までならともかく、あの戦い以降は組織の影響力が大幅に減らされているのだ。
ガルグ=マクの戦いで追い詰められた末に【白きもの】として正体を現したレア。巨大な竜へ変身してベレトを追い回していたところ、帝国軍の中から放たれた魔獣に追い詰められてしまい、外壁を崩してその向こうの崖に落とされてしまう。
その【白きもの】をベレトが天帝の剣で釣り上げるというド派手な救出劇の直後、ベレトの背中を狙った闇魔法により彼は崖から落とされ、そのまま行方不明になってしまった。
ベレトを攻撃した張本人の名はタレス。今し方、話に上がったアランデル公の正体である。
戦いが終わり、セイロス教団がいなくなったガルグ=マクで戦後処理をしながら、エーデルガルトはベレトを捜した。遊撃軍の仲間の他、信頼できる臣下にも捜索を命じ、焦る心を必死に抑えて皇帝として振る舞った。
そんな時に姿を見せたアランデル公の口から、酷く上機嫌な声が出てきたのだ。
『神祖の後継とやらも大したことない。容易に背中を撃つことができたわ。神の眷属がまた一つこの世から消えたことを喜ぶがいい』
貴様の仕業だったのか──怒髪天を衝くとはまさにあのこと。
意味を理解するや否や、怒りを爆発させたエーデルガルトは全力でアランデル公を糾弾。皇帝として持ちうる力の全てを用いて摂政の権限を削ぎ落とし、彼を有名無実の立場へと追いやった。
表向きは、皇帝が陣頭に立つ一戦であるのに指揮系統を無視した派兵で戦場を混乱させた軍法違反として。その実、足並み揃えて行動できない組織とは必要以上共に動くわけにはいかない、と半ば絶縁にも等しい通達を叩きつけたのだ。
エーデルガルトがここまで激昂するとは思わなかったのか。まさかの勢いに目を白黒させたアランデル公はろくな抵抗もできないまま権力を奪われ、自ずと帝国内での組織の影響も減らされてしまい、タレスとしても活動しにくくなってしまった。
以後、帝国の様々な面で彼らの力を借りる機会がなくなったのである。
皇帝となったことである程度自立が叶い、組織と対等な関係になれた……と解釈するのは少々前向きが過ぎた。今まで活動を支えていた戦力を当てにできなくなったということでもあるからだ。
実際、フォドラ西部で連合軍に対抗するために戦力を割いたことで東部の同盟相手に押し込まれてしまったり、せっかく制圧したガルグ=マクから一度手を引くことになってしまったり、無視できない影響があった。
それでも一人一人の尽力のおかげで持ち直した帝国は東西で渡り合えるようになり今に至る。
「私は今、奴らの正体を探っております。どこを拠点にして、どこから来るのか。どれほどの人数を抱えているのか。どうやって別人に成り代わり、どのようにして怪しげな術を操れるようになったのか……非常に謎が多いのです」
「敵を知らなければ戦えない」
「そう、奴らは敵です。今はまだ味方にします。しかし、この戦争が決着したその時には……」
今はまだ口にしないヒューベルト。その先に続く言葉をベレトは察する。
未だフォドラの各地で策動を続ける組織。放置すれば百害あって一利なし。
エーデルガルトを始め、数多くの人の運命を狂わせた報いは必ず受けさせる。
「私は奴らをこう呼んでいるのですよ」
闇に潜み、闇に紛れ、この世界に闇をもたらす存在。
「闇に蠢く者、と」
「じゃあ闇うごだな」
「……は?」
ぶふっ、と噴き出す音が横から聞こえてヒューベルトは目を瞬かせた。
仰々しく付けた呼び方をベレトがあっさり崩してみせたことで堪え切れなかった様子のエーデルガルトが口元を覆うも、抑えられなかった笑いが漏れたのだ。
「……っ」
「……闇うご」
「ぷ、っく」
「闇でうごうご」
「ぷふっ……っくくく」
「あっちでこっちで闇に隠れてうごうご」
「~~っぷふふ、あははは! だ、だめよ師! ふふ、ははは! もうやめて!」
気の抜けた物言いを続けて聞かされ、我慢できなかったエーデルガルトは笑い出してしまう。
彼女にとって憎い敵すらも破顔させる材料にしてしまうベレトを見て、この人には敵わないなとヒューベルトも小さく笑ってしまった。
その後、急に方針を変えた帝国の動きを危ぶんで調子に乗るなよと睨みを利かせようと思ったのか、わざわざエーデルガルトとヒューベルトの前に姿を現したアランデル公は二人の横にいるベレトと対面する。
その手で葬ったはずの男が生きている姿を目の当たりにした彼が努めて平静を装うも、表情に確かな動揺が浮かんでいて。
敵の顔色を変えてみせた達成感にヒューベルトとベレトは目線を交わす。
今はただエーデルガルトのために。同志として、二人は結束を強めたのだった。
またある時、生徒達のこれまでの戦いの記録に目を通していたベレトは、どうせなら生徒から直接話を聞ければと考えた。しかし彼らも忙しい身で、エーデルガルトの命を受けて色々とやることがあったりと時間を作るのも難しい。
そこで運良く居合わせたドロテアが比較的余裕があるということで彼女が知る限りのことを教えてくれた。
それもただ記録を教えるだけではつまらないと、歌劇のように朗々と謳い上げたのだ。
戦争などの理由で身寄りをなくした孤児を保護する活動をしている彼女は他の生徒と比べて戦場から離れており、だからこそ戦地での活躍を噂として伝え聞くことが多い。
そういった噂話を市井に伝わる唄としてまとめて。フォドラに新しく生まれた英雄譚にして。
士官学校の同期が戦地で上げた武功を称えて付けられた二つ名を語ってくれた。
~~~~~
新しく現れた英雄に人々は畏敬を込めて二つ名を呼ぶ。
その武勇や背景、出で立ちも含めて名を上げた者を称えよう。
王国よりは三人の騎士。名家の誉れを受け継ぐ新たな英雄。
右手に携えしは破裂の槍。
左手から放つは黒の魔法。
北の守りの要として、王と国の盾となる。
槍で天駆け、魔法で不和断つ、不撓不屈の寵児なり。
【
誉れ高きは忠義の使徒。
空より国を守る騎士の鑑。
振るう槍の清廉なるは、天馬を駆る姿が如し。
白き鎧と白き翼で制覇せしめるは陸海空。
【
木を斬り地を斬り鉄を斬る。
悉くを斬り伏せるは守護が為。
王の盾なる生まれなれど、この身は一振りの剣なれば。
斬るに徹するその前に立ち塞がること能わざる。
【
同盟よりは三人の若者。貴族と平民の織り成す新時代の風となるか。
それは一つの魔の形。
放つ魔法は尽きることなく。
振るう刃を阻むものなく。
数多の魔法、特異な剣技、全てを以て必殺と為す。
【
それは一つの技の形。
走る足は休むことなく。
率いる隊は如何なる不利をも覆す。
戦場を駆ける不屈の志は、全ての戦局を必勝と為す。
【
それは一つの力の形。
敵を討つ腕は止まることなく。
往く道悉くに爪跡を残す。
逞しき巨体が突き進み、全ての敵へ必倒と為す。
【
帝国よりは三人の新生。広大な地を奔る活躍と凱歌を民は聞く。
構える姿を追いかけろ。
その後ろに危険はなく、その背中に傷はなし。
前へ前へと往く益荒男は振り返らず。
敵は倒し、味方は守り、進み続ける様はさながら動く要塞。
【
踊る姿に目を奪われる。
森を駆け、空を舞い、敵を討つのは剣、斧、弓。
時に楽しく、時に勇ましく、民を励ます声、足、翼。
異国より来たりて戦地を飛ぶ姫に見惚れるがいい。
【
尽くす姿を称え給え。
墜ちたる家名を背負うも誇りは投げ捨てず。
武勇と優雅、掲げた使命を貫く眼は曇ることを知らず。
民と国へ身を捧げる彼の生き様こそが貴族の鑑。
【
フォドラに生まれし新たな英雄達よ。
次なる未来を切り開け。次なる時代の柱となれ。
民は、歴史は、そなたらのような勇者を待ち焦がれているのだから。
~~~~~
「……どうだったかしら先生?」
「すごいぞドロテア。聞いていてみんなの姿が目に浮かぶようだった」
「うふふ、ありがと。先生の前だから気合い入っちゃった」
拍手するベレトの前でドロテアは優雅に一礼を返す。歌姫によるただ一人のための即席の舞台。人によっては羨望の対象になりかねない特等席だった。
同盟の【烈女】ジュディット然り。
王国の【灰色の獅子】グェンダル然り。
戦場で大きな武功を上げた戦士には相応の栄誉が与えられてその名を轟かせるものだが、とりわけ分かりやすい活躍をしてみせた者はその内容に合わせた二つ名が語られる。それはその戦士にとって格別の称号だ。
それは同時に、戦場でそれだけ多くの人がその戦士を見て、生きて帰り、話を広めようとするくらい畏敬の念を集めた証でもある。
みんな本当に強くなったんだな──かつて自分が指導した生徒達を思い、ベレトは今の彼らと向かい合うために気を引き締めるのだった。
……
…………
………………
このように帝国内であれやこれやと活動した後、同盟への使者として出立したベレトは無事にクロードと再会し、面談の約束を取り付けることに成功する。
帰還してからは再びエーデルガルトの力になるのか。もしくは流石の彼も一度休息を取るのか。
そう思われていたベレトは意外なことを口にした。
「特訓がしたい」
「それは……
「そうだ」
ガルグ=マクで合流したエーデルガルトとヒューベルトの前でベレトは頷く。
二階奥の作戦会議にも使えそうな講堂で、三人に加えてジェラルト傭兵団の面々が揃った場での発言だった。
「思うに帝国軍の中で俺は経験不足だ。いざ本格的な戦いが始まった時、今の俺では足を引っ張りかねない。時間がある内に五年分の不足を少しでも埋めておきたい」
「お言葉ですが先生、貴殿ほどの実力者が経験不足とは理解しがたいですな。傭兵として既に多くの戦場を渡り歩いてきたのではありませんか?」
「単純な場数で考えればそうだが、俺が知っているのは小競り合いと呼べる小規模な戦闘だけで、国と国がぶつかるような大規模な戦争は経験したことがない。その点では君達の方がずっと経験豊富なんだ」
物心ついた頃から──この表現が彼に相応しいか疑問だが──傭兵という生き方に沿って育ったベレトは、ジェラルトに鍛えられたり、実際の戦場に出たり、戦いを身近にして生きてきた。なので単純な場数で言えば相当なものである。
しかし本人が今言ったように、それはしがない傭兵が依頼で受ける程度の小規模な戦闘が精々であり、大軍同士がぶつかる国家間の戦争は未経験なのだ。
フォドラで起きた大きな戦争と言えば、300年ほど昔にレスター諸侯同盟が興る切欠になった三日月戦争が最後だろう。
それ以来、比較的安定していたこのフォドラでそういった経験が得られる戦場がなかったのは仕方ないことだ。
ベレトからすれば、士官学校の課題で行った鷲獅子戦でさえかなり大規模な戦闘に思えた。自分が眠る直前にあったガルグ=マクの戦いも、一つの大都市を攻め落とすというこれまた大規模なもの。
しかし、今の仲間達はそれ以上の戦場を経験している。そんな状態で彼らをきちんと指揮できると考えられるほどベレトは楽観視していなかった。
「なのでしばらくの間、帝国の活動から離れる時間が欲しい。クロードが使者を送ってくるまでの時間を使って、次の戦いが起きた時のために備えたいんだ」
ベレトの助言によって考え方を変えたエーデルガルトが帝国の方針を変えたとは言え、それで戦争が終わるかと言うとそんなわけがないだろう。
王国と教団とは今でも西部で睨み合っていて、いつまた戦端が開かれるか分からない。会談を取り付けた同盟だって、和睦が叶わず結局戦うことになるかもしれない。
そのために備えて鍛えておかねば。戦わずに済むのならそれでいい。何もせず座して待つだけなのは愚かな思い込みである。
同盟で直接相対したクロードを思い出す。あの時向かい合ったのはただの盤面遊戯だったが、戦場で向かい合うことになれば自分の裁量で動く軍が彼と戦うことになるのだ。
いざ戦いになった時、及ばなかったでは済まされない。黒鷲遊撃軍の指揮を預かるベレトとしては急いで不足を埋めようとするのは当然のことだった。
幸いにもベレトと気心が知れていて彼相手でも遠慮なく物申せるジェラルト傭兵団がいることもありがたい。指導役として彼らを連れていくのも併せて願い出る。
「いやー、まさかこの歳になってレト坊に教えることになるとはよ」
「かっかっか、ビシバシやって速攻で仕上げてやっからな」
「レト坊と修業、久しぶりー」
「そんなわけだからお嬢、またしばらくレト坊のこと借りるわ」
(何でしょう、どうも嫌な予感が……)
(ガロテさんもそう思いますか。僕も『押さえ』に回った方がいい気がします)
(ではジード君には扉側を頼みます。私は窓側を)
(分かりました)
後ろでレンバス達が囃し立てるように声を上げる。既にベレトの考えは伝えてあるようで全員納得済み(?)に見えた。
「必要な工程だということは理解しました。それではしばしの間、先生がいない体制で我らは動きましょう」
「師が抜けた穴は大きいけれど、元々の私達に戻るだけだから気にしないで。貴方が必要だと思ったことなら協力させてちょうだい」
「……じゃあ早速お言葉に甘えようか」
ヒューベルトとエーデルガルトが快諾を返すのを見て、ベレトが追加で申し出る。
「この特訓に誰かを連れていっていいか?」
「それは、遊撃軍の誰かをということ?」
「ああ。俺は遊撃軍の指揮官として戦うことになるだろうから、生徒と直接動きや意見を擦り合わせておきたいんだ」
「でしたら今は席を空けても影響がない者がいいでしょう。西部の戦線は王国と教団相手に気を抜くわけにはいきませんが……」
「クロードが同盟内で意見をまとめている今、東部はいくらか余裕があるわね。そちらから連れていくといいわ」
「実はもう選んで声をかけてある」
「あら、そうなの? 手回しがいいわね」
とんとん拍子で話は進み、ベレト自身の特訓だけでなく追加で生徒を更に鍛える運びとなった。
ベレトの特訓。そして生徒の指導。五年前の士官学校でやっていた授業とは違い、双方が高め合うという高度な訓練。
仮称としてこれを『高度教練』と呼ぶことになり、後日折を見て他の生徒ともやれないか企画されることになる。
その高度教練の一番手に選ばれたのが
「俺ってわけだな!」
カスパルである。
呼び出しを受けて東部の戦線を離れた彼は、配下のベルグリーズ戦団を引き連れてガルグ=マクに来ていた。同盟相手の警戒は父のベルグリーズ伯に任せて、己を鍛える機会に大喜びで飛びついたのだ。
「先生の訓練なんて授業でやった時以来だから楽しみだぜ!」
「よろしくなカスパル。君の経験も教えてくれ」
「もちろんだ。俺と先生で高め合う……うおおおお! 燃えてきたああ!」
特訓の狙いを聞いたカスパルは大いに張り切り、大声で叫びながら講堂を飛び出していく。連れてきた自分の部下もまとめて鍛えるということになったので彼らに発破をかけに行ったのだ。
「そこまで時間はかけない。早めに区切りをつけるつもりだよ」
「ええ、分かってる……気を付けてね師」
長引かないようにすると言うベレトに頷きを返すエーデルガルトだが、どこか物言いたげな表情だった。
快諾したはいいものの、エーデルガルトとしてはちょっと不満がある。
再会してから一節と少し経つ。その間、帝国を練り歩いた後はガルグ=マクとアンヴァルを往復するエーデルガルトと、例の移動力を活かして帝国中を飛び回るベレトとはほとんど一緒に行動できていない。
運良く同じ場所で居合わせた時は一緒に食事を取ったりできたがそれとて数えるほどしかなく、すれ違う日々が続いているのだ。
傍にいたいって言ってくれたのに──内心で思うも口に出せるほど子供でもないため、モヤモヤしてしまうエーデルガルトである。
しかしながらベレトが自分のために張り切って色々な活動に手を出しているのも分かるので、そんな彼に我儘を言えるわけもなく。
だからせめて彼の考えを少しでも知りたいと思い、特訓について聞いてみた。
……聞いてしまった。
「特訓ではどういうことをするの? やっぱり演習が多めなのかしら」
「それなんだが、俺自身の気を引き締める意味でもアイスナー式ブートキャンプをやりたい」
その瞬間、ちょっとした騒ぎが起こった。
まず最初にヨニックが腰かけていた椅子を蹴飛ばすように跳び上がり、入り口に向かって疾走。しかしその動きを読んでいたかのようにジードが彼に飛び掛かり、後ろから床に押さえつけた。
ドナイを始め、壁際に立って話を聞いていた面々は一斉に目から光を失い、ある者は膝を付き、ある者は倒れ伏し、ある者は窓に手を伸ばし、その口から虚ろな声を漏らす。
壮絶な空気を漂わせる彼らの中できょとんとした顔をするダンダの目を、後ろからガロテがそっと覆ってその場から遠ざける。
「放せえええジードおおおお!! 俺は! 俺は生きるんだあああああ!!」
「逃がしませんよ、地獄には一緒に落ちましょうねヨニック」
「ざっけんなてめえお前だけ落ちてろ! あんなのはもう御免だぞ!!」
「やだなあ、ジェラルト傭兵団は一蓮托生ってみんなで決めたじゃないですか。一人だけ生き延びさせてたまるか君も死ね」
「地獄とか死ねとかその気満々じゃねえかあああ!!」
「う、嘘だ……俺の番は、終わったはずだろ……」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
「はは、ここまでか……けっこういい人生だったかな……」
「おそらあおい」
「なんだよー、何も見えねえぞー」
「見なくていいものもあるんですよ……ダンダみたいな若い子はね」
「ガロテどうしたー? 声が死にそうだぞー」
「死にそう、ですか……そうですね、最初に死ぬのは私かもしれません」
「んー?」
訂正。ちょっとどころではないパニックが起こった。
いきなり揃って恐慌を見せるジェラルト傭兵団。彼らの様子にただならぬものを感じてエーデルガルトもヒューベルトも驚きと困惑を隠せない。
それに対してベレトが調子を一切変えてないことがいっそ不気味でもあった。
「お、おいレト坊、本気か? 本当に俺達もやるのか?」
「やる。レンバス達がついてきてくれて嬉しい」
「いやでも、ジェラルトさんはもういねえんだぞ? うちのやつらは全員一度は経験してるし、またやっても効果は薄いんじゃ……」
「父さんからおおよそ教えてもらってあるし、細かい部分は俺の方で調整するから大丈夫だ。それに普通に鍛えるより確実に伸びると分かってる訓練があるならやらない理由はない」
「 」
頬を引きつらせて口を出したレンバスに対して、ベレトにしてはやる気を滲ませた言葉が返ってくる。白目を剥きながら口をパクパクさせて言葉を失ったレンバスの表情は老齢の傭兵としての厳めしさなど欠片もなく、ただただ悲壮感に溢れていた。
生徒を鍛える際の甘さを消した教師の顔をしたベレトはもう止められないと分かってしまったのだ。
心なしかしれっとした顔をしているように見えるベレトを見れば嫌でも分かってしまう。
──こいつ、肝心な部分はわざと黙ってたな!
自分達の頭として掲げたベレトの澄まし顔に一同から戦慄の視線が集まった。
「先生、彼らは一体……」
「いつものことだ」
「いつも?」
「この話題になるとみんなはいつもこうなる。父さんがこの訓練のことを口にした時も毎回似たような反応をしてたんだ。気にしなくていい」
「そう言われましても……」
ヒューベルトの質問にも何事もないように答えるベレト。惨状と言ってもおかしくない光景でも彼にとっては騒ぐほどのものではないということだろうか。
頭の中にある戦場で豪胆に戦う傭兵達と、目の前の阿鼻叫喚とも表せる彼らの姿が結び付かず、どうしても戸惑ってしまう。
そんな光景から無理やり目を離したエーデルガルトはもう一つ気になっていたことを聞く。
「ところで師、今言った訓練はどこでやるのかしら。特別なことをするのなら人目に付かない場所を使うべきだけれど、当てはあるの?」
「ザナドとアリル」
「……え?」
「ザナドとアリルを使う」
「…………えぇ?」
短く返されたベレトの言葉を聞いて二重に声を漏らしてしまった。
さて、ここで一つ質問をしよう。
みなさんは覚えているだろうか。
五年前。士官学校で生徒を指導することになったベレトが、教師に就くにあたって掲げた指導方針のことを。
言葉の通り、大樹の節(の末)から教師になったベレトは生徒達に基礎的な指導を施した。中でも体力の基礎である足腰と、知性の基礎である思考力は特に重視した。そのおかげもあって黒鷲の学級は確固たる地力を身に付けて、そこから飛躍的な成長を遂げることができた。
ベレトは基礎と言ったが叩き込まれた分だけでも相当なものであり、多くの課題で役立った他、鷲獅子戦では頭二つ抜けた圧倒的な優勢で他学級を下すなど、黒鷲の学級にとって大きな支えとなったのは間違いない。
その翌節以降も、
このように授業中のベレトの教えは基礎に終始し、それ以上の指導はやる気のある生徒が頼んできたら個別に応じる程度に留めた。ベレトの目端が限られた授業内であれもこれもと手を出してしまえば中途半端になりかねないので、確実に生徒全員の底上げとなる基礎を重視したのは良い判断だったと言える。
ここで大事なのは、やる気に応じた個別指導を除けばベレトの教えは基礎にしか関与していないということだ。
思い出してほしいのはフレンとのやり取りではなく、モニカが問い質した際の受け答え。
『ま、待ってください先生! そんな、走るにしたって森じゃなくて街道を使えばいいじゃないですか! わざわざ危ないところを走る必要はないでしょう!?』
『問題ない。滝を登ったり、谷を渡ったりすることはないのだから、基礎の範疇だと判断する』
お分かりいただけただろうか。
ガルグ=マクの外周を走る長距離走をする直前の会話で、滝を登ったり谷を渡ったりせず授業でやるのはただ森を走るだけの基礎だ、とベレトは返した。
言い換えれば、基礎を活かして応用に臨むのなら滝を登ったり谷を渡ったりして鍛えるということである。
ここでもう一つ確認させてもらおう。
これからベレト達が向かおうとしているのはザナドとアリル。どちらも名前だけはよく知られた場所である。
赤き谷ザナドはセイロス教における禁則地。底の見えない谷があちこちにあり、険しい斜面も多い。修道会に属する者にとってもみだりな立ち入りが禁じられた土地であり、名前以外の詳細は知られていない。
五年前の課題で立ち入った当時、盗賊の残党を追い込むために進軍するのに足を取られて生徒達は苦労したものだ。ソティスに誘われてベレトが足を運んだ時は魔獣の群れに襲われたこともあり、宗教の聖域とするには似つかわしくない荒れた土地だと言える。
アリル、別名煉獄の谷。かつて天から堕ちた光の杭によって作られたという逸話がある。裂けた大地から溶岩が噴き出すなど、煉獄の名に相応しい極熱の地。地面の至る所を火炎が舐め、あちこちに溶岩の滝すら流れる危険地帯だ。
他人の目に触れるどころか人がみだりに足を踏み入れる場所ではなく、むしろ遠回りしてでも避ける。真っ当な感性の持ち主ならここに誰かを連れていこうなどと考えたりはしないだろう。
断言できる。そんなところで行う訓練が
提案したベレトが分かっているのは当然として、同行するレンバス達傭兵団の面々もジェラルトに鍛えられた経験から予想と覚悟はできて……まあその、一応、覚悟はできているはずだ。うん。
問題はそこに着いていくカスパルと、彼が率いるベルグリーズ戦団である。
応用の域に足を踏み入れるベレトの指導。それが一体如何なるものなのか。
うぇるかむ、とぅ、ざ、アイスナー式ブートキャンプ。
士官学校の時にやってた基礎の授業とは違う、応用の訓練が始まります。
風花雪月はやっぱりメイン戦闘以外でどれだけユニットを鍛えられるかが大切ですからね。ここでベレトがきっちり仕上げて、本番に備えます。
目指せ、完全勝利。
作者の活動報告に載せた後書き