自分でも書いててお疲れ様という気分です。
こうして、盟主クロードの敗北宣言を以て決戦は終わった。
レスター諸侯同盟は先の和平会談でアドラステア帝国から出された多くの項目を、ほぼ無条件で受け入れることになった。
──帝国による領地の併合は行われず、同盟は同盟のまま動くことになる。
──戦争の停止。戦火に見舞われた土地の復興。両国間の通商。五年ぶりに多くの人が国境を越えて行き交うことになる政策の締結。
──生じる諸費用はその多くを帝国が負担する他、同盟内でもヴィクター商会が流通を補佐し、エドマンド家を始めとした動ける余裕のある貴族も負担を請け負う。
──また、英雄の遺産は各領地に戻され、対応する貴族の下へ届けられる。ゴネリル家などは東からの防衛に役立つし、何より会談でもあった「互いに武装しても対等に語り合える」姿勢の実現として、武力を取り上げず実際に対等であることを目指す試みだ。
フォドラに大々的に布告する文の草案を頭の中で練りながら、エーデルガルトは館の中を歩く。皇帝としての厳しい表情で。
決戦が終わり、勝利した帝国軍がこれ以上の戦闘はしないと宣言。
同盟側もそれを受け、クロードの声に従って軍を畳み、同時にデアドラ市街へ続く門を開放。
死傷者を含む両軍を分け隔てなく受け入れて治療と後処理を行うこととなった。
リーガン家の敷地を全面開放して、貴族の屋敷がまるで野戦病院のような有様になるにつれて、喧々囂々たる別種の戦場へと変わったようだった。
「あだだだだだ!! 痛い! 痛いですリンハルト! もっと優しく!」
「我慢してよ、僕この後もたくさん診る人いるんだから。まったく……戦いが終わったら休めると思ったのにさ」
「あ、ぎ、つ、だ! ……っああもう、回復魔法でいいじゃないですか!」
「綺麗に折れてるから自然に治した方がいいね。ヒューベルトに感謝しなよ。本当にただポッキリ折れてるだけだから。ああ、僕もヒューベルトに感謝しなくちゃね」
「は? なんであんたが」
「しばらく君の面倒を見るように言われてるんだ。丸投げされた時はげんなりしたけど、リシテアみたいに希少な紋章を持つ人なら話は別さ」
「え……まさかリンハルト、わたしの体のことを知ってて……」
「ん? 紋章が二つあるこt」
「わーわー! 言わないでください! 誰が聞いてるか分からないのに!」
「君の方がうるさい……まあとにかく、経過も見たいし、僕にその体を預けてね」
「言い方!」
「はあ……結局ほとんどいいとこ無しで終わっちゃったな……」
「どうしたイグナーツ、元気ねえな。腹減ったか?」
「あ、ラファエルくんお疲れ様です。戦闘で活躍できなかったなって……」
「なんだそんなことか。おめえはこうして生きてんだ、よかったじゃねえか」
「それはそうですけど……ラファエルくんみたいに立派に戦えなかったなって」
「そんなこと言ったら、オデだってカスパルくんに負けちまったぞ。すごかったぞ、ガンガン前に出てきて、めちゃくちゃ強いから押し負けたんだ」
「【轍薙】を圧倒する【進撃の砦】か……すごい絵になりそう」
「肩が治ったら描いてみたらどうだ? オデも後でモデルになるぞ」
「あはは、ラファエルくんはまだまだ元気だなあ。僕も早く回復しないと」
「おーい二人共、今いいか?」
「んお、カスパルくん」
「ここにいたか。二人揃っていてちょうどいい」
「フェルディナントくんも、どうしたんですか?」
「俺達は他と比べて軽傷の奴のとこを周ることになったんだ。今やることなくてよ、できる範囲で少しでも助けになればいいなって」
「暇を持て余すよりは僅かでも力になる手段に尽くすのが貴族というものだからね。治療はできずとも回復の助けになればと思い、君達を探していたのさ」
「おお、そいつは嬉しいぞ、ありがとな!」
「ありがとうございます。ただ、あの……どうして僕達を? 怪我してる人は他にもたくさんいますよね」
「我々の治療の心得は大したものではない。私は回復魔法が拙いし……」
「俺はリザイアならともかくライブはしょぼいしな。それより、俺とフェルディナントでも問題なく使えて、確実に元気になれるやり方をしてみようって思ってよ」
「確実に元気になれるやり方?」
「そんなすっげえやり方があんのか?」
「「アイスナー式マッサージだ」」
「「……え」」
「こないだ先生とやった訓練で教わってさ。あれはきつかったな」
「苦しい訓練だったが、身に付けた技術は実際に使って人々の役に立てたい。しかしあれは少しばかり特殊で、使う相手を選ばなければとも思う。士官学校で受けた経験のある二人なら問題なかろう」
「お前らも早く動けるようになりたいだろ? 任せとけって。回復絶対早まるから」
「「……あ」」
「イグナーツくんとラファエルくん、すんごい声出してる……あれでしょ。五年前に先生がやったマッサージ。あれ教えたんだ、うへ~」
「ジェラルト師匠の教えが伝わるのは嬉しいけど、先生も容赦ないな。まあ流石にわたしらの方にはあいつらも来ないだろ」
「はい。だからわたし、来ました」
「うわ、ペトラちゃん!」
「あんたが来たってことは、まさか……」
「アイスナー式マッサージ、女担当、わたし、出番です。ヒルダ、レオニー、回復早まる、有用、知っています。施す、やりますか?」
「い、いいよいいよ! わたし遠慮します! 痛いのはいらなーい!」
「だな。あんたが純粋に厚意で言ってくれてるのは分かるけど、わたしも遠慮させてもらうよ。今からまた血を吐く思いは御免だ」
「そうですか……少し残念、思う、あります」
「それより、ペトラ」
「はい」
「……悪かったな。わたし、色々酷いこと言ったりしただろ」
「どういうこと、ですか?」
「こないだの会談でもさ、帝国を一方的に悪し様に言ったり、暴れたり、やらかしたじゃないか。今になって思うと、わたしって周りが見えてなかったなって」
「レオニーちゃん……」
「今回の決戦もそうだけど、帝国との戦争で出た死傷者はかなり少ない。あんたらはその気になればもっと同盟を圧倒できたはずだろ。そうはしないで犠牲を抑えることを重視してるのがわたしにも分かった。帝国がブリギットと友好関係を結んだのも今なら納得できる」
「……気にしていない、言う、少し嘘、です。帝国が憎い気持ち、わたしの中、まだある、真実。けれどそれ、次の時代に伝わる、阻止する、わたしの役目、思います」
「そっか。ペトラはそういうところも強いんだな」
「レオニー、あなたの謝罪、受け取ります。その心意気、感謝、返します。この先、同盟の人々、あなたの心を伝える、お願いします」
「おう。信頼が大切だっていうのは師匠の教えでもあるしな!」
「うう……よかったよ~、二人が仲直りできて本当によかった~!」
開け放たれたリーガン家の中庭で騒ぐ同期達を渡り廊下から見やり、騒がしくも仲良くやっている……仲良く……仲良く? やっている光景を眺めて小さく微笑む。
先ほど会話してきたクロードとのやり取りで強張った心が少し和らいだ気がした。
大怪我を負い、回復魔法だけではすぐに治せないと診断されたクロードはこの屋敷に運ばれて自室で絶対安静を言い渡されており、皇帝と盟主の正式な談合もそこで行われた。
改めてクロードから同盟は帝国に敗れたという発言と、和平会談では結べなかった協力の調印をもらうことができたエーデルガルトはひとまず安堵した。ここまで来てまた口先で翻弄されてはたまらない。
だが、直後にクロードが言ったことは看過できなかった。
………………
…………
……
『俺はフォドラを出るよ』
『……それは、貴方がいない方が今後は平和になるから、ということかしら』
『分かってるじゃないか。負けたとは言え、同盟には反帝国派という厄介な派閥がいる。せっかく帝国が勝ったのに、俺が生きてればまた俺を担ぎ上げて暴れたりするかもしれない。そんなのは望まないだろ?』
『敗北は認めても死ぬ気はない貴方としては、別の方面から野望に向けてやり直す、と……どうせ何かしらの道筋は用意しているのでしょう』
『まあな。つうわけで、俺は退散させてもらうぜ。同盟諸侯についてはお手柔らかに頼むよ。俺が言い聞かせた限りではあんたに逆らう奴はいないはずさ。俺の同期達にも話は通してある。俺が負けたら帝国に協力しろってな』
全身に包帯を巻いた痛々しい姿でベッドに寝ながらも、飄々とした態度は変わらないクロードはそう語る。
自分がいなくなった後の同盟がどうなるか、分からないはずがない。
リーガン家を除くほとんどの諸侯の領地は無傷で残り、今後のレスター諸侯同盟は各地の体制を存続しながらも帝国の活動に協力していく。
クロードというまとめ役がいたから一つになっていた同盟は、一度エーデルガルトの預かりになり、新たな盟主を立てて再出発することになる。その移行に伴う諸々の混乱は帝国が補佐していくことになるだろう。
『本当は俺が覇王にでもなってやろうかと思ってたんだが……負けちまったしな』
『……ふざけないで』
『あ?』
そんなこと、エーデルガルトには認められなかった。
『貴方は負けたのよ。同盟は帝国に敗れた。貴方が率いた同盟が破れたの。そうして決まった結果に対して、何? フォドラを出る? 自分がいない方が平和? 退散させてもらう? 冗談じゃないわ』
敗北して、それで全てがなくなるわけではない。背負ったもの、率いたもの、彼の後ろについてきたものは依然として変わりなくある。
それをなかったことになどさせない。させてやらない。
『同盟を立て直して、帝国と共に新しいフォドラを創り上げるためにも、貴方の存在は欠かせないのよ。クロード、ここで消えることはただの逃げだわ』
『おいおい、その俺の存在が禍根になるって話を今しただろ。戦略的撤退を逃げと呼ぶのは視野が狭いというものだぞ』
『あら、その戦略こそ視野が狭いと言わざるを得ないわね。それは直近の同盟しか想定していない策でしょう』
『ふん?』
『私は現在と未来どちらも考えて貴方が欠かせないと言ったの。クロード=フォン=リーガンという男をここで失うのは大きな痛手よ。それこそ帝国が勝利した意味がなくなるくらいにね』
エーデルガルトの考える未来がベレトの助言で変わり、帝国が単純に戦争の勝利を目指しているわけではない今、力を以て同盟を打ち倒すだけでは足りないのだ。
同盟には負けたこれからもしっかりしてもらわねばならない。消えてもらっては困るのである。
クロードが消えて次の盟主が据えられたとしても、敗北した同盟というイメージを払拭しないまま代替わりすれば帝国との上下関係も維持される。
エーデルガルトから次の皇帝へと代が移り、そのまた次の代へ、さらにその次へ、そうして時代を経るにつれて力関係は傾きを増し、それは同盟との天秤の傾きも意味する。
次第に同盟という枠組みは薄れていき、帝国の影響力に呑み込まれていく。その変化は緩やかな併合と言っていいだろう。
それはエーデルガルトの望むところではない。
『逃げて楽になるのは許さない。クロード、貴方は今まで以上に苦労して同盟を守りなさい。次の盟主を立てるにしても、責任を果たした後の話よ』
『つってもな、俺がいない方が平和にまとまるのも本当だろ。同盟の立て直しも平和になってからで充分可能じゃないか?』
『はあ……私の言葉では足りないみたいね。連れてきてよかったわ』
意思を変える気がないクロードを見て溜息を吐くと、エーデルガルトは二人の人間を部屋に招き入れた。
『御機嫌ようクロード』
『失礼します……クロードさん、お久しぶりです』
それは帝国に滞在していた同期、ローレンツとマリアンヌ。かつての金鹿の学級の仲間だった。
『おお、ローレンツ! マリアンヌ! 二人共久しぶりだな』
『あ、起き上がらないでください、酷い怪我なんでしょう……横になったままで』
『いい格好だなクロード。敗残の将としてこの上ない姿だ』
『もう、ローレンツさん、そんな言い方……』
懐かしい顔と再会して喜ぶのも束の間、ローレンツの皮肉にマリアンヌが眉をひそめる。
『だが……君は生きている。生きているなら未来がある。未来がある者は、それを次の世代へ繋ぐ義務がある』
『……』
『貴族として、人の上に立った者として、クロード、君には責任を果たす義務が今もあるはずだ。それを投げ出すことはこの僕、ローレンツ=ヘルマン=グロスタールが許さん!』
しかし続く言葉は厳しい叱咤。それはローレンツなりの応援だった。
『クロードさん……きっと貴方はたくさん考えて決めたんだと思います』
『……』
『それでも、消えた方がいいなんて寂しいです。クロードさんが生きていて、ここにいてくれて、私、嬉しいです。生きていてくれて、ありがとうございます……貴方がいてくれてよかったと思う人がいることも、どうか忘れないでください』
手を取ったマリアンヌが言うことは、彼女の心からの安堵を表していた。
『君のことだ。どうせ出自を明かさず、パルミラ軍を用いた策も軍内に伝えず、今から行方を眩まそうとしていることも仲間にも教えていないのだろう』
『よく分かってるな、俺のこと』
『ふん、分かるとも。いずれ超えようと、勝とうと目指した男のことを僕が理解していないはずがない』
『……うん?』
『いいかクロード、ここでしか言わないからよく聞け。君は……僕の目標なのだ』
『……うん!?』
『その君が盟主の責務を放棄して出奔してしまうなど、僕が認めない。自由闊達は結構。だが自由を謳いたければ、相応の責務を果たさねばならない。それは君が選んだ道に必ず、いつまでもついて回る。そんな
『どこで知って……ああそうか、会談でゲロっちまったな、先生に聞かれて』
会話はローレンツのペースで進み、額を抑えるクロードは参ったと言わんばかりに首を振る。
『今後、リーガン家には我がグロスタール家の監査が入る。その名目を以て両家の力を合わせて新しく同盟を導く両輪とするのだ』
『そりゃまた、大きく出たな』
『帝国と隣接する我が領は両国との通商で大きな意味を持つからね。そこから同盟各地への流通を担う役割を、リーガン家の力で後押しするというわけさ』
『えらくトントン拍子で話が進むが……まさかローレンツ、帝国にいる間ずっとこのために動いてたのか?』
『当然だ。言っただろう、僕の目標は君だと。万人が認める形で盟主の座を手に入れるまで君を逃がすつもりはない。君が本当の意味で僕にその座を譲る日が来るまでこき使ってやるから、せいぜい身を粉にして同盟とフォドラの発展に尽くすことだな』
『……そんな脅し文句あるか?』
帝国での活動で地盤は万全、これからは存分に同盟内でその手腕を振るうと豪語するローレンツを前に、クロードはたじたじであった。
そんなクロードに、ベッド横の椅子に腰かけたマリアンヌが語り掛ける。
『クロードさん。貴方がフォドラを出ると考えたのも、犠牲を最小限に留めるためなのは理解できます。国境線でも小競り合いばかりで、本格的な戦闘が五年間ほとんど起こらなかったのも貴方が調整していたからでしょう』
『そいつは買いかぶりってもんだ。結果としてそう見えるだけだろ……ただ、俺が消えた方が今後の面倒は減るとは思ってるが』
『でも、それってクロードさんが一人で考えた案ですよね? 誰かと相談して決めたことではないように思えます』
『む……』
『クロードさん、私、今から嫌なことを言います……たぶん貴方は、周りの人をあまり信じていない……それどころか、ほとんどの他人を舐めていますね? 自分の想定を超えることはない、どうせ悪い方へ流されていくばかりだと』
『……言うようになったなマリアンヌ。そういう物言いができるとは、強かになったもんだ』
『ふふ、否定しないんですね』
『んー、まあ』
バツの悪そうに頭を掻くクロードを見て、マリアンヌは楽しそうに微笑む。その表情が彼女の変化を表していた。
『ねえクロードさん、私、変わったと思いますか?』
『ああ、びっくりしたよ』
『そうです。私、強くなれたんです。でも私は一人で変わったわけじゃありません。この血筋に宿る呪いを打ち破れたのは、先生、ローレンツさん、元黒鷲の学級の同期達、仲間のみなさんを信じて、私から頼ることができたから』
『っ! じゃあお前、背負わされたもんを……』
『はい。捨てることができました。みなさんのおかげで』
生まれつき体に宿る紋章のせいでマリアンヌは不幸に満ちた人生を送ってきた。
あまりに不幸が続くものだから、自分は不幸をもたらす存在だ、関わる他人にも不幸をもたらすと思い、極力他人との付き合いを避けて生きるようになり、その姿勢は士官学校に来てからも続いた。
そういった姿勢が、ベレトに目をかけられたことを契機に、仲間に励まされたり助言を受けたりしたことで徐々に前向きなものへと変わっていく。
同盟から帝国に出向いたこの五年の日々も、彼女の姿を大きく変えるものだった。自分から他人に関わるようになった他、表情を隠す前髪を整えるようになり、曲がり気味だった背筋も伸ばしてがらりと印象が変わる。
それでも根本的な意識までは変わらない。呪われた紋章があるという事実がマリアンヌを悩ませ続けていた。
そんなある日、彼女の下へ押しかけた紋章学者の糾弾が事態を動かす。
マリアンヌが呪われた魔獣の化身だと言い張る紋章学者をベレトが追い返し、協力してくれる仲間を伴って、学者の言い分の元凶だと思わしき森を調査しに行った先で出会った魔獣により真実を知る。
かつて歴史から抹消された英雄その人が変じた魔獣を討伐し、現れた英雄を遺産を手にした時、マリアンヌは生まれて初めて自分が許されたような、呪いから解放されたような心地になれた。
それは一人では決して至れなかった境地であり、他人との関わりを避けてきたマリアンヌが他人を信じて頼ったことで得られた成果なのだ。
『こんな私でも、仲間を信じて強くなれました。自分だけでは落ち込むばかりだった私が、仲間のおかげで変われたんです。私はこれを良い変化だと思います。クロードさんもそう思いません?』
『そうだな。昔よりもっと魅力的になったよ』
『ありがとうございます。私が良い方に変われたのは、人の出会いに恵まれたからです。だからクロードさんも、仲間や、周りの信頼できる人を頼れば、貴方一人で考えた想定からもっと良い方へ変わっていけると思うんです』
そのために必要なのは、周囲の人間への信頼。
仲間が向けてくれる信頼はもうある。なら後は、貴方の方から心を開いて頼れば、きっと良い方へ変わっていけるはずだから。
一人で盤面を見つめていても、自分の頭で想定できる手しか見えてこない。
向かい合う対戦相手。横で助言する仲間。周りに人がいればいるほど知らなかったものが見えてくるものだ。
だって私達は、貴方の仲間は、そんなにも弱い存在ではないのだから。
『参ったな……まさかマリアンヌに説教される日が来るとはね』
『あ、あの、生意気なこと言ってすみません! 私ったら、止まらなくて……』
『構わないよマリアンヌさん。クロードには口やかましくせっつくくらいがちょうどいいのさ』
二人に諭されたクロードは力なく天井を仰ぐ。
自分がこんな風に思われていたとは。そして、自分をこんな風に諭してくるとは。
ガツンと殴られたような気持ちだった。
『なあエーデルガルト。この二人を連れてきたのは俺を引き止めるためか?』
『提案したのは師よ。クロードに会わせるためと言っていたけれど、この話を想定していたとは聞いていないわ』
『先生か……そこまで考えてないだろうな。単純に俺と会わせたかっただけで』
『そうね。だからこそ響いたでしょう?』
『ああ、認めるよ。こりゃあ消えるわけにはいかない。下手に逃げたら追いかけられそうだ』
『それは何より。こちらも苦心した甲斐があるというものだわ』
クロードの意思を変えることができたと感じ、エーデルガルトは壁に預けていた体を離す。談合はもう終わらせてあるし、後はこの三人でじっくり話させてやろうと退出することにした。
『最後に言っておくわクロード。師が体を張って貴方を守ったこと、その意味をよく考えなさい。フォドラに生きる全ての人を守り導くには、私達の誰もが欠けてはいけない、全員が力を合わせてようやく成し遂げられる大業なのよ』
『分かってるさ。俺達はみなか弱き人間。だからこそ壁を越えて、手を取って、心で触れ合う……未来へ生きるために』
その会話を最後に、エーデルガルトは部屋を去るのだった。
……
…………
………………
クロードとの会話を思い返しながら屋敷の廊下を歩く。始めの飄々とした態度も、ローレンツとマリアンヌの説教を受ける内に鳴りを潜めて力ないものになっていた。怪我に加えて疲れもあるところに仲間の言葉が響き、流石の彼ものらりくらりとは逃げられなくなったのだろう。
二人を連れていく提案をしたベレトもそうだが、二人を説得に用いる進言をしてくれたヒューベルトにも感謝しなくては。
そう思ってヒューベルトがいる方へと足を向ける。一早く戦後処理に動いた彼は屋敷内の部屋の一つに陣取って書類を捌いているはず。主として彼も労ってやらねば。
考えながら部屋に着き、今は何の作業をしてるのかとそっと覗き込んで──
「はへ~……」
「……」
「んふ~……」
「……」
「えへへ……」
「……ベルナデッタ殿」
「はい?」
「随分と安らいでいるようですが、何故私の背後でマントに包まっているのですか」
「うぇ!? す、すみません、でもでも、ここって居心地いいので!」
「いいわけがないでしょう。座るわけでも、横になるわけでもない、そんなところで休まるわけがありません。ただでさえ貴殿はこの戦いで力を尽くしたというのに」
「その……ベルって、今日の戦い、頑張りましたよね?」
「ええ、それはもう。上がってくる報告のどれも、貴殿なくして得られた戦果ではありません」
「だ、だから、ですね、ベルとしましては、頑張ったご褒美、と言いますか! そういう感じのが欲しいんですよね!」
「確かに戦功には報いがあるべきですが……まさか、ベルナデッタ殿が望むご褒美とやらが」
「こうやって、いい感じの場所でお休みできるって、いいですよね~。ヒューベルトさんのマントは黒いから、こうして包まると暗いお部屋に引き籠ってるみたいで安心します」
「……まあ、貴殿がそれでよいと言うのなら。昔と違って騒ぐわけでもなし、仕事の邪魔をしないのであれば、邪険にする理由もありませんか……」
「ふへ~……」「ふーん」
「……」
「にひひ……」「あらあら」
「……」
「ふあ~……」「うふふ」
「……先ほどから楽しそうですなドロテア殿」
「ええ、楽しませてもらってます」
「何がそんなにおもしろいのか分かりませんね。貴殿の目を引くものなどここにはないでしょう」
「そんなことないわ。あのベルちゃんが殿方にここまで気を許してるところなんて初めて見ましたもの。とっても可愛い」
「引き籠る部屋代わりにされる私としては実に不可解なのですがね……」
「でもヒュー君、不快とは言わないんですね?」
「……」
「私ともこうやってお話してくれるようになったし、貴方も変わったわ」
「そんなことよりドロテア殿、貴殿にも任せた仕事があったはずですが」
「そんなのもうとっくにまとめて、早天馬の方に預けたわ。後は帝国からの返事と、マヌエラ先輩と歌劇団のみんなを待つばかりです」
「それは重畳。貴殿はここからが本領ですからな」
「ええ。ミッテルフランク歌劇団が同盟で出張活動できるまたとない機会ですから、張り切っちゃいますよ」
「建前は各地への慰問。それに併せてフォドラの今後についての喧伝。頼みますよ」
「あら、建前だとしても手は抜きませんからね。こういう活動で生まれる人脈が別の形で生かされることだってあるんだから」
「その手のことは貴殿が一番心得ておりますからな。期待しています」
「そういうわけだから、動きがあるまで私はじっくり休ませてもらいまーす。いいもの見れて栄養補給もできてるし」
「はあ……そこはお好きすればよろしいですが」
「そうしまーす。それに……ふふふ」
「何か気になることでも?」
「今頃エーデルちゃんも、先生のところに行ってるかなって思って」
「……エーデルガルト様はこれからさらにお忙しくなるでしょうし、今は少しでも英気を養いお休みいただくのがよろしいかと。ドロテア殿から我が主にご用でも?」
「いいえ? 先生が早く起きればエーデルちゃんが嬉しいかなって」
──そっと扉から離れた。
何だろう。あの部屋の中の空気感は、できれば動かしたくない。
こちらにそのつもりがなくても、急に立ち入ってしまえばヒューベルトは従者として必ず対応するし、その背後に隠れたベルナデッタは落ち着きをなくしてしまうだろう。ドロテアはそういう変化も気にしないかもしれないが、休まる雰囲気を崩してしまうかもしれない。
エーデルガルトから声をかけるのはもう少し後にすることにした。
最後、エーデルガルトのことを口にしたドロテアが一瞬扉の方を見やったようにも見え、扉に近い位置にいた彼女だけは覗くこちらに気付いていた。
どうしてだか気まずさを覚えたエーデルガルトは足音を忍ばせてそそくさと部屋を離れるのだった。
そうして屋敷の中を歩き、今度はベレトのいる部屋に向かう。
ドロテアに言われたからではないが、彼の下へ足を運ぶのはいつだって心が躍る。皇帝である自分がただの人間でいられる、大切な居場所。
その歩みも、ベレトに近付くにつれて重いものに変わっていく。
辿り着いた一室でベレトは横になっていた。
音を立てないよう静かに扉を閉じて近寄る。眠る彼が少しでも休まればいいと願いながら。
この願いが自分の本心ではないと理解しながら。
(勝った)
目の前の眠るベレトを見ながらエーデルガルトは思った。
(勝ったの?)
圧倒的不利から始まった絶望的な戦い。
今後のフォドラの趨勢を左右する決戦に、帝国は見事に勝利した。
(勝ったと言えるの?)
前節にやった会談での交渉。
戦闘開始と同時に現れたパルミラの援軍。
それらの苦境をベレトの導きのおかげで乗り越えて勝利を掴んだのだ。
(本当に私達の勝利なの?)
──その彼がこんなにもボロボロなのに?
戦いの終わりが宣言され、勝利に湧き立つ帝国軍をかき分けて進むエーデルガルトは気が気でなかった。
本来なら皇帝の自分が高らかに戦勝を謳って軍の統率を図らなくてはならないというのに、何よりもベレトを見つけなくてはと急いだ。
倒壊した倉庫の中から同盟軍によってクロードと一緒に救助されたベレトが自力で動ける状態ではないと聞き、その身柄を渡された際に抱き留めた彼の脱力を感じて血の気が引いた。
血に塗れて目を閉じた姿は生気がなく、あのベレトがここまで傷付くなんてと仲間達も驚かされていた。
幸い命に別状はなく、意識がないのも気力を振り絞った末に緊張が解けたからだと診断され、今はこうして屋敷の一室を貸し切って休ませている。
先生が一番の重傷者って前にもなかったっけ?──そうぼやくリンハルトの回復魔法で何とか安心できる状態まで持っていかれた後も、ベレトは眠り続けたままだ。
目を閉じて眠る姿はただただ静かで、その顔立ちはどこか人間味が感じられない。
薄い呼吸音も相まって、僅かに上下する胸を無視すれば人形と見間違うか、あるいは死体にも見えて……
(違う!)
馬鹿馬鹿しい想像を一蹴する。
師は死なない。死ぬわけがない。私を置いていなくなったりしない。
言い聞かせるように頭の中で繰り返したエーデルガルトは膝を着き、ゆっくりとベレトの頬に手を添える。
ベレトが死ぬ。そう考えただけでエーデルガルトの心は冷えた。手から力が抜け、呼吸が覚束なくなる。心臓の鼓動が不気味なほど耳に響き、目の前が暗くなっていく気がした。
戦後処理の段階に移ってから続々入る報告には、戦場で兵達が目の当たりにした多様な情報がある。各部隊の戦果、被害状況、実に様々なことが。
その中には戦場で特に目立った動きの報告もある。飛来して倉庫を叩き壊したベレトとクロードのことも。
エーデルガルトに振り回されてクロードに飛び蹴りを入れたベレトは一緒になって港の上空を飛び、二人は一つの塊となって倉庫に墜落した。
その際、まるでクロードを守るように彼を抱え込んで自分から壁に着弾したベレトを多くの兵が目撃している。その報告は帝国軍だけでなく同盟軍の兵からも上がっている。
クロードからも、倒壊する倉庫からベレトが体を張って自分を守ってくれたと聞いた。崩れる壁をベレトが支えてくれなければ生き埋めになっていたとも。
そのような事態になったのは、エーデルガルトがベレトの指示に従ったからだ。
ベレトを文字通り振り回して、彼をただの武器のように扱ったからそうなった。彼の指示を聞いたあの一瞬でエーデルガルトにはそうなると分かっていた。
極限の集中に入っていたエーデルガルトは思考するよりも早く体が動き、結果、ベレトがこうして傷付くことになった。
(私が師をこんな風にした)
これは自分がやったことだと、ベレトを傷付けたのは自分なのだという意識がエーデルガルトの中で生まれていた。
大切な、本当に大切な人を傷付けてまで得た勝利を、胸を張って誇れるのか。
そしてもう一つ。
あの一瞬でエーデルガルトが理解できたことを、指示を出したベレトが分かっていないはずがない。彼もこうなることを承知だったはずだ。
自身を武器や道具のように扱うこと、消耗品のように使い潰すことを。
当たり前のように、何の躊躇もなく自殺行為同然の手段を実行できるなんて、そんな人間を果たして人間と呼べるのか。
もしくは……彼は最初から己の命を
そうまでしてベレトが体を張るのは何のためだ。彼が戦うのは誰のためだ。
(私だ)
エーデルガルトだ。
(師は、私を守るために戦ってくれている)
ベレトはそう言った。
言った通りに彼は行動した。
言葉が、態度が、結果が彼の決意の程を証明している。
命を懸けた決意を。
──まるで私が彼を死に追いやっているようなものではないか。
「ち、が……う……」
頭に浮かんだことを否定したくて。
しかし咄嗟に出た声は悲しいほど頼りなくて。
縋るように眠るベレトを見つめた。
「……師は、死なないわよね」
話しかけても返事はない。分かっていても、口が止まらなかった。
「いなくなったりしないわよね……師は。だって、約束したもの……そうでしょう? 消えないわよね……ねえ……」
触れる頬の感触が、彼が生きた人間であることを伝える。
心無い人形ではない、ましてや死体なんかではない、彼が正しく生きているのだと分かる。
それでも、声が聞きたかった。
眠る彼を休ませてあげたい。起きて私を呼んでほしい。どちらも本心だ。
そしてベレトと二人きりでいる時にも心を保っていられるほど、エーデルガルトは強くいられなかった。
そうじゃない。元から強くなんかなかった。
ぐちゃぐちゃにされた体でちっぽけな短剣に縋っていただけの私は弱かった。
弱い私に、師が強さをくれた。
師が傍にいるから私は強くなれる。
師がいない私は、もう、強くなんてなれない。
「死なないで……せんせえ……」
眠るベレトは何も応えない。次の戦いのために体を休めているから。
エーデルガルトを守るために。