風花雪月場面切抜短編   作:飛天無縫

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 バトル回。書いててすごく楽しかったです。


激闘と模擬戦、力への渇望

 その日、ガルグ=マク大修道院にある訓練所はかつてない賑わいを見せていた。

 普段から訓練所をよく利用するフェリクスやラファエルを始め、ここへ訪れることの少ないドロテアやヒルダも珍しく足を運び、書庫に籠ることの多いリンハルトやリシテアまでが顔を出しに来た。他にも様々な生徒が集まっている。

 休憩中の女中、手隙の警備騎士、たまたま修道院を訪れた一般人まで。

 これほどまでに人が押し掛けた日はなかっただろう。

 

 それだけ人が集まれば当然ぎゅうぎゅう詰め。座る場所などありはしない。ましてや他人とぶつからない余裕のあるスペースなど以ての外……中央以外は。

 訓練所の中央。戦うには十分な開けた空間に二人の影がある。その二人の戦いを見たいがために大勢の人が訓練所に詰めかけているのだ。

 

「まったく、真面目に訓練に励むべきこの場に、お遊び気分でやってくる者がこんなに多いとは」

「あら、お兄様だって見物目的で訪れたのではありませんの?」

「そう言わないでおくれフレン。彼を見定めるためにも、このような機会は見逃せないのだよ」

「ふふ、そういうことにしておきましょうか」

「フレン……」

「ほらほら、もうすぐ始まりそうな雰囲気ですわよ」

 

 その一角に立つセテスとフレンの言葉通り、集まったのはほとんどが野次馬みたいなものである。修道院での穏やかな日々はこのフォドラでは得難い貴重なものなれど、そこに投げ込まれた珍しいスパイスとも言える出来事にはこぞって注目が集まるものだ。

 特に今回の場合、注目の的になっている二人の内の片方が何かと話題に上る『彼』とあってはこうして騒がれるのも仕方あるまい。

 

 片やセイロス騎士団でも最強格と囁かれ、操る英雄の遺産の名の如く【雷霆】の異名をフォドラに轟かせる騎士、カトリーヌ。

 片や傭兵という身でありながら士官学校の教師に取り立てられ、先の聖廟襲撃事件を鎮圧に導いた黒鷲の学級(アドラークラッセ)の担任、ベレト。

 

 修道院の誰もが知る強者の二人が手合わせするとあれば、騒がれて当然というものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 切欠は些細な口喧嘩だった。

 翠雨の節、暑い日が続くある日の正午過ぎ、昼食を終えた生徒達が午後の授業に向けて休みを取ったり先んじて精を出したりする中、教室前の中庭で雑談に興じていたとあるグループでこんな発言が出たのだ。

 

「なんかさ、黒鷲の学級ばっかりズルくねーか?」

 

 毎節出される課題は学級によって違う。それは騎士団の手伝いであったり、平民への奉仕活動であったり、どのような課題が通達されるかは生徒達には分からない。

 そんな中、今年の黒鷲の学級には毎節のように戦闘に携わる課題が出され、その重厚な内容は間違いなく生徒を大きく成長させる糧となっている。

 大樹の節にあった学級対抗の模擬戦はともかくとして、続く竪琴の節、花冠の節がどちらも激しい戦闘に関わる課題で、その次の青海の節には黒鷲の学級だけが修道院への侵入者と戦う羽目になったのだ。

 

 むしろ毎節のように物騒な事態に巻き込まれて落ち着く暇がないとも考えられるのだが……隣の芝は青く見えるもの、当事者以外の他人からは良い部分しか注目されないのが世の常である。

 

「聖廟の襲撃に当たりを付けてたっていうけど、ただの勘頼りじゃねえか」

「しかも担任のあの傭兵、今度は英雄の遺産までもらったとか」

「レア様のお気に入りってのも噂じゃなかったのか」

「由緒正しい士官学校に紛れ込んでおいて、どこまでデカい面するのやら」

「見てくれはいいのはたしかだ、大した美形だよあれは」

「顔を買われて騎士団の情夫でもやってたりするのか?」

「よせやい、あの無表情だと逆に笑うぜ」

 

 単純な妬みだけならまだよかったのだが、仲間内のノリで徐々に内容が毒を含むようになり、いつしか下世話な侮蔑に変わっていくのが止まらなかった。

 それ自体は陰口という形でよくある話かもしれない。誰にも聞かれなければその場限りの雑談の範疇で済ませられただろう。

 だがそれを拾った相手がよりにもよって黒鷲の学級の生徒だったことが全ての始まりであった。

 

「随分と言ってくれるわね」

「げ……」

「あ、貴女様は……」

 

 他学級のグループに臆することなく近付いてきた少女を見て及び腰になる。若くして威厳と優雅さを兼ね備える彼女は分かりやすく冷たい視線で一同を睥睨していた。

 彼女の同行者の少年も憤りを隠す気はないようで、静かな怒りを滲ませる表情で隣に立つ。

 生徒の往来が活発な中庭でする雑談ではなかったということだろう。

 

 だが一部の者は恐れを押し殺して睨み返した。

 ここはガルグ=マク大修道院の士官学校。貴族も平民も、誰もが生徒として同じ立場にあるのだ。一方的に抑えつけられる謂れはない。

 

 なお、本人の名誉を慮って、やり取りの中での名前は伏せさせていただきます。

 

「……そう思っても仕方ないだろ。実際贔屓されてるようなもんじゃないか」

「そ、そうだそうだ。だいたい教師にするにしても若すぎだろ。あんたらだってあんなのに教わるのが不満じゃないのかよ?」

「呆れたわね。対抗戦の内容を見てもまだ(せんせい)の力を認められないなんて……もしかして大樹の節は寝ていたのかしら」

「それこそダメなところだろ! あんな戦い方が実戦で通用するものか!」

「その実戦を数え切れないほど経験してきた人が考えた作戦よ。浅はかな了見でしか語れない貴方が口出しする資格なんてないわ」

「っ……そもそも貴族でもなければ、正式な実績もない傭兵が修道院に居座ること自体がおかしいのだ! 君達はそうは思わないのか?」

「愚問だな。先生の父親はかの【壊刃】で、それ自体が当面の身の証として十分ではないか。本人も教職に就いてから授業や課題を通じて日々実績を積み重ねている。他人の努力を認められないのは、貴族平民の別なく恥ずべき行為ではないかね?」

「ちっ……その力だってどうだかね。生徒を相手にいい気になれるくらいで英雄の遺産を使いこなせるものかよ」

「まだ言うの? ……つまり師の実力が分からないから彼の待遇に不満があるのね」

「ああそうさ。中途半端な実力しかない者に英雄の遺産を持たせたところで宝の持ち腐れ、このフォドラ全体の損失だ。物申す権利くらいあって然るべきだろう」

頑迷固陋(がんめいころう)な臣下を抱えた気分だよ……貴族としてその見識を正してやりたいが、私が口を挟んでも意味がない。先生に頼まなくてはいけないか。頭が痛くなるな」

「いいえ、これはきちんと分からせてやらないといけないことよ。彼らのような愚か者にも理解できる形で示してやらないと、今後いくらでもつけ上がるわ」

「おい、俺達のことをを馬鹿にしてるが、そっちこそあの男に肩入れしすぎじゃないか? 後でボロを出して恥をかく前に撤回した方がいいぞ」

「黙りなさい! 私達は師を本当に尊敬しているのよ。それを悪し様に言われて引き下がれるものですか!」

「ならどうする? 言っとくが、不満に思ってるのは俺達だけじゃないぜ?」

「証明する場を用意してあげるわ。貴方のような目が曇った者でも否応なしに師の力を理解できる場をね!」

「言ったな? そこらの適当なやつじゃなくてセイロス騎士団の実力者に勝てるくらいでもなければ俺は納得しねえぞ、それくらいできるんだろうな!?」

「ならセテス殿に相談して相応の人選をしてもらおうじゃない。彼なら公正な判断と采配ができるでしょうね、貴方と違って!」

「けっ、だったら今すぐ直訴しに行くかよ? 場を用意するとか言っといて逃げたりしねえだろうな!?」

「望むところよ!」

「………………ふむ、二人して行ってしまったか。彼女にしては珍しく優雅ではない姿だが、それも仕方あるまい。私とて気持ちは同じだからな。ああそれと、残っている諸君」

「な、なんだよ」

「自分の学級に戻って、担任に『午後の授業に遅れる者がいる』と伝えたまえ。それくらいは諸君にもできるだろう」

「分かったよ……」

「それと、これだけは私からも言わせてもらう。この士官学校には貴族も平民も立場の差こそないが違いはある。貴族は平民を導くためにより貴族たらんと研鑽を積み、平民は貴族の存在を身近にすることでより高みへ近付く、互いに良き影響を与えることを狙って学校という対等な仕組みの中に我々はいるのだ」

「…………」

「私は貴族として、その貴い姿勢を常に己に課している。君達が何を学びに来ているのかは知らないが、他人を悪し様に侮辱する雑談に興じるその姿勢こそが、フォドラの損失に繋がると心得たまえ」

 

 ……名前は伏せさせていただきます!

 

 

 

 

 

 

 

 そういうやり取りを経て二人の生徒が教団の執務室に押し掛けたのが昨日のこと。

 相談という名の陳情を受けたセテスが、本来の仕事でもないだろうに話を聞いて即座に場を作ろうと働きかけてくれたり、騎士団に話が及んだことで聞きつけたアロイスが面白がって団長のジェラルトにまでこの話を持ち掛けたり。

 あれよあれよという間に話は進み、騎士団の中で最高戦力の一角と言っても過言ではないカトリーヌが選ばれ、翌日の放課後にはこうしてベレトと一対一で戦う模擬戦の場が設けられたのである。

 

 セテスとしては、ベレトの人間性は修道院の生活を通して少しずつ探っていく他はないと分かっていても、せめて実力は可能な限り急いで把握したいと考えていた。生徒からの陳情という形を利用すれば、教団の公的な立場でも無理せず場を用意することができたのも都合がいい。

 まさかここまで注目を集めるとは思っていなかったが……さすがに賭け事は行われていないと信じたい。

 

 アロイスなんかは前からベレトの力に大きな期待と興味を持っており、その人望もあって騎士団に話を通す助けとなってくれた。この日は彼もちょうど手が空いていたらしく、始まりを今か今かと待ち焦がれる表情で観客側に立っている。

 ちなみにジェラルトの姿はない。朝早くに指示を出した彼は、今日は任務で修道院の外に出ている。見物に来れなくて悔しそうだったらしい。お疲れ様です。

 

 そして名指しを受けたカトリーヌだが、これは絶好の機会だと張り切っていた。

 以前からベレトの存在には懐疑的だったのだ。これといった背景もない彼がレアに目をかけられていることが気になっていた。特別扱いされていることに嫉妬していた、とも言う。

 ベレトが腕の立つ傭兵だったとは聞いている。実力があるのは分かるが、騎士団ではなく教師を任じられたのも異例なのだ。レアの判断を疑うつもりはないが、それでも「何故こいつだけ」という疑念は消えない。

 ならば監視し、特別扱いされるだけの理由を探ろうと考えていた矢先、なんと彼が天帝の剣の使い手に選ばれて、それをレアから下賜されたというではないか。

 これはいよいよ確かめねばなるまい。そう思っていたところにまさかの模擬戦の指名。二つ返事で受けて、今に至るのだ。

 

(あたしは納得したいんだ。こいつがレア様に認められるに相応しい男なのか……あたしにできるとしたらこういうやり方くらいだしね)

 

 対峙するベレトを見る。この状況に気負った雰囲気もなく、ともすれば暢気にも見える無表情で訓練用の剣を脇に挟んで伸脚している。

 

 他人の中身を推し量るなど武骨な自分にはできる気がしない。自分にできるのは剣を通じて相手の太刀筋から性根を感じ取るぐらい。ならばそれに集中しよう。同じ訓練用の剣を握り締め、カトリーヌは気合いを入れた。

 とは言え、当人はほとんど状況に流されているだけなのに、周囲の風聞に左右されたり、こちらの思惑に付き合わせていることに思うところがないわけではない。

 

「あんたも災難だね」

「そうでもない」

「あん?」

「俺にとっても利がある模擬戦だ、よろしく頼む」

 

 手首を解すようにクルクルと回しながらベレトはなんてことない風に答えた。

 

 実際ベレトにとって今回の模擬戦は渡りに船であった。

 日頃相手をするのは(悪く言うつもりはないが)彼にとって格下の生徒ばかりで、今の状態がこれ以上続くと感覚が鈍りそうだと心配になっていたのだ。

 そろそろ強い人と手合わせしたいと考えていたが、父は騎士団長の仕事で忙しいから邪魔したくなかったし、修道院で他に強い人の心当たりなどセテスくらいしか思いつかなかったが彼も彼で大司教補佐の務めなどに忙しい。

 天帝の剣などという仰々しい武器が自分にしか使えないとは言え、半ば成り行きで管理を任され、レアの信頼を裏切らないようにとセテスから面と向かって忠告を受けたからにはもっと強くならなくては、とベレトにも向上心が働いたのである。

 

 彼にしては珍しいことに、強くなることに意欲的だった。

 そう思わざるを得ない事態が前節の課題で起こったのだから。

 

 聖廟襲撃事件。

 それは青海の節に行われた女神再誕の儀に、女神の塔を中心に警備に当たっていたセイロス騎士団の目を掻い潜って、その日限定で一般開放された聖セイロスの遺骸が納められた聖廟が襲撃に遭った事件である。

 西方教会の一派によってセイロスの遺骸が奪われそうになったという、教団の全てを敵に回す不届きな出来事であった。

 

 それよりもさらに前の節に、これまた黒鷲の学級が鎮圧に協力したロナート卿の反乱で、大司教レアの暗殺について記された書簡が発見された。虚言で済ませるには無視できない内容に、セイロス騎士団は儀式の日の警備態勢をレアの護衛重視に切り替えなくてはいけなかったのだ。

 レアを守ることが最優先ではあるが、もし書簡の内容が嘘であり、修道院の他の場所が襲われれば騎士団の面目が立たない。そこで士官学校の各学級に今節の課題として修道院の見回りと警備を課したのである。

 

 ベレトが担任として受け持つ黒鷲の学級は、大聖堂を中心とした修道院の奥の方を担当。普段は封鎖されている修道院内の一部施設が再誕の儀には一般開放されると知り、わざわざこの日に計画するならいつもは入れないところが襲われやすいのでは、と考えて聖廟に目を付けていたのだ。

 そして予想は当たり、訪れた教徒に混ざって侵入した敵が聖廟で正体を現した。すぐに対応できた黒鷲の学級のおかげで一般人に被害こそ出なかったものの、修道院の奥地が敵勢力に占拠されるという異常事態に。

 騎士団に応援を頼もうとしたところ、敵側の将と思わしき人物が棺の封印を解いて遺骸を奪取すると宣言。これは救援を呼ぶ暇もないと判断して黒鷲の学級のみで鎮圧するしかなかったのである。

 

 その最中に会敵したとある人物が、ベレトの危機感を否応なしに煽ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

   * * *

 

 

 

 

 

 

 

「死神騎士よ! 奴らを蹴散らしてきてくれ! ここに近付けるな!」

 

 聖廟に陣取る西方教会。その将の声が広大な空間に響く。最奥の棺が安置された祭壇からの指示を受けたのは、広間のほぼ中央に鎮座する異形の鎧武者であった。

 死神の呼称に相応しい、なんとも禍々しい意匠の全身鎧を纏うその人物は、しかし他の敵とは違い戦意を見せておらず、それどころかその場に腰を下ろしたまま呼びかけられても動く様子もない。

 

「あれは強敵ね……避けましょう。戦わなくて済むならその方がいいわ」

 

 エーデルガルトが言う通り、時間がない状況では無視できる相手は無視してしまいたい。一刻も早く奥に辿り着かないといけないのだ。

 戦意のない姿でも一目で分かるほど他の敵とは強さの格が違う。そんな手合いが動きそうにないならわざわざ戦う必要はない。

 

 そう断じて動いていたからか、その接近に気付けたのはベレトだけだった。

 

「エーデルガルト!」

「え、きゃっ!」

 

 西方教会の手勢を退けながら祭壇に急ぐ一行だったが、先頭を走るエーデルガルトの肩を引いたベレトが前に飛び出す。

 直後、轟音を響かせて一行の前に落ちてきた一人の影。先ほど見た時とは別人のような存在感を放つ死神騎士がそこにいた。

 

「なんだよこいつ、さっきは全然動かなかったくせに!」

「参っちゃうな……無視しようとしてたのに」

「戦う、回避、できない。戦う、のみ、やります!」

 

 ぼやきながら手に魔力を集めるリンハルトの横からカスパルとペトラが飛び出し、ベレトと並ぶ。もはや戦いは避けられない。強敵が立ち塞がるなら一致団結して打ち破らなくては。

 そうやって覚悟を固める一行のことを、当の死神騎士は歯牙にもかけていない様子だった。その興味は唯一つ、

 

「貴様……強いな」

 

 指差す相手、ベレト一人だった。

 

「雑兵に興味はなし……貴様、俺と死合え!」

 

 生徒にはまるで関心を見せない敵の姿を見て、ベレトは即決を下す。

 

「指揮権をエーデルガルトに預ける。みんなは先に行け」

「そんな、師は!?」

「俺はこいつの相手をしていく」

 

 おもむろに剣を抜くベレトを見て生徒達は色めき立つ。

 強敵を相手に一人で戦う必要はない、自分達も──そう動こうとした時である。

 彼らは生まれて初めて『空気が軋む音』を聞いた。

 

 全身が重い。

 視界が、思考が、心が、削ぎ落される。

 体中の骨という骨に氷の刃を差し込まれるような怖気。

 それは戦士としてはまだ若い生徒達が初めて受けた、本物の殺気だった。

 

 ごろつきが振り撒く粗暴なだけの威嚇とは比べ物にならない。

 純然たる殺意の権化が、文字通りの死神が目の前にいた。

 舌は凍りつき、関節が固まる。唯そこに在るだけの敵が放つ殺戮の意志に、誰もが膝を屈しようとしたその時。

 

 数歩、前に出る者が一人。

 

 碧色の髪と夜闇を思わせる外套の後ろ姿が、まるで防壁のように殺気を散らす。

 生徒が敵わない障害が現れた時、身を守る盾となり、道を斬り開く剣となるべく、彼は教師として前に立つ。

 決して大柄とは言えないベレトの背中が、一同に無尽の頼もしさを感じさせた。

 

「こいつは俺が相手をする。先に行け!」

 

 振り返らずに繰り返すベレトの声を聞いて、エーデルガルトはようやく気付く。

 彼ほどの実力者であっても目を逸らせない敵を相手に、自分達は足手纏いでしかないのだと。

 

「みんな、走って!」

 

 自身はドロテアの手を取って走り出す。固まりかけていた体を無理やり動かしたせいで若干つんのめりはしたものの、すぐに持ち直して駆け出せた。

 横を通り抜けても、対峙するベレトと死神騎士は何も反応を見せない。ペトラに支えられたベルナデッタを最後に、全員が次の通路に飛び込んでも互いに睨み合って動かないまま。

 

 師、また後で──声には出さず、視線を送るだけに留めて前へ向き直る。

 指揮を託された自分がしっかりしなくてはいけない。今はみんなと一緒に祭壇を目指すことに集中しないと。

 

 そうして他の者がいなくなり、二人が残ったこの場は殺気と剣気が鎬を削る、さながら結界にも等しい二人だけの空間ができあがった。

 

「強い……分かるぞ、貴様は強い……久方ぶりに感じる力の波よ……」

 

 兜の奥で爛々と光らせているだろう瞳に狂おしい欲求を乗せて、死神騎士は恍惚と呟く。

 

「我が逸楽足り得るか……試させてもらう!」

 

 ギチリと槍を握り締め、興奮気味の死神騎士が発した声が始まりの合図となった。

 

 先に動いたのはベレト。

 対峙した距離を、無音の踏み込みで一歩で詰め、鎧の隙間から脇の下を突く。

 初手から必殺を狙う剣は、死神の籠手で軽く払われた。目測を外された剣が鎧を掠め、ダメージがないまま攻守交替。

 死神騎士は逆の手に持つ槍を振るう。前方の空間を丸ごと薙ぎ払う一撃は片手とは思えない高速でベレトに迫る。

 剣で突いた勢いを殺さずベレトは相手の全身鎧を駆け上がり、軽やかな宙返りで回避に成功。

 互いに無傷のまま、最初の衝突は終わった。

 

 この一合でベレトは己の不利を理解した。

 まず、防御力に大きな差がある。全身鎧の敵に対して、要所を守るだけの軽鎧の自分。それでいて相手は防御を鎧任せにせず、自分の攻撃を丁寧に捌く技量を見せた。

 ならば重装の代償となる素早さはどうかと言うと、これも有利とは言えずほぼ拮抗。そもそも腰を下ろしていた位置からここに来るまで壁や柱を足場にして跳んできた身のこなしからして、鎧が身軽さを損なっていないことは明白。

 では肝心の攻撃力はどうか。間違いなくこちらが劣る。剣と槍のリーチの差は自分次第でいくらでも埋められるが、武器そのものの格はどうにもならない。あの鎌状の刃が付いた槍は恐らく名槍と呼ぶに相応しい一品。対してこちらは標準的な鉄の剣。

 

 導き出された結論は逃走一択。

 命を左右するその結論を、ベレトは寸分の躊躇いなく切り捨てた。

 

(そういうわけにもいかないんだ)

 

 もはや自分の命だけを気にしていればよかった傭兵ではないのだ。

 ベレトと戦うためなら、こいつは必ず生徒の命を脅かすだろう。生徒ではこいつに敵わない。抵抗も空しく殺されてしまう。

 

 だめだ、そんなことはさせない!

 守らなくてはいけない人がいる。

 守りたい人がいる。

 そのためには今ここで自分が戦って勝たなくてはいけないのだ!

 

 かつてない昂揚と決意が漲っていくのが分かる。他人の存在が力を与えてくれるのは不思議な感覚だった。昔の自分では考えられない気持ちだ。

 それと同時に、悪魔とも怖れられた時代の冷静さは維持する。熱さと冷たさを練り合わせて心を形作れ。敵に勝利し、自身は生き残る。か細い糸を手繰り寄せて描く勝利への道を見出せ。

 

 また後で──あの視線を思い出す。

 生徒を、彼女を悲しませることだけは、絶対に嫌だった。

 

「ほう……」

 

 ベレトの雰囲気が変わったのを感じ、死神騎士は感服の吐息を漏らす。

 

 聖廟に乱入してきた一行の中で、一目見た時から強いと感じていた。年の頃は他の若者と同じようだが、見る者が見れば分かる、ザコを蹴散らす道中の戦いぶりとその最中の細かい所作に表れる技の完成度。

 近付いて対峙してみれば、己の殺気を相殺してみせる剣気を放ち、邪魔者を先に行かせるという気の回しようも素晴らしい。

 そしてここに来てさらに戦意が上乗せされ、制御された感情を束ねて見事に自身の力へと昇華してみせた。

 

 この男は逸楽足り得る。

 

「良い……嗚呼、実に良いぞ……認めよう、貴様の強さ……」

「……」

 

 恍惚の声で語る死神騎士だが、会話に付き合う気はないベレトは戦意を凝縮した目を向けて低く構えるだけだった。

 

「さあ、逸楽よ……俺を楽しませろ!」

 

 歓喜と狂気に彩られた声を皮切りに激闘が始まった。

 

 ベレトが一呼吸の間に十に迫る連撃を見舞うと、死神騎士はそれを全て防いだ直後に渾身の突きを繰り出す。

 小回りだけは勝るベレトが懐に潜り込んでかわすと、床ごと砕かんと死神騎士の拳が打ち下ろされる。

 身を投げ出して軽業師のように股下を滑り抜けたベレトが背中を狙うも、振り返るより先に死神騎士が槍の石突で逆に狙う。

 防いだ石突に押されて吹き飛ぶベレトを追い、死神騎士が今度こそ振り返りその勢いで槍を振ろうと構える。

 空中でクルリと体勢を整えて壁に着地したベレトが強烈な跳躍で迫り、死神騎士の槍を掻い潜ってその鎧に擦過痕を刻む。

 

 そこから先も一進一退。両者の力はたしかに拮抗していた。

 ただし、一撃でもまともにもらえば終わりのベレトに対して、死神騎士は鎧の防御力というアドバンテージがあり、有利不利は明らかだった。

 

 変化は唐突に訪れた。

 振り下ろされたベレトの剣が死神騎士の兜に当たり、甲高い音を立ててあっさり折れてしまったのだ。

 所詮はただの鉄の剣。激闘に耐えられる質がなかっただけのこと。半ばから折れた剣の片割れがクルクルと宙を舞う。

 

 無論、武器が壊れたからといって温情をかける死神騎士ではない。

 

「死ね!」

 

 終わりの一撃を見舞うべく鋭く槍を突き下ろすが、それよりもさらに速くベレトは動いた。

 その場で高く跳躍して槍を回避、宙返りのように身を捻って、その足がまだ宙にある折れた剣先に追いつく。それに爪先を添えると、死神騎士に向けて一気に蹴り抜いた。

 折れた剣という本来なら無視される要素が、まさかの凶弾となって落ちてくる。槍を突き下ろした姿勢が動くよりも速く、死神騎士の首元、兜と鎧の隙間に銀閃となって飛び込んだ。

 

 決まった──そう思ったとしても責められまい。激しい戦闘の微かな合間、危機を好機へと変える正確無比な絶技をやり遂げたベレトは称賛されるべきだろう。

 惜しむらくは武器の耐久度。折れる前から酷使された刃は、その切れ味の大半が失われてしまっていたのだ。

 

 刃が食い込むも致命傷には程遠い剣先に頓着するより、死神騎士は片手を伸ばして宙にいるベレトの胸ぐらを掴む。そのまま片手だけで大きく振り回し、叩き潰す勢いで床に押し込んだ。

 轟音が鳴り響く。聖廟全体を揺らさんばかりの衝撃に床石は砕け、土埃が舞う。

 脳天から落とされたベレトもただでは済むまいが、確実に今度こそ槍で止めを──

 

 構えようとした死神騎士は土埃の切れ間から見えた姿に気付く。ベレトの眼光が、些かも衰えていない戦意がこちらに向けられている。

 遅れて気付く。彼の頭部を守るように側頭を挟む両の拳。叩き付けられる寸前、先に拳で床を殴ることで脳天だけは守ったのだ。

 

 死神の驚愕と僅かな硬直を見逃さず、逆さまになったままベレトは素早く動く。敵の前足を両手で抱え込み、逆に両足は相手の頭部を挟んだ。全身の筋肉を連動させて相手ごと上下を入れ替えんと振り回す。

 立場が逆となって繰り返され、今度は死神騎士が頭から床に叩き付けられた。

 再び轟音。先ほどと同程度の衝撃に、またも聖廟が揺れる。爆発したような土埃が舞い上がり、戦いの場を満たした。

 

 先に土埃から飛び出したのはベレトだった。大きく距離を取ると、頭を何度か振って立ち直る。タフな彼もさすがにダメージが大きかった。脳天は守ったとは言え、気を抜けばクラクラしそうだ。

 次いで埃を切り裂いて、槍を振り切った死神騎士が姿を現す。鎧から血が滴るのが見えるが、動きを損なうほどの傷ではなさそうだった。叩き付けた時に剣先がもっと深く刺さればと思ったが、相手も上手く受け身を取ったのだろう。

 

 死神騎士は首元を探り、刺さった剣先を引き抜くと興味深そうに眺める。これまでの攻防で刃は擦り減り、壊れた武器の末路らしくみすぼらしい有様。だがこんな鉄の切れ端みたいなものが後少しで己を殺すところだったのだ。

 そして、それを為しかけたのが目の前の男。

 

「クククっ……フハハハハハ! 楽しい、楽しいぞ逸楽よ! 戦いとはやはりこうでなくてはいかんな……!」

 

 心底楽しそうな死神騎士を見て、ベレトは若干うんざりしていた。こっちは好きでやってるんじゃないという思いが生まれるが、口にしたところで無駄だろう。

 近くに落ちていた刃折れの剣を拾って構える。こんなものでも無いよりマシだ。後は格闘術で補いつつ何とかするしかない。状況は一層不利になったがやることは変わらないのだ。

 

 この期に及んで萎える気配のない戦意に、死神騎士は沸き立つ。まだまだ楽しませてくれそうだと槍を握り、構えようとした時である。

 複数人の足音が聞こえ、場に乱入する者が現れた。

 

「ここか! 応援に来たぞ!」

 

 西方教会の勢力だろう教団兵が三人飛び込んできたのだ。

 功に逸ったのか、純粋に援護に来たのか、いずれにせよ空気が読めないにもほどがある行動だったことは間違いなく。

 二人の結界に足を踏み入れた闖入者が暴威に飲まれるのは必然だった。

 

 ベレトと死神騎士は、完全に同時に動いた。

 死神騎士が槍を一振りするだけで二人まとめて撫で斬りに、残った一人をベレトが腹を殴って下げさせた顎を膝蹴りでかち上げて、三人共瞬殺に追い込んだ。

 時間にすれば二秒にも満たない出来事である。

 

 しかし、たったそれだけのことでも無粋な横槍を入れられたことには変わりない。

 

「……興が削がれた」

 

 それまで満たしていた殺気を収めた死神騎士が呟く。

 ノリノリで楽しんでいたところに冷や水をかけられたようなものなのか、あれだけ張り詰めていた雰囲気がいつの間にか消えていた。

 それでも兜の奥の目だけは変わらず爛々と光りベレトを見据えている。

 

「この場は見逃そう……逸楽よ、己に相応しき武器を求めよ……次は、殺す」

 

 そう言い残し、死神騎士は背を向けた。

 本当に見逃すのかと警戒を解かないベレトを余所に、来た時と同じように大きく跳躍してその場を去っていった。

 埃臭い場に残されたのはベレトと、横たわる三人の教団兵。

 

「……………………はぁ、しんどい」

 

 長い緊張をようやく解いてベレトは一息吐いた。

 

 久しぶりの強敵だった。一歩間違えば殺されるレベルの死闘は、経験がないわけではないのだが、何度やっても慣れる気がしない。

 このレベルの戦いに巻き込むには生徒達の実力ではまだまだ心細い。自分が相手をしなくてはと考えられたのは、少しは教師らしくなれたということだろうか。

 

 さて、と気持ちを改める。

 先に進んだ生徒達に追いつかなくてはいけない。ここからでも戦いの音が微かに聞こえるので、まだ棺には辿り着いていないのだろう。死神騎士との戦闘はそこまで時間が経っていなかったのか。えらく濃密な時間を過ごした気分だった。

 

 倒れた教団兵を見やる。死体に思うところがあるわけではない。何か使えそうな武器があれば拝借しようと確認しただけなのだが、魔法兵だったのか、三人共得物がなかった。残念。

 仕方ないので先に進もう。軽く体を動かしてダメージを確かめる。戦闘行動は問題なし。ちょっと頭が濡れてる気もするけど、どうせ少し切って血が出ただけだ。平気平気。

 

「よし……急ごう」

 

 数歩の踏み出しで今出せる最高速へ達する。聖廟の奥へ、生徒達の下へ急げ。

 エーデルガルトは無事だろうか。

 生徒の誰かが傷付いていないだろうか。

 別の強敵が現れたりしてないだろうか。

 

 そういえば。ふと疑問が浮かぶ。

 

(イツラクって何のことだ?)

 

 死神騎士がしきりに口にしていた言葉。自分に向けられた呼びかけなのは分かるのだが、はてどういう意味なのか。帰ったら調べてみよう。

 頭の中では暢気なことを考えながら、体は戦士の本能に従い、聖廟を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

   * * *

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりに命のやり取りを経験して、ベレトは身が引き締まる思いだった。

 あのまま戦っていれば死んでいたかもしれない。相手が引いてくれたのはただ運がよかっただけだ。

 

 奥の手とも言うべき天刻の拍動は、あくまで多少の時間を戻すだけの能力であり、戦力の差を覆すようなものではない。

 内心に住まう少女ソティスに相談してみれば、時間を戻したところで状況が同じであれば辿る結末も同じになるとのこと。あの戦いを繰り返したとしても、剣は折れ、結局はジリ貧になっていただろう。

 

 幸運なのは、戦闘狂らしい死神騎士の興味がベレト一人に向けられていることか。

 逸楽という言葉を調べたら、気ままに遊び楽しむことらしい。恐らくあの死神から見て自分は遊ぶ対象、好敵手みたいなものとして認識されたのだろう。

 

 あの暴威が生徒に向かわないのであれば、ある意味安心して己を高められる。

 天帝の剣という、おあつらえ向きに強力な武器が手元にやってきたのだ。経緯はどうあれ、せっかく手に入れた強そうな力をきちんと使いこなして、次は運頼みではなく確実にこの手で生徒を守れる力を身に付けたい。

 そして今、相手になってくれるのは同じく英雄の遺産の担い手であるカトリーヌ、謂わば自分にとって先輩にあたる人物、願ってもない人選である。

 そういった事情もあって、ベレトはこの手合わせに乗り気だったのだ。

 

 流石にそういう事情までカトリーヌは理解できていないのだが、ベレトの態度を見てとりあえずやる気があるのは分かった。相変わらず無表情だけど。

 

 二人が訓練所に来て、観客を分け入って、中央の開いたスペースで向かい合ってからそれなりに時間が経っていた。示し合わせたように距離を保ち、遠巻きに睨み合いながらスペースの外周に沿ってゆっくりと円を描いて動き続けている。

 

「始めの合図は?」

「必要ない」

「だろうね」

 

 交わした言葉は少なくとも、それだけで互いには十分だった。

 

(さっきから見られてる……出足の観察かい? 目敏い奴だね)

 

 気の抜けた風を装いながらも常に視界の中央に相手を置いている。外套に隠れて分かりにくいが肘と膝は僅かに曲げて、だらりと下げた剣を握る手は小指と薬指のみ力が入り、肩は抵抗にならない程度にうっすらと緊張が漂う。

 傭兵として生きてきた彼に騎士らしい構えはない。自然体がそのまま戦闘態勢になる、そんな生活に密着した戦い方がベレトのスタイルなのだろう。

 

 訓練所に足を踏み入れ、視界に姿を収めた瞬間から続く警戒にカトリーヌは感心していた。無理をしているようには見えない。準備運動をしながらも何気なく、自然体で戦意を維持する彼の姿はまさに常在戦場の体現。

 思えば彼の父親のジェラルトと顔を合わせた時も同じ印象を受けた。子供の頃から彼の薫陶を受けてきたのなら、この佇まいにも納得である。

 騎士団の若いやつらに見習ってほしいくらいだ。

 

 とは言え、ずっと睨み合っていたところで仕方ない。手合わせをしに来たのに先ほどから互いに視線で牽制し合うばかりで、ゆっくり動きながら訓練所の中央部を一周しそうだ。

 いつの間にか観客達も静かになっている。気が付かない内に二人が発する闘気に当てられたのか、固唾を呑んで見入っていた。

 

(このままじゃ埒が明かないね……こっちからちょっかいかけてみるか)

 

 カトリーヌがそう考え、踏み出すために少し多めに息を吸った、その時である。

 彼女の呼吸の変化と、重心の前傾を見抜いたベレトが先に飛び出した。

 行こうとした瞬間を狙って意識を被せ、先の先を取るベレトが先手。

 

「っと!?」

 

 開いていた間合いを一息に詰めたベレトに面食らうも反射的に剣を振る。中途半端な振りでも鋭さはあり、並の相手であれば十分反撃として通用しただろう。

 しかしベレトは並ではない。一気に体を沈めることで回避し、沈めた体を起こす反動でさらに突進。剣は後ろ手に控えたまま体当たりを仕掛けた。

 

 押されてカトリーヌの体が揺らぐ。バランスを崩されて死に体にされたところに、今度こそ本命の剣が振り下ろされて──間一髪で回避に成功。無理やり伸ばした片足で床を蹴り、体を動かせた。

 

 そこから片手で側転して剣を構え直そうとするが、それを待たずしてベレトが追撃を仕掛ける。

 三度、見せびらかすような斬撃から、防いだカトリーヌの前足に足払いをかけた。

 たたらを踏むカトリーヌに向けて、今度は力を込めた本命の斬り上げ。剣を挟んだものの受け止め切れず両者の距離が開く。

 

 ベレトの続け様の攻勢に観客は沸く。このまま彼が押し切って一気に終わらせるのか。そんな予感が過ぎる人もいるが、カトリーヌとて然る者、伊達に騎士団の雄として名を馳せていない。

 

「っだらあ!」

 

 大振りの横薙ぎ。間合いの外で踏み込みもせず空振りに終わるという、反撃とも言えないその攻撃は、ベレトに傾き始めた戦いの流れを一撃で断つ効果があった。

 風圧を伴いそうな強引な剣に、ベレトは思わず踏み込みを止める。

 

 ベレトの前進を唯一度の空振りで止めたカトリーヌは、紛れもない強者なのだ。

 

「悪いね、どうもあたしは腑抜けてたみたいだ」

 

 止まったベレトの前で、剣を肩に担ぐ。

 

 模擬戦の内容はレアの耳にも入るだろうに、とんだ失態である。情けない。対峙したからには戦うというのに何を気の抜けた心境でいるのか。

 違うだろう。相手を見極めるとか考える前に、剣を手に訓練所に来て実力者と向かい合っているなら、相応の心構えというものがあるではないか。騎士として、戦士として、戦いに臨む志を忘れてどうする。

 何が、若いやつらに見習ってほしい、だ。自分がまず目の前の彼を見習わなくてはいけないではないか。

 

 ふぅ、と一息吐いて心機一転。

 

「つーわけで……こっからは本気だよ」

 

 カトリーヌの雰囲気が変わったのを察し、ベレトも剣を構え直す。二人の間に漂う緊張がさらに高まった。

 

 そこから先は攻め手が逆転、カトリーヌが一気呵成に斬りかかる流れとなった。

 強烈な踏み込みによる一撃も、追い立てながら迫る連撃も、隙あらば必殺を狙う剣が次々に振るわれる。

 慢心や油断を捨てたカトリーヌは、彼女自体が一つの暴威であった。異名の如く、激しく、速く、一方的に落ちる雷のような蹂躙の剣がベレトに襲いかかった。

 

 堪らずベレトは防御へと切り替える。

 攻撃の一つ一つが重い。受け方を間違えれば剣ごと体を弾き飛ばされそうだ。剣と槍の違いはあれど、一撃の重さはあの死神騎士に匹敵するかもしれない。

 

 どちらかと言えばスピード重視で泥臭い戦い方をするベレトとは違い、カトリーヌの剣はパワー重視、それも一流の騎士の剣である。

 

 カトリーヌの戦う姿は知っていた。二節前の反乱鎮圧の際に目にした彼女の姿は、手にした雷霆の力もあって周囲の騎士団兵とは一線を画す強さだったが、あの時は少しも本気を出していなかったのだと理解する。

 今自分と戦っている彼女が英雄の遺産を振るえば──たった一つの武器が、たった一人の存在が戦局を左右するという話も、あながち誇張でもないと思えた。

 

 そんな彼女が今こうして自分との模擬戦で本気になってくれている。光栄と感謝、そして負けてたまるかという青臭い負けん気が沸いてくるのを感じた。

 

 聖廟での戦いを思い出せ。あの感覚をもう一度。

 熱さと冷たさを練り上げた心。それを力へ結びつける流れ。

 守るために戦え。

 守るために強くなれ。

 

(こうやって剣を合わせていけばきっと掴めるものがある、そのためにも……!)

 

「せいやぁ!!」

 

 普段のベレトを思えば珍しい気合いを発し、反撃を繰り出す。攻撃の合間を狙ったつもりだったが、しっかり反応されて防がれてしまった。

 

 今までと同じでは足りない。

 安物の鉄の剣とは違う、天帝の剣や雷霆という最高位の武器に見合う剣の振り方がある。それを知るための模擬戦ではないか。

 よく見ろ。少しでも盗め。必ず己の糧にしてみせる。

 

 目の前にいる最高のお手本から学ぶべく、ベレトは剣を握り直し斬りかかった。

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、とんでもない戦いだな。金積んだって見れるものじゃないぞこれ」

「ああ、この目で拝めることを運命に感謝したいくらいだ」

 

 観客の中でも最前列、気を利かせてもらい場所を優遇してもらえたことをありがたく思いつつ、激闘を特等席で眺める三人の級長の姿があった。

 

 ベレトが黒鷲の学級の担任になってからは身近に接するのはエーデルガルトだけになってしまい、ディミトリもクロードも歯がゆく思っていた。

 彼も学級の垣根を越えて質問に答えたり、相談に応じたり、訓練に付き合ってくれたりはするが、親密さではエーデルガルトに大きく後れを取っているのが現状。

 これまでにないほど生き生きとした表情で学校生活を送る彼女の様子は、そのまま見守りたいくらい微笑ましくはあるのだが、やはり自分ももっと仲良くなりたいという気持ちもある。

 ゆくゆくは彼を自国・自領へ……そんなことを考えるくらいにベレトを高く評価し、気に入っている。なればこそ、もっと彼のことを知りたいと思うのは当然で。

 

 そして今、その実力の一端を見ることができた。

 かの【雷霆】のカトリーヌと互角に渡り合う姿は、これが実戦ではなく模擬戦であることを忘れそうになるほど衝撃的な光景だった。

 

「なあ、あれ見てどう思うよ?」

「……力は俺の方が上だ」

「……言ってて空しくないか?」

「分かってる。ただの負け惜しみだ」

 

 クロードの問いに対して絞り出したのは微かなプライドの欠片、ディミトリなりの意地でしかないことは本人が誰よりも理解している。

 

「細かい理屈はさて置き、圧倒的に速い。単純な体の動作はもちろん、判断の速さとか……相手の動きへの対応が恐ろしく上手いな」

「そうだな。対抗戦の時はあの人の作戦にあっさり飲み込まれて、その後の動きも読まれちまったし……戦いながら何手先を読んでるのかねえ」

「これは予想だが、もし俺が戦ったら、俺が一回動く間に先生なら二回は動くだろう。いや、下手をすれば三回か……」

「戦いは数ってね。手数の多さはそのまま実力の差、俺らとは倍以上の開きがあるってことか」

 

 カトリーヌとの手合わせはこれが初めてと聞いた。未知の敵を相手にするのが茶飯事の傭兵らしく、ベレトは身を守る術に優れているのだろう。あれほど斬り結んでおきながら掠りもしないのは逆に異様とすら表せる防御力である。

 そういう意味ではカトリーヌも同じようにここまで傷一つないのだが、攻守の割合で言うと明らかに攻め側がカトリーヌに偏っており、相対的にベレトの防御力が際立って見えた。

 

 とは言え、カトリーヌの猛攻を捌き続けるベレトも、そのベレトを猛然と攻め立てるカトリーヌも、未だ生徒の範疇を出ない身からすれば手が届かない達人であり、その技量にはまだまだ理解が追いつかない圧倒的強者である。

 あの次元で戦う二人の目にはどんな世界が見えているのだろうか。

 

「すごいよなあの人、エーデルガルトが羨ましいぜ。なあ?」

「…………」

「エーデルガルト?」

 

 声をかけたつもりだが、エーデルガルトからの反応がない。横を向くと見えるのは彼女の真剣な横顔。

 二人の会話を気にするでもなく、胸元で手拭いを握りしめ、ひたすら師と騎士の手合わせを見守るその内心は激闘への感嘆か、勝利を願う応援か。

 

 瞬きさえ惜しいと夢中で見入る姿を見て、クロードもディミトリも反省する。

 そうだ、今は雑談に興じる時ではない。

 

 幾らも見る機会のない戦いを。

 例えそれが高度過ぎて手が届かないとしても。

 それでもこの目に焼き付けろ。

 遥か遠い背中にいつか追いつくために。

 今はただそれだけを考えて。

 

 

 

 

 

 

 

 戦いはさらに加速していく。

 

「はああああ!!!」

 

 唐竹割りから始まり、横薙ぎ、逆袈裟、相手の防御諸共敵を薙ぎ払わんとする剛剣で攻め立てるカトリーヌ。

 気勢を露わに攻める彼女に押されてベレトの足が下がっていく。

 しかし、当たらない。全ての斬撃が紙一重。

 

 斬り結ぶ二人が観客に近付いていき、迫力に焦った何人かが小さく悲鳴を上げた。

 すると図ったように攻守が入れ替わる。

 

 刺突、斬撃からの拳打、蹴撃、全身を武器として用いる傭兵らしい型破りな戦法で敵を打ち破らんとするベレト。

 鏡写しのように今度はカトリーヌが押されて下がっていく。

 しかし、当たらない。悉くが皮スレスレ。

 

 先ほどからこのようなやり取りが何度も繰り返されていた。訓練所に開けられた中央の空間をどうせなら端まで余すこと使ってやろう、とでも言うかのように、あちらへ寄ってはこちらへ寄って、向こうへ押し込んだと思えば反対へ踏み込み、打ち合わせたみたいに動き回る。

 

 完全に実力が拮抗していた。

 斬っては捌き、打っては避ける。

 まるで息を合わせたランデブーのように、限界などないように加速していく。

 歌劇では決してお目にかかれない実力伯仲の名勝負に、観客の盛り上がりは高まる一方だった。

 

 そうして戦いながら、カトリーヌもまた止めどない昂揚の中にいた。

 

 もはやベレトの実力を疑う余地はない。ここで目の当たりにした多くの人が、方々で語り、噂となっていくに違いない。

 士官学校の教師に強者がいると。セイロス騎士団の雄にも劣らぬ実力者だと。

 

 何より素晴らしいのは、彼の戦う姿勢が防御を重視したものだからだ。

 命あっての物種の傭兵らしく、己の身を守る術をジェラルトから叩き込まれたのだろうと予想はできる。もちろんそうやって自分を守り、生き抜くことは大切だ。

 だがそれ以上に彼の剣から伝わってくるのは、この手で大切な人を守ってみせるという信念にも似た情熱である。

 そんな彼の守りたい人と言えば、生徒達のことに他ならない。

 

(嬉しいじゃないか! 立場は違っても、あんたもあたしと同じなんだ!)

 

 生徒を守る。それはすなわち、フォドラの未来を守ることでもあるのだ。

 涼しい顔をしている彼がそんな熱いものを感じられる剣の使い手だということが、カトリーヌは嬉しくて仕方なかった。

 

 結果的にではあるが、こうして剣を通じてベレトの気質を確かめることができた。

 騎士の自分と同じく、守るために剣を取る者だと。

 

 ならば、今度はこの模擬戦を終わらせないと──

 

「なぁ!」

「くっ!」

 

 訓練所の中央で足を止めて斬りかかるとベレトも応じて剣を合わせる。この戦いで初めての鍔迫り合い。剣の角度を細かく変えて有利な立ち位置を探る攻防は、ただの力比べではない玄妙なやり取りで鎬を削る。

 純粋なパワーではカトリーヌに分があるのか、徐々にだがベレトが押し込まれていく。呑まれてたまるかと一層気合いを入れて押し返すベレト。さらに押し込むカトリーヌ。

 先ほどまでの動き回る戦闘とはまた違う迫力のある二人の姿に、観客は息を飲んで見守っていたところ。

 

 ──ふ、と。

 

 それまでの勢いが嘘であったかのように、カトリーヌは己の気を収めてみせた。

 押せ押せに攻めていた姿勢から打って変わっての脱力。体の力を一瞬にして百から零に、満ちた気を内側に収束させるのはまさに達人の御業。

 無論、これは戦意を捨てたのではなく、全くの逆。次に繋げるための一手。

 

 てっきり攻勢が来ると構えていたベレトは拍子を外されてしまい、力を行き場を狂わされた剣が揺らいでしまう。その揺らぎをカトリーヌは見逃さなかった。

 

「破ぁっ!!!」

 

 収めた気を再び表へ。凝縮されてからの放出は、それまでとは比較にならない勢いでベレトを威圧する。

 零にした力を一瞬で百へ。急すぎる力の変化について来れず、ベレトの揺らいだ手元から剣のみが弾き落された。

 

 密着状態から気勢の急変だけで行う武装解除の妙技。完全な無防備となったベレトへ止めの一撃を見舞うべく振り被る。

 だが、無防備になったと思ったのはカトリーヌだけだった。

 

 素手になってむしろ身軽になったベレトは、剣が振り下ろされるよりさらに速く両手を伸ばす。

 まさかそこから前に出てくるとは思わず、硬直してしまったカトリーヌの眼前で、ベレトは両の掌を強く叩いた。

 それは、我々の認識で分かりやすく表すなら、猫騙しと呼ばれる技法。

 柏手の音と同時に、僅かな空白がカトリーヌの意識を占める。

 その小さな間があれば十分だった。

 

 落とされた剣の柄頭をベレトは強く踏みつける。柄の長さと鍔との段差により梃子の原理が働き、刀身が宙に浮く。浮いて生まれた隙間に足を差し込んで蹴り上げたところでカトリーヌの意識が戻った。

 

「ぬおぁ!?」

 

 突如顔面に迫る剣に驚き、大きく体を仰け反らせて際どく回避する。仕留める態勢に入っていたところを、一瞬で形勢逆転された困惑にも止まらず動けたのは流石。

 しかし大きく崩れた体はベレトの次の動きに対応できなかった。

 

 仰け反った体はそれ以上は下がれないと見たベレトは大きく踏み込むと、対応が遅れた焦りに顔を歪ませたカトリーヌの顔面を殴りつけた。

 この模擬戦で初のクリーンヒットに観客が大きく沸く。

 

 ベレトの動きは止まらない。殴った拳とは逆の手で宙に浮いた剣を掴む。逆手に構えた剣を振り上げ、今度はこちらから止めの一撃を見舞うべく追撃をかける。

 だがベレトの反撃はそこまで。カトリーヌもやられっぱなしではいられない。

 

「舐めん、なぁ!」

 

 崩れた体勢のまま片足で無理やり踏みしめると、逆足でベレトの腹を蹴飛ばした。腹部に減り込むブーツの堅さに、息を詰まらされたベレトが大きく吹き飛ばされる。

 

 互いの決めの一手は届かず、一撃ずつの応酬で終わり、距離が開く。

 ダメージらしいダメージは見えず、二人は再び剣を構えて対峙した。

 

 凄まじい勝負に、周りの観客の方が息が詰まりそうだった。二人の距離が開いたことでようやく生まれた模擬戦の切れ間に、呼吸を思い出したように何人も息を吐いている。

 始まってから何分経った? 後どれくらい続く? どちらが勝つかより、別のことが気になってきてしまう。

 

 前評判に従えばカトリーヌの圧勝になるはずだった。当たり前だが実績が違う。英雄の遺産を担うに相応しい力でベレトを下す、そんな予想をしていた者が半分近く。

 では残り半分は? 日々ベレトの姿を傍で見ていた黒鷲の学級を中心に、彼の力を信じる生徒達は、先生ならそんな下馬評を覆してくれると応援していた。

 そして実際に二人の戦いを見て、拮抗する実力を見て、誰もが驚かされた。

 まさかここまでとは、と。

 

 ここ最近……否、数年どころか数十年、士官学校、フォドラの永い歴史を顧みても、ここまで実力が釣り合う好勝負がどれほどあっただろうか。

 終わってほしくない。

 もっと見ていたい。

 そんな風に思ってしまうのも無理ないかもしれない。

 

 しかし模擬戦とは言え勝負は勝負。何らかの形で終わりはやってくるもの。

 今だって睨み合う二人の間に緊張が満ちている。膨れ上がる剣気に押されて、観客の方が慄いてしまいそうだ。

 

 さあ、ここからどうなる?

 勝つのはやはりカトリーヌか。

 それともベレトが勝つか。

 

 緊張が限界まで高まり──

 

「ここまでにしようか」

「そうしよう」

 

 ──あっさりと霧散してしまった。

 

 えええええええそこで終わるのおおおおお???

 勝敗は? 騎士団の面子はどうなる? 先生の力の証明はどうするの?

 

 困惑する衆目の中心で、それまでの緊張感がまるでなかったように剣気を静め、談笑するベレトとカトリーヌがいた。

 

「いやー、強いねあんた。正直ここまでとは思ってなかった」

「カトリーヌも強かった。こんなに凄い人がいたなんて驚いたよ」

「ははっ、そう言ってくれると嬉しいね……よし、これを機にあんたのことはベレトって呼び捨てにさせてもらうよ。レア様の客分みたいなものだと思ってたけど、いいだろ?」

「構わない。これからよろしく頼む」

「おうよ、よろしくな。それはそうと、ベレトを鍛えたのってジェラルトさんなんだろ?」

「ああ、ほとんど父さんから教わった」

「だよなぁ……やっぱりあの人も強いんだよな?」

「もちろん。俺は一度も勝ててない」

「そりゃまた、大したもんだ。あたしもいつか【壊刃】とお手合わせ願いたいね」

「もしそうなった時は、あまり奇をてらわず正面から行くといい。父さんは変化への対応が物凄く上手いんだ」

「あんたがそう言うならそうなんだろうな。けど格上相手に虚実も無しに挑めと?」

「カトリーヌの剣はほぼ完成されている。下手に変化を加えるより、今のスタイルを崩さない方が無理なく戦えると思う。強いて言うなら、もっと遠くから飛び込めるように間合いを伸ばす技とか覚えたり、他には追撃のための追い足を鍛えたりして……何かおかしいこと言ったか?」

「いやいや、傭兵だったあんたがすっかり先生の顔になってるからよ。ベレトにかかれば、あたしでも生徒みたいに教える相手になっちまうんだなって思ってさ」

「すまない、気を悪くしたか」

「そんなことないよ。あんたほどの人に指導してもらえるなんてありがたい。あたしはそこまで頭固くないさ」

 

 朗らかに話す二人は気心の知れた友人のようだった。

 話に花を咲かせる二人に注目が集まっていることに気付いたのはカトリーヌ。観客を見渡して明るい笑顔で言う。

 

「なんだよ、みんなして。これは模擬戦だぜ? お互いに得るものがあればそれで十分なのさ」

 

 言われて、納得。

 そもそも命のやり取りをする場ではない。本人達が満足できているならそれでいいではないか。

 しばし遅れて、訓練所が歓声に満たされた。

 

 この模擬戦に至るまでの原因や背景を知っていたカトリーヌがああやって言うことで、ベレトに向けられていた不満は大方解消されただろう。これ以上は個人の感情次第になるからどうしようもないが、彼を取り巻く状況は大分改善されたはずだ。

 

 雪崩を打って押し寄せる人達が口々に称賛を伝えてくる。真っ先に駆け寄ってくる生徒達に気付いて行きたそうにするベレトを察し、カトリーヌはその背を押した。

 行ってやんなよ、そう言う彼女に頷きを返してベレトは少しだけ口元を綻ばせる。

 

「今日はありがとう、カトリーヌ」

「またやろうぜ、ベレト」

 

 はしゃぐ生徒達に囲まれる彼の背を見送り、自分も同僚の騎士達に囲まれて称賛を受けながら、模擬戦の内容に思いを馳せた。

 

 カトリーヌには分かっていた。ベレトも恐らく察しただろう。

 ──これ以上続ければどちらかが死ぬ。

 高すぎる実力が拮抗する時、僅かでも均衡が傾いてしまえば、その決着は命に届きかねない。戦いにおけるその現実を二人はよく理解していた。

 

 彼の気質は分かった。上達に役立つものも得られた。模擬戦として考えればこの上ない収穫だ。

 だからこれで十分。

 

 それでも、と思ってしまうのは止められない。

 ……もし、あの先に続いていたら、勝つのはどちらだった?

 同じ志を持つ者としてそんなことがあってほしくないと願いながらも、何か一つでも違えてしまえばそうなってしまうかもしれない。そんな未来への予感が小さく胸に宿るのをカトリーヌは感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

「すっげーよ先生! とにかくすげーって!」

 

 興奮のあまり同じ言葉を繰り返すしかないカスパルを筆頭に、生徒達は口々に誉めそやす。

 称賛の他、単純にベレトの強さに興奮する声もあれば、彼の教えを受けられる幸運に感謝する者もいるし、自分達と左程歳が変わらないであろうベレトがあのカトリーヌと渡り合うほど強いならいずれは自分も……という強さへの意気込みを新たにする生徒もいる。

 

 当のベレトはと言うと、こんなにもたくさんの誉め言葉に囲まれるなど初めてのことで、嬉しいよりも困ってしまい、無表情ながらどこか戸惑っているようだった。

 そんな彼に声をかけたのは、人の波をかき分けて進み出たエーデルガルト。

 

「師、お疲れ様」

「エーデルガルト」

「これを使って」

「ああ、助かる」

 

 自然と差し出されたのは、修道院の支給品である手拭い。訓練をする騎士や生徒が汗を拭くのによく使われるものだ。

 

 それを見た者は感想を一つにする。

 あ、そのために持ってきてたんだ、それ。

 ……無論、誰も口には出さない。

 

 模擬戦を終えたばかりのベレトは、彼にしては珍しく息を荒げており、額だけでなく首まで汗が垂れている。対抗戦の時はあれだけ涼しい顔をしていたというのに。

 やはりカトリーヌのような強者との戦いは彼も体力と神経を消耗したのだろう。受け取った手拭いで顔から首を拭うベレトは気持ちよさそうだ。

 

「さすがの貴方も疲れたみたいね」

「ああ。騎士団にこんなに強い人がいたなんて知らなかった。俺もまだまだだな」

「でもこれで師の強さは知れ渡ったでしょうね。今後はおかしな嫉妬も減るはずよ」

 

 訓練所の出入り口を通り抜け、多くの人に囲まれながら話しつつ、ベレトの隣でエーデルガルトは何故かドヤ顔になる。自身の学級を導く師の能力が正しく評価されることが誇らしくてならないようだ。

 これが私の師の力よ、と大変自慢げである。誰に向けた自慢なのやら。

 

 そんな得意満面なエーデルガルトを見て、ベレトは「おや?」と気付く。

 

「ひょっとして、今日の模擬戦ってエーデルガルトが関わってるのか?」

「え? ……どうしてそう思うのかしら」

「生徒からの発案だということだけはセテスさんから聞いていた。誰なのかまでは教えてくれなかったけど」

 

 早朝に呼び出しを受け、授業が始まる前に大聖堂へ顔を出しに行ったら、放課後に騎士団の実力者との模擬戦をしてもらうので予定を空けておくように、と通達されたのである。

 レアとセテスの二人揃った場で告げられた内容に、特に反対する理由もないし個人的にも望ましいことだったので受け入れはしたが、この急な話を誰が言い出したか、ベレトは授業中もずっと気になっていたのだ。

 判明したら是非お礼を言いたいと考えたから。

 

「俺に関係ある生徒なら黒鷲の学級の誰かじゃないかと思って、その中で訓練所を貸し切れるくらいの影響力があって、修道院にも働きかけができる生徒と言ったら限られる。後は、今思い付いた勘、かな」

「そ、そうなの。まあ、私も無関係、ではないけれど」

 

 理由が分からない気恥ずかしさに襲われ、エーデルガルトは自分の声が上擦るのが分かった。当たらずとも遠からずの推察に謎の緊張を感じてしまう。

 もしかすると、イタズラがバレた子供の心境とはこのようなものなのだろうか。自分には経験がないので分からないが。

 

「なら君にお礼を言わせてくれ。ありがとうエーデルガルト。今日の模擬戦はとても為になった。おかげで俺ももっと成長できることが分かったよ」

「……どういたしまして。師の役に立てて、私も嬉しいわ」

「ああ、間違いなく」

 

 思いがけない強い感謝の言葉に、エーデルガルトは笑顔で応えた。続く断言からも感謝の念を感じられて心が温かくなる。彼はこういう気持ちを濁すことなく率直に伝えてくるので、下手に言葉を飾られるよりも胸を打つ。

 いつもの薄い表情ながらも、その目元が柔らかくなっているのが分かる。そんな些細な差に気付けることでも、ベレトとの距離が近付いた気がして嬉しくなった。

 

 ──ここで終われば話は穏やかなままなのだが、運命はいつだって少女に試練を与えるのだ。

 

「これからは休日を使ったりして、俺も色々勉強してみるよ」

「そうね。師も成長できるならするべき…………っ?」

 

 ベレトから伝えられたお礼の言葉に、つい心が浮き立つのを感じながら、次いで口にされた内容に凍りつく。

 

 今、彼は何と言った?

 きゅうじつをつかったりして

 きゅうじつ……休日!?

 

 平日は授業の他に個別指導を通じて生徒と関わるベレトは、休日になると修道院内を散策してあちこちに顔を出す。その時間の多くは他人との交流のために使われていて、ベレトから声をかけられて彼の存在を知った人も多い。

 どうも彼は物怖じするということを知らないらしく、初対面の相手でもあの無表情のまま近付くのだが、どこか浮世離れしたところを感じさせる言動と、話していけば伝わる誠実さもあって、今では修道院内でちょっとした人気者なのだ。

 例えば今日の観客の一部、食堂勤めの女中辺りなんかはベレト目当てだということをエーデルガルトは知っている。健啖家の彼は食事をたくさん、そして綺麗に食べるところが大いに受けて、女中の間でよく話題にされるのだ。しかも彼って美形だし。

 ちなみにこれらはヒューベルトの調べで裏付けが取れている確かな情報だ。彼の仕事を増やしてしまうのは申し訳ないとは思ったが、この調査は必要なことである。

 

 エーデルガルト自身も、散策中のベレトと顔を合わせてその場で雑談したり、時には食事を共にしたり、彼と仲を深めていくことが嬉しくて仕方ない。

 今では休日にある彼との交流が何よりの楽しみだ。

 

 そんなベレトが休日の空き時間を己の研鑽に当てる。

 それは彼が生徒と──自分と交流する時間が減ることを意味していた。

 

「騎士団の人に相談すれば色々できそうだな……アロイスさんから重装について教えてもらおうか……いっそまたカトリーヌに手合わせを申し込むのも……」

 

 早速予定を考えている!

 

 落ち着け。先ほど口にしかけたように、成長できるならするべきだ。

 ベレトが強くなるのは間違いなく良いことだ。もしもの時、生徒を守るためなら体を張るであろう彼が強くなれば、それだけ無事でいられる可能性は上がる。

 聖廟襲撃事件の時だって、死神騎士を相手取るために一人残ったベレトと祭壇の手前で合流した時、喜ぶより先に頭が血まみれになった姿を見て悲鳴が上がったのだ。彼とて何かあれば傷付く人間だ。強くなるに越したことはない。

 それに強くなった彼の指導は今以上に生徒達をよく鍛えるだろう。黒鷲の学級の級長としても歓迎すべきことではないか。

 

 考えれば考えるほど良いこと尽くめなのだが……

 それでも……ああ、それでも……!

 彼と触れ合える時間が減ってしまうことを思うと、素直に応援できない!

 

「理学は基礎知識くらいしか分かってないし、きちんと勉強すれば戦術にも幅が……いや、まずは信仰から手を付けるべきか……」

「し、信仰!?」

「回復魔法が使えるようになれば生存率は大きく上がるし、併せて攻撃魔法も覚えれば役に立つ。レアさんに研修を頼めないかな……」

「れ、れあさんに!?」

 

 ブツブツと呟きながら今後の方針を考えるベレトの隣で、エーデルガルトはさらに愕然とする。

 大司教であるレアをさん付けで呼ぶことも驚きだが、何より呟きの内容が聞き捨てならない。

 

 レアから直々に信仰について研修を受ける!?

 たしかに、傭兵として生きてきたベレトはセイロス教とは無縁の人生を送ってきたと聞くので、その教義による信仰を学べば成長になるだろう。白魔法を習得できれば今後の大きな助けとなるに違いない。

 だが、信仰を一から学ぶということは、彼が少なからず教団の思想に染まることでもあり、彼がより教団に近付くということでもある。いずれベレトを自身の側に誘いたいと考えているエーデルガルトにとってこれ以上の恐怖はない。

 

 そもそも、だ。

 レアから直接教わるなど、そんな、何も知らない彼を己の色で染め上げるような行いをあの女に任せるなんて、え、でも、そんなの認めていいの?

 いや、ちょっと待って。

 大司教の務めに忙しいレアが、教師一人のためにわざわざ時間を作るなんて……

 あ、やるわ。

 何かとベレトを気にかける彼女のことだ、絶対やるわ。

 何が何でも時間を頻出して、ウッキウキで二人きりの研修に臨む姿がありありと目に浮かぶ。

 

 次々と連想する考えは、一つの焦燥にまとめられる。

 

(私の師が取られちゃう!)

 

 ……飛躍しすぎた妄想かもしれない。かもしれないのだが、加速する乙女の危機感の前では、考えすぎて困ることはないのである。

 

 しかし、自分に何が言えるというのか。

 ベレトがこうして考える原因となった模擬戦だって、彼が言った通りエーデルガルトが仕組んだようなものだ。その結果として彼が成長を望むようになったのなら、止める権利などないではないか。

 

 戦慄に身を震わせるも何も言えないエーデルガルトと、手拭い片手に今後の予定をあれこれ考えるベレト。二人しかいないように見えて、その周囲は賑わう人が溢れているのをお忘れではないだろうか。

 あれ、何やってんのこの二人、という視線が半分。

 お、いつものやってんなこの二人、という視線が半分。

 事情が分かる方と分からない方の生温かい視線に晒される二人の間に割って入れる人は少ない。

 

 まあ中にはその空気をあえて読まない者もいて。

 

「せーんせい、一緒に飯行こうぜ飯。食べながら今日のこと話そうや」

「こらクロード、先生も疲れてるだろう。せめて汗くらい流させてやれ」

「じゃあ殿下も行くか? さっきの見てたら俺も汗かいちまったし、浴室行こうぜ」

「お前なぁ……けど先生、俺も是非話がしたい。同行してもいいだろうか?」

 

 急にベレトと肩を組むクロードと、一緒に来たディミトリによって空気が動く。

 思い出したように我に返ったベレトは、そういえばちょうどいい時間かとこの後のことを考えた。

 

 放課後から随分と時間が経っており、普段ならば生徒達も一日の終わりに向けて動き出す頃合いだ。食堂も浴室も混み始める時間帯になる。

 思い出したように空腹を感じるが、汚い身で食堂に行くのは憚られる。軽く汗を流して身形を整えてからお邪魔しよう。

 

「構わない。まずは浴室に行きたいから、一緒に行こう」

「ありがたい。先生みたいに強くなる訓練法とか聞いてみたいと思ってたんだ」

 

 目を輝かせるディミトリの周りで生徒達が次々に反応する。

 

 ズルいですよ殿下、おい猪抜け駆けするな、あー先生が女だったらなー、先生浴室行くそうですよ、じゃ俺も俺も、僕はもう寝るから、あたし行きまーす、あら~私もご一緒しようかしら~、オデも行くぞー、待ちたまえそんなに行ったら浴室に入れないではないか、えーっと僕は遠慮しますね、師匠に近付く秘訣が聞けるかも、うーん私はどうしようかしら、成長参考聞く私行きます、僕も、私は……

 

 同行する者と解散する者に分かれて彼らは動き出す。思ったよりたくさん来るのを見て、これはまとめ役の級長がいないと大変だと考えたクロードはエーデルガルトへと首を巡らせた。

 

「皇女様はどうするんだい? あんたも汗かいただろ」

 

 意図してデリカシーを捨てたような笑顔でクロードが誘ってくる。

 女への配慮が欠けた発言かもしれないが、エーデルガルトならきっとベレトと同行するだろうと予想したのだ。

 

 なお、誤解のないように説明するが、彼らが行こうとしている浴室とは我々の知識で言うサウナに近い物だ。専用のサウナ服を着用して入る、れっきとした男女共用の施設であり、ガルグ=マク大修道院が誇る立派な憩いの場である。

 たっぷりの湯を湛えた風呂に入る文化はフォドラだと一般的ではなく、王侯貴族の贅沢のようなものだと考えてもらいたい。

 なのでこの場合、クロードは混浴に誘っている訳ではない。お間違いなきよう。

 

 エーデルガルトとしても、少しでもベレトと一緒にいられる時間を大切にしたいのだが、彼女の頭の中では先ほどまでの会話が暴れ回っていた。

 きゅうじつ べんきょう きしだん あろいす じゅうそう かとりーぬ てあわせ りがく せんじゅつ しんこう れあさん けんしゅう

 ……だめだ! とてもではないが、こんな精神状態でまともに話せる気がしない!

 

「ごめんなさい、私はこの後やることがあるから」

「そうか? 珍しいな……じゃあ先生は借りてくぜ」

 

 心が千々に乱れていることは自覚できたので、適当に言葉を濁して辞退するしかなかった。

 意外そうな表情になるクロードもすぐに気を取り直して動き出す。ほらみんな急げー浴室すぐに混むぞーと周囲に呼びかけて他の生徒を促していった。

 

 どうすればいいのかしら、とエーデルガルトは途方に暮れてしまった。

 ベレトの意思は尊重したいし、そもそも口出しする権利などない。まさか模擬戦の結果がこんな形になるなんて思わなかった。自分はただ、彼が正しく評価されるようになってほしかっただけなのに。

 

 とにかく気を持ち直さないと。この後はヒューベルトが定時報告にやってくる。情けない姿を晒して彼に要らぬ心労をかけたくはない。そうでなくても皮肉の一つや二つは出てくるのだ。

 またあの男に御執心ですか──最近とみに増えた小言で耳にタコができそうだ。ただでさえ嫌味な彼に付け入る隙を見せたくない。

 

 赤く染まり始める夕日を見上げ、深呼吸を一つ。憂鬱な気分とは裏腹に空は気持ち良い快晴で、明日も暑くなりそうだった。

 

 その時、視界の隅にこちらへ駆け寄ってくるベレトの姿が映る。

 浴室に行ったはずの彼は真っ直ぐエーデルガルトに向かってきた。

 

「エーデルガルト、本当にありがとうな」

「そんな……もうお礼は受け取ったわ、師」

「今日のことだけじゃないんだ。君達生徒が俺の指導を受けて成長していく姿は、とても嬉しくて俺はいつも力をもらってる。その中でも、君が頑張ってる姿を見る度に思うんだ。流石だな、エーデルガルトって。昔はこんな気持ちなんて知らなかった。君のおかげで俺は昔とは変われて、もっと強くなろうと思えたんだ」

 

 またしても率直な言葉に、心が綻んでいくのが分かる。

 そんなことはない。それはこちらの台詞だ。彼が導くに相応しい生徒でありたいと思うからこそエーデルガルトは頑張れるのだ。

 

「だから、ありがとう。エーデルガルトの担任として俺も頑張るよ」

 

 ああ、そんな……普段は無表情なくせに、こんな時だけそうやって決意を滲ませる笑顔で宣言されてしまえば何も言えなくなってしまう。

 思わず胸が高鳴る笑顔を見れて嬉しいには嬉しいけれど、彼の方針を思うと素直に喜べず、エーデルガルトは複雑な思いだった。

 

 手拭いは洗って明日返すから、そう言って今度こそ去るベレトの背中を見つめる。

 気が付けば、胸に抱えた憂鬱さはかなり薄れていた。彼のことで悩んでいたはずなのに、彼の笑顔を見ただけで気持ちが軽くなるとは、我ながら単純である。

 

 ……頑張ろう。

 いつか必ず来る別れの時、その時が来るまでも、そこから先も、彼に胸を張れる自分でいられるように。身も心も強くなって、胸に秘める誓いを果たせるように。

 エーデルガルトは力強く歩き出した。




 強くて優しくておもしろくてカッコいい師が見たいシリーズその二。
 うちのベレト先生の強さが少しでも伝わってもらえれば幸いです。
 戦闘描写はたっぷりやれたので、次に書くとしたら穏やかな回にしたいかも。
 というか、もっと短く書きたい……長いと、楽しいけど疲れる。

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