風花雪月場面切抜短編   作:飛天無縫

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 アリアンロッド内の戦闘。
 文字通り、ベレトが死線を越えます。


潰える乙女、死線を越えて 後編

 絨毯爆撃。悪意を感じるほどの飽和攻撃はそう呼ぶに相応しい。

 一条に続いて降り注いだ魔法が会談に使った練兵場を埋め尽くし、アリアンロッドの中央に大爆発が起こった。

 

 周囲の壁を破る爆圧に乗って飛んだベレトがなんとか着地できた時には、辺りは慣れ親しんだ空気が漂う戦場になっていた。

 

(失敗した!)

 

 走り出すベレトは声に出さず吐き捨てる。

 

 和平に求めてここにきたはずなのに、それが叶わなかった。それどころか王国との間に決定的な亀裂が入ったと言ってもおかしくない。これでは帝国と王国の関係は絶望的だ。

 エーデルガルトとヒューベルトの様子から、あの斧による横槍は闇に蠢く者の仕業だとベレトにもすぐ分かった。

 この大一番を邪魔されるとは……歯噛みをするも、すぐに頭を働かせる。

 ここに至れば会談を続けるどころではない。分断された仲間達と合流して、急いでアリアンロッドを脱出しなければ。

 

 異常事態によって急速に狂乱が広がる砦の中をベレトは疾走する。数え切れないほどの現れて往く手を遮ってくる王国兵を倒しながら進んだ。

 

 蹴り倒す。

 武器を弾く。

 足元を滑って通り抜ける。

 壁を駆け上がってまとめて飛び越える。

 

 誰も殺さずにひた走るベレトだが、すぐに気付いた。

 

(誘導されている?)

 

 止められないことを承知でも立ち塞がり、配置された兵の数などを考えると『そう進まざるを得ないルート』に誘導されていることをベレトは察した。

 アリアンロッドに立ち入ってから内部を確認(景色、方向、歩数による砦の構造を把握)しながら進んだが、やはり地の利は相手側にある。自由に動くことが許されないまま、走り続けるしかない。

 

 疾走を続けるベレトはやがて広い大通りに出て──空気が変わったのを感じた。

 

 周囲には大きく距離を置いて円を描くように囲む王国兵。ベレトをこの場から逃がさないための布陣、ではない。

 邪魔を入れさせないためだ。彼の戦いに。

 

 重く深い剣気を感じ取り、ベレトは警戒を最高潮に高める。知らず、剣を握る手に力が入る。

 視線が捉えたのは、大通りに一人佇むフェリクス。

 すでに抜いた剣を片手に、ゆっくりとこちらに近付いてくる。

 

 その姿を認めて、

 

(みんな、ごめん)

 

 ベレトは心の中で謝罪した。

 

(しばらく君達を忘れる)

 

 思考を切り替える。仲間との合流を完全に諦め、目の前の敵へ全神経を注ぐ。

 今から始まる戦いには、精神の一欠片でさえ逸らしてはならない。

 自身の全身全霊を以て迎え撃つべき。

 

 そう確信させるほどの剣気をフェリクスから感じ取ったからである。

 

「ようやく顔を合わせられたな、先生」

「……俺を先生と呼んでくれるのか」

 

 思いの外、軽い口調で話しかけてきたフェリクスに驚く。

 元青獅子の学級(ルーヴェンクラッセ)の生徒からすれば自分は裏切り者のようなものではないかとベレトは考えたからだ。

 以前レオニーが自分を罵ったように、彼らとの信頼に背いたとして。

 

「隔意がある奴は言わせておけばいい。俺にとってお前は教師であり、敬意を払うに値する実力者であり……そして、俺がいずれ超えるべき壁だ」

 

 剣の切っ先を向けるフェリクスは剥き出しの殺気をぶつけてくる。そこから推し量れる強さは、五年前の彼とは別次元のものだとベレトには分かった。

 

「その機会が今巡ってきた。それだけのことよ」

「そうか……別の機会に、というわけにはいかないか」

「ならん。正真正銘、本気のお前と戦場で(まみ)えることができるのはこれが最初で最後だろうからな」

「最後だなんて……この先にもあると思わないのか」

「ない」

 

 ベレトの言葉を切り捨てるようにフェリクスは断言する。

 

「もはやファーガスに未来はない。あの馬鹿猪を見れば明らかだろう。騎士の誇りなど興味はない俺だが、人としての理性すら投げ捨てた者を王に頂く国がどんな末路を迎えるか、そんなことも分からないほど間抜けではない」

「なら、ディミトリを……いや、君はきっと止めようとしたんだな」

「……聞く耳を持ち得ているのならあるいは、とは思うがな。俺達の声も、親父殿の声すらも、奴にはもう届かんのだ」

 

 小さく鼻を鳴らすと、少しだけフェリクスは表情を和らげた。ベレトを見る目にはどこか親しみが乗せられている。

 

「これでもお前には期待していた。俺達には無理でも、お前ならあの馬鹿を変えられるのではないか、と。どこかしら響くものはあったらしいしな」

 

 先ほどのディミトリを思い出してか、フェリクスは複雑そうに口元を歪める。

 友を助けたいのに自分では助けられない。その無力感は如何ばかりか。

 

 そのフェリクスの期待に応えられなかったことをベレトは申し訳なく思う。

 

「だが、結局はこの様だ。ならばせめて、己の剣を存分に振るいたいと望むのが剣士の性というものだろう」

 

 王国の落日はもはや致し方無し。滅びが避けられないのなら受け入れよう。

 だがその前に、鍛えた技を、自身の研鑽を試したい。磨いてきた剣が高みに至ったのか、純粋に武人として確かめたい。

 そんな折に、目標と定めたベレトがこうして目の前にいる。いつか超えると憧れた壁が剣を手に取ってここにいる。

 この絶好の機会を逃がしはしない。お前はここで俺に斬られて逝け。

 

 真っ向から剣気をぶつけてくるフェリクスを見て、その気勢を受け流すようにベレトは柔らかく微笑んでみせる。

 

「そう思ってるのに君は逃げようとはしないんだな」

「……」

「ファーガスを、ディミトリ達を見捨てようとは考えないんだろう?」

 

 ここに来て初めてフェリクスが顔をしかめた。ベレトの指摘が鋭かったらしい。

 

 思えば五年前からフェリクスはそうだった。

 黒鷲の学級(アドラークラッセ)の担任であるベレトにも分かるくらい、彼は真面目な生徒なのだ。

 

 口調は辛辣。態度は素っ気ない。名門の子弟にも関わらず社交性に欠ける。鍛錬ばかりしている剣術馬鹿。およそ大貴族たるフラルダリウス家の子息とは思えないほどの武人肌。

 そんなフェリクスが鍛錬の時に見せる顔をベレトはよく見てきた。士官学校で最も多くした手合わせを通じてフェリクスと語り合った。

 言動が厳しいのは心底からの言葉を率直に口に出すから。交流を厭うのは己の務めを強く自身に言い聞かせているから。彼は決して人付き合いを放り投げたはぐれ者ではない。

 フェリクスも他の生徒に負けないくらい仲間を大切に思う人間だ。特に幼い頃からの友人であるディミトリ、シルヴァン、イングリットに対する思い入れは深い。

 幼い頃からの友人達の国に対する思いを知るフェリクスが、その友人達を見捨てて自分だけで国を出奔するとは──余程の理由でもない限り──考えにくい。

 

 何のことはない。彼もまた、ベレトが守りたいものの中の一人なのだ。

 頭の中にあるイメージと今も変わらないフェリクスの姿がベレトは嬉しかった。

 

「……暢気な面をしている場合か。今まさに俺はお前を斬ろうとしているんだぞ」

「させない。死なないし、死なせない」

「ふん、その物言いも変わらんな」

 

 ならば、と腰を落として剣を構えるフェリクス。

 同じく、脱力した自然体で剣を握るベレト。

 

 幾度となく剣を交わした二人が今、殺気を交えて対峙する。

 

「初めてお前と会った時から、俺はずっとこの時を待っていたのかもしれん」

「確かに、君はずっと真剣勝負に拘っていた」

「そうだ。俺の全てを懸けて、お前を超える……もはや言葉は要るまい」

 

 互いの剣気が鎬を削り、一種の結界となって空間を占めていく。

 周りにいるアリアンロッドの精鋭の兵達が揃って気圧されるプレッシャーが勝負の激しさを予感させる。

 

 そして、死闘が幕を開けた。

 

「行くぞ先生!」

 

 フェリクスの声と同時に二人は踏み出す。

 激突は初手から苛烈なものだった。

 

 斬弾逸、払避逸斬、防突斬斬、振り上げ、避弾逸、防、斬突避、唐竹割り!

 流撃回、跳蹴突避、斬避弾流、踏み込み、回回突、蹴、防避蹴、横一文字!

 

 かつて士官学校で見たベレトとジェラルトの模擬戦。それに匹敵するレベルの剣戟を自分が為せている実感がフェリクスを昂らせた。己の成長とその成果をベレトに示せる事実が剣をさらに加速させる。

 対するベレトも、教え子の一人だったフェリクスが紛れもない達人級の域にまで成長したこと、先の危機感は間違いではなかったことに視線が鋭さを増した。

 

 縦と横の交錯で弾かれて離れた間合いを一呼吸で再び詰めて、今度は鍔迫り合い。

 玄妙な力加減を先に制したのはフェリクス。

 ベレトの剣を握る力を読んでそれに逆らわず巻き込むように手首を回すと、天帝の剣がくるりと回転した時にはベレトの手から引き抜かれてしまう。

 芸術的とすら言える、お手本のような巻き上げで武装解除を果たした。

 

 得物が空高く舞い上がり、無手になったベレトはしかし止まらない。

 あえて踏み込んだフェリクスの懐で、巻き上げ直後の伸びた腕を戻そうと引く彼の手元、握る剣の柄頭を垂直方向に掌底で軽く叩く。

 たったそれだけのことでフェリクスの得物、モラルタの剣も手からすっぽ抜かれて空高く放り出された。

 

 互いの剣が離れ、素手になる。どちらもそれで動きを止めるような戦士ではない。

 

「はあっ!」

「おおっ!」

 

 至近距離でこそ相手を威圧せんという裂帛の声と同時に二人は拳を突き出した。

 咄嗟に首を傾けて、頬を掠めた拳に次いで胴体が衝突。突進の勢いは全くの互角であり、二人の動きが一瞬止まる。

 

 しかし、懐に潜った状態から踏み出したベレトはフェリクスより体勢が低い。相手の重心の下に位置するところから足腰を活かしてさらに押そうとする。

 するとフェリクスは体を押される前に頭突きを落とした。ベレトの顔面を強かに打ち、彼をのけ反らせることに成功。

 

 続いてフェリクスは体が空いた隙間を使って相手の股間に向けて足を振り上げる。

 金的を打つ、などと生易しいものではない。睾丸を潰す目的で迫るその爪先を、男にとって最大の急所への警戒を絶やさなったベレトは足の裏で受け止めた。

 

 今度は逆に相手の足を踏み潰す勢いでベレトは受けた足ごとその場で踏み込む。

 狙いを察したフェリクスは瞬時に回転。体を捻る勢いでベレトの足から自分の足を外すと、そのまま相手の背後に回り──

 

「っぐ!?」

 

 ──かけた瞬間、脇腹に衝撃。

 余計な動きを挟まず、脇を締める形で打ち込むベレトの肘打ちがフェリクスの腹部に入った。

 

 倒れかけた体を支えた足で踏み出し、反転したフェリクスが繰り出した拳をベレトは掌で受けて防いだ。

 そこで二人は全く同時に自分の斜め後ろへ手を伸ばす。

 高く舞い上げられた二本の剣。くるくると回りながら落ちてくるその柄が、虚空へ差し出された二人の手に同時に納まった。

 

 ベレトの手にはモラルタの剣が。

 フェリクスの手には天帝の剣が。

 互いの武器が入れ替わる形で勝負は続行。

 

 英雄の遺産である天帝の剣はもちろん、フェリクスが持っていたモラルタの剣もまた武器としての格は超一流。神聖武器という、英雄の遺産とは違う形で紋章に呼応して力を発揮する強力な剣である。

 そして武器が超一流なら使い手の二人も超一流。握る得物が入れ替わったくらいで動きが鈍るようなことにはならない。

 

 斬斬避突、跳、振り下ろす、弾受、逸突退、斬避受斬、突防、薙退、鍔迫り合い!

 弾流回避、払、振り上げる、弾蹴、斬避回、回蹴蹴流、避斬、跳蹴、鍔迫り合い!

 

 超速の攻防は止まらず、鍔迫り合いでぶつかる剣を片手で握るとまたも二人は同時に逆の手を握りしめる。さらに体ごとぶつける勢いで両者は拳を繰り出した。

 互いの頬に突き刺さる拳が押し勝ったのはフェリクスの方。

 振り切る拳に押しやられてベレトの体が後方へ殴り飛ばされた。

 

 そこからフェリクスは追撃をかける。

 付けている籠手に仕込まれた絡繰りを作動して小型弓を展開。飛ばされて間合いが空いたベレトへ向けて、一射、二射と矢を放つ。

 所詮は小型と侮るなかれ。フラルダリウスの紋章による強化を受けた矢は充分に必殺たり得る威力を持つ。

 殴り飛ばされたベレトは片手で地を着いて姿勢制御。同時に側転しながらモラルタの剣を振って迫る矢を二回とも弾いてみせた。

 

 今度はベレトの番。

 天帝の剣が手元になくとも、弓矢のような武器に頼らずとも、遠距離攻撃の手段は彼にもある。

 

「──ボルガノン!」

 

 戦いながら溜めた魔力を火の上級魔法として撃ち放つ。フェリクスを囲むように現れた炎の波が中央の彼に向かって殺到する。

 周囲から迫るその炎に対して、フェリクスは腰だめに天帝の剣を構えた。

 

「せあああああ!!」

 

 咆哮と共に構えた剣で全周囲を回転切り。その切っ先が一部の乱れもない円を描いた時、軌跡に残る紋章のオーラが結界と化したようにボルガノンの炎を真っ二つに斬り払った。

 

 直後、斬りかかってきたベレトを違わず認識していたフェリクスは剣を止めることなく振って合わせ、再度鍔迫り合いに持ち込んで──

 

 ──ふ、と。

 

 先の勢いがまるで嘘のように、ベレトからの圧力が消えた。

 突進してきた相手が消え失せたかの如き喪失感。ぶつかる力の相殺を狙ったフェリクスは完全に拍子を外されてしまい、天帝の剣とモラルタの剣が一瞬だけ宙に浮いたみたいに力の行き場が失われる。

 

 体の力を一瞬にして百から零にして戦闘の流れを一変させる拍子外しの妙技。

 ベレトが使ったこの技は五年前、士官学校の訓練所でやったカトリーヌとの模擬戦で彼女が披露したもの。

 それを真似て、ここから先がベレトなりのアレンジ。

 

 動きが止まった瞬間にモラルタの剣から手を放したベレトは、天帝の剣の柄と刀身へ自分の手を伸ばす。フェリクスの手と手の間、そして刀身の半ばに触れると、自身の紋章の力を流し込んだ。

 

 英雄の遺産である天帝の剣は紋章の持ち主であれば問題なく扱えるが、適合する紋章があれば真の力を発揮できる。故に、その適合する紋章の持ち主にはより強く反応する性質がある。

 フラルダリウスの紋章を持つフェリクス。

 炎の紋章を持つベレト。

 天帝の剣に適合するのは、後者。

 炎の紋章に呼応して刀身が纏う淡い光が燃え上がるオーラとなって強く輝き、剣の主がフェリクスからベレトに移り変わったことを示した。

 

 警戒に従ってのけ反ったフェリクスの顔があった位置を、天帝の剣の先端部分だけワイヤーを伸ばした剣先が通り抜けた。

 自ら天帝の剣を手放してそのままバク転で距離を取るフェリクスにベレトは追撃を図る。自分の手から地面に落ちたモラルタの剣をフェリクスに向けて蹴り飛ばす。

 バク転して前へと向き直ったフェリクスの視界に飛んでくるモラルタの剣が映る。襲い掛かるその剣を、フェリクスは見事な白刃取りで掴まえてみせた。

 

 一つ、間が空く。

 

 小型弓の絡繰りを納め、昂りを込めてにやりと笑うフェリクス。

 吸って、吐いて、とわざと遅くした呼吸で気勢を整えるベレト。

 剣を構え直す両者。

 

 小手調べはもういいよな──声ならぬ声が二人にだけ通じた。

 

 そこから続く勝負はさらに激化した。

 周囲で身構えているアリアンロッド兵は口を揃えて雲上の戦いだと評する。

 

 【斬徹騎士】の二つ名は今やファーガスで知らない者はいない。フォドラに現れた新しい英雄の一人であり、多くの兵士の憧れだ。現代の剣聖として名を馳せるフェリクスの武勇は他国にまで轟くなど、その実力は隔絶している。

 王国には他に【断空騎士】と【天翔騎士】に加え、今はセイロス騎士団の【雷霆】までいるにも関わらず、個の強さを比較するならフェリクスの存在感は確実に頭一つ抜けていた。

 

 それが、どうだ。

 そのフェリクスを相手にたった一人で渡り合う猛者がここにいる。

 黒衣を翻し、手を変え品を変え、強かに、時には豪胆さを思わせる戦いぶり。

 【灰色の悪魔】を彼らは見た。

 

 走りながら斬り結び、勢いを落とさず壁を駆け上がったと思えばその壁を上りながら尚も剣戟を止めず、同時に壁を蹴って飛んだ末に空中でも剣を止めない。

 剣を振る他に格闘、弓矢、魔法、さらにはその辺にあるものを無節操に扱う。植込みの枝、転がる椅子、適当なドア、あらゆるものが彼らの戦闘手段足り得る。

 疾走し、跳躍し、止まらない攻防は包囲網も越える。周りの人の壁を通り越して移動しながら戦う二人を追う兵士達を置き去りにして、二人はどこまでも加速する。

 

 神話に語られる時代の英雄達はこんな戦いを繰り広げていたのだろうか……場違いにも感嘆の溜息をこぼしながら、アリアンロッド兵は戦いを見守る。

 自分達には手が届かない領域にいる超人同士の激闘をただ無心に追いかけるばかりだった。

 

 永遠に続くのではないかと錯覚してしまいそうなほど完成された空間。

 ただし、どんな戦いにも終わりはあるもの。

 

 疲労は確実に重なっていき、苛烈な攻防は神経を削っていく。

 反して戦いのボルテージは高まる一方で、昂りに応じて動きの鋭さが増す。

 疲れるのにもっと続けたい。痛みがあると分かっているのに危険に飛び込みたい。そんな矛盾した意思の赴くまま、戦いの最中にも己が成長していく喜悦を伴い両者は剣を閃かせる。

 同時に、この激闘に訪れる決着をどちらもひしひしと感じ取っていた。

 

 先に終点へ手をかけたのはフェリクスだった。

 

「楽しいなあ、先生……!」

 

 口の端を釣り上げながら荒い息を吐き、ベレトに呼びかける。

 

「お前と交わす剣は、やはり全てを忘れさせてくれる……下らんしがらみも、余計な気遣いも、何も気にせず純粋に一人の剣士として戦いを楽しめる」

「君は、ずっとこれを求めていたんだな」

「ああ……俺の剣に目的などない。将来の夢も、掲げる理想もない。かつて憧れて超えたかった兄を失い、友が壊れたあの時からずっと、俺は俺の剣を振るう理由を探し続けていたのかもしれん」

「見つかったか、聞いても?」

「くくく、何のことはない……俺は剣が好きだ。強者と剣を交わすのが好きだ。お前のような実力者との勝負は殊の外、胸が躍る」

 

 晴れ晴れとした笑顔でフェリクスは言う。言葉尻に確かな感謝を込めて。

 

「故に、この戦いこそが我が望み!」

 

 清々しい口調とは裏腹に、迸る剣気は鋭くなっていく一方である。ベレトの肌を削り取らんばかりの気合いを放つフェリクスの勢いは止まることを知らないようだ。

 それでいて己の消耗を正確に把握する冷静さも彼は併せ持っていた。

 

「なればこそ、誰に下されるまでもなくこの手で引導を渡す……俺の新しい憧れを超えた証となる勝利を、この手で掴んでな!」

 

 ゆらりと動いたモラルタの剣が止まった時、フェリクスの構えには今まで以上の、それこそ完璧と題したくなるほどの佇まいがあった。

 

「我が剣練が到りし五つの閃き……流星を見よ!」

 

 ベレトは理解する。今、フェリクスは()()だと。

 自身の残り体力、肉体のキレ、身に付けた技術、戦いで得た高揚感、あらゆる要素が絡み合い、そのどれもが損なわれることなく極めて高次元にまとまっている。

 何より本人がそれを正しく自覚して、その調子を意識して繰り出す剣に乗せようとしている。

 今から来る攻撃はフェリクスの人生最高の一撃と言っても過言ではないだろう。

 

 ならば、とベレトも自身の心と体を一致させた調子を剣に込めて構えた。

 元より逃げる気はない。全霊を以て迎え撃つ。その覚悟で始めた戦いだ。

 必ず勝つ。勝って、必ず守る。その決意は揺るぎない。

 警戒を最高潮に、神経を全集中させてフェリクスと対峙する。

 

 ただでさえ飽和していた剣気がさらに満ち溢れ、半ば物理的な圧力と化して地を、壁を、周囲を軋ませていく。

 そして宣言通り、誰に下されるまでもなく彼らは自分達で決着をつけた。

 

 申し合わせたように二人は同時に動く。

 より速く動いたフェリクスのモラルタの剣を、ベレトは天帝の剣で受ける。

 

 一つ。右から迫る剣を弾く。

 二つ。下から跳ね上がる剣が咄嗟に引いた足を掠める。

 三つ。左から襲い掛かる剣を逸らすが腕を浅く斬られる。

 四つ。上から落ちる剣が胸を深々と裂く。

 五つ。横一文字の剣が首を断つ。

 

 フェリクスの剣が振り切られた時、ベレトの命は絶たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ガラスの割れる音がする──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(っ、は)

 

 途切れた意識が戻る。

 ベレトの視界に映るのはゆらりと剣を動かすフェリクス。

 自分の首は繋がっている。

 

(天刻の拍動が勝手に働いた?)

 

 覚えのある感覚がベレトに何が起こったのかを教えていた。

 先ほど、自分は間違いなく首を斬られていた。フェリクスの剣が首の肉と骨を断ち切った感触が思い出せる。死の瞬間を後からこうもはっきりと思い返せるのは何とも奇妙な体験だと思うも、悠長に考えていられる状況ではなく。

 

「我が剣練が到りし五つの閃き……流星を見よ!」

 

 対峙するフェリクスの力強い宣言が事の再来を告げる。

 機を逃してはならないとベレトはすぐに分析を始めた。

 

 五つの閃き。その言葉通り、脅威の五回攻撃だ。一振り一振りの間の繋ぎ目が全く感じられなくて、五回全部が一つに繋がっているとしか思えない滑らかな剣。

 如何なる理屈があのような剣技を成り立たせているか、そこはどうでもいい。

 問題はどのようにしてあれを凌ぐか。

 一度は見れた。なら攻略のしようはある。

 

 天帝の剣を構えてベレトは待ち受ける。今度は防いでみせると決意して。

 程なくその時は訪れた。やはりフェリクスの剣が速く、ベレトはそれを受ける。

 

 一つ。右から迫る剣を弾く。

 二つ。上から襲い掛かる剣を受け損なって腕を斬られる。

 三つ。左から来る剣が腹を裂く。

 四つ。下から昇る剣が腕を斬り飛ばす。

 五つ。横一文字の剣が首を断つ。

 

 フェリクスの剣が振り切られた時、ベレトの命は絶たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ガラスの割れる音がする──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(っ、また)

 

 意識が戻り、愕然とする。

 

 剣の動きが違った。恐らく身構えたベレトに合わせてフェリクスの方で剣の振りを変えたのだ。

 天刻の拍動は時を遡るだけの力。先んじて未来を体験できるのは間違いなく有利なのだが、その未来を変えられるかどうかはあくまでも自分次第。

 フェリクスの剣を凌ぐには結局のところベレトにかかっている。

 

「我が剣練が到りし五つの閃き……流星を見よ!」

 

(来る!)

 

 再び満ちる剣気を感じて神経を尖らせる。

 

 余計なことは考えるな。目の前の剣に全力で集中しろ。

 彼の視線、重心、予備動作、筋繊維の僅かな軋みにも目を凝らせ。

 

 剣を構えること以外の全ての意識をベレトは相手に注ぐ。

 動きはすぐだった。やはりフェリクスの剣が速く、ベレトはそれを受ける。

 

 一つ。左から振られる剣を合わせて逸らす。

 二つ。下から跳ねる剣を際どく弾く。

 三つ。右から襲い掛かる剣が屈んだ体を浅く斬る。

 四つ。上から落ちる剣がこちらの剣ごと腕を叩く。

 五つ。横一文字の剣が首を断つ。

 

 フェリクスの剣が振り切られた時、ベレトの命は絶たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ガラスの割れる音がする──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(っ、速すぎる!)

 

 再び戻った時を感じてベレトは歯ぎしりする。

 

 あの技は決まった動きに沿って繰り出す型ではない。五回の攻撃それぞれが戦っている相手の構えや動きに応じてその都度最適化されて放たれる。

 ただ五回続くだけの連続攻撃とは全く違う。始めの四回はどれも崩し、誘い、殺しとして機能するという三重の役目を持ち、どれほど固めた防御であっても斬り捌いて五回目の止めに繋げる。

 そして何より他の誰でもない、神速とすら表せるフェリクスの剣速によって繰り出されるからこそ、この技は『一振り分の挙動で五回分の必殺を狙う』という物理法則に逆らうが如き絶技となって完成する。

 フェリクス自身の剣の才覚、飽くなき錬磨が築き上げた技術、二つ名を得るにまで至った膨大な戦闘経験、それらが合わさって生まれた恐るべき魔剣だ。

 

 ──これらのベレトの考察はほぼ正解である。あえてここに一つ注釈を加えさせてもらえるとするならば、フェリクス自身の実力の他、二人の戦闘によって高まったボルテージ、踏み込みに用いた石畳などの周囲の環境、様々な要素が奇跡的に噛み合った結果、五回の攻撃全てがクリティカルヒット判定を得るという途轍もない威力ブーストを果たした末の魔剣であるということ。

 むしろ、その魔剣を今初めて見たばかりなのに五回の内二回も凌げているベレトの方が異常なのである。並の人間なら為す術もなく五回斬られて終わるだろう。

 とは言え、こんな注釈に意味はない。勝負とは結果が全てであり、ベレトがこれを凌げていないことには変わりないのだから──

 

「我が剣練が到りし五つの閃き……流星を見よ!」

 

(また……!)

 

 じわりと焦りがベレトの中に生まれる。かつてないほど勝機が見えない状況に息が詰まりそうで緊張がいや増す。

 しかし、そんな彼の心持ちを置いて時は無情に繰り返される。最強となったフェリクスを一人で相手取ると選択した時点でこうなることは決まっていた。

 

 詰みと思わしき状況を変えない限りはそのままである。

 魔剣は止まらない。ベレトが打ち破るまでは。

 

 一つ。下からすくい上がる剣を強引に叩いて弾く。

 二つ。右から回る剣を辛うじて防ぐ。

 三つ。上から落ちる剣が手首を斬る。

 四つ。左から迫る剣が腕を持っていく。

 五つ。横一文字の剣が首を断つ。

 

 フェリクスの剣が振り切られた時、ベレトの命は絶たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ガラスの割れる音がする──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(っ、まただめだ!)

 

「我が剣練が到りし五つの閃き……流星を見よ!」

 

 一つ。左から迫る剣を屈んで頭を斬らせてかわす。

 二つ。下から跳ね上がる剣を刀身で滑らせて逸らす。

 三つ。右から襲い掛かる剣を弾く。

 四つ。上から降る剣が戻し切れなかった両腕を斬る。

 五つ。横一文字の剣が首を断つ。

 

 フェリクスの剣が振り切られた時、ベレトの命は絶たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ガラスの割れる音がする──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(っ、追いつけない!)

 

「我が剣練が到りし五つの閃き……流星を見よ!」

 

 一つ。上から迫る剣を横から軽く弾いて逸らす。

 二つ。右から襲い掛かる剣を優しく受け流す。

 三つ。下からすくい上がる剣が手を浅く裂く。

 四つ。左から回る剣が脚から腕を深々と斬る。

 五つ。横一文字の剣が首を断つ。

 

 フェリクスの剣が振り切られた時、ベレトの命は絶たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ガラスの割れる音がする──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(っ、諦めるな!)

 

「我が剣練が到りし五つの閃き……流星を見よ!」

 

 一つ。右から迫る剣を柄頭で弾き上げる。

 二つ。下から昇る剣を足を斬らせながら避ける。

 三つ。左から回る剣を刀身で逸らす。

 四つ。上から襲い掛かる剣が手首ごと胸を斬る。

 五つ。横一文字の剣が首を断つ。

 

 フェリクスの剣が振り切られた時、ベレトの命は絶たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ガラスの割れる音がする──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(っ、考えろ! 何か!)

 

「我が剣練が到りし五つの閃き……流星を見よ!」

 

 一つ。下から跳ね上がる剣を身を捩って避ける。

 二つ。左から襲い掛かる剣を剣筋に沿って受け流す。

 三つ。上から降る剣を防ぎつつ顔を斬られる。

 四つ。右から迫る剣が間に合わない剣ごと腕を斬る。

 五つ。横一文字の剣が首を断つ。

 

 フェリクスの剣が振り切られた時、ベレトの命は絶たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ガラスの割れる音がする──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(っ、どうする! どうする!)

 

 死の螺旋。勝手に時を戻されて強制的に己の死を繰り返し体験させられるという、常人なら発狂してもおかしくない地獄のような状況。

 それでもベレトは模索を止めない。

 偶然に期待するなどという楽天的な思考はベレトにはない。今ある自分の手札で目の前の状況に立ち向かう以外に道はないという教えを叩き込まれ、そう生きてきたのだから。

 

 何より、この繰り返しはいつまでも続かないことをベレトは理解している。

 最初はほとんど感じなかったが、天刻の拍動が発動する度に頭の奥にある何かが膨れ、少しずつ鈍痛を訴えていることに気付いた。

 人は延々と動き続けられない。走り出したら必ず休みを求めるように限界がある。

 神祖と融合して加護が宿ったとは言えベレトの肉体は紛れもない人間であり、神の力を際限なく使い続けられるわけではない。どんな力でも使えば消耗して、回復するまでは減ったまま。これは当然のことだ。

 遠からず天刻の拍動は使えなくなる。この繰り返しは必ず止まる。

 その前に何としてもこの状況を打破しなくてはならないのだ。

 

 ソティスのおかげで繋がっているチャンスを活かすためにも、ベレトは考える。

 

(時間的猶予はほとんどない。今使えるものはないか?)

 

 遡ったのは僅かな時間だけ。どこかに調達しに行くこともできないなら今の自分で勝負するしかない。

 

 足元。爆破された練兵場から離されてしまったこの場はきれいな石畳が広がるだけで、瓦礫はおろか小石もない。

 周囲。二人の戦いに振り回されたアリアンロッド兵の壁は当初より薄く、突破は難しくなさそうだがフェリクスに背を向ける形になってしまう。

 装備。会談で武装が許されていたと言っても天帝の剣の他にまともな武器はなく、鉄の盾も、腰の短剣も、あの魔剣への対抗手段にできるとは思いにくい。

 

(思いにくくても考えろ! 考える──)

 

「我が剣練が到りし五つの閃き……流星を見よ!」

 

(──時間がない!)

 

 動きを止めた構えからフェリクスの剣気が迸るのを感じて、ベレトも構えるしかなくなる。思考するための余裕もなく、否応なしに向き合わなくてはいけない。

 

 天帝の剣を握る手に力が入る。過度の緊張は動きを阻害するのだと分かっているがどうしても迫る死を感じ取ってしまうのだ。

 八方塞がりにも思えるこの状況であの絶技に剣一本で対抗するのは……

 

(待て)

 

 ……剣一本?

 

(俺が握っているのは何だ?)

 

 天帝の剣はただの剣ではない。

 蛇腹剣という他に類を見ない特殊な武器であり、英雄の遺産という超常の威力を誇る摩訶不思議な兵器だ。

 その使い方は剣の括りに縛られるものではなく、多様な戦法の下地にできる幅の広いものではなかったか。

 そもそも自分は純粋な剣士ではなく傭兵で、格闘でも魔法でも、それこそ使えるものなら何でも取り入れる柔軟さを旨としているだろう。

 

(やるしかない)

 

 検証している暇はない。頭に浮かんだ手段を即席で実行するため、握る剣へ意思を伝える。天帝の剣が応えたように刀身のオーラが揺らめいた。

 

 熱さと冷たさを一つに束ねて心と為し、技を以て体と結ぶ。

 意思と手段と肉体がここで合一を果たす。

 人とはどんな時でも心技体が揃うことで初めて道が拓けるのだと本能で理解する。

 

 満ち満ちた剣気が収束すると、二人は同時に動いた。

 フェリクスのモラルタの剣が閃き、ベレトの天帝の剣が解けた。

 

 一つ。右から迫る剣を鞭になった刀身が防ぐ。

 二つ。上から襲い掛かる剣を鞭になった刀身が防ぐ。

 三つ。左から回る剣を鞭になった刀身が防ぐ。

 四つ。下から跳ね上がる剣を鞭になった刀身が防ぐ。

 五つ。横一文字の剣を鞭になった刀身が防ぐ。

 

 フェリクスの剣が振り切られた時、ベレトの体には傷一つ付いていなかった。

 

 五回の攻撃をそれぞれ捉えて防いでいては間に合わない。

 全部同時に捉えて、全部同時に防ぐ。そんな矛盾とも言える動作。

 天帝の剣のワイヤーを伸ばして鞭状にした刀身を体の前面へ円形に展開。フェリクスの剣が狙う各所を覆うように全て同時に防御したのである。

 

 防御は成功し、五回の魔剣は全て弾かれた。

 振り切り、走り抜けたフェリクスが勢いよく振り向いた時にはワイヤーが戻る天帝の剣を掲げたベレトが自分に向けて踏み込むところだった。

 

「……見事」

 

 一言だけ呟いてフェリクスは目を閉じる。

 自身の最高の一手を凌いでみせたベレトへの称賛と、最高の戦いへの満足を胸に。

 ここで死んでも悔いはないのだと言うように。

 

 無論、ベレトはそんな結末を望んでいない。

 

 振り被った天帝の剣へ意思を伝える。生徒を、守りたい人を死なせないため、それでいてこの勝負に決着をつける、そんな剣になるように。

 主の応えて意思を形にせんとする摩訶不思議な兵器は、ベレトの意思に従いその刀身のオーラを変質させる。敵を倒し、しかし殺さない。相反する結果を作るために。

 

 脱力して受け入れる体勢になったフェリクスへ向けて、ベレトは確信を込めて剣を振り下ろす。

 フェリクスの体を袈裟懸けに通り抜けた天帝の剣は紋章のオーラが正しく選別したことで、彼の身に傷一つ付けることなくその精神のみを一刀両断してみせた。

 

 意識を失いその場で崩れ落ちるフェリクスを見て、ベレトは声なき声を上げる。

 

(勝った……俺は勝ったんだ!)

 

 それは無理やり絞り出したような勝利宣言だった。実感が薄いものを何とか形にしようというベレトの足掻きにも似た不確かなもの。

 そんなあやふやなものであっても、倒れ伏すフェリクスを前にするとじわりじわりと意識が追いついてきた。

 

 最強の相手だった。ベレトの人生でここまで死を体感した戦いは他にない。

 天帝の剣と天刻の拍動、どちらか一つでもなければ間違いなく勝てなかった。純粋な剣士としては完全に負けていた戦いだった。

 それでも、勝ちは勝ちである。

 戦いとは結果が全て。この戦いの勝者はベレトなのだ。

 

 それにしても、と思う。

 

(こんな風になるのか)

 

 乱れた呼吸を直しながら自分の手を見つめてベレトは自分自身を確認する。

 天刻の拍動の連続使用という初めての体験で己の肉体に起こったことを反芻して。

 

 実を言うと、ベレトは天刻の拍動を使うことにやや抵抗がある。

 

 そもそもこれはソティスの力であり、自分はそれを使わせてもらっているだけ。

 彼女が消えてしまった後も使えはするが、あくまでも借り物だと認識している。

 

 時を遡るなんていう、どう考えても自然の法則にはありえない効果は明らかに人間の領域を逸脱した力だ。

 こんなもの、使い方次第ではいくらでも悪事に利用できるだろう。未来のことを先んじて知れてしまえば振る舞い次第で好き放題できてしまうではないか──と、ベレトとて丸きり考えなかったわけではない。

 そしてソティスの正体がフォドラの神だと判明した時、天刻の拍動も紛れもない神の力の一端だということが確定した。

 ベレトとしては、とてもではないがそんな力を一個人の裁量で軽々しく扱う気にはなれなかったのだ。

 

 五年前に使ったのだって数えるほどしかない。

 夜のルミール村でエーデルガルトをかばう時に初めて使い、ザナドに行った課題でソティスから手ほどきを受けたのだが、それ以降戦場で自発的に使ったことはない。

 というのも、ベレト自身の実力と指揮の上手さも相まって時を遡らなければならないほど追い詰められた経験がないのである。

 お茶会の話題選びをやり直すために使ったのだって、生徒のトラウマを刺激してしまうレベルの本当にマズいことを口にしてしまった時(例:マリアンヌ相手に紋章)くらいで、それもせいぜい片手で数える程度。

 ジェラルトが殺された時ですら使ったのは一回だけで、最終的に父の死を否定することまではしなかった。

 

 何より、人の世を作ろうとするエーデルガルトに協力しようというのに自分が神の力を行使するのはどう考えても『違う』だろう。

 人が人によって立つ世界を作ろうと、紋章の影響から抜け出そうとしているところに神の力を介在させてしまうなど本末転倒にも程があるではないか。

 

 そういう事情もあって、ベレトは天刻の拍動をできるだけ使わないように気を付けていた。

 なので今回はかつてないほど天刻の拍動を使いまくることになったのだが……

 

(なるほど、こうやって使うんだな)

 

 ある意味ベレトはここで()()()使()()()を学習してしまったことになる。

 これが功を奏するかは、少し先の話。

 

 それ以上考え込む暇もなく事態は動く。

 ベレトが休むことを許さないかのように。

 

 突然、高所から騎馬を駆って飛び降りてくる者が現れた。

 馬も含めて黒い全身鎧に身を包んだ大柄な騎士がベレトに近付く。建物や壁を利用する見事な馬術だった。

 

「ベレト!」

「どうしたイエリッツァ!」

 

 彼の名はイエリッツァ。死神騎士としてエーデルガルトに協力し、今は密命を帯びて帝国の東に向かっていたはずの男である。

 闇に蠢く者に関する調査のために彼を裏で動かしているとヒューベルトは言っていたが、詳しい内容はベレトも聞いていない。ベレト相手であっても情報を絞るところは絞るのがヒューベルトらしいので特に追及はしてなかった。

 

 そのイエリッツァが何故アリアンロッドにいるのか。和平会談の場所に来ている理由をベレトは気にしない。

 傭兵としての感覚がイエリッツァがここに現れた状況を危機だと捉えた。

 

「攻撃だ! お前達は狙われている!」

 

 彼は伝令だ。味方が危機的状況に陥ったことを伝え、回避させるためにこの場へ急行したのだ。

 

 一秒でも時を争う事態であると認識したベレトは即座に応対する。

 

「攻撃の範囲は!」

「この砦一帯を灰燼と化すものだ!」

 

 ベレトが即応するのを見てイエリッツァもすぐに続けた。

 

「狙いの中心は!」

「会談の参加者を皆殺しにせんと狙う!」

「攻撃が来る方角は!」

「東の空より明ける星が降る!」

 

 問答の数を少なく。齟齬が出ないようにはっきりと。

 事態を理解するより先に事態に対処することを優先するベレトの思考は、独特な語彙を用いるイエリッツァの喋り方でもその意味を正しく汲み取った。

 

 東側の上空からアリアンロッドを崩壊させる超大規模攻撃が来る──それはベレトや帝国の仲間達だけでなく、王国の人員も含めた全ての人の危機だ。

 イエリッツァが物事を誇張して伝える人間ではないことをベレトは知っている。彼が言ったことならば、本当にそうなる規模の出来事が起こるのだと信じられる。

 

 先の死闘をも上回る危機感に襲われたベレトは即座に動く。

 足元に横たわったフェリクスを担ぎ上げると、イエリッツァを伴って全力で走り出した。

 

「みんなあああああ!!! ここから逃げろおおおおお!!!」

 

 守りたい人を守るという己の願いのために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇に蠢く者が使う転移装置を逆に利用してアリアンロッドへ飛んだイエリッツァの助言により、この地に迫る危機を知ることができたベレト。

 敵の狙いがこの砦そのもの、そしてここに来ている帝国と王国の要人全員の命だと分かり、守るべき者を守るべく戦場と化した砦の中を奔走することになった。

 

 エーデルガルトや仲間達だけでなく、ディミトリ達、そしてアリアンロッドに務める大勢の兵を逃がすためにベレトは動いたのだ。

 

 しかし、敵地とも言えるアリアンロッドでベレトの指示が通じるはずもない。

 帝国に属しているベレトの言葉が王国の人間にどう受け取られるかなんて火を見るよりも明らかであり、逃げろと言っても勤める砦を放棄して逃げないだろう。

 じゃあ彼らを諦めるか。そんなことはしたくない。ならどうするか。

 できる人に任せる。他人を信じて頼る大切さを知るベレトは、王国の人のことは王国の人に丸投げすると即決した。

 

 まずはフェリクス。

 砦の中央近くへと走ったベレトは、周囲の警戒をイエリッツァに任せて抱えてきたフェリクスを降ろすと、リカバーを使って彼を一気に回復。

 意識を取り戻して唸るフェリクスを往復ビンタで強制的に覚醒させた。

 

『っつ、ぶぁ、な、何だ』

『フェリクス、今すぐ起きろ』

『せ、先生?』

『君は俺に負けた。勝った俺の言うことを聞いてもらうぞ』

『……ちっ、敗者が勝者に逆らう道理はない。今だけはお前に従おう』

『もうすぐアリアンロッドが崩壊する大規模攻撃が降ってくる』

『はあ?』

『君の指示でここの人達を逃がしてくれ。今すぐに』

『お前が言うなら本当なんだろうが……砦の人間を全員か?』

『可能であれば、一人でも多く』

『……武人として、今は勝者に従うだけだ! 今だけだからな!』

『それでいい。俺ではできないことなんだ。君は王国の人を助けてくれ』

『ったく、どうしてこうなる……』

『ここはフェリクスが適任だ。頼りにしてるぞ』

『……おい、先生』

『どうした』

『俺達は真剣勝負をしたはずだ。何故、俺を殺さん?』

『君は俺の生徒だ』

『……はっ、そうだな。お前はずっとそうだったな』

『頼むぞ、フェリクス』

『任せろ、先生!』

 

 生徒を守りたいというベレトの意思に嘘はない。

 そのついでに、王国側で名を馳せるまで成長した彼らが指示を出せば砦の人々を逃がすことができるのではないか。そんな目論見でフェリクスに話を持ちかけたのだ。

 

 フェリクスの方も、武人肌である自分になら勝者と敗者の関係を持ち出せば頷いてくれるだろうという打算ありきでベレトがこの話をしたことを察する。

 それも含めてベレトの性格なのだとフェリクスは理解していた。お前はそういうところで強かな奴だったなと懐かしさに小さく笑いながら承諾することにした。

 

 動き出した彼らはロドリグと合流。

 フェリクスが話を通し、ベレトが危機を説明。アリアンロッドに脅威が迫っている現状を伝えて人々を守るために逃げてほしいと訴えた。

 王に次ぐ権力者のロドリグが協力してくれれば事は一気に進むという期待。

 敵の話を鵜呑みにしてくれるほどロドリグも甘くはないという諦観。

 ない交ぜになる不安を抑えて話すベレトだったが、意外にもロドリグは二つ返事でこれを受諾。

 

 ロドリグはベレトと五年前に少し会って話しただけで大した繋がりがあったわけではない。息子をよろしくと頭を下げたことはあったものの、結局ベレトは帝国に味方したし、そもそも五年間行方知れずの身だった。

 それでもロドリグは自分が見聞きし、直感したものを信じた。

 和平会談の場で皇帝を率直に諫めるという、自分にはできなかったことをやってのけたベレトの言うことなら、その危機は真実であり、彼の訴えは心底からの進言なのだと受け取ったのだ。

 任されよう先生──まさかロドリグからまで先生と呼ばれるとは思ってなかったベレトは驚く。この局面であっても茶目っ気を滲ませた笑顔を見せてロドリグは兵に指示を飛ばした。

 

 次いで走るベレトが見つけたのはイングリット。

 その時の彼女は戦闘の佳境にあった。

 

 指揮官たるベレト不在であっても動ける黒鷲遊撃軍(シュヴァルツァアドラーヴェーア)のメンバーとして、フェルディナント、カスパル、ペトラの三人が組んで戦っていた。

 最上級職のファルコンナイトとしてペガサスを駆るイングリット。手を届かせない空中戦から交錯する地上戦まで、自在に飛び回る彼女は相手の三人を翻弄する。

 二つ名持ちにしてベレトによる強化訓練(アイスナー式ブートキャンプ)を受けた三人を、同じく二つ名持ちとは言えたった一人で相手取るイングリット。その戦いは、なんとイングリットが優勢だった。

 

 イングリットには迷いがあった。これが本当に自分が信じた騎士の姿なのかと。

 かつて許嫁のグレンに騎士の理想を見て、その背を追って自分も騎士になったというのに、今の自分は何をしているのかと。

 ディミトリが帝国とエーデルガルトに向ける狂気はどう考えてもおかしいと思う。なのに、正気ではない王に意見することもできず、行動を諫めることもできない自分は騎士として失格ではないか。

 憧れた理想(グレン)にまるで近付けていない……私は何をやっているのかしら。

 意気消沈したまま和平会談に出席したイングリット。そこで彼女はエーデルガルトを窘めるベレトを見る。王を諫める騎士のような、自身の理想を体現したかのような姿に憧れを思い出し、胸を熱くさせた。

 しかしながら騎士として自身を律するイングリットは、仕える王のディミトリが戦うと決めた以上は自分の気持ちを押し殺して敵を屠る戦士になり切って、全てを出し尽くす勢いで戦った。

 戦争を停められればと願うも、ディミトリがそう決めたならもう戻れないのだと。

 

 イングリットの急降下突撃がカスパルを貫いたちょうどその瞬間にベレトは現場に辿り着いた。目を見開くベレトの前で、鎧を砕く一撃をド根性で受けたカスパルが咆哮を上げて繰り出したドレインブローがペガサスの横腹を打ち上げる。

 苦悶の声を出すペガサスの飛行が鈍ったのを見逃さず、壁を駆け上がったペトラが跳躍して空中でイングリットに斬りかかる。辛うじて防いだイングリットと二人してもみくちゃになってペガサスから落下。

 その落ちる二人の下でフェルディナントが待ち構える。凄まじい形相のペトラに組み付かれながらも槍を振るったイングリットを、一撃目で相殺して二撃目で打ち据えるフェルディナントの連撃が決め手となった。

 

 組み付いたペトラを引き剥がす勢いで真横に飛ばされたイングリットだが、与えられたのは致命の攻撃ではなかった。カスパルから始まった一連の流れは彼女を殺すものではなかったのだ。

 この状況に陥ってもエーデルガルトの意思を尊重した彼らは、ベレトと同じように相手を殺さず制する戦い方を貫いていたから。

 

 地面を転がるイングリットを抱き止めたベレトはすぐさま彼女にリカバーをかけて回復する。何をと戸惑うイングリットだが、ベレトから迫る危機の話を聞いて目の色を変えた。

 今でもベレトを教師として尊敬しているイングリットは彼がデタラメを言うとは全く考えておらず、敵対している自分に頼ってでも人々を助けようとする姿勢に感銘を受けたらしい。

 そんな簡単に信じていいのかと疑問を呈するベレトだが、そういう貴方だからこそ私もフェリクスも五年前と同じように尊敬できるのだと答えるイングリット。

 任されました先生──晴れやかな笑顔で言うイングリットは会談で見た時とは別人のようで、心から力が湧いているのだと思わせる生き生きとした表情だった。

 

 ベレトが紡いできた縁が国を越えて人々を守る意志を繋いでいく。

 しかし、ここでタイムリミット。

 

 天から降る光の杭。その第一弾が来た。

 

 東の空から落ちてきたそれがアリアンロッドの高台に触れた途端、先の練兵場で起きたものとは比べ物にならないほどの大爆発が発生。

 たった一発で砦を半壊させる所業に愕然とする一同にベレトは檄を飛ばす。被害の規模からして恐らくこれで終わりではない。第二弾、第三弾と続きがある。逃がす指示を止めるな。みんなでここから生き延びろ。

 それだけ言ってベレトは立体機動を始めた。爆発の鳴動が止まない中、より危険な空中の単独行動へ移る。

 

 程なくしてベレトはリンハルトを発見。驚くことに、彼はたった一人でディミトリに加えてドゥドゥーと対峙していた。

 重傷を負いながらも二本足で立つリンハルトを、立体機動の勢いを止めないベレトが横合いからかっさらうことに成功。大声で喚くディミトリを尻目に一気に離脱。

 ベレトに助けられたと理解したリンハルトはすぐに安心して脱力した。もう動けないと言って完全にベレトに身を委ねることにしたようだ。

 

 聞いてみると、練兵場の爆発が起こってから合流したエーデルガルトがディミトリと睨み合うところだったのを見て、これはもう駄目だと判断したリンハルトは即座に動いた。

 白魔法ワープを使い、エーデルガルトと一緒にいたヒューベルト、そしてくっついていたベルナデッタをまとめて砦の外へと逃がしたのだ。

 断りもなく自分達を逃がすリンハルトへ飛ばされる直前に気付いて止めようと怒鳴るエーデルガルトだが時すでに遅く、ワープは問題なく発動してあっさりとその場から消えてしまう。

 呆然とするディミトリに向けて、リンハルトは一言。

 残念だったね──挑発にしか聞こえない煽りを受けて激昂するディミトリ。

 だがそこからリンハルトは驚異の遅滞戦闘を展開した。大魔法の一つと言えるワープを使った直後にも関わらず魔力を振り絞り、倒すのではなく足止めする戦い方で敵の大将に何もさせないという大金星をあげたのである。

 それは、死を厭うリンハルトが死ぬことを承知で仲間を守るために踏み切った決死の覚悟。同時に、あのリンハルトがエーデルガルトを守るために己の命を投げ捨ててまで取った行動がディミトリを動揺させたが故の戦果だろうか。

 いやー流石に死ぬかと思いましたよ、とえらく暢気な口調のリンハルトを助けられてよかったと安堵するベレト。彼を抱える腕に力が入った。

 

 背を向けることになってしまったディミトリとドゥドゥーはロドリグ達が何とかすると信じて、ベレトも脱走のために動く。

 次の光の杭が落とされて大爆発で揺れる砦をリンハルトを抱えたまま飛び回り、崩れる建物の間を縫って脱出できた時にはアリアンロッドは惨憺たる有様。

 砦の外でエーデルガルト達と合流が叶うと、もはやこの地でできることは何もないと判断して彼らは急ぎ帝国へ戻ることにしたのだった。

 

 離れる前に、振り返ったベレトはアリアンロッドを見やる。

 【白銀の乙女】と称された美しい砦は跡形もなく、蹂躙されて黒煙が立ち上る惨状はこの先の未来を暗示しているようにも思えた。




 ガチバトル描写は大変だけど楽しい。
 書いててもっと上手に書きたいと思ってしまう。

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