風花雪月場面切抜短編   作:飛天無縫

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 重要な回です。この話次第でエンディングが大きく変わるレベル。
 そしてこの小説は当然、大団円を目指しております。


君が触れる、君を想う

「絶対にだめだ!」

「無理なの、分かってちょうだい!」

 

 その日の執務室は朝から騒がしかった。ただし、声を荒げているのは主に二人。

 黙したままのヒューベルトの前で、ベレトとエーデルガルトが真っ向から言い合っているのだ。

 

 帝国の今後の動きを急いで決めなければいけない今。

 ガルグ=マク大修道院の講堂にエーデルガルトが招集した帝国の主要人物が揃い、今後についての相談と決議をすることになった。

 主題は決まっていた。王国への対応である。

 

 先のアリアンロッドで行われた和平会談。招かれたエーデルガルト達の会話も空しく、砦そのものが崩壊するという大惨事に終わってしまったことで会談どころではなくなり、この被害を帝国の仕業と考えたディミトリが正式に宣戦布告。

 元々帝国との全面対決も辞さない姿勢が有名だったディミトリは既に王国内で軍の編成を始めているとの情報が入っており、帝国もそれに応じて軍を向かわせなければならない。

 フォドラ東部の同盟との戦いは終わっているのでそちらは最低限の備えだけあればよく、西部の対王国戦線へ帝国軍の戦力を集中させることができる。

 アリアンロッドが消えた今、戦場になると想定されるのはタルティーン平原。王国領にある平野にて、数で勝る帝国軍を地の利を得た王国軍が迎え撃つだろう。

 

 そういう主題をこれから会議で話し合おうという旨を執務室で事前に確認を取ったところ、慌ててベレトが話を遮ったのである。

 

「今ここで王国とぶつかってしまえば亀裂は決定的なものになる! どちらかが滅ぶまでの戦いは一度始まったらもう止まらない! フォドラの安定は百年単位で遠のいてしまうぞ!」

 

 彼にしては珍しく声を荒げて訴えた。

 

 ただでさえ溝が深い帝国と王国。一度でも武力の行使がまかり通ってしまえば行き着くのは力による支配だ。

 時として、そういう支配が有効な場合はある。自力で立てない組織を存続させるには一旦他の組織が支配する形で支えてやり、自前の力だけで立てるようになってから手放す。そうすることで新しくやり直せる。

 しかしそのやり方が叶うには、互いに手を結ぶ余地が残っている必要がある。死力を尽くす潰し合いの果てに両陣営が消耗してしまうと、支配した先にあるのは搾取と併合だ。

 両軍の全面衝突が起こってしまえば未来は明白である。

 

 王国が勝利してしまえば帝国が滅ぼされるのは言うまでもなく。

 帝国が勝利したとしても王国をそのままにしておけるはずもない。

 今また戦端が開かれてしまえば潰し合いは必定。

 そして互いの軍勢を考慮すると、どちらが勝とうと被害は甚大なものになるだろうと誰だって想像できる。

 

 何としても今、王国と戦ってはいけない。和平への道を諦めてはいけない。

 そう主張するベレトを、同じく声を荒げて反論するのはエーデルガルト。

 

「すでに王国は軍を動かし始めているわ! ここで後れを取ればそれこそ対抗することもできなくて均衡が崩れて戦火がフォドラ全土に広がる! 戦って打ち破らなければ破滅を迎えるだけよ!」

 

 これも真っ当な意見。むしろ現実的な考えだと言えた。

 

 ディミトリの憎悪と王国の敵意を思えば敵への容赦など期待できるはずもない。今の状況で王国軍に好きにさせてしまえば帝国は蹂躙されるばかり。貴族平民の区別なく、間違いなく凄惨なことになる。

 そんなことを許すわけにはいかない。

 すでに発令に応じて帝国軍の編成は始められており、出陣の準備が整うまでかかる時間を考えればギリギリなのだ。そしてエーデルガルトが言うように、ディミトリの好きにさせてしまえば帝国は蹂躙されるだけ。

 和平の道は一度諦めて、ここは強固な姿勢で対抗しなくてはいけない。主力を含む帝国軍の総力を挙げて王国軍を撃退することが何よりの急務である。

 

 闇に蠢く者の画策については、残念ながら後回しにするしかない。

 この状況が奴らの思惑通りなのだとしてもかかずらう余裕がなかった。その狙いを調べる時間が全くもって足りない。

 奴らの後手に回ってしまったことはエーデルガルトとしても歯痒い思いだ。今はその思いを押し殺して王国軍への対処を優先せざるを得なかった。

 

 そう考えると、同盟は上手くやったものだ。

 先の決戦での被害はデアドラの港に限定されて、旗本のリーガン家が負担の大半を請け負った他は同盟全体の消耗は少ない。レスター諸侯同盟としての力がさほど崩されないまま勝敗は決まり、その後の帝国とのやり取りもある程度は公平さを維持できている。

 もちろん戦勝側である帝国に有利な部分もあるが、エーデルガルトの定めた方針により交渉などはできる限り双方に利を求めるように関係が整えられた。

 商人気質が多い同盟にとってもやりやすいようで、帝国との国交が再開したことで商売のチャンスが増えたと息巻いて自分達の利益になることへ率先して取り組む者も増えている。

 将来へ向けて理想的な関係を築けたと言っていいだろう。

 

 だが王国の方はそうもいかない。

 ここで王国の侵攻を許して帝国が敗北するとどうなるか。フォドラの南半分、皇帝エーデルガルトのカリスマによって成り立っていた支配を失った領土を手に入れたところで、あのディミトリが今の安定を維持できる期待は薄い。

 そうしてフォドラの情勢を支えていた一角が落ちれば大陸は一変する。以前ベレトが危惧したことが実現してしまう可能性が高い。

 内乱が起きて、社会は崩れて、さらには闇に蠢く者が跋扈して、他国に攻め入れられる隙を見せたフォドラは暗黒の時代を迎えるだろう。

 

 そんな道を辿ったフォドラが安定を取り戻すまでどれほどの歳月が必要か。どれほどの痛みが生まれるか。考えるだけで気が遠くなる。

 だからこそ今すぐ軍を動かして迎え撃たなければならないのだ。

 

 ベレトとエーデルガルト。大局的に見ればどちらも正しいことを言っているように思えるかもしれない。

 しかし会議のため講堂に集まった参加者はすでにエーデルガルトの方針を支持していることが分かっている。

 

 それはひとえに、ベレトの視座が他人と離れ過ぎたが故だ。

 

 ベレトが語るのは理想だ。両軍の激突を止め、エーデルガルトとディミトリが対話を以て理解できれば被害はなく、未来に向けて歩み寄れる。

 口先だけでそれが叶えば誰も苦労しない。

 将来を見据えればそれが正しい道なのかもしれない。だが、そのために現在の状況を踏まえないのであればそれはただの空論でしかない。

 足元が不確かなまま背伸びしたところで、すぐ不安定になって倒れるだけだ。

 基礎をしっかり鍛える指導をしてきたベレト本人が足元を疎かにする理想論を主張してしまうとは、皮肉なものである。

 

 傭兵として生きてきたベレトが目の前の戦いよりも遠い未来を考えるようになったのは、果たして良いことなのか悪いことなのかは分からない。

 不幸中の幸いは、己の主張が理想ばかりで中身が伴わない空論であると理解できる程度には彼が愚かではなかったことか。

 

「………………分かった」

(せんせい)!」

 

 言い合いを繰り広げて言葉を出し尽くしたのか、しばしの沈黙の後にベレトは呟いた。エーデルガルトの困惑していた顔が少し明るくなる。

 

「確かに、今動かなければ蹂躙されるだけだ。帝国軍を向かわせて、戦わなければいけない時なんだな」

「そう。今の私達には対話の余裕がない。先日の会談で流れは決まってしまった……それが悔しい気持ちは私も同じよ」

 

 うなだれるベレトの言葉が理解を示すものだったことでエーデルガルトの声も落ち着いた。

 

「フォドラの未来を思えばこそ、私達は負けるわけにはいかないわ。師の言い分もよく分かるの。それでも今は堪えて、一緒に戦ってちょうだい」

「……ああ、分かった。エーデルガルトのために戦うよ」

「ありがとう師。それなら──」

「ただし」

 

 エーデルガルトを肯定しながら、釘を刺すようにベレトは口を挟む。

 

「戦うのなら、帝国軍を動かすのは俺だ。直接命令を出すのはエーデルガルトになるけど、動かし方を指示したら迷わず従ってほしい。俺は君を勝たせるために全力を尽くすから、同盟と戦った時のように怯まず動いてくれると助かる」

「もちろんよ。師の采配を疑うことはないわ」

 

 次の戦いは帝国軍の全軍を動かす。それはベレトが今まで経験したことがない大規模なもの。

 軍の訓練に参加したことはあるので兵の間で顔合わせができてないわけではないのだが、新参者がいきなり全体を動かせたりはしない。

 なのでベレトの指揮を黒鷲遊撃軍(シュヴァルツァアドラーヴェーア)の指揮官からの進言として受け取れば、皇帝の発令へと変えてそのまま帝国軍を動かす指揮にしてもおかしくないだろう。

 

「ありがとう……もしかしたら変に聞こえる指示を出すかもしれないけど」

「いいのよ。貴方はいつだって勝つための策を考えてくれるでしょう?」

 

 全力を尽くすと言う以上、ベレトが勝利へ導いてくれることをエーデルガルトは疑わない。どんなに突拍子のない采配でも彼が本気で勝つために戦う人間なのだと知っているから。

 

 ベレトとエーデルガルトが合意できたことで、ずっと黙って見守っていたヒューベルトも小さく溜息を吐いていた。

 まさかここに来て二人の意見が対立することになるとは思わず、あのベレトが理想論を主張することに驚いた。たしかに彼の言い分も完全に間違ってるわけではないのだが、あれではこの期に及んで現実が見えていない愚者の空論である。

 そんなベレトも結局はエーデルガルトの話に納得してくれたのでヒューベルトも安堵した。同時に、二人を乱してくれた闇に蠢く者に対する怒りが募った。

 

 続いて、話の場は講堂の会議に移る。

 今度は王国との決戦についての軍議だ。

 

 軍務卿のベルグリーズ伯や内務卿のヘヴリング伯なども参加しているこの会議。

 エーデルガルトが行った改革を支持した側とは言え貴族の高官も多くいる場で違和感は出ないかと危ぶまれたベレトだが、その態度は一貫して粛々としたものだった。

 あくまで一部隊の長であり、黒鷲遊撃軍の指揮官であると弁えた振る舞いに初めだけ不思議に思ったエーデルガルトだったが、すぐにベレトが努めてそうしているのだと察した。

 

 そうしてポジションが定まればベレトは積極的に意見を出した。

 帝国軍の編成内容。タルティーン平原までの行軍の工程。王国軍の配備予想。セイロス騎士団の行動予測。王国軍撃破後の王都フェルディアへの進軍経路。帝国軍の後詰めの考案。

 どの議題の中でもベレトの発言は参加者を唸らせるものであり、彼の戦いに臨む本気度がうかがえた。

 逆にベレトの目端が及ばないところを言及された時に彼は速やかにそれを取り入れて、自分よりも他者の意見を推薦するなど他を立てる。

 皇帝のお気に入りであることが知れ渡っているベレトがこのように素直な態度でいるおかげか、それを見た参加者の余計な感情(名誉欲しさの主張や政治的な思惑)が混ざるのを妨げたようで、会議の進行は順調だった。

 

 五年前の学級課題に臨む際のミーティングを思い出す流れだ。

 あの時もベレトは教師だからと言って自分の作戦だけを押し通すことはなかった。生徒の発言も積極的に取り入れ、改められるところがあればすぐに聞き入れた。

 よく意見を出したフェルディナントとはそれだけ多く話し合ったし、唯一の平民のドロテアの言葉にも真摯に向き合っていた。カスパルの果断すぎる意見も、時にはリンハルトの消極的な案にも理解するよう努めていた。

 喋り方が拙いからと最初は発言を控えがちだったペトラがこういう場でも臆せず挙手できるようになったのは、彼女の顔色を察したベレトが話が止まるのを気にせず意見を求めたことがきっかけなのかもしれない。

 そういえばヒューベルトの皮肉交じりの意見にも機嫌を損ねたりしないで──たぶん本当に全く気にしてない──耳を傾けて有用な部分だけを拾い上げることもあったか。

 どんな時でもマイペースに作戦を組むことがベレトにとっての平常なのだろう。

 

 そう。以前から変わらない。

 エーデルガルトが知るベレトは他人の声に惑わされない。

 己の役目を真摯に全うする姿勢が自分と似ていると思えた。

 そんな親近感も彼を気にするようになった理由だったなと内心で懐かしむ。

 

 だからだろうか。

 彼との関係が変わることを想像できなかったのは。

 

 会議は滞りなく進み、想定より早く終わる。

 途中で意見が混雑することのない会議なんて久しぶりだと思い、浮いた時間を彼と過ごせないかとエーデルガルトが考えるのは自然なことだった。

 頭の中で自分の予定を並び替え、ヒューベルトを通じて調整すれば一時の休憩時間くらいは捻り出せるはず。

 決戦前の最後の休息をベレトと──そう考えて、隣で席を立った彼に話しかける。

 

「ねえ、師」

 

 ベレトを呼ぶ時、いつだってエーデルガルトの胸は温まる。

 心を許せる人という自分の人生では得られることはないだろうと諦めていた存在と巡り合い、傍にいたいと私欲が滲み出す。己を律してきた鋼の誓いを押しのけて、皇帝らしからぬ個人としての気持ちが湧くのを止められない。

 そんな変化を経た自分に驚かされるが、その理由であるベレトを想うとエーデルガルトの胸にはむしろ誇らしさが生まれる。

 

 会議前の言い合いだって、それだけベレトが真剣だからこそエーデルガルトと意見がぶつかったのだと分かっている。おもねることなく真摯に向き合い、本気で考えてくれるのが分かるから彼への怒りなどはない。

 最後にはエーデルガルトの話に納得してくれたのだし、自身の意見を取り下げて戦いに全力を尽くすと約束してくれた。

 そういう人間だからこそベレトを信頼できるというもの。

 

 まあそれはそれとして、エーデルガルトからすれば慕う相手から強い言葉をぶつけられたことでちょっと、ほんのちょっとだけ気力が萎えてしまったのも否めない。

 仲直りとは違うかもしれないが、お互いに気持ちを再確認する意味でもここで一つ茶会の席でも設けたいところである。

 

 そんなある種の甘えがあったからか。

 

 エーデルガルトの呼びかけに振り向いたベレトの顔を見て、固まる。

 この時、彼女が覚えた感情をどう表せばいいだろうか。

 

 ──誰だ、この人は。

 

 目の前にいるベレトを見て、ありえない感想が出てきたのだ。

 

(せんせい……よね?)

 

 常日頃から感情が読みにくい無表情で、そんな彼の顔に薄っすらと浮かぶ気持ちを読み取れると嬉しくなった。

 心が繋がっていることを実感できる度に、彼の励ましを受け取れることを喜んだ。

 それは出会った頃から今も、これから先も続いていく幸せ。エーデルガルトが得られた宝の一つのはず。

 

 なのに、今こうして目の前に立つベレトの心が分からない。

 無表情でも感情を伝えてくれるいつもの彼がいない。

 間違いなくここにいるベレトがまるで別人のように思えて、エーデルガルトは伸ばそうとした手を止めてしまう。

 

「どうしたエーデルガルト」

「っ、あ……師はこの後、予定は?」

「アビスに行く。ユーリスに呼ばれているから」

「彼から相談でもあるの?」

「話の内容は来てからのお楽しみだそうだ。ただ、必要な話だと聞いてる」

「そう……」

 

 仮面を付けているようだ、と言えばよいのか。

 無表情だから感情が見えにくいのではなく、本人が意図して感情を隠しているみたいに心が見えない。

 

 あのベレトが。

 エーデルガルトを守ると約束したベレトが。

 大丈夫だと言ってくれたベレトが。

 

 まさか、と信じられない。

 

「それで何かあったか?」

 

 ベレトを『怖い』と思う日が来るなんて。

 

 聞いてくる彼を見つめ返すことができなくて、エーデルガルトはつい視線を下げてしまった。

 皇帝の自分が、まるで怯える童女みたいに目を逸らしてしまうだなんて。

 

「いえ……予定があるなら、いいの。いってらっしゃい」

「? ああ。行ってくる」

 

 エーデルガルトの様子を訝しむように小さく首を傾げたものの、すぐにベレトは踵を返して歩き出した。

 縋るような目に気付かないまま。

 

 講堂を出るベレトを呆然と見送るエーデルガルト。固まった体に反して、その胸中は荒れた。

 

 ──師が行ってしまう。

 

(行かないで)

 

 ──師が離れてしまう。

 

(離れちゃ、やだ)

 

 ──私から離れていく。

 

(置いてかないで)

 

 ──どこに行くの。

 

(わたしと、いて)

 

 ──私、大丈夫じゃないの。

 

(大丈夫だと言って)

 

 ──行かないで。

 

(いなくならないで)

 

 ──師。

 

(せんせい──)

 

「エーデルガルト様」

「!? ヒューベルト、どうしたのかしら」

 

 跳ねそうになった肩を抑え、背後からかけられた声に振り返った。

 同時に一瞬だけ周囲を観察したが講堂はまだまだ人が多く残っている。呆けていたのはほんの少しだけ、数秒に満たない僅かな時間だろう。恐らくヒューベルトにも気付かれていない。

 

「確認を取りたいことが幾つかございます。合わせて報告も」

「歩きながらでいいわ。聞きましょう」

「ありがとうございます。まずメリセウス要塞から動かす輜重(しちょう)ですが──」

 

 執務室へ移動しながらヒューベルトの話を聞く。その最中も表面上は皇帝らしく厳かな顔を崩さなかったが、エーデルガルトの心は荒れたままだった。

 その荒れる心を隠し通せてしまうところが彼女の強さと言えるのかもしれない。

 

 そう。隠せてしまった。

 だから誰にも気付かれず、本人も見過ごしてしまった。

 入ったヒビをそのままにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふざけんな馬鹿野郎!」

 

 殴られたベレトが椅子もテーブルも巻き込んで倒れる。壁際まで押される威力にも耐えて体を起こし、殴ったヨニックを見返した。

 怒り心頭の表情を隠すことなく睨むヨニックと、彼を後ろから抑えるジード。周囲の面子もほとんどが険しい顔をしている。その目は一様にベレトへ向けられていた。

 

「てめえ自分が何言ってるか分かってんのか!?」

「分かってる。だからそれを伝えに来た」

 

 尚も怒鳴るヨニックに対して、ベレトの態度は淡々としたものだ。

 それはベレトらしい無表情かもしれないが、その言葉に乗る覚悟が汲み取れないような人間はここにはいなかった。家族のような絆を結んだ彼らには分かってしまうものだった。

 

 ガルグ=マクにある館の一つ。ジェラルト傭兵団が拠点として利用するものと割り当てられたそこでベレトが話した内容があまりにも荒唐無稽だったことが始まりである。

 

 館で団員たちが思い思いに体を休めていたところ、訪れたベレトが話があるとして全員を大広間に集めた。

 決戦前に激励の一つでもしてくれるのかと、俺達の坊もなかなか団長らしくなってきたじゃないかとベレトのことを微笑ましく思ったのも束の間。彼の口から語られたものが常軌を逸していて、程度の差こそあれ全員が仰天したのだ。

 

 それはベレト自身が抱える想いと、この先の動きについて。

 最初こそ穏やかな雰囲気だった大広間は徐々に空気が固くなっていき、ベレトがある言葉を吐いたのを皮切りに一瞬で爆発した。

 ヨニックがベレトを殴り飛ばし、同時に踏み出して口を開きかけたジードは抑えに回った。思わず椅子を弾くように立ち上がったレンバスは怒りを隠さない。ガロテやドナイの年長組は揃って険しい表情を浮かべる。

 それくらいベレトの発言が異常だったからだ。

 

「おうレト坊、正直に答えろ……お前、死ぬ気か?」

「そんなわけないだろう」

 

 傍にしゃがんで目線を合わせたレンバスが重々しく問いただすと、口元を拭うベレトは心外だと言わんばかりの声色で即答した。

 

 言葉通り、ベレトの瞳には力があった。何かを諦めた捨て鉢な態度ではない、確かな決意が感じられる。

 だが先ほどの彼の話がもらたした衝撃は、今の言葉と決意を押し流して余りあるもの。傭兵団から慕われる坊だからこそ信じられない。

 

「俺はエーデルガルトを守りたい。そのためにやらなきゃいけないことを整理して、今できることを形にしただけだ」

 

 ベレトの決意と想いが向いている方向を思うと、仲間として応援してやりたい気持ちはある。

 しかし、それにしては話の内容があんまりだった。

 こんな()()()()()をおいそれと認めるわけにはいかなかった。

 

「そのためにお前が死んだら意味ねえだろうが!」

 

 ジードの腕を振り払ったヨニックが怒声で続ける。そのまま大広間の傭兵達に呼びかけた。

 

「おい。今すぐ荷物まとめろ。馬も出すぞ」

「何する気だヨニック」

「決まってんだろ、とんずらすんだよ今から! 確かにお嬢には世話になったがな、だからって帝国のために命まで懸ける義理はねえんだ!」

 

 大広間に響く声に傭兵達は我に返った。ヨニックの焦燥に同調するように何人も動き出す。

 元より一つ所に留まらずとも腕っ節で生きる傭兵だ。帝国から雇われるまでもなく自力で活動すればいい。ガルグ=マクに行くことになった五年前まではずっとそうしてきたのだ。

 また寄る辺ない流浪の身に戻るだけ。稼ぎよりも大事なものがあるのだから。

 

 大声に同意するように頷いた傭兵達は動き出す。少ない荷物をまとめるのに時間はかからない。彼らの足の速さなら今夜の内に行方を眩ませるだろう。

 

 しかし、ベレトはそちら側には行かない。

 

「それでいい」

「……ああ?」

「みんなは逃げてくれ。俺は残る」

「どういうつもりだ」

「さっき話した通りだ。俺は残って戦いに行く」

「それじゃ意味ねえよ、お前も来るんだ!」

「行かない」

 

 ジェラルト傭兵団に話に来たのはただ自分の決意と動きを説明するため。彼らの同意を得るためではなく、むしろ逃げるように促している。

 すなわち、別離。

 ベレトは家族に別れを伝えに来たのだ。

 

「俺はエーデルガルトを守るために戦う。みんなは生きてくれ」

 

 決めたことをそのまま言うだけ。力強さのない淡々とした口調が逆に想いの深さを表しているようで、ベレトの決意に気圧される。

 

 ベレトの頑固さはここにいる全員が知っているのだ。

 訓練でも依頼でも、彼は一度決めたことを最後までやり通す。どんな道筋を辿ろうと表情を変えることなく淡々と進み、時には手を変え品を変え、定めた目標を必ず達成してみせる。

 かつてジェラルトの手ほどきを受け始めた時から、子供のベレトにそこまで厳しく鍛えなくてもと周りが心配するのを余所に不満一つ溢さず父の指導を受けてきた。

 傭兵として依頼に加わってからも、目が覚めるような見事な作戦から目を剥くような策を披露して傭兵達を仰天させながら成果を出してきた。

 今までの付き合いが彼の決意の程を証明してしまう。

 そのベレトがここまで言うからには分かる。彼が意思を変えることはないと。

 

 誰もが言葉を失っている中、不意に口を開いたのは一人の少年。

 

「そういうことならさー、俺も一緒に行っていいよねー」

 

 行儀悪く椅子を揺らしながら話を聞いていたダンダがそう言ってのけたことで空気が変わる。

 

「……急に何言い出すダンダ」

「レト坊は自分で決めたんでしょー? じゃあ俺も自分で決めるってだけー」

 

 どすを利かせたレンバスの問いにも緩く笑ってダンダは答えた。ふにゃりとした笑顔に気負いはなく、それが自然な態度だと分かる。

 

 戸惑う傭兵達を置いてサッと立ち上がったダンダは軽い足取りで間を通り、ベレトに歩み寄ると訊ねた。

 

「レト坊ってさー、お嬢のことどう思ってんのー?」

「エーデルガルトは、俺の大切な人だ」

「うんうん。それって俺らがレト坊を大切に思ってるのとそんなに変わらないんじゃないかなー」

「俺もみんなのことを大切に思ってる」

「へへ、あんがとー。つまりレト坊にとってお嬢は家族みたいなもんじゃねー?」

 

 続く言葉にベレトは目を瞬かせた。

 

 家族。

 血の繋がりがない者でも強い絆を結んだ大切な人ならそう呼んでいいのか。

 いいのだ。ベレトにとってここにいるジェラルト傭兵団は、間違いなく家族のような人達なのだから。

 

「そんならさー、レト坊の家族は俺らにとっても家族みたいなもんでしょー」

 

 そう言って笑うダンダはおもむろにベレトと肩を組む。

 

「ってことでー、俺はレト坊と一緒にお嬢を守りに行くわー」

 

 何てことないように気軽な声音で言うダンダに、傭兵達は大いに焦った。

 団の中で最年少のダンダがこんな宣言をするとは思わなかったのだ。

 

 先ほどベレトが話した作戦に付き合えば間違いなく死ぬ。歴戦の戦士である彼らが一人としてその予感に反論しないほど、ここにいる全員の共通認識。

 若手と言えどダンダも皆が認める傭兵仲間であり、行き着く先が理解できていないはずがない。

 そんなの、むざむざ死ぬために行くようなものではないか。

 

「冗談よせダンダ! レト坊につられてその気になるな!」

「そうだぞ! いくらなんでも無謀過ぎる!」

 

 ヨニックとレンバスが詰め寄るもダンダの表情は変わらない。

 

「俺そんなに変なこと言ってるー?」

「今まで受けてきた依頼とは訳が違うんだ! 勝ちの目を探った作戦があるわけじゃない、死ぬための戦いなんざ傭兵のやる仕事じゃねえ!」

 

 焦った傭兵達は口々に言う。

 

 命あっての物種だ。

 お前のような若いやつが死ぬことはない。

 帝国のことは仕方ないよ。

 こんな事態は傭兵の出る幕じゃない。

 というかレト坊を引き戻せ。

 

 そんな説得も、心を決めた少年には響かなかった。

 

「そうは言ってもさー、そもそも俺らなんてたかが傭兵でしょー。まともな最期があるなんて期待してねーしー。だったらここで大切な家族のために命を懸けられるってのも、けっこう幸せな死に場所なんじゃねーかなー?」

 

 痛ましい達観かもしれない。

 しかしこの時世のフォドラでは、こうして自分の命を割り切って使う人間は少なくない。現代的な『人命あってこそ』という倫理観も広まりつつあるが、戦功を求めたり、守るべき主君のために身を呈する騎士道など、命の消費を前提にした考え方はそこまで珍しくないのだ。

 ある意味ではフォドラの常識的な心構えとも言える。

 

 ただ、ここでダンダが決断したのはそういう常識に沿った判断ではない。

 

「つーかさ、家族(レト坊)が死ぬかもしれない戦場に行くのに自分は尻尾巻いて逃げ出して、みんなは後悔しないのー?」

 

 俺はしたくないな──ダンダの発言に全員が気付かされる。

 これはただの別れではない。ここでベレトを見送るのは、死地に向かう彼へ背を向けることになる。

 

 家族を想って。

 大切な人のために。

 命を張ることで希望を見出せるなら。

 それがダンダの、そしてベレトの決意の源。

 

 こんなことを言われてしまえば、止められないではないか。

 

「やれやれ……死に場所などという言葉を出されては、黙ってられますまい」

 

 ゆっくりと椅子から腰を上げたガロテが進み出て、ダンダとベレトの頭を優しく撫でる。

 ジェラルト傭兵団の最年長である老兵が動いたことで流れはより大きく変わった。

 

「先に年寄りからくたばるのが世の習いというもの。君達が死地へ向かうというのに私が逃げ出しては格好がつかないではありませんか」

「ガロテも行くのー?」

「ええ、私も御供しますよ」

 

 微笑むガロテの発言でさらなる動揺が広がる。

 そして、動き出した流れは止まらない。

 

「おいガロテさん、あんたまで……!」

「すまん、俺もいいか?」

 

 焦ったヨニックを遮るように今度は後ろにいたドナイが手を挙げた。同じように間を割って進み出るとベレトの横に並び立つ。

 

「長々と傭兵やってるけど、ここ以上に居心地のいい組織はなくてよ。どうせなら最期までここでやってこうと思ってたんだ。俺も付き合わせろよ」

「本気か、ドナイ」

「ああ。それにレンバスも、みんなも、考えないか? 俺達の大好きなジェラルトさんがこんな時にどうするかって。俺達がよーく知ってるあの人の信頼に応えなきゃ、今までこの団で傭兵やってきたのが嘘ってもんだぜ」

 

 引き止めるようなレンバスの呼びかけに軽く返したドナイは大広間の仲間達を見渡して言う。

 

 この場にいる傭兵は皆ジェラルトを慕って入団した。

 彼にはカリスマがあった。一団の長としても、一人の人間としても、この人に付いていきたいと思わせる傑物だった。

 ジェラルトほどの男が何故在野で傭兵をしていたのか。疑問はあったがそれが気にならないくらい魅力ある人柄(酒代をツケにしがちなのは玉に瑕ではあるが)で、自然と人が集まった。

 彼の導きによって単純な強さだけでなく人としての信頼までも団員は備えるようになり、いつしかジェラルト傭兵団は大陸最強という評判が付くほどの集団となった。

 五年前にジェラルトが殺されてベレトと同じくらい怒り悲しんだ団員達は、しかし自暴自棄になることなくジェラルトの理念を忠実に守りながら活動を続けている。

 力の使い方を。

 人と人との信頼を。

 ややもすれば落伍者になっていた者も多かったであろう団員達は彼に救われ、その指導を受けたことで真っ当な人間でいられた。

 恩人の一言では言い表せないほどジェラルトの存在は皆の心に深く刻まれていた。

 

 そんなジェラルトが何よりもベレトを大切に想っていたことを全員が知っている。彼がこの事態でどう動くかなんて、ここにいる者なら考えるまでもない。

 

「それによ、もし俺に子供がいたらこいつらと同じくらいの年頃だろうさ。そのこいつらが体を張るってのに何もしなかったら男が廃るぜ」

 

 ダンダとベレトの後ろに回り込んで二人と肩を組んだドナイは笑う。明るい表情でそこに気負いはなく、本心からの同調で言っていた。

 

「だったら僕も連れて行ってくださいよ」

 

 続いて名乗り出たのはジード。近付きながらベレトを見る目はいつも通り優しい目をしている。

 

「正直なところ、帝国はお得意様みたいなもので、お嬢はあくまで雇い主であって個人的な思い入れはそこまでないんですよね。でもレト坊にとっては家族にしたい人なんでしょう?」

「家族……そうなのかな」

「いやそこはしっかり断言してくださいよ。レト坊の家族になる人なら、僕にとっても新しく家族になるようなものなんだから」

 

 ベレトのとぼけた返事に小さく噴き出して楽し気に笑うと、おもむろに彼の頭を撫でてジードは言う。

 

「まったくもう。弟分みたいに思ってた君の家族なら僕だって応援したくなるというものです。こんなの放っておけませんって」

「? 俺は弟なのか」

「忘れたんですか? 昔から僕が君のお目付け役だったでしょう。あれ、やめてませんからね」

 

 最後に額をこつんと指先で叩かれたベレトは目を瞬かせる。その顔を見てジードは楽しそうにまた笑うのだった。

 

 若手から年嵩まで次々にベレトについていくと表明する彼らに感化されたのか、俺も、自分も、そう言って意見を翻す者が続出していく。

 ベレトを放っておけないからか。

 はたまたジェラルトへの恩義からか。

 理由はそれぞれあるのだろう。彼らに共通するのは一人一人が納得していること。表情に暗さはなく、自ら共に行こうと決断したことがある種の誇らしさを自覚させたようで、その顔は明るい。

 先ほどまで大広間に充満していた焦燥が洗い流されたように、傭兵達は生き生きとした姿を見せていた。

 

 死の恐怖は当然ある。

 ただ、それは傭兵として生きる彼らにとって日常的にすぐ傍にあるものなので今さら厭うものではなかった。それよりも忌避すべきものを知っているから。

 家族を、敬愛を失うこと。信頼を損なうこと。ベレトを一人で行かせてしまってはジェラルトの大切な宝を切り捨ててしまうことになる。それは彼らにとって何よりもあってはならないことなのだ。

 

 ここに来て場の流れが揺るぎないものに変わったことを察してレンバスは大きく溜息を吐いた。頭をガリガリ掻きながら、やいのやいのと騒ぐ仲間を見やる。

 

「ったく、新しい団長は先代に輪をかけて無茶しやがる……ついていく方の苦労も考えろっての」

「レンバス、俺は……」

「はいはい分かってるよ、レト坊が俺達に生き延びてほしいって思ってるのは。だが心の声を無視できないのはお互い様だ。だからお前は行くんだろう?」

「……そうだ。俺は、エーデルガルトを守りたい」

「同じだ。俺達もお前を守りたいんだよ。何にも変わんねえさ」

 

 肩をすくめて歩み寄るレンバスにベレトは改めて決意を口に出す。自分達も気持ちはそれと同じだと言ってレンバスは微笑んだ。

 

「だーー! くそ、俺も行くぞ!」

 

 突然叫んだヨニックが近くの椅子にドカッと座り込む。前言を撤回する宣言に注目が集まった。

 

「ヨニック……」

「うるせえ! 何も言うな! 行くっつったら行くんだよ!」

 

 何か言おうとしたベレトを遮ってヨニックはそのままそっぽを向いた。席を立とうとする様子がないので気の迷いで言ったのではないらしく、苦々しく顔を歪めていても彼の本心からの宣言だと分かる。

 

「俺のやることを俺が決めただけだ! レト坊は関係ねえからな!」

「……ああ」

 

 頑として顔を合わせないヨニックの念を押す発言にベレトは小さく頷く。

 いの一番に周りに呼びかけて逃げようとしたヨニックが意見を翻したのを最後に、団員みんながベレトについていくこと表明していた。

 

 意思統一を果たした傭兵団のメンバーを眺めたレンバスは事態をまとめるために声に出す。

 

「まあ、なんだ、言うまでもないだろうが、結局はお前が上手くやらなきゃ共倒れするしかないんだからさ。勝てよ、レト坊」

「分かってる……みんな、すまない」

「謝らないでくださいレト坊」

 

 頭を下げようとするベレトを隣に立つジードが止めた。その制止も切羽詰まった言い方ではなく朗らかなものだ。

 

 誰も強制されてない。強迫観念があるわけでもない。

 みんな、自分の心に従っただけだ。一人の人間として大切なもの、譲れない思い、踏みとどまる一線、そういった捨てられない何かがあるのだ。

 

 もしかするとそれは、エーデルガルトが世界中を敵に回してでも未来のために立ち上がろうとした決意の如く深いのか。

 あるいは、ディミトリがその優しさ故に抱いてしまった帝国への激しい憎しみの如く深いものかもしれない。

 そしてきっと、()()()()()()()()()()()()と決断したベレトの覚悟の如く深いものなのだろう。

 

「確かにあんな話をされて焦ったけど、結局は僕達も自分で決めたんです。レト坊が無理やり命令したとかそんなことはありません」

「そうか。うん……分かった」

「そうそう。謝られたらむしろ気まずいというものですよ。こんな時はそういうものだとサラッと流しちゃってください」

 

 そう言ったジードが軽く握った拳を向けてくる。

 

「それに僕も君も死ぬために行くんじゃない……守るために行く、そうでしょう?」

「もちろんだ」

 

 目線の高さに上げたそれにベレトも自分の拳を合わせた。

 

 力が湧いてくる。

 自分の気持ちを理解して、応援してくれる人がいるというのはこんなにも心強いものなのか──しみじみと考えてしまう。こんな思考も昔ならありえなかった。心から湧き上がるこの力を感じてベレトは胸に手を当てる。

 ソティスがくれた心。生徒がくれた思い。傭兵団がくれた信頼。それらを自覚して戦う力に変えていけることが嬉しい。

 

 自分が一人ではないこと。そして自分一人では何もできないこと。

 その事実を認識する度にこれからやろうとしている作戦が必要なのだと確信する。危険極まりないが、これが今の自分にしかできないことで、何よりエーデルガルトのためになる作戦なのだ。

 

 だからベレトは万感の想いを込めて言う。

 

「みんな……ありがとう」

 

 決戦は目前に迫っていた。




 息苦しい文章になってしまいましたけど、この流れも必要です。
 そして必要なフラグは全て揃いました。書いて出したもの、隠れた伏線、全部使って進みます。

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