風花雪月場面切抜短編   作:飛天無縫

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 さあ、始まります。この小説の山場。
 僕が四年前から頭の中で想定していた場面です。


闇払う光、心繋ぐ手 前編

 雨が降っていた。

 激しいものではない、しかし無視できない降雨がタルティーン平原を濡らす。草を湿らせ、土を濡らし、歩みを阻害する。

 そんな中でも鍛えられた帝国軍は進行を遅らせることなく、予定通りの行軍でタルティーン平原へと辿り着いた。

 

 雨量を見てエーデルガルトは忌々しそうに空を見上げた。

 戦えないほどではないにしろ、これではどうやっても地面に足を取られて兵士達の動きは鈍る。本来の力を発揮できない状況はいつだって望ましくない。不満を垂れるほど子供ではないが、この局面での雨はうっとうしいものだ。

 とは言え嘆いても仕方ない。現状に対応していくのが大切だ。なのでそれに合わせて軍を動かす指示はもう出してある。

 

 この動き方はベレトが会議で提案したものだ。

 ベレトが感じ取った天候の変化に即応して配下の騎士団を動かすのは五年前の課題の時から馴染みのことだ。黒鷲の学級(アドラークラッセ)の生徒はよく知っており、彼らの動きを先導にして帝国軍は動かされていく。

 天地を知り尽くしたベレトの指揮が戦場で味方でいるのは実に頼もしい。

 まるでベレトが帝国軍の総司令官になったように思えて、それは将来の予想図なのだと自分に言い聞かせてエーデルガルトは頭を振った。さすがに少々浮かれ気味の思考である。

 

 そうでも思わないと自然と嫌なことを考えてしまうからか。

 

 ──(せんせい)が私から離れてしまうかもしれない。

 

 ──頼もしく導いてくれる師が私を見てくれないかもしれない。

 

 ──いつも大丈夫と励ましてくれる師が私に触れなくなるかもしれない。

 

 益体(やくたい)もない考えだろう。決戦を前にして私的な思いに耽るなど皇帝として情けないと己を叱咤するも、エーデルガルトの頭から悶々とする気持ちが消えない。

 

 そんな彼女の傍にはベレトがいた。

 

「エーデルガルト、王国軍が見えた」

「ええ、見えているわ」

 

 やや高い丘にいるおかげか、かなり距離があるが平原を挟んだ位置取りに陣を敷いた敵勢が視認できた。青地に獅子が描かれた旗は王国軍のもの。

 王国の精鋭を招集した軍勢は相当な数だ。同じ青地でも獅子の他、家紋を記した旗が軍の大きさを表している。

 

 ロドリグが率いているであろうフラルダリウス兵。

 騎馬兵が固まっているところはゴーティエ騎士団か。

 ペガサスが集まっているのはガラテア天馬隊だろう。

 軽装ながらここからでも魔力の高まりが分かるのは魔導学院義勇部隊か。

 法衣姿の集まりはセイロス教団から王国軍に移った聖教会義勇団に違いない。

 軍の先頭に陣取るのが噂に聞くダスカー重装兵団だ。

 流石の規模である。短時間でこれらの編成をしてみせたディミトリの手腕は侮れないものだ。

 

 しかし数ならやはり帝国軍が上回っている。豊潤な国土の帝国と寒冷地が広がる王国では、そもそも国民の数に大きな差があるのだ。兵数もそれに比例して差があるのも当然のこと。

 さらに今はベレトを指揮官に迎えた黒鷲遊撃軍(シュヴァルツァアドラーヴェーア)を動員して万全の布陣が整っている。

 普通に戦えば敗北はない。

 

 よって問題になるのは、ディミトリの敵意と指揮によって王国軍がこちらの想定を超える力を発揮するかどうか。

 そして同盟との決戦でクロードの奇策を乗り越えたように、ベレトの采配が相手を上回れるかどうかである。

 

 同時に、この戦いにおけるもう一つの問題は……

 

「報告します! 南東より新たな軍勢を確認! 旗によりセイロス騎士団と断定!」

 

(来たわね、レア!)

 

 伝令の報告によって現れたもう一つの敵を察知して、エーデルガルトは緊張を高めた。

 王国軍に並ぶ脅威。ファーガスに身を寄せた教団からなるセイロス騎士団がこの戦場で同時に戦うことになる。

 

 とは言え、これに関しても会議で取り上げられた議題の内であり、散々対策を話し合ってきたのだ。出現は動揺するほどではない。

 そしてベレトの進言通りにセイロス騎士団はタルティーン平原の南東にある森から現れ、北の王国軍に向けて南西から進む帝国軍の背後に回ろうという狙いが見える。彼らに気付かないまま進軍していたら帝国軍は前後から挟まれることになっていただろう。

 

 それに対応する策も決められていた。すぐにその指示を出そうとエーデルガルトは口を開きかけるが、先にベレトが声を上げた。

 

「エーデルガルト、軍を南東へ進ませろ!」

「え?」

 

 思考が止まった。

 

 セイロス騎士団が王国軍とは別方向に現れたら。

 会議で決められたのは、セイロス騎士団の進軍に合わせて帝国軍は一度退いてタルティーン平原に引き込む算段である。

 王国軍とまとめて相手することになるなら、数的有利を活かせる平原へ誘い込んで帝国軍の強みを十全に発揮できる戦いにしようと。

 

 その作戦をまるでなかったように別の動きを指示するベレトを訝しむが、反して体はすぐに動いた。エーデルガルトの指示が軍へ飛ぶ。

 

「っ、南東へ転進する! 軍の右翼を下げ、左翼を上げよ!」

 

 突然出された皇帝の命令に、鍛えられた兵士達は速やかに応じた。急な指示に戸惑う気持ちがあるだろうに、精鋭揃いの軍人はそれを露わにすることなく従った。

 すぐに帝国軍はセイロス騎士団と向かい合う形へと動いていく。

 

 続けて出されたベレトの助言の通りにエーデルガルトは軍を動かした。

 指定の騎士団を前に出し。

 補佐する魔道部隊を併せてやり。

 数を減らしたドラゴンの飛行部隊は下げ。

 そうして指示通りに動く軍を見てエーデルガルトは不意に考える。

 

 おかしい。

 如何に精強な帝国軍と言えど、ここまで滑らかに動けるものだろうか。

 近年は王国との戦時下にあってタルティーン平原での軍事演習は行われていない。今回の軍の編成や陣形は事前に打ち合わせたもので、今この雨降る平原のことは想定外の要素が多いはず。

 にも拘らず、状況の合わさり具合が妙に良い。事が上手く運び過ぎている。

 そんな違和感があるのだ。

 

 これもベレトの導きのおかげだと考えていいのか。

 彼の想定通りだと、慧眼の一言で納得していいのか。

 

 振り返るエーデルガルトの視線がベレトのものと絡む。

 疑念とそれを言葉にしていいのかという僅かな逡巡は、固まる彼女に被せるようにしてベレトが次の指示を出したことでうやむやになってしまった。

 

「セイロス騎士団に()を当てろ!」

「なっ!」

 

 再度、頭が固まった。

 それは帝国軍の虎の子とも言うべき手段。消耗は大きく、何度も使えるものではない。

 戦いが始まったばかりの今それを使えと言うのか。

 

 疑問はある。しかしここでもエーデルガルトの体は即座に動いた。

 

「っ、【トライデント】用意!!」

 

 轟く皇帝の命令に、今度ばかりは近くの将兵が困惑を見せる。

 王国との激突に使おうと想定してあるものをここで使ってよいものか。

 

「お待ちください陛下!」

「セイロス騎士団は以前より数を減らしております!」

「ここで使えば王国軍との戦いが!」

 

 幾つも届く声に対してエーデルガルトは一喝を返した。

 

「違う! 今この瞬間こそが使う時よ! セイロス騎士団を侮るな!」

 

 声を張り上げて部下を促す。この日のために用意してきた最強の手札を切るのはこのタイミングなのだと。

 

 【トライデント】。

 それは帝国軍の豊富な戦力を余すことなく活かした、必勝を期するための必殺計略である。

 三又の穂先を持つ槍になぞらえた名前の通り、敵陣に向けて三段階の波状攻撃を仕掛けるという大規模な作戦。

 ある意味では力任せな、実際には使いどころを誤れば多くの兵を疲れさせるだけに終わるという繊細さもある危うい手段だ。

 

 複数の騎士団を投入すること。

 広大な戦場が必要なこと。

 いくつか条件はあるものの、一度発動できれば必ずや敵を打ち破るであろう最強の計略攻撃。

 扱うには慎重な見極めと大胆な判断の双方が求められるという、強敵相手に用いられるのに相応しい帝国の奥の手。

 エーデルガルトが密かに考案しついに形にしたこの計略は、五年前の士官学校の対抗戦でベレトが打ち出した作戦を雛型として帝国軍で活用できるように整えたものである。

 

 ──後年、この計略は〝アドラステアの槍〟と称されるようになり、帝国に多くの勝利をもたらしたことから様々な逸話や創作に登場することになる。

 

 セイロス騎士団と帝国軍。互いの位置関係、周囲の地形からなる状況。全てが噛み合っている今こそ一気呵成に敵を打ち破れる好機。

 正面は開けた平野。

 左手には勢いをつけられる下り坂がある丘。

 右手にあるのは姿を隠しながら迂回できる小さな林。

 こんなにも理想的な状況を逃す手はない。

 

(そうよね、師!)

 

 命令を発したエーデルガルトは勢いよくベレトへ振り返る。

 そして、見た。

 

(……どうしてそんな顔をするの?)

 

 微笑むベレトを見て、声を失う。

 

 今はそんな表情をする時ではないはず。まるで全てが上手くいったみたいな、安心したような顔の彼がエーデルガルトから思考を奪う。

 戦場で、今まさに戦いが始まろうとしているのに。経験が浅いことを気にしていた大規模な戦いだというのに。貴方を頼りにしているのに。

 

「エーデルガルト」

 

 ベレトの声が耳に届く。他に何も見えないくらい彼に意識を向けるエーデルガルトにはよく聴こえてしまう、静かで、心地好い声。

 どうして今、そんな顔で、そんな声で。

 停滞する思考。反して早まる鼓動。頭の中でぐしゃぐしゃになる意識に沁み込むように声は続いた。

 

「ありがとう」

 

 意味を問うことはできなかった。言い切った瞬間、走り出したベレトが離れていってしまったから。

 同時に軍の中から飛び出ていく何人もの影。示し合わせて動いたジェラルト傭兵団の傭兵達がベレトと合流して離れていく。

 呼び止める間もなく、その姿は見えなくなってしまった。

 

 予定にない動きは即席の作戦か。セイロス騎士団の登場に対応するために指示を出して、彼らは別行動を取るのか。

 エーデルガルトには分からない。分からない……が、それでも彼女は決めている。

 

 ──師を信じる。

 

 それは健気か。いっそ盲目的と言うべきか。

 全幅の信頼と呼ぶには危うい感情を押し殺すように自身に言い聞かせ、エーデルガルトは正面へと向き直る。

 

「勇敢なる帝国の兵士達よ! セイロス騎士団に我らの槍を見せようぞ!」

 

 すでに帝国軍は南東に向けて陣形を整えている。

 胸に湧く嫌な予感を振り切り、最強の槍を放つべく命令を放った。

 

先鋒(せんぽう)! 正面よりベルグリーズ戦団を当て、エーギル星騎士団が追撃! 敵の前進を阻み、足を止めなさい!」

 

 【トライデント】の一番槍。初撃は硬さと突進力のある前衛を出して敵の勢いと相殺させる攻防同時の一手。

 

次鋒(じほう)! 丘からベストラ魔道工兵が雷を浴びせたら、すかさずブリギット猟兵が突撃! 横合いから敵の構えを崩せ!」

 

 続くのは魔法と突進の二重攻撃。足を止めさせた敵に横合いの遠距離から雷を落として、丘の坂を利用して加速した突撃が当て身となって敵陣を崩す。

 

終鋒(ついほう)! 林を迂回した我が覇鎧隊を以て仕留める!」

 

 最後の決め手にするのは皇帝直属の重装部隊。初撃で足を止め、次に崩し、その間に回り込んだ精鋭が挟み込むようにして止めを刺す。

 

 全ての動きを連動させて敵に反撃を許さないことで、こちらが防御に力を割く必要もなく一気呵成に攻め切る。

 ベレトの教えを理想として結実させた計略が今、解き放たれた。

 

 部隊を動かす傍ら、意識の端でエーデルガルトは考える。

 

 ──これでいいのか?

 

 ──間違っていないか?

 

 ──師の意思に適う動きか?

 

 止まらない疑念が頭を埋めそうになっても、それを鋼の精神力でねじ伏せて体を止めない。姿勢を崩すことなく動くエーデルガルトは紛れもなく皇帝だった。

 この時までは。

 

(大丈夫。私は大丈夫。師が大丈夫にしてくれる)

 

 ──その師が離れていったのに?

 

 答えはない。

 与えてくれる彼はここにいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場の流れが大きく変わったことは王国軍も察知していた。

 進攻先を南東に変えて先にセイロス騎士団と衝突する選択をした帝国軍を見たディミトリは険しい目つきをさらに深める。

 

(エーデルガルト……誰にも譲らん! 奴の首は、俺の手で!)

 

 正面から迎え撃つ王国軍に対し、セイロス騎士団は敵の後背を突くために回り込む作戦。二方面の攻撃だけで帝国軍が崩れるとは思っていなかったが、対応するためにどうしても手を割く必要に迫られる。そうして薄くなった敵陣を突破して皇帝を討つ手筈だった。

 エーデルガルトを討てさえすればそれでいい。明確な目標を基にして立てた作戦なのだが、まるで王国軍を無視するように全力でセイロス騎士団に向かう敵軍に疑問を覚え、それを塗り潰す殺意にディミトリは槍を強く握る。

 横から掠め取られるなど御免だ。セイロス騎士団に、レアに、誰にも邪魔はさせない。あの首は俺が獲る。

 

 息巻くディミトリだが、すぐに入った報告に阻まれた。

 

「ほ、報告! 敵接近! 正面から向かってきます!」

「どいつだ!? 敵の詳細は!」

「敵は……しょ、少数! 軽装の一団だけが、ものすごい速さで突撃してきます!」

「少数だと?」

 

 部下の報告に眉をひそめてしまう。この局面で帝国軍でもなさそうな一団が向かってくる? 軽装の? それも、正面から?

 予想外の状況に思わず考えてしまう。そこへ続けて入る報告が答えとなった。

 

「敵の中に【灰色の悪魔】を確認! ジェラルト傭兵団です!」

 

(先生!?)

 

 向かってきたのがベレトだと分かり、まさかの動きに思考が止まる。

 王国軍の先頭で大騒ぎが起きて、それが正面から蹴散らして接近してくる傭兵団の仕業だと理解して目を剥いた。 

 

 雨でぬかるむ広大な平原を一人も脱落することなく横切った傭兵達は王国軍に正面から迫った。

 当然、黙って迎える王国軍ではない。明らかな敵の接近に対応するべく迎撃する。

 そして傭兵団の方もすでに武器を抜いていた。

 

「さあ来るぞ!」

 

 レンバスの声が響いた直後、射かけられる大量の矢の雨を傭兵達はことごとく弾き落とし。

 

「よいしょー!」

「押し通りますよ!」

 

 ファイアーの火炎弾をダンダが叩き返し、ボルガノンの火炎陣をガロテが地面ごと切り裂く。

 

「良い的だぜ!」

 

 前進してくる王国の重装歩兵の足をドナイが弓矢で射止め。

 

「邪魔ぁ!」

 

 敵陣に飛び込んで立ち塞がる王国兵をヨニックらが切り払って道を抉じ開ける。

 

 突撃してきた敵を阻もうとする王国軍を凄まじい勢いで蹴散らし、一気に切り込んでいこうとするジェラルト傭兵団。

 しかしそんな勢いはいつまでも続かない。懐に入り込んだ敵を押し潰そうと王国軍も包囲のために動く。

 

 そうなる直前、槍を大きく振り被ったジードが叫ぶ。

 

「レト坊! 飛ばします!」

 

 即座に反応して跳び上がるベレト。その彼の足を乗せるように伸ばした槍をジードは全力で振り切った。

 

「いっけえええ!!」

 

 槍の後押しを受けて砲弾となったベレトは敵陣を横切り一直線に飛ぶ。

 直後、するべきことは終えたとばかりにジェラルト傭兵団はあっさりと身を翻し、閉じかけた包囲を破って一気に後退していった。

 

 王国軍を無視してその頭上を飛ぶベレトが狙うのはただ一人。

 

「先生!」

「ディミトリ!」

 

 敵の大将を直接狙う暗殺者気取りか。

 

 気付いて槍を構えるディミトリに斬りかかるベレト。天帝の剣とアラドヴァルが鈍い音を立てて交差し、ベレトが飛んできた勢いも相まってディミトリは大きく後退ってしまう。

 受け止めはしても重心が崩れたディミトリを持ち上げるように懐に潜ったベレトは魔力を解放する。ここまでの戦闘を仲間達に任せて自分は魔力を溜めることに専念してきた。溜めたそれをここで解き放つ。

 

「──トロン!」

 

 足裏に描かれた魔法陣から迸る雷の上級魔法に押され、二人の体は一塊となって飛び上がった。

 今や巨漢とすら言えるディミトリの体重も何のその。二人まとめて飛び立ち空を横切るベレトはそのまま王国軍から離れていく。

 

 まんまと国王を取られてしまった王国軍は色めき立った。

 

「陛下ぁ!」

「追いかけろ!」

「おのれ傭兵風情が!」

 

 混乱に陥る配下に向けて、飛ばされながらディミトリは一喝する。

 

「前進を乱すな! 帝国軍との戦いに向かえ! こいつは俺一人で片付ける!」

 

 咆えたディミトリはそのまま飛ばされ、ベレトと二人で王国軍から大きく離されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少し、懐かしい気分だ」

 

 雨のせいか、普段なら王国軍の喧騒くらいは聞こえそうな距離でも静かなもので、離れたこの場にはベレトとディミトリだけ。

 おもむろに口を開いたベレトの言葉にディミトリは睨みを返す。

 

「大聖堂で生徒の相談に応じていたことを思い出す。あの時は手紙越しでのやり取りだったから顔を合わせなかったけど、こうして向かい合って話すと顔を直接見れて、これはこれで大事だな」

「……何のつもりだ」

 

 関係ないとしか思えない話をするベレトに苛立ち、ディミトリは唸るように声を絞り出した。

 

「俺を直接狙ったことは、お前らしい大胆不敵だと評価しよう。ジェラルト傭兵団とお前の力を以てすればこのように実現してしまえるのだから大したものだ」

 

 常識的に考えて、こんな開けた平原で構える敵軍に飛び込んで敵大将を直接狙うなどできるはずがない。

 確かにこういった時代では大将と言えど戦闘のために前に出ることもあるが、大軍の中にいるのなら相応に守られているものであり、最初から手が届くわけがないのである。

 実際に王国軍と帝国軍がぶつかったとしても、ディミトリに刃が届く時は王国軍の大半を倒して最後の方になっていただろう。

 

 それを無視して辿り着き、今こうして一対一の状況を作り上げてみせたベレトに感心と、大きな疑問が湧く。

 

「そうまでしたというのに、何故俺を殺さない」

 

 交差の時、天帝の剣は構えたアラドヴァルを狙った。魔法は攻撃ではなく移動のために使った。

 どちらもディミトリに当てればそれだけで終わっていたかもしれない。少なくとも看過できないダメージは負わせられた。

 そうしなかったベレトの意図がディミトリには分からなかった。

 

「単純な話だ。俺は君を殺すために来たんじゃない」

「何だと?」

 

 軽く返したベレトのことがますます分からなくなる。気負いのない様子からして嘘ではないと受け取れることが余計に理解を拒む。

 が、ふと思い立った。

 

「……ああなるほど。俺を殺すのはエーデルガルトに任せるつもりか。敵国の王に皇帝が止めを刺すのなら、形としては悪くない。国家を行く末を決定付けるこの戦いに相応しい決着を演出したいのか」

 

 生徒同士を殺し合わせるなど愉快なことを考えるようになったなあ先生!──醜悪な想像に嗤うディミトリの怒声が響く。

 お前も成長したというわけか。

 すっかり帝国に染まってしまったのだな。

 まったく喜ばしいことだよ。

 本当に喜んでいるのかもあやしい笑い声を漏らしてディミトリは体を揺らす。その姿を見つめるベレトは無表情を変えない。

 

 不意にディミトリは訊ねてきた。

 

「お前は何故エーデルガルトのような畜生に手を貸す。あの女の本性がまだ分からないのか?」

 

 笑いを止めて聞くディミトリの瞳はどろりと濁っており、言葉の内容ではなく表情を見てベレトは悲痛な思いに駆られた。

 

 これがフェリクスが言っていたことだ。

 ロドリグの提言にも耳を貸さず、恐らくシルヴァンやイングリットの声にも応えようとせず。

 一番傍にいるドゥドゥーはどこまでも主の決定に尽くす従者でいようとするだろうから反発することはないと想像できる。

 今は離れているアッシュの思いも伝わらず、ひょっとしたらアネットやメルセデスから何か言われたとしてそれもなしのつぶてであり。

 そうやって感情に歯止めをかける人が誰もいないまま、心の中で憎しみを際限なく煮込み続けた結果が今の彼なのだ。

 

 この五年、いや、ダスカーの悲劇から十年近く、ディミトリの半生に渡って彼を苛み続けた憎しみが彼をこんなにも歪めてしまった。

 そんな生徒の変わりようを認め、ベレトは思う。

 

(ディミトリ……やっぱり君は優しい人だ)

 

 死者を想って生きてきた。

 死者に寄り添って生きてきた。

 死者の無念を晴らすために生きてきた。

 失ってきたものを忘れず、誰かを思いやる優しさを捨てず、苦しいだろうに目を逸らすことなく今までずっと抱えてきたのだ。

 

 そんな君を敵だと思えない。

 敵だと断じて殺せない。

 俺にとって君は今も大切な生徒なんだ。

 

(だからこれは俺の欲望(エゴ)だ)

 

 小さく息を吐き、ベレトは全ての決意を固めた。

 

「君がエーデルガルトを狙いたいなら好きにしろ」

「……?」

「どれだけ狙おうと、あの子の周りにいる仲間達がそれを阻む。無論、俺も立ちはだかるぞ」

 

 守ると言ったエーデルガルトを差し出すように言っておいて、直後にそれを阻止すると宣言するベレトにディミトリは怪訝な顔をしてしまう。

 

「だけどその前に、今の君をこのまま進ませるわけにはいかない。君を止めるために俺は来た」

「何のことだ?」

「ディミトリ、復讐をやめろ」

 

 まさかの言葉に、思わず一瞬呆けた。

 しかしすぐに嘲笑が浮かぶ。

 

「くっくっく、何を言い出すかと思えば……お前が言えた口か?」

 

 そう、ベレトがそれを言う資格はない。

 

 今までその手のことをディミトリに言ってきた者はいた。

 ロドリグはそれとなく話を振ってきたし、シルヴァンは遠回しにだが諭すように説いてきたことがある。イングリットは反論こそしてこなかったが目には非難の色が浮かんだのを隠せていない。フェリクスなどは過去にまで切り込んで直接詰ってきた。

 その全てがディミトリにとっては価値のない戯言だ。彼にとって復讐は決定事項であり、人生を注ぐに足る目的なのだから。

 

 怒りを以て仇を討つ。それは何よりも正当な行いだ。

 そしてこの正当性はベレト自身が証明している。

 

「なあ先生。五年前を覚えているだろう。ジェラルト殿を殺した仇を討伐するためにお前は俺達を伴って出撃したよな」

「ああ。覚えてる」

「そうだよな。仇を前にして怒りも露わに突撃して、その末に敵を殺しただろう。お前は仇を討ったんだ。怒りと憎しみで、殺したんだ」

 

 分かるだろう?──話が通じた悦び、理解が及ばない苛立ち、ない交ぜになる感情で顔を歪ませるディミトリは叫ぶ。

 

「怒りの念で復讐を成し遂げたお前が! よりにもよってその口で、復讐をやめろと俺に言うか! 馬鹿にするのも大概にしろ!」

「俺だから言うんだ」

 

 それに静かに返すベレトの表情は凪いだままだった。

 資格なんて関係ない、とは違う。ディミトリが評した自分だから言わなければならない、そんな口調。

 今度は分かりやすく苛立ちを見せるディミトリに向かってベレトははっきりと言い切った。

 

「聞けディミトリ。俺がやったあの復讐はだめなんだ」

 

 そしてベレトは語り始める。

 今までに知ったこと。感じたこと。分かったこと。己が積み重ねてきたこと全てを基礎として、生徒を導くために至った結論を。

 

「あの時の俺は怒りに目が眩んだ向こう見ずで、一緒にいた仲間を置き去りにして敵を追った。感情を制御できなくてクロニエを殺すことしか頭になかった」

 

 言葉にしながらベレトは思い返す。当時の自分の行動とその時の思考を。

 敵を目の前にしながら考えていたのは父のことばかりだった。殺されたジェラルトへの、そして殺したクロニエへの感情しか頭になかった。

 戦場に立つ者として、傭兵として、それまで経験してきたものを何一つ活かすことなく力任せに暴れただけの愚か者。

 一言にまとめると、あの時のベレトはただの駄々っ子でしかなかったのだ。

 

「その結果、俺は罠に嵌り、闇に閉じ込められた」

 

 当然である。何も考えず突っ込んでくる向こう見ずが痛い目を見るのは、朝になれば陽が昇るのと同じくらい分かり切ったことだ。

 その順当な結果の代償として、父に続いてベレトは大切な人を失うことになった。

 

「一度囚われれば二度と出られない闇から戻れたのは、ソティスが助けてくれたからだ」

「ソティス……お前を助けたという神祖か」

 

 誰にも見えず、ベレトにしか認識できなかった不思議な少女ソティス。

 尊大な態度であっても慈悲深い眼差しでベレトを守り導いた彼女は、記憶を失った女神の心。セイロス教の教義に記された神祖ソティスその人だった。

 

 取り戻した記憶から女神である己を自覚した彼女は、ザラスの闇に囚われたベレトに加護を与えるとして融合した。体という器に心を納めるだけだと言ってベレトに力だけを残して消えた。

 

「それこそお前の復讐が正当だという証だ。お前の行いを認めたからこそ女神は加護を与えたのだろう。胸を張ればいいじゃないか先生。女神がお前の復讐を肯定──」

「そんなことはどうでもいい」

 

 当時と同じく復讐を言祝ぐディミトリを遮ってベレトは断じた。問題はそこではないのだと。

 

「俺は力を求めた覚えはない。ソティスが消えたことは今も悲しいんだ」

 

 ベレトはずっと後悔しているのだ。

 

「あの時、俺は闇の中で死ぬはずだった。ソティスが救ってくれたから死ななかっただけだ」

 

 力も、加護も、ベレトはいらなかった。

 こんなもの、ソティスが消えた代わりとして手に入れただけでベレトが望んだものではない。

 

 父と傭兵団の仲間みたいに、家族のように思っていたソティスがその身と引き換えにして助けてくれた。それこそがベレトにとって肝要。

 母を知らないベレトには、口喧しくも何かと目をかけてくれたソティスはまるで姉のように思えていた。そのソティスが自ら犠牲になることを選んだから今がある。

 

「俺はあの子を犠牲にして生き延びたんだ」

 

 それはベレトが絶対に忘れてはいけない事実。

 暗い夜空の色から明るい翠色に変化した髪と瞳は、意識する度にベレトに語りかける。

 この命はソティスのおかげで繋がっているのだと。

 

 融合するだけでいなくなるわけではない、とソティスは言っていた。その言葉をベレトは額面通りに受け取っていない。

 

 ──こうしておぬしと話すことは二度とできぬじゃろうな……寂しいのう──

 

 闇の中で交わしたソティスの声をベレトは忘れていない。

 話すことも会うこともできない。それは死んでしまうことと何が違う。消えてしまうならそれは父と同じではないか。

 この身に宿った加護とはその末に手にしたものなのだ。

 

 そんな力を、どうして胸を張れる。どう思えば誇れる。

 生徒を守るために戻らねばと思えばこそやむなく手に入れた力を。

 無理だ。自分にはできない。欲したわけでもない力を振りかざすなんて。

 

「幸運の一言で済ませてはいけない。俺はあの子に顔向けできる何かをやらなければいけないと、ずっと考えていた……それを今、決めたんだ」

 

 生き延びたのならできることがある。ソティスがいなくなっても生きている自分には為せることがある。

 

 ディミトリを見据える目に宿るのは覚悟。

 戦場にまで来て、敵対する立場にもなって、それでもベレトの胸に生まれる揺るぎない思い。

 

「ディミトリ。俺は、君を助けたい!」

「……何だと?」

 

 敵である自分を助けるなどと言い出すベレトにディミトリはどうしても困惑してしまう。悪魔とも恐れられた戦士であるベレトが戦場で口にするとは思えない言葉が理解できない。

 苛立つ。忌々しい。何だそれは。お前はそんなこと言う人間ではないはずだ。

 あるいは脳が理解を拒んでいるのか。ベレトに対する否定的な感情しか浮かんでこない。

 

「どんな道を進もうと、それは君の自由、君が決めることだ。だがそれ以前の問題として、今の君は見てられない。そんな有り様で進ませるわけにはいかない」

 

 迷いなく続ける様子からベレトは確かな根拠があって言っているのだろう。しかしディミトリにはそれは分からない。分からないことを当然のものとして話を進められて苛立ちが増していく。

 

「先ほどから訳の分からないことを……俺の何が気に食わないと言うんだ!?」

「予想はしていたが、直接顔を合わせて確信した。君は何も見えてない。何も耳に届いてない。本来なら理解できるはずのことを置き去りにして、復讐のことしか考えてない。今の君は、あの時の俺と同じだ」

 

 逆にベレトは自分の言葉が続くほど闘志が全身に満ちていくのを感じていた。目の前で顔を歪めるディミトリに理解されていないと分かっても、だからこそ何としても理解させるのだと決意が高まっていく。

 だって分からないはずがないのだ。あの心優しいディミトリが。

 これが一方的な押し付けなのだとしても、例え本当の彼がベレトの思う人間ではなかったとしても関係ない。

 ここで見放してしまえばディミトリは必ず破滅するという確信があるから。

 

 そんなディミトリをベレトは見過ごさない。

 そんな生徒がそのまま進むことを許さない。

 

 この身は、国に仕える軍人に非ず。

 この剣は、主に忠を捧げる騎士に非ず。

 この魂は、既に心無き灰色の悪魔に非ず。

 

 ジェラルト=アイスナーの息子として。

 あの学校で生徒を導いた者として。

 

「俺は傭兵で、教師だ。理屈も都合もいくらでも翻してやる。生徒が間違った道に進もうとしていたらいくらでも手を伸ばして引き戻してやる。ディミトリ。君が俺を先生と呼んでくれるなら俺はいつだって先生として君に応える。俺が得た教訓を生徒の君に教える」

 

 闇に沈もうとしているのなら、襟首掴んで引き上げてやる。

 目を閉ざして光が届かないのなら、まぶたを抉じ開けて日差しを叩き込んでやる。

 

「だから──」

 

 君を助けるために──

 

「──今ここで、君のために君を倒そう!」

 

 剣を構え、ベレトは吼えた。

 

「戯言を……! 勝手なことを言うなあああ!!」

 

 アラドヴァルを振り被って突進してくるディミトリに向かって、ベレトも天帝の剣を腰だめに構えて走り出す。

 袈裟懸けに迫る大振りの穂先を、相手の足元へ飛び込むような低姿勢でベレトはかわした。しかしディミトリは槍の勢いを止めず、逆端の柄尻で足元のベレトを叩こうと円運動を活かしてアラドヴァルを振り回す。

 飛び込んだ姿勢のまま、ベレトは地面に向けた天帝の剣の曲げた刀身を戻す力を利用してバネ仕掛けの如く真上へと跳ねた。ベクトルを無視する垂直挙動で柄尻を回避してみせると宙に浮いた体を鋭く捻る。

 柄を戻すのが間に合わなかったディミトリの横面へ、ベレトの飛び後ろ廻し蹴りが入った。

 

 最初の交錯から距離を取ったディミトリは忌々しそうにベレトを見やる。

 歯を食いしばっていたし、地に足を付けてない空中で体を捻った程度の蹴りでは大した威力はなく、ダメージはほとんどない。それでも初撃を相手に奪われたとあって苛立ちはいや増す。

 頬に付いた泥を乱雑に拭ってもう一度アラドヴァルを構える。

 

 着地したベレトは軽やかな身のこなしで構え直す。天帝の剣のオーラが彼の意志を表しているかのように強く燃え上がる。

 

「来いディミトリ、最後の授業だ!」

「ほざけええ!!」

 

 怒れるディミトリへたった一人で挑むベレト。

 孤立無援のまま、強大な敵を相手に、その敵を殺すのではなく制する戦い。

 この状況は彼が意図して作り出したものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、まあったくよう、酷い貧乏くじを引いたもんだぜ」

「それは言いっこなしですよ。僕らはみんな一蓮托生なんですから」

 

 ヨニックが辟易した声を出すと隣のジードがその背を叩く。

 何しろ目の前に広がるのは一面の王国軍。右にも左にも見渡す限りの敵で、その数は考えたくもないほどだ。

 

「おほー、すっげえ数だー! 大盤振る舞いってやつだなー」

「それ、使い方合ってるのか?」

 

 敵の大軍を見てはしゃぐダンダにツッコミを入れるドナイ。

 気軽に談笑する彼らは戦場にいるとは思えないほどリラックスしていた。

 

「さてさて……一人当たり何人相手すればよいのやら」

「考えるだけ無駄だぜ。手当たり次第やってくくらいの気持ちでいようや」

 

 得物に手をかけたガロテの呟きをレンバスが拾って笑う。

 彼の言う通り、考えるのも嫌になるほどの戦力差が見て取れるのだから。

 

 ベレトと一緒になって王国軍の陣営に飛び込み、彼をディミトリの下まで送り届けたジェラルト傭兵団は作戦の第一段階の成功を認めると、即座に第二段階へ移った。

 切り開いた陣営を戻って平原に辿り着くと、王国軍の前で全員が横一列に並ぶ。

 帝国軍へ向かうのを遮るように。

 ディミトリの救援に駆けつけるのを阻むように。

 そうして幅を取っても王国軍の横幅にはまるで足りず、すっぽり呑み込まれてしまうほどの人数差が見て取れる。

 

 所詮はたかだか傭兵団。数で言えば軍の部隊一つ程度しかいない。

 にも拘らず彼らがここに立つ理由は分かり切っている。

 戦場に来たのなら、戦うのみ。

 

 降り注ぐ雨の冷たさも気にならない、煮え滾るような決意を開放させる傭兵達は敵を見据える。

 

 立ち向かうのは王国最強を誇る獅子王隊擁する王国軍。

 万を超える兵の数。国中から精鋭を結集させた決戦のための軍勢。

 それは紛れもなくファーガス最高の戦力だ。

 

 だが王国最強が何するものぞ。対する我らは大陸最強たるジェラルト傭兵団。

 揃うのは各々が単独で冬山のダスカーベアをも仕留める猛者ばかり。

 ジェラルトの遺志を継ぎ、ベレトの意思に続く我らは一蓮托生の戦鬼。

 

「お前ら、分かってるよな」

 

 一歩進み出たレンバスが剣を掲げるのに合わせて全員が一斉に身構える。

 

 これより始まる戦いは今までのものとは全く違う。彼らにとっても未知の決戦。

 しかしその胸に臆する心はない。

 踏み出す足に躊躇いはない。自ら歩むと決めたから。

 武器を取る手に迷いはない。自ら戦うと決めたから。

 戦場に向く顔に恐れはない。自ら往くと決めたから。

 

 目的は()()()()()()。王国軍と帝国軍をぶつけさせないために、正規の軍属ではないジェラルト傭兵団が進路を遮る。

 ベレトが勝つまでの時間稼ぎができればいい。あいつがディミトリを何とかしてくれれば、両軍の激突を回避できればそれが勝利となる。

 そのためなら俺達はいくらでも戦えるから。

 

「一人も殺すなあああああ!!!」

「「「「「うおおおおおおおおお!!!」」」」」

 

 家族のために──鬨の声を上げる傭兵達は決死の戦いへと駆け出していった。




 すごく簡単に言うと、王様に直訴する平民、という構図かもしれない。
 いつの時代も平民側は物申すだけで命懸けなんですよね。
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