風花雪月場面切抜短編   作:飛天無縫

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 エーデルガルトとディミトリ。帝国軍と王国軍。決着はこういう形になりました。
 ベレトの導きが未来をどう変えていくのかはこの先で明らかになっていくでしょう。
 確かなのは、ここにいる誰もが必死だということです。


闇払う光、心繋ぐ手 後編

 激戦だった、とドゥドゥーは直前を振り返る。

 まさかこんな事態になるとは想定しておらず、動揺は少なくなかった。

 

 タルティーン平原へ陣を張り、いざ帝国軍との決戦と意気込む王国軍へ向かって平原を突き進む一団を認識した時から衝撃は続いた。

 いきなり現れて、矢の雨も魔法も物ともせず突っ込んでくるジェラルト傭兵団。彼らの突撃で切り開かれた王国軍はまんまと侵入を許してしまい、僅かな時間で散々に掻き回された。

 百にも満たない少数の傭兵達に、王国軍は完全に乱されたのである。

 

 そしてベレトの手によってディミトリが引き離されるという大失態。一人で何とかすると言い張るディミトリの弁をそのまま受け入れられるはずもなく、大急ぎで救助に向かおうとするもそうはいかなかった。

 王国軍を乱し、総大将のディミトリを連れ去る。これだけでも戦果としては充分だろうに、何を考えたのか、離脱したはずのジェラルト傭兵団は王国軍のすぐ前で立ちはだかったのだ。

 構えからして目的が足止めであることは明らかだった。

 

 蛮勇と呼んでも足りない暴挙である。彼らがどんなに強いと言っても数の差があり過ぎる。不意を突くならともかく真っ向勝負で王国軍に敵うはずがない。

 そんなことくらい分かっていたはずだ。それでもジェラルト傭兵団は再び突撃を仕掛け、今度は切り開くのではなく本当に足止めのために王国軍の前進を阻んだ。

 結果として彼らの目論見は成功したのだろう。王国軍はジェラルト傭兵団によって動きを止められてしまい、戦場では何よりも貴重な時間を浪費させられたのだから。

 

「すぐに陣形を立て直せ! 被害状況も確認しろ!」

 

 最前線で戦っていたドゥドゥーは周囲に呼びかけた。自分の周りにいるダスカー重装兵団、その近くにいる王国軍にも伝達させる。

 急いでディミトリを助けに行かなくてはならない。そして帝国軍がセイロス騎士団との戦いを終えてこちらに向き直るまでに王国軍を落ち着かせなければ。

 

 しかし、負傷者に手を貸している最中に受けた報告で驚きの現実が知らされる。

 

「死者がいない?」

「ああ。怪我人は数え切れないくらい多いんだが……何故か一人も死んでない」

 

 同胞のダスカー人の言葉にドゥドゥーは瞠目する。

 

 進軍を阻まれた王国軍がその機能を一時麻痺させるほどの被害が出ているのだ。長時間の戦闘ではなかったが、損害規模からして死者が出ない方がおかしい。

 負傷者の移送をしている時から流血が妙に少ないことは気になっていたが、改めて確認されると信じがたい内容だった。

 しかも負傷者が多いということは、それを救助するために人手を割かなくてはならないことから相手の足を止める効果もあり、文字通り足止めを助長する。

 そしてジェラルト傭兵団の実力を思えば、彼らが意図してこの状況を生み出したことが予想された。

 

 ジェラルト傭兵団。ベレトの仲間であり、今は帝国に力を貸す敵の一つ。この平原に現れたからには帝国軍の一部として同じように自分達と戦う相手だ。

 こうして戦場で遭遇したからには戦うことを厭いはしないが、ドゥドゥー個人としては彼らに悪印象はない。

 

 五年前の士官学校でベレトを通じて彼らに会い、時には戦闘で肩を並べ、時には指導を受けたこともある。模擬戦をしたり、訓練所で顔を合わせたり、談笑した記憶もある。それらは決して悪いものではなく、むしろ胸を温めるものだった。

 

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

 

『お、ほんとだ、ダスカー人がいる』

『珍しいな。ファーガス以外じゃ見ないのに』

『俺は初めて見たよー。ほんとに肌が黒いんだなー』

 

 初対面の時から気安かった。遠慮はなく、恐怖もなかった。

 

『あんたらは……俺が、怖くないのか?』

 

 フォドラの人間にはない初めての反応に、つい聞いてしまった。

 

『は? 何で?』

『よく聞く噂のことでしょう。ダスカー人に会ったら食われる、とかいう』

『なんじゃそりゃ。熊かよ』

 

 冗談のように鼻で笑われるのも初めてだった。

 

『ばっか言え、お前みたいな小僧の何が怖いってんだ。本当に怖いもんに比べりゃ熊だろうがダスカー人だろうがどうってことねえんだよ。何が怖いかって、お前、それはな、それはなあ……!』

『やめろ絡むな絡むな。わりいな坊主。こいつ、うちの新入りでよ』

『すみませんね、少し前に今年のブートキャンプが終わったばかりでピリピリしてるんです。気にしないでください』

 

 それどころか逆に気を遣われた。理由は分からなかったが。

 

 

 

 ……

 …………

 ………………

 

 

 

 今し方戦った中には覚えのある顔もいた。それほど深く関わったわけではないが、親切にしてもらったこともある。

 ベレトみたいに不思議な連中だった。ダスカー人を嫌うことなくフォドラ人と同じように話しかけてくる人間に、どこか救われた気持ちになれたものだ。

 

 五年前、士官学校で過ごしている最中にファーガス西部のダスカー地方で小規模な反乱が発生して、生き残りのダスカー人による蜂起を鎮圧しようと近隣の諸侯が軍を動かしたことがあった。

 ディミトリが教団から派遣される戦力の中に自分達を加えてもらえるよう頼んだ際に、ベレトにも協力を頼むとジェラルト傭兵団まで連れてきてくれたのだ。

 彼らのおかげでダスカー人を救うことができた。精鋭の軍に編成されておいてその軍を出し抜いて動けたのはあの傭兵達の協力があればこそだとドゥドゥーは理解している。

 

 ドゥドゥーとしてはジェラルト傭兵団の面々は好ましい人達だと感じていた。恩人と言ってもよく、ダスカー人に偏見なく接してくれる人間はありがたい存在だ。

 そんな彼らとこうして戦うことになってしまう戦場の奇縁を思うとやるせない気分になる。

 

 何故ジェラルト傭兵団が突撃してきたのか。どうして王国軍に無謀な戦いを挑んだのか。何を考えて一人も殺さなかったのか。()()()()()()()()()()()()

 ただ、彼らがベレトの指揮によって動いていたなら……ベレトと彼らが今も昔と変わらないのだとしたら……そのベレトにディミトリを任せて自分達はここに留まった理由は……

 

「おーいドゥドゥー!」

 

 考えながら動いているとシルヴァンが近付いてきた。立派な黒鹿毛の馬を駆る彼はゴーティエ騎士団を引き連れており、すでに部隊の再編を終えたようだ。

 

「動ける俺が一足先に陛下を迎えに行くぜ。お前はそのまま軍を立て直してくれ。前線はダスカー人が頼りだからな」

「承知した、陛下を頼む」

 

 流石と言うべきか、誰よりも早く動けるようになったシルヴァンはディミトリの助力を任されたようで、出発がてらドゥドゥーに伝えに来たのだ。

 自分もディミトリの下へ馳せ参じたいと考えるドゥドゥーだったが、ゴーティエ騎士団のように濡れてぬかるんだ平原を高速で移動するのは難しいと判断して、その役目をシルヴァンに託すことにした。

 

「それと念のためにメルセデスも連れていくからな。怪我人は残ってる教会の義勇団と、後はアネット達にも頼れよ。そっちで何とかなんだろ。酷い重傷者はいないんだよな」

「ああ、そうだが……陛下が深刻な傷を負うと?」

「先生と戦ってか? いや~、それはないんじゃないかね」

 

 戦場だというのに軽く笑うシルヴァンはまるで試すような視線を寄こした。

 

「お前だって何かを期待してるんじゃないか? わざわざこんな状況を作ってまで陛下を手にかけるくらいならもっと確実な手段を取る。それよりも先生なら俺達の想像を超える何かをやってくれるんじゃないかってさ」

「それは、どういう……」

「あの人を助けてくれる」

 

 敵であるはずのベレトに対する揺るぎない信頼を込めてシルヴァンは言う。それはお前も同じなんじゃないかとドゥドゥーに目で問いかけて。

 

「まあ、それも今から分かることさ。じゃあ行ってくるぜ!」

 

 それだけ言うとシルヴァンは走り出していった。

 見送りもそこそこにしてドゥドゥーはまた負傷者の手配に戻る。言われた通り教会義勇団に呼びかけて手当てを急がせる。

 

 動きながらドゥドゥーはどうしても考えてしまう。

 

 先生は何をしようというのか。

 陛下に何をするつもりなのか。

 俺達は何をしているのか。

 

 これは戦争のはずだ。帝国を打倒して、死者の無念を晴らす復讐でもあるとディミトリは言っていた。ドゥドゥーもそこに否やはない。

 だがこの衝突の果てに本懐を遂げられる未来があるのだろうか……考えていた戦争とはかけ離れた行動をするベレトとジェラルト傭兵団を見て、生まれた疑問が消えなかった。

 

 従者は主に尽くし、主の言うことに忠実であれ。主従とはそういうものなのだと教わり、ディミトリに仕えてからずっとそうしてきたドゥドゥーだが、彼は決して考えなしの人間ではない。

 自分の意思はあるし感情もある。基本的に主君全肯定なドゥドゥーでもディミトリに対してその命令は聞けませんと反発したこともある。

 真に相手を想うとは時に対立することもあるのだと彼は学んでいた。

 

 かつてディミトリを助け、ダスカー人を救う作戦に手を貸してくれたベレト。ドゥドゥーにとっても恩人であるそのベレトが、無謀としか思えない行動でディミトリと対峙している。それが一体何を意味するのか。

 状況を考えれば主の危機に違いないのに、何を差し置いても主の下に駆けつけようという焦燥感が湧いてこない自分の心がその答えではないか。

 

 あの人を助けてくれる──先ほどのシルヴァンの言葉が耳を離れない。

 もし本当にベレトが危険を冒してでもディミトリを助けようとしてくれるなら。

 

(先生……俺は、あんたを信じたい)

 

 懐に手を当てる。厳重に包んだ紋章石があることを確認してドゥドゥーは思う。

 

 最前線に立つ自分が帝国軍とぶつかる際にこれを使って魔獣に変じれば、敵に凄まじい被害を与えられるだろう。楽しげに渡してきたあの女を信用したいわけではないが、後がない王国としても勝つために手段を選んでられないのも事実。

 積極的に選びたいわけではない。しかし王国の、ディミトリの勝利のためならば命を捧げることも厭わない。ドゥドゥーにはその覚悟がある。

 

 それでも、こんな手段を使わずに済む導きが主にもたらされたその時は。

 

(そうなったら、もう一度、あんたを信じてみよう)

 

 ドゥドゥーらしくもない、そんな祈りにも似た気持ちを抱くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディミトリは混乱の極致にいた。

 

(こいつは……これはいったい、何なんだ!?)

 

 されるがままに、目の前の相手に何もできずにいた。

 

「うあああああ!!」

 

 歪な動きで駆け寄るベレトが大振りで殴りかかる。避けようともしないディミトリの胸に当たる拳は体重が乗っていないせいか、多少後退るだけでろくなダメージがない。

 そしてベレトは止まらない。間合いを空けることなく詰め寄って、殴りかかり、蹴りかかり、明らかに肉体が追いついていないのに意志の力で食らいつく。

 踏み込み、体捌き、重心移動、何もかもがめちゃくちゃな動き。戦士どころか人間として、子供よりも拙い攻撃。本来の彼ではありえない異常な動作。

 無理もない。今のベレトの体は完全に壊されているのだから。

 

(どうして!?)

 

 人体の限界を無視して強制的に己を戦わせるベレトは、明らかに正気ではない。

 あれだけ壊されて、痛めつけられて、どうすればそこから動けるのか。

 両腕も両脚も確実に折れている。左脚に至ってはアラドヴァルで貫いたから筋肉もズタズタだ。それはやった本人であるディミトリが知っている。

 その崩壊寸前の体を、全身に巻き付けた天帝の剣の力で無理やり動かしている。

 言葉にすると一文で済ませられる所業を思えば総毛立つしかない。

 

 英雄の遺産を武器ではなく動作を補助するために使う発想は、天帝の剣を立体機動のために使いこなしてきたベレトならでは閃きだろう。恐らく歴代の遺産の担い手の誰一人としてこんな使い方をしなかったに違いない。

 しかしそれで感心するかは別である。

 こんなもの、常識を超えた発想とは言わない。ただの狂気だ。

 

(どうしてお前は戦える!?)

 

 壊れて動かせない体を無理やり動かしてでも戦う。それ自体はディミトリも理解できることだ。自分だって目的のためなら何があっても戦うことをやめないだろう。

 命が尽きる最後の一瞬まで戦う。なるほど、それが実現できるなら素晴らしいことだ。本懐を遂げるために全身全霊を尽くしている姿は尊敬するかもしれない。

 ディミトリ自身が復讐のために生きていて、エーデルガルトを殺すためなら文字通り手足が千切れたとしても戦い抜く覚悟がある。

 

 ただ、それは相手を殺すためだ。あの女の首を斬るためだ。復讐という何よりも強い目的意識があるからだ。

 それ以上の強い意志をディミトリは知らない。分からない。だから困惑する。

 ベレトから殺気を感じないことに。

 

(どうしてそこまでする!?)

 

 攻撃と言わず、些細な動きの度に筆舌に尽くしがたい激痛に襲われているはずだ。

 四肢が折れた体を強引に動かし続けるなど、まともな思考ではない。

 そうまでして戦うベレトの目的に殺意がない。

 

 分からない。どうしてお前はそこまでする。何のために戦える。

 エーデルガルトを守るためか。馬鹿な。お前がそこまでする価値なんてないんだ。

 俺を止めたいならさっさと殺すべきだろう。お前ならそれができただろうに。

 

 パニックに陥りろくに動けないディミトリに向かってベレトは大きく踏み込む。

 

「っだああ!!」

「ごふっ!」

 

 深々と体を沈めたベレトは全体重を込めた勢いでディミトリの脇腹を殴り上げた。

 堪らず呻く。先ほどまでの拙い動きとは違う、下半身の踏ん張りと重心を利用した攻撃はディミトリの巨体が持ち上がるほどの威力だ。

 学習している。僅かな時間で、より強い攻撃ができる体の使い方を。

 

(馬鹿なことをするな!)

 

 更なる困惑がディミトリを襲う。

 

 攻撃とはそれを為す土台があってこそ叶うもの。より大きなダメージを与えようとするならそれに応じて強い肉体が必要になる。

 何故なら、この世には作用反作用の法則という絶対的な自然現象があり、人間のあらゆる動作には必ず反動が伴うからだ。

 どんな肉体動作の達人だろうとそれを完全に無視することはできない。だからこそ上級者になるほど無駄を省き、余計な力みを削いでそういった反動を抑えて動く。

 

 ディミトリは今まで何人もの達人を見てきた。多くの指導者から教わった。誰もが肉体的にも技術的にも、力の入れ方も抜き方も巧みだった。

 その経験がディミトリに伝えている。今目の前で戦うベレトの動きは絶対にしてはならない動作を強行しているものだと。

 

 ただでさえ壊れた体を自分でさらに壊しているようなものだ。

 地面に叩きつけて割った壺をさらに踏みつけて砕いているようなものだ。

 正気ではない。

 

 何のためにそこまでする。

 何がお前をそうまでさせる。

 分からない。分からない。分からない。

 

 困惑が理解を超える。理解を上回った感情は身を守るために対象への恐怖を呼ぶ。本能が目の前の相手への恐怖を浮かばせる。

 怒りも憎しみも追いつかない恐怖がディミトリを襲っていた。

 

 対するベレトの思考はとてもシンプルなものだった。何しろ彼は最初から一つのことしか考えていないのだから。

 

「止まれディミトリぃ!!」

 

 ディミトリを助ける。

 そのためにディミトリを止める。

 初志貫徹のためにベレトは戦っていた。

 

 自分は話すのが得意ではない。そして対話で何かを変えられる段階はもう過ぎた。それでも変えたいなら行動で示すしかない。

 五年前のガルグ=マクでは対立したまま別れてしまった。先月のアリアンロッドでは酷い決裂が起こってしまった。もうこのタルティーン平原にしかチャンスは残されていない。

 決戦が始まる寸前の今が本当に最後。ここを逃せばもう手遅れだ。ベレトが求めるものは絶対に手に入らなくなる。

 今ここでやるしかないのだ。

 

 全身が痛い。痛くて痛くて仕方ない。脳内がただただ「痛い」で埋め尽くされて、尚も同じ思いが無限に湧いてくる。

 腕も脚も燃え上がるような激痛。骨ごと芯から断ち割られるような灼熱感。視界が赤黒い火花で満たされて、絶え間ない絶叫が喉を叩く。

 何という、何という凄まじい痛みだろう。これほどの苦痛に耐えられる人間がいるのだろうか。

 

(どうでもいい!)

 

 その痛みを、ベレトは一蹴する。

 その痛みを上回る悲痛を、ベレトは知っている。

 

 歯を食いしばって立ち向かえる痛みが何だというのか。この世には耐えることすらできず、受け止めるしかない悲しい痛みがあるのだ。

 大切な人を死なせる──心を引き裂く喪失の痛みに比べれば体の傷なんかものの数ではない。

 

 俺は諦めない。

 エーデルガルトを守ることも。

 ディミトリを助けることも。

 どちらも諦めないと決めたんだから。

 

「はあああああああ!!」

 

 激痛の絶叫を戦意の咆哮へと変えて、ベレトは舞った。

 

 潜り込んだ懐から体を伸ばしてディミトリの顎へアッパーカット。

 重心が軸足に残っている内にターンして後ろ廻し蹴り。さらに回転してもう一度廻し蹴り。二度続けて相手の腹部を撃つ。

 たたらを踏んで下がるディミトリを追って再び前へ踏み込む。彼の額に頭突きを当てて体を強引に押し上げる。

 浮いた自身を落とす勢いで相手の手首を手刀で叩く。仰け反るディミトリの手から握りが緩んでいたアラドヴァルを取り落とさせる。

 踏み込んでから天帝の剣を握ったままの右手を振るう。脇腹を撃つボディブローがディミトリの体をくの字に曲げる。

 

 攻撃のどれにも殺意はない。棒立ちのディミトリを次々に襲うそれらはダメージを与えても殺さないよう適切に配慮されたものである。

 

 ここに来てディミトリもついに理解してきた。ベレトは本当に殺す気がなく、むしろ自分を助けるため、何かから守ろうとして必死に止めたいのだと。

 だが、何から?

 分からない。分からないから恐怖が募る。理解が及ばない不気味な存在を拒絶してしまう。

 

「く……来るな!」

 

 訳が分からない感情に押され、腕を振り回して接近を拒む。恐怖に駆られるあまり加減を忘れて振られた手がベレトに向く。

 攻撃のための動きを自身に命じるベレトが回避できるはずもなく、その手が顔面へ振るわれる。

 

 思い切り振られた手がベレトの顔の右側にまともにぶつかり──バヅン──異様な破裂音が聞こえた。

 途端、視界の右半分が闇に染まった。側頭を襲った衝撃に押されながら、突然半減した視野にベレトは戸惑う。

 

(何だ、これは)

 

 視界が塞がれたのとは違う。顔が覆われた感触はない。殴られたにしては頭部の外より内側に響く痛みがあるが、全身の激痛に紛れてよく分からない。

 それよりも、足を支えて踏ん張ると顔の右側からどろりと溢れる血が気持ち悪い。顔のどこかが切れたか。ディミトリの手甲の尖った部分が肌に引っかかったのか。

 

(いや、違う)

 

 流血が目に入って視界が塞がる感覚ではない。これはもっと内側。

 視界が塞がったのではない。視界そのものがなくなっている。

 

(目玉が潰れた)

 

 直感する。頭部の激痛と違和感がベレトに悟らせる。

 ブレーダットの紋章による怪力が加減なく乗った手が思い切り顔面のぶつかったことで、回避も防御もできなかった衝撃がまともに徹り、右の眼球が破裂したのだ。

 

 ぐらりと上半身が大きく揺れる。残る左目の視界が傾き、そこに映るディミトリの表情が悲哀に歪むのが見えて──

 

(知るか!!)

 

 ──直後、ベレトは自身を前方へ飛ばす。天帝の剣による外付けの力で無理やり動かす体は通常の予備動作を無視して強引に前へ出る。

 まっすぐ前へ飛び出したベレトは離れかけたディミトリに迫る。足元の制御もそこそこにして何よりも接近するために踏み出した。

 

 もはや長くは動けない。視界も減り、立つことすらままならない。いくらも経たない内に自分は倒れてしまうのが分かる。そうなる前に終わらせなければならない。

 ここで離されて、距離を取られてしまえば、ディミトリに逃げられてしまえば全てが台無しだ。何もかもが無駄になってしまう。

 

 絶対に逃がさない。

 絶対に放さない。

 ディミトリ、俺は君を絶対に諦めない。

 

 踏み込んで間合いを詰めたベレトは空いている左手を伸ばす。傾く体ごと前に出るとディミトリの左手を強く握り締めた。

 同時に右手の天帝の剣に意思を伝え、剣先のワイヤーを伸ばして繋いだ左手同士に巻き付ける。決して放さないように、離れないように。

 

「捕まえた……!」

「やめろ先生……お前は、もう……」

 

 ガチガチに固めた左手を引いて傾いた体を起こし、ベレトは笑う。

 君が止まらない限り俺も止まらない──苦痛を決意で塗り固めた眼差しがディミトリを貫いた。

 

 壊れながらも笑うベレトを見てディミトリは弱々しく首を振る。その表情は先ほどまでの理解できないものへの恐怖に加えて別の感情が乗っていた。

 それはきっと彼が元々持っていたもの。普段から彼の中にあったもの。

 

(どうしてお前は止まらない? どうしてお前は破滅へ突き進む?)

 

 見ていて怖くなる。見ていると不安になる。

 止まれ。それ以上戦うな。見るに堪えない。やめてくれ。

 このままではお前は死んでしまう。

 

(死んでしまう? 先生が?)

 

 何故そんなことを考える。こいつは敵だ。死んで当然の敵になったんだぞ。

 好都合だろう。こちらが何もせず勝手に死んでいくのだ。別にいいじゃないか。

 畜生に味方した者が愚かな末路を迎えるだけ。自業自得だ。

 

(でも、きっと先生は俺を殺さない)

 

 俺を助けようと必死に戦う人が、俺の目の前で死のうとしている。

 嫌だ。怖い。不安になる。もう見たくないんだそんなのは。

 だってそれは、あの日、俺を置いて死んでいった彼らと同じ──

 

「……ディミトリ」

 

 思いに揺れる自分を呼ぶ声にディミトリは我に返る。変わらない雨の中でも耳に届く声は不思議なほどよく聴こえた。

 

「周りを、見ろ」

「……え?」

「ここに誰がいる……君と俺の他に、誰がいる」

 

 敵のはずのベレトの声に促されて、ディミトリは自然と辺りを見回す。

 

 誰もいない。自分とベレトの他に一人もいない。

 ベレトの手で王国軍から引き離され。

 平原の向こうの帝国軍は未だ近寄らず。

 セイロス騎士団はすでに戦場から去り。

 その平原の只中にいる自分達の周りには誰一人存在しない。

 

 本来なら戦場でこうして味方から切り離されて孤立するなどあってはならない。

 仲間との連携。危ない味方への救援。敵への対抗。あらゆる状況への対応は自軍による協力が前提だ。戦いの中で少しでも優勢を得るためには敵より多くの戦力を当てることが基本中の基本。

 戦況次第でそれが変わることはあるにはある。地形だったり、天候だったり、時期によって当てる戦力をその場その場の判断でどう変えるかは指揮官の腕の見せ所。

 

 孤立してしまえばその大半が叶わなくなる。個人だけで全ての対処に当たらなくてはならない。

 戦場という嵐の中、たった一人で戦わなければならないことがどれだけ難しいか。

 ベレトという強敵を、止めようにも止まらない存在を相手に戦うのが──

 

「俺は、一人だぞ……」

「……は?」

「一人の俺に、援護はない……味方と離れて、一人で戦う俺は、何があっても、仲間に助けてもらえない……」

 

 周囲を見て危うさを察したのにベレトが語るのはまるで逆の内容で戸惑う。ディミトリではなくベレトの孤立という自身の危機的状況。

 

「君は違う……ディミトリ、君には仲間がいる……君を助けたいと、真剣に思う仲間が、たくさんいるんだ……」

「先生……まさか、お前は」

「あの時……復讐に走った俺は、ソティスがいなければ、今みたいに一人で……こうなっていたはずだ……君は、こんな風になるな……!」

 

 ベレトが伝えたいことを理解できたディミトリは絶句する。

 

 五年前。クロニエ討伐に出陣したベレト率いる一行。全学級の中から編成された生徒にはディミトリも選ばれていた。森の奥で起こった戦闘のことはよく覚えている。

 挑発するクロニエに怒りを爆発させたベレトが単独で飛び出し、たった一人で彼女を追い詰めた末に罠にかかったことも。

 出口のない闇に閉じ込められたベレトが戻ってこれたのは神祖ソティスが加護を与えたからだと考えていたが、ベレト曰く、身近に接してきた少女ソティスがその身を犠牲にした献身のおかげだという。

 そんなものは望んでいなかったとベレトは言った。それでも受け入れて戻った彼はずっと後悔しているとも言った。

 あの時、孤立しなければそんなことにはならなかった。我を忘れて飛び出さなければ、一緒にいたディミトリ達と離れなければもっと違う結果になっていたはず。

 

 だから。

 

(だから、仲間を大切にしろと? 仲間の声に耳を傾けろと?)

 

 確かにこの五年間、ディミトリは帝国を憎み、エーデルガルトへの復讐に拘ってきた。仲間の言葉も、臣下の進言も、その大半を押し流して怒りを貫いてきた。

 それは一つの目的に邁進するあまり視野が狭まり、他の全てを蔑ろにしているようなもの。仲間を置き去りにしてしまえばいざという時の助けすら得られない。

 復讐に走ったベレトと同じように、復讐しか頭にないディミトリは同じ末路を辿ることになる。

 

 ()()()俺のようになるなとベレトは伝えに来た。

 

(そんなことを……たったそれだけのことを教えるために!?)

 

 助けたい──ベレトは言った。

 最後の授業だ──確かにベレトは言った。

 こんな風になるな──目の前のベレトは言った。

 

 己が得た経験を教訓として修め、それを生徒に教えているのだ。

 

(本当に俺を助けるために、先生は……!)

 

 だがしかし、とディミトリの中で否定が入る。

 今さら自分に立ち止まることなど許されるのか。

 

 死ねば人はそこで終わり。どれほど無念であっても、死者は復讐を望むことさえできない。だから生き残った自分が彼らの憎悪と無念を背負わなければならない。

 それがディミトリの生きる意味だった。父の、グレンの、数多のダスカー人の死を背負うと決めたその時から。

 ダスカーの悲劇からずっと、そのためだけに生きてきた。士官学校での日々も含めて、復讐を果たして死者の無念を晴らすためのものだった。

 

 そんな自分が、今さら立ち止まる? 生きる目的を変える?

 できるわけがない。あの日、一人だけ生き残ってしまったディミトリが彼らに報いる方法など他にありはしないのだ。

 今だって、彼らの嘆きは止まない。聞こえるのは自分だけ。なればこそ自分がその声を拾わなければならない。でなければ誰が彼らを救ってやれる。

 

 でも、と同時に生まれた何かがざわめく。

 ベレトの姿を見たディミトリの心が訴えてくる。

 

 今の自分にあるものは何だ。死んでしまった者はもういないが、生きている者は確かにいる。先生はそれを大切にしろと言ってるんだ。

 ロドリグ達は確かに頼もしい。仲間に頼れば今までにない道が拓けるのかもしれない。言いたいことは理解できる。

 しかし……いいのか? 死者の無念を背負うのは自ら決断したことだが、それを他人にまで預けるのは本当に許されるのか?

 

 ディミトリは揺れていた。今まで絶えることのなかった憎悪が押しやられ、心には黒々とした炎だけでなく小さいが確かな光が生まれていた。

 それでも踏ん切りがつかない。死者のためにも前を見なければなどという綺麗事では覆せないくらい人生を送ってきた。九年間の積み重ねが今のディミトリを形作っているのも事実である。

 

「聞け、ディミトリ……!」

 

 思索に耽るディミトリを呼び戻すようにベレトがその胸を叩く。たったそれだけのことでも彼には激痛が伴うだろうに、繋いだ腕も引いて。

 

「俺はエーデルガルトを守りたい……だから本当の意味で、君の味方には、きっとなれない……それでも、俺は……君の先生でもあるんだ……!」

「先生……」

「だから、俺は……絶対に諦めない! ディミトリが死に向かうことを許さない! 君が自分から破滅するのを、俺は止めてみせる!」

 

 そう宣言するベレトだが、目の前にいる彼こそ死に向かっているのは間違いない。体は壊れ、脚と目の出血も酷く、死に体と称する他ない有り様だ。

 なのに残った眼差しは今でも力強く、ディミトリには眩く見えて仕方なかった。

 

 味方にはなれないと言いつつベレトの行動はディミトリを助けるもの。憎しみの果てにある破滅に向かう生徒を、我が身を省みず守ろうとする教師のそれ。

 そんなベレトのことをディミトリはもう敵とは思えなかった。昔と立場こそ違っても、彼は今も生徒を導く教師なのだと理解できてしまった。

 恐らくはそれこそが、ベレトにとっての信念にあたる想いなのだろう。

 

(ああ……温かい)

 

 繋いだ手が温かい。

 降り続く雨の冷たさにも負けず、固く締めるワイヤーで繋がれた手と手の間に宿る温もりをディミトリは感じていた。

 

「……お前の手は……こんなにも、温かかったんだな」

 

 静かな面持ちでディミトリは呟く。心は不思議と穏やかだった。

 

 自分を助けようと必死になって戦うこの人は何者だろう。

 敵か? 復讐相手か? 獣に与する畜生か?

 きっと違う。この人はどこまでも教師なのだ。俺達の教師であろうと真剣に努めているだけの、五年前からずっと変わらない先生のままなのだ。

 

 もう随分と朧気になってしまった記憶だが、ディミトリは五年前のある会話を思い出していた。闇から舞い戻ったベレトが戦いを終えてからエーデルガルトと交わした会話である。

 

 

 

『その力を、貴方は何のために使うのかしら。教団のため? または、世のため人のため?』

『生徒のために使いたい』

 

 

 

 ベレトはこの時からはっきりと言っていた。

 彼はいつだって大切な人のために行動できる人間だ。手に入れたものが何であれ、それを私欲のために使うのではなく他者に分け与えられる性分なのだ。

 その性がベレトの行動理念になっている。国などの枠組みに捉われることなく誰かのための一歩を踏み出せる、今も変わらず彼はそういう人間なのだ。

 変わらないベレトの心根をディミトリは確かに感じ入っていた。

 

 その時、ガクンと手を引かれた。

 急に姿勢を崩したベレトの繋いだ手に引かれたのだ。体を支えられなくなった彼の体重がディミトリの腕にかかり、慌てて引き返そうとするが今のベレトの腕が折れていることを思い出してやめる。

 

 引かれるまま地面に突っ伏したベレトを見てディミトリは焦る。

 

「っ、先生!」

 

 屈んで膝を着くと、手を繋いでいたワイヤーが急に解けた。そのままベレトの体に巻きついた刀身も戻っていき、天帝の剣の元の形に納まってしまう。

 英雄の遺産の力を示す光が消えている。担い手の意思に応じる証がなくなっていることが現状を表している。持ち主であるベレトの意識が途切れたのだ。

 

「だめだ……だめだ先生……! お前も、お前までもあの亡霊の中へ行ってはいけない! お前は死んではいけないんだ!」

 

 叫びながら、なんて虫のいい話をと思う。あれだけ殺すと息巻いて、実際に先ほどまで殺意を以て戦い、その手で彼の体を壊した当人であるのにこんなことを言うのは筋が通らない。

 だが構わない。恥など今さら気にならない。情けないのは昔も今も同じだ。こんな自分よりも、目の前で死に瀕しているベレトを放っておけない。

 

 ──女神よ、フォドラを見守る女神ソティスよ!

 

 ──もし貴女が加護を与えた者を今も見放さないのなら!

 

 ──どうか先生を助けてくれ!

 

 ──この人は多くの人に、世界に必要とされる人なんだ!

 

 ──俺なんかのためにこの素晴らしい人を死なせないでくれ!

 

 壊れ物を扱うようにベレトの体を抱え上げてディミトリは胸の内で絶叫した。

 

 助けなければ。この人こそ、救わなければいけない人間なのだから。

 アラドヴァルを拾うことも忘れて走り出そうと王国軍がある方へ振り返ったところで、向こうの方から近付く一団が来ていた。

 

「おーい、陛下ー!」

「シルヴァン!」

 

 先頭で馬上から手を振って呼ぶシルヴァンを見てディミトリは駆け出した。すぐに走り寄って抱えたベレトを見せる。

 

「おいおい、こいつは……」

「先生を、先生を助けてくれ!」

「マジかよ……メルセデス、頼む!」

 

 声を震わせるディミトリに聞きたいことは多いだろうに疑問を呑み込むと、彼の頼みに応じてシルヴァンはメルセデスを呼んだ。

 呼ばれてすぐ同行する一団から飛び出した彼女が近付くにつれてその表情が強張っていく。

 

「まあ、なんてこと……! 先生、しっかりして!」

 

 優秀な白魔法の使い手として今まで多くの怪我人を診てきたメルセデスには、ベレトの惨状は目を覆いたくなるものに違いない。

 それでもすぐに気を取り直して回復魔法をかけるところは彼女も若くして歴戦の強者と言える。魔力を片手で維持させたまま仲間に呼びかけて布や添え木など必要なものを用意させた。

 敵であるはずのベレトへ躊躇なく治療を施すメルセデスに戸惑う者もいたが、彼女を慕う人が多いおかげで指示に反することなくすぐに場を整えられた。

 

 ベレトのことはメルセデスに託すしかないと判断したディミトリだが、不安そうな表情は変えられない。自分の手で傷付けてしまったベレトが心配でたまらない。

 そんなディミトリにだけ聞こえる声でシルヴァンは忠告してくる。

 

「みんなが見てるぞ。シャキッとしな」

 

 言われてハッとする。先ほどまでと違って周囲にはゴーティエ騎士団と少数だが教会義勇団という王国軍がいる。国王の救援のために駆けつけた彼らの目は当然ディミトリに集まっているのだ。

 ここで動揺を見せてはいけないと将としての自覚を思い出し、一瞬だけ顔を拭い表情を改める。

 

「何か言いたいことがあるんだろ? 言ってみな」

「シルヴァン……分かるのか?」

「あんたと何年の付き合いだと思ってんだよ。先生と話して、決断したって表情してるぜ。きっとそれで大丈夫さ」

 

 気張れよ大将──周囲から見えないように背中を叩いてシルヴァンは笑った。彼の明るさに促されるようにディミトリは心を新たにして兵達の前に立つ。

 

 何故か、急に視界が開けたような心地だった。その理由を察してディミトリは胸が詰まる思いになる。

 

(先生……お前は仲間の声を聞けと俺に言った。心配する仲間の声が聞こえてない、仲間のことが見えてないと……違いない。今になって気付かされた。お前が気付かせてくれた。俺を支える人、助ける人、守ってくれる人がいる……先生もその一人だということを)

 

 死者に報いなければならない。その気持ちが消えたわけではない。

 それと同じくらい、自分を助けてくれる仲間に、助けようと体を張ってくれたべレトの想いにも応えなければならない。

 背負うものが増えたというのに、体の奥から力が湧いてくるようだ。

 

 闇を抜けて夜明けを迎えたような晴れやかな気持ちでディミトリは兵達に向かって呼びかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セイロス騎士団の撃退に成功した帝国軍は快勝の勝ち鬨を上げていた。戦力を減らしていたとは言え、以前はフォドラ最強とさえ謳われていた騎士団を正面から打ち破るという戦果は軍を湧かせるには充分なものだ。

 しかしこれで浮かれてはいられないのでエーデルガルトが命じてすぐに陣形を整えさせた。北に向き直らせて王国軍の来襲に備える。

 

「エーギル星騎士団を右側面へ! ベルグリーズ戦団は一度下がって! ヴァーリ弓兵隊は前進の準備を!」

 

 矢継ぎ早に指示を出しながら、エーデルガルトはセイロス騎士団を動かすレアに感心していた。

 あの少ない戦力で一時でも帝国軍と拮抗してみせた上に、敵わないと見るや即座に撤退を決めた判断。その撤退も数が少ないからこそ林の中へ逃げ込むことで、大所帯である帝国軍の追撃を鈍らせる用兵の手腕。

 虎の子として出した【トライデント】で騎士団を破れたのはいいのだが、ここで彼女を取り逃がしたのは惜しいことだった。

 

 それでも帝国軍にほとんど損耗がないまま強敵に勝てたのはありがたい。ベレトと一緒に考案した計略が完璧に決まったおかげだ。

 

(せんせい)は……まだ戻ってきてない?)

 

 突然この場を離れて飛び出していったベレトが戻ってきたという報告は入っていない。彼のことだからきっと有用な策を実行するために動いたのだと思うが、王国軍との決戦には彼がいないと苦しいだろう。

 

「陛下、陣形が整い次第、北に向けて進軍を始めます」

「分かってるわ。ヒューベルトはベストラ魔道工兵に加わって、左翼から──」

「報告です! 王国軍の接近を目視で確認しました!」

 

 ヒューベルトと話しているところへ伝令の兵士が膝を着いたので、エーデルガルトはそちらに向いた。

 予想より早いがまだ間に合うタイミングだ。直接ぶつかる前に陣形を整えられればいい。

 

 エーデルガルトがそう考えたところで、膝を着く兵士が言葉を続けようとしてすぐ口をつぐむのが見えた。

 

「まだ何かあるの? 全て報告なさい」

 

 言い辛そうにしている兵士を促す。伝えていいのか判断に困ると言うより、伝える内容自体にこの兵士が困惑しているようだった。

 

「その……接近する王国軍が、数が酷く少ないことと、奴らが……」

「奴らが、何?」

「し、白旗を掲げております」

「……何ですって?」

「軍の先頭にディミトリ王が立ち、自ら白旗を掲げて進んできます。王国軍の他のところでも見渡す限りの白旗が並んでいて、武装が見られません」

 

 報告を聞いてエーデルガルトはヒューベルトと顔を見合わせた。

 

 戦場における白旗とは、率直に考えれば降伏の意思表示だ。戦いをやめてそれ以上の犠牲を出さないための次善策の一つ。

 そして白旗は、相手に停戦を呼びかける手段でもある。

 

 何故今になってディミトリが白旗を、そんな疑問。

 きっとベレトが何かしたに違いない、そんな確信。

 言葉もなく同意に達した二人は即座に動いた。

 

「ヒューベルト、全軍に通達! 陣を整えた後、全部隊は前進することなくその場に留まること! 構えだけを維持したまま、全ての攻撃を止めなさい!」

「御意!」

「陣頭には私が立つ! 直接ディミトリの出方を見るわ! 私が命令を下すまであらゆる攻撃行為は認めない!」

 

 指示を飛ばしてヒューベルトを見送り、前へ出るエーデルガルトは期待と不安に揺れた。

 決戦に至ろうとしていた状況が今になって良い方へ変えられたのかという期待。

 ここに至っても姿を見せないベレトがどこに行ってしまったのかという不安。

 波立つ心を意識しながらもエーデルガルトは皇帝の顔を崩すことなく動き、軍の陣頭へと進み出た。

 

 報告が入った時点で目視できる距離に来ていた王国軍は、エーデルガルトがその目で確認した時には声も届くところまで近付いていた。

 先頭を進んでいたディミトリも帝国軍の様子を見たのだろう。掲げた白旗をその場に突き立てて足を止め、大きな声で言い放つ。

 

「聞け、帝国軍よ!! 我ら王国は、此度の戦いに停戦を申し出る!! こちら側に戦闘の意思はない!! どうか武器を納め、話し合いに応じてほしい!!」

 

 声を張り上げるディミトリに、今度はエーデルガルトが返す。

 

「その話、信ずる証拠は!?」

「ない! 愚かにもいたずらに敵意を向けるばかりだったこの身からは、言葉だけで信じてもらえるはずもないと理解している!」

 

 潔いディミトリの即答に、それを聞く帝国軍に動揺が見られるが声は途切れない。

 

「故に! これまでの態度を知った上で、これからの我が振る舞いを見て判断してもらいたい! 繰り返す! こちらに戦闘の意思はない!! どうか、停戦を受け入れてくれ!! 伏してお願い申し上げる!!」

 

 そこまで言うとディミトリはその場に片膝を着いた。片手を胸に、逆の手を地に着ける。武器を持たないまま身を屈めて戦意がないことを全身で表す。

 それは騎士が忠義や非戦の意思を示すための、最上位の敬礼の姿勢だった。

 

 続いて、共に並んだ臣下が王に従う。

 真っ先に膝を着いたドゥドゥーから始まり、ロドリグが、フェリクスが、シルヴァンが、イングリットが、伴って進み出た王国の勇士が、仕える王を支えるように同じ敬礼で意思を表す。

 

 敵国の軍の前で、騎士の国の王と臣下達が、最上の礼を捧げて宣言する。

 フォドラの歴史が確かに変わった瞬間だった。

 

 目の当たりにした帝国軍の動揺は大きく、ざわめきが広がった。あのディミトリがエーデルガルトにここまで言い、臣下共々膝を着く姿まで見せるなど、実質的に王国の降伏宣言にも等しい。

 一体どのような心変わりが起これば彼がこんなことをするようになるのか。

 

 しかしエーデルガルトは察した。これこそがベレトの導き。

 不可避と思われた決戦を覆し、和平への道を切り開いた奇跡の一手。

 この停戦はありえなかったはずの未来、彼が繋いでくれた希望なのだと。

 

「いいでしょう! その停戦、アドラステア帝国の皇帝が確と聞き届けた! 我らが目指したものが一つとなった今、未来を変えるために手を取り合おう!!」

 

 その場にいる誰にも聞こえる大声でエーデルガルトが宣言を返す。

 慌てたのは近くにいた帝国軍。その中にいた上位階級の兵士達である。

 

「いけません陛下!」

「奴らは敵でありますぞ!」

「王国が何か罠を仕掛けていないとも限りません!」

 

 口々に進言してきたのは、重装に身を固めていたり馬に乗ったりしている者ばかりだ。恐らくは貴族階級出身の人間なのだろう。軍の中でも立場が低いわけではなく、皇帝に意見する度胸もあるあたり優秀なはず。

 警戒するのは当然のことだ。普通に考えれば敵対していた相手が消耗もしていないのに降伏宣言をしてきたところで鵜呑みにはできない。彼らの反応はおかしくない。

 

 エーデルガルトはそれを一喝する。裏にある事情を思えば即断しなければいけない状況でもあるのだから。

 

「静まりなさい! ディミトリがあのような行動に踏み切ったのなら、それに応えずして未来はないのよ! 我々帝国の力はただ敵を蹂躙するのみに非ず! フォドラの全てを守ることを誇りとしなさい!」

 

 真面目な気質のディミトリがここまで思い切った行動に出た理由。

 本来なら一大決戦に至っていたはずの戦争。入念な準備と高まっていた戦意。それらを丸ごと帳消しにしてでも急いで停戦を決断したのは、それだけ切迫した事情が彼を追い詰めているということだ。

 使者を送り、決議の席を設け、両国の調印の下に戦争を止める。そういう正式な国交をしている時間がない。それどころかあの様子では一分一秒を争う深刻な事態を抱えているとエーデルガルトは危惧した。

 

 帝国軍の眼前で無防備な姿を晒すことの意味をディミトリが理解していないはずがない。憎悪を滾らせていた彼をそうまでさせる理由。王国軍の臣下まで動かす何か。

 その原因は、きっと。

 

(師が説得したんだわ!)

 

 飛び出していったベレトがやってのけたのだとエーデルガルトは確信する。無茶も無謀も乗り越えて、誰にも見えてなかった未来を手繰り寄せたのは彼しかいない。

 そしてディミトリを変えてくれるほどの行動を起こした当のベレトが姿を見せないことが異常事態なのだ。

 

 師が危ない。師はどうしたの。戻ってきて師。

 頭の中でがなり立てる私心を必死に抑えてエーデルガルトは皇帝の顔を保った。今ここで自分が崩れてしまえば停戦などままならないだろう。

 

「……心より感謝する!!」

 

 改めて頭を下げたディミトリは、気を取り直してすぐに続けた。

 

「ついては、この戦いを終わりに導いた英雄達をそちらに返還したい! どうか、彼らを受け入れてくれ!」

「っ! ヘヴリング祈祷兵、前へ! リンハルト、回復の用意を!」

 

 ディミトリの言葉を聞いてエーデルガルトはすぐに呼びかける。振り返って帝国軍にいる回復魔法の得手に準備を促す。

 大急ぎで進み出てくるリンハルトと麾下の騎士団が即席の天幕を張るなどして場所を整えた。

 

 師が帰ってくる。ジェラルト傭兵団も戻ってくる。

 きっと怪我してる。たくさん無茶して、いっぱい傷ついてる。

 大丈夫。大丈夫。大丈夫。

 

 自身に言い聞かせながらエーデルガルトは叫び出したくなるのを堪えた。

 

 そして彼女は知る。自分のために動いた師の末路を。

 

 天幕の中へ運ばれてきたのは、案の定ジェラルト傭兵団の面々だった。誰一人動くことのない彼らはロドリグの判断で回収され、辱められることなく運ばれた。

 そして唯一、メルセデスの全霊の回復魔法を受けながらここまで運ばれてきたベレトが一同の前に姿を現した。

 

 凄惨……そう呼ぶしかない有り様に、目にした者は絶句する。

 四肢は壊れ、右目を失い、重傷の一言では足りない体は死んでいない方が不思議なくらいで、呼吸が止まっていないことだけが命が繋がっている証だ。

 額に汗を浮かべるメルセデスと並んでリンハルトが回復魔法をかけるが、優れた白魔法使いの二人がかりでも絶望を思わせる様相だった。

 

「彼らの働きなくしてこの結果はありえない……だからと言って、俺の口から彼らを称えることがどれだけ厚かましいかは理解しているつもりだ。俺には何も言えない、が……せめて如何なる罵倒も甘んじて受けよう」

 

 沈痛な面持ちでディミトリが告げた。天幕の中へ案内されてから縮みそうになる背を辛うじて伸ばす彼だが、表情から申し訳なさを隠すことができなかった。

 自分を助けるため、エーデルガルトを守るため、運命を変えてみせたベレトを称賛してやりたい気持ちがないわけではない。しかしこの手で殺しかけておきながら彼を褒め称えることがどれほど筋違いか、それが分からないほどディミトリは愚かではなかった。

 

 だからせめてエーデルガルトの激発を受け止めなくてはならないと思った。誰よりもベレトを慕う彼女の怒りは自分こそぶつけられなければならないと。

 今できる償いと言えばそれくらいしかないのだから。

 

 しかし、この時のエーデルガルトは何も聞こえてなかった。

 ベレト以外の視界に映る一切が意識の外だった。

 

 ──死ぬ

 

 ──師が死ぬ

 

 ──死んでしまう

 

 ──師が

 

 ──死んじゃう

 

 ──師が

 

 ──いなくなる

 

 ──消えてしまう

 

 ──師が

 

 ──消える

 

 ──師

 

 ──私の師

 

 ──私の

 

 ──師が

 

 ──死ぬ

 

 ──やだ

 

 ──消えちゃう

 

 ──いなくなっちゃう

 

 ──もう会えない

 

 ──もう話せない

 

 ──もう見えない

 

 ──師が死んだら

 

 ──いやだ

 

 ──師

 

 ──私は

 

 ──だめ

 

 ──師が

 

 ──死んじゃやだ

 

 ──だめなの

 

 ──師がいなくなるなんてだめなの

 

 ──だって私の師なんだから

 

 ──私がだめになってしまうの

 

 ──師がいなくなるなんてそんなのだめ

 

 ──死んじゃだめ

 

 ──師が死ぬなんて絶対にだめ

 

 ──やだ

 

 ──やだやだやだ!

 

 ──だめだめだめだめだめ!

 

 ──いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!!

 

 ──ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!

 

「っ、取り押さえろ!!」

 

 響く怒声に一瞬、天幕が静まり返る。

 一斉に注目を浴びるエーデルガルトは震える指で示して続けた。

 

「この男は皇帝を欺き、私用な目的で帝国軍を動かした!! 戦場に多大な混乱をもたらした罪は到底見過ごせるものではない!!」

 

 指差す先にいるのは、ベレト。

 

「皇帝エーデルガルトの名の下に命ずる!! ベレト=アイスナーを拘束せよ!!」

 

 悲鳴にも似た大声でエーデルガルトは言い放った。

 

 話しかけていたディミトリも。

 傍に仕えていたヒューベルトも。

 回復魔法をかけていたメルセデスとリンハルトも。

 王についてきたロドリグ達も。

 

 天幕の周囲にまで驚愕と困惑が広がった。

 

「待てエーデルガルト! 先生は君を守るために──」

「黙れええええええええええ!!!」

 

 慌ててとりなすディミトリの言葉もエーデルガルトの絶叫で押し潰される。

 暴れ出した皇帝を抑えることができず、場が騒然となった。

 

 雨はまだ、止まない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝国歴1186年。フォドラの命運を決すると思われていた帝国軍と王国軍の激突は、寸前になって意思を翻した国王ディミトリの判断によって未遂となり、両軍は衝突することなく戦いそのものが回避されるという異常事態に終わった。

 後に〝タルティーンの空振り〟と呼ばれることになった珍事である。

 直前にセイロス騎士団を撃退して戦意が高まっていたにも関わらずディミトリの表明をすぐ受け入れて停戦に動いた皇帝エーデルガルトも、当初から和平を求めていた姿勢をこの時も変えていなかったことが分かる。戦時でも現代に通じる柔軟な判断力は彼女の評価を高める一因とされる。

 

 この珍事には幾つも疑問がある。

 出撃前までは帝国憎しの発言を多く残していたあのディミトリが、何故この時から大きく意見を変えたのか。

 この決戦のために国中から戦力を集めてまで動かした王国軍を、何故ここにきて戦わせなかったのか。

 セイロス騎士団を相手取るために反転した帝国軍のがら空きの背中を、何故動かないまま見逃していたのか。

 残された正規の資料は少なく、複数の謎は今も議論の的だ。

 

 しかし近年、同時期に観測されていたある事実が注目を浴びた。

 この〝タルティーンの空振り〟が起きて以降、それまではフォドラ各地で散発的に活動の痕跡を残していたジェラルト傭兵団があらゆる記録からその名を消す。

 1180年に突如として亡くなった団長ジェラルト=アイスナーの墓がガルグ=マク大修道院跡地で発見されたことは記憶に新しい。

 流浪の身となった傭兵達が頭目を失っても統率をなくすことなく帝国領で活動を続けていたことは五年間の資料から読み取れるが……その後の彼らの行方は(よう)として知れないままである。




 そしてこれが終わってもまだ問題は残っています。
 次はレアとの決着です。さあ、どうするベレト。

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