風花雪月場面切抜短編   作:飛天無縫

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 これにて第二部終了。
 ずっとこの着地点に繋げようと考えて書いてきました。続けられて満足です。
 紅花の章の話はここまでとなります。


現れた心、終わり、始まる

 ファーガス神聖王国の王都フェルディアは戦場になっていた。

 セイロス騎士団が最後の砦となる王都に立て籠もり、それを包囲する帝国軍を見たレアは何を考えたのか、市街に火を放つよう命令。動揺する騎士達に向けて断じて降伏などしないと宣言して重ねて命令すると、カトリーヌが従って動くのを皮切りに騎士団も動く。

 騎士団と帝国軍がぶつかる前に王都の中心から火が放たれ、周囲へと燃え広がっていった。

 

「下がれ下がれ! 広場への道を固めろ!」

 

 熱波に負けないよう声を張り上げてカトリーヌは指示を出す。戦場でもよく通る声が市街の中でセイロス騎士団を的確に動かしていく。

 対する帝国軍は手を緩めることなく押し寄せる。数も質も上回る戦力の差を叩きつけるように攻め込んできた。

 

 始まった決戦は明らかに帝国軍が優勢だ。

 致命的なほどの戦力差は覆せるものではなく、突入した帝国軍は薄い防衛戦を易々と突破していく。市街を制して王宮への進軍路を確保すると、エーデルガルトは軍を分けた。

 

 王宮から広がった炎は王都中心の富裕層の家屋を焼き払い、帝国軍を足止めする役目を果たしている。攻め入った勢いのまま大軍で王宮へ進むことはできなかった。

 そこでエーデルガルトは黒鷲遊撃軍(シュヴァルツァアドラーヴェーア)を中心とした少数の精鋭で突入を続ける他、帝国軍の大半を市街周辺へ展開、都市部の制圧に当てた。

 その都市部に向かわせた帝国軍に命じたのは、炎に呑まれそうな建物を倒壊させること。燃えるものを先んじてなくしておくことで炎上が広がるのを防いだのだ。

 王都の中で円状に広がる空間に遮られた炎はそれ以上進むことはなく、フェルディアはその半分近くを残すことができたのだった。

 

 戦力差を見せつけられているような様相はセイロス騎士団に少なくない動揺を与えていた。兵士の中には心が折れて降伏するべきだと叫ぶ者まで現れる。

 その時、王宮に控えていたレアが広場に姿を現し変身した。荘厳な白竜へと姿を変え、巨体から迸る咆哮が騎士団を鼓舞するように背を押す。古の戦場で【白きもの】が聖者セイロスの背に風を送った逸話のように。

 【白きもの】の登場に湧き立つセイロス騎士団が雪崩れ込む帝国軍を迎え撃つ。決戦の第二幕が開けた。

 

 それでも趨勢は変わらない。

 

「最終防衛線も突破されます!」

「もうだめだ……」

「主よ、どうか我々をお守りください……!」

 

(ちくしょう! ここまでか!)

 

 炎の戦場でじりじりと押し込まれていく事態にカトリーヌは歯噛みする。これまで何人もの敵兵を斬ってきたが、その影響をまるで感じさせない帝国軍の猛攻は止まる気配がない。配下の部隊の中にも諦めの声が出始める始末。

 握り締める英雄の遺産、雷霆が帯びるオーラに陰りはないものの、カトリーヌの心には影が差されつつあった。

 

 敵の主力に見えることすら叶わないまま終わるのか。

 せめて……せめてアイツだけは何としても……!

 気迫のまま周囲に目を向けた、その時だった。

 

 戦場で昂る神経に比例して鋭さを増す感覚がそれを捉える。視線を上へ向けると見えたのはどの陣営からも離れてぽつんと飛ぶ一頭のドラゴン。その背に乗った翠の髪の男。

 今まさに思い浮かべた男がそこにいる。

 

「っ、ベレトおおおおお!!!」

 

 思考する暇もなくカトリーヌは走り出した。

 壁を蹴り、家屋を駆け上がり、屋根を跳んでさらに高所へ。最も近い建物から一気に跳び上がると雷霆を振りかざす。

 

 接近に気付いた相手が動こうとするが、遅い。

 

「カトリーヌ、っ!」

「はあああああ──雷迅!!」

 

 赤雷を纏った雷霆を振るうカトリーヌに対し、酷く鈍い反応でベレトは鋼の剣をかざした。際どいところで間に合い辛うじて防御に成功する。

 しかし完全に威力を殺すことはできなかった。鋼の剣はその一撃で壊れてしまい、紋章一致の戦技の余波が迸る。

 

GRUUOOAAA(ウソやーん。・゚(>ᯅ<))!!」

「マズい!」

「逃がすかああ!!」

 

 まともに余波を浴びたドラゴンがそのダメージに大きく体勢を崩して落下する。咄嗟に飛び降りようとするベレトに襲い掛かるカトリーヌ。振り下ろされた雷霆に天帝の剣を合わせて二人は転げ落ちた。

 そのまま強引に地面に叩きつけようとするカトリーヌに、何を考えたかベレトは蛇腹剣を伸ばして長くしならせると接地面をたわませて二人分の着地の衝撃を受け止めた。

 

 ベレトを蹴飛ばしながらカトリーヌは疑問を覚える。

 何をやってるんだ。アンタなら落ちる前に空中でアタシを振りほどくくらいはできただろ。自力で着地できるだろうに、天帝の剣に頼ってアタシごと優しく墜落なんておかしな真似しやがって、何のつもりだ。

 転がって大げさに受け身を取るベレトを目で追い、首を傾げる。

 

 だがすぐに頭を振った。どういうつもりでも関係ない。レア様の敵は全て斬る。それが自分の役目なのだ。

 

「アンタが帝国軍から外れた動きをしてくるとはね。ドラゴンから徽章まで外して、本隊とは全く別の方からこっそり忍び込むなんざ猪口才な手を使うじゃないか」

 

 油断なく歩み寄るカトリーヌを見上げたベレトはどこか苦しそうに反論する。

 

「違う。今の俺は帝国軍から外されている。戦うために来たんじゃない」

「はあ? ワケ分かんないこと言ってんじゃないよ!」

 

 ベレトの言を一蹴してカトリーヌは斬りかかった。

 

 アタシがやらなきゃいけない。こいつだけは仕留めなきゃいけない。帝国軍の最大の要を討たなきゃいけない。レア様の下へ行かせちゃいけない。

 様々な思いが脳裏を走る中、何よりも強いのは個人的な感情。

 

(同じだと、アタシと同じ、守るための剣だと思ったんだ! 同じ側で人々を守るために戦えると思ったんだ! それを、よくも裏切りやがったな! 許さねえ!)

 

 かつて大修道院の訓練場でやった模擬戦をカトリーヌは忘れていない。交えた剣から感じたはずのベレトの意志を今でも覚えている。

 あの時の胸の高鳴りを、伝え合った研鑽を、あの日々を裏切ったベレトへの怒りが体を突き動かす。

 多くの部下を率いる将として戦場に立つ身だという自覚は捨てることにした。ついでに言えば彼女は直情径行な性分である。躊躇いはなかった。

 

「ここで斬られろ、ベレトおお!!」

「ぐっ……!」

 

 迫るカトリーヌの無数の斬撃を、妙に鈍い反応でありながらベレトは巧みに捌く。

 天帝の剣を常に蛇腹の刀身にしてしなやかさを維持しながら振るうことで、まるで布地で受けるような柔らかい防御をしてみせるベレト。力で薙ぎ払うカトリーヌの剛剣でも、まともな剣ではない特殊な防ぎ方では押し切れない。

 しかし攻め方も剣だけに限らない。天帝の剣を抑えるように片手で雷霆を押し付けたカトリーヌの空いた手のショートアッパーが斜め下からベレトの顔を弾いた。

 続けて前蹴りでベレトの腹部を撃つ。くの字に曲がる体に今度こそと振り下ろした雷霆は、それだけは防ぐと振るわれた蛇腹剣が優しく逸らして剣閃が外された。

 踏ん張りが利かないのか、またしても大げさに体を傾けると転がってベレトは距離を取った。彼らしくもない動きを見てカトリーヌは再度疑問を覚える。

 

 何なのだその無様な動き方は。逃げ惑う新兵のような覚束ない体捌きなのに、要所要所でこちらの必殺の一撃だけはしっかり防いでみせる。体一つで済ませられるはずの瞬間でも天帝の剣の性能に頼るみたいに手も足も鈍い。

 まるでベレトではない別人のようだ。

 

 そこまで考えてカトリーヌはようやく気付く。

 

「おいアンタ、目は……体はどうした?」

 

 ベレトの顔に眼帯が付いている。彼の手足が震えていて満足に力が入っていない。

 少し見れば分かるくらい本調子とは程遠いことに。

 

 剣を止めるカトリーヌに対してベレトは何でもないことのように返す。

 

「潰れた」

「は?」

「そんなことはどうでもいい」

「ど、どうでもよくないだろ! アンタ、そんな体で戦場に出てきたのか!?」

 

 まさかベレトが重体のまま現れたとは思いもしなかったカトリーヌは戸惑う。

 時として怪我を押して戦いに出る場合はあるのだろうが、劣勢なセイロス騎士団がするならともかく圧倒的優勢な帝国軍がそんなことをする必要はない。

 積んできた経験からカトリーヌには分かった。目に映る今のベレトはとても戦いに出られる状態ではない。況してや自分との戦闘が叶うわけがない。

 

 あのベレトが、【灰色の悪魔】とさえ恐れられた戦士が、こんな無惨な姿に成り果てるなんて。

 戦場の常だと頭で分かっていても、いざ目にすると衝撃は大きかった。何より、この手で討つと息巻いていた相手との勝負が決して叶わなくなってしまった事実が言葉を奪う。

 

 絶句するカトリーヌ。その彼女を前にしてベレトは態度を変えない。

 これくらい何ほどでもない、と言わんばかりに。

 

「俺はこの戦いを止めに来た」

「あぁ?」

「このまま戦い続けたらだめなんだ。エーデルガルトもレアも今のまま会ってはいけない。会えばきっと悲しいことになってしまう」

 

 天帝の剣を杖代わりにして立ち上がるベレトはどう考えてもまともに戦える状態ではない。どんな素人が見ても同じ結論に達するはずだ。

 誰よりも彼自身がそれを理解しているに違いない。

 

 なのに、ベレトの目は死んでいない。何があろうと目的を果たすという決意が残る左目から感じられて、ボロボロの体に反して活力漲る瞳が異様な迫力を醸し出して目を奪う。

 それは今まさに戦場の只中にいて戦闘で昂っていたカトリーヌが気圧されそうになるほど力強い視線だった。

 

「カトリーヌ、そこを通してくれ。俺をレアに会わせてくれ」

「ば、馬鹿を言え! 敵のアンタを通せるはずないだろ!」

「俺はもう帝国軍じゃない。外されたと言っただろう」

「そういうのじゃないんだよ!」

 

 ベレトの頼みを慌てて一蹴する。

 恐らく王国軍との戦いでディミトリにでも体を壊されたのだろう。ベレトも相当な無茶をやらかしたのは想像できる。

 こんな体なのだ。帝国軍から外されてしまったのも分かる。エーデルガルトだってまともに戦えないベレトを戦場に出すほど愚かではないだろう。重用していた彼を無理させないように後方に置いてきたのも察せられた。

 それでも関係ない。ベレトは敵なのだ。

 

「アンタはレア様の敵じゃないか! だったらアタシの敵だ!」

 

 そうだ。こいつはレア様から大切なものを奪ったらしいじゃないか。あの方があんなに敵視するだなんて、それだけで敵認定するには充分過ぎる。

 こうしてここに現れた時点でカトリーヌが斬る敵だと考えるのは当然。

 

「俺はレアを殺しに来たんじゃない」

「だったら何がしたいんだ!」

「守りたいんだ。みんなを」

「!?」

「エーデルガルトだけじゃない。レアも。君も」

「っ……戯れ言をぉ!」

 

 冗談にも聞こえないことを宣うベレトへ再度斬りかかる。大上段から振り下ろした雷霆をベレトは極端な低姿勢で受け止めた。先端を地面に添えた天帝の剣をかざし、蛇腹の刀身をたわませて雷霆を受ける。

 

「俺は、諦めてない。この戦いを止めてみせる。今それができるのは、きっと、俺しかいない」

「そんな……そんなこと……!」

 

 至近距離で改めて見るベレトの目はやはり力強い。揺るぎない意志に気圧される。

 本気で言っているのか。決着を目の前にしたこの戦争を今になって止めることができると、本気で思っているのか。

 

(本気だ……ベレトは本気なんだ……だって、こいつは……)

 

 嘘を言わない人間なのは知っている。いつだって彼は言葉に出したことを曲げないし、言った通りにしてみせた。めちゃくちゃなことを言った時もそのめちゃくちゃなことを実際にやって周囲を騒がせたり、それが愉快な流れになって人を惹き付けた。

 カトリーヌ自身もベレトを見ている内に彼を認めるようになったのだ。最初は監視目的だった自分までも認めさせたくらい、ベレトの人間性は知っている。

 

 達人の一刀は万言を費やすよりも多くを語るという。

 ベレトは達人と呼ぶに相応しい人間だ。その彼が振るう剣は、時に口で語る言葉よりも心を多く表すもの。

 カトリーヌも相手の剣が語ることを汲み取れる達人だった。戦場で常より冴えるその感覚が彼女に訴える。

 

 何も変わっていない。五年前に訓練所の模擬戦で感じたものと、今こうして合わせた剣から感じるもの。ベレトの剣に乗る彼の意志。

 守りたい、人を、その未来を──それは紛れもなくカトリーヌが知る彼の信念に相違なかった。

 

「アンタは……レア様も守るって言うのか!?」

「そのために、俺はここに来た!」

 

 一際強い返事を受けて見てカトリーヌは顔を歪める。どれだけ頭で考えても心が認めてしまう。

 ベレトは敵ではない、自分と同じく、守るために剣を取る人間だと。

 

(くそ! くそくそくそ! こいつは……こいつなら……!)

 

 そうして一度でも信を置ける人物だと認めてしまえば、彼なら頼んでもいいのではないか、任せてもいいだろうと期待を向けられる相手だとも認識してしまう。

 今まさに敵対しているというのに、都合の良いことだと分かっているのに、彼ならそれに応じてくれると信頼できてしまうのだ。

 直情径行のカトリーヌだからこそ、その直感をすぐに信じられた。

 

「……南から迫る帝国軍を迎え撃つために、騎士団の目は南側に集中してる」

「?」

「レア様がいる王宮は東側が手薄になってる。忍び込むなら東からだ」

「カトリーヌ……」

「アタシの背後の通路から進めば他の騎士団はいない」

「……ありがとう!」

 

 小声で話したカトリーヌに礼を伝えるとベレトは合わせた剣を弾いて彼女の脇を抜けた。言われた通り背後から伸びる細い通路に向けて走る。

 そのベレトに前を向いたままのカトリーヌから声がかかった。

 

「ベレト!」

「っ、どうした」

 

 通路の陰に達したところで足を止めたベレトへカトリーヌは思いの丈をぶつける。

 

「レア様は……おかしくなっちまってるんだ。あの方は、本来ならこんな炎上作戦なんて命じる人じゃない。それはアタシがよく知ってる。ツィリルも、一緒についてきた連中も、みんな知ってるんだ」

「ああ」

「だから、きっと……本当に、ただちょっとおかしくなっただけなんだ。レア様が、元のお優しいレア様を取り戻してくだされば、きっと……!」

「分かってる」

 

 炎が広がりゆく戦場に似つかわしくない優しい声だった。

 口が過ぎたと気付いたように振り返るカトリーヌへ、陰からベレトは静かに微笑んでみせる。

 

「レアも助けたいから俺は来たんだ。きっと助ける」

「ベレト……!」

「信じてくれてありがとう」

「ああ……行け!」

 

 震えそうになる喉を抑えてベレトを送り出した。彼も頷きを返して身を翻し……何故か足を止めた。

 

「そうそうカトリーヌ。悪いけど、俺を乗せてきたドラゴンを保護しといてくれないか? あの子は帝国軍の所属じゃなくて、ガルグ=マクから借りてきただけで」

「な、あん、~~~っだあもう分かったから早く行け! 間に合わなかったらぶっ殺すよ!」

「うん、よろしく」

 

 怒鳴り声で応じるとようやくベレトは走り去っていった。満足に動かない体でも足音を忍ばせて通路の奥へ消える姿を見送るとカトリーヌは溜息を吐く。

 こんな時まで去り際にこちらを脱力させてくれるベレトのマイペースぶりに怒ればいいのか笑えばいいのか分からず、とにかく大きく息を吐いて気持ちを切り替える。

 

(でも、そんなアンタだからアタシも信じてしまうんだ……ベレト、頼むよ……)

 

 願わくば。

 どうか少しでもあの方に救いがありますように。

 そう祈るしかカトリーヌにはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王宮の門前、開けた広場で戦いは繰り広げられていた。

 攻め込む帝国軍の先頭を務めるのは黒鷲遊撃軍(シュヴァルツァアドラーヴェーア)。道中の騎士団を蹴散らし、速度重視で広場へ雪崩れ込んだ彼らはここが正念場だと意気を高める。

 迎え撃つのはレアから姿を変えた【白きもの】とセイロス騎士団の残りの人員、そして立ち並ぶ絡繰りの巨兵達だった。

 

 巨竜の咆哮に背を押されたのは騎士達だけではない。どのような仕組みか、何体もの巨兵が一斉に動き出して迫る様は異様な迫力があった。

 単純な前進だけでもその体躯を活かした物理攻撃になる他、撃ち出してくる魔法の槍は遠距離からでも脅威となって相手を押し返す。体の表面に張った障壁が魔法を弾くなど防御にも優れる難敵の出現が帝国軍を苦しませた。

 

 しかしそれもいつまでも続かない。元より戦局は傾いていた。流れを覆せるほどの力ではない。

 

 広場へ雪崩れ込んだ黒鷲遊撃軍は見事な立ち回りで敵を追い詰めていく。エーデルガルトの指示が飛ぶ度に部隊は動き、入り乱れているようで的確に配備を変える帝国軍が広場を制圧していく。

 

「左翼、弓兵隊、斉射!! 敵の飛行部隊を近付けさせるな!!」

 

「ゴーレムをもっと引き付けて! もう少し……猛火計、今よ!!」

 

「歩兵隊、突入!! 広場を抉じ開けなさい!!」

 

 エーデルガルトの指揮によって王宮前への道が見る見るうちに開かれていく。黒鷲遊撃軍を筆頭にする帝国軍の最精鋭がセイロス騎士団を蹴散らし、広場への道を切り開いた。

 セイロス騎士団も抵抗を続けていたのだが、流れが変わることはなかった。戦力差が大きい中、彼らは健闘したと言っていいだろう。それでも押されてしまい大将への道を開いてしまう。

 

 やがて帝国軍の切っ先が奥の奥へと届いた。

 【白きもの】と相対したエーデルガルトは斧を構えて宣言する。

 

「人を欺き、世界を思うがままに動かす。やはり貴女は女神の眷属! 人も世界も、真の意味で大事ではないのね!」

《世迷言を……! 導いてやった恩も忘れて、私とお母様を裏切ったのはあなた達、人ではありませんか!》

「裏切ったつもりはない! 始めから、信じる道などなかった!」

 

 最後の戦いが始まる。

 

 巨体の一振りだけで周囲を薙ぎ払う【白きもの】は帝国軍の前衛を容易く吹き飛ばす。腕を、尾を、翼を振り回す他にも、口から吐く極光のブレスで広範囲を焼き滅ぼす人外の脅威。

 五年前のガルグ=マクで現れた際、ベレトはたった一人でこの存在を相手取っていたのかと心胆を寒からしめるものだった。

 

 しかしあれから時は経ち、成長した生徒達は全身全霊で戦った。

 飛び出したカスパルの防御が尾の一撃を受け止める。

 駆け抜けるフェルディナントの連撃が障壁を削る。

 跳ね回るペトラの手管が気勢を逸らす。

 遠間からベルナデッタが叫び声と共に放つ矢が足を弾く。

 援護に近付こうとする他の敵をドロテアの魔法が寄せ付けず。

 回復の合間にリンハルトが仲間を転移で大きく動かす。

 死角を突いたヒューベルトの魔法が体勢を崩す。

 踏み込んだエーデルガルトの斧が傷を与えていく。

 強大な敵を相手に渡り合い、上回るほどに強くなっていた。

 

 そして決着の時が迫る。

 

「人が自ら立ち、支え合うこれからの世界に、神の居場所はない!」

 

 血を流して吼える竜へエーデルガルトが宣告を下す。

 次の攻撃がトドメになる。そんな予感がその場の全員に走った。

 

 まさにその時である。

 

 【白きもの】と取り囲む黒鷲遊撃軍の間、中央に立つエーデルガルトの前に炎が墜ちてきた。

 それは剣の形をしていた。地面に突き刺さったその剣から莫大な熱波が迸り、周囲をまとめて吹き飛ばした。

 炎の波に押された黒鷲遊撃軍は大きく後退してしまう。同時に【白きもの】も炎に当てられて数歩たじろぐ。

 火に包まれた王宮前の広場にそれらを超える強い炎が広がり、高まっていた空気を焼き払った。

 

 やがて治まった炎の中から剣が姿を現す。

 

「あれは……天帝の剣!?」

 

 何故あれがここに!? 驚愕と疑問に固まる一同の前にすぐに答えが降り立った。

 

 追いかけるように空から現れた人影が天帝の剣の傍に着地、しようとして失敗したのか、何度も転がって倒れ伏す。相当な衝撃があっただろうにその者は意識を失わなかったようでよろよろと体を起こした。

 黒い外套と翠の髪が見えて、その者が誰なのかは明らかだった。

 

(せんせい)!!」

 

 エーデルガルトの叫びが響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(間に合った)

 

 体を起こすベレトは安堵していた。

 押していた帝国軍と堪えていたセイロス騎士団の戦いは終わっていなかった。本当にギリギリのところで間に合うことができた。

 

 咄嗟に天帝の剣へ火炎魔法を乗せて投げつけたのだが、まるでそれが正しい機能の一つであるかのように爆炎を撒いて両者の距離を空けてみせたのは助かった。

 飛び掛かりそうだったエーデルガルトには悪いことをしたが、こうして何とか間に降り立つことができたのでよしとしよう。

 

(みんなは……よかった、生きている)

 

 帝国軍の方を見やると、エーデルガルトを始めとして黒鷲遊撃軍の仲間が見える。ここにベレトが来たことが信じられないような顔で呆然としていた。

 彼らの姿を認めてベレトはもう一つ安堵する。自分では助けになれなかった戦場で誰も倒れていないことが嬉しかった。

 

《……ベレト?》

 

 その時、ベレトの背後から【白きもの】が溢した声が聞こえた。急展開に唖然としてしまったようで、竜のものとは思えない優しい声色だった。

 振り向いたベレトが見上げると、体のあちこちから血を流したままの巨竜がこちらを見つめている。周囲の炎に照らされた白い鱗が煌めいて、傷付きながら立つ姿には神秘的な美しさがあった。

 

 しかし、すぐに竜の様子は変わる。ギシリと歯を食いしばって、口の端から漏れる吐息には激情が宿っており、視線に今まで以上の思いが乗る。

 

《……っ! 返して……!》

 

 深い傷を負った身では言葉を発するのも厳しいのかもしれない。

 そんな【白きもの】が──レアが口にしたその言葉がどれほどの怒りと悲しみから出たものか、その意味を理解できる者がこの場にどれほどいるだろう。

 たった一言。そこに込められた想いを汲み取れる者がこの世に何人いるのか。

 

 ベレトは、自分がその一人になれていることが分かっていた。

 

「そうだな……うん、そうだよな……」

 

 立ち上がって向き直る。見上げるほど大きな竜が不思議と小さく見えた。

 痺れる足を動かして一歩、また一歩【白きもの】に近付いていく。相手を安心させたくて微笑みを浮かべながら。

 恐るべき威容の竜が、怯えて震える幼子に見えたから。

 

「俺は君から、たくさんのものを奪ってしまった……意図したことではないにしろ、君からすれば理不尽なことばかりに違いない」

 

 ユーリスのレポートを読んだ時から、ベレトはレアに対して申し訳なく思えて仕方なかった。

 

 レアからすれば当然のことをしていただけにも関わらず、何が原因かも分からない内に何もかもが狂い、手にしていたはずの未来を奪われたように感じただろう。

 ソティスを求める気持ちの程はベレトには想像でしか分からない。それでもレアの決意が計り知れないほど重いということは分かる。自分はそこに水を差したようなものだと思えた。

 

 ベレトを身籠ったことでシトリーは死んだ。産まれたベレトが自力で息ができないほど弱い赤子だったからこそシトリーは紋章石を移すようにレアに頼み、そのせいでシトリーは息を引き取ったのだから。

 ベレトを守ろうとしてジェラルトは離れた。それまでは真摯に仕えていたジェラルトがガルグ=マクで放火騒動を起こすなどの暴挙に及んでまでレアに背いたのは、ただひたすらにベレトを守りたい一心があったからだ。

 どれもベレトが生まれたから起こったことだ。両親を恨む気持ちなど一切ないが、レアを追い詰めた元凶が自分なのだと思うには充分だった。

 

 清算しなければならない。

 エーデルガルトを守るために剣を向けたことに後悔はない。

 それでもレアをこんなにも苛ませた事実を無視できない。

 

「だからせめて……今からでも返せるものくらいは返さないとな」

 

 ゆっくり歩きながら外套を落とし、軽鎧を外し、肌着を脱ぐ。胸部を晒したベレトは腰に挿した短剣を抜いた。

 

《ベレト……? 何を……》

 

 【白きもの】の口から困惑の声が零れる。突如現れた怨敵に身構えたはずなのに、穏やかな笑みを浮かべて近付いてくる姿に不思議と敵意が湧かなかった。

 炎に囲まれた戦場でありながら、戦っていた帝国軍のことさえ忘れて、目の前のベレトに意識が注がれる。

 

 その【白きもの】の前でベレトは短剣を構えた。逆手に握り、切っ先を自分の胸に向けて、刃を肌に添える。

 

 誰も止めない。止められない。

 戦場で暴れる竜の前に突如降り立った聖人が、その身を以て行おうとすることの意味を理解できないのか。

 いや、そうではない。信じられないのだ。目にする誰もが思考に歯止めがかかっているかのように、信じたくないと見守ることしかできない。

 

 最後の空白。この瞬間に至れた安堵の中、ベレトは一度だけ振り返った。

 

 遠くにエーデルガルトが見える。炎の勢いで吹き飛ばしてしまった彼女は即座に体勢を立て直せたようだが、そこで固まったままこちらを呆然と見ていた。

 ベレトが現れたことに驚いたのか、開いた口が塞がらないまま顔も体も止まっている。隣にいるヒューベルトが大声で呼びかけても、反対からフェルディナントが肩を掴んで揺さぶっても反応せず、ひたすらベレトを見つめている。

 エーデルガルトと目が合ったのを認めて、ベレトは小さく微笑んだ。

 

(きっと大丈夫だ)

 

 彼女の周りにはたくさんの人がいる。仲間も、臣下も、そしてこれから先も慕う人がもっと増えていく。

 だからあの子は大丈夫だ。この先、あの子が強くなくなっても支えてくれる誰かがいてくれる。強いだけの皇帝じゃない、普通の女の子としての顔を出しても大丈夫になっていく。

 エーデルガルトが生きていける未来はもう作られ始めたから。

 

(俺がいなくても、もう大丈夫)

 

 その最後の仕上げを今から行う。前へ向き直り、目の前の竜ではなく自分へと意識を向けた。

 

 ここに来たのはこのためだ。これをしくじれば全てが合わなくなる。何としてもやり遂げる。

 軽く息を吐き、また軽く吸う。それだけで腹は括れた。

 

 恐怖はない。後悔もない。憂いも今消えた。

 大丈夫だ。大丈夫にするために俺はここまで来た。

 クロードも。

 ディミトリも。

 セテスも。

 レアも。

 大切なみんなを助けるために戦ってきた。

 

 そして、エーデルガルト。

 君を守るために──

 

(──俺は生まれてきたんだから!)

 

 迷いなく、ベレトは自身の胸に短剣を突き刺した。

 

 ズブリと沈む刃を途中で止める。

 貫いてはいけない。ここからは横へ。

 

「ぐ、ぎぎっ、ん、あ、っが、ああ」

 

 口から勝手に声が溢れる。激痛で体が震え、膝が折れそうになる。

 それらを意地で抑えつけて、胸の肉を裂く短剣を真横へ振り抜いた。

 

 役目を終えた短剣を取り落とす。傷口から溢れる大量の血が足元を濡らす。

 止まってはいけない。肝心なのはここからなのだ。

 急げ。倒れる前に動け。

 

 右手の指を伸ばす。貫手の形にした手を見下ろす傷口に向けて、

 

「っ、っだああ!!」

 

 一息に挿し込んだ。

 

 勢いのままブチブチと己の肉を己の手で裂きながら胸の奥へと指を伸ばす。

 喉の震えを感じてまたしても声が溢れたのは分かったが、耳には何も聞こえない。

 口の端から血の泡が零れ、目玉が裏返りそうな衝撃があることだけは分かった。

 

 その中で探る。指先で自らの肉をかき分けて、真の目的を求めて。

 やがて見つけた。硬く丸いそれこそが欲したもの。

 確と掴み、一気に引き抜く。

 

「ぅうう、ず、あああああ……!!」

 

 掲げた右手に掴まれた紋章石を視界に捉え、成功に安堵した。

 

 これだ。これが欲しかった。これさえあれば。

 さあ、これを彼女に。

 

 鉛の塊のように重い足をゆっくりと前に出す。たった一歩を動かすだけでもバケツを逆さまにしたように気力が流れ出ていくようで、それだけで足が止まる。

 仕方なく下がってしまった右手を、鉄塊のように重く感じる右腕をゆっくりと掲げて、手に持つ紋章石を差し出した。

 目の前で呆然と動かない竜に向けて。

 

「……レア……」

 

 声が上手く出せない。それでも伝えなければと口を動かす。

 

「……あり、が、とう……きみの、おかげ、で……ここまで、これた……」

 

 ただ、感謝を込めて。

 

「……ずっと、かりて、いたから……ここで……かえす……」

 

 どうか、と願いを込めて。

 

「……だから……おねがい、だ……おちついて……あのこ、と……はなして……」

 

 少しでも伝われば。

 

「……もう……だい、じょ、ぶ……だよ……」

 

 君達はきっと大丈夫になれるから。

 

 そこが限界だった。

 ぐらりと揺れたかと思うと体は前のめりに崩れ、ベレトは自身が作った血だまりに倒れ伏した。

 その勢いで右手から落ちた紋章石が前へと転がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石のように固まっていたのに、気が付いたら飛び出していた。

 

「いやああああああああああ!!!」

 

 絶叫が遠くに聞こえるようだった。足をもつれさせた時に途切れたことで、自分の喉から迸るものだと遅れて理解する。

 斧も、盾も、周囲の仲間も、指揮下の軍も、何もかも投げ出してエーデルガルトは走った。

 

「師!! やだ!! 師ぇ!!」

 

 夥しい量の血だまりに飛び込むように膝を着いて、倒れたベレトを抱き起す。

 そしてすぐに分かってしまった。手と足をべっとりと濡らす赤色と、今も彼の胸から流れ出る命の証を見て。

 

 ──これは、だめだ。

 

 人としての感覚、戦士としての経験、両面がエーデルガルトに訴えかける。

 彼はもう、助からない。

 

 ──師が死ぬ。

 

 ──師が死んでしまう。

 

 ──師が死んで、消えてしまう。

 

(いやだ!!!)

 

 脳裏に浮かぶ言葉を全力で否定する。ベレトの命を少しでも繋ぎとめたくて彼の胸の傷を覆うように手で押さえるが、大きすぎる傷口を押さえ切れていない手の端から血が止まらない。

 止まれ! 止まれ! 止まれ! 何度も念じて胸を押さえて、それが何の意味もないことだと頭では分かっているのに心が否定する。

 いつの間にか目から溢れた涙が頬を伝い落ちていた。ぼたぼたとベレトの胸の傷に雫が落ちて、血と混ざり流れていく。

 

「師、目を開けて! 返事をして! 師!!」

 

 金切り声が自分のものだと思えない。目の前の光景が現実だと思えない。

 それなのに手を濡らす血の感触は恐ろしいほど鮮明で、否が応でも彼の死を突きつけてくるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 声が聞こえる。

 あの子の叫びが聞こえる。

 エーデルガルトがそこにいる。

 

 霞んで消えてしまいそうな意識の中、ベレトは思いを巡らせる。

 

(俺は、ここまでだ)

 

 自分の旅路の終わりを分かっていた。その最後の一瞬まで彼女のために戦うと決めていた。そうして終わりを迎える今、心は静かだった。

 

 後悔はない。

 

 あの子のために戦い続けてきた。

 その戦いに全てを出し尽くせた。

 心残りなんてない。

 

 恐怖はない。

 

 ずっと走り続けてきたあの子の力になれた。

 あの子の周りの仲間を導くことができた。

 その往く先の助けになれた。

 

 エーデルガルトは大丈夫だと。

 静かな満足感があった。

 

(なんとか上手くやれたかな)

 

 ──ソティス。

 

 俺、頑張ったよ。

 君に助けてもらったこの命で生徒の未来を導いたよ。

 これでやっと君に胸を張れるかな。

 

 ──父さん。みんな。

 

 俺、戦ったよ。

 教わったことを生徒に教えて、大切な人達を守れたよ。

 傭兵として、仕事をやり切ったんだ。

 

 ──レア。

 

 俺を生かしてくれてありがとう。

 母さんの命を俺に繋いでくれてありがとう。

 だから今度は君の大切なものを返すから、汚れているけど受け取ってほしい。

 そしてどうか落ち着いて、みんなを憎まないで。

 信じてほしいんだ。俺を、俺の生徒達を。

 

 ──エーデルガルト。

 

 俺を師と呼んでくれてありがとう。

 

 あの一年間の学校生活。再会して半年あまりの軍の生活。

 君がいたから俺はここまで来れた。

 君がずっと俺を支えてくれた。

 君が俺の居場所だった。

 

 本当にありがとう。

 君のおかげで俺は人間でいられたんだ。

 

 これから先、君の進む道はまだまだ困難があるだろうけど。

 仲間達が助けてくれるから。

 支えてくれる人達がたくさんいるから。

 きっと大丈夫だ。

 

 その道の助けに、その一部になれるなら。

 邪魔になるはずの俺の命が君の支えになれるなら、俺は嬉しいよ。

 

 だから、俺の戦いはここまでだ。

 

 ……本当はずっと一緒にいたいよ。

 

 君と歩いて。

 君とご飯を食べて。

 君に教えて。

 君に教えられて。

 君の支えになって。

 君の力になって。

 

 一緒にいたかったよ。

 

 でも、俺の存在が君を阻む障害になるなんてあってはいけない。

 俺が君の敵になるなんて絶対にありえない。

 可能性の一欠片だって認めない。

 

 

 

 だから

 

 

 

 俺がいなくなっても

 

 

 

 生きて

 

 

 

 生きて生きて生きて……

 

 

 

 生きてくれ、エーデルガルト!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師!! お願い何か言って!! 師!!」

 

「陛下! お気を確かに!」

「ええいどきたまえ! 道を開けろ! リンハルト、早く!」

「分かってますよ! けど、これは……」

「お願いリン君! 私も全力でやるから!」

「ちっくしょう、俺には何もできねえ……!」

「か、カスパルさん……あの、せ、先生は、まさかですけど……」

「ベルナデッタ、それ、口にする、いけません!」

 

「いや、いや、師……! お願いだから、いかないで……!」

 

「私も少しなら回復魔法を使える! 魔力は君達ほどではないが私も加わって……」

「いや、やめとけフェルディナント。俺もお前も出る幕じゃねえよ」

「カスパルの言う通りだ。回復の魔力を一つの傷に重ねるなら、今の僕らに負けない量の魔力を注がないといけない。それができない君が手を出すと却って邪魔だよ」

「私くらいの魔力がないとリン君の魔法を阻害することになっちゃうわ……フェル君には申し訳ないけど、手を出さないでちょうだい」

「そ、そうなのか……何の力にもなれんのか。口惜しい……!」

「俺だって悔しいぜ。せっかく先生から白魔法の訓練を受けたってのに……くそ!」

 

「だめ、だめだから、師、起きて……! ねえ、師ってば!」

 

「ヒューベルト、周囲、セイロス騎士団、包囲されます! 迎撃、必要です!」

「分かっております……すぐに撃退しましょう。陛下の邪魔はさせません」

「あ、あの! ヒューベルトさんはエーデルガルトさんの傍にいてあげてください」

「ベルナデッタ殿?」

「迎撃は、ベルが行きます! だからヒューベルトさんはここにいてください!」

「……お気持ちは大変ありがたく受け取りましょう。しかし情に流されて責務を人任せにするなどそれこそ我が名折れ。陛下と先生をお守りするために、動ける者は部隊の再編を!」

 

「いやよ、せんせえ……おねがい……しんじゃ、いやぁ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ声が聞こえる。

 すぐ傍で、何度も呼んでいる。

 俺を呼ぶ声。

 

(……エーデルガルト?)

 

 まぶたを震わせることすら億劫な身で、辛うじて開いた目には濁った視界が映る。

 鮮やかな白が見えた。髪の色を認めてあの子だと分かった。

 

 最後の最後に彼女を見て終われるなら、ありがたいことだ。

 これでも頑張ってきたつもりだ。それくらいは許されていいと思う。

 ぼやける視界の中、何とか焦点を合わせようと意識を凝らす。

 

(……泣いてる?)

 

 表情をくしゃくしゃに歪めて、大粒の涙を零しながら呼びかける姿が見えた。

 何度も何度も繰り返し叫んでいる。もはや聞こえない耳では何を叫んでいるのか分からないが、彼女の声に応えたいという気持ちが湧いてくる。

 

 胸から流れ出ていく熱も、顔に当たる水滴も、感触がやけに遠い。感覚が薄れていくのに反して眠気だけが急速に強まっていく。

 再びまぶたを閉ざして意識を沈めてしまおうとする眠気に逆らって右手を持ち上げる。力の入らない腕を上げるために、残る全ての意識を注いで。

 

 急げ。

 エーデルガルトが泣いている。

 俺が何とかしないと。

 

(……どうして?)

 

 何故自分は焦っている。

 全てを出し尽くして満足しただろう。

 後は仲間に任せればいいんじゃないか。

 

 守れたんだ。

 エーデルガルトが生きている。

 この子が生きていける未来を作れた。

 それでいいじゃないか。

 守るというのはそういうことで──

 

(……違う)

 

 何を守れた。

 エーデルガルトが泣いてるんだぞ。

 この子の何を守ったって言うんだ。

 守れてないじゃないか。

 守れてないから泣いてるんじゃないか。

 

 今、手を伸ばさないで、何を守れる。

 だから、手を上げろ。

 力を出し尽くしたなら、また力を生め。

 エーデルガルトのために。

 

「……え、で……が、と……」

「っ!? 師!」

 

 頬に伸ばした指に涙を拭われたエーデルガルトが俯いた顔をハッと上げた。持ち上げた右手を覆うように自分の手を添えて頬に押し当てる。

 血だらけの右手を付けたことで彼女の頬がべったりと赤く汚れてしまい、少し申し訳なくなってしまった。

 

 でも時間がない。眠気はどんどん強まって、今にも意識を落とそうとしている。

 せめて何か言わないと。何か、何か伝えないと。

 どうすればいい。今の自分に何が言える。

 

(……俺がエーデルガルトに伝えたいのは)

 

 彼女を想えば、すぐに決まった。

 手本となるように、微笑みを浮かべて。

 

「なかないで」

 

 泣かないで。

 笑っていて。

 幸せでいて。

 

 そう伝えたかった。

 

(……ここまでか)

 

 時間切れだ。今度こそ絞り尽くした。

 フッと、力が抜ける。腕を支えていられなくなる。

 エーデルガルトの手から滑り落ちた右手が地面を叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滑り落ちたベレトの手が地面を叩いた。

 酷く軽い音だった。

 

「………………せん、せい?」

 

 呼びかけても何も返らない。

 閉じたまぶたは開くことなく、言葉一つ返ることもない。

 エーデルガルトの声に応えない。

 

 ベレトの体から、何よりも大切なものが消えてしまったから。

 

「……やだ」

 

 理解したくなかった。

 

 ずっと頭の隅に追いやっていた可能性。

 彼が死んでしまう。消えてしまう。私の前からいなくなってしまう。

 考えないようにしていた。らしくもなく、目を逸らしていた。

 本当はもっと向き合うべきだったのに。

 子供みたいに嫌がって。

 

「……やだ!」

 

 また涙が溢れてくる。心が理解を拒んでも頭はそうもいかない。

 

 死んだ。

 死んでしまった。

 ベレトが死んだ。

 私の大切な人が死んでしまった。

 

「やだやだやだやだやだやだやだやだ!!」

 

 駄々をこねて叫ぶことしかできなかった。

 聞き分けのない幼児のように、彼の頭を抱えて縮こまる。

 

 ──家族になりたかった。

 

 鋼の誓いを胸にエーデルガルトは生きてきた。

 全ての民のため、未来に生まれる全ての人々のため、紋章に左右されない世界を創るため、それ以外の何もかもを切り捨てる覚悟をしていた。

 体を改造され、炎の紋章を宿されたあの時から、この身はそのためにあるものなのだと自分の意思で定めたのだ。

 

 そして実際にそうやって生きてきた。

 皇女として動く傍ら、炎帝としても暗躍して、フォドラを裏から操る組織とも手を組み、胸に灯る憎悪さえも抑えつけてきた。

 私情を捨てたわけではない。己はそういう存在なのだと定めていただけ。誓いに背くことになるものは必要ないと。

 

 その誓いから初めて外れたのがベレトだった。

 

 彼が欲しかった。ずっと一緒にいたいと思った。

 傍にいたい。話したい。触れたい。次から次へと欲が湧いた。

 最初は誓いに準じて他と同じように切り捨てようとした。でもできなかった。

 違うのだ。何度思い直しても彼だけは他のように思えなかった。

 そして彼の方から選んでくれた時、はっきりしたのだ。

 ベレトは他と違う。私は彼を切り捨てられない、と。

 

 それは父性を求める親愛であり、尊敬してやまない敬愛であり、年頃の少女が抱く異性への恋慕であり、あるいはそれら全てであった。

 

 ──彼と家族になりたかった。

 

 戦いが終われば打ち明けるつもりでいた。

 ずっと一緒にいたい。これからも傍で支えてほしい。私と一緒になって。

 言葉は決めてない。それでも伝えたい。自分がどれだけあなたを想っているか。どんなにあなたを慕っているか。どんなに好いているか。

 喜んでくれるだろうか。ひょっとして困らせてしまうだろうか。思いを馳せる度に悩ましく、それでいて幸せな未来を夢想して嬉しかった。

 

 なのに現実は思い通りには程遠くて。

 デアドラで同盟と、タルティーン平原で王国と、決戦に臨む度にベレトは大きく傷ついた。必要以上に傷を負う姿は他人が受けるべき負担を彼が自ら引き受けるみたいで、見ていて怖くなった。

 初めて覚えた喪失への恐怖は鋼の心をいとも容易く締めつけた。それまで感じたどんな恐れとも違う感情はエーデルガルトの足を止めさせた。

 誰かに対してそんな及び腰になるなんて初めてのことで、エーデルガルトは恐怖すると同時に困惑もしていた。恋い慕う相手に怯えもするという二重の感情が心を揺さぶり、距離を空けるくらいのことしかできなかった。

 向き合うべきことに向き合わず逃げる自分が情けなかった。

 

 それでも区切りをつけてベレトと話そうと考えてはいたのだ。戦いを終えて節目になる時に悩みを打ち明けて、胸の内を曝け出そうと。

 彼ならきっと受け止めてくれる。絶対に私を傷つけることは言わない。そう心から信じていた。

 

 ──家族になろうと言いたかった。

 

 時は戻らない。失われた命が戻ることはない。

 ベレトは死んだ。エーデルガルトの目の前で。

 

 どうしてこうなったのか。

 何がいけなかったのか。

 この道を選んだのが悪かったのか。

 

 いや、悪いだなんて思いたくない。ベレトと出会い、彼が与えてくれた導きは間違いなく自分により良い未来をもたらしてくれたのだ。

 ベレトがいてくれたから今のエーデルガルトがいる。彼がいなければ自分は生きていない。もし生き延びたとしても悲惨な未来しかなかった。それを教えてくれたのが彼だった。

 なのに、どうしてそのベレトが死ななければいけないのか。

 

 ──家族になって、ずっと一緒にいたかった。

 

(…………だから?)

 

 ふと考えてしまう。

 家族になりたいと思った。()()()彼は死んだのではないか。

 

(だって私の家族は)

 

 母は、ものごころがつく前にいなくなった。

 

 兄弟姉妹は、みんな人体実験で狂い死んだ。

 

 父は、一人苛まれ続けた末に組織に殺された。

 

 みんな、私の前から消えてしまったんだ。

 

 私の家族はいなくなってしまうんだ。

 

 だから。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ああ」

 

 ピシリと音が聞こえた。

 

「ああああ、ああ」

 

 音は広がっていく。増えていく。続いていく。

 

「あああ、ああぁああああぁああ、ぁあああああ」

 

 近くにいるドロテアとリンハルトが何か叫んでいる。

 

「あああああぁ、ああああぁぁああああ、ああぁああああああ」

 

 ガクガクと体が震える。堪え切れずベレトの頭を強く抱き締める。

 

「あ゙あ゙ぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 この時。

 自分の心を包む誓いという名の鋼が粉々に砕ける音を。

 エーデルガルトは確かに聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 足元に転がってきた紋章石を拾い上げると、竜から人の体に戻ったばかりのレアはぼんやりと前を見た。

 赤い、どこまでも赤い光景が広がっている。火の赤。血の赤。戦場の色。

 その色にレアは見覚えがあった。

 

 倒れたベレトを抱えて喚くエーデルガルト。周囲に集まる者には目もくれず、中心にいる彼女だけを見つめる。

 愛する人を抱き締めて泣き叫ぶ女。取り残される恐怖に震える姿。

 その姿をレアは知っている気がした。

 

「……ベレト?」

 

 呟いた名前の主はもう応えない。血だまりの中で目を閉じた姿は、もう動くことはないのだと理解せざるを得ないほど生命の鼓動が感じられない。

 だからこそ、レアは連想した。

 

 虐殺でも起きたような凄惨な赤色。

 その中心で大切な人を失い慟哭する女。

 まるであの時の──

 

(ザナド……)

 

 ──私と同じみたい。

 自然とレアはそう思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都フェルディアの決戦。

 セイロス騎士団と帝国軍の最後の戦いとなったその舞台は、一夜にして炎に包まれ荒廃した。

 

 民に避難を呼びかけることなく市街に火を放つという非道な手段を用いたセイロス騎士団と、快進撃の立役者たる黒鷲遊撃軍を先頭に展開された帝国軍。

 両者の激突は、炎が撒かれた街が戦場になったとは思えないほど被害が少ない結果に終わった。

 

 王都へ攻め入った帝国軍が圧倒的多勢であったことから、敵を倒す他に炎の被害を食い止めるために動ける余裕があり。

 早期決着を狙った黒鷲遊撃軍が破竹の勢いで進撃し、敵を倒すことよりも戦力を急いで奥へと送り込む作戦でレアより変じた【白きもの】に辿り着くことを優先したので、双方の軍に消耗は少なく。

 レアに心酔し最後まで仕えると宣言した従者のツィリルが、彼女の放火指示よりも早く独自の判断で避難を呼びかけたことで炎に呑まれた市街に住民の姿はなく、戦いに巻き込まれる平民がいなかったこともあり。

 猛火の激戦にしては死傷者は非常に少なかったのである。

 

 やがて戦いが終わり、【白きもの】から再び姿を戻したレアはそれまでの狂乱が嘘のように静かな様子で投降した。決戦直前までは徹底抗戦を主張していたのに、セイロス騎士団にはすぐに戦いをやめるように呼びかけて敗北を宣言するなど神妙な態度を見せた。

 それを受けて黒鷲遊撃軍の各員が決戦の終わりを王都中に報せて回った。レアの無事を認めたカトリーヌとツィリルも併せて呼びかけ、セイロス騎士団の敗北と帝国軍の勝利が確定した。

 

 その後、投降するセイロス騎士団及び教団の面々は連行され帝国へと送られることになる。

 半分近くは残ったとは言え戦火に包まれた王都フェルディアの復興には帝国も援助を惜しまないという宮内卿ヒューベルトの発言もあり、王国の動揺もそう大きなものではない。

 凱旋する帝国軍の中に皇帝エーデルガルトの姿がほとんどなかったのは戦いの最後に傷を負ったからだと発表され、帝都アンヴァルでは顔色が悪いながらも大々的に戦勝を告げる彼女がいた。

 

 こうしてフォドラを巡る戦争は終結した。

 帝国の勝利と、同盟も王国も存続するという、生まれていたであろう犠牲を大きく減らした平定の形で。

 大陸を揺らす混乱は少ないまま、新しい時代の到来を人々は感じ取っていた。

 

 しかし、倒れた者の中に彼らにとって誰よりも大切な人がいたことが大きな悲しみを生むことになってしまった。

 エーデルガルトも、共に戦った仲間達も、事の顛末を聞いた人も、置いてきたはずなのにあの場に現れたベレトが取った行動に衝撃を受け、打ちひしがれた。

 失意に包まれる彼らはすぐに次の動きに移れなかった。失ったものがあまりに大きすぎて、時間が止まってしまったように立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 捕らえられた大司教レアと

 

 

 

 

 

 死亡したベレトの身が

 

 

 

 

 

 忽然と消え失せたことと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人の身柄と共に

 

 

 

 

 

 煤闇の中へと消えた

 

 

 

 

 

 四つの人影を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暁天(ぎょうてん)の章

 

翠雨の節

 

『君を呼ぶ声』

 

 

 




作者の活動報告に載せた後書き





 いや終わらねえよ?
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