士官学校での一幕をモブ視点からどうぞ。
俺の名前はモトランド=フォン=ブロードス。アドラステア帝国の貴族だ。
貴族と言ってもまともな領地も持っていない貧乏なもので、実際は高位の貴族の領地を一部だけ貸してもらってそこの運営を肩代わりすることでようやく貴族の真似事ができている、みたいな具合だ。
そんな感じだがうちの家って貴族の誇りはそれなりにあるらしくて、両親があれこれ張り切ったおかげで子供は三人いる。俺はその三男。上は兄貴が二人。本当は四人生まれて妹がいたんだけど病気で死んだ。まあよくある話さ。
父上が領地運営を頑張って、母上が子を産んで頑張って、我が家はそこそこ上手くやれていた。跡継ぎ(長兄)はいるし、その補佐(次兄)もいるし、将来は安泰だ。
じゃあ俺(末っ子)は何よ。
相続できるような財産なんてありゃしないし、完全に持て余してるじゃん。なんで俺産んだよ。父上も母上もハッスルしちゃったんだね。
生まれちまったもんはしゃあないじゃん。俺も何とか生きていたいじゃん。
家にいくらか余裕がある内に勉強やら訓練やらして将来に備えようと思ったよ。いつか家を出る時に少しでも困らないようにさ。
え? 自分の家に仕える騎士には興味ないのかって?
いやいや。三男の俺がブロードス家にいつまでも居座ってたりしたら、いつか長兄次兄を亡き者にして家を乗っ取ろうとしてるんじゃないかってあらぬ噂が立つかもしれないでしょ。
やだよそんなの。俺別に兄貴達のこと嫌いじゃないし。まあちょっと貴族の誇りとかに拘りすぎなんじゃねえのって思う時もあるけど、俺のこと可愛がってくれてるの分かるもん。妹が病死したのを目の当たりにしたから末の弟の俺を目にかけてくれてるんだろうね。
お家騒動なんてごめんだぜ。だったら俺が自分から家を出ていく方を選ぶよ。俺としては貴族にそこまで拘りないし。
我ながら小さい頃から考えてんな。
そうしてすくすく成長したモトランド君が14歳になった日に、父上が「お前をガルグ=マク大修道院の士官学校に入学させる」と言った時はびっくりしたよ。
いやね、初めに大修道院ってフレーズを聞いた時は俺を僧官にするつもりかよって少しビビったんだけど、直後の士官学校に入学ってのが聞こえた時は別の意味で驚いたんだ。
だってガルグ=マクの士官学校だよ? あそこって入学金だけでもかなり必要なのは俺も知ってる。将来性のない三男坊にそんな大金をかけるのも驚きだし、そもそもそんな金がうちのどこにあるの?
その場で訊ねたら、昔から子供のために少しずつ貯めていたんだってすげえ真っ当な貯金をしてたんだと。
父上が領地運営はきちんとしているから税収はしっかりある(それでも地主の貴族にまあまあ取られる)し、兄貴達からも悪い話は聞かないから下手なことはしてないんだろう。母上も内職しているから、そういうところから稼ぎの一部を貯めてあったのかな。
その金を、いずれ家を出ると分かってる三男の俺のために使ってくれるなんて……
ちょっと感動しちゃったね。この家に生まれてよかったって思った。
父上、俺、頑張るよ! 決意表明のためにも力強く言い切ったんだ。
でもさ、士官学校には同期である他の生徒もいるじゃん。我がアドラステア帝国からも、何なら他国からも多数の貴族の子弟が入学するじゃん。
上手いこと我が家の役に立つ繋がりを作ってきておくれって肩を叩かれちゃうと素直に喜べなくなるんだわ。
父上、台無しだよ……いやまあ貴族なんだからそういう視点も大切だけどさ。
* * *
どうも。モトランド=フォン=ブロードスです。16歳になりました。
ついに俺が士官学校に入学する時がやってきましたよ。
いやお前二年も何してたんだって、それは父上に言ってくれ。お金出してくれるのに俺からは文句言えないんだわ。
いい感じに高位の貴族子弟が入学する時期を見計らって俺を送り込む算段だったんだとさ。俺は刺客かっつーの。
でもってこの年は驚きの面子が揃ってた。
アドラステア帝国からは皇女エーデルガルト様が。
ファーガス神聖王国からは王子ディミトリ様が。
レスター諸侯同盟からは盟主の隠し子クロード様が。
他、紋章持ちの貴族の子弟が軒並み入学したんだ。
んー、厄介事の匂いで鼻が曲がりそう!
俺ここに混ざるの? マジ? 楽しみにしてた学校生活が早速嫌になってきたんだけど。
でも俺にとっては二度とない勉強のチャンス。嫌とは言えない身の上。
父上、俺、頑張るよ! そう言うしかなかった。
アドラステア帝国出身ということで、所属するのは
でも住む世界が違うと肌で感じるのは本当で、同じ制服を着ているのに同じ生徒だとは思えなくて、気付けば友達も作れず二週間。
あれ、なんか疎外感。
しょうがないんだ。同盟ならまだしも帝国では身分の差って厳格だから、下手に声かけて問題になったら実家に迷惑かかるかも、とか考えちゃうと気後れするんだ。
ドロテアさんは平民だけど、あんな若いのに社会の中で歌姫っていうめちゃすごな立場の彼女は俺からすると並の貴族のボンボン共よりもよほどしっかりしてるように見える。そうでなくても超美人だよあの人。
そんな風に若干途方に暮れる感覚を覚えつつも、最初の課題である野外活動に臨んだ大樹の節。
いきなり野盗に襲われて級長の三人がはぐれるという一大事が発生。
んー、三国滅亡の序曲!
いやマジで誰か一人でも死んでみろ。その国で内乱が起こって、フォドラ全土に波及して、大陸中が乱れるぞ。その可能性あったぞ冗談抜きで。
幸いなことに三人が逃げた先で出会えた傭兵団に救われたとかで、朝には俺達と合流できてすぐガルグ=マクに帰還することができた。あー怖かった。
その後、肝を冷やした俺を余所に、学級のみんなと一緒に大修道院に来た傭兵団がなんかレア様に認められたみたいでガルグ=マクに居を構えることになったらしい。
なんでやねん。
でもってその傭兵団の一人の、なんかエーデルガルト様を助けたとかいう若い男が黒鷲の学級の担任教師に就任することになったらしい。
なんでやねん。
んー、厄年の予感!
元の担任になる予定だった人も、野外学習には来ていたけど野盗に襲われた時のどさくさに紛れて行方が分からなくなったんだって。見られてないところで殺されたのか。それとも逃げたのか。
何なの? セイロス教団ってそんなに人手不足なの? 騎士団だけじゃなくて士官学校に回す人材まで不足してるの?
やめてよね。こちとらただでさえ将来が不安だってのに、在学中におかしな事件なんて勘弁してくれよ。
父上、俺、挫けそうです……でも泣き言は言えない。小遣い先にもらってるし。
母上、手紙にちょっとだけ愚痴書いちゃうの、お許しください。
* * *
おはようございます。モトランド=フォン=ブロードスです。朝練中です。
士官学校には訓練所があって、早朝から自主訓練する連中が顔を出すんだ。俺もその一人。
高い金払って入学するだけあって生徒には意欲の高い奴も多い。中には成長することは貴族の責務だって貪欲に学ぶ奴もいる。フォドラの貴族は意識高いっすね。
つってもフェルディナント様の場合はたぶんエーデルガルト様への対抗心でしょ。分かりやすいよなあの人。
他学級の生徒ともここではよく顔を合わせるけど、例年の生徒はいつも同じ学級で固まって訓練するのが普通、らしい。
ぼっち気味の俺が何とか聞いた風説みたいなもんだけど、それを知った時は「まあそういうもんだろうな」って特に疑問はなかった。
帝国の人は帝国の人で。
王国の人は王国の人で。
同盟の人は同盟の人で。
自分らのノリを理解している者同士で組んだ方がやりやすいのは当たり前のことだし、そこにわざわざ知らない奴が割って入るのは面倒が勝る。そういう傾向があるのが普通なんだと。
でも今年の士官学校は例年の普通とは違うようで。
「くっそー! やっぱつえーなフェリクス、流石だぜ!」
「お前の猪突猛進ぶりも大したものだ。その踏み込みの勢いは認めよう」
「おうよ、俺に後退の二文字はねえ! 攻めて攻めて攻めまくるぜ!」
「カスパルと言ったか。また来い。いつでも相手になる」
「ふぅ、ふぅ……よし、今のはいい感じに打ち込めたかな」
「イングリットさん、よければ今から一手、手合わせをお願いできないか」
「あ、ローレンツ。もちろんです。同じ槍使いとして得るものがあるでしょう」
「先ほどの打ち込みを見たが素晴らしい一撃だったよ。受けないよう気を付けねば」
「ありがとうございます。私も貴方の槍捌きに惑わされないように気を入れますね」
「ふっ、ならば我が槍で翻弄してくれる!」
「おはようレオニー。今日は槍ではなく弓の訓練かい?」
「あん? フェルディナントじゃないか。そうだけど、朝からあたしに何か用か」
「邪魔をするわけではない。君さえよければ、弓を射る姿を見学させてほしいんだ」
「は? 貴族様が何で。あたしの弓はあんたの参考にするようなものじゃないぞ」
「優れた能力の持ち主は学ぶ相手にされるものさ。そこに貴族も平民も関係ない」
「あんたがそれを言うか……だったら後であんたの槍も見せてくれよ」
「もちろん。それが君の欲する対価なら喜んで見せるとも」
「ならいいぞ。あたしのは狩りのための弓だけど、文句は聞かないからな」
学級の垣根なんかないんじゃないかってくらい他学級の生徒とのやり取りが盛んなんだ。気が付いたらこうなってた。
何か見逃してたのかと振り返ったけど、たぶんあの人が原因だと思う。
ベレト=アイスナー。うちの担任教師に就いた傭兵。
今はまだ軽い座学だけで、本格的な授業は来節から始めるとのこと。
レア様の決定だから生徒からはどうのこうの言えないし、セテス様も着任を認めたらしいから、本当に傭兵が俺達の先生になっちまったんだわ。
今節の末にある対抗戦でその手腕を披露する予定なんじゃないかな。教団が何を考えてこの人事をしたのか知らないけど、黒鷲の学級を始めとして生徒の多くは様子見してる感じ。
エーデルガルト様は受け入れるどころか率先して話しかけに行ってる。皇女様がそういう積極的な態度なんだから周りの貴族は何も言えない。たぶんそうやって周囲の口さがない連中を黙らせる目的であの振る舞いをしてるんだろう。
唯一、ヒューベルト様の目つきが怖いっていうか。あの人のベレト先生を見る目がちょっとアレな感じがするっていうか。消されないよなまさか……いやまさかね。
そのベレト先生だけど。
朝の訓練所にも顔を出して、ここに来る面子に授業ではできない戦いの指導をしてくれる。早朝だけの短時間だから深い部分は無理と言ってたけど、腕に自信のある生徒と手合わせしてくれてんの。学級に関係なく。
横で見ていて、なるほどそこいらの盗賊なんて目じゃないわ、と納得する強さなんだ。父親だというジェラルト殿はしっかり強そうな見た目なのに、先生はめっぽう強い割に線が細いからなんか印象に裏切られそう。
んでもって傭兵なだけあって俺達が知らない話とかしてくれる。それがね、何ともおもしろい。口数が多い人じゃないけど話せば応えてくれる人だ。
おもしろがって近付くのに国の違いは関係ないのか、気付けば他学級の生徒がすぐ隣にいるようになって、自然と近くにいる奴と話したり訓練するようになっていた。
先生が特別何かしたわけじゃない。でも、きっと先生がいたからこうなった。
こういう流れだと思う。たぶんね。
最初はどうなることかと思ってたけど、意外と受け入れてる奴が多いのな。黒鷲の学級なんて貴族揃いだからもっと文句があってもおかしくないのに。平民如きが、とかさ。
俺? 別に、そこまで気にしてない。
というか将来的には家を出て市井に混ざっていこうと考えてるのに、今から平民にあーだこーだ言ってたらやばいでしょ。むしろ率先して慣れてかなきゃいけない。
ただ、傭兵ってのがな~。言い方悪いけど、教養のない人種の代表格じゃん?
フォドラで最高の教育が受けられるガルグ=マク士官学校でちゃんとした勉学ができるかは担任教師の影響も大きいと思うからさあ……そういう意味で大丈夫かなって不安はやっぱりあるよ。
まあ傭兵やってたんだから俺の知らない世界をたくさん知ってるのは間違いないんだし、普通に生きてたら得られなかった縁だと思って色々学びたいとは思う。
少なくとも盗賊団を軽く撃退できるだけの実力があるのはもう明白なんだから。
「ラファエル」
「お? なんだあ先生」
そのベレト先生は今日も訓練所にいる。
俺の近くで巨漢の生徒に何か教えようとしてるみたいだ。
俺はチビってわけじゃないけど、背が高いわけでもないから羨ましい。
「さっきの打ち込みの時、何を考えていた?」
「さっきってのは、オデがあの的を殴ってた時か?」
「そうだ。二回殴りかかって、そこで動きを止めただろう」
俺も見てた。あの巨体と重量で殴ったから的が大きく傾いてめっちゃ迫力あった。
「んー、何を考えてたって言われてもな。こう、ガッとやって、グワンってしただけだぞ」
うーん、感覚派の物言い。
平民ということもあってまともな教育を受けてないのは仕方ないにしても、こんなこと言われたら先生だって受け答えに困るだろうに……
「そうか。なら次にやる時は、ガッとしたらすぐシュッとできないか試してくれ」
……ん?
「ガッとしたらシュッとか? それって、ギュッとじゃだめなんか?」
「ギュッまでやるとグワンまでいかない。シュッとならグワンからズンまでいくか、シュッとしてからグイっとしてズドンといけるかもしれない」
……んん??
「おおそっか! ズドンってやるにはたしかにギュッてのよりシュッてした方がいいもんな!」
「上手くやれればラファエルの強みを活かせるはずだ。実際にやる時はダダンダンとやることになるけど、まずは試しにダダン、シュッ、ダンくらいの気持ちでやってみてくれ」
「わかった、ダダン、シュッ、ダンだな。よーし、見てろよ先生!」
……んんん???
な、なんか分かり合えたみたいだけど、横で聞いてる俺にはさっぱり分からん。
ラファエルって奴と同じく、ベレト先生も感覚派なのか?
傭兵だったからそういうタイプの人種ってこと?
どうしよう……俺、この人の指導にちゃんと着いていけるかな。
座学は意外とまともだから何とかなるんじゃないかと思ってたけど、来節から始まる訓練では今のみたいな感覚に物を言わせる指導をするの?
父上、俺を送り込むの本当に今年でよかったんですか。
母上、すみませんけど次の手紙も愚痴書いちゃうかもです。
兄貴達、いちおう対抗戦のことはできるだけ教えるのでそれで満足してね。
* * *
こんにちは。モトランド=フォン=ブロードスです。死にそうです。
体も頭もどこもかしこも引きつってまともに動けません。
竪琴の節に入って本格的にベレト先生の授業が始まった。座学は今までにもやってたけど訓練はちゃんとやれてなかったから俺達はけっこう楽しみにしてたんだ。
前節の終わりにやった対抗戦でとんでもないものを見せられて、あんなすごい人の指導を受けられるんだと分かったら興奮するし期待するってもんだろ。俺以外の生徒もそう話す奴らが多かったし。
甘かった。あの人への認識が甘すぎた。
走ったよ。ああそうだよ、やたらめったら走ったよ。
ガルグ=マクの街の門を出て城郭に沿って外周を走る長距離走。言葉にすればそれだけでも実際に走った生徒からすれば絶望さ。
森の中、途中の川、崖と岩場、草原、自然豊かと言えば聞こえはいいが、つまりは人の手が加えられていないということ。人が通ることなんて想定してないから道なんかないんだ。
山歩き、という言葉から想像してみてほしい。普通そういうところを通る時は歩くものじゃん。そこを走るというだけでどんなに大変か。
いやもう本当に大変なんだぜ。歩くのも辛いのに走れ走れって囃し立てられてさ。足が鈍りそうになるとすぐ檄が飛んで、見逃されないんだ。
そう、何が酷いかってあの人、ずっと俺達を見ているんだよ。
最初の一周目では、実際にどう走ればいいのか教えるために先生が先導してくれたんだ。先頭に立って案内するみたいに。
その時に道を拓くためってあの人、大振りの鉈を片手に走ってたんだ。足を止めることなく鉈を振り回して枝とか藪とかサクサク斬り払って道を作りながら。
刃物を振り回してるから一応少し距離を取ってついていこうとしたけど、あんまりにも速く進むから追いかけるこっちも速く走るだろ。でも森の中なんで足を取られて遅れるだろ。先生が一人で先に行っちゃうだろ。俺ら生徒がぜえぜえ言いながら作られた道に従って足を動かすだろ。どうしたって顔が下向いちゃうだろ。
そしたらさ、すぐ横から「走れ」って言われたんだ。びっくりして俯いてた顔を上げたら、誰がいたと思う? ベレト先生だよ。あの人、先に行ってたのにいつの間にか戻ってきて併走しながら俺らを叱るんだ。
他にもっと遅れてる生徒の方にも声かけに行って、全員に声かけられたと思ったらめっちゃ加速してまた先頭に立って、何事もなかったように先導するんだぜ。
もうね、唖然としちゃうよ。だってあの人全然息切らしてないんだもん。
途中の川では細い木を何本も切り倒して即席の橋を作って渡らせるし。
岩場では生徒には崖をよじ登らせておいて自分はひょいひょい跳んで進むし。
草原ではまた遅れた奴に声かけるために何度も回り込むから生徒の何倍も走るし。
何なんあの人? 化け物なの? 体力の化け物なの?
そうして一周してガルグ=マクの門前に戻れた俺達に「残り四周」と言い渡した時の先生の顔と言ったら……心折れるわ!
もう道は作ったからって二周目からは先頭じゃなくて後ろの方から生徒をせっついたり、かと思えば前の方で足が鈍った生徒の背中を押しに行ったり、前にも後ろにも行ったり来たりでさ、生徒の何倍走ったよ。十倍くらい走ったんじゃねえか。知らんけど。
あんだけ走ってケロッとして、化け物だわ。体力の化け物だわ。
しかも話はここで終わらない。きっちり五周走らせてぶっ倒れた俺達が門から動けなくなった時にさ、倒れてる俺達にあの人何したと思う?
アイスナー式マッサージだとか聞いたことのないものを……う、だめだ、思い出したくない。
俺、人生で初めて絶叫ってのを聞いたよ。そして初めて自分も絶叫したよ。
聞きつけた街の門番が駆けつけてきて、動けない生徒に一人で黙々とマッサージをやり続ける無表情の先生がいて、ちょっとした騒動になった。
こんな感じで初めての訓練で俺達は全員すり潰されましたとさ。
午前で終わらなかったから午後の授業時間いっぱいまで使っちゃったんだ。半日の間ずっと外にいたの。
昼食を取れなかったのは、この際いい。どうせ疲れ切った体じゃ何も食べられないし、水を飲むのだって苦労したんだ。俺も何度か吐いた。
授業の最初にこの訓練をする意味とか狙いとか教えてくれた。足腰の基礎だっけ。そりゃまあ大切なのは分かるよ。先生も自分がそうやって父親に鍛えられて、その教えを素に訓練内容を決めたんだって。
だからってここまでするか、と思った生徒は多いんだろうな。
最初の授業でこれだぜ。この先あの人に反抗する生徒は、少なくとも黒鷲の学級にはもう一人もいないでしょ。
俺としては走ってる最中は心の中でくそったれとか叫びはしたけど……終わってみれば、まあそうだよね、みたいな気持ち。
ベレト先生を見てると、あの人にとって本当に基礎っていうか当たり前の内容なんだなってのが分かるし、そもそも訓練なんだから疲れないわけがないし、何とかぎりぎり乗り越えられなくはないよね。
すごい人なのはもう知ってたし、鍛えるのに容赦ない上にちゃんと全員を見守る教師をきちんとやってくれてると思うよ。
もちろん同時に怖くなった部分もある。これが【灰色の悪魔】なのかって。
そうして俺も授業で潰れてたけど、いやー、習慣ってすごいね。放課後になってしばらく休んだら足が自然と訓練所に向かってて、ビキビキの体でも剣の素振りしてたもん。
子供の頃から続けていた流れを変えたくなかったのかな。自分でもよく分かんね。
でもへろへろなところ見られたら恥ずかしいので、端っこの方で……
「──というわけだ。よろしく頼む先生」
「本当に助かるわ~。忙しいところをごめんなさいね」
「大丈夫だ。黒鷲の学級の生徒はみんな早く休むことになって今日は時間がある」
おっと? 訓練所に誰か来たぞ。
先生と……あれは
思わず近くにあった的の後ろに隠れちゃった。
「さっきも聞いたけど、初めはディミトリが教えようとしたんだよな」
「ああ。情けない話だが、俺では彼女にどう教えたらいいか見当がつかない……これは俺の手に余ると判断した」
「メルセデスは今まで剣を振ったことはないのか?」
「ええ。弓をちょっとだけ嗜んだのと、教会で白魔法の勉強をしていたくらいよ。剣はさっぱり。でもね、せっかく士官学校みたいな学べる環境にいるのだし、挑戦してみたいと思ったの」
「そうか。じゃあひとまず打ち込んでみてくれ。実際に見たい」
三人が軽く準備運動しながら話してるのを聞くに、どうやらメルセデスさんが剣術の試験に挑戦したくて、初めにディミトリ王子へ指南をお願いしたところお話にならないレベルだったようで、それなら教師であるベレト先生に頼んでみようと思いついてお願いするとあっさり了承をもらえてその足で訓練所に来た、という流れらしい。
他学級の生徒が気軽に頼みに来れるってけっこうすごいことだよな。俺だったらハンネマン先生に紋章について教えてくださいとか気軽に聞けないや。
しかし……大丈夫かなあの子。相手はあのベレト先生だぞ。
ラファエルには擬音だらけのよく分からない言い回しで教える感覚派だし、今日の授業では黒鷲の学級をめちゃんこしごいたスパルタ教師だぞ。
言っちゃ何だけど、一目で分かるふわふわした雰囲気のメルセデスさんにあの調子で指導するのは厳しくないか?
俺の不安をよそに先生とメルセデスさんが訓練用の剣を手にして向かい合った。
「それじゃあ、いくわよ~先生」
「ああ」
「メルセデス、剣はしっかり握るんだぞ」
あの、王子? それはアドバイスですか? 技術以前の問題では?
さらに不安が増す俺をよそに二人の剣戟が始まった。
先生は受けるだけで、メルセデスさんの攻めがしばらく続く。
盗み聞きの次は覗き見ることになったわけだが……ははあ、確かにあれは拙い剣だな。遠目から俺でも分かるくらい振りが甘い。
でも意外と踏み込みはきちんと勢いがあって、剣筋の甘さの割には体は前に出せてる気がする。あんな雰囲気でも思い切りはいいらしい。
ただ……なんか、ちぐはぐな印象。
「そこまで」
考えながら見ていたら、先生が受けると同時に相手の剣を絡めて攻撃を流す。前へ出続けていた勢いを完全にいなされたメルセデスさんは戸惑った顔で立ち止まる。
うわ、今の絶対難しいやつだ。さっきまで打ち合う度に鳴ってた剣戟の音が今一切なかったぞ。何その柔らかい防御。
王子も同じことを感じたのか、目を瞠っている。あの人も強いから分かるんだ。
メルセデスさんは今のをどうやって防がれたのか、自分がどうして動きを止めてしまったのか分からずきょとんとした顔になってる。かわいい。
「何か分かったのか先生」
「ああ。メルセデス、質問がある」
「ええ、何かしら」
「君は弓と白魔法を嗜んでいて、これまでは戦いになれば離れた間合いで立ち回るのが基本なんだな?」
「そうよ。でも私、対抗戦では先生にあっさり近付かれちゃったじゃない? 今までは運良く前に立って守ってくれる人がいたけど、いざという時には自衛できるようになりたいって考えたの」
対抗戦でベレト先生は縦横無尽の大活躍だったからな。この人に攻められたら無理もないと思うけど。
「だから剣術を学びたいと言ったのか」
「だって先生の剣とってもかっこよかったんですもの~。あそこまで動けなくても、自分で剣を振る姿を想像したら挑戦してみたくなっちゃって」
「急に言い出したから驚いたが、そういう考えなら納得だ。実際俺もあの戦いで負けてから槍だけでなく剣も鍛えなければと考えたからな」
ディミトリ王子が納得したように相槌を打つ。対抗戦の最後に先生とした一騎打ちを思い出してるんだろう。完封勝利を収めた黒鷲の学級にも思うところあっただろうな。
「メルセデスの話は分かった。剣の前に、接近戦ではまず目の意識を変えよう」
「目の意識?」
「それは、どういうことかしら?」
話を聞いて一つ頷いたベレト先生が口を開くと二人は首を傾げた。
そうそう、そこのところを聞きたかった。俺はこっそり。
「遠間で戦う人は敵との距離感を正しく把握するために相手を見ることに多く意識を割く。こちらの攻撃が当たらないと勝てないし、向こうの攻撃を避けるなり防ぐなりするためにきちんと見て捉えておかないといけないからだ。メルセデスも弓を構えたらそうするだろう」
「そうね。そうしてるわ」
「だが接近戦、武器を振れば届く近さだと目に集中させた意識は却って邪魔だ」
「邪魔?」
「目は脳に近い、大量の神経が集まっている繊細な器官だ。そこが力むと神経がこわばる。それは緊張ではなく硬直となって、筋肉を固めてしまう余計な力だ。脳が判断しても体の反応が遅れる原因になる」
「そうか、メルセデスは体が覚えている遠距離戦の思考で剣を振るから動きが遅れがちになっていたんだ! 接近戦に臨むなら体の使い方が変わるのは道理というもの」
「まあ、そうなのね~。私ちっとも気付いてなかったわ」
「目を含む顔の上半分からはできるだけ力を抜いて、体の自然な反応に任せる。逆に力を入れるのは下半分。口元や顎にしろ」
「あら、力を入れていいところもあるのね。それはどうして?」
「人間は息を吐くのと息を吸うのは同時に行えない。そして人間のあらゆる動作は呼吸と繋がっている。戦いのように急に動いて強く力を込めないといけない時、人は息を吐く。力を出したい時は筋肉を絞ることを体に命じるので、自然と肺も絞って息を吐くことになる。誰であろうと人の体は必ずそうなるようにできている」
「うんうん」
「そのための呼吸を司るには口を意識する。いつ息を吸って、いつ吐くか。体から力を引き出す時と逆に収める時。または留めて出し続けるには歯を食いしばることもある。その時に意識するのは顎だ。口と顎。まずはこれを覚えてくれ」
「なるほど~。私ってそもそもの体の使い方が間違っていたのね」
ろ……論理的ー! めちゃくちゃ論理的に説明してるー!
ベレト先生って感覚派じゃなかったの!?
「そこ以外だと、メルセデスは足がよく前に出る。踏み出す前足と踏み切る後ろ足が離れすぎない動きが身に付いてる。これは恐らく、普段から姿勢を正していようという意識が君に根付いているからだろう。背筋を綺麗に伸ばすために足が自然と動きについていく体がもうできている」
「あらまあ、私の姿勢って先生から見て綺麗なの~?」
「ああ。今まで生きていて他人からよく注目される立場だったんじゃないか」
「そうねえ、教会とかで立ち仕事をしている時なんかは、訪れる方のお話を聞いたり子供達の相手をしたり、誰かの前に立つことが多かったわ。思い返してみると、教会の司祭様も姿勢がとても綺麗だったわね」
「正しい姿勢は戦う時にも大切な基礎だ。それができているメルセデスは良い素質を持っていると思う」
「確かにメルセデスには驚かされたな。最初に俺が教えようとした時も、あまりにも良い踏み込みをするから俺が殺されかけたんだ」
「も、もう、ディミトリったら~、あれは忘れてちょうだい」
しかも同時に褒めてるー!
改善点を伝える他に褒めポイントも忘れないとか名教師かあんた!
まさかだけど、あの先生、人によって伝え方を変えて説明できるの?
ラファエルみたいな感覚派には同じ感覚で通じる言い回しをして、メルセデスさんみたいな理屈が通じる初心者には論理的に話せるってこと?
……指導者としてめちゃくちゃ有能なんじゃねえのそれ。
教室でやる座学にしたって、傭兵出身なのが疑わしいくらい博識で教え方も分かりやすいし。
セイロス教に関するあれこれが無知らしいのは、ちょっとアレだけど。
え、もしかして。
ベレト先生ってすごい人?
いや、分かってたけどね。すごい人なのは今までのことでも充分理解してるけれども、そうじゃなくて。戦士としてもすごくて、教師としても有能ってこと?
……んー、今年って大当たりかも。
父上、今年度の士官学校に入れてくれてありがとうございます。
母上、将来のためにもたくさん学んできます。
兄貴達、土産話を楽しみにしてください。
妹よ、お前の分も、俺頑張るからな。