戦争が終わって間もないこともあり、まずは根回しをね。
ここまで出番がなかったあの人が出ます。
エーデルガルトとヒューベルトが消えた。
帝国を支える最も大きな柱、その二人が突然行方不明になったという異常事態に国内は大きく揺れる……ことにはならなかった。
アンヴァル宮城の警備を統括していたラディスラヴァが誰よりも早く異常を察知して緘口令を敷いたことで、城から街へ、人々へ知れ渡ってしまう事態は避けられた。
戦争が終わったばかりなのに新しい混乱が生まれて社会が乱れるという最悪の流れを阻止できたのは不幸中の幸いだろう。
しかし、このような事態。統率を図るにも二大巨頭を失った帝国が崩れてしまうかと思いきや、そうはならず。
以前までの、エーデルガルトとヒューベルトの二人で国内の舵取りをほぼ全て担う体制のままであれば危なかったかもしれない。
ベレトの助言を受けてから、少しずつだが国政の負担を各所に割り振っていたおかげで皇帝の采配がなくてもすぐに停滞するようなことにはならなかった。
それでも中心となる柱が二つも消えたことで危うい状況には変わりない。
ここからフォドラの内情はまさに怒涛の勢いで移ろいだ。
最初に動いたのはレア。
帝国内での早天馬の仕組みを知るや否や、彼女は自らペガサスに乗って飛び立つ。目指すはかつてセイロス教団が滞在した王国。用事が済み次第、同盟にも向かった。
その用事とは、ディミトリとクロードへの協力嘆願。
ベレト復活を伝えるのと併せて、エーデルガルト失踪の説明と救出のために力を貸してほしい旨をレア直々に頼み込んだ。
敵の魔手はフォドラ全土に伸びている。三国全てに戦う理由がある。立ち向かうためには全員が力を合わせなければならない。
バラバラだったこれまでと違い一つの意志の下で戦うことが今の我々ならできる。同じ旗を掲げてフォドラの未来のために力を貸してほしい。
そう言って頭を下げるレアはこの五年間の苛烈極まりない顔ではなく、彼女本来の慈悲と威厳を湛えた大司教の姿だった。
レア自らが使者として直々に訪問することの意味を、理性を取り戻したディミトリも、謀略に通じるクロードも、齟齬なく把握した。
エーデルガルトを救うため。フォドラのため。そういうお題目もあるがそれだけではない。
王国も同盟も、闇に紛れて暗躍してきた組織には因縁がある。それと戦うために肩を並べるなら望むところ。
何より、同じ旗を掲げて──ベレトと共に戦えるのなら願ってもないことだから。
なお、この時代では異例中の異例である単独の超長距離飛行はベレトにしかできないかと思われた荒業だが、それなりの飛行術は心得ており、戦士としてだけでなく優れた白魔法の使い手であるレアにとってはドラゴンとペガサスの違いがあるだけで問題なく実現できるものだった。
ベレトからの僅かな手ほどきで、その発想に感銘を受けたレアは『おにいさま』と同じ術を会得できたことに目を輝かせる。
帝国領内では早天馬用のペガサスを乗り継いで。国境を越えてからはファルコンナイト用の鍛えられたペガサスに回復魔法をかけながら。
まさしく意気揚々の顔で昼夜を問わず飛び続けたレアは王国のフェルディア、同盟のデアドラを巡り終え、全ての用事を済ませてからガルグ=マクへ舞い戻った。
闇に蠢く者。そう名付けた敵がにわかに輪郭を帯びてきた。今までずっと正体不明だった彼らを真の敵として倒す道筋が見えてきた。
エーデルガルトがやつらと通じていた事実に愕然とさせられたが、今度はこちらからそのエーデルガルトとの繋がりを辿ることで敵の正体に迫れるかもしれない。
好機と見定めた者の動きは早かった。
特に因縁を覚えていたのは二人。
ダスカーの悲劇は闇に蠢く者が画策したものだったと知ったドゥドゥー。
コーデリア家を衰退させた組織が闇に蠢く者だと確定できたリシテア。
どちらも両国から先んじて動き出す。
王国と同盟からそれぞれ先遣隊を率いてガルグ=マクに集い、この作戦のためのすり合わせをしながら意気を高めた。
帝国から来たベルナデッタとアロイスを迎え、後に続くように三国からは同期の勇士が訪れる。
フォドラの歴史上初めてとなる三国共同戦線へ向けて準備を進めるのだった。
また、急行させた早天馬から事の報せを受けたフェルディナントが即日アンヴァルに向かい、ラディスラヴァが辛うじて維持していた城内及び城下町の治安と統率に協力した。
五年前のエーデルガルト戴冠と同時に力を奪われ没落したエーギル家。かつては帝国の舵取りをしていたとは言え、その嫡子に今さら何ができる……そうせせら笑う者がいたのは昔の話。
多くの戦場で活躍し、
同じく報せを受けたペトラも来訪。こちらも黒鷲遊撃軍の一角、【
二人の来訪によって余裕が生まれたラディスラヴァが軍部のランドルフと組むことで帝都を掌握し、治安をより強固に維持できた。
戦争が終わったばかりのこの時期に戦時を思わせる勢いで有力者が動くと民が不安に思うかもしれない、そんなヒューベルトが危惧したものに近い状況だと感じる者もいただろう。
それはエーデルガルトがやろうとしたように、特に急ぐ理由もないのに勢いよく動くから不安がらせるのであって、理由さえあれば正当なものになるということ。
王国から
これから始まる王国の復興という大業はフォドラ全体に関わること。それを支援する帝国は同盟との貿易も進めている。となれば帝国を通して同盟も王国への支援に加わることができる。
商売っ気の強い同盟としてはこれを良い機会にして、戦争で遠のいていた王国との交易を復活させたいという思惑がある。
そういった明るい未来への道筋を感じ取り、民はむしろ希望を抱いてこれらの動きについて噂話を口にした。
さて、エーデルガルト救出のためにフォドラが一丸となって動こうとしている今。
肝心のベレトは何をしていたのか。
一言で言えば、謝罪行脚である。
自分の胸を切り裂いて紋章石を取り出す。
決して無駄にしたつもりはないにしろ、命を粗末に扱ったにも等しい行いだったと大いに反省したベレトは、アロイスのように悲しませてしまった人に何としても謝らなければならないと考えたのだ。
もちろんエーデルガルトを助けるために動きたい気持ちはある、が今のベレトにできることなどない。
……本当にないのだ。神祖の加護が失われたことは髪と目の色が変わった、もとい元に戻った姿を見れば一目瞭然なので下手に動けば角が立つし、そもそもが平民なので直属の部下を抱えていない。ジェラルト傭兵団すら失った自分に何ができよう。
指揮官を務める黒鷲遊撃軍なんてものを表立って動かそうものなら、戦争はもう終わったというのに最高戦力を動員させるなどいったい何事かと驚愕が広がる。
顔が知られていないわけではないのでそういう相手なら話が通じたりもするが、今まで帝国内でやってきた『聖人としての立ち回り』が使えなくなってしまったのだ。この辺りは中世社会。権威による恩恵は大きかった。
これまで聖人の、ソティスがくれた力とレアが用意してくれた立場に頼りきりでいたことが浮き彫りになり、そういう意味でもやることやったら後はどうなってもいいと捨て身気分だった自分を省みる。
だからと言って手持ち無沙汰に甘んじるベレトではない。今できることがないならできることを探すまで。
そうして思い立ったのが、心配させてしまった人の下へこちらから赴いて謝罪して回る、というものだった。
それくらいしなければみんなと肩を並べる資格はないから。
始めから大変だった。
レアがペガサスで飛び立つと同時に出発したかったのだが、自分が乗るためのドラゴンを探しに厩舎に立ち入ると中のドラゴン達が一斉に反応する。
しかしそれは以前の、神に首を垂れる平伏のような動きとは違い、見慣れない余所者を値踏みする睥睨。
それも当然。神祖の加護を失った今のベレトはただの人間なのだ。ドラゴンナイトの兵種資格も加護によって大人しく言うことを聞いたドラゴン相手に取れたもので、今の彼はドラゴンに認められた前提がない状態だから。
「
「
「
自分が認められていないことはベレトもすぐ察した。何より今までは当たり前のようにあったドラゴン達を見た時の通じ合うような繋がりがもう感じられない。神祖の加護を失った影響がこんなところでも出ている。
本当にソティスにはずっと助けられていたんだなと嬉しくなるも、すぐに気を取り直してその場に座す。
「急に押しかけてすまない。俺は今、君達の力を必要としている。どうか力を貸してほしい。俺を背に乗せてくれ」
そう頼み込むベレトだが、ドラゴン側の反応は芳しくない。
「
「
「
彼らの鳴き声は呆れ混じりの嘲笑に聞こえた。
ドラゴンは強く賢い生物である。だからこそ気位は高く、普通なら初対面の人間を認めたりはしない。言うことを聞いたり、背に乗せたりもしない。
同じ飛行系の職種でも、大人しいペガサスを用いるペガサスナイトが中級職なのに対してドラゴンナイトが上級職に位置付けられているのは、後者がそれだけ高い技能を求められるからだ。
適正な資格試験を通さなければ相応しい実力があるかも分からない。そんな人間をドラゴンが認める道理はない。
あのベレトであっても神祖の加護がなければこんなものである。
ここへ案内した厩務員も、刺々しく見えるドラゴン達の様子とその前に座り込んだベレトを見てハラハラしていた。
彼らは帝国が誇る飛竜隊の世話を担う立場だ。畏れ多くも皇帝エーデルガルトがよく麾下に置くほどの部隊で、軍の中でもとりわけ大きな存在感がある。
そのドラゴンを預かる身としては、もし何かあって飛竜隊の活動を損なうようなことが起こりはしないか気が気でないのだ。
「せ、先生様、もうお下がりください。これ以上いると……!」
「……」
髪と目の色が暗色に戻ったベレトの姿は彼らには見慣れないもので、最初は本当にあの先生かとつい訝しげにジロジロ見つめてしまった(仕方ないとは言え失礼ではある)のだが、ベレトは気にせずドラゴン達に会わせてほしいと頭を下げてきた。
以前と全く変わらない態度になるほど先生なのだなと納得して厩舎へ案内したが、彼を前にしたドラゴン達の様子を見るにやはり何かが違うのだと、このままでは騒動の一つでも起こるのではと心配が止まない。
静止の声が聞こえているはずのベレトはドラゴン達に誠意を示そうというのか、座したまま顔を下げずに前を見つめる。その姿も厩務員の不安にさせた。
だがここで意外な縁がベレトを助ける。
「
厩舎の奥から一際大きな唸り声が響くと、周囲のものより目に見えて立派な体躯のドラゴンが顔を出した。ドラゴンマスター用の個体である。
「
「
「
のしのしと他のドラゴンを押しのけて柵を乗り越えると、その大きな体を寄せたドラゴンは顔を近付けてベレトの匂いを嗅ぐ。
「
「君は……たしか、エーデルガルトの」
「
「すまない。今までと違って俺はもう君達の言うことが分からないんだ」
何度も匂いを確認して納得したのか、鼻を鳴らしたドラゴンは正面からベレトを見つめた。
「
「……聞いてくれるのか?」
「
「伝わるか分からないけど……頼みがある。力を貸してほしい。俺を背に乗せて飛んでくれ」
「……」
「……」
「……
見つめ合うベレトに何かを感じたのか。低く唸ったドラゴンが首を伸ばしてベレトの襟を噛んで振り回すように持ち上げると、そのまま自分の背中に放り投げた。
持ち上げられたベレトはそれに逆らわず、器用に空中で身を捻ってドラゴンの背中に納まる。
「いいのか?」
「
訊ねるベレトへ首を巡らせてどこか楽しそうに鳴くドラゴン。
ひとしきり笑うように鳴いてみせると、今度は厩舎内の他のドラゴンへ向けて強く咆える。
「
「
「
「
一斉に咆え出すドラゴン達。厩舎が咆哮で揺れるようで、暴れるでもなくただ一体になったように揃って咆えるドラゴンの姿は不思議な神秘性があった。
ベレトに促されて厩務員が慌てて鞍を持ち出し、帝国の徽章が入った胸当てを付けるなどして大型のドラゴンが飛び立つ用意を急ぐ。
その作業をしながら、厩務員の胸は驚愕と感動が渦巻いていた。
正当な資格試験もせず、力を示す対決もなく、ただ言葉と振る舞いのみで人間がドラゴンに認められる。そんな場面を見たのは彼らも初めてだった。
まるで歌劇や物語に登場する英雄を目の当たりにしたような心地で、例え姿が変わろうとやはりこの人はあのベレトなのだと思わせた。
装備の取り付けはすぐに終わり、ドラゴンはいつでも飛び立てるようになった。
説得に時間を取られはしたがこれでベレトも出発できる。
なので厩舎を出て飛行を指示しようとしたベレトだが、直前でそれを厩務員が呼び止めた。
「先生様!」
「っ? はい」
「あなた様がどうしてドラゴンを必要としておられるのか、何故陛下のドラゴンをお選びになられたのか、わたくし共には何も分かりません。ですが、先生様はきっと、陛下をお助けするために今飛ぼうとしておられるのですね?」
厩舎へ案内する指示をしたのはアロイスで、彼からも、そしてベレトからも事情は聞かされていない。せいぜい緊急の用事だと察するくらいだ。
黒鷲遊撃軍の指揮官であるベレトが急ぎ飛び立とうとする。その動きは『密命』の二字を想起させた。
平民上がりの一介の厩務員の自分からは差し出がましいことは言えない。
だが、これだけは伝えたい。この人になら言える。
「どうか、陛下をよろしくお願いします! フォドラにはあの方が必要なのです! そしてあの方には、あなた様が必要なのです!」
言い切って深々と頭を下げた。
前述したようにドラゴンは賢い生物だ。
そのドラゴンがベレトから何かを感じ取り、エーデルガルトにだけ許していた背に自ら彼を乗せた。普通ならありえない。
そのドラゴンの主であるエーデルガルトの身に何かあったのだと察するには充分な光景だ。
詳しい事情を知る権利は自分にはない。
同じ平民出身だというベレトに頼み込むのが精一杯だった。
ベレトは自覚していないが、彼の評価は決して聖人としてのものだけではない。
軍部ではその実力と指揮の腕で、若手からは注目を集め、老兵からは一目置かれている。
政治についてはさっぱりでも各地の、特に地方に行くほど活躍の印象は強い。鎮圧に協力した東のフリュム領。港を守った西のヌーヴェル領。ガルグ=マクでの人気は言わずもがな。
そして何より、あの皇帝エーデルガルトが全幅の信頼を寄せ、ヒューベルトにも認められ、現代の英雄達を育てた教師であるという事実。
その全てがベレトの実績だ。
世襲制を取るところが多い貴族社会のフォドラでは、ぽっと出の平民が批判の的になりやすいのは確かだ。世の中はまだまだ変わらないところが多い。
しかし全員がそうではない。まともで分別のある人間であれば積み上がった実績を無視したりしない。
戦争を終結に導いたのは誰かと言われたら真っ先に名が挙がる、それほどの活躍をしてみせた。
セイロス教の威光は関係ない、紛れもないベレト本人の評価である。
この厩務員もそういったベレトの活躍ぶりに畏敬の念を抱いているのだ。
そんな自身の人望について、ベレトは頓着していない。
この無頓着ぶりがその自由さの基になっているのだが、彼がこの認識を改められるのは後々の話になる。
なので、今のベレトから返せるのはこれだけだ。
「エーデルガルトといっしょに戻ってきます」
「っ! はい、いってらっしゃいませ!」
手綱を取って言うベレトに、厩務員はもう一度頭を下げて見送った。
唸りを上げるドラゴンが力強く羽ばたいて急上昇する。
「
「
「
「
厩舎から止まない他のドラゴンの歓声を背に受けて大空へ飛び去って行く。
手間取りはしたが出発ができた。気合いを入れたベレトは、レアに続いてフォドラを飛び回るのだった。
……それで行うのは謝罪行脚だったのだけれど。
たったの四日間。
レアが各地を巡り、主立った人員がガルグ=マクに集い、その裏でベレトが謝罪して回るのに要した時間だ。
通信技術がほとんど発達していなかった当時のフォドラで、この短時間で複数の国が一つの意志の下で動いた事実は驚異的だろう。
その連絡がドラゴンとペガサスによる超長距離飛行によるものという、ある意味とてつもない力業とも言える強引な手段だというのも二重に驚異的である。
王国の王ディミトリと同盟の盟主クロードまでもが集まり、先頃まで戦争していたとは思えない友好的な声を彼らは交わした。
それまでの遺恨がなかったことになったわけではない。
未来のために痛みを飲み込み、過去を蔑ろにすることなく歩みを揃えることがこれからの彼らならできるのだと。
そんな希望を感じさせる光景だった。
そうした交流を経て。
情報のすり合わせと今後の作戦を議論しようとして。
全員が一堂に会した五日目。
会議室に利用した講堂に意外な人物が現れたことで会議は揺れた。
* * *
「フリュム領の東端、同盟のゴネリル領との境界にある山中、そこに敵の本拠地があります。入り口となる洞窟は特殊な方法で隠蔽されておりますが、その位置と解法はこちらで把握できておりますので、いつでも進攻が可能です。
また、敵は内部で大がかりな計画のために動いております。詳しい内容までは不明ですが、その準備のために急いでおり、現在は彼らがフォドラに手を出す余地はないでしょう。構成員はそう多くなく、それもあって幹部に当たる有力者が集まり、作業に勤しんでおりますので。
しかし、だからこそ攻め入るならば即座に向かうべきです。一所に集まっているなら敵も情報共有をすぐにできる。動き出される前にこちらから攻め入って一網打尽を狙いたいところです。
折しもこうしてフォドラ最高の戦力と称していい猛者がガルグ=マクに集っている状況は実にありがたい。三国から集う方々にお礼申し上げます」
そう言って、講堂の壇上でヒューベルトは深々と頭を下げた。
慇懃なその態度も、今は頼もしい。
彼の振る舞いはつい先日まで囚われの身であったのが信じられないほど普段通りのものだった。
………………
…………
……
ガルグ=マクにかつての同期が集い、懐かしい顔ぶれに彼らは湧いた。
戦争が終わり、遺恨を気にせず語らえるのは誰にとっても嬉しいことで、久しぶりの語らいは思いのほか盛り上がった。
特にここへラファエルとアネットが来ていたことが大きい。
士官学校にいた頃と違って食べてばかりじゃないんだぞ、と言うラファエルが大量の肉を持ち込んで、同期どころか大修道院の人員まで誘う食事会を何度も催した。
彼が身に付けた理念が良い方向に作用する。
飯は大勢で食べた方がうまい。なら大勢で食べる飯をたくさんやればもっともっとうまくなる。いずれはフォドラ中を巻き込んだ食事会をするのだと豪語した。
食事を共にすることで人物を知る。見知らぬ相手でも食卓を囲うことで通じ合えるものが確かにあるのだと。
連れてきた部隊の中には、いざとなれば再び剣を抜くことも厭わないと考える者も少なからず存在した。だがこのラファエルの働きかけでそういう他国への反発心が大きく緩和されたのだ。
ローレンツ君が教えてくれたことだぞ、そう明るく笑う彼に絆された者は多い。
誰よりも戦争に懐疑的だったアネットは、戦争の終わりを大いに喜んだ。それも、生まれると予想された犠牲を大きく減らして潰し合いを回避した停戦とも言える終わり方は理想に近い終息なのもあって、いつまでも戦いへの忌避感が抜けない彼女には嬉しかったのだ。
そんなアネットは戦争が終わって比較的手隙だったこと、戦争を終わりに導いたベレトに報いたいこと、両面からいの一番に今回の参戦に名乗り出た。
ベレトが辿った末路を知り、その後に復活した事実をレアから聞いて、情緒の乱高下による勢いのまま表明。ドゥドゥーに続く形でガルグ=マクを訪れる。
同期の面々はもちろん、懐かしい大修道院の光景に心が緩んだのか、明るい笑顔で様々な人に話しかけたアネット。意気揚々とした彼女の振る舞いはみるみるうちに距離を縮め、最初は固かった態度の相手もつられてほぐれていった。
その後にガルグ=マクへ辿り着いたベレトに涙ながらに飛びつき、そのベレトが平身低頭で謝ることでアネットは大慌て。二人の様子は事情を知らない人間でもどこか微笑ましさを感じさせるものだった。
こうして戦力となる仲間が集結し、その雰囲気も良く。
エーデルガルトとヒューベルト救出に向けて作戦会議を始めようとした時。
音頭を取ったレアから驚きの報告がされる。
ヒューベルトが帰還した。
正確には、ヒューベルトのみ救出を果たせていた。
順を追って説明しよう。
エーデルガルト失踪と同時にヒューベルトも姿を消した。
それはベレト達が想像した通り、闇に蠢く者の仕業。主を盾にされて拒むこともできず、あえなくヒューベルトも捕らわれた。
組織特有の転移の魔法によって連れ去れらた先は見たこともない場所。恐らくは、奴らの拠点と思わしき施設。日の光とは違う灯りで煌々と照らされたところだった。
連れてこられたヒューベルトはそこで拷問を受けた。
帝国の宮内卿として、また、フォドラの今後を担う主要人物の一角として、彼しか知らないことはいくらでもある。過去に組織の支援を受けていたことの取り立てのつもりだろうか、情報を搾り取ろうと責め立ててきた。
ヒューベルトに成り代わる誰かを用意するため。
本人を亡き者にして、変身させた構成員をその立場に潜り込ませるため。
これまで散々フォドラを振り回してきた闇に蠢く者の常套手段を使おうとしているのは間違いなかった。
『そんなものに乗る理由などありませんでしたからな』
ヒューベルトは何一つ明かさなかった。口を割るどころか酷薄な笑みすら浮かべて相手を挑発してみせて黙秘を貫いた。
当然、組織としてはおもしろくない。これは長期戦になるとして肉体的な苦痛を与えるのではなく、精神的な責めに切り替えた。
毒、呪い、闇の組織らしい忌まわしい手段の準備を進めて、いざ始めようかと意気込んだところで邪魔が入る。
フォドラの東で潜入任務に就いていたシャミアとイエリッツァが、ヒューベルト救出のために乗り込んできたのだ。
元々この地に敵の拠点があるのではと見当をつけていたエーデルガルトの指示で、戦争の合間から密かに調査を進めさせていた。終戦以降に不審な動きを察知した二人が捜索を続けていると拠点を発見。
内部を探っているとエーデルガルトとヒューベルトが攫われてきたところを目の当たりにして、その場の判断で救出に踏み込む。
大立回りをするイエリッツァに目を向いた隙にシャミアが奥へ侵入、ヒューベルトの身柄の確保に成功した。
拷問も初期段階だったおかげか、ヒューベルトが辛うじて自力で動ける状態だったことも幸いして、脱出のために動くことができた。
しかしそこで逃走するということはエーデルガルトを置き去りにするということ。
その決断を下したのはまさかのヒューベルトだった。
『あの状況で敵地のさらに奥へ踏み入るのは自殺行為に他なりません。業腹ではありましたが、主を確実にお救いするためにもあそこで撤退した判断が間違っていたとは思いませんよ。それに……私には頼もしい仲間がおりますからね』
幼少の頃、非道な実験の対象となったエーデルガルトを守ろうと単身奔走した末に虜囚の身にされたヒューベルト。当時の敗北が彼を奮い立たせる原点でもある。
そのヒューベルトが主を守る決意のために頼ったのが仲間の存在。
一人で何もかもを負うのではなく、仲間と力を合わせて解決を目指す。頼れる誰かがいてくれるのはそれだけで選択肢が大きく広がるのだ。
だが敵もさるもの。易々と逃げられるわけもなく、三人は追い詰められていく。
そこへ意外な人物の助力があった。
ルードヴィヒ=フォン=エーギル。権力を取り上げられたエーギル公である。
五年前に更迭を命じられて以来、権力中枢から追いやられた彼はエーデルガルトの政治には一切関わっていない。それどころか領地であるエーギル領の経営権すら取り上げられて、公爵でありながら文字通り何もできない立場にされた。
屈辱である。いくら皇帝になったとは言え、年端も行かない小娘にやり込められた怒りは小さくない。
表立って何もできなくなった分、彼は裏で動く。
七貴族の変を陰から支援した組織、闇に蠢く者とより密接に手を組み、戦乱が広がるフォドラを揺さぶってきたのだ。
具体的には帝国の東側を中心にした画策である。
戦争の初めの方で同盟相手に戦線を押し込まれたのは、エーギル公によって裏から手を回した手勢が同盟の後押しをした影響があった。
フリュム領で不穏な噂や武器などを流し、エーデルガルトの政策に反発する勢力を援助した。
帝国軍が国内を巡回することになっても、その目を掻い潜るように情報を流して賊の動きを誘導した。それによって長い間ガルグ=マクが不逞の輩に占拠される事態になっていた。
密かにやっていた暗躍は闇に蠢く者にも利があることなのもあり、着実に帝国の動きを鈍らせていた。
しかし、五年間の中で彼の心情に変化が生まれる。
『息子が……フェルディナントが戦っているのに、私は何をしているのだ……』
父親が更迭されたことでエーギル家の力は地に落ちた。当然、息子のフェルディナントに向けられる目もそれまでとは変わり、皇室を裏切ったとも言える逆賊に近いもの。
貴族として、エーギル家の嫡男としての誇りを胸に人生を邁進してきたフェルディナントにとって、公爵家の権威を奪い、輝かしい未来を地に落としたにも等しいエーデルガルトの決定は到底受け入れられるものではなかったはず。
だというのに、彼は折れなかった。
失意を胸に納め、他人に当たり散らすようなこともなく、今の自分にできることを模索した。
この誇りは何者にも奪われはしないのだと、貴い生き様を変えることはなかった。
エーデルガルトの配下になったフェルディナントは、始まった戦争に黒鷲遊撃軍の一員として参加する。部隊を指揮し、人々を守り、帝国に尽くす。変わらない姿勢で彼は戦った。
それはエーギル家に生まれた彼が公爵家の肩書きを背負って貴族を名乗るのではなく、持たざる者の己であってもこの身は貴族であるのだと世界に知らしめるため。言わば、彼の人生を懸けた抗いだ。
いつしか周囲の見る目は変わっていた。守られた人は彼を称え、指揮下の兵はより精強たらんと務め、その活躍ぶりは家名の汚れを雪ぐ。
【
その五年間、フェルディナントは合間を縫って父エーギル公に会いに行っていた。
機会は多くなかったが更迭された彼と面会し、再び貴族として民を導こう、これからは私も力になりましょう、そう励ました。
彼とて父が清廉潔白であるなどとは思っていない。権力に欲深く、フリュム領の税を不要に重くするなど、後ろ暗い行いに手を出していたことは知っている。
それでも自分の父は偉大な貴族だと尊敬してやまないフェルディナントにとって、エーギル公が権力を奪われたままの現状は放置するわけにはいかないのだ。
そうして訊ねてくる息子は、エーギル公には目に入れても痛くない可愛いもの。
自分のせいで苦境に陥ったというのに、折れず、腐らず、まっすぐ歩き続ける姿は眩しくてたまらない。
『あれを見ていて、思ったのだ……私にはまだ帝国のためにできることがあると』
組織の一部になって行動することを怪しまれないくらい深く立ち入る身でエーギル公は考えた。今の自分の状況を利用できないかと。
機を見計らい、組織の内側から立ち回ることで帝国のため、そして息子の生き様に恥じない貴族でいられるかもしれない。今からでもできることはあると。
エーデルガルトへの怒りはある。だが月日が経つにつれ、温情をかけられたことも理解できた。
更迭を命じられはしても明確な処断をされたわけではない。皇帝の権限で政治から離されはしても公爵という立場はそのままだ。
それが例えただの気紛れだったとしても、彼女の判断はエーギル公の心に小さな忠義を宿していたのだ。
戦争が終わってフォドラの安定のために別の戦いが始まろうとしている時、組織の内部が慌ただしくなったことで事態を察した。
そしてエーデルガルトとヒューベルトが捕らえられ、かどわかされた二人が拠点へ連行されてきた時、エーギル公は決断する。動くなら今だと。
これからの帝国には、否、フォドラにはあの二人が必要だ。他の誰にも代わりを務めることはできない。
このために私は今ここにいるのか──奇妙な確信に背を押されてエーギル公は踏み出した。
『こちらに来い! 速く!』
『貴公は……』
『言いたいことはあるだろうが後にしろ! 今は急げ!』
『くくく……まさか貴公に救われるとは……』
窮地にあったヒューベルトら三人を手引きし、拠点から逃がすことに成功した。
とは言え敵もただ見逃すはずもなく、追手を差し向けて追撃を図る。
拠点を脱出した後も逃走戦を続ける一行は傷ついていくが、最終的には負傷して動けなくなったシャミアと限界を迎えて昏倒したヒューベルトを一人で抱えたイエリッツァが満身創痍になりながらも槍を振るい、エーギル公を連れたままガルグ=マクへ辿り着いたのだった。
最初に接触したベルナデッタが悲鳴を上げかけるアクシデントはあったが、意識のないヒューベルトを助けるため根性で堪えて秘密裏に匿うことができた。
『ひ、ぎ……ぱっ……! ひゅ、ヒューベルトさんっ、どうして、え、無事!?』
『娘よ……この者を、死なせてはならぬ……!』
『ひゃう、イエリッツァさんも、酷い怪我じゃないですか! あ、ああ、シャミアさんまで!』
『私らのことは後にしろ……ベルナデッタ、事情を知る者だけ呼べ。今ならアロイスがいるか』
『は、はい。アロイスさんも来てます。じゃあ、あの、ちょっとだけ待ってて……』
『急ぎたまえ。事は一刻を争うのだぞ』
『んぎゃぴ……!! ふぉ、おおお……おじさんだだだ誰ぇ……!?』
『……そなた、ヴァーリの娘であろう。このエーギル家当主を知らぬなd』
『知らない人知らない人知らない人、いえいえいえヒューベルトさんヒューベルトさんヒューベルトさん、あああああのアロイスさん呼んできますうううう!』
秘密裏に匿うことができたのである。まあ、何とか。
……
…………
………………
レアに連れられて姿を現したヒューベルトに、集まった同期は驚きながらも救出が叶ったことを喜んだ。
先日まで敵対していた関係。それでも戦争はもう終わったと理解している者が大半で、ここ数日の交流で当初より敵対心が薄れてきていたこともあって、無事を喜ぶ感情の方が強い。
士官学校の同期の面子だというのも理由として大きいだろう。
同じく姿を現して作戦のために情報提供をしたエーギル公には、特に帝国の人間からは厳しい視線を向けられたのだが、彼もこの場では重要人物、排斥されるようなことにはならなかった。
誰よりも早く進み出て頭を下げたベレトに、周囲は毒気を抜かれたというのが正直なところ。
御子息を指導する身でありながら責務を放棄した振る舞いを謝罪します、などと言われて慌てふためくエーギル公を見ていたら、士官学校からベレトを知る面々としては生温かい感情が湧いてしまい糾弾するような気分になれなかった。
なんか覚えあるな~こういうの──多かれ少なかれベレトに振り回された経験のある者ほど、この時のエーギル公には奇妙な親近感を抱いてしまって。
何はともあれ、ヒューベルト救出が果たせたのは大きい。
シャミアとイエリッツァの尽力で敵の拠点も明らかになった。
エーギル公のおかげで敵の情報も得られた。
早くエーデルガルトのことも救い出さなければ。そのように思い意気を高める者もいた。
いた、のだが……
「……ふぅ」
どこか力のない溜息を吐くベレトが気になり、仲間の輪から外れたヒューベルトは近寄る。
「おや先生、どうなさいましたか? 何やら落ち込んでいるように見えますが」
帰還して気絶から目を覚ましたヒューベルトは、ここにはベレトも来ているとレアから教えられた時に珍しく表情を綻ばせた。
彼もまたベレトの死を嘆き、復活を喜んだ一人である。主のエーデルガルトが複雑な思いを抱えていたのは察していたが、ヒューベルト自身は嬉しく思ったのだ。
そんなベレトが自分が帰還した場で顔を暗くするのを見て、何か問題でもあったのだろうかと不思議になる。
「落ち込んでる、か……そうだな、俺は落ち込んでる」
「ほう。それは何故か、伺っても?」
「ヒューベルトが助かったことは嬉しい。無事に戻ってきてよかった。ただ……」
「ただ?」
「君は、窮地にあっても仲間を信じて、頼る選択ができた。エーデルガルトを助けるために、自分が動くだけじゃなく、仲間の力を考慮に入れて行動できた。それが何と言うか……羨ましい。同じことをできなかった俺自身が、情けない、と感じている」
確かめるように、間を開けながら心情を吐露するベレトを見て、ヒューベルトは少しだけ呆気に取られた。
無表情が常で、どこか超然とした雰囲気のベレトがここまで幼気な反応を見せるなど滅多にないことだ。
しかもその心情を隠そうともせず素直に相手へ告げるところは実に彼らしいとも言えて、それが妙におもしろく思えてヒューベルトは肩を震わせた。
「くっくっく……まさか貴殿に嫉妬される日が来るとは思いませんでしたよ」
「嫉妬……そうか、俺は君に嫉妬しているのか」
言われてから思い当たったようで目を瞬かせるベレトがさらにおもしろくてヒューベルトは口元を抑える。
そういえば、とヒューベルトは思い出す。
ユーリスがエーデルガルトに渡したレポートは自分も目を通した。貴方も詳しいことを知っておくべきと主から託され、その内容は熟読した。
ついでに、ベレトとは雑談──五年前の暗殺未遂も含む──混じりにベストラ家の役割やヒューベルト自身の務めなどを語ったのに合わせて、ベレトの方からも彼について教えてもらったことがある。
それらの話を統合、整理、考察したものによれば。
ベレトは生まれてすぐ胸に紋章石を埋め込まれ、大修道院から連れ出されて以来、父ジェラルトといっしょに傭兵として生きてきた。
生まれとその後の境遇からすれば中々に波乱に満ちた人生だろうに、その心はろくに育たず、若くして【灰色の悪魔】などと物騒な二つ名を持つくらい感情が薄いまま生きてきた。
その末にエーデルガルトと出会い、彼の中でソティスが目覚め、それを契機にして人生が始まったとさえ言えるのかもしれない。
なのでともすればベレトの年齢は、肉体はともかく精神は若いを通り越えてかなり幼いと表せる見方がある。
無表情に隠れがちだが、彼の反応がどこか子供らしいものが多いのも納得だ。
ジェラルト傭兵団の中でベレトだけが『坊』と呼ばれていたのも、事情を知らない傭兵達もそういう気質を感じ取ったからか。
そう考えると、ベレトがこうしてヒューベルトに嫉妬を向けてきたことが少々可愛らしく思えてきたのだからおもしろい。
尊敬を抱く男にこのような感想を持つのは失礼かもしれないが、ベレトを相手にするとヒューベルトとしてはどうにも調子が崩れてしまい、らしくもなく笑いを誘われるのだ。
「いえいえ、そう気になさらずとも構いませんよ。私があの判断を下せたのも、貴殿の教えを心に留め置いたからこそ。先生の教育がエーデルガルト様をお救いすることになるのです」
「……だといいが」
「こうしてガルグ=マクに戦力が集ったのもレアが呼びかけたからだけが理由ではありますまい。みな、貴殿がいるからこそ力を貸そうと決めたのでしょう。あまり謙遜なさらず、胸をお張りなさい」
目を伏せるベレトの隣でヒューベルトは講堂を見渡す。
作戦会議はもう終わり、すぐにでも動こうとする仲間達。彼らの士気は総じて高いのが見て取れる。
それはここに集った者の中心がベレトだと知っているからだ。
ベレトがいるからこそ、エーデルガルトを助ける作戦に多くの者が名乗りを上げ、ここに来た。
それは紛れもなく彼が今に至るまでに結んだ縁が呼んだものなのだ。
「そうか……俺はみんなに助けてもらってばかりな気がするよ」
「まあそれはそれとして、貴殿の落ち込む姿は珍しいものですので、せいぜい堪能させていただきますがね。くっくっく……」
「ヒューベルトにそれを言われたら反論できないな」
肩を揺らすヒューベルトを見て、ベレトも小さく息を吐く。
「ですが、だからこそ失敗は許されません」
「ああ。必ずエーデルガルトを助ける」
「期待していますよ、我が同志」
「君こそ抜かるなよ、同志」
ベレトが向けた拳に、それが傭兵の流儀の一つだと学んだヒューベルトも向けた拳を静かに合わせる。
講堂を最後に出た二人も急いで支度に取り掛かった。
彼ら一団はその日の内に出撃を果たす。
集合から作戦立案、行軍の計画、準備に至るまで、完璧な意思統一の下に行われた電撃的な出陣であった。