そしてこの小説の本懐、レトエデ実現の大一番。
迅速、その一言に尽きた。
ガルグ=マクを出陣する一行は、数で言えば少数である。
フォドラにおける精鋭中の精鋭を結集させた、言わば秘密部隊。少数故に身軽であり、突飛な指揮にも素早くにも対応できる。
よって、出撃も早ければ移動も速いものだった。
頼ったのは自由な行商人アンナが所有するペガサスの一団、秘密の輸送部隊。
商人でありながら専用の騎士団を抱えるアンナの特徴、それは彼女の機動力。広大なフォドラを西から東へ、北から南へ、商売のためなら大陸のどこへでも赴く足こそが利益の秘訣だ。
そんな彼女の伝手を頼り、出撃する一行を丸ごと運ぶ移動を依頼した。
軍属でもないのに多くのペガサスを従えて荷を運ぶ飛行部隊は、ガルグ=マクからフォドラの東端へ僅か一日での移動を実現したのである。
どの国にも正式に所属していない商人のアンナだからこそ、秘密裏の移動の協力者としてはこの上ない適任者だった。
『任せてちょうだい。お得意様の要望には最大限応えてみせるわ』
『商売にはならない依頼なのに、受けてくれて感謝する』
『あら、全く利益がないわけじゃないわ。各国の長に加えてあの【灰色の悪魔】に貸しができるだなんて、将来への投資だと思えば悪くないものよ』
『期待に応えられるか分からないが、お返しに俺ができることなら何でもする』
『……あまりそういうことは言わない方がいいわ。あなた、もう帝国ではそれなりの立場でしょ? エーデルガルト様にも影響あるでしょうし、言葉尻を捕らえられないよう気を付けなさい』
『そういうことならなおさらだ。エーデルガルトを救出しに行くんだから、アンナも後で彼女に話を通せば追加で報酬を請求できるかもしれないぞ』
『待って……え、待って、ちょっと……皇帝陛下を、何? 救出? あなた達、そのための出撃なの? この面子で?』
『ああ、そうだ』
『それ、私が聞いてもいいこと?』
『だめかもしれないけど、あんたには話しておきたい。俺はアンナを信頼している。危険がある作戦に協力してもらうなら、ある程度の事情は開示しておきたい』
『そう言って、関わらせることで巻き込もうとしてないかしら?』
『半分はその通り。もう半分、信頼しているのは本当だ』
『……
『やり手の商人のあんたにそう言われるのは光栄だよ』
そんな会話を経て、アンナの協力を得てベレト達はフォドラの東、フリュム領とゴネリル領の境にある山中へ辿り着いた。
一行はすぐに捜索を開始する。
ベレトの指導を受けた彼らは五年の成長を経ても健脚を備えており、慣れない山中であっても足を鈍らせることなく駆け巡ってみせた。
ヒューベルトの指示とエーギル公の情報を基にした調査は半日も経たず終わり、彼らはついに敵の本拠地へと踏み入る。
闇に蠢く者。フォドラを長年悩ませてきた敵との決戦が迫っていた。
* * *
「けったいな絡繰りだな。著しく風情に欠けている」
「あたしは便利だと思うよ。荷物がたくさんあってもこれがあると楽ちんだし」
「有用なのは分かりますけど、これほどの設備の維持管理にかかる費用を想像したら僕はちょっと怖くなっちゃいますね……ローレンツくんが気にしているのはそういうことじゃないと思いますけど」
「当然だ。運営にかかる費用は何とでもしてみせよう。イグナーツ君にも協力してもらいもする。だがこの景観はいただけない。洞窟の中となれば灯りが最小限になるのは前提として、合わせて壁面を見栄えよく整えておくものだ。見たまえ、あの剥き出しの土壁を。あれでは土埃がいくらでも生まれてしまう。自領の近くにこのような拠点を許可なく作られていることにヒルダさんは憤るべきではないか」
「……あなた達、もうちょっと緊張感のある会話をしてくれませんか?」
「あーん、リシテアちゃん怒んないでー」
「どうしたイングリット、顔が険しいぜ。まだ力抜いとけよ」
「そうもいかないわよ。今から敵の懐に飛び込むのよ、あなたと違って緊張するわ」
「俺だって緊張はしてるさ。けどデート前にガチガチに張り切りすぎても空回りするだろ? 意識しなくても体は勝手に緊張するんだ。こういう時はあえて脱力して本番に臨むもんさ。今からそんなんじゃ疲れるぜ」
「あなたの女遊びといっしょにしないで。強大な敵との決戦よ、気持ちが入るくらい当然なの」
「だったら、ほら、そこで瞑想してるフェリクスを参考にしとけよ」
「……おい、俺を巻き込むな」
「そうね。フェリクス、私も隣、いいかしら」
「だからどうして隣に来る。瞑想したいならどこでもいいだろう、来るな」
「どこでもいいなら隣でもいいだろ? 俺もお邪魔するぜ」
「ちっ……勝手にしろ。戦いが始まれば軽口に付き合う余裕はない」
「ええ、そうさせてもらうわ……シルヴァン、ありがと」
「何のことかな~」
「この機構……駆動に対して静穏性がやけに優れている。動力はどうなっているんだろう? こんな大きいものを動かすのに供給される力をどう伝えて……」
「何やってんだリンハルト。機械にかじりついて」
「ああ、カスパル。ここの仕組みを考えてるのさ。今のフォドラの技術力じゃとても及ばない構造と材質の組み合わせ、研究者として興味深いよ」
「俺達を運んでるこれか。俺としてはこの先にあるお宝が気になるんだよな」
「宝? ここは敵の本拠地と聞いてるけど?」
「こんな深い洞窟の奥にはお宝があるのが相場ってもんだろ。そう考えるとちょっとワクワクしてこないか?」
「そんな夢のある場所じゃないと思うけど……そうだね、陛下の他に何かおもしろいものが見つかるかもしれないか」
「もちろんエーデルガルトを助けるのが最優先だけどな。でもお前だって先生から教わったことは覚えてるだろ?」
「敵物資の鹵獲は珍しいことじゃない、だよね。覚えてるよ」
仲間達がそれぞれ話して、戦闘前の雑談に興じる。
緊張感がなさそうに見えるが、固まって実力が出せなくなるよりはずっといい。
適度に弛緩した空気が一同の間に流れていた。
拠点の入口から侵入した一行は、見つけた機械に乗って地下へと移動中である。
全員が乗っても揺るぎもしない大きな足場が低い駆動音を響かせながら急勾配の洞窟を地下に向かって移動する。それはエスカレーターと呼ばれる機械であり、フォドラの人間からすれば未知の機構だ。
しかし同行したレアが操作端末に手を出すと問題なく動かすことができて、彼女の案内に従って乗り込んで今は移動しながら待機中というわけだ。
「レア様、この絡繰りはまさか五年前にガルグ=マクで我々が利用したものと……」
「そうです。聖墓に降りる際にあなた方も乗りましたね。あれと同じ技術によるものです」
ディミトリが伺うとレアは隠すことなく答えた。
五年前の士官学校で最後に受けた学級課題。ベレトが聖墓で女神から啓示を受けるという、今思えば私情に染まった課題へ臨むに当たって生徒一同が利用したのと同じものだと。
大修道院の庭園に隠された入口から地下深くの聖墓に降り立つために、内部でまず使ったのが全員を移動させるためのエスカレーターだった。
聖墓を守るために建てられた大修道院は時代相応のものだが、聖墓の内部は神祖が眠りについた当時のもの。古の機構がそのまま残っており、遥か昔の施設が現代でも利用できたことに生徒は感動と驚愕に騒いだのだ。
「ってことは聖墓を建設したのと、この拠点を作ったのは同じやつなのか? いや、それにしちゃ趣が違うよな」
「用いられた技術が同じなだけで、製作者は別ですよ。私は知識があるから操作することができただけです」
「つまり、ここのやつらは古の技術を今も使い続けてるってことですか」
「そう……その技術も過去から現在に至るまで使うことで洗練されているでしょう」
側にいたクロードの呟きも拾ってレアは答える。
「遥か古の、神祖によって世界が洗い流されるより以前の技術を今も連綿と伝え、使い続ける。セイロス教の教義に基づけばそれは明らかな邪法と言えます。ですが、私の口から声高に断ずることはもはやできません……その教義も、社会に都合の良いように私が作り上げたものですから」
「それを言うってことは、レアさん……あんたが全ての始まりのセイロスその人だから、と考えていいんですね?」
「ええ。少し話しておくべきでしょう。私と、神祖と、ここに潜む組織のことを」
振り返るレアは口を開く。その表情は大司教のそれとは違い、冷厳な戦士のものになっていた。
──気の遠くなるような遥か昔。
フォドラの地に降り立った神祖は、そこに生きる人々に知恵を授けた。
生きる術。天地の理。魔法。様々な恩恵を与えられた人間は感謝し、神祖の庇護の中で逞しく育ち、数を増やした。新たに生み出された眷属にも従い、大地を拓き、住処を広げ、豊かな世界を築いていった。
しかし、人間はいつしか驕るようになった。与えられた知恵を自分達だけの特権だと主張して、神祖に楯突くようになった。やがて驕り高ぶる人間は自ら神を騙るようになり、徒党を組んで神祖への反逆を企てた。
神祖より賜った知恵をさらに磨き、突き詰めた力は大地を砕き汚すものだった。汚毒に冒された大地に胸を痛めた神祖は、楯突いた人間諸共に世界を浄化せんと大洪水を起こして大地を清めた。
世界を水に沈める神祖の御業に、反逆した人間は次々に呑まれた。だが一部の人間は地下へと逃れた。神の目も、陽の光も、世界を満たした水さえも届かない深く暗い地の底の闇へ。いつか再び地上へ出て、自分達を追いやった神祖への復讐を誓って。
途方もない力と時間をかけて大地を洗い清めた神祖は疲弊した。傷つき疲れ果てた彼女は聖墓にて眠りにつした。残された眷属はザナドに住みつき、新しく大地に生まれた人間を見守りながら穏やかに暮らした。
フォドラは、また一から始まった。
永い時が流れる。
突如、聖墓が荒らされ、神祖の身柄が奪われた。
神話に語られた解放王ネメシス。その正体は、闇に蠢く者の支援を受けた屈強な盗賊の男。地下より現れた闇は最初の一手から神祖へと伸びた。
ネメシスに奪わせた神祖の身柄は、闇に蠢く者によって大いなる力へと姿を変えられた。その力を与えられたネメシスは続けてザナドを襲い、眷属を虐殺してその遺体も奪い、それらも神祖に続き力へ変えられてネメシスの配下へ与えられた。
血は紋章に。心臓は紋章石に。骨は英雄の遺産に。
強大な力を得たネメシスと配下はフォドラを駆け巡った。神祖と眷属による支配から大地を解放する、そう嘯いて解放王と名乗ったネメシスは各地をまとめ、大陸の支配に王手をかける。
しかし、聖セイロスに見出された初代アドラステア皇帝によりアドラステア帝国が興り、躍動を止めないネメシス一派との戦争が始まった。
幾度の衝突の果て、タルティーン平原にて起こった一騎討ちの末にセイロスが勝利し、ネメシスはそこ討たれた。
この時、神祖と眷属は変わり果てた姿でセイロスの、レアの下に戻ってきた。
それから約千年が経ち──今、レアはここにいる。
「ザナドの全てが真っ赤に染まったあの光景を、私は決して忘れません……! 同胞の亡骸を武器に造り変えて誇らしげに振るうあの者達を、私は許せなかった……」
赤き谷ザナド。その名の謂れを知り、一同は沈黙する。
学級課題のために、実際にザナドを訪れて景色を目の当たりにした
聞き終えたクロードが沈黙を破る。
「俺は個人的にずっと怪しんでいたし知りたかったんですが、セイロス教の神話や今の話の中に出てくるセイロス、つまりレアさん、あんたは神祖が生み出した眷属……戦に向かうセイロス達戦士の背中に風を送ったという【白きもの】なんですね?」
「その通りです。私は神祖が最後に生んだ眷属。あのザナドの惨劇で多くの兄弟姉妹に守られた、当時の生き残りです」
本人の口からも明言され、神代の生き証人であるレアに向く視線に改めて畏敬の念が乗る。
大司教である彼女を崇拝する意識はフォドラの人間にとって社会常識でもあるが、古の時代から永い時を生き延び、それ以上に激動の歴史を生き抜いたことへの敬意も大きい。
「五年前にガルグ=マクが帝国軍に襲われた時、レアさんが巨大な竜に変身したのを見た時からそうだろうとは思ってたが……実際に本人から肯定されると衝撃だな」
「ですがそうであるならレア様、我々が英雄の遺産を振るうこともあなたにとっては許し難い行いではありませんか?」
嘆息するクロードの横で、今度はディミトリが進み出る。
「フォドラの秩序のためとは言え、あなたの同胞の亡骸を武器扱いしているのは今お話しいただいたネメシス達の所業と変わりません。我ら貴族の在り方に思うところがおありなのでは……」
「いいえ、それはよいのです。あれから幾百年、心の整理は済んでいます。世界の安寧を守るために必要なのであれば私から口を挟むつもりはありません」
手にするアラドヴァルを見ながら気遣わしげに言うディミトリに、レアは嫋やかに微笑んでみせた。そこに厭う気配はない。
そもそも今のフォドラの貴族社会を作り上げたのはレアなのだ。その基盤を固めた時から覚悟はしていた。世界を、人類を守るためなら、と。
そして実際にセイロス教の大司教として社会を支えてきた。
怪しまれないように時折姿を隠し、再び姿を表す(いつまでも老けないままだとおかしいから)のを繰り返してきた歴史の中、紆余曲折ありながらも発展していく世界を見守り続けたのだ。
自分の中で折り合いはとうについている。
「何よりディミトリ王、そうして私を慮ってくださるあなたのような人間が手にするのであれば、否やはありません。私の知る同胞もきっとその身を預けてくれることでしょう」
「……謹んで、この槍に恥じぬ戦いをするよう一層努めます」
微笑んで許すレアに向かって、ディミトリは槍を手に一礼を返す。
英雄の遺産は今のフォドラに欠かすことのできない力だ。外敵への対抗手段、内部の秩序維持、両面で頼っている。少なくとも代わりとなる何かが生まれない限り、使わないという選択肢は今すぐには取れないだろう。
何より、これから始まる戦いには強力な武器が不可欠となる。今ここで取り上げられるような話にならなくて、この場の何人かはこっそり安堵した。
「それにしても不思議だよ。闇に蠢く者の技術力あってのことなのは分かるが、骨や心臓を素にしたからってこんな物騒な武器が作れるなんて。さすが神祖から産まれただけあって、眷属ってのはすごい力を持ってたんだな」
手に持つフェイルノートを眺めてクロードは言う。レアが気にしてないと分かった以上は自分達が気にしすぎても仕方ないと割り切って、普段の彼らしい軽い口調だ。
この場に集った面子は半数以上が紋章を持って英雄の遺産を使いこなす者。古くから伝えられてきた教えと武器を正当なものとして、後ろ暗いことなどない正しいものとして振るうと自負してきた。
それが実はレアの同胞の遺体を材料にしていて、しかも敵によって作られたものと聞かされて、内心は複雑である。
何人かは手にする英雄の遺産を見やって顔を歪める者もいた。
しかしその意味では、誰よりもレアと英雄の遺産を気にしてしまう人間がいる。
眷属どころか神祖の身柄を用いた武器を持つ者が。
「……どうした先生。落ち着かない様子だが」
ドゥドゥーが声をかけた先でベレトはしきりに視線を動かしていた。辺りを窺うようにも見えたが、彼らしくないそわそわした雰囲気である。
レアの話を聞いていなかったということはないだろうが、どうにも集中を欠いているようにも見える。
「別動隊が気になるのか?」
「いや、向こうは信じて任せたからそれはいいんだ。ただ……」
ディミトリの問いかけに答えるベレトはいつもの無表情が崩れている。それどころか彼にしては分かりやすく落ち着かないと顔に書いてあった。
「さっきから心臓がうるさい」
「心臓?」
「これが戦いの前の昂ぶりなのか? 心臓がやたらと騒がしくて、普通の人間はこんなのが自然なのかと驚いてる」
ベレトが心臓の鼓動がないまま生きてきたことは仲間内には知られている。
胸に炎の紋章石を埋め込まれていて、その紋章石を自力で引き抜くという凄絶な姿を見たからこそレアも冷静になれて、おかげで話し合えてこうして行動を共にできるようにもなった経緯も説明した。
蘇った今では正しく心臓が動いて、普通の人間と同じ体になったのだと。
──赤ん坊だった彼の胸にレアが紋章石を埋め込んだ、という事情までは明かしていない。
セイロス教の教義を規範に生きてきたフォドラの人間からすれば、それはあまりに禁忌が過ぎる内容だ。これから大きな戦いに臨もうというのに余計な混乱を生んではいけない。
そこまでわざわざ明かさなくてもいいだろう、と当人のベレトが判断してレアもそれに従うことにした。ベレトが認めてくれたとは言え、レアとしては負い目が完全に消えたわけでもない事情を軽々に明かしたくはない。
なので理屈はさて置き、
全ての真相を知っているのは例のレポートを書いたユーリスと、読んだエーデルガルトとヒューベルトだけである。クロードは薄々察していそうではあるが──
自分の意思を無視して強まる鼓動にベレトは困惑しているようだが、普通は心臓の動きなんて手足と違って制御できるものではない。そんなことさえ彼は知らないのかと驚くと同時に、戸惑う先生の様子が幼く思えて生徒の視線が和らぐ。
熟練の傭兵であり尊敬する教師のベレトがまるで初めて実戦に赴く新兵のようで。
「おいおい緊張してるのかきょうだい。ビビってるわけじゃないだろ?」
「そうじゃない、はずだ。戦いが嫌になったりはしてないけど……」
「大丈夫だよ先生。戦いを前にして戦意が高まるのは自然なことだ。鼓動を強く感じるのはお前がそれだけ張り切っているということだ」
「……なら、いいんだが」
肩を組んできたクロードと笑いかけるディミトリの言葉に、ベレトは首を傾げながら頷く。
疑問を覚えつつもそういうものなのかと受け入れる素直な態度は髪と瞳が変わる前の元々の彼と同じままだと思わせて、死んで蘇るという激動を経験しても先生は自分達の知る先生なのだと分かり、生徒達は嬉しかった。
「少し懐かしいな。そうやって戸惑うお前に俺達が教えてやるのは、大修道院に来たばかりの頃に案内してやった時を思い出す」
「ああ、あったな。俺とディミトリとエーデルガルトがあれこれ教えてやったっけ。施設の場所とか、使い方やらルールやら、何かと教えたな。あんたの授業がなかった頃は関わる機会も少なくてよく押しかけたっけか」
昔を思い出す彼らの前で、ベレトは表に出さないまま内心で考え続ける。
果たしてこれは本当に戦意の高まりなのだろうか、と。
重要な戦いを前にしてそわそわと落ち着きをなくす人はよく見た。傭兵をやっていた時から珍しいものではなかったし、生徒の中にも戦闘前に緊張を露わにする者は多かった。
昔のベレトは今以上に他人の気持ちを理解できなかったが、それでもそのまま戦場に出してしまえば実力を発揮できないと察して何とかしてやれないか試行錯誤する程度の思いやりはあった。
寄り添って話を聞いたこともある。背中を叩いて喝を入れたこともある。やり方は様々で、励ましてやれた時もあれば上手くいかず落ち込ませてしまった時もある。
今もこうしてみんなに話を聞いてもらって大丈夫だと笑いかけてもらい、少しだけ落ち着けた気もするが……たぶん、そうじゃない。
(そもそも俺は戦いに来たのか?)
自問して、違う、とベレトは直感する。
確かに、ここにはエーデルガルトを助けるために来た。
闇に蠢く者の拠点という明らかな敵地への侵入。その敵に囚われているエーデルガルトを救出するため、戦闘は避けられない。戦う理由は充分過ぎるほどある。激戦だろうと望むところだ。
しかし、恐らくそれは手段に過ぎない。目的は別にある。
(俺は、エーデルガルトを……いや、エーデルガルトに……)
どくん、どくん、と変わらず強く打つ心臓がうるさい。
エーデルガルトに近づいている。その実感が強まるほどに唸る鼓動がベレトの心を揺さぶる。
鼓動に後押しされるように、ベレトの中で答えは定まっていった。
──感じる
──彼が来る
──ここへ近づいている
「侵入されました。扉が暴かれております」
「畜生共め……穴があれば忍び込むか」
「薄汚い獣はさっさと処分すればいいでしょう」
──周りが騒がしい
──殺気立った空気がある
「今こそタイタニスの呪縛を解け。その珪砂の体に、存分に血を吸わせてやれ」
──指示を出す声は覚えがある
「ヴィスカムの起動も急げ。魔力の充填量に応じて段階的に出力を上げてゆくのだ」
──侵入者とは彼と仲間達
──それを殺す手配
──彼らが危険に晒される
「おいおい、いいのかい? やり過ぎるとシャンバラが崩れるよ?」
「多少の被害は構わぬ。必ずや宿願を果たすのだ!」
──聞き返す声はあの女のもの
──指示は変わらない
──彼らを迎え撃とうとしている
──ここで戦いが始まる
──
──私の師
──大好きな師
──きっと私を助けるために来た
──あなたは私を守るためなら本当に何でもする人
──どんなに危険でもすぐ動いてこんなに早く来てしまう
──嬉しいけど
──だめなの
──来ないで
──もう私を守らないで
──私なんかのために傷つかないで
──嫌なの
──辛いの
──あなたが傷つくと痛くて堪らないの
──でもあなたは来てしまう
──私を守るために戦う人だから
──だからもう守らせない
──私を守ろうと思わせない
──あなたの敵になるから
──あなたを脅かすものになるから
──あなたが剣を向ける敵に今度こそなるから
──もう守らなくていいの
──もう助けなくていいの
──だから
──ちゃんと私を殺してね
──師
地下深くで停止したエスカレーターから降りた一行は周囲を警戒してさらに奥へと進む。
魔法によるものか、微かな灯りが道を示していて迷うことはなかった。
「みな、気を付けなさい。我々が侵入したことは向こうに感づかれていると考えるべきです。ここはもう敵地なのですから」
レアが警告するまでもなく全員が心得ていた。
敵の懐に踏み込むことになるのだ。相手の警戒網に触れるのは当然であり、反応があればその備えを動かしてくるのも当たり前。
言われるでもなく、そのための立ち回りは誰もができていた。
拠点の入口を探す段階から、エスカレーターで移動している間も、こうして暗い道を進む今も、一定の警戒は続いている。雑談をしていた時でさえも緊張を完全に途切れさせた者はいない。
何かが潜んでいる可能性は常に意識して進んでいた。
これは五年前の士官学校でベレトから受けた授業、斥候の訓練が活きている。
戦場の下調べ。敵陣地への潜入。単純な戦闘ではなく情報を得るための立ち回り。
貴族が多い士官学校の従来の課程ではありえない傭兵の授業は、人々の上に立つ者ばかりを輩出してきたそれまでの教育にはなかった視点を身に付けさせた。ある意味では泥臭い、しかし戦場では値千金にもなる情報を手に入れる立場の心得を。
敵地の暗所。それも自分達よりもずっと優れた技術を操る組織。そんなところに侵入するのに警戒しないわけがないのだ。
余談だが、今言った授業で最も優れた成績を出したのはイグナーツである。
幼い頃から実家である商家で数多くの美術品と様々な贋作を目にしてきた彼は、物の細部を見極める眼力が鍛えられていた。見たものを記憶したり、違和感を見抜いたり、そういった観察眼が極めて優れていたのだ。
普段は立ち入らない場所についてレポートにまとめたり、逆に普段から利用する施設の変化を調べたり、実際に斥候の仕事を体験する。
時にはベレトが教室内にこっそり仕掛けた罠(細い糸を足元に張るなど)を看破する他、黒板にわざと書いた単語の誤用に気付いてそれを指摘するという、察知できた違和感を報告する、すなわち仲間と情報を共有するための訓練。
とりわけそういう課題にイグナーツは秀でていた。
ちなみに、狩りなどで自然界を身近にして育ったレオニーや、スラム出身で周囲の微細な変化を取りこぼさず生き抜いてきたドロテア。そういった平民が比較的良い成績を出したのもこの授業の特徴だ。
上流階級である貴族の生徒は多くが上手くできず、そんな彼らに容赦なく不合格を伝えてやり直しをさせるのもベレトの授業でよくある光景だった。ディミトリのように狩りの心得を教育係のギルベルトから叩き込まれた者は別として。
閑話休題。
そうして先へ先へと進む一行。
幸運なのか誘い込まれているのか罠らしきものに当たることはなく、洞窟の奥にある広大な空間に行き着いた彼らは目的の場所を発見できた。
明らかにフォドラの気風と異なる建造物は、闇に蠢く者の拠点だと断ずるには充分に異質な雰囲気だった。
「何ここ、不気味すぎ……うちの領地の近くにこんな場所があるなんて……」
ヒルダの呟きは全員の総意である。
ただの火とは違う、煌々とした光が辺りを照らしている。
拠点の城門に当たる巨大な大扉も、城郭のようにそびえ立つ外壁も、洞窟の内部に建てたものとは思えないくらい堅固だと一目で分かるもので、造りから材質に至るまで未知のものである。
「ボクの知る限り、ああいう壁面の装飾が施された建造物は見たことがありません」
「壮観だが美しいとは言い難いな……この環境と悪い意味で噛み合って、一帯の空気までも澱んでいるようだ」
イグナーツの評に続いてローレンツが顔をしかめて言う。
貴族として美術的に華やかなものを好むローレンツには洞窟も建物も受け付けないようで、顔にも声にも不快感が表れている。
偏見があるわけではないイグナーツも良い印象を受けていないことが表情からうかがえた。
「古代の遺跡に見えますが、古めかしいだけじゃありません。今も利用している人がいると分かりますよ。ここからでも魔力の高まりを感じます……!」
誰よりも魔導に精通しているリシテアが所見と警告を発した。
それが意味するのは、すでに向こうも迎撃の準備が整っていること。
敵陣に近づいた緊張も相まって声色は鋭い。受けた一行も気勢を高める。
ひしひしと感じられるのは単純な戦いの予感ではない。
地下深くの洞窟の奥。見たこともない異様な施設。待ち構える闇に蠢く者。
この作戦はもう、ただ仲間を救出するだけでは言い足りない。
例えるなら、五年前に帝国軍がガルグ=マクに侵攻したような。
そういった大規模な要塞攻略とも言える大作戦である。
一行の数はあの時と比べるべくもない少数。
しかし揃ったのは一騎当千の勇士達。
意志を束ね、士気も高く、実力は大陸有数の最精鋭。
臆する理由はなく、戦意は最高潮に高まっていた。
《来たか……獣共よ……》
であれば、敵と相対する他はない。
「うわ、この声どこから?」
「あの壁の向こうから……いや、壁から直接声が出た?」
「やいこら! 姿を現しやがれ!」
突然、広大な空間に響く声に全員が身構えた。リンハルトとクロードが探る目を向けた横から進み出たカスパルが怒鳴る。
武器を構える一同をせせら笑うような調子で声は続く。
《地下に潜み暮らす我らに気付くことなく幾千年……餌に釣られた途端、鼠が群れを成して忍び込むとは、何とも浅ましいものよ……》
どこまでも見下す意思を隠そうともしない口調は覚えがあるものだ。
「
《その瞳、その髪、その耳、その血……我らは全て記憶しておるぞ! 貴様らが如何にして我らを消し潰したか! 光を奪い、恒久の呪いをもたらしたか!》
レアが嘲笑を返すと、途端に反応した声は怨嗟を叩きつけてきた。
神祖とその眷属への憎悪はそれほどに強いのだと示すように、幾千年と言った永い恨みを隠すことなく声に乗せて。
《この地下で我らは復讐の成就のみを念じて生きてきた……獣共を駆逐すべく備えてきたその闇に自ら触れようとは、実に愚かなり……》
「愚かなどと口にする資格は貴様にはない。そちらの所業の方がよほど醜く浅ましいものだ」
《ほう……?》
続いた言葉を切って捨てたのは進み出たディミトリ。かつて見せていた憎しみを乗せた視線を敵拠点に向けて。
以前の憎悪に囚われていた彼を思わせる姿だが、己を取り戻した今はもう心を制御できている。湧き上がる怒りをディミトリ自身の意思で正しい方へ向けられている。
「その声、タレスと言ったか。よくも義伯父上に成り代わり、俺を含む多くの人を欺いてきたな。フォドラを闇で侵してきたその罪は必ず贖わせる。その首を捻り切ってやろう!」
壁から響いてくる声、それはアランデル公のものでありディミトリにもよく覚えがあるものだ。
アランデル公はエーデルガルトの母親の兄で、エーデルガルトと義理の姉弟であるディミトリにとっては義伯父に当たる人物だ。周囲に隠された関係ではあったが当人同士では隠すことなく親交を持てる貴重な間柄でもあった。
そのアランデル公を秘密裏に処理し、彼の姿に化けてすり替わったタレスは何食わぬ顔でディミトリと言葉を交わしてきた。裏でフレスベルグ家を滅ぼすような惨劇を起こしてエーデルガルトの運命を狂わせておきながら、ぬけぬけと義弟に挨拶などしてきたのだ。
悪辣の一言では収まらない外道である。
この真実を知った時、ディミトリの心は激しく猛った。
ずっと抑えてきた激情を、心を病むほど溜め込んだ怒りと憎しみを叩きつけるべき真の敵が見つかったのだから。
《くだらん……獣の遠吠えなぞ、我らの闇に比べればそよ風に等しい些細なもの……その程度の怒りが通じる道理などありはせぬ……!》
しかし、そんなディミトリの怒りすらもタレスは鼻で笑って流してしまう。
道中でレアが語った話の通りなら、この反応は当然のものかもしれない。
闇に蠢く者からすれば、地上に生きているのは人間ではなく憎き神祖の寵愛を受けた獣であり、唾棄すべき存在でしかないのだ。
そのような存在の生き死にも、地上で起こるどんな悲劇も彼らにとって些末なものでしかなく、本心からどうでもいいことなのだろう。
だからこそ数々の暗躍と惨劇を繰り広げられたとも言える。
侮蔑の意思を隠そうともしないタレスの態度に、ディミトリだけでなく一行の怒りは煽られる。あまりにもこちらの感情を軽視した物言いは神経を逆撫でるものだ。
「どうでもいい」
そんな尖った空気を洗い流すように。
色のない声で、進み出たベレトは言う。
「そっちが俺達の事情に興味がないように、こっちだってお前らが背負うものに興味がない」
壁の向こうにいるタレスを幻視しているのか、まっすぐ見据えて言い放つ。
自然体でありながら程よい緊張感。脱力と戦意を無理なく混在させる立ち姿。
無表情がこの場の空気に流されない芯を表しているようで、そこにいるだけで澱んだ気配が祓われる。戦場に立つ存在一つで揺らぐことのない『格』を示す。
それは確かにいつも通りのベレトの姿だった。
だが全員が感じ取った。
見知った頼もしい先生の背中なのに、何かが違う。
静かにも見える姿の内側に先のディミトリにも劣らない何か、今にも爆発しかねない凄まじい圧がある、と。
「俺達がここに来た目的はもう分かってるだろう。あの子を返してもらうぞ」
《ついに現れたな、凶星……いや、ソティスの現身よ……! 貴様こそが全ての災いである……》
神祖を前にしたかのような憎しみを込めた声が響いた。
闇に蠢く者からすれば仇の生まれ変わりとも言える存在がベレトなのだろう。タレスの言葉に乗る怨念は一際強い。
悠久の時を越えて受け継がれてきた怨嗟は骨身にまで染みついているから。
《高慢な女神に連なる者共を葬り去り、地上を取り戻すことこそ我らが使命……その女神の生まれ変わりたる貴様を殺すことを、我らの福音の始まりにしてくれる!》
「滑稽だな。お前達が取り戻すものなんて何もないのに」
《……何だと?》
そんなタレスの声に返したベレトの言葉は、どこか気の抜けた呆れ混じりのもの。
相手の語気の強さをいなすような軽い口調だ。
「結局のところ、お前達は羨ましいだけだろう。地上にあるものが地下にはなくて、地上で生きる人達のように地下で生きる自分達はなれなくて、自分が手に入れられないものを持ってる他人を羨んでるようにしか見えない」
《戯れ言を……! 我らから全てを奪い、蹂躙した女神、その末裔たる獣共が我が物顔で蔓延る地上を取り戻す。その正当な行いを謗るなど誰であろうと許されぬわ! ましてや貴様が……!》
「お前達が地下に潜った原因は俺が口出しすることじゃないからそこはいいけど……その後が理解できない」
憎しみを向けてくる相手に、むしろ困ったと言わんばかりにベレトは首を傾げる。
「どうしてずっと地下に潜ったままなんだ?」
災害から逃れるために避難する。それ自体は納得できる。人間の力では抗えない自然の暴威には立ち向かうより隠れてやり過ごす方が対応としては当たり前だ。
ただ、その災害が通り過ぎたのにいつまでも隠れたままでいるのは絶対おかしい。
先ほどレアから聞いた話によれば、神祖ソティスが起こした大洪水から逃れるために地下に潜ったのが彼らの先祖だ。タレスの発言やレアへの態度を見てもさして齟齬があるわけでもなさそう。
であるなら、大洪水が治まり、そこから新しく生まれた人間が数を増やし、以前とは別の文明が地上で栄えるほどの時間が経って……その間ずっと、地下に潜った彼らは何故地上に出ようとしなかったのか?
その理由はすでに語られている。
憎かったから。許せなかったから。自分達を踏み躙った女神が、眷属が。世界から自分達の生きる居場所を奪った敵への怒りが消えなかったから。
「下らない拘りだよ」
どんなに正当だと主張されても、ベレトには全く分からない妄執だ。
《ふん……笑止千万。我らの怒りを理解できぬ分際で何を言おうと、所詮獣の唸りでしかないわ》
「ああ。当時の人の気持ちを知らない俺が今ここで何を言っても意味はない」
《……?》
「けどそういう感情論を抜いて事実を見れば俺でも分かることがある」
嘲弄に肯定が返ってくるとは思わなかったのか、タレスの声が止まった。そこにすかさずベレトが続けた言葉が気になったようで、向こうの窺う気配が伝わる。
「お前達は自分で選んだんだ。地下で生きることを。地上に出ないことを。憎しみだとか怒りだとか理由は何でもいい、元の形を諦めたのがお前達だ。この状況を自分で選んで決めたんだ」
不可能ではなかったはずだ。
潜んでいた地下から出て、再び地上で生きることは。
更地にされた大地で一からやり直すことは。
少なくとも完全に無から始めるわけではない。知識も力もあったはず。
だが彼らはその道を選ばなかった。
神祖が憎い。眷属が憎い。自分達を滅びに追いやった全てが憎い。
その一念で再起の道を捨てて、今度は彼らを滅ぼす復讐の道を選んだ。
幾千年も心血を注ぐほど強い意志で。
選択の自由は誰にでもある。復讐もまた道の一つだ。否定はすまい。
しかし、選んだのなら責任からも逃れられない。
「新しく生み出すことを諦めて、他人のものを奪ってきたのがお前達だ。そんなの、何も持たない空っぽだと自分自身で証明しているようなものじゃないか」
価値を生むわけでもなく。
信頼を育てるわけでもなく。
未来を紡ぐわけでもなく。
ただ奪うだけ。そのような存在はベレトにとってある意味ありふれた相手。
「お前達はただの盗人だ。闇とか世界とか壮大なことを言う割に、やってることは他人の物を掠め取るだけ。規模は大きいくせに中身は幼稚な盗みばかりの、浅ましいだけのコソ泥」
ベレトは闇に蠢く者に対して怒りはない。生徒を傷つけたことへの憤りはあるが、彼個人として思うところはない。父ジェラルトを殺されたことさえすでに清算は済ませている。
だから淡々と告げるのみ。
「そういうのは
こちらが狩る側であり。
そちらが狩られる側である、と。
事実としてこの現状を率直に表すのだった。
《どこまでも我らを愚弄するか、凶星……!》
「返してもらう。エーデルガルトだけじゃない、お前達が奪ったものを、全て」
《神を気取る獣風情が! その増上慢、冥府にて後悔するがいい!》
紛れもない
いつだって無表情が常で感情が薄く、戦う時でも淡々とした姿勢を崩さないベレトが、これほど相手の神経を逆撫でる言葉を使うのは初めて見たから。
その言葉が効果覿面でタレスの声が怒りで乱れる様は、逆にこちらの士気を高める効果もある。
洞窟に立ち入ってから拠点の施設を前にした時まで感じていた畏怖の念、未知の敵に対して腰が引けていた、言い換えればビビっていた内心が今のベレトの言葉で完全に消えた。
そうだ、恐れることは何もない。いつもと同じように戦うだけ。
先生といっしょに戦い、勝つのだ。
最高潮に戦意が高まる……からこそ、直後のベレトの行動には度肝を抜かれた。
《我らアガルタの呪詛を、その身に受けよ! このシャンバラを貴様らの墓場としてくれる!》
タレスの声を皮切りにして、拠点の前に次々に光点が現れるとその中から敵が飛び出してくる。闇に蠢く者の常套手段。特殊なワープで人員を送り出し、大扉を開くことなく大量の部隊を編成させた。
戦闘の始まりから出現した多数の敵。それに向かって、ベレトは一人駆け出した。
「先生!?」
「おい無茶だ!」
「私達も!」
後に続こうとする仲間も追いつけない速さでベレト走る。
その彼の意識は味方にも、敵にもなく、自分自身に向いていた。
(俺は、ここに戦いに来たんじゃない)
走りながらベレトは思った。
敵の群れを前にしながらその意識の大半は己の都合に向けられるという、戦場に立つ者にあるまじき思考で駆けた。
(エーデルガルトを助けに来ただけじゃない)
目的を正しく見据える。
体の向きと心の向きを揃えることでより大きな力を発揮できるとベレトは学んだ。ならばここでも同じように、本当の望みのために踏み出すべく意識を定めた。
卑怯者──まずはそれを自覚しろ。
俺はエーデルガルトから逃げたんだ。
あの子と生きる未来を諦めて、建て前を言い訳にして、置き去りにした。
それがあの子をどんなに傷つけるかなんて、少し考えれば分かったはずなのに。
笑う声を、張り上げる声を、呼びかける声を覚えている。
それを曇らせたのは誰だ。
抱き締める腕を、顔に当たる雫を、震える頬を覚えている。
そうまでさせたのは誰だ。
俺だ。
俺がエーデルガルトを泣かせたんだ。
俺の身勝手が、思いやりに見せかけた裏切りが、あの子を傷つけたんだ。
何という傲慢。何という浅慮。
守ると言っておきながら、傍にいると決めておきながら、何故逆を行ったのか。
(俺は、エーデルガルトに謝りに行くんだ)
酷いことをしたから、謝らなくちゃいけない。
こちらが出向くのは当然。頭を下げるのも当たり前。
許してもらえないとしても、俺の方からあの子の下へ行かなくちゃいけない。
(だから、お前達は邪魔だ)
アガルタと名乗った、闇に蠢く者。
大層な肩書きも、壮大な目的も、背負う歴史も、どれも関係ない。
俺からすれば、エーデルガルトとの間を遮る邪魔でしかない。
(だから、どけ)
どくん、と心臓が跳ねる。
胸打つ鼓動が背中を押す。
──いけ
──はしれ
──たたかえ
心の声が聞こえる。
必要な行動へ迷いなく体が動く。
そのために用いる技がこの身に備わっている。
エーデルガルトに謝って、エーデルガルトを助ける。
両方だ。どちらもやる。やってみせる。
きっとそれがあの子を守るということだから。
(その邪魔をするなら)
遠慮なくやらせてもらおうか。
エーデルガルトの下へ行く前に、この感情を整理させてもらう。
やり場のない怒りを。
どうしようもない苛立ちを。
身勝手な感情を抱えたまま進むわけにはいかないから。
都合よく立ち塞がってくれた邪魔者へ。
小さな感謝と、大きな不満をぶつけるため。
今から始めるのは戦闘ではなく、ただの八つ当たりだ!
(そこを──)
「──どけぇ!!」
意識も視界も明瞭に、突撃するベレトは咆えた。
それを見たアガルタの戦士達は興奮も露わにして叫ぶ。
「愚かな、たった一人で出てくるか!」
「獣の分際で闇へ楯突くとはな!」
「袋の鼠にしてやれ!」
距離を詰められる前から魔力が練られ、素早く組み上がる魔法が放たれる。
「ライナロック!」
「シェイバー!」
「ダークスパイクΤ!」
「フィンブル!」
「トロン!」
「バンシーΘ!」
「ハデスΩ!」
「ボルガノン!」
「ルナΛ!」
「エクスカリバー!」
雨霰と降り注がれる大量の攻撃魔法は、それ自体が一つの波と思わしき勢力となり襲い掛かる。迫り来るその波濤にベレトは真っ向から踏み込んだ。
手にする剣はもう穴が開いたままの中途半端な英雄の遺産ではない。正しい位置に炎の紋章石を填めた完全な姿が真の力を引き出し、迸るオーラがまるで流星のように地を走る。
後ろ手に構えるは天帝の剣。刀身を伸ばして振るう蛇腹剣。
構えた剣の刀身が伸びて、伸びて、伸びて。
伸ばされた刀身が巻いて、巻いて、巻いて。
伸びて巻いた刀身は円柱から平たく、形作られたのは見上げるほど大きな剣。
中身は空と侮るなかれ。紋章の力に満たされた身は確かな質量を伴って現れる。
何十倍にも大きさを増した巨大剣は、誰が言ったか、山を斬った英雄の剣。
「──
突進の勢いを乗せて、大上段から振り下ろされた即席の超巨大剣は、迫る魔法の波を一刀の下に両断した。
絶大な衝撃に空間が震える。全てを圧する威力は魔法のみならず、群がる敵を余波だけで吹き飛ばしてしまった。
ベレトは止まらない。
戦技の反動で跳ね上がった体を空中で捻ると、今度は剣へ別の意思を伝える。
振り切って刀身がほどけた天帝の剣は、またしても形を変えた。
伸びた刀身がさらに伸びて、伸びて、伸びて。
先端の剣先を中心に絡んで、絡んで、絡んで。
絡み続けるそれはどこまでも体積を増し、形作られたのは見上げるほど大きな球。
柄から伸びる刀身で繋がった先は、まるで新たに生まれた小さな星。
着地からの重心移動を使って両手で振り切る巨大球が堕ちる。
「──
何物にも遮られず隕石の如く墜ちた即席の超巨大球は、物魔双方に備えて設計された耐久性を薄紙のように突き破り、拠点の大扉を一撃で粉砕してしまった。
轟音と共に砕かれた大扉の向こうに拠点の内部が見える。やはり知らない様式の建築物が並んでいるそこは間違いなく敵の懐。
敵拠点侵攻における最初の難関、内部への開通がベレトのたった一度の攻撃で成し遂げられてしまったのである。
戦場にいる者全てを震わせる戦果を初手から叩き出したベレトへ視線が殺到した。
興奮。高揚。畏怖。畏敬。
突き刺さる無数の感情を物ともせず、天帝の剣を元の形に戻した彼は口を開く。
「闇だろうが何だろうが、いくらでもかかってこい……」
心から湧く意志を決意へ換えて。
「俺は絶対エーデルガルトを助けるぞおおおおおぉ!!!!!」
それは産声と呼ぶにはあまりにも強すぎる咆哮。
あるいは彼が真の意味で一人の人間として生まれて初めて発したかもしれない。
ベレトの全霊を込めた、魂の宣誓だった。