ディミトリは意気揚々と
「おはよう、みんな!」
ファーガス王子の到着に、生徒達が次々に挨拶を返す。
従者のドゥドゥーと一緒に教室に入った彼は颯爽と最前列の長机に陣取った。
今日の授業では……否、今後しばらく、この特等席は誰にも譲れない。教壇に最も近い位置で授業を受ける幸運に、紳士的な振る舞いを心掛けるディミトリにしては珍しく拘っていた。
何しろ今から始まる授業は特別なのだから。
「おはようございます、殿下」
「やあイングリット、おはよう」
「ドゥドゥーも……おはようございます」
「ああ……おはよう、イングリット」
同じく最前列の席に着いていたイングリットと挨拶を交わす。普段から溌溂とした口調の彼女も、今日はいつも以上に気合いが感じられた。
彼女の個人的な心情から確執が浮かびがちなドゥドゥーにも自分から声をかけるなど、生真面目な性格らしい気合の入り様である。
「授業の開始が待ち遠しいですね」
「そうだな、今朝起きた時から気が逸って仕方ない。教室の空気もどこか浮ついているような気がするぞ」
「きっとそうですよ。今日はシルヴァンもちゃんと起きてたくらいですから。ね、シルヴァン?」
「何、いたのかシルヴァン?」
自分とは反対側の席にいた生徒に声をかけるイングリットに驚く。よく見れば見覚えのある赤毛の男子が机に突っ伏していた。
「ういーっす、おはようございます殿下」
「おはようシルヴァン。珍しいな、お前が俺より早く教室に来てるなんて」
「イングリットに引っ張られたんですよ……」
「本当に珍しいですよ。私が起こしに行く前から支度できていたんです」
「ほう。流石のお前も今日の授業は気になっていたのか?」
「どうせいつもの面子の誰かが来るだろうと思って、昨夜は早めに寝といたんです。おかげで昨日は女の子と遊べなかったんだよなあ……」
欠伸を噛み殺すシルヴァンを見てディミトリは感心した。
普段から軽薄な態度が目立つ彼でも、やろうと思えばちゃんとやれるではないか。
今日の授業を契機にして、今後の生活を少しでも改めてくれればと思う。
そう嬉しく思うディミトリとは違い、隣の席に着いたドゥドゥーはじろりと鋭い眼付き(に見えるが本当は体調を慮る心配そうな目)でシルヴァンを見やる。
「シルヴァン、前列の席でそうやって眠そうにしていると先生が気にするだろう。まだ少し時間はあるはずだ。一度顔を洗ってきたらどうだ」
「だーいじょうぶだってドゥドゥー。いざ授業が始まれば俺もしゃんとするよ。それに今からいなくなったら、ちゃんと戻ってくるかイングリットが気にしてそわそわしちゃうだろ?」
「何よそれ。言っておくけど、私は先生の話に集中するから、授業が始まったら貴方のことなんて気にしてられないからね」
ドゥドゥーの心配にもイングリットの小言にも飄々とした態度を崩さないが、それでも座る席を変えない辺りシルヴァンとしても今日の授業は楽しみだったのだろう。そう思うと自分と気持ちが通じているようでディミトリは嬉しかった。
それからも朝食を終えた他の生徒が次々に教室にやって来る。
程なくしてアネットとメルセデスも現れた。級友に挨拶しながら二人も教室最前列の席に座る。
「おっはよー!」
「おはようみんな~」
「おはよう、アネット、メルセデス。今日は一段と元気だな」
「そりゃそうですよ殿下、あたしの今日の元気は一味違います! 花壇の水やりもササーって終わらせて、朝ご飯のパンも二個追加しちゃいましたからね。これで今日は万全です!」
「あらあら、アンってば今から張り切って疲れちゃわないようにね。授業は一日続くのよ」
「えー、でもメーチェだってパンのおかわりしたじゃん、張り切ってるのはあたしと一緒だよ」
「二人共、気合いは十分というわけだな。俺も負けてられん」
「うふふ、そうね。私もアンから元気を分けてもらっちゃった。今日が楽しみなのはみんなと同じよ~」
朗らかに挨拶した二人は気力十分な様子で、釣られてディミトリも笑顔が浮かぶ。同じ席のドゥドゥー達とも元気良く言葉を交わす姿を見ていると、この後の授業への期待は高まるばかりだった。
学級の生徒がほぼ揃ってきたところでアッシュとフェリクスが駆け込んできた。間に合った安堵に大きく息を吐くと前列の方にやって来る。
「おはようアッシュ、フェリクス」
「あ、おはようございます殿下」
「……ふん」
「走ってきたようだが、何かあったのか?」
「食堂の片付けを手伝ってたんです。それがちょっと長引いてしまって」
「それで遅刻するようでは本末転倒だろうが」
笑って言うアッシュの後ろから、フェリクスが鋭い口調で詰めてきた。
「あの場での作業はお前の仕事ではない。あれは修道院で働く連中がやるべき仕事だ。お前は親切でやったのかもしれんが、働きを奪われた奴らが快く過ごせると思うか?」
大貴族の生まれである彼の弁は、隣で聞くディミトリにはよく理解できることだ。
糧たる給金を得るために平民が働く場を用意してやることも貴族の器である。民が問題なく生きていけるような国を作るために、相応の仕事を割り振ることも貴族王族の務めだ。
その辺りは平民出身のアッシュにはどうしても分かりにくいのかもしれない。しかし今後を考えればそういう視点は身に付けなければいけないものだ。
「しかもそのせいで授業に遅れることがあってはお前にとってもよくないことだ。過ぎた親切は誰にとってもためにならん」
「そ、そうですね、出過ぎたことをしちゃいました」
「ん? フェリクスは何故アッシュが遅刻しそうだと知ってるんだ? そういえば、お前も一緒に走ってきたよな」
「ああ、それは彼が僕を引っ張ってくれたからです。急がないと遅れるぞって」
「そういうことだったのか。なら礼を言わないとな」
「はい。ありがとうございましたフェリクス」
「…………さっさと席に着け」
一方的に話を切り上げるとフェリクスはそそくさと離れる。ディミトリが陣取った方とは反対側の席に勢いよく腰を下ろす姿に、声には出さず心の中で感謝した。
これで生徒は全員揃った。後は教師が来れば授業が始まる。
そして修道院の鐘の音と同時に彼は姿を現した。
「みんな、おはよう」
「来たか先生!」
教室にやって来たベレトを見て、ディミトリは表情を輝かせる。
今日から青獅子の学級を指導する教師の登場に、自然と教室内の注目は集まった。
「俺が最後なのか」
「随分遅かったな。何か用事でもあったのか?」
「ついさっきまでエーデルガルトと話してた。もう授業が始まるからって
「なるほど、彼女も心配だったんだな」
気が気でない様子のエーデルガルトの姿が目に浮かぶようで、ディミトリは思わず笑いを溢してしまう。会話を聞いていた他の生徒にも同じ想像をした者が何人かいたようで、生徒達の間に小さく笑いが広がった。
しかしベレトには理解できなかったようで、彼は首を傾げるだけ。
「何が心配なんだ?」
「ああ、先生は分からなくても仕方ない。強いて言えば生徒側の心配だ」
「??」
はてな記号を浮かべて尚も首を傾げるベレトを見ていると、無垢にも思える無表情が微笑ましくなる。
幼馴染や学級の仲間達に今さら壁を作るつもりはないのだが、やはり立場や血筋を全く気にせず振舞うことはできない。
故にこうしてベレトと向かい合う時だけは、偏見も先入観も込められていない彼の視線の前では自分が何にも縛られない一人の人間としていられるみたいで、ディミトリはその僅かな時間を嬉しく思うのだ。
「あまり気にしなくていいぞ。それより先生、もう鐘は鳴ってるから」
「……そうだな」
促すディミトリに従ってベレトは教壇に立つ。そこから見渡して青獅子の学級の生徒が全員揃っていることを確認すると、一つ頷いて宣言する。
「それじゃあ授業を始める。今日からよろしく」
ついに始まるベレトの授業に、生徒達は姿勢を正して向かい合った。
話は遡ること数日前。
レアとセテスに学校の教師陣を加えた話し合い、要するに職員会議の場でのこと。
「教える学級を変わりたいと?」
「そうだ。俺に黒鷲の学級以外の生徒を指導させてくれ」
会議用の部屋で唸るセテスを中心にマヌエラもハンネマンも興味深そうに頷いて、意見を出したベレトに注目していた。
グロンダーズ鷲獅子戦を終え、士官学校の年間予定の半分を消化した折り返しとも言うべき今、各学級のこれからの指標を改めて定めようとする会議で出されたベレトの意見は、長年続いてきた学校の伝統を真っ向から打ち破るものだった。
即ち、担任教師の変更。
年度初めに就けば卒業まで続くのが恒例である学級担任を、半年以上が過ぎた今になって変えたいと言うのだ。
「……そう考えるに至った理由を聞かせてくれないか」
「現状、学校内で黒鷲の学級の実力が頭一つ抜けている。これは先の鷲獅子戦の結果を見れば分かってもらえると思う」
難しい顔のセテスが促すと、頷いたベレトは語り始める。その静かな口振りとは裏腹に語る中身が率直に過ぎて、最初の言葉からしてハンネマンもマヌエラも少しだけ表情に苦いものが混ざってしまった。
先日行われた鷲獅子戦。結果は黒鷲の学級の勝利で終わったのだが……多方面から思うところありまくりな内容だったのだ。
一言で言えば、圧勝。
黒鷲の学級は参戦した生徒全員が一人も欠けることなく他の学級を下し、完全勝利を収めたのである。
「……君の言葉は今さら否定せんよ。我輩としても、既に出た結果に文句などありようはずもないのだ」
「そうねえ、こう言っては何だけど、仮にあたくし達が参戦していたとしても結果は変わらなかったでしょうしね」
腕を組んだハンネマンの言葉に、マヌエラもしみじみとした声音で同調する。
前節に負った怪我のこともあって参戦を自粛したマヌエラと、好敵手である彼女に配慮して自身も参戦を控えたハンネマンなのだが、果たしてあの時の判断は正しかったのか間違っていたのか、しばらく悩んだものである。
二人の判断を聞いて、担任教師がどちらも参戦を控えるのだから今回は全面的に生徒に任せて自分も参戦を控えようか、そんな風にベレトは考えた。
しかし、マヌエラからは気を遣わなくていいと諭され、ハンネマンからも生徒はしっかり鍛えたから手を抜かない方がいいぞと忠告を受けて、考えは一転。
──気を遣わなくていいのか。
──手を抜かない方がいいのか。
そう素直に受け取った、もとい、受け取ってしまったベレトは心置きなく参戦。育て上げた黒鷲の学級の生徒達を見事勝利に導いたのである。
順を追って解説しよう。少々長くなるがお付き合いいただきたい。
………………
グロンダーズ平原を一望できる高台で、セテスの指示で掲げられた旗が鷲獅子戦を開始する合図となった。
南西から最も速く戦場に躍り出た
最初の最初だけを見れば穏やかだった。この時はまだ。
遠距離攻撃の手段を確保した青獅子の学級が先手を取るか、そう思われた時、周囲の度肝を抜く行動を取った者がいた。
お察しの通り、黒鷲の学級の生徒である。
突如として戦場に大規模な魔法陣が現れたかと思うと、呼応する魔力によって召喚された隕石が炎を纏って平原中央の丘に墜落したのだ。
先陣を務めたアッシュは押さえた弓砲台を使うどころか、アーチャーとして鍛えてきた技を発揮する機会が一度もないまま、早々に退場することになってしまった。
メティオ。超遠距離攻撃を可能とする、最高位の黒魔法。
それを発動したのが黒鷲の学級に在籍する生徒の中では唯一の平民であるドロテアだと知れ渡るのは戦いが終わってからだった。
中央で弓砲台諸共爆破炎上する丘を前にして、
舞い上がる粉塵の中から飛び出したベレトの動きに即座に対応できる者は一人もいなかった。
いくらベレトの足が速かろうと、自陣から離れた様子もなかったのに爆破された丘から飛び出すなどおかしいと後になって指摘されたのだが、その動きの鍵となったのはリンハルト。
ワープ。指定した人物を魔力に応じて任意の場所へ瞬間移動させる、こちらも最高位の白魔法。
粉塵で何も見えない丘に一瞬で移動させ、強襲の最初の一手を成功させたのだ。
南へ飛び出したベレトはまず近場のアネットを撃破。彼女に続き、金鹿の学級の陣営があった南東から慌てて前進したラファエルとリシテアを討つなど大暴れ。
鷲獅子戦のために同盟から派遣された騎士団をけしかけるヒルダには、率いたジェラルト傭兵団を一斉突撃させてこれを撃滅。ベレトと同じくジェラルトによって鍛えられた傭兵団は、国に属する公的な騎士団さえ苦も無く蹂躙してみせた。
この一連の流れにより、戦場の主導権は完全に黒鷲の学級のものとなった。
開幕からド派手な大魔法が使われたことで鷲獅子戦は最初から最高潮。
担任に続いて生徒達も次々に戦いを仕掛けていった。
狙っていた丘が爆破されて立ち往生していたローレンツを、治まらない粉塵から猛烈な勢いで飛び出した騎馬部隊を率いるフェルディナントが襲う。
騎馬の突進力を存分に発揮した攻めで、初動の有利を活かして勝利。
東側の橋から進んで林の中を快速で走るペトラとカスパルは、北へ進むイグナーツを蹴散らした勢いを緩めずレオニーへと突撃。
悪路を物ともしない俊敏さで翻弄してこれを撃破。
黒鷲の学級を西から攻めようとしたイングリットの天馬部隊にはヒューベルトとベルナデッタが仕掛ける。
まるで盾にされるように前に押し出されて泣き叫びながら矢を連射するベルナデッタに動きを制限されたところを、ヒューベルトの闇魔法スライムによって地面に叩き落され、部隊ごと敗北。
そのイングリットを援護するため前に出ようとしたシルヴァンの騎馬部隊は、天馬達の真下を潜り抜けたエーデルガルトによって討たれる。
降り注ぐ矢を恐れず一直線に向かってきた彼女との激突は唯一度で終わり、馬ごと薙ぎ倒す彼女の無双ぶりは伊達男をして「ありゃあ手ぇ出せねえわ」と慄かせるものだった。
生徒に任せるばかりでなく、ベレトも次の戦いに向けて動く。青獅子の学級の陣営がある西に向かう彼は、学年随一の剣士であるフェリクスと当たった。
その鋭い剣筋との戦いは教師と生徒という関係からは信じ難いほど格の高い剣舞となり、混戦にあって一時耳目を集める名勝負を繰り広げる。高速戦闘の最中、さらに一段階上の速さを見せたベレトの戦技、風薙ぎが決まり勝負を制した。
そこからベレトは王国から派遣された騎士団を打ち破りつつ西へと進み、南下してきたエーデルガルトと合流。主を守らんと立ちはだかったドゥドゥーと衝突する。
重装歩兵としての硬い守備を見せる彼も、息を合わせた担任と級長の連携は防ぎ切れず、あえなく敗退。最後の防衛線を抜けた二人は青獅子の学級の本陣へと進む。
追いついたヒューベルトの魔法とベルナデッタの弓矢が敵本陣の守りを切り開くと、飛び込んだベレトは回復役として本陣を支えるメルセデスに迫り、エーデルガルトはディミトリと対峙。
感慨深そうな言葉を交わすや否や、槍と斧を交えた級長同士の対決は、その苛烈に攻める姿勢とは裏腹に繊細な技も身に付けたエーデルガルトに軍配が上がった。
もう一方の戦いも並行して進む。金鹿の学級の本陣へと切り込むフェルディナントは、途中からカスパルと合流。木々の間も奔放に走るペトラに回復役のマリアンヌを追い詰めさせて、自分達は本陣にいるクロードの下へ突撃。
指示を飛ばして林の中で巧みに部隊を動かすクロードも、小細工奇策何するものぞと豪拳唸らすカスパルの攻勢に耐えるところを側面からフェルディナントに狙われ、対応が遅れて押し切られてしまい、そこで決着。
怒涛の展開に困惑を隠せない教団関係者が見つめる中、その戸惑いを消し去るように、未だ治まらぬ丘の粉塵の大半を風魔法シェイバーが吹き散らす。
そこで丘に姿を現したのはフレン。残る少量の粉塵と戦場の張り詰めた空気を鎮めるかの如く、次いで白魔法レストを発動。浄化と鎮静の波動を広げる彼女は高らかに鷲獅子戦の終了を宣言したのである。
………………
こうして、三つ巴の戦場は獅子と鹿を下した
戦場にいる人数が一気に増えたというのに、対抗戦でやった超速攻を再現するかのような早期決着は、紛れもない実力差の表れであった。
特筆すべきは走り始めてから戦いの終わりまで、黒鷲の学級の生徒が一度も立ち止まることなく平原を駆け回ったことか。然したる人数差のない戦いを一方的に終わらせた原因の一つが、担任のベレトを思わせる驚異の体力であることは間違いない。
これほど圧倒的な結果を見せられては反論する余地などあるはずもなく。
ハンネマンもマヌエラも、引き攣った笑顔で称賛するしかなかった。
しかし、ベレトにとっては明確な問題が浮き出た勝利でもあったのだ。
「黒鷲の学級は今とても歪な成長をしている」
「と言うと?」
「セテスは感じてるんじゃないか。あの子達の成長が戦闘力に偏り過ぎていると」
ベレトの言葉にセテスは考える。それは傭兵という戦闘の専門家を教師へ迎えるにあたって、セテス自身も懸念していたことだ。
「俺が生徒を上手く指導できるのは戦いに関することだけだ。それ以外は知っているものをただ教えるだけで大した授業はできない。そのせいでみんな戦うための力だけが伸びている」
鷲獅子戦での勝利はその力が偶々適していただけであり、ベレトの指導方針と一致していたからに過ぎない。
青獅子の学級と金鹿の学級に比べて、今の黒鷲の学級はとても偏った成長をしていることが明らかになったのだ。
「この学校で学ぶ生徒は貴族が多い。いずれは平民の上に立って領地を守る。他にも組織の幹部になったり、平民の生徒なら貴族に仕える者も多いだろう。そのための能力を伸ばすなら、貴族の心得があるハンネマン先生や、平民の世界で人心を掴んできた実績があるマヌエラ先生がそういう方面の指導をするべきだ。俺にはできない」
士官学校で育てている生徒は、卒業すればその多くがフォドラを支配する立場になる。ゆくゆくは各国の武官や政官、それを支える幹部や騎士になるだろう。そんな彼らがこのままではただの腕自慢になりかねない。今の生徒を見ていてベレトはそう危ぶんだ。
無論強くなるに越したことはない。生きるために戦う力をつけるのは大事だし、指導する生徒達がめきめきと成長する姿は嬉しいものだが、ここで学び、身に付けるべきなのは単純に戦いに勝つためのものではないのだ。
語学や算術を始め、様々な業務と生き方を支える基礎的な知恵と思考。修道院が抱える豊富な知識から為る技。三国通じて民を導く責任を果たす心得。
それらはただ戦に勝つためだけではない、世を治めるための力である。
特に気にかかったのがドロテアとリンハルト。
戦いの主導権を握った功労者である二人が最初の大魔法を使った後、北の陣営から動かなかったのは、たった一度の魔法行使で力を使い果たし動けなくなってしまったからだ。
それは他ならぬベレトの中にある「とりあえず目の前の戦いに勝つことが優先」という傭兵としての姿勢が生徒の育成方針に及んでしまったからに違いない。
これがハンネマンなら、もっと魔力の運用効率を突き詰めたり、術式を本人に合わせて調整できていたかもしれない。
マヌエラが見ていれば、生徒の未熟な体で大魔法を使わせたりせず、強引に攻めるような作戦を取らなかったかもしれない。
今回の鷲獅子戦にはベレトのこれまでの極端な、悪い言い方をすれば歪んだ指導の結果が如実に表れてしまっていたのだ。
「ふむ、そうか……」
「確かにあの二人の魔法には我輩も思うところはあったが……」
「あの後二人が動かなかったのはそういうことだったのね。鷲獅子戦の後にあたくしがドロテアと会った時は、あの子は平然としていたけど……」
頷くセテスの横で、ハンネマンもマヌエラも考える。生徒の将来を案じるベレトの意見は耳を傾けるに値する話だった。
自分にはできないという懸念から即断即決する姿勢は、彼の若さにしては少々割り切りが早過ぎるのではと思えるが、自身の能力を過信して生徒の未来を歪ませるよりは余程思いやりがある判断だろう。
「大司教、彼の意見に対してどう思われますか?」
「…………」
「……大司教?」
話を振ったのに反応がないレアの方を向くと、思わぬものを見せられた。
むっす~。擬音にするならそんな感じで、分かりやすく不貞腐れたレアがいた。
物理的な圧力まで感じられそうな眼光で睨んでくる彼女にセテスはたじろぐ。
というか頬を膨らませるんじゃない、子供かあんた。
「だ、大司教?」
「…………」(むす~)
「大司教、話を聞いて」
「…………」(ぷいっ)
重ねて尋ねるも返事はなし。しまいには拗ねたように顔を背ける始末。
童女のような振る舞いは、幸か不幸か、しばらく前から見慣れてしまった態度だった。
「……レア、今は会議の最中だ。真面目にやってくれ」
仕方なく身を寄せて小声で話しかける。他の三人の視線が突き刺さる中、彼女の態度はセテスが予想した通りのもの。
「……セテスはいいですね。ベレトに呼び捨てで呼んでもらえて」
またそれか──小声で反論するレアの言葉に脱力したくなった。
大事なフレンのことをベレトに頼んだ際、彼をもっと信じてみようと思ったセテスは自分の呼び方から敬称を外してよいと伝えた。それ以降ベレトとの会話は少しずつ砕けた言葉遣いが増え、以前より随分親しい関係を築けている。
それ自体はいいのだが、そのことを知ったレアは未だに眷属の中でさん付けで呼ばれているのが自分だけである現実に酷く衝撃を受けたらしい。
以来、こうしてベレトがセテスを呼び捨てにしている場面に出くわすと、レアは露骨に機嫌を損ねる。隠そうともしない嫉妬の念は可愛らしいものかもしれないが、当のセテスにとっては面倒なことこの上ない。
「……いいかげん本人に頼んでみたらどうだ。自室に招いて軽く雑談する程度には彼とも打ち解けてきたのだろう?」
「……ですが、女の方からそんなお願いをするなんて、は、はしたないでしょう? ベレトにとって私は教団の契約相手でしかないのでは……」
──こいつめんどくせえ。
果たしてセテスがそんなことを考えたかは、彼のみぞ知るところである。
レアがベレトを特別視しているのは分かってはいたことだが、まさかここまで子供染みた感情を見せるほどとは驚かされる。
付き合いの長いセテスもここまで子供らしいレアは見たことがない。大司教としての冷厳な彼女とは別人のようで、眷属同士の場ならともかく、他人の前でこうも幼気な態度を取られると混乱を招きかねないのでやめてほしいのだが。
日頃の彼女らしからぬ弱気な態度に物申したいセテスだったが、レアを支援する言い訳としてベレトの姿勢が理由なのもある。と言うのも、彼はこのフォドラでは非常に珍しく、レアに対してはっきり否と言える人間だからだ。
あれは去る翠雨の節の終わり頃。ゴーティエ家から廃嫡されたマイクランによって盗まれた英雄の遺産、破裂の槍を奪還したベレトは修道院に持ち帰りレアに報告した際、槍を渡すようにと伸ばした彼女の手をきっぱりと拒否。
学級課題で受けた内容が『盗まれたゴーティエ家の英雄の遺産を取り戻すこと』であるならば、これはゴーティエ家に返還するのが筋であるとして、課題協力のために同行させたシルヴァンに槍を渡したのである。
ベレトを見守り、その行動を全肯定する代わりに当然のように自分も肯定されるだろうと考えていたレアは、彼に拒まれたことで激しく動揺。
それを契機にレアの中で「ひょっとして自分は
この時レアが抱いた人間として当たり前の感情は、後の彼女の行動に大きな影響を及ぼすことになるのだが……まあそれはずっと先の話。
閑話休題。
思うところはあるが、セテスとしても大きなことは言えない。妹のことで、レアにもベレトにもさんざっぱら迷惑をかけてきた身。大司教補佐の彼はこういう時でも補佐に回るのが役目なのだ。
「……今度彼と茶会する時にでもそれとなく話を振ってやる。だから今は会議に戻ってくれ」
「……あら、彼とは茶会もする仲なのですか。先日フレンから三人で食事の相席もしたと聞きましたけど、そうですか、そうなのですか……」
「……レア、頼むから……!」
いよいよ突き刺さる視線に居た堪れなくなってきたセテスは焦りに声を絞り出す。初めて見るレアの態度に、マヌエラなどは凝視と言っても過言ではない目を向けているくらいだ。
ちなみに、この二人の様子を見てもベレトはいつもの無表情を変えていない。無視している? 困惑が顔に出ていない? いいえ、平常運転なだけです。
一際強い咳払いで場の空気を正すセテス。渋々といった風に向き直るレア。
それでも会議に臨むと決めたなら、二人はきちんと真面目な顔になれるのだ。
「ベレトの意見は分かりました。ですが担任の務めはどうするのです?」
「学級課題もあるし、俺としても黒鷲の学級を放り出すつもりはない。レアさん達にも負担をかけたくないし、人員を増やすのではなく今いる面子で回せればと思う」
不意に出るさん付けの呼び方で「はぅっ!?」とダメージを受けるレア。思わず、お前マジか、と驚愕の視線を向けるセテス。戻りかけた真面目な空気を一瞬で砕く流れでどうにも緊張感が保てない。
返事ができなくなったレアに代わってハンネマンが応じた。
「つまり、君は教師の交換ではなく、交替制を考えたのだな?」
「そうだ。俺が青獅子の学級と金鹿の学級の戦闘面の指導を受け持つ。ハンネマン先生とマヌエラ先生には替わった時の黒鷲の学級の授業を頼みたい。俺にはできない指導をあの子達にしてあげてくれ」
「先生はあたくし達の学級の戦闘面を伸ばす。代わりにあたくしとハンネマンは黒鷲の学級の足りない部分を指導する。いいじゃない、今までにない試みで面白そうよ」
「いっその事、三つの学級を三人で回して受け持つのもありかもしれんぞ。我輩も君達の学級のことを考えたら少し気になってきた」
「そうなると、平日の授業の割り振りをどうするか……例えば、俺がどこかの学級の午前を訓練して、誰が午後を担当するか、きちんと考えないと」
「待って、午前午後で分けなくてもその日一日は一人で担当すればどう? いきなり細かく分けても忙しいでしょう」
「生徒側にも把握させなければならんしな。それに修道院の施設を利用する時など、騎士団とも予定を合わせねばなるまい」
「平日六日を分けるなら三人が二日ずつ担当するか──」
「魔法の中でも理学と信仰は完全に分けて──」
「教師の休み時間も考えると──」
固まる二人を差し置いて、教師の三人で相談を始める。あれこれ意見を交わす横で沈んだまま動かないレアを見て、額を押さえたセテスは溜息を吐くしかなかった。
クロードはいつも考えている。
それは今日の食事の献立は何かというありふれたことだったり、パルミラとフォドラの戦端が開くのはどれくらい先かという物騒なことだったり、先日手に入れた薬の効き目をどうやって試そうかという……おっと、これは内緒の話。
とにかく、彼は常に頭を巡らせている。その賢しい頭脳を生かし、いつだって世の中で上手く立ち回れるようにするために。
しかし、彼とて人間である。時には何も考えず、頭も体も休めてジッとしたくなる時くらいあるのだ。
例えば今みたいに。
(………………動かなくなった人間が土に還るのって自然なことなんだろうな)
──こらこら、休んでる時におかしなことを考えるんじゃない。
自分の思考に自分でツッコミを入れるくらい、今の彼は調子がおかしかった。
それもそのはず。ここ三日間立て続けに襲い掛かってきた疲労の波がクロードの中にうず高く積み上がっているのだ。平時の自分とは程遠い状態では思考の一つや二つはおかしくなろうというもの。
体も頭もひたすら重い。何もしていなくてもベンチに腰掛けた体がずるずると崩れていって地面に沈んでしまいそうだ。
これはクロードに限った話ではない。金鹿の学級の生徒の大半は同じような状態なのだ。放課後の今になっても教室で潰れたまま動けない生徒が何人かいたくらいだ。
変わりないのはラファエルと、辛うじてレオニーが踏ん張っているくらいか。イグナーツとマリアンヌは早々に潰れたし、根性で食らいついていたリシテアも二日目で撃沈。意地を通して背筋を伸ばしていたローレンツは今日の授業が終わった途端に崩れ落ちた。
ちなみにクロードはと言うと、ヒルダと一緒になって程よく手を抜こうとしていたところを見破られてしまい、集中して扱かれた。
全ては一昨日から始まったベレトの授業のせいである。
赤狼の節になり、学校生活折り返しといったところで発表された教師の交替制。先日の職員会議でとんとん拍子で進んだ話し合いで決定したそれは文字通り、三人の教師が各学級を代わる代わる教えるというもの。
鷲獅子戦を終えてから約一週間を空けて授業再開となる第一週は担任のマヌエラに代わり、前半の三日をハンネマンが、後半をベレトが受け持つことになった。来週からは各教師が二日ずつ担当するとのこと。
生徒達にとっては寝耳に水であったこの話、盛り上がらないはずもなく。告げられて騒がしく沸く教室の中で、クロードは一人思考を深めていた。
鷲獅子戦の結果を思うに、このまま黒鷲の学級一強の状態だと三国が均衡を保てなくなると危ぶんだ教団が、未来の戦力差を補正するためにこの案を通したのだろう。
フォドラの縮図とも言うべき士官学校内の戦力差が、生徒が卒業すればそのまま三国の勢力差に拡大されかねない……教団の中でもそうやって怖れた人がいたのかもしれない。実際には国力と戦力が同列に語られるわけでもないのだが、心配になる気持ちも分かる。
思惑がどうであれ、クロードとしては喜ばしいことだ。黒鷲の学級しか受けられないと思っていたベレトの授業を自分も受けられるのなら、この交替制は大歓迎。強く鍛えてくれるだけでなく、彼との仲をもっと深める良い機会にもなる。二重の意味でエーデルガルトに空けられた後れを取り戻したいところだ。
……そんな暢気なことを考えていた自分を殴りつけてやりたい。
全身運動訓練(話だけは聞いていたガルグ=マク外周を走る超長距離走)から始まり、訓練所での武器術修練(得意不得意関係なし)、魔法も含めたあらゆる兵法を前提とした実地演習(実際に外の平地に出て走らされた)。
座学の戦術講義では教本の内容を切り捨てたかと思えば、屋内における家具を利用した立ち回り、他人の狙いを読む思考と狙わせない思考、布一枚で止血から壁登りまで幅広く対応する傭兵式何でもあり手法の教授と実践。
基礎と言いつつ盛り沢山な授業内容は、これこそが黒鷲の学級の強さの秘訣だったのかと十分納得させられるものであり、余計なことを考えさせない勢いで押し流すように三日間を過ごさせた。
結果、死屍累々たる金鹿の学級の出来上がり。いやー、あのマッサージは地獄でしたねー。
週の前半にベレトが青獅子の学級を教えた時も似たようなものだったらしい。騎士の国と称されたファーガス出身の彼らは体力的な意味でまだマシだと聞いたが。
ベレトが担当する三日を乗り切れて、授業を終えてから情けなく震える足で教室から出るも中庭のベンチに体を預けるくらいしか動けず、今に至る。
今だけは級長や次期盟主という立場などに関係なくだらしない態度でいさせてほしかった。
なので、かけられた声に反応するのが一瞬遅れてしまったのも仕方ない。
「やっほークロード君、お疲れだね」
「……ようヒルダ。お前は平気か?」
「なわけないじゃん。ヒルダちゃんもお疲れなのです」
「ははっ、流石のお前もいつも通りってわけにはいかないか」
隣に腰掛けてきたきたヒルダも、口調や笑い方が普段より力がなかった。
「すんごい三日間だったね」
「そうだな。あれが基準になってるのなら【壊刃】や【灰色の悪魔】が戦場で名を馳せるのも納得だぜ。俺もまだまだ甘いな」
「先生にとっては本当にあれが当たり前なんだね。訓練ではひょっとしたら私達以上に動いてたかもしれないのに、平然とした顔なんだもん」
「そこな。どんだけ鍛えても真似できる気しねえよ」
小さく笑いながら溢したのは泣き言に近いものだが、彼と同じ領域で物事を語るなら、最低でもあの授業くらい軽くこなせるようでなければ話にならないだろう。
クロードの頭の中にある野望を思えば、力はどれほどあっても困らないのだから。
自分は頭脳労働が専門なのだから、体力的な力は最低限あれば十分……そんな風に考えてはいられない。ベレトからすれば、こうして生徒にやらせている訓練内容なんて基礎中の基礎なのだろう。
今も止まらず成長している彼に負けないためにも、その指導を余さず吸収しなくては。
そう、この士官学校で過ごす中で成長したのは生徒だけではない。ベレトの方も目覚ましく腕を上げているのだ。それはジェラルトの薫陶の中にはなかった分野に手を付けたからというのもあるが……一番伸びたのがよりにもよって『自分より弱い人間への手加減の度合い』という、生徒からすれば自信をへし折られかねない成長の仕方なのである。
それを思うと、半年間ベレトの成長の糧にされた黒鷲の学級に少しばかりの同情が沸きそうになる。エーデルガルトを筆頭に授業に臨む士気は高いと聞くので口出しする気はないが。
無表情ながらも張り切っていると感じられるベレトの授業を受けて、クロードはどこか置いていかれるような気分を味わっていた。
(それでも、やるしかねえんだよな)
自然と授業の最中にあったことを思い出す。隣でのほほんとしているヒルダと共通できる話題が二つあった。
「まさかバル兄と会うとは思わなかったなー」
「あの人なあ……修道院で何をしてるのかと思えば」
ヒルダが言うバル兄なる人物、バルタザールの顔を思い浮かべてクロードは乾いた笑いを漏らした。
学校の外に出てあちこちを走らされている時である。
生徒と一緒に外周を走ったり、各生徒に対してあれこれ指導していると、流石のベレトも常に全員に目端を利かせていられない。そんな時には教師の目を盗んで手を抜いてしまおうとする生徒もいる。ヒルダやクロードが良い例だ。
そこへまるで見張っていたかのように現れて忠告する者がいた。
『ようお二人さん、あいつの授業だってのに余裕そうじゃねえか』
『どぅえ!? だ、誰?』
『なんだなんだ? 誰だあんた?』
『俺はベレトに個人的に雇われてる者さ。授業中に自分の目の届かない部分を補助してくれって頼まれてよ。お前らみたいな手を抜く生徒に忠告してやるのさ』
『……あれ、貴方ひょっとして』
『あん? 嬢ちゃん、俺を知ってるのか』
『いや、俺も覚えがあるぞ。同盟で懸けられてる賞金首の肖像画にあんたの顔があったはずだ』
『ほう、このレスターの格闘王バルタザールをご存知とは、貴族のガキにも名が通るようになったな』
『バルタザール……やっぱりバル兄だ! 兄さんと一緒に遊んだもん、覚えてる!』
『兄さんってーと……ホルストのことか? じゃあお前、ヒルダか』
『そうだよ、うわー久しぶりー!』
『だっはっは、懐かしいなおい!』
『まさかの知り合いかよ……』
『ていうか何やってんの? 先生に雇われてるって?』
『言ったろ、ベレトの授業の手伝いさ。教師ってのは羽振りがいいんだな。ちょいと外で手伝いするだけで結構くれるんだぜ。おまけに俺の仲間も指導してくれるしよ』
『あのバルタザールを雇うとか……本当に何やってんだよ先生』
『ガルグ=マクにいたの? 今まで全然見なかったよ』
『気になるなら今度アビスに来てみな。なかなか愉快なところでよ、歓迎するぜ』
『地下ねえ……教団の目が届かないという意味じゃ選択肢としては悪くないんだろうが、よりにもよってガルグ=マクの真下じゃないか。俺も気になってはいたけど』
『まあそれはそれとして、仕事はきちんとやらないとなあ』
『あ……やっぱり?』
『おら、走れ生徒共! サボってたことはちゃんと俺から上司殿に報告しといてやるからな!』
『ひーん、バル兄きついよー!』
『くっそ、息吐く暇もありゃしねえ!』
からから笑うバルタザールに追われて、クロードもヒルダも必死になって足を動かしたものである。
その後もベレトの授業で修道院の外に出る時はどこからともなく現れて、生徒をせっつくだけの楽な仕事だと豪快に笑いながらこちらを追い立ててくるのだ。
バルタザール=フォン=アダルブレヒト。その名が示す通り貴族の血を引く男で、レスター諸侯同盟の小貴族アダルブレヒト家の元当主である。
当主の座を弟に押し付けるように出奔した彼は、同盟のあちこちでその蛮勇を振るい……方々に借金を作ったせいで追われる身となったらしい。詳しい経緯は不明だが、巡り巡ってアビスに居着いたというところか。格闘王を自称するように腕は立ち、懸けられた賞金はかなりのものだったと記憶している。
その彼を雇用し、部下として扱うベレトに呆れる。生徒の指導の手伝いをあの無頼漢に頼むとは、大胆と言うか何と言うか。
同年代の生徒とは違い、彼のように純粋な強さによって自立した人間はクロードにとって苦手な部類に当たる。あれはどんなに策を講じても力任せにひっくり返してしまう類だ。こちらの策を上回る策で支配してくるベレトとは別の意味で敵わない。
そんな二人に組まれてしまっては、さしものクロードと言えど大人しく従うしかなかった。
「話してみると昔と随分印象変わっちゃってたから変な気分だったよ」
「あの後も奴に会ったのか?」
「うん、金貸してくんねえかーってさ。幻滅しちゃうよね」
「面の皮厚いってもんじゃないな、それでも賞金首かよ……」
ヒルダにとってもやりにくい相手のようで、溜息を吐いて呆れを隠さない。
クロードと揃って愚痴を言い合えることだけは幸いだった。
これが話題の一つ目。もう一つは、
「あ、いた」
こちらに走り寄ってくる少年である。
「ずっとここにいたんだね」
「よう、ツィリルじゃないか。どうした?」
近付いてきたのは褐色肌の少年、ツィリルだった。
「先生がクロードを呼んでたよ。個別指導する予定だったのに来ないのかって」
「ああ、頼んではいたけど……ちょっとだけ休憩させてくれ」
「え、何々、クロード君ってばそんなに真面目に勉強する人だっけ?」
「いやあ、こんな機会は生かさないと勿体ないだろ」
小走りでやって来たツィリルの言葉に、クロードは力なく返事をする。
以前からベレト直々の指導に興味を持っていたクロードは、是非とも彼から直接指導を受けたいと思ってこの日の放課後を予定していたのだが……想像を遥かに超える消耗のせいですぐには動けなかった。
お願いした手前、なかったことにするつもりはない。ただ少しだけ休ませてほしいのだ。
「悪かったな、わざわざ呼びに来てくれて」
「別に。掃除に行く途中で見かけたら声をかけようって考えてただけだから」
「これからお仕事もやるの? ツィリル君すごいねー」
「大したことないよ。仕事はいつもやってることだし、レア様の従者として恥ずかしくない人間でいたいから」
じゃあね、と言って同じように小走りで去っていくツィリルの背中を見送り、ヒルダはまたもしみじみとした口調で呟く。
「あれであたし達と同じ授業を受けてたんだから、ツィリル君ってすごいね」
「まだ子供なのに体力あるよな。いや、子供だからこそか。若いっていいねえ」
「ちょっとー、クロード君おじさん臭いぞー」
新しい級友の意外な一面を知り、二人して感心の溜息を漏らすのだった。
実は金鹿の学級と共にツィリルもベレトの授業に参加していたのである。
今節から加わった新たな仲間を、生徒達は驚きながらも歓迎した。
発端はセテスの懸念だった。
ツィリルはレアの従者という特異な立場の少年で、レアの身の回りの世話に留まらず、幼くして大人に混じって修道院で働く身である。
異国の血筋だと示す褐色肌と、容易に他者に心の開こうとしない態度も相まって、開放的な気風の修道院にいながらどこか孤立していた彼がこのまま生き方を変えることなく潰えてしまいそうに思えた。
本人は自分を拾ってくれたレアへの恩返しと思って粛々と働いているのだが、唯一つの念に囚われて変化もなく生きる姿は、まるで咎に染まる罪人のようで。
未来ある若者がこのままではいかんと考えたセテスは、よりレアを支えられるようにという口実でツィリルに提案し、シャミアへの弟子入りを勧めた。
シャミアは騎士団随一の弓の達人であり、仕事の合間を縫って彼女に師事することでツィリルの人生に大きな変化が生まれた。子供ながらに弓の腕前が見る見る上達することで、戦う力のみならず自信が身に付いたのだ。
それは、フォドラで生きることになったパルミラ人という周囲から否応なしに浮いた存在であるツィリルにとって、今後の人生の骨子にもなる自尊心の芽生えだった。
レアのために生きると言えば聞こえはいいかもしれないが、一歩間違えばレアへの依存になりかねない。若い内から彼の将来を狭める状態をセテスは良しとしなかったのだ。
そんなツィリルであったが、ここ最近はシャミアの指導を受ける機会が減っていた。それもそのはず。シャミアが所属しているセイロス騎士団が、この数節は仕事が増える一方だからだ。
西方教会の粛清を始めとして、現在のフォドラ各地で俄かに暴動や反乱が増えており、大陸の安寧を守ることが使命の騎士団はあちこちでひっぱりだこ状態。
当然シャミアも出ずっぱりであり、アロイスと組んで同盟への遠征を繰り返している。デアドラにはパルミラ人を騙る盗賊が出没したとの話も出ており、騎士団は忙殺されているところだ。
幸いにも本物のパルミラによる侵攻は現在は起こっておらず、フォドラの喉元の向こうで大人しくしている。あちらは有事の際でもフォドラの首飾りで睨みを利かせている勇将ホルストに任せればいいだろうが。
話を戻して。
シャミアの指導を受ける機会が減り、ツィリルは暇を持て余すようになった……などということはなく、空いた時間があるならこれ幸いとますます仕事にのめり込み、恩人への奉仕に傾注するようになったのだ。
これでは元に戻ってしまうと案じたセテスがレアと相談した末に、彼を士官学校の授業に参加させられないかと考えた。折角の育ち盛りの時期なのだから学びの機会が増えれば必ず将来のためになる。レアの言葉には全面的に従うツィリルは不思議に思いながらも特に反対することなく聞き入れた。
さて、学校に通うことになったツィリルだが、口頭の会話はできてもフォドラの文字が分からない彼に高度な授業を受けさせるのは不安がある。他の生徒との格差を意識させては誰のためにもならない。
そこで白羽の矢が立ったのがベレトの授業だ。訓練は教室の外で体を動かし、座学でも戦術や技術を教えるので、言語の差に左右されることは少ないだろう。ツィリル本人も自分が字を読めないことをあまり知られたくないと考えているようで、ベレトの授業なら他の生徒と同じように学べるはず。
『ベレト、一つ頼みを聞いてもらえますか』
『何だろうか』
『今後の貴方の授業にツィリルを加えてほしいのです』
『レアさんの従者のあの子を?』
『はうっ……そ、そうです。まだ幼いにも関わらずあの子は修道院で働くばかりで、今後のあの子のためにも学びの機会を与えてあげたいのです』
『本人の意向もあって他の生徒と同じように毎日というわけにはいかないが、君の指導内容を説明してみたらツィリルも興味を持ったようでな』
『セテスとレアさんが認めてるなら俺は反対しないが、ツィリルには修道院での仕事があるんじゃないか?』
『うむ。毎日というわけにはいかない、と言ったのはその点だ。ある事情があって、ツィリルには君の授業にのみ参加させてもらいたいのだ。彼も今の仕事から全面的に離れるとまでは考えていないのでね』
『そうか。そこまで決まってるなら俺は構わない。他の生徒と同じように指導していく』
『ありがとうベレト。フレンのことと言い、君には苦労を掛けるな』
『セテスも色々調整してくれてるだろう。騎士団との演習もさせてくれてこっちも助かってるよ』
『……セテス』(むす~)
『……』
礼拝堂に呼び出したベレトにそのことを告げると、彼も反対することなく受け入れてくれた。
案の定と言うべきか、ベレトとセテスが親し気に話すところを見たレアがまたしても膨れっ面で拗ねてみせるという経緯こそあったが、誰も見ていなかったので追求しないでおこう。
こうしてツィリルは『授業参加という名目の休日』を手に入れたのである。
……生真面目な性格のツィリルはレアへの恩返しに拘るあまり、ろくに休みを取ろうとしない。子供らしく体力はあるようだが、子供らしからぬ姿は心配が募るもの。名目上は学びの時間として仕事から遠ざけることも狙いの一つでもあった。
そんなこんなで授業に参加することになったツィリルを、金鹿の学級は大いに歓迎した。士官学校の課程に途中から誰かが編入することは普通ではないことで、決まった時は軽いお祝い事のようにはしゃいだものである。事情によりベレトの授業限定とは言え、仲間が増えるのは喜ばしい。
特にリシテアは自分が最年少ではなくなることが殊の外嬉しかったようで、「これからは私がお姉さんとして教えてあげましょう、お姉さんとして!」と大いに張り切り、教室で授業する時は自分の隣に座るようツィリルに言い渡す場面があった。
で、授業が始まったのだが……予想だにしない展開が待っていた。
御存じの通りベレトの指導はとても厳しい。最後まで一度も倒れずについていけたのはラファエルやレオニーなど体力に自信のある生徒だけだったのだが、なんとその中にツィリルもいたのだ。
仕事をしていく中で普通の子供より体力がついたのか。はたまた彼の身に秘められた才覚が花開いたのか。真相は定かではないが、本人も今までにない環境で学ぶ生活が気に入ったようで、ベレトの指導を受けるツィリルは充実した姿を見せている。
レアに気に入られているベレトに嫉妬していた節もあったようだが、この数日で随分と彼に心を許した様子だ。
前述した壁登りの技を学んだ日などは、これで高い場所も掃除しやすくなると喜んで、放課後にベレトと一緒になって高所の窓拭きをしたりと
ベレトだけでなく金鹿の学級とも仲良くなれた。積極的に絡みに行く生徒にツィリルも最初こそ戸惑っていたが、やや強引な勢いが上手く作用して彼も多少心を開くことができたのだ。
今では訓練で潰れたリシテアを自分からおんぶして連れ帰るくらいには打ち解けられた。お姉さんの面目丸潰れのリシテアが何とか威厳を取り戻そうとして、ツィリルに字を教えるという名目で彼と文通を始めた微笑ましい一幕があったのも記憶に新しい。
そんな『異国の同胞』の様子を思い浮かべると、クロードとしては負けていられないと対抗心が湧いてくる。
この三日だけでも今までの自分に足りてなかった分野が急速に埋まっていく実感があった。ベレトから手を離してはいけないという個人的な予感もある。彼に食らいついていくためにも、疲れたからと言っていつまでもへこたれていられない。
「さあて、と」
「もう行くの?」
「ああ。あまり遅れると、折角取ってもらった時間が別の誰かの指導に奪われちまいそうだ」
体に力を入れて立ち上がり、クロードはグッと背筋を伸ばす。
ベレトはいつも通り訓練所だろう。以前より他の学級からも指導を希望する生徒を毎日のように相手する彼が、放課後は決まって足を運ぶ場所だ。先ほどツィリルがやって来たのも向こうからだったし。
「ヒルダ、ついでだからお前も付き合え」
「えー、私は遠慮するよ。これから医務室の片付け当番だし」
「その当番は他の生徒におねだりして任せてるの知ってるんだぞ。どうせこの後暇なんだろうが。というか、俺一人でまた疲れるのは癪なんだよ。お前も来い」
「うわー、横暴だー」
ぶー垂れるヒルダを引っ張って歩く。多少休めはしたがまだまだ疲れは残っており、軋む関節を気合いで動かして訓練所へと向かう。
自分が強くなれること、仲間も一緒に成長できること、その指導をしてくれるべレトに教われることが嬉しくて、クロードは口元に笑みを浮かべるのだった。
エーデルガルトは苛立っていた。できるだけ表に出さないよう努めているが、浮かべる表情が固いこと、机に置いた手が無駄に忙しなく動くこと、あまつさえ貧乏揺すりをするなど、明らかに普段の彼女とは違う態度を見せていた。
「いやあ、流石はハンネマン先生だね。歴史を教える普通の授業の中でも紋章の話を絡めて、僕も珍しく眠気がない授業を受けられたよ」
「リンハルトにしては珍しいよな。けど俺でも面白いって思えたから、それだけハンネマン先生の話し方が上手いってことか」
「そういうカスパルだって、この手の座学で退屈そうにしないのは珍しいね」
「ああ、俺も最初は乗り気じゃなかったんだけど、あの人の話ってただの歴史じゃなくてそこにどんな奴がいたかってところもあっただろ。キッホルとセスリーンの話とか面白くてさ」
「聖キッホルと聖セスリーンね……紋章は必ず人と併せて語るところがハンネマン先生らしいね」
「キッホルはすっげえ娘思いで、セスリーンをすげえ大事にしてたっていう記録が伝わってるの、なんか人間味があって親近感あるんだ。セテスさんとフレンみたいじゃん」
「確かに、セテスさんはキッホルの、フレンはセスリーンの大紋章を持ってるよね。紋章がその人の行動や内面に影響を及ぼす好例だ」
「なあ、フレンはどう思う?」
「はいっ? わたくしが何ですの?」
「キッホルとセスリーンの話だよ。ハンネマン先生が話してたろ。お前とセテスさんに似てるじゃん。どう思った?」
「どうって……そういう話が伝わってることはわたくしも知っていましたけど、周りからは微笑ましく見えてたのですね。あれは過保護と言うべきだと思いますわ」
「へ?」
「君とセテスさんのことじゃなくて、聖キッホルと聖セスリーンの──」
「あらやだ、わたくしったらまだ板書が終わってませんわ。ごめんあそばせ」
「……どうしたんだフレンの奴?」
「うーん、やっぱりきちんと調べてみたいな」
この一週間、ハンネマンとマヌエラによる授業が黒鷲の学級で行われ、それまでのベレトの指導とは趣の異なる学びを生徒達は体験した。
黒鷲の学級は驚き、最初こそ戸惑いを見せていたが、この変化はベレトの提案が元になって考えられたものだと教えられた時は、生徒の将来を案じ、自身の不甲斐なさを素直に認めてより良い体制を求めた彼の働きに感謝した。
「マヌエラ先生の講義は大変有意義なものだったな。平民の目線でありながら貴族にも通じる見識を持つ視野の広さが素晴らしい。流石は歌劇団の元歌姫と言える」
「あら、フェル君ってばマヌエラ先輩のことが余程気に入ったのね」
「もちろんだとも! 身に付けた所作、姿勢は貴族と比べても決して見劣りすまい。その身一つで立てた功績もさることながら、私は何よりもあの人の存在そのものに憧れているのだよ!」
「そ、そんなに?」
「彼女がミッテルフランク歌劇団で活動していた頃からの憧れさ。五歳の当時、初めて観劇した時の感動は今でも忘れていない……ドロテアなら分かるだろうが、剣舞を取り入れた演目があっただろう? 恥ずかしながら、まだ幼かった私が初めて剣を握ったのは、実は鍛錬のためではなくあの剣舞を真似したいが為でね」
「まあまあ、そんなに夢中になってくれてたなんて、後輩としては誇らしくなっちゃうわね」
「そう言うドロテアも剣は得意な方だろう?」
「ええ、私も剣はいっぱい練習しましたから。舞台のための技だから、貴族様のお眼鏡に適うとは思えませんけど」
「そんなことはないぞ! あの洗練された動きを見れば君がどれほど努力を積んできたか感じ取れないはずがない! 君もまた歌姫として重ねた実績を私は尊敬しているのだよ」
「そうなの? まあ、褒め言葉はありがたく受け取っておきますけど……」
「フェルディナント、踊り、真似する、しますか?」
「いや、舞踊とはまた違うものだね。しかし貴族としてどちらもこなす技術は身に付けているさ。ペトラは興味があるのかい?」
「はい。ブリギットの舞、精霊に捧げる祈り、意味ある、します。フォドラの踊り、人と人を繋ぐ交流、違い、私、知りたいと思う、思います」
「そっか、じゃあペトラちゃんからブリギットの踊りを教えてもらうこともできるのね」
「来節の舞踏会に向けて、マヌエラ先生から踊りの授業もしてもらえるそうだ。かの歌姫直々の指導なんてそうそう受けられるものではないぞ」
「はい、私、楽しみ、なりました、です!」
このように、生徒達からは総じて好評を博した授業であったが、当然それらはベレトによる授業ではないわけであって。
一日の大半を彼と場を同じくして過ごす日々から変えられて、エーデルガルトが気にならないはずもなく。
彼女に
少なくとも傍でエーデルガルトを見ているヒューベルトにはバレバレである。
「エーデルガルト様」
「……分かっているわよ。感情を制御できないのは未熟者、でしょう?」
「御理解いただけているようで何よりです」
そして、自身の苛立ちがヒューベルトに気付かれたことにエーデルガルトも気付いた。
「師が何を思って今回の提案をしたのかは分かるわ。教団にとっても、三国の均衡が崩れることは避けたいでしょうしね」
「鷲獅子戦で些か力を示し過ぎたのでしょうな。目の当たりにした教団関係者の慌てふためく様を見れなかったのが惜しいくらいですよ……くくっ」
意地の悪さを隠そうともしない従者の笑みを見上げつつ、精神を平常に戻すよう努める。
フォドラの管理者を気取るセイロス教団としては、将来の帝国だけが力を強めてしまうのは看過できないことだろう。一度育ってしまったのを弱くするのは無理があるので、王国と同盟を同じ段階まで引き上げるしかなく、そのためにベレトの指導を用いるのは道理である。
青獅子の学級と金鹿の学級はベレトの手で鍛えられて急速に伸びると予想できる。言っては何だが、紋章学者と元歌姫の指導とは比べ物にならないくらい強くなれるに違いない。その分苦労はするだろうが。
黒鷲の学級は頻度が減っても衰えない程度に鍛えさせ、その代わりに今まで足りてなかった分野の指導がこれからは行われる。すでに戦力は充実しているので、今後はそれ以外の穴を埋める成長が見込める。一歩先んじている状態の帝国の未来を思えばありがたい采配だ。
ベレトの指導(くどいくらいの基礎重視)によって、黒鷲の学級一同は基本的な学力はばっちり身に付いていた。これまでとは異なる授業にきちんとついていけるのも彼のおかげなのだろう。
地盤無くして城建たず──かつて言われた【壊刃】の教えの通りであった。
身を以てそれを理解できた生徒達は誰もが生き生きと授業を受けている。それまでとは趣の変わった授業に戸惑うことなく向き合う彼らに、逆にハンネマンとマヌエラが驚いた様子だった。
すでに地力は十分だとして、上級職の資格試験に臨もうと意気込む者も多い。来週からそのための指導を各教師に頼んで仕上げを行い、今節の内に何人も挑み、合格するだろう。
士官学校の生徒が上級の領域に踏み込もうとするのは、過去の卒業生を振り返ってみても事例は少ない。それだけ黒鷲の学級の生徒が育てられているということだ。他学級の生徒が軒並み中級職であることからも分かるように、学生の身分でありながらここまでの高みに至れる事実が、如何にベレトの指導力が優れているかを証明しているようだ。
在学中に最上級職のドラゴンマスターとウォーマスターの二つを極めてしまったホルストという特異点は例外中の例外なのでここでは除外するとして。
高位の騎士パラディンを始めとして、空戦の雄たるドラゴンナイト、魔力運用を更に突き詰めればウォーロックやビショップも、話題に上る上級職を熱く語る生徒達は士気も高く、黒鷲の学級は盛り上がっていた。
その喧騒を耳にするエーデルガルトは複雑な気持ちだ。
級長としては、自分の学級が他より強く育っていることが嬉しく、どうだ見たか!と自慢したい気持ちがある。
皇女としては、帝国の未来を担う生徒が逞しく育ち、その上更なる向上心を持って授業に臨む姿を誇らしく思う。
自身も技能面は条件を満たしていると判断して、今後取得する資格の方向性をベレトとしっかり相談してきたので不安はないが……その肝心のベレトがこの場にいないことが引っかかる。
というかベレト、そう、ベレトである。
彼が傍にいない。その事実をエーデルガルトはどうしても気にしてしまうのだ。
皇女や級長という公的な立場では現状への不満はない。
が、一人の少女としては、
この一週間。授業という生徒にとって一日の大半を過ごすことになる時間を彼と引き離されて、彼女が思うことと言えばこれ。
(私は師の指導を受けたいのに!)
要はそういうことだ。
エーデルガルトは、ベレトと一緒にいられなくて寂しいのである。
ハンネマンとマヌエラの授業にケチをつけたいわけではない。今までの授業ではなかった分野に触れられたので気分も一新して学ぶことができた。
むしろ学べる幅を広げた今回の采配はありがたく思う。かねてより感じていた士官学校の欠陥、教師の固定による指導の偏りを解消させる妙手だ。よく教団が、レアがこの変更を許したと驚いたほどだ。
三国それぞれ出身の生徒が一つの学級に固まっているので、違いがあってもそれは当たり前のものとして今までは流されていたのだ。そこで教師を交替し、授業を画一化することで平均的に能力が上がりやすくなった。この体制が確立すればフォドラ全体の地力が増すかもしれない。
読者の方々に分かりやすく説明するなら「同じ時間をかけて同じ経験値を得られるやり方でも、高レベルより低レベルの方が上がりやすいよね」と言えば納得していただけるだろうか。
まあとにかく。新しい授業体制がどんなに有用だとしても、それはそれ、これはこれ。ベレトと一緒にいられない時間がエーデルガルトは不満なのだ。
……質が悪いのは、彼女がそういう内心を自覚していないことにある。
物足りなさを感じている。それによって不満が募る。彼と一緒にいられれば癒される。ではどうしてそう考えてしまうのか?
そこまで思考を進められておきながら、その先になると途端に分からなくなる。わざとやってるんじゃないでしょうねこの子は。
そんなエーデルガルトを誰よりも近くで見続けてきたヒューベルトは、彼女の思考の仕組みを凡そ把握していた。
エーデルガルトは言わずと知れた皇女である。それも遠くない内に大陸全土を動乱に叩き込み、その末に全てを平定してみせる覇王だ。
往く道は険しく、屍山血河を生んで尚止まることは許されない覇道。それに踏み出すならば生半な覚悟ではいられないだろう。
すでにそのための覚悟を固め、秘密裏に動き出しているとは言え、背負うものが彼女の心身に大きな負担をかけていることは想像に難くない。如何に強固な精神を秘めていようが人間であれば限界はあるのだし、そんな彼女が人間として平凡な思慕の念を抱いてもおかしくない。
(まさかエーデルガルト様ともあろう御方がここまで先生を慕うことになるとは……いえ、我が主も人間だったということですかね)
そう、エーデルガルトとて人間なのだ。獣の支配を脱し、人間が生きる世界を築くべく覇道を邁進する彼女は、だからこそ人間であることを忘れてはならない。超人的な自制心を持っていても、年頃の少女であることもまた事実なのだから。
傍で仕えるヒューベルトとしては、彼女の数少ない癒しを取り上げてしまうことは憚られた。いずれはそういう安らぎを得ることもそうそう叶わなくなるだろうし、ここで学生ごっこをしている間くらいはある程度好きにさせてもいいか、と思わないでもない。
ない、のだが……長く続くと、いいかげんにしてくれという気持ちも同じくある。
人間として当たり前の情緒すらも『余計なもの』として削ぎ落とし過ぎてしまったが故に、当たり前とされる感覚も察せられず、放課後になる度に自主的に外周走に向かうエーデルガルトをこれ以上放置するわけにもいかない。
悶々とした気持ちを振り払うべく体力を絞る彼女も、今ではベレトの授業で示された内容くらいなら軽くこなせてしまうようになっていて、成長を喜べばいいのか、そこまでやって尚気持ちを自覚できないことを嘆けばいいのか、ヒューベルトには分からなかった。
毎日難しい顔で出かけてはスッキリして帰ってくる主に
幸いなことに、似たような状況に覚えがある。あの時にエーデルガルトの機嫌を劇的に改善させたのと同じ流れに持っていければ……
「ところでエーデルガルト様、本日も走りに行かれるのですか」
「ええ、これから行くわ。座学が増えて訓練の時間が減ってしまってるのだし、体力が有り余って仕方ないのよ」
やはり今日も外周に行くようだ。ここで彼女を行かせてしまうと何も変わらない。
ヒューベルト、策謀家としての腕の見せ所である。
「そうでしたか。ですが本日はおやめになった方がよろしいかと」
「何故?」
「実は昨日の放課後、先生から茶会に誘われまして」
「!?」
「その時はちょうど手が空いておりましたので、招待を受けることにしたのです。そこで──」
「待ちなさい、初耳よそれ。どうして私を呼ばなかったの?」
「先生が来た時はエーデルガルト様は外周走の最中でしたのでお声掛けできませんでしたし、何より主の自主訓練を邪魔するわけには参りません」
しれっと答えるヒューベルトの言葉に驚きジト目になるエーデルガルトだが、唸るように息を吐いて続きを促す。
「まあいいわ。そこで?」
「教える学級が増えたことを契機に、より多くの生徒に紅茶を振舞って話を聞いているそうです。そして交流を深めながら、紅茶を淹れる練習も兼ねていると」
「師は少し前まで紅茶自体知らなかったものね。でもそんなに振舞っているならかなり上達したのではないかしら」
「そうですね。私の目から見てもエーデルガルト様から教えられたことを忠実に守った淹れ方で、紅茶の味も不足はなかったかと」
「さっきから回りくどいわね……何が言いたいの?」
「先生は本番の前に自身の腕前を評価してほしかったそうで、従者の私に試してほしかったのですよ。一度限りの心配はしなくてもいいと言っても、あの人も高級な茶葉を用いる時はそれなりに気を遣うようですからな。例えばベルガモットティーを淹れる時などは」
「……っ!」
何かを察したらしいエーデルガルトが目を見開くが、ここで追撃を緩めない。
「時にエーデルガルト様。一週間の授業を終えた先生方は現在職員会議の最中ですが、彼はいつも通り諸々の仕事を片付け済みで、終わり次第生徒との交流に当たるようです。ああ、そういえばエーデルガルト様はこれから外周走にお出かけになるのですから関係ないことでしたか。お引止めしてしまい申し訳ありません」
「………………気が変わったわ。少し身形を整えてくるわね」
「はて、本日は体を動かすような授業はなく、汗をかいた様子も見受けられませんでしたが?」
ペラペラと続いた言葉を聞いて思うところがあったのか、徐に席を立つエーデルガルトに白々しく尋ねる。
「貴方が気にすることではないわ。予定が変わればやることも変わるの」
「なるほど、我が主に置かれましては常に身嗜みに気を配られて、大変結構なことだと存じます。特に彼の前に立つならより一層気を遣うのでしょうな」
「ヒューベルト!」
「くくくっ、これは失礼しました、いってらっしゃいませエーデルガルト様」
睨んでくるエーデルガルトに向けて慇懃に一礼してみせる。飄々とするヒューベルトに何を言っても無駄と判断したのか、勢いよく歩き出す彼女の背中を見送った。
少し離れただけでこの後の『本番』に思いを馳せたのか、その後ろ姿を見ただけでも浮き立つ内心が手に取るように分かってしまった。
エーデルガルトには早く気持ちを自覚してほしいと思う。何しろ自分達には時間がない。
いずれこの穏やかな時間は破られる。他ならぬエーデルガルトの手によって。
その時彼女を支えるのは従者の自分である。あらゆる手段を用いてその覇道を補佐する覚悟はすでにあるし、準備も着々と進めている。
しかし、自分はあくまでも支える者に過ぎない。主の隣に並び立ち、その重荷を、重責を分かち合うことはできないだろう。できるとすれば、それはきっと──
(私も甘くなりましたね)
以前は主と距離を取らせるどころか、暗殺までしようと考えていた人物に対して、驚くほど評価が変わっていることを自覚してヒューベルトは心の中で溜息を吐く。
エーデルガルトだけでなく自分までいつの間にか彼に絆されている、と。
『君はテフが好きなのか。なら次はそれを用意しておこう』
茶会の席でベレトが告げた次の機会。そんなものが自分にまであるとヒューベルトは安易に考えない。学生ながら忙しい身だし、放課後も休日も予定は埋まりがちだ。ベレトの方だって三学級の指導のためにこれからもっと忙しくなるだろうに。
それでも、彼ならば……互いに忙しくなった合間を縫って、休める時間を作ってくれるのではないか……そう期待してしまうのだ。
それはそれとして、足を止めてはいられない。
闇に蠢く者のきな臭い実験のことも、断片だけは聞いている。まさかガルグ=マクからそう離れていないルミール村を対象にするとは、大胆なことをするものだ。その調査のためにジェラルトが直々に騎士団を率いて赴くことになったのも知っている。
ここから自分達を取り巻く環境が急速に変わっていく予感がした。
エーデルガルトには今しばらく優しい時間を過ごしてもらおう。心の中にある甘さを先に切り捨てるのは自分の役目だ。
差し当たって、決起の時に合わせて粛清する帝国貴族の選定作業を進めなくては。地位を奪い、領地の支配権を取り上げ、とうに見限っている己の父親を筆頭に処刑するべき敵の見極めなど、やることは幾らでもある。
我が往く道に甘さは不要。必要とあらば悪魔にでもなってみせよう。
未来の皇帝の懐刀は密やかに、揺るぎない足取りで動く。
全ては主のために。
こうして彼らは今日も生きる。
教団も騎士団も学校も、その生活は忙しくも充実していて、誰もが謳歌していた。
今節から始まる変化により、生徒達の学級を越えた交流が増えた。
これまでは一つの学級につき一人の教師で、受ける教えも一通り。それが三つの学級を三人の教師で回すようになり、多様な教えは共通の話題をもたらす。
ただ盛り上がるだけでなく、生徒同士で軽く口論が起こったりなど揉め事も幾らかあるが、逆を言えばそれだけ多く言葉を交わすようになった、即ち意思の疎通が増えたということだ。
そうして他人への理解を深めていくことは、同時に自身の認識を自覚させ、広い視点を得ることにも繋がる。得た視点が増えれば増えるほど見聞は広がっていくのだ。
学級の垣根を越え、国の違いを理解し、遠き人種の差でさえもいずれは薄れていくのかもしれない。
フォドラの長い歴史の中、これまではなかった動きを見せる修道院と士官学校で、その結果何がどう変わるのかは誰にも分からない。
確実なのは、一人の教師の提案によって生徒の成長の幅が広がり、本来ならあり得なかった変化が未来で起こるということ。
彼らの周辺はまだ平和だった。
影は静かに忍び寄る。炎と闇の蠢動は、すぐそこ。
されど今は彼らも穏やかに日々を刻む。
この思い出を喜びと共に語り合える未来のために。
本作は紅花ルートを『基本とした』二次創作です。これなら生徒全員と関われる。これなら全員と支援値を上げられる。僕の風花雪月はこうなってるんだ。
だってさー、級長と従者はどうやったってスカウトできないじゃん。従者じゃないはずのヒルダでさえ紅花ルートだと落とし物すら返せないじゃん。だったらもう学校の体制そのものを変えてやるしかないじゃん。言っときますけどハンネマンもマヌエラも、レアのことだって諦めるつもりないかんね!
ここで生まれた関わりが後の彼らに良い影響を与えることを願って、僕の理想とする大団円への第一歩とさせていただきます。
作者の活動報告に載せた後書き