支援会話の性質上「ここでこの会話があった」とは決めてませんので、読み手のイメージするタイミングで発生したと思って読んでください。
それはまさに達人同士の共演。
激しい戦いの様相に、周囲の者達はひたすら目で追いかけるしかなかった。
斬斬斬斬、払、蹴肘逸、避払払弾踏、避膝斬跳、振り下ろし!
弾弾避打、突、防防薙、突突突突突、殴防防薙、振り上げる!
「すっげぇ……!」
「速過ぎですよ……」
「ちっ、今何をやった?」
「どっちもすげーなー!」
「おお! そこ、そう! それでこうしてそうして! ぬおおお流石団長!! すごいですぞ! ぬぅ、先生もなかなか! おおなんとなんと、うおおおおお!!」
一部、やかましい者もいた。
ベレトの剣とジェラルトの槍。二つの武器が激しくぶつかり、時に格闘術も交えて目まぐるしく動く攻防は、周囲を置き去りにして加速の一途を辿る。
槍を踏みつけて動きを抑えたまま攻撃するベレトを、踏まれたまま槍を手放さず巨躯を軽く揺らすようにしてジェラルトは捌くと強引に槍で薙ぎ払う。足元が危ういと見たベレトは瞬時の判断で高く跳躍し、剣の振り下ろしと槍の振り上げで再びぶつかった。
そのベレトの姿を見たジェラルトは目を見張る。息子の動き方が、自身がよく知る彼のそれとは大きく変わっていることを感じ取ったのだ。
ぶつかった剣と槍を絡ませたベレトは体が落ちるのを待たず空中で蹴りを放つ。
一度は頭部へ。二度は腕部へ。三度は腹部へ。
落ちるまでの僅かな間に、体を捻る力だけで繰り出した三度の蹴りは全て防がれてしまう。踏ん張りの効かない空中で放つ蹴りは余程上手く当てない限り大した威力は乗せられない。冷静に見抜いたジェラルトはそれらを片手で受け止めてしまった。
蹴りが通用しなかったベレトは止む無く着地のために体勢を変えるが、それをわざわざ見過ごしてやる理由はジェラルトにはない。
地に足がついている彼はしっかり床を踏みしめ、力を乗せた前蹴りを放つ。咄嗟にベレトは着地のために構えた両腕を動かして蹴りを防ぐが、そのせいで大きく体を崩されて突き飛ばされた。
床を転がされて急いで体勢を戻そうとするも、晒した隙を突かれないわけもなく。
顔を跳ね上げて相手に向き直ろうとしたベレトの頬スレスレに、ジェラルトが繰り出した槍の突き出しが通り過ぎた。
余波さえ伴う強烈な一突き。飛ばされたベレトと同速の踏み出しに、槍の強みを存分に生かした遠間からの一撃。
構えることも許さない隙を生み。
反撃もできない遠間から。
一発で勝負を決める顔面へ。
複数の条件を成立させた一撃は、有無を言わせない決着を意味しており、
「参った」
それを理解したベレトは白旗を上げたのだった。
見物していた生徒と騎士達からベレトとジェラルトが解放されたのは、称賛やら感嘆やらでひとしきりもみくちゃにされてからだった。
一際叫び散らしていたアロイスをジェラルトが窘めたり、負けはしても先生の戦う姿に興奮した生徒にベレトが囲まれたり、彼らを落ち着かせてからようやく水場に来ることができたのだ。
普段生徒を相手にするベレトはほとんど汗もかかず息も乱さない(あんなに黒々とした格好をしているくせに)のだが、ジェラルトほどの強者との手合わせは流石に消耗が大きかった。顔を洗ってその場で水を飲むと、ふぅ、と一息吐く。
「ベレト、お前戦い方が変わったな」
「?」
不意に発したジェラルトの言葉に、ベレトは顔を拭く布巾の動きを止めた。
変わった、とはどういうことだろうか。剣術に格闘術を組み合わせた戦い方は今までと同じだと思うのだが。
ベレトの戦闘技法はジェラルト仕込みである。
幼少期から傭兵団の一員として共に行動し、体が育つのに合わせて父から教育を施されてきた。武器の取り扱いから始まり、戦術も戦略も、こと戦いにおける術理はほぼ全てジェラルトから教わったと言っても過言ではない。
当然、そんなベレトの動きをジェラルトが把握していないわけがなく、ベレトも鍛えられる中で父の戦いぶりをよく知っていた。ガルグ=マク大修道院に来る前は毎日のように手合わせもしていたこともあり、互いの実力は誰よりもよく分かっている。
その父からの指摘はベレトの認識の外を突いたものだった。
「父さんの目から見て、俺はどこかおかしくなったのか?」
「おかしいと言うか……そうだな、全体的に前のめりになった感じがしたな。以前のお前は俺が教えた通りに防御を重視した戦い方をしていた。それが今日はやたらと攻撃に偏っていたぞ」
ジェラルトとしても息子の変化には驚かされた。
まだ子供だったベレトに戦い方を仕込む際、ジェラルトはまず何をおいても防御を叩き込んだ。
それは単純な技のみならず、生きるための心構えも含む。命のやり取りが茶飯事の傭兵として生きていくことになるのだ。戦場だけでなく日常の生活の中でも、いつ危険な目に遭うか分からない。自分の身は自分で守れて一人前の傭兵である。
父に説かれた常在戦場の心得は、感情が希薄故に素直でもあったベレトの中にするりと納まり、その後の彼の思考の中心として機能した。今日に至るまで五体満足且つ健康に生きてこれたのはジェラルトの教えのおかげなのだ。
ついでに言えば、その出生の秘密から、いずれ迫るかもしれない脅威に備えて身を守ることを何よりも優先して覚えてほしいという隠れた事情もあるが。
そうして生き延びるベレトは、それだけ長くジェラルトに鍛えられてきた。
戦場に出るようになってからも冷静に、冷徹に、冷酷に敵を屠り、表情を変えず、感情も薄く、その戦いぶりから【灰色の悪魔】という異名まで付けられるほどの戦士へと成長した。
そんなベレトが、先ほどの手合わせの時は──
「さっきのお前はやけにムキになってたな」
「ムキに?」
「ああ。例えば空中で三回蹴ってきただろ。ありゃ無駄だぞ」
水場の一角で反省会が始まる。
懐かしい流れだ。昔は手合わせした後に、気付いたことを一つ一つ教えたものだ。いつからかベレトが自分で考察するようになってしまい、指摘することも減ってしまったのだが……今回はジェラルトから口出しした。
「宙に浮いた体で放つ蹴りなんてそうそう効きゃあしねえよ。あそこは俺の体を足場代わりに蹴飛ばして距離を取るべきだったな」
「……」
「その直後も、俺が前蹴りやっただろ、あれを防ぐのに両腕を使ったのもだめだったな。多少ダメージを受けたとしても前蹴りは片腕で防いで、もう片方の腕は着地の姿勢制御のために使うべきだったぞ。そのせいで俺の追撃への対応が遅れて終わっただろ? あんなの、ただ防いだだけで次に繋げられてなかったじゃねえか」
動きの不備を、理由と併せて説明していく。
ジェラルトの教えの一つ、攻撃的な防御を忘れてしまうほど普段のベレトとは違っていたのだ。
「なんだろうな。さっきのお前は、何が何でも食らいついてやろうってムキになってるように見えてよ」
自分を尊敬してくれている息子が、まさか自分の教えを忘れるとは。
一体何があったのかとジェラルトも不思議だった。
「集中できない理由でもあったのか? まさか生徒に見られてたから、いいところを見せようと張り切ってたとか、まあ流石にそれは……ベレト?」
その時のベレトの顔は見物だった。
きょとん──ジェラルトの言いぶりがまさかの指摘だと、青天の霹靂と言わんばかりに呆然としたまま目を何度も瞬かせる。
「おい、どうした?」
「…………そうか。俺は、ムキになっていたのか」
ジェラルトの呼びかけにも応えず、言われて初めて気付いた己の変化にベレトは驚いていた。
周りに生徒がいた。
みんなが自分の戦いに注目していた。
恥ずかしくない姿を見せなくては、と張り切って……そう、ムキになっていた。
自分よりずっと強い父に簡単に勝てるとは思っていない。それでも負けを前提に手合わせするつもりはなかった。やるからには何としてでも一本取ると張り切っていたのだ。
ガルグ=マクに来て以来、ベレトは教師に、ジェラルトは騎士団長になり、活動する場がすっかり離れてしまった。
同年代の若者に囲まれる日々は慣れないことも多いが、仕事であるからには手を抜かず真剣に彼らと向き合い、
生徒達はベレトを慕い、ベレト自身も彼らにとって良き教師たらんと努めてきた。
そうして過ごす中で、久方ぶりに訪れたジェラルトとの手合わせの機会。また父と戦えることにベレトは気合いを入れて臨んだ。
その姿を生徒達が見学するという運びになり、彼らの前で不甲斐ない様を晒すわけにはいかないと、先の気合いも相乗して本来の型を崩してしまうほど戦い方が前のめりになってしまったのだろう。
その若さに反して、傭兵としては熟練と称してもおかしくない経歴を持つベレトにとっても、今回のようなやる気が空回りする事態は初めてだった。
何しろこれまでは気合いを入れるようなこともなく、他人の目を気にして張り切るなんて考えたこともなかったのだから。平常心を崩さないと言えば聞こえはいいかもしれないが、彼の場合は感情が希薄過ぎてその心が波立つ経験が一切なかったのだ。
そんなベレトが。
生徒の目を気にして。
手合わせに張り切って。
父から受けた指摘に呆然としてしまうくらい、ベレトは自身の変化に驚いていた。
(こいつ、変わったな)
指摘されて初めて自身の心の動きを自覚したベレトの姿は、ジェラルトの目にはどことなく眩しく見えた。息子が今感じている感情の変化は、きっと今までにない大きな成長と呼んでも間違いではないはずだ。
「父さん」
「なんだ」
「俺は、弱くなったのだろうか」
「あ? ……ふ、ははは、心配するこたあねえよ」
ふと、零れてしまったのか。ベレトの口から出た言葉に一瞬ジェラルトも呆然としてしまう。
それでもすぐに、そんな息子の姿に感じ入って笑ってしまった。
「要はやる気があるってことだ。今までと環境が変わったせいでお前も変わったところがあるだろうが、悪い変化じゃねえはずだ」
そういうものだろうか、と首を傾げるその背中をバシバシと叩く。
大丈夫だと言ってやりたかったが、口元が緩んだ顔で言っても説得力がなかったかもしれない。それでも今の気持ちが抑え切れなかった。
くつくつと笑いを堪えるジェラルトを訝しく思ったベレトだが、父の言うことならばとすんなり納得して悩むのは一度棚上げすることにしたようだ。
「それよりベレト、訓練所でまだ生徒が残ってるだろう。今日もこの後相手していくのか?」
「ああ。父さんとの手合わせがあるからと待ってもらってる。今から戻るよ。父さんは仕事か?」
「そうだな、そろそろ外回りの部隊が戻ってくる頃だから、そいつらの相手をしに行くさ」
「そうか。それじゃあ、また」
「おう。またな」
手拭い片手にベレトは訓練所に向かう。
その背が見えなくなるまでジェラルトは動く気になれなかった。
弱くなったのだろうか──先ほどのベレトの言葉は、いわゆる弱音というものだ。
あのベレトが。感情を見せることなく淡々と生きてきた息子が。
自分の変化を気にして不安を口にするとは。
考えることはあっても悩むことはなかったベレトが、初めて変化に悩んでいる。
彼は今、確かに成長している。それがジェラルトには嬉しかったのだ。
心技体。人の強さの度合いを表す、そんな言葉がある。
体は肉体の力強さ。
技は修めた技術の完成度。
心は身の内に宿る魂の輝き。
幼い頃からジェラルトの薫陶を受け、熟練の傭兵としての経歴を持つベレトは、体と技に関しては十分な高みにいると言ってもいい。
唯一つ、心だけを彼は持ち得ていなかった。その強さの土壌は極めて歪なものだったのだ。
しかしそれも昔の話。今のベレトには紛れもない心が芽生えている。ろくに表情も変えることなく生きてきた彼が、大修道院に来て人々と関わる中で何かを思い、何かに悩み、急速に心を育てている。
今はまだ不安定で、その心に振り回されてしまっているようだが、器用な息子のことだ。そう遠くない内に感情を乗りこなし、己の強さの一助としてみせるだろう。
体も技もある彼が、心も充実できたその時は──
(きっとお前は、俺の手が届かないところへ行っちまうんだろうな……)
息子の成長の兆しを感じて、喜ばしいやら寂しいやら、ジェラルトは何とも言えない不思議な感慨に包まれた。
願わくば、いずれ訪れるであろうその時に傍でベレトを褒めてやりたい。
一人前の男になったな、と。
「なあシトリー、俺達の息子はまだまだ大きくなるぜ」
墓前への報告が増えたことを嬉しく思い、ジェラルトは小さく笑うのだった。
ベレトの心の成長は修道院のそこかしこで感じ取れますが、誰よりもそれを感じ取ってほしかった人との支援会話が原作にないってどういうことなのおおおお???という個人的欲求の発露をさせてもらいました。ジェラルトはもっと父親やっていい。やってていい。むしろやって。
作者の活動報告に載せた後書き