IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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〇昼食と香辛料

 

 

 

「簪さん、一緒に食堂へ行こうぜ」

 

「……」

 

 

端から見たらまた口説いているのかと突っ込まれるだろう。その一言に思わず声を掛けられた張本人、更識簪は絶句していた。四時限目の授業が終わり、これからお昼に行こうと教室を出ようとした矢先に真っ先に飛び込んで来たのは織斑一夏だった。

 

とある情報筋から購買のパンが売り切れているということを事前に知っていた一夏は、これで簪がパンを買いに行く選択肢はないと踏み、授業が終わると同時に教室を抜け出し、四組に入ると逃さないぞと言わんばかりに簪の手を握りしめる。

 

一体何処に連れて行こうとしているのか、地獄の果てまでランデヴー? 冗談じゃない、こんなところで一生を棒に振ってたまるか。

 

楯無から押しに弱いという一言を聞き、早速実践をしてみたわけだがこれが思いの外ツボにはまったようで、簪はこれまでの明確な拒絶を取らずに何度言えない表情を浮かべてたじろぐ。

 

もう一押しだ、直感的にそう悟った一夏はそのまま更に畳み掛けた。

 

 

「今日の昼飯は俺の奢りだからさ」

 

 

何処のナンパだろうか。

 

本人はナンパのつもりなど微塵もないわけだが、誰がどう見てもナンパをして口説いているようにしか見えない。

 

 

「い、いや……」

 

 

いつもだったら強く言い返す、もしくは無視をしていただろう。が以上の迫力で一夏に迫られたことで、怯えた小兎のように身を縮こめる。何気なく漏らした声もこれまでと違って明らかに弱々しかった。

一夏としてもこれ以上は待っていられない、退くことは出来ないという確固たる信念がある。何せ申し込みの締め切りは今日の十七時まででだからだ。

 

現在お昼の十二時。

 

残された時間は既に五時間を切っている。

 

お昼の休憩時間と、放課後にも授業があることを考えると実際の時間は五時間もなかった。タイムリミットが着々と近付いている今、悠長に構えて待っている暇はない。

 

故に半ば強制的に簪を連れて行くことにする。

 

 

「えっ……きゃあああっ!?」

 

 

急なことに思わず悲鳴を上げる簪、突然聞こえてきた悲鳴にクラスメイトたちは何事かと二人の方を見る。

 

簪の身体を横にして持ち上げて、自分の身体に引き寄せて持ち上げる。一般世間では結婚式の時なんかにやる『お姫様抱っこ』と呼ばれるものだった。

 

当然、二人は婚姻関係などは結んでいるわけではない。

 

 

「簪さん、軽いなぁ」

 

 

率直な感想を一夏は漏らす。

 

軽いというのは文字通りの意味で簪の重み、ということになる。重いと言われるよりは遥かにマシとは言え、歯の浮くようなセリフを言われると意識していなかったとしても気分は紅潮してしまう。

 

みるみるうちに高くなっていく顔の表面温度を感じながら、簪は早く下ろせと抗議をする。

 

 

「うっ……うるさい、はやく下ろしてっ……!」

 

「じゃあ、しっかり捕まってろよ?」

 

「え……っ!!?」

 

 

この男は人の話を聞いているのか、いや聞いていたらこんなことにはなっていないだろう。簪の言葉を完全に無視して、一夏は地面を蹴ると食堂に向けて駆け出した。

 

クラスで一部始終を見ていた生徒、食堂までの道のりに居た生徒の何人かが二人の様子を見て驚きと羨望が含まれた悲鳴を上げるも一夏は完全に聞く耳を持たずに食堂へと向かう。聞き耳を立てて立ち止まろうものなら、立ち往生する未来が容易に想像できるからか。

 

最初こそ大人しくしていた簪だが、やがて事態を把握するとドンドンと胸を叩いて早く下ろせと抗議をするも、今の一夏には通用しなかった。足早に食堂まで到着すると、大きな扉を開けて中へと足を踏み入れていく。

 

いきなり勢いよく扉が開かれたことで、中に居た生徒の何人かは何事かと一斉に入り口に視線を向けた。

 

 

「この……はなしっ……っ!」

 

 

お姫様抱っこされている自身が見世物になっているように感じて、抵抗を強める簪。最初は胸を叩くだけだったが、やがてその手は一夏の頭に回り、その内足までバタつかせながら全力で抵抗を始めた。

 

バタバタとさせた足が一夏の顎を直撃し、先ほどまでよりも強い痛みが襲うが、普段から専用機でラバーズたちに襲撃されている一夏からしたら大した痛みではなく、どうどうと暴れ馬を進めるかのように簪を落ち着かせようとする。

 

 

「ちょ……おまっ、落ち着けって! あんまり暴れるな!」

 

「ふーっ! ふーっ!!」

 

 

興奮のあまり鼻息荒くする楯無、緊張と羞恥心と行き当たりのない怒りが入り交ざった何とも言えない感情をコントロール出来ない。

 

上手く感情を伝えられないのか、まるで駄々をこねるような子供のようにも見える。

 

とはいえ、このまま無抵抗のままでは一夏はされるがままであり周りからは何をしているのかと白い目で見られるかもしれない。ここは手っ取り早くインパクトの高いかつ相手を傷付け辛い言葉で落ち着かせたいところだ。

 

簪、もとい女の子を一言で静かにさせる都合のいい言葉は何か。いい言葉がないかと頭をフル回転させて選択肢を探っていく。

 

 

「パンツ見えるぞ」

 

「!!」

 

 

単純明快、もはやセクハラ以外の何物でもないわけだが、突発的に頭に思い浮かんだ言葉を口に発すると同時にこれまで暴れていた簪の行動がピタリ、と静かになった。

 

が、その代わりに。

 

 

「……ない……さない、許さない」

 

 

と相手を呪ってやらんばかりの恨み言を呟く。が、自身の顔は見られたく無いようで、一夏の方を振り向くことはなかった。

 

今の一言は効果テキメンとはいえ、年頃の女の子が言われたくない言葉でもある。普通に考えたら見えそうだったとしても遠慮して言わないケースが多いがそこは一夏、お構いなしとばかりにどストレートに本人に伝えた。

 

とりあえずこれ以上お姫様抱っこをしている理由もないため、落ち着いたことを確認の上で地面に下ろすも、そのまま逃すまいと手はつないだままカウンターへと並ぶ。

 

振りほどいても逃げなかったのは押し切られたから、だけではなく簪の中で一夏の見方が変化しつつあるからだった。少なくとも邂逅当初は自身のIS開発が止まった原因を作った諸悪の根源と一夏を認識しており、まともに相手をすることはなく無視を続けていた。

 

それが少しずつ織斑一夏という人物と関わりを持つことで、彼自身が根っからの悪人ではない……むしろ、自身に怒りや恨みを向けられたとしても歩み寄ってくれる存在として認めつつある。

 

現時点では簪の中でしつこいなとは思いつつも、そこに対する嫌悪感というのは随分と薄くなっていた。一夏に引かれるがままに、カウンターに表示されているメニュー表を確認する。

 

 

「なるほど、今日の日替わりはチキン南蛮定食か。どうするかな……あ、簪さんは?」

 

「……」

 

 

一夏の問い掛けに簪は反応を示さずに無言を貫く。いきなり振られてどう返したら良いのか分からないようだった。そんな彼女の心中を察したのか、ふっと一夏は笑いながらとあるメニューを提案する。

 

 

「よし、じゃあ簪さんはジャンボカツカレーな」

 

 

と、昼食メニューの中でもとんでもないボリューム感を誇るメニューを伝える。

 

学食の中でも特にデカ盛りと称されるこのメニューは、何故女性しかいないIS学園にメニューとして存在するのか、不思議がられるほどだった。

 

ご飯三合を丼に盛り付けてその上からカレールー山盛り、更に国産の黒豚を厚切りにして揚げたカツをカレーの上から乗せた何とも豪快かつ胃袋にガツンと響く一杯だ。状況からみてわかるように女性が十代の女性がお昼に一人食べきれるような量ではないことくらいすぐに分かることだろう。

 

流石に浮世離れしたメニューを頼まれそうになったことで、頼まれてなるものかと口を開いた。

 

 

「……肉、嫌いなの」

 

 

ちょっとずつ、だが確実に簪は口を開くようになってきている。もう一押しすれば行けるかもしれないという淡い期待を一夏にも抱かせた。ならどうしようか別のメニューを提案しようとメニュー表に視線を這わせると今日のおすすめが目に入ったため、そこに記載されているメニューを五月雨式に簪へと伝える。

 

 

「肉は嫌いなのか……それなら海鮮丼とかはどうだ?」

 

「う……うど……」

 

「ん?」

 

 

もじもじと手を合わせる簪だが一瞬だけ一夏の顔を見てぼそりとつぶやいた。

 

 

「うどんがいい」

 

「おっ、了解! 卵はどうする?」

 

 

追加のオプションはどうするかという一夏の問いかけに対してフルフルと首を横に振る。どうやら卵の気分ではないらしい、なら何か他にトッピングをしたいものはないかと確認しようとすると。

 

 

「でも、かき揚げは……ほしいかも」

 

「あーかき揚げなぁ、いいよな。うまいよなここの」

 

「う、うん。おいしい……」

 

 

これまで一切コミュニケーションを取ることが出来なかった二人の関係が修復されている。

 

ぎこちなさこそ感じるものの、完全に一夏と距離を取ろうとしていた簪が一夏の会話に対してキチンとした返事をしており、会話として成り立っていた。

 

 

「よし、じゃあ食券買って料理受け取ってからテーブルを探すかぁ。ピーク帯だし空きは大丈夫かな」

 

「その、奥なら空いていると思うから……」

 

「お……あ、確かに空いてる。簪さんって目がいいんだな」

 

「べ、別に普通……」

 

 

簪に言われるがまま、食堂の奥に視線を向けると確かにチラホラと空席がある。

 

今カウンターに並んでいる人数から残っているテーブルの数を逆算してみても先に割り込まれるようなことがなければ十分に足りるだろう。

 

食券を券売機で購入してカウンターに提出する。イチから作るメニューは基本は少なく、ほとんどは出来上がっているものをベースにソースをかけたり、冷凍タイプのものを解凍したりと比較的手軽に素早く提供できるような仕組みになっている。

 

一夏は日替わりのチキン南蛮定食、簪は素うどんとかき揚げの食券を出した訳だが、ものの一分とかからずに出揃う。食べ物がのったトレーを持って空いている座席を探していく訳だがまだ余裕があることもあり、座れる場所はすぐに見つけることが出来た。

 

空いている場所に二人で移動する。

 

 

「ん? さっきの話の続きになるけど視力がいいのにどうして眼鏡なんかしてるんだ?」

 

「これは携帯用ディスプレイ……」

 

「へぇー今はそういう機能の眼鏡もあるんだな」

 

「空中投影ディスプレイは高いから……今はまだ買えない」

 

「そ、そうなんだな」

 

 

自分から切り出した手前聞かざるを得なくなったが、途中から技術的な専門分野の世界に入ってしまったため、話についていけずに一夏の表情が引き攣る。

 

知っている人からすれば大したレベルの話ではないのだろうが、あまり興味のない人からすると何を話しているのか分からなくなってしまう。専門的な話ともなればなおさらだ。

 

空中投影ディスプレイは高いと簪は言うが、眼鏡タイプの携帯用ディスプレイも学生が買うともなればかなりの高額な買い物になるはずだ。それを手に入れたということは、簪も購入のために準備をしたことになる。

 

 

「おっ、ついたついた」

 

 

そうこうしている間に目的のテーブルまで到着し、二人はトレーを置く。何やかんや途中で逃げることもなく、簪は一夏の後に着いてきた。この時点で、彼のことを心の底から嫌っているわけではないことがよく分かる。

 

学園の食堂はかなり広い。

 

奥の席まではかなりの距離があるため、必要以上に歩く必要があり敬遠する生徒が多いのも事実だ。一方で奥になればなるほど窓に近付くため外の景色が一望できた。

 

快晴時には窓際が埋まってしまうことも珍しいわけではない。現に今日も窓際の席の多くが既に埋まっているわけだが、偶々数席の空きがあり運よく二人は滑り込んだ形になる。

 

 

「天気のいい日に窓際のテーブルに座れるなんてラッキーだな、今日はいいことがありそうだ」

 

 

もう午後だろというツッコミはこの際しないでおく。

 

 

「いただきまーす!」

 

「い、いただきます……」

 

 

手を合わせると一夏は嬉しそうにチキン南蛮を口に運ぶ。噛みしめると溢れてくる肉汁に不思議と表情が緩んだ。

 

 

「うめぇ! このタルタルソースがたまんないよなぁ。大和もこれ大好きなんだよなぁ」

 

「え……そうなの?」

 

「あぁ、元々鶏肉料理を好んでよく食べるんだけど、ここまで美味しいチキン南蛮は食べたことがないって絶賛してたんだよ」

 

 

学食のチキン南蛮が大和の好物だという一夏の一言に、不意に簪は顔を上げる。

 

これまで大和と会ったのは二回、いずれも大した話は交わしていないため、彼の情報は全く持ち合わせていなかった。せいぜいお節介が過ぎる、くらいだろうか。何なら彼のことを名前はおろか名字ですら呼んだことがない。

 

一夏と大和は共通して男性にも関わらずISを稼働させ、急遽IS学園に入学することになった共通点がある。ここで大和の名前を出すあたり、二人の距離感が近いことがよく分かった。

 

 

「チキン南蛮じゃないんだけど、一回大和の部屋で食事会をやったことがあってさ。その時に鶏の照り焼きを作ってくれたんだけど、アレも絶品だったんだよ」

 

(……料理、得意なんだ。まだ全部を知ってるわけじゃ無いけど、本当に非の打ち所が無さそう)

 

 

簪の客観的な大和に対する評価は何事も万能にこなせる人、といういうものだった。

 

数は少ないものの学内で行われている模擬戦では負け無し、学期末のテストでも貼り出されていた結果表で上位の成績を収めていたことは確認している。そこに加えて料理の腕も確か、接した感覚にすぎないが性格も悪くない。

 

何処にそんな無敵超人がいるのだろう。

 

天才肌の人間は得てして鼻につく性格をしていることが多いと聞くが、彼はそんな雰囲気は無く、どちらかといえば場の空気を読んで相手のことを気遣える優しさを持ち合わせているように見えた。

 

 

「………」

 

 

自分と比較してしまうとマイナスに考えてしまう、食事の時くらいは忘れることにしよう。フルフルと顔を振り、雑念を振り払うと目の前にあるかき揚げをかけうどんの中に沈めていく。

 

沈めていくと同時に中に入っていた空気が水面に浮き上がり、泡となっていく様子を見ているとワクワクする。気付けば純粋無垢な眼差しでその様子を見つめていた。

 

 

「おー、簪さんはかき揚げべちょ漬け派か」

 

「違う、これはたっぷり全身浴派……この澄んだ汁に脂ぎったかき揚げをしっかりと浸からせるのが通なの」

 

 

簪からするとかき揚げは汁に浸してナンボらしい。一方でその逆なのがラウラで、かき揚げは汁に浸さずサクサクのまま食べるというスタイルだ。

 

初めは揚げたての状態でサクサクのまま食べるのが美学であり何かに浸して食べるのは邪道! などと言っていたが、人それぞれの食べ方があるだろうし好みの食べ方で良いんじゃないかという大和の一言で今では割と理解を示すようにはなっている。

 

簪とは真逆のため、もし理解を示さないタイミングで二人が出会っていたとしたら論争が始まっていたかもしれない。

 

 

「しっかし今日のチキン南蛮は出来立てで特に美味いな、簪さんも食べてみるか?」

 

「え?」

 

 

一夏の何気ない一言に驚いたような表情を見せる簪だが、一度瞬きをした時には目の前には箸で摘まれたチキンが一切れ差し出されていた。

 

チキンを見つめてから差し出してきた一夏の顔を見る。その工程を二度繰り返した後、耳を赤らめながら俯いてしまった。

 

何度も言うように一夏に悪気があるわけではなく、美味しいからこそこの感動を共有したいだけなのだ。これが同性であればそこまで気にするようなことでもないのだが、簪は女性であって一夏にとっては異性になる。

 

いつもこんなことをやっているのかと、簪は一夏に確認する。

 

 

「そ、そうやっていつも……女の子を落としているの?」

 

「へ、落とす? 何のことだ? まぁとにかく食べてみろって……あっ、そうだった、肉嫌いなんだっけか」

 

 

落とすの意味が分からずに首を傾げる一夏。

 

簪としては無自覚な優しさで女の子を口説き落としているのかと質問したわけだが、その真意が一夏に伝わることはなかった。

 

 

「と、鶏肉は平気」

 

 

美味しいから食べてみろと促す一夏を断ることが出来ず、鶏肉なら食べられると簪は答えてしまう。

 

 

「そっか、良かった。それじゃあ……あーん」

 

「あ……ぁ、ん……」

 

 

一体自分たちは何を見せられているのだろう、そして何を聞かされているのだろうと周囲の生徒たちは一同に思ったことだろう。チラチラと二人の様子を羨ましげに見つめる視線が複数、この光景だけを見たら付き合いたてのカップルとしても見えなくは無かった。

 

緊張した面持ちで目を閉じながら差し出されたチキン南蛮を口に頬張る。一切れのサイズがかなり大きいため、簪の一口では食べきれなかったようだ。一夏の差し出した箸にはまだ半分ほど残っていた。

 

モグモグと口に入れたチキンを咀嚼する簪だがその顔はほのかに赤く、何かを言いたげに見える。

 

そんな様子を見つめながら、一夏は残ったチキンをそのまま何げない気持ちで自身の口の中へと頬張った。

 

 

「っ!!?」

 

「な? うまいだろ?」

 

 

が、自身の食べ掛けを何の戸惑いも無く頬張った一夏に驚き、ゴクンと飲み込もうとしたところで喉につっかえる。

 

ドンドンと胸を叩き、近くにあった水を一気に飲み干した。ハァハァと荒くなる息遣いを落ち着かせながらも、その目線はじっと一夏を見つめる。

 

一夏としては何気ない行動、余った食べ掛けのチキンを処理したに過ぎない。が、それは一度簪が口を付けたものになる。それを一夏が食べたのだから俗に言う間接キスだった。

 

間接キスに一夏は何一つ抵抗がないのだろう。簪の目線にどうしたのだろうと、何度か瞬きをする以外の反応は無かった。

 

 

「……そうだ、簪さん。その美味しそうなかき揚げ、ちょっと分けてくんない?」

 

「だ、ダメ!」

 

 

汁に浸されたかき揚げの端が既に欠けていることから、少なくとも一口以上は簪が口に運んだことになる。自分の好物なのはもちろんのこと、今の一件からくる恥ずかしさから丼ごと持ち上げて一夏から遠ざけてしまう。

 

熱湯までは行かなくとも、丼の汁は加熱されているためそこそこに暑い。容器を通じて熱さが簪の両手にも伝わっているはずだが、そんな温度など関係ないとばかりに平然と持ち上げている。

 

恥ずかしさが感覚を麻痺させているのかもしれない。

 

 

「こ、これはあげない!」

 

 

かき揚げなのに……などと頭の中で想像する一夏だったが、簪も何かを感じ取ったようで机の上に備え付けの一味の蓋を取り、あろうことが中蓋までも取って一夏のご飯茶碗の上にぶち撒けた。

 

 

「ぎやあああああああ!!? な、何するんだよ!?」

 

「………」

 

 

つーんと、我関せずの態度で簪は身体を九十度曲げて横を向く。真っ赤っ赤に染まった白米……だったもの、これを見て何人が元々白米だったかと気付くのか。

 

原型をとどめていない茶碗からはツンと鼻を刺激する独特の香りが漂ってくる。少しでも強く吸い込もうものなら一味が時空を刺激し、強烈なまでのくしゃみを誘発するだろう。

 

そこから先の未来は想像するに容易い。

 

ダラダラと冷や汗を流しながら目の前のご飯をどうしようかと悩む一夏だが、残すという選択肢は毛頭ない。つまり残された選択肢はどのような方法でこのご飯を平らげるか、だ。

 

卓上の調味料をチラリと見るも、この辛味を緩和しきるだけの調味料は置いてない。もしこの辛味を完全に打ち消そうものなら、相応量の調味料が必要になる。

 

自分のためだけに第三者が使う調味料を無駄にすることは出来なかった。

 

と、なると残された選択肢はただ一つのみとなる。

 

 

「く、食えないわけじゃない。一応これは白米なんだ、ちゃんと炊き上げられた白米なんだ、だから食べられないわけじゃない」

 

 

繰り返し同じ言葉を呟く一夏だが、自己暗示でも掛けているのか。

 

確かに思い込みは大事だ。プラシーボ効果なんて言葉があり、この薬はよく聞く薬だと言い聞かせながら飲むと通常よりもよく効くなんて言い伝えがあるが、それを実践しようとしているらしい。

 

色は赤いが元は普通の白米、故に食べられないわけじゃない。

 

他の食べ物と同じ食べ物の一種であって、色だけが赤くなってしまったに過ぎない。

 

 

「食えないわけじゃないんだ!」

 

 

箸を手に取ると、茶碗を勢いよく手に取り中の真っ赤に染まった白米を一気にかき込んでいく。

 

最初こそある程度かき込めていたものの、振りかけられた一味唐辛子の刺激が途中から一気に押し寄せた。

 

 

「かれえええええええええええええええっ!!? め、目がぁ! 舌があああああっ!」

 

 

あらゆる場所から燃え上がるような痛みが来る。近くにある水を手に取って流し込むものの、逆に辛みが口の中一杯に広がってしまい、辛みをより冗長化させてしまった。

 

 

「し、死ぬ! み、水をくれえええええ」

 

「……自業自得」

 

 

辛辣かつ冷たい言葉のように見える内容だとしても、その時間違いなく更識簪は微笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一夏のやつ上手くやってるかなー」

 

 

生徒が誰もいない裏庭の秘密基地で、ボソッと独り言を呟く。

 

 

「やっぱり織斑くんのこと気になるんだね、大和くん」

 

 

あぁ、いや一人では無いか。一緒にお昼を食べているナギが、俺の隣で苦笑いを浮かべていた。一夏が四時限目が終わると同時に教室を飛び出るのを尻目に、俺とナギは中庭に来ていた。周囲に他の生徒は誰もおらず、俺たち二人だけの空間はまさに秘密基地というに相応しい。

 

しかしこんないい場所を俺たち以外の生徒が全く知らないなんてことはないと思うんだけど……偶々俺たちが来る時だけ使用者がいないだけなのか、周囲を見渡しても人っ子一人見当たらない。

 

 

「まぁ、な。一応今日は申し込みの最終日だし」

 

 

一夏が教室を飛び出していった理由は、タッグマッチのペアを決めるためだろう。だからペアを組む相手……今回の場合は簪が教室を出ていく前に、アプローチを仕掛けようという魂胆だと思われる。

 

リミットは今日の夕方。

 

それまでに間に合わなければどうなるのだろうと、心配にはなる。直近はずっと簪のところに駆け付けていたみたいだけど、お陰様で一夏が簪を口説き落とそうとしているなんてよく分からない噂が出回り、その噂を聞いた一夏ラバーズの面々が揃いも揃って不機嫌になるという状態になっていた。

 

本人たちとしても今回のペアは自分たちの誰かが選ばれると思っていたことだろう。それがどこの馬の骨だか知れない者に掻っ攫われたのだから、心中は察する部分がある。

 

とはいっても恋愛事情は人それぞれであり、かつ平等だ。そこをとやかく言う理由はない。

 

ま、今回の場合はペアを組むことが目的であって、付き合うことがゴールではない故に恋仲になることは無い……とは思っているが、一夏のことだ。

 

また、無意識に口説き落としてしまう未来が容易に想像出来た。

 

仮に一夏に苦手意識を持っている女性だとしても、だ。

 

 

「大和くん、大和くん」

 

「ん?」

 

「はい、あーん♪」

 

「あ、あー……んぐっ」

 

 

満面の笑みで差し出される卵焼きをぱくりと頬張った。忘れているわけではないが、俺たちも絶賛お昼中になる。

 

二人しかいないというのもあるようで、俗に言うあーんを恥ずかしげもなくやって来た。付き合う前に初めてここでお弁当を食べた時は顔を真っ赤にしながらやっていたことを思うと、随分と慣れたもんだなと感心する。

 

長年連れ添っている訳じゃないし慣れるというほどのものでもないが、少なくとも初々しさは無くなっていた。

 

それはそうとして安定的にナギの卵焼きが美味すぎる件について。出汁が効いていてしっかりと卵に下味がついているし、このふわふわとした感じが堪らない。

 

朝早くから起きて準備していた光景を想像すると、こちらも嬉しい気分になる。

 

 

「うまい」

 

「ふふっ、良かった♪ 今日の卵焼きはちょっとだけ出汁を多めに入れてみたんだ。水分多かったかなって思ったんだけど大丈夫だった?」

 

「あぁ、卵の風味を損なわない絶妙な加減だと思う。誰かから教えてもらったのか? それとも独学?」

 

「何となく……だから独学なのかな? 最初はちょっと不安だったんだけどね、美味しいって言ってくれたから安心した」

 

 

味付けはもちろんのこと、それ以上にナギの愛がこもっていると考えると美味しさが倍増しているようにも思えた。

 

気付けば俺が自分で食べるのでは無く、ナギに食べさせてもらっている状態だ。五体満足の状態のため自分でも食べることは可能なのだが、為すがままに食べ物を運んでもらっている。

 

ご飯、卵焼き、唐揚げ、野菜炒めなど、一つのお弁当箱に入ったおかずを二人でシェアしていた。当然箸も兼用で、俺の口に入った箸先を何の抵抗もなく自身の口へと運ぶ。

 

恥じらいがない、というよりかは相手が俺だから気にしないようだった。それはそれでいいんだけど、俺自身は変に小っ恥ずかしくなる。

 

 

「……?」

 

 

じっとナギの顔を見つめると不思議そうな表情を浮かべながら首をかしげるナギ。

 

ナギは二人でいる以外の時にベタベタと甘えてくることは少ない。デート中に手を握ることはあれど、自らが率先して『バカップル』状態になることは無かった。

 

あまり人前で見せつけるものじゃないし……とは彼女も言ってるけど、反面二人きりでいる時は普段は見れない、俺だけしか知らないような様々な表情や反応、仕草を見せてくれる。

 

ナギにとっての特別な存在になれていることが、俺にとっては何よりの幸せだった。

 

ま、ここ最近は俺がずっとドキドキさせられてしまっているわけだけども。無自覚なのも中々に罪だよな、良い意味で。

 

 

「あぁ、いや。そう言えば髪がちょっとずつ伸びてきたなぁって」

 

「あ、私? そうかな、あまり意識してはいないんだけど……」

 

 

ちょっと話題を変えて、ナギの髪型について触れる。元々は腰くらいまで伸びる美しい黒のロングヘアが特徴的だったんだが、とある一件で髪を失ってしまってからはミディアムヘアになっていた。

 

時間がそこまで経つわけではないものの、日々その髪の毛は伸びて来ている。些細な違いではあるとはいえ目に見えて分かった。

 

 

「あれ、でも髪切ったのって学園祭の少し前だから……まだ気付くほど伸びてないと思うんだけど」

 

「毎日見てたら気付くさ。一センチくらいは伸びてるだろう?」

 

「……っ! う、嬉しいんだけどそこに気付くのは大和くんくらいじゃないかな?」

 

「そうか?」

 

 

どうだろう。

 

ナギに不思議に思われるけどよく分からない。

 

どちらにしても一センチも伸びていたら印象も違ってくるし気付くと思うけど、俺が変なのだろうか。いずれにせよ、髪の毛が短くても長くてもナギは可愛いのは変わらない。

 

 

「う、うん……でも、毎日見てくれてるんだもん。それは凄く嬉しいな」

 

 

少し恥ずかしそうにするものの、ニコリと微笑むナギに俺の心はイチコロにされる。

 

この笑顔は何回見ても慣れないし、毎回ドキッとさせられる。もうここまで来たら永遠と慣れることは無いし、自分だけのものにしておきたいなんて独占欲すら湧く。

 

 

「あ……えっと、はい唐揚げ。大和くん、唐揚げ好きだったよね。あーん」

 

【挿絵表示】

 

「あー……んぐんぐ」

 

 

一瞬、妙な雰囲気になりかけるも、仕切り直しとばかりに唐揚げを口に運んでくる。

 

中々に大きな唐揚げだ。

 

一口で収まりきるかななどと思いながらも口に入れようとする訳だが案の定収まりきらずに、口に入るギリギリのところで噛みちぎった。

 

口の中パンパンに収めるのと、入り切らずに食べ方が汚くなるのはまた違う。後者になるのだけは避けたいため安全策を取ることにする。

 

 

「んぐんぐ……」

 

 

味わいながらしっかりと噛み締めた。

 

朝揚げたとしてもお昼までに時間が経っているし、油分が出てしまって味が落ちるなんてこともある訳だが、旨みがしっかりと凝縮されていた。

 

作り方を工夫しているなんて前言ってたけど、時間がある休日ならまだしもナギは登校前の早朝から準備している。前日に仕込みをしていたと仮定しても、温めるだけで終わりではないため、相応の手間が掛かっているのは明らかだった。

 

噛み締める度に旨みが溢れてくる。

 

ほんとに昼間からこのクオリティを食べられるのは幸せすぎる。

 

と。

 

 

「ん、ちょっとだけ余っちゃったね……あむっ」

 

 

俺が口に含みきれなかった残りの唐揚げを、何のためらいも無く自分の口の中へと放り込んだ。その様子を見て自分の顔面が急激に紅潮していくのか分かった。

 

 

「? ……どうしたの?」

 

 

俺の様子の変化に気付き、ごっくんと口の中の唐揚げを飲み込んで声を掛けてくる。幸い残っている量がさほど多くはなかったため、飲み込むまでの時間はさほど掛からなかった。

 

念の為、彼女に確認を取る。

 

 

「んぐっ……えっと、その……嫌じゃないのか? 一応俺の食べかけだし、口を付けていない唐揚げもまだあったわけで」

 

 

俺の質問に対して一瞬キョトンとするナギだったが、すぐににこやかな笑みを浮かべると言葉を続けた。

 

 

「ふふっ、いやじゃないよ、だって大和くんのだもん。他の男の人ならちょっと……だけど、大和くんの食べ掛けだから」

 

 

俺だから、と恥ずかしい理由を恥ずかしげもなく真っ直ぐに伝えるナギがどうしようもなく愛しくなってしまう。

 

ズルすぎるとしか言いようがなかった。

 

 

「その回答は……ちょっとズルすぎるだろ」

 

 

ナギの一言に対して俺は何も言えなくなってしまう。心臓の音がバクバクと高鳴り、気分が紅潮すると同時にナギの顔を直視出来ない。落ち着け、落ち着けと念じてもこの高鳴りは収まってくれそうになかった。

 

 

「……今日もその、二人だけだから。前も言ったと思うんだけど私と二人きりの時は、他の女の子のことじゃなくて……私だけを見て欲しい」

 

「っ!!!」

 

 

トロンとした上目遣いで俺のことを見つめてくる。

 

こ、これはいけない!

変なスイッチが入っている。

 

身体をまぐ合う前のカップ……って、やかましいわ!

 

こんな白昼堂々の学園内でいたす奴がどこにいるのか。折角のお昼の時間なのだから昼食そのものに集中しよう。

 

そ、そうだ。飲み物なかったし買ってくるとしよう。

 

 

「わ、分かった! 分かったから引き続きお昼を食べようぜ! そして飲み物無かったらちょっと買ってくる!」

 

「え……えぇっ! ちょ、ちょっと大和くん! 置いてかないでよー!」

 

 

このまま雰囲気に飲み込まれたら取り返しが付かないと思い、俺は慌ててその場を立ち上がるのだった。

 

付き合って関係が変わったからかもしれないけど……最近の女の子って、本当に積極的だよなぁ。

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