閃の軌跡 〜八葉を継ぐ者〜   作:クラウンドッグ

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セルリアンブルーの

 

唐突ではあるが、ラウラ・S・アルゼイドは決意した。

 

準備は万端。建前も用意済み。どう切り出すか練習もした。

あとはバックンバックン鳴っている鼓動をどうにかして鎮めれば。

 

 

「すー…はー…」

 

 

深呼吸をして落ち着く。ノックをしようとして手を持ち上げる。そのままドアを叩こうとして、空振った。

 

 

「はわっ!?」

 

 

ドアが開いたのだ。あまりの驚きに奇声をあげたラウラを、その部屋の主人──ナギトは「ぷっ」と吹き出した。

 

 

「な、なな…なぜ…?」

 

 

ナギトも退室しようとしていて、偶然ドアを開けたわけでもなさそうだった。ならばどうしてラウラの来訪に気づいたのか…そう問いたかったが、慌てたままでは言葉にならない。

 

 

「いやまあ、部屋の前でそんなにそわそわされたらわかるわ」

 

 

「そ…そうか、そうだな」と理解を示す。考えていたセリフはすべて吹っ飛んでいた。こうなった以上は直球勝負しかないとラウラは意気込んで「ごほん」と咳払い。

 

「…ところでナギト。今日は良い天気だぞ? どうだ、予定がないなら付き合ってはくれぬか?」

 

 

恐るべき話題の変え方だった。わざとらしすぎる。その間にナギトの視線はラウラの全身を舐めるように流し見した。

 

こういう視線が、いやらしいと思う。

この視線は別にラウラを視姦──する意図も少しはあるかもしれないが──しているわけではなく、周りの事情を把握するための観察だ。

きっと今ので、ラウラが隠したかった指の絆創膏も見られてしまった。

 

ナギトは少しだけ考える素振りを見せると、らしくなく柔らかに微笑んで「ああ、付き合うよ」と言った。

 

 

☆★

 

 

8月の自由行動日。すでに制服も半袖シャツになってひと月以上経つと言うのに、体感温度は高まるばかり。

そんな中、ナギトはまんじりともせずベッドに寝転がって天井を眺めていた。

 

 

先月の実習では、いろんな事が起き過ぎた。

マキアスによるナギトの危うさへの追求──もう目を逸らす事のできない問題だ。

オリヴァルトから聞いたナギトがトールズに入学できた理由。

《C》が語る《剣鬼》の正体。

 

希望と絶望がごちゃ混ぜになって感情のバロメーターは最大値と最小値を行ったり来たり。思考は常に渦を巻いてナギトを捕らえて離さない。

何の束縛もないはずなのに、雁字搦めの感覚だ。

 

 

「なんか、疲れたな………」

 

 

呟いて、口を動かした感触で空虚だった現実感に色がついた。

思い立つ。せっかくの自由行動日だ、有意義に使わねば。

 

半ば義務感で起きあがろうとして、部屋の外に何者かの気配を感じた。ラウラだ。ナギトは何も考えずにドアを開いてラウラを出迎える事にした。

 

ドアを開く。そうしたらラウラの拳が空振りした。どうやらノックをしようとしていたらしい。奇跡的なタイミングでドアを開いてしまったようだった。

 

「はわっ!?」とらしくない驚き方にナギトも思わず笑ってしまう。それからラウラは急に話題を変えて「付き合ってはくれぬか?」と尋ねてきた。

 

そこでナギトはラウラが手に持つバスケットと、指に巻かれた絆創膏を見つけた。察するに、料理を作ったから味見を頼むという所だろう。

 

 

「ああ、付き合うよ」

 

 

リィンから毎度の如く頼まれる旧校舎の探索までは暇だし、昼食を馳走してくれるというなら否やはない。

ナギトは準備を手早く済ませると、ラウラと共に街道に出た。周囲の魔獣を掃討していたら丁度昼飯時になる。適当な場所に座るとラウラは持ってきていたバスケットを開けた。中身は弁当がはいっていた。

どうやらいつぞや言っていた女子力云々という問題に対して“料理をする”という回答をラウラは出したそうだ。

 

「いただきます」と言って、頬を赤らめたラウラから弁当を受け取って食べ始めた。

 

 

「ど…どうだ……?」

 

 

もぐもぐぱくぱくと平らげて、不安げに眉根を寄せるラウラに笑顔を見せる。

 

 

「美味しいよ。…さては隠し味に愛情を込めたな?」

 

 

「ふふ。愛情は隠し味ではなく料理の基本だとシャロンさんは言っていた」

 

 

ナギトにつられるように、ではないがラウラも微笑んで冗談に付き合った。

 

 

「基本にして極意。料理において愛情とはそういうものらしい」

 

 

「基本にして極意、か……、ふ。剣にも通じそうな教えだな?」

 

 

「やはりそなたもそう思うか?何事も基本が大事という事だな」

 

 

ラウラはナギトの言葉に食いつく。そして己なりの納得を見つけたようだった。そして「動くな」と言ったかと思うと、ラウラの手はナギトに伸びてきた。

その手はナギトの頬にくっついた米粒を掴むと自らの口に運んだ。

 

 

ひょい、ぱく…ってやつですねこれ。

 

 

「んんっ」

 

ほんの少しだけ“ひょい、ぱくやってくれねーかな”なんて考えがあって米粒つけてたのもわざとだったが、まさか本当にやってくれるとは思わなかった。胸キュンがやばい。

しかし瞬時に7割方取り繕うと、ラウラから目を逸らして言う。

 

 

「あのね?ラウラ。さっきみたいな事はあんまりやっちゃいけないよ?」

 

 

じゃないと“あれ?ひょっとして脈アリ?”とかなってしまう可能性がある。

リィンとか、リィンとか。主にリィンとか。

 

ラウラはそんな風にうろたえるナギトに、さして照れもせずに言った。

 

 

「私とて誰にでもするわけではないぞ。そなただからしたのだ」

 

 

 

「………………ヴェッ!?」

 

 

取り繕った7割の平静が瞬時に消し飛んだ。

 

 

「ど、どうしたナギト?」

 

 

「いや、え?え?ちょ、まって。まってまってまって」

 

 

え、なに?ひょっとして脈アリなの?

 

あれ、どう言う意味か尋ねるのは野暮なのかこれ。いったいどうしちゃったんだラウラ。ナギトの心を揺さぶる試し事でもしているのか。

 

ナギトは立ち上がると、大仰に深呼吸をしてみせる。ようやく少し落ち着いたところで、先ほどと同じようにラウラの隣に座った。

 

 

沈黙が木霊する。

一陣の風が吹く。

沈黙の気まずさは風が吹き飛ばしていた。

 

 

遠くの空を見つめるラウラの瞳は、出会った頃と変わらない輝きを湛えている。

“変わらない美しさ”とでも形容しようか。人は変わる。それはラウラも然りだ。しかし、ラウラは目標に向かって進んでいる。

その変化は……目標に向かってただ進む強さは、出会った頃と変わっていない。

 

ナギトにとってラウラが眩しく見えるのは、きっとそれが理由だ。ラウラがいつまでも正道を歩む剣士だから、ナギトはそこに惹かれているのだ。

 

 

自問してみる。ナギトにその強さはあるだろうか?

ただリィンに付いてトールズに入学しただけ。

目標もないし、将来の明確なビジョンもない。

そもそも、記憶のない己に目標を定めろというのが間違いなんだ、と日々自分を騙す毎日だけが続いている。

そんなやつが、果たして“強い”と言えるだろうか。

 

 

「……私たちがトールズに入学してから、もう半年近くも経つのか」

 

ラウラは空から視線を離さずに、突然語りかけてきた。ナギトもまた、一瞬だけラウラを見たがすぐ空に視線を戻す。

 

 

「そうだな。もう半年…か。早いもんだな」

 

 

学院での授業。特別実習。その他もろもろ、キツい事はあったし、今だって辛い事はある。

でも楽しいのだ。浮かれているのだ。リィンと一緒に入学できて、Ⅶ組のみんなと出会って。明日に不安なんて抱かずに眠って、起きたらまた楽しい日々が始まると信じられる。

 

だから、誤魔化せていた問題がある。

ナギトの…ナギトの過去の物語から目を逸らせていた。

しかし、トールズに入学し、特別実習を経て様々な記憶が甦りつつある。

──《剣鬼》であった過去が、思い出された。

 

 

だが───、わからなくなった。

ナギトは過去に《剣鬼》と呼ばれた剣士であった。

───そこまでは、いい。受け入れられていた。

 

 

問題はその先だ。

《剣鬼》の犯した罪───隣国カルバードにおける大量殺人。しかもそのすべてが政治屋だった事から、国政を乱した罪まで加算されている。この事からカルバード共和国は近隣諸国に《剣鬼》を指命手配している。

 

そんな男を、トールズ士官学院は入学させた。オリヴァルト曰く“監視目的”らしいが、果たしてそんな人物を教育機関に入れていいものか。共和国に売り渡した方がよっぽど良いはずだ。

そして《帝国解放戦線》の《C》の言葉───《剣鬼》の正体は誰も知らず、しかして同志《R》こそが《剣鬼》なのだと。

──確かに、国の政治を乱す目的が《剣鬼》にあるのなら《帝国解放戦線》のメンバーである事は不自然ではないかもしれない。

ならば、ナギトの記憶はどうだ? 過去の記憶で自分は《剣鬼》と呼ばれていた。しかし、強者感を演出するために、あえて否定しなかった説もある…….自分ならやりかねないと思ったのだ。

 

そうして、自分が《剣鬼》という殺人者であるか否か───そんな疑問に囚われている。

 

 

「この半年の間……友人としてナギトを見てきて───正直、私では敵わないと思ったよ」

 

 

「───え?」

 

 

 

ラウラの言葉に、反応が遅れた。いや正しく反応すらできていない。それがあまりにも予想外だったからだ。

ラウラが語るのは単に戦闘力の話ではない。だからこそ、その賞賛はありえないのだ。

 

 

「そなたは強い。…少し悲しくなるほどにな」

 

 

ラウラは言葉通りに悲しげな表情のまま──困ったように笑った。

 

 

「先月の実習でマキアスが言った通り、ナギト…そなたは記憶喪失というどうしようもない不安の中にあってなお、我らⅦ組の面々を援けてくれている。……それは紛れもない“強さ”だ。 対する私は先月までフィーとの事でうじうじと悩んだままだった。───ほら、敵わないというのも納得できるであろ?」

 

 

その顔のまま、ラウラはナギトに視線を向けた。空はいやになるほど晴れていて、ラウラの琥珀色の瞳がやけに輝いて見えた。

 

 

「いいや。それは違うよ」

 

 

ナギトは一瞬だけラウラを目を合わせて、逃げるように視線を外した。

 

 

「俺は…自分の問題から逃げてヘラヘラしてただけ。…いや、ヘラヘラしてるフリをしてただけ。マキアスとユーシスの喧嘩の仲裁なんかをしたのも、自分の問題から目を逸らすためにした事だよ」

 

 

ナギトからラウラに初めて送られる、弱音。

いつもヘラヘラしていて、兄貴然としていて、頼り甲斐のある男はそこにはおらず。

身の丈に合わない荷物を背負わされた、等身大の人間の姿がそこにはあった。

 

そんなナギトにラウラはかける言葉を見つけられない。思わず逃げ出したくなるほどの闇を見た気がした。

 

ぱしん、と乾いた音がした。

見ると、ラウラは自分の頬に手を打ち付けている。

突然の行動に絶句したナギトを、ラウラの琥珀色の視線が貫いた。

 

 

「何を言うかと思えば、そんな事はそなたの弱さの証明にはならぬ。事実、そなたのおかげでユーシスやマキアス、私やフィーはたすけられたのだからな」

 

 

ラウラは立ち上がるとナギトの前に仁王立ちした。そして何とも勝手な理屈をぶつける。

 

 

「だからそなたは強い。…弱さを見せぬ強さ、強さを張り通す強さがそなたにはある。私はそう思う」

 

 

「だからそれは──」

 

 

「口を挟むでない!そなたにとってどうかなど知らぬ。私にとってナギト・シュバルツァーは、目標になるほど強い人物なのだ」

 

 

暴論だ。しかも、ナギトにとって弱ったのは、それがナギト好みの暴論であるから。

 

 

「ゆえにそなた……私の憧れる人物を貶すことは、いくら本人であっても許さぬ」

 

 

そんなトドメのセリフに、ナギトは天を仰いで大笑した。とんでもない暴論。現実に幻想を押し付ける暴挙。理想に理想足りえろと叫ぶ若人。

 

空は晴れていて、太陽は眩しくて。でも今はそれ以上にラウラが───

 

 

ひとしきり笑ったナギトはラウラに視線を合わせた。どちらともなく沈黙が続く。たっぷり3呼吸ほど見つめ合ってから、「しかし」と声をあげたのはラウラだった。

 

 

「そなたがただの人である事もわかっているつもりだ。…特に先月の実習が終わってからというものは、わかりやすく悩んでいたな」

 

 

ナギトは苦笑いする。取り繕っていたつもりが見破られていたとは。

 

「…そんなにわかりやすかった?」

 

 

「うむ、そうだな……前までは狙ってスベっていたが、最近は素でスベっていた感じだ」

 

 

「めっちゃ言うやん」

 

 

狼狽えたナギトだったが、あくまで例え話として受け取る。素でスベっていたなんてキツすぎる。

そんな様子のナギトを可笑そうにくすくすとラウラは笑って。それから真剣な表情に戻った。

 

 

 

「先月の実習でマキアスはそなたを“化け物”と呼んだ。しかしそれは誤りだ。そなたはⅦ組の誰よりも善良な人間らしい感性をしている」

 

 

それこそリィンやユーシスやマキアスや──Ⅶ組の総意で反対されそうな言葉だったが、ナギトに否定する気はない。

 

 

「俺はⅦ組の誰よりも普通の善良な一般人の感性を持つし、誰よりも異常で異質な考え方をする冷めた奴だ」

 

 

普通で異常。その2つは本来両立しない。しかし、ナギトに限ってそんな事はありえなかった。

あるいは、そんな矛盾を孕む事実こそが霊長の証であると開き直る事も──今はできない。

 

 

「……いつもながら、回りくどい言い方をする」

 

 

そんなナギトをラウラは嘆息した。それはまるで子をあやす母を思わせる微笑みと共に。

「悩みを言ってみるといい」と慈愛に満ちた瞳で、ラウラは真っ直ぐにナギトに問いかける。

 

 

 

「……………俺は、自分が怖いんだ」

 

 

ほんの少しの空白があって、それからナギトは語り始めた。

 

 

「俺が──過去の俺が、命を軽んじていたのが、わかったから」

 

 

そう思うようになったきっかけは、ケルディックでの実習の後だ。最終日のレポートを仕上げている途中に気づいた。

ナギトは領邦軍の連中に対して当然のように“殺す”という選択肢を考えていた。

いや、むしろその選択肢しか考えていなかった。

その時の事を思い出してみて、ナギトはなぜ“殺す”という選択肢を採用しようと思ったのか。

それはただ“その後が面倒ではなくなる”からだった。あの場における俺のベストアンサーが“殺す”という選択肢だった。───そういう風に、思考回路がまわっていた。

 

理由なんてただのそれだけで、命の重さなんてまるで考えていなかった。

それはまさしく殺人が癖になった者の思考だ。物事の解決法として“殺害”という選択肢を安易に選んでしまう、殺人鬼の性。

 

 

そんなナギトの話をラウラは黙って聞き続けた。

疑問だって多いだろうに、一言も口を挟まずに。

 

 

ナギトが自らを“弱い”と言った理由がこれだ。これを友人に聞かせて、拒絶されるのが恐ろしかった。

怯えた目で見られるのが。笑顔を向けてくれないのが。もう、話もできないのが。──“怖い”。だから話せない。

 

 

しかし、ナギトが最も恐れているのはそれではない。

 

 

 

「でも、それはまだいい。“敵を殺す”…その意識は、士官学生である以上、避けては通らない問題──というのは話を美化したな」

 

自嘲する。自嘲して、自嘲して、思考と言葉を再開する。

 

 

でも、これだけはいけない。

 

「一番……」

 

それだけは、絶対に。

 

「怖いのは……」

 

仲間に。

 

「記憶が戻った俺が……」

 

友達に。

 

「……俺の、大切な人たちに」

 

家族に。

 

「───剣を向ける事が、怖い」

 

 

 

ナギトの過去が《剣鬼》か否かはさておき、命の簒奪者で合った事は想像に難くない。

そんな人物がどうして、彼ら彼女らに凶刃を突き立てないと思えよう。

本気で仲間を、友達を、家族を想うなら、ナギトはすぐにでもトリスタを去るべきだった。いつ記憶が戻って殺人鬼に変貌するかわからないのに。

 

だけどそうできないのだ。

ここで生まれた絆を、友情を、愛情を、捨て去るなんて、そんな勇気を持つ事がナギトにはできなかったから。

 

 

“ありえない”と断言できれば、どれだけ楽になれた事か。

だけどそれは無理な話だ。ナギトは己を信じる事ができない。記憶を失って、トールズでふらふらして。問題から目を背けて、決断を先延ばしにして。

こんな弱い人間に、いったい何を期待できるのだろう。

 

 

 

 

「───私から見たナギト・シュバルツァーを語ろう」

 

 

視線を落としたナギトにかけられたのは、そんな言葉。

ナギトの語ったそれを肯定するでもなく否定するでもなく、ラウラはナギトに背を向けた。

 

 

 

「興味を持ったのは、そなたが八葉一刀流の使い手だと知った時だった。ケルディックでの実習では凄まじい実力を見せつけられ───そのあまりのまばゆさに、魅せられてしまったのだろうな…私は」

 

一呼吸の間があった。

ナギトは視線を上げる。ラウラの後ろ姿に、すでに陽が沈みかけている事を知った。

 

 

「そなたの実力は、同年代にありえぬそれだった。だから私の目は眩み────そなた…ナギト・シュバルツァーではなく、そなたの剣技だけしか見えていなかったのだ」

 

ラウラは振り返った。その姿は逆光に包まれて、はっきりしたのは輪郭だけだ。

 

 

「それがなければ、そなたの悩みにももっと早く気づけたかもしれぬ。我が不明を許されよ」

 

 

毅然とした言葉に、ナギトは二の句を継げない。「いや…」と言いかけて、ラウラが発言する方が早い。

 

 

「私がそなたを、ナギト・シュバルツァーを“観た”のは先月の帝都地下が初めてだった。攫われたアルフィン殿下とエリゼ嬢を救わんと疾駆するそなたからは身震いする程の鬼気が放たれていてな……それに当てられて私はナギトという人物をこれまで見ていなかった事に気づいた」

 

 

「先陣を切ってテロリストと対峙してくれた時、正直どれほど心強かった事か」とラウラは続けた。

 

 

「そして、記憶を振り返って見て私はナギト・シュバルツァーが好きだと気づいた。私だけではない。リィンやエリオット、アリサやフィー、ユーシスにマキアス、エマ、ガイウス…サラ教官も、きっとそなたの事を好いているはずだ」

 

 

ラウラが近づいてきた。逆光でぼやけた造形が明らかになるにつれて、頬に赤みが差している事を、ナギトは気づけない。

 

 

「そんな私が断言しよう。半年間、そなたと級友をやってきた私が」

 

 

さらに、距離が狭まる。ラウラの両手がナギトの頬を持ち上げた。

 

 

「そなたが私たちに剣を向けるだと? ───そんな事はありえぬ。絶対にな」

 

 

顔が近い。息がかかる距離だ。ナギトは気恥ずかしくなって目を逸らす。

 

 

「…わからんだろ。記憶が戻ったらどうなるかなんて───」

 

 

「私の目を見て言え」

 

 

琥珀色の輝きは、ナギトを射抜いていた。

その色に貫かれたナギトは、嘘を問いただされる子供のような気分になった。

そして、ようやく己の気持ちがかたちになった。

 

 

「斬れる……わけねぇよなあ……」

 

 

涙が溢れた。記憶が甦る。かつてのそれではなく、記憶を失い、目覚めて、リィンと共にトールズに入学して、みんなと出会って、幸せに過ごした日々を。思い出した。

 

 

「俺が……ラウラを、Ⅶ組のみんなを…斬れる、わけねえんだよな……、はは、なんでこんな…簡単な事がわかんねえんだよ、俺」

 

 

昔がどうとか、そんな事は関係なかったのだ。大切なのは現在(いま)だ。

例え記憶が戻ったとしても、Ⅶ組のみんなと過ごした時間は嘘にはならない。思い出はちゃんと息づいてる。

 

 

───笑いあったあいつらを。

────背中を預けたあいつを。

─────こんなにも愛しいこの娘を。

 

 

 

「───殺すなんて、ありえない」

 

 

 

言い切ったナギトに、ラウラは得意げに「ふっ」と笑んだ。

 

 

「そうだろう。まったく、こんな事もわからぬとは、そなたもまだまだ修行が足りぬな」

 

 

ラウラの冗談のような言葉に「はは」と笑う。

しかし、ラウラの手はまだナギトの頬を持ち上げたままだ。

ナギトとしてはそろそろ離してくれないと息が臭いとか言われないか不安なところなのだが。

 

 

「──それにしても、情けない顔をしているぞナギト。 どれ、私がきついのを一発お見舞いしよう。それで気付けとすると良い」

 

 

ナギトがぼろぼろと溢した涙はラウラの手をも濡らしていた。なんとも無様な姿を見せたようだ。

 

 

「目を瞑れ」

 

 

ラウラは右手をナギトから離して振り上げる。左手はそのまま顔をホールド。

大剣を振り回すラウラの膂力から放たれるビンタに戦々恐々としながらもナギトは指示通りに目を瞑った。

 

 

そして。一拍の間があり。

 

 

☆★

 

 

この男はひょっとして、とんでもないニブチンではないかとラウラは思った。

あんなにストレートに“好き”だと伝えたのに、「目を瞑れ」と言われてビンタを喰らうと身構えている。

いや、微妙に誤魔化した自分も悪いとは思うのだが、それにしても、これはない。

 

他人の事にはよく気づくのに、自分の事となったら途端に頭が悪くなるのだろうか。少し本気で心配になる。

 

 

 

しかし、あまり目を閉じさせたまま待たせるのも悪いから。

 

 

ラウラはごくりと生唾を飲んで、覚悟を固め──

 

ナギトに唇を重ね───

 

 

 

こんな恥ずかしい事できるかあっ!

 

 

 

───唇を重ねない。覚悟は固まってなどいなかった。

内心で絶叫して、代替案を考える。

 

必死に考えるために手を口に当てたのが功を奏したのか、ラウラに天啓が舞い降りた。

 

 

ラウラは指の腹を、ナギトの唇にあてがった。

 

 

 

☆★

 

一拍の間があり。

 

────柔らかいものが、唇と重なった。

 

 

ナギトは驚愕と理解を一瞬で得ると、その時間が終わるまで目を瞑ったままにする事にした。

 

 

きっと5秒にも満たないキス。しかし刹那にも永遠にも感じられて。

口惜しくも、唇に当てられていた柔らかい感触は去っていった。

 

ゆっくりと目を開けると、紅潮したラウラがいる。その姿はとても可愛らしい少女でしかない。なんだか妙に右手を見つめているが。

 

 

「──確かに。きついの一発いただいた」

 

 

ニヤリと、笑えただろうか。

 

 

「ふっ、それで良い。───そなたはすでに《聖女》に代わり、我が目標となったのだ。いつまでもうじうじされては私が困るからな」

 

 

極めて穏やかに、ラウラは衝撃的な事を言った。ナギトは思わず「え!?」と聞き返す。

 

 

「そなたは私の目標だ、ナギト。───いつか必ず、そなたの隣に立ってみせる。いつの日かきっとその背中を預かる実力を身につけよう。 ゆえにナギト……いつまでも、剣の道と共にあれ」

 

 

「ああ」と静かに、力強く答えてみせた。

 

 

それからナギトは思い立ったかのように立ち上がると、ラウラから距離をとって太刀を抜いた。

 

 

「──やるか、ラウラ! 今日は天気が良い…どうか付き合ってくれよ!」

 

 

「ふっ──、よかろう。この良き日にそなたと立ち合える事、誇りに思うぞ!」

 

 

 

斯くして、剣士2人の影は踊る。

言葉を交わすように刃を交わす。

互いに裸の心を交換するような斬り合いは。

 

 

陽が落ちるまで続くのだった。

 

 

☆★

 

 

「それで、本日のデートはいかがでしたか?」

 

 

寮での夕食後、皿洗いを手伝っている最中にシャロンが不意に聞いてきた。

 

 

「うぇ!?ど、どどどうしてそれををを?」

 

 

しどろもどろ、どころではない慌てぶり。そのわざとらしさからリィンなら嘘と思うだろうが、ナギトとしては本気の反応だった。

なにせ、今日起こった事はナギトのキャパシティを遥かにオーバーしていたからだ。

 

 

「ふふふ……いえ、ナギト様の部屋でラウラ様とお話しするのを聞いてしまって」

 

 

ラウラによると、昼食の弁当はシャロンに手伝ってもらって作ったらしい。その後ナギトの部屋に向かった事を考えると、シャロンの“聞いてしまって”が確信犯だと思われる。

 

 

「……ちなみに、どこから?」

 

 

シャロンは困ったように「どこからと申されましても…」と眉根を寄せた。

 

 

「はわっ!?…のところからでございます」

 

 

「最初じゃん!それめっちゃ最初じゃん!」

 

 

渾身の真似だった。完コピと言って差し支えないモノマネだった。相変わらずとんでもないメイドである。

 

 

「はあ」と一息ついて、

 

 

「弁当食べて、話をして、手合わせをしました」

 

 

起こった事実を端的に語る。

 

 

「あら、それだけですか?」

 

ニコニコと笑んだまま探りを入れてくるシャロン。全然そんな事はないのだが、ナギトは浮気を問い詰められる夫の気持ちを理解した気になる。

“全部わかってるんだからね”みたいな雰囲気がシャロンからは溢れていた。

 

というかシャロンなら街道での一幕を記録していたとしても不思議ではないとすら思えた。

 

 

「それだけです」

 

 

しかし詳細を語るのはない。短く答えて、手の水気をタオルで拭う。

さっと立ち去りたかったが、シャロンはまた気になる事を言う。

 

 

「それなら、私の気の使い過ぎでしたでしょうか」

 

 

“困ったわ”と言う有閑マダムのように小首を傾げて、シャロンは続けた。

 

 

「いえ、リィン様に、ナギト様は本日ラウラ様とデートに行かれましたのでどうかご連絡なさらぬよう申したのですが……」

 

 

「まじファインプレーです、ありがとうございました!」

 

 

リィンから旧校舎探索の通信がないから不思議には思っていた。しかし裏にそんな事情があったとは思わなかったが。

あんな状況で通信音が鳴れば雰囲気ぶち壊しだから、シャロンの活躍は著しいものだ。

 

 

「それで……本当はどこまで行ったんでしょう? A?…それとも……?」

 

 

本当に街道まで着いてきたんじゃなかろうか、この人。ナギトは自分の顔が引き攣っているのを自覚した。

 

 

「勘弁してくださぁい!」

 

 

そして、そんな敗北宣言をして自室に駆け戻るのだった。

 

 

☆★

 

 

部屋にはすでにクロウが戻っていた。

クロウ・アームブラスト──トールズ士官学生の2年生で、ナギトらⅦ組の先輩だった人物だが。

 

 

 

「おう、おかえり」

 

 

先輩だった──と過去形なのは、今現在クロウがⅦ組に所属しているからだ。

単位がどうとかという話で、一時的にⅦ組に編入する事になったのだ。

ちなみにクロウと同時にミリアム・オライオン──ノルドで出会った《白兎(ホワイトラビット)》もⅦ組に編入したが、それについては問題ではなく。

 

 

クロウはナギトの姿を認めると気さくに腕を上げて迎え入れた。

 

クロウが、ナギトの自室で“おかえり”なんぞと言う理由は。

単純に、第三学生寮の部屋数が足りず、ナギトが「アンタ今日からクロウと同室ね」なんて指示されたからに他ならない。

 

 

「あー……どした?やけに疲れた顔してるが」

 

 

クロウはナギトの憔悴っぷりを見てとったのか、苦笑しつつも心配の声をかけた。

ナギトはシャロンのスーパーメイドっぷりを言って聞かせようかと思いもしたが、そうすると連鎖的にラウラとの話も聞かせる事になるのでぐっと我慢した。

 

クロウには話したくなる魅力があるが、同時に彼の口が軽い事も知っている。

“クロウに知られた翌日には学生全員には知られてると思え”がクロウと同室になった時に肝に銘じた教えだ。

 

 

「なんでもない」と言ってベッドにダイブ。

 

 

良い夢が見られそうな気がした。

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