紺碧の海都オルディス───人口約40万人を擁する帝国第二の都市であり四大名門筆頭カイエン公爵家の本拠地。大陸西部沿岸部に位置するこの都市は良港としても知られており、オルディス港は帝国はもちろん大陸でも最大規模の貨物取扱量を誇る。
そのオルディスの港湾区には当然のように船乗りのための施設が並び、ナギトらがいる船員酒場ミランダもそのひとつである。
「ところでアンタたち、気づいてる?」
カレイジャスから降りたB班一行はカイエン公爵家城館で荷物を下ろすと、実習課題を受け取ってこの船員酒場で遅めのランチをしていた。
サラの言葉にB班の面々は顔を見合わせてから頷いた。
「監視がいますね」
窓の外の人影に視線をやる。目が合った気がしたが、お互いに気づかないふりだ。
「これまでの特別実習で俺たちは貴族派の目論見を挫く事が何度かあった」
ユーシスの語るそれ、ナギトとして明確に数えられるのは2回──ケルディックの盗難騒ぎとバリアハートでのマキアスの逮捕。その裏でナギトが随行していないもう一方の班も革新派貴族派の対立絡みでゴタゴタに巻き込まれたという話だ。
「それを考えるとカイエン公が我らを警戒するのも当然だ」
「警戒するからには対策もするだろう。それがつまり、この状況というわけだな」
「ええ、それが“監視”───、城館に私たちを招いたのも、その一環でしょう」
「監視されると大胆に動き難いよね。───そう思わせてボク達の行動を抑制するのが目的かな?」
ラウラ、ガイウス、エマ、ミリアムも続けて同意し、サラはドリンク(珍しく酒ではない)を煽ったあと口元を拭って言った。
「そこまでわかってるなら合格点をやれるわね。なかなか成長したじゃない」
B班一行が“カイエン公爵家から監視を付けられている”と気づくのも織り込み済み。カイエン公もなかなかの食わせ者のようだ。
それから昼食を終えて一行は実習課題に取り組む事にした。会計を済ませて船員酒場を出る面子の中にサラの姿はない。オルディス内で独自に動くと言って先に出て行ってしまったのだ。
船員酒場を出たナギトらの前を人混みが行き交う。さすがは帝国第二の都市と言うべき人口密度。あまりの人の多さに嫌気がさす。
「ふう」とため息をついたナギトの前を横切る2人の姿。フードを目深に被り、体格を隠すローブを羽織っている。ちらりと見えたその横顔は───
「……ナギト、聞いているのか?」
今後の予定について話し合っていたB班の面々だったが、ナギトの注意が別に向けられている事に気づいて名前を呼んだ。
話しかけてきたユーシスに「ちょい待て」と制し、ローブの人物たちの行先を目で追う。
ローブの人物たちは人目を避けるように港湾区の隅にある扉に入って行った。
「……あの者らがどうかしたのか?」
ナギトの視線の先にいたローブの人物を同じく視線で追ったラウラは、ナギトの注意がどうしてそこまで注がれているのかを問う。
「気のせいならいいんだが……たぶん、2人のうち1人は《帝国解放戦線》の《S》だ」
邂逅したのは帝都地下の一度だけだが、あのエキゾチックな眼帯女は忘れられるわけがない。
「もう1人は見えなかったが…体格的に《V》以外の幹部じゃないかな」
つまりは《G》、《R》、《C》の誰かだとナギトは言う。
「なに…? やつら、ガレリア要塞に続いてオルディスでも何かするつもりか?」
先月の特別実習では、ナギトは参加できなかったガレリア要塞の見学だが、その際にクロスベルで行われている通商会議を狙ってガレリア要塞を《帝国解放戦線》が襲撃する事件があった。
Ⅶ組の活躍もあり、要塞に設置されてある列車砲の発射は食い止められたが。
「少し待って下さい。妙じゃありませんか?彼らの目的はオズボーン宰相の命のはずです。帝都から離れたこのオルディスで戦線はいったい何を狙うというんですか?」
エマの指摘は尤もであった。《帝国解放戦線》の目的は“度し難き独裁者に鉄槌を下す”事。その標的たるギリアス・オズボーンのいない海都で何を目的としているのか。
「ふむ……彼らがこの地を襲う合理的な理由は無さそうだが……」
エマに続いてガイウスも話の決着を“ナギトの気のせい”に持っていくつもりのようだったが、ミリアムは「んー?」と唸ると、
「むしろ逆なんじゃないかなー」
「逆だと?それはいったい──」
ミリアムのその発言の意味をユーシスが問う前に、ナギトは柏手を打ち、B班の面々の視線を集める。
「ここでうだうだ言っててもしょうがねえだろ。奴らの目的がオルディスを害する事でも、あるいはその逆でも……、とりあえず追うか追わねえか、さっさと決めよう」
若干の棘を感じさせるナギトの言葉に面々は視線を交わして「追おう」と口を合わせて言った。
2人の姿が消えた扉の前に立つ。鉄製の扉は施錠されていた。一般に公開してある施設ではないようだ。
「鍵がかかっているが……」
「どいてガイウス。ボクとガーちゃんで──」
「やめろ馬鹿者。騒ぎを起こす気か!」
施錠の確認をしたガイウスに、ミリアムが力ずくで扉を突破しようとする。勿論そういうわけにはいかないのでユーシスが諌める。
「エマ、リィンから聞いたんだけどピッキングができるんだって? バリアハートでやったみたいにここでもできない?」
そこでナギトはエマに話を向ける。バリアハートでの実習の際、逮捕されたナギトとマキアスを助けるために残されたA班一行は街の地下水道を通ったと聞くが、その地下水道の入口を解錠したのがエマだったらしい。
その時の言い訳──“本で読んだピッキングの技術”を信じているわけではないが、エマには施錠された扉を開く術があるとナギトは踏んでいた。
「……やってみますが、できなくても文句は受け付けませんからね!」
エマに裏がある事を知った上でのナギトの発言に、ぷりぷりと怒るエマだったが鍵穴を覗き込んでチョチョイとしているうちにガチャリと音が鳴った。
ヒュウ、と口笛を吹いて「さすがエマ」と芝居がかったように言うナギトに、エマは本気で腹を立てかけたが、そも暗示をかけた自分に落ち度があると怒りを引っ込めて「上手くいきました」と告げた。
解錠された扉を潜って進むと、そこにはオルディスの地下水路が広がっていた。
「多少、魔獣の気配はあるが……」
「それに、かすかに戦闘音も聞こえるな……」
ラウラとガイウスが敏感に状況を感じ取り、警戒は全員に伝播した。
「我々は《帝国解放戦線》幹部と思しき人物を追跡中だ、音には注意が必要となる。各自、警戒を怠るな…!」
そして、ユーシスの号令で進む事になった。幸いにも先に進む《S》──スカーレットともう1人が魔獣を倒しているのか、B班一行が得物を抜く機会はない。
先に行く2人に気取られないように慎重に進み過ぎたためか、一行はスカーレットらに追いつかず出口に到達してしまう。
「……見失ったか」
「途中に脇道もあったし…ここが本筋っぽいけど」
出口の扉を見つめて言うユーシスにナギトは自信なさげに言葉を紡ぐ。きっとスカーレットらはこの扉の向こうに行ったはずだ。
「ここが出口か……ふむ、この風は……」
「方角や歩数から考えると……」
扉を遠目に、その先に何があるのか思案するガイウスとエマ。その時、扉がゆっくりと開かれていく。
「下がれ、下がれ下がれ下がれ」
声は静かに、焦りを滲ませたナギトはB班一行を下がらせる。途中で見た脇道に急いで駆け込んで、扉から出てきた人物を見やった。
白を基調とした制服は先月にも見たもの。
「ラマール州の領邦軍だと…!?」
ユーシスの驚愕は相当なものだった。戦線幹部の消えたと思しき扉から領邦軍兵士が現れた意味、可能性について思索が働いてしまう。
「これは…どういう事だ…!」
それはラウラも同じだ。理解してしまった可能性が、2人を激憤に駆り立てる。
「待て待て、まだそうと決まったわけじゃない。落ち着け」
現れた領邦軍兵士は2人。腕に覚えがあるようには見えないから制圧しようとすれば可能だろう。
しかし、顔を見られるのは避けたい。特に今回の実習ではカイエン公爵家城館を拠点とするのだ、領主の闇の顔を知っていると看破されれば、本当に命に関わる。
そもそもこの地下水道に入った時点で、監視には悪い印象を抱かせているだろうが、まだイエローカードのはず。
「とりあえずあの兵士2人をやり過ごしたら地上に戻ろう。それでいいか」
問いかけというより確認のていのナギトの言葉にB班のメンバーは同意する。それを見たナギトがため息をついて、張り詰めていた雰囲気は僅かながら弛緩した。
「……いきなりやべーところを見ちゃったな」
わざと砕けた口調で語るナギトに他の面々も緊張を和らげる。
「貴様が追おうなどと言い出したからだな」
「それ言う〜?」
ユーシスの鋭いツッコミにナギトが崩れ落ちて皆の笑いを誘った。乾いた笑いではあったが、それでも笑いは笑い、人の心を活気づけるには必要なものだ。
一段落して、ミリアムが言い出した。
「そういえばさっきの兵士ってさー、なんなのかな?」
「何って、ラマール領邦軍の兵士ではないのか?」
ラウラは返事をしたが、ミリアムは「いやいや、そうじゃなくってさ」と続ける。
「何の目的で、この地下水道に入ったのかなって?」
沈黙が落ちた。その点についてはナギトも考えていたが、答えは絞り切れていない。
「……俺たちには監視がついているという話だったな」
ガイウスが切り出す。
「ならば、その監視の報告を受けた領邦軍がこの地下水道に兵を寄越したのではないか?」
「ありえる話だ」とユーシスが肯定する。次いで視線はナギトとエマに向けられる。
突飛な発想をするナギトと地頭の良いエマの意見が求められているのだ。
「…ガイウスの考える線もありと思うんだよ。でも、だからこそ領邦軍は兵士をここにはやらない気がする」
ナギトの言葉に目を細めたのはユーシス。その意味を吟味している。しかしいつもと違いもったいぶる事なくナギトは続きを話した。
「…俺が見たのが《帝国解放戦線》のメンバーだったとして、やつらが通った扉から領邦軍兵士がやって来たら、それは貴族派と戦線が繋がっている証拠を見せるようなもの。……ガイウス、エマ、方角やら歩いてきた距離であの扉の先に何があるかわかるか?」
「……おそらくはカイエン公爵家城館、あるいはその周辺施設ではないかと」
「俺もエマと同意見だ。この先から感じる風は城館で感じたものと同じだからな」
ナギトの意見を補強するようにエマとガイウスが扉の向こうを推測する。
「貴様の言いたい事はわかった。つまり《帝国解放戦線》のメンバーが公爵家城館に出入りするのに使ったルートを領邦軍兵士も使用すれば、それはやつらの繋がりを示唆する。それを俺たちに目撃させるわけにはいかないから、あの兵士2名は俺たちの捜索に出てきたわけではない、と」
「そゆこと。だからあの兵士2人は巡回とかだと思う。本当に俺たちの捜索に来たのならもっと人数もかけるはずだし。希望的観測ではあるけどね」
ユーシスが解釈したナギトの結論をもってミリアムの質問への返答となる。「なるほどねー」とやはり軽く受け止めたように見えるミリアムだが、問題提起は鋭い。今この場でB班一行が考えるべき問題を提示してくれる。さすがは《鉄血の子供たち》の一角と言うべきか。
「じゃあさ、あの兵士2人の役割が巡回だとして、ここまで巡視する事ってあるかな?」
「普通にあるとは思うけどな、こんな奥まった場所まで見るほど勤勉かな。普段は施錠してある場所だし、一般市民が特に入る理由もないだろう。…水道を狙うテロとかなら侵入もあり得るけども、この部屋…というか広間には水路もないし」
ナギトは可能性アリと診断しつつも、否定的な意見を述べる。
「ま、見られたら見られたでサクッと制圧してその足で荷物を回収、列車に飛び乗ってトリスタに帰ろう」
ナギトらが“カイエン公爵と《帝国解放戦線》の繋がりを知っている”と知られれば、それは一発でレッドカードだ。
監視からの報告で“《帝国解放戦線》のメンバーが公爵家城館に繋がる地下水路に入った所を見られたかもしれない”と思われている状態で実習を続けるのも危ない綱渡りではあるものの。
そんな説明をして特別実習を放棄する案にも一応は賛成してもらった。
「んでだ、ここは有事の際に公爵家の人間が逃げるための経路って解釈でいいのかな?」
ひとまず話が一段落したところで、ナギトはこの地下水路に話題を変えた。
「…そうだな。俺の…アルバレア家の城館にも非常時のために地下水道に降りる事ができるつくりになっている」
答えたのはユーシス。やはり帝国有数の貴族ともなれば非常時の逃走経路くらいは確保しているらしい。そう考えると、もしかしたら帝都ヘイムダルにある皇族が住まうバルフレイム宮も帝都地下のどこかに繋がっていると考えられるかもしれない。
「そーかそーか。で、そんなとこに…なんでこの扉があるのかな?」
ナギトの視線はこの広間の最奥。通路の向かい側にある扉に向けられていた。
そこにあるのはトールズ旧校舎やローエングリン城で見た、あの不可思議な紋様付きの扉だ。
喫緊の話題のせいで後回しにしていたが、ナギトからすれば貴族派と《帝国解放戦線》の繋がりより興味のある代物だ。
皆と共に調査してみるが、うんともすんとも言わない。今はまだ動かないだけか、あるいはすでに役目を終えているか……
そうこうしている内に巡回の兵士が戻ってきて、B班一行の緊張は高まったが、2人分の足音はそのまま城館に繋がる扉の向こうに消えていった。
どっとため息をついたナギトらは2人が戻ってこない事を確認して、元来た道を辿っていく。
やがて港湾区との出入口を通って、エマの
「たぶん大丈夫だと思うけど、実習中はボロを出さないようにしような」
それは一行が《帝国解放戦線》幹部と思しき人物が公爵家城館に繋がる扉に入ったのを見た事実についてだ。
ユーシスを筆頭に全員が頷いた。ラウラの猪突猛進っぷりが心配なナギトは「忘れよう」と言ってエマをチラ見した。エマはその意図を理解して抗議の視線を送るが、ナギトはめげずにウィンクを連打した。
挙動不審なナギトの見る先にエマがいる、とB班一行はエマに視線を集める。それがナギトの思惑とも知らずに。
お膳立てされたエマはため息をついて眼鏡を外した。
「皆さん、私の目を見て下さい────」
暗示、炸裂。
B班一行はそれで“実習が終わるまでここで見た事実”を忘れる事となった。
☆★
実習課題を片付けた頃にはもう夜に差しかかる頃合いだった。夕食を済ませようとオルディスを彷徨っていると、ユーシスのARCUSに連絡が来る。
カイエン公爵家執事からのようで、饗応の準備ができたので城館に戻って来てくれとの事らしい。
公爵家城館に戻ると、執事の案内で広間に通される。そこには豪勢な夕食が準備してあり、上座にはカイエン公が待ち構えていた。
「やあやあ、よく来てくれた。私も執務が終わったのでね、こうして諸君らと食卓を囲みたいと思ったのだよ」
クロワール・ド・カイエン────カイエン公爵家の当主であり、貴族派の首魁とも言える人物だ。
カイエン公は人当たりの良い笑顔を見せると、ナギトらに着席を促した。
「ユーシス君。君の兄君と父君とは良くさせてもらっているよ。これからもよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
カイエン公の視線はユーシスからラウラに移る。
「ラウラ嬢、先月ぶりだね。フフ…結局私はアルゼイド子爵にはフラれてしまってね、どうか君からもよろしく伝えてはくれないか?」
「父は自由な人ゆえ約束はできませぬが……、承知しました」
ナギトへ。
「ナギト・シュバルツァー君。私はシュバルツァー男爵とはあまり縁はないが…どうやら鷹狩りがお上手なようだね?今度ご一緒させてもらえれば嬉しいよ」
「伝えておきましょう」
ガイウスへ。
「ガイウス・ウォーゼル君だね。故郷を離れて学ぼうとする姿勢は実に素晴らしい事だ。かのドライケルス帝が盟友の子孫…会えて光栄だ」
「恐縮です、カイエン公爵」
エマへ。
「君はエマ・ミルスティン嬢だね?辺境の生まれという事だが、そんな環境をものともせず、あの名門トールズを主席入学とは恐れ入る。これからもその調子で励むと良いだろう」
「ありがとうございます、閣下」
ミリアムへ、視線が向く。
「そして───《白兎》ミリアム・オライオン嬢。お噂はかねがね聞かせてもらっているよ、君の兄弟姉妹たちの分と一緒にね。いずれは彼らを交えてオズボーン宰相と話し合いの場を持ちたいと思っているのだが…」
「話し合いなんてよく言うよね。これ以上ないほどオジサンを敵視してるってのにさ」
かけられる言葉を遮るようにしてミリアムが毒を吐いた。ユーシスが「ミリアム…!」と咎めるが、カイエン公はとぼけるようにして続ける。
「敵視…とは穏やかではない表現だね。私を含む四大名門の目的は、オズボーン宰相と同じだと思っていたのだがね。──“帝国の未来をよりよくする”……方向性が違うだけで、目指す所は同じだ。敵視などとんでもない。私は勝手にだが、彼の事を盟友だと思っているよ」
よくもまあつらつらと言葉を紡ぐ事ができるものだ。そんな感想をナギトは抱く。同時にナギトらについて調査が及んでいる事にも驚きを覚える。
「ふぅん?“盟友”ね……各地の貴族派の要衝…例えばオーロックス砦なんかは急速に軍備を拡張してるみたいだけど、そこはどう説明するのさ?」
食事の場はにわかに舌戦の様相を呈していた。ミリアムの幼い風貌からは似つかわしくない視線が放たれ、カイエン公はそれを飄々と受け流す。
「ふむ、オーロックス砦か。かの地の管轄はアルバレア公のため私からは何とも言えないが……かの御仁は生粋の遊び人でもある。遊びだからこそ力も入ろうというもの…今、アルバレア公はそういった火遊びに夢中なだけで…いずれは落ち着くのではないかね?ユーシス君もそう思うだろう?」
繰言ではある。しかしミリアムの挑戦状に見事に答えたカイエン公だ、おそらくあらゆる問題に対する答えは用意してあるものと思われる。そういう風に知恵や口が回らねば、ナギトらが帝都で邂逅したあの怪傑…ギリアス・オズボーンとはとても渡り合っていけないからだ。
ユーシスは短く「はい」と答えた。そう答える以外にないのだ。
カイエン公は満足気に頷くと両手を広げてにこやかに微笑む。
「さ、難しい話は終わりだ。料理が冷める前にいただこうではないか」
その後、公爵家の晩餐にふさわしい豪勢で美味な夕食を終える。席を立とうとするB班一行に「ああそうだ」とカイエン公が声をかけた。
「一応だが言っておこう。今回の実習ではブリオニア島には行かないようにしたまえ。胡乱な連中がたむろしていると専らの噂だ」
「は、胡乱な連中…ですか?」
「うむ。大規模ではないのだが、危険な事には変わらないだろう」
「領邦軍で鎮圧はされないのですか?」
「何度が軍を差し向けてはいるのだが、その度に上手く躱されてしまっていてね。被害も出ていないため大軍を動かす名分もたたないのだよ」
ユーシスとラウラの質問にカイエン公は淀みなく答える。ナギトは思考を働かせるが、今現在ブリオニア島で何が起きているのかは知る由もない。
「わかりました」と告げて割り当てられた男子部屋に移動してレポートに勤しむ事となる。レポートをまとめた頃合いにはすでに夜中になる時刻で、そのまま床につく事になった。
「おいナギト、何をしている」
ベッドに腰掛け、太刀を脇に置いたナギトを見たユーシスが言葉を差し向ける。
「んー、いやあ……今回あんまり役に立ててないんで、寝ずの番でもしようかと」
昼間の実習課題に取り組んでいた際もナギトは足を引っ張ってしまった。この調子だと明日や明後日も同じだろう。ならばせめて、この公爵家城館というアウェーで警戒するくらいはすべきだと思ったナギト。
女子部屋は隣だし、もし刺客が現れても気づく事はできるだろう。そんな意味を込めて言ったのだが。
「馬鹿か貴様は。いや馬鹿だ貴様は」
「辛辣ゥー」
「……やはり傲慢だな貴様は」
ユーシスの言葉にナギトはいつものようにぼやく。“傲慢”なんて言い草はマキアスと同じで、コイツら本当に仲良しだなと内心で呟いてみた。
助けを求めるようにガイウスを見てみるが「ユーシスの言う通りだナギト」と、むしろ反対の構えだ。
「役に立てなかったなど、そんな事を気にする必要はないんだ。俺たちは持ちつ持たれつの協力関係……これまでナギトが助けてきてくれた分の恩返しだと思ってくれればいい」
「とは言ってもほら、ここってカイエン公爵家城館じゃん?やっぱ1人くらいは警戒を──」
「だから、その必要がないと言っているのだ」
警戒をした方がいい。そう続けようとしてユーシスが遮る。
“なんで?”というナギトの目線を受けてユーシスはごほんと咳払いした。
「ここがカイエン公爵家城館だからだ。ナギト…貴様なら俺の言葉の意味する所くらいはわかると思ったのだがな。それとも、こんな事もわからないほどその目は曇ったか?」
ユーシスの挑発じみた問いかけをナギトは吟味しない。その思考はナギトも通過したものだからだ。
「…この城館で問題が起きれば、それはここの館の主人の…カイエン公の責任となる。だから問題は起きるはずがない。そういう事でしょ」
「その通りだ。わかっているなら馬鹿な真似はよして寝る事だ」
「わかってるけどさぁ…それでも万が一って事が……」
相手はカイエン公爵だ。革新派と鎬を削る貴族派の首魁とも言える人物。そんな大人物の膝下どころか掌中で警戒無用というほうが無茶というものだ。
「ないな。万が一など、絶対に」
しかし、ナギトの心配をユーシスは容易く蹴散らした。
「革新派との緊張が高まる今は非常にデリケートな時期だ。そんな中で大した価値を見出されていない俺たちにカイエン公がちょっかいをかけるはずがなかろう。ましてや俺はアルバレア家の、ラウラはアルゼイド家の、ついでに貴様はシュバルツァー家の人間だ。トールズからの客分である俺たちに手を出しては各所からの追及は免れず、最悪の場合は貴族派の内部崩壊に繋がる。……これが、我々が絶対に手を出されないという根拠だが……異論は?」
ユーシスの論にナギトは隙を見つける事は出来なかった。「ありません」と負けを認めて太刀を横に置くとおとなしく寝る事にした。
こうして特別実習1日目は終わりを迎える。
この1日目が平和であったと言える2日目、3日目の実習が目前に控えている予感を残して。