トールズ士官学院祭2日目は当初の予定通りに開催された。
昨夜のひと騒動などなかったかように、周囲には笑顔が溢れている。
人混みをかき分け、雑踏から遠ざかっていく。
「……差し入れでも持ってくか?」
ナギトはそう独りごちた。構堂で出し物の打ち合わせを終えて旧校舎に入ろうとした矢先のことである。
昨日、旧校舎第七層で灰色の騎士人形を発見したⅦ組だったが夜遅かった事もあり、その後の事は教官らに任せて退散していた。
その場にはジョルジュもいたので、彼の性格的に徹夜で灰色の騎士人形について調べていそうだと思ったナギトは旧校舎から踵を返して学院祭の出店で売っている食い物でも差し入れるべきかと考えたのだ。
そうしてパイを売っている出店に並んでいるとリィンと遭遇する。話してみるとどうやら考えは同じだったようで、リィンの奢りでパイを買うと旧校舎へ向かった。
旧校舎第七層には2人分の影があった。1人は言わずもがなジョルジュ。もう1人はクロウだ。
「うーす、お疲れさんでーす」
適当に挨拶してジョルジュに差し入れを渡し、一晩でわかった事について聞いた。
どうやらこの騎士人形はこだわりのある職人の手により製造された可能性が高いらしい。関節部や装飾などにそれらを感じるそうだ。
加えて、騎士人形の胸のあたりに人ひとり入れるような空洞があるとのこと。
「てかクロウ、なんでいんの?」
とりあえずの説明を聞き終えて、クロウに尋ねる。
「ん、まあ俺も気になってたからな」
クロウの言い分はナギトにもわかる。この騎士人形はかっちょいい造形をしているのだ。年頃の男子なら揃って目を輝かせるだろう。
特にリィンなど“魔界皇子”などという衣装を自作するくらいだ、内心ワクワクが止まらないはずだ。
灰色の騎士人形をまじまじと見つめる。ナギトは感動している自分に気づいた。
「まだいるつもりか?」
「もう少しいるわ」
やがて他の3人は第七層を出て行く。ナギトの返事を受け取ったクロウは「出し物に遅れるなよ」と忠告を残して去って行く。
見上げる巨体。この灰色の騎士人形こそが───
「──《灰の騎神》ヴァリマール」
目覚めを待つ灰色の巨体。その脚部に触れた瞬間。
脳内に映像が溢れた。
対峙する灰と蒼。
裂帛の咆哮の後、交わる太刀と双刃剣。
「──っ」
現実に回帰する。
灰色の巨体は動いていない。当然だ、これはまだ動かない。ナギト・シュバルツァーはこれが動く所を見た事がない。
「……今のは………お前の記憶か?」
フラッシュバックように脳内に流れた映像はきっと────
「なにを見たのかしら?」
柔らかい──妖艶な──甘い毒のような声音。太刀の柄に手をかけ、振り返る。
☆★
誰もいない。何もない。
「気のせいか?」
きっとそうだ。直前まで気配はなかったし、昨夜の件で疲れてるし。一応周辺の気配を探ってみるが、何ら異常はない。
腕時計を確認すると、そろそろステージの準備に向かうべき頃合いだ。ナギトは一度だけ騎士人形に振り返ると旧校舎を出た。
構堂に向かっている最中に学院祭のゲストと遭遇した。オリヴァルト、アルフィン、エリゼ、クレアの4人だ。
「おっと、ナギトくんじゃないか」
「殿下。いらっしゃってたんですね」
オリヴァルトはこのトールズ士官学院の理事長だ。学院祭に来るのも当然と言えた。ならばその妹であるアルフィンは……きっと遊びに来ただけだろう。エリゼはアルフィンと懇意にしている事もあり、その付き添い──リィンの顔でも見に来たと解釈できる。クレアは3人の護衛だろう、なんせ皇族2名と貴族の子女だ。
「うむ、なにやら面白そうな催し物があると耳にしてね」
オリヴァルトは暗にⅦ組のミニコンサートを聞きつけてやってきたと言う。しかし、それにしてはやけに神妙な顔つきだった。ナギトは一瞬だけ思考を巡らせる。
「……なるほど」
実のところ、帝国は今揺れている。というのも、8月にクロスベルで開催された西ゼムリア通商会議にてクロスベル市長であるディーター・クロイスがクロスベルの独立を宣言したのだ。
“教団事件”とされるクロスベル全土を巻き込んだ事件に早期対応できなかった事から宗主国であるエレボニア、カルバード両国に詰められた矢先の事であったらしいが……
ひとまずは“属州の戯言”として宗主国ニ国は宣言を受け入れる事などなかった、が。
そんな事もありエレボニア帝国は今、静かに不安が蔓延していた。
しかし、そんな時に皇族であるオリヴァルトが市井のイベントに参加すればどうだ。
「
「うむっ!
例え仮初でも国民は安心を覚える。そういった意味でオリヴァルトが学院祭に来てるのは間違いない。本人に楽しむ気持ちがあるからなお良しだ。
「もうっ、お二人とも…何をニヤニヤしているんですか!」
と、そんな風に腹の探り合いごっこをしていると、そばにいるアルフィンからお叱りの言を受けた。
「ははは、申し訳ない。アルフィン殿下も、どうぞお楽しみください。エリゼもな」
低頭してそれぞれに声をかける。「それでは」と最後にクレアに会釈して、踵を返した所で、思い出した事があって再び向き直る。
「あ、そうだ。両殿下、我々のステージですが、ちょっとした余興がありまして……期待しています」
そうしてやや意味のわからない言葉にオリヴァルトやアルフィンは「?」を浮かべつつも返事をした。
それを聞き届けたナギトは今度こそ構堂へ向かった。
構堂ではすでに他のメンバーが集まっていた。
Ⅰ組の演劇を見てから舞台のセッティング。
その途中にトワとジョルジュ先輩が入室してきた。しかも休学中のアンゼリカを連れての激励だった。
前までと変わらぬ様子のアンゼリカに呆れながらも励まされ、準備は完了した。
「よし、じゃああれやるか」
言い出したのはクロウだった。それはつい昨日もやったⅦ組行動前の号令の事を言っている。
「そうだな、じゃあ───」
とナギトがいつものようにリィンをからかおうと視線を上げると、Ⅶ組全員が自分を見ている事に気づいた。
「うん?え、なにごと?」
「昨日、旧校舎で探索を始める前に言っただろ。明日はナギトだって」
「……言ってたな。あれってそういう意味だったのね。…ではなく!え、俺がやんの?」
「うん」と皆が首肯する。
「待て待て、何で俺が。いつも通りリィンの方が良かないか?それかこのミニコンサートのために頑張ってきたクロウかエリオットとか」
「うーん、頑張ってきたのはナギトも同じだと思うけど」
「そうさ。それに聞いてるぜ、オルディスでの実習じゃお前が号令かけたみてぇじゃねえか」
エリオットとクロウによる追撃。何かもう八方塞がりな気がした。それでも何か役割を回避するために言い訳を考えていると、
「たまにはいいんじゃないか」
とガイウス。
「年貢の納め時だな」
「ああ、僕も君の号令が聞いてみたいと思っていたんだ」
ユーシスとマキアスも続く。
「ナギト、往生際が悪い」
フィーまで。
そんな風に総攻撃を食らって観念したナギトは「噛んでも知らんぞ」と吐き捨てて。
円陣を組む。深呼吸してから、紡ぐべき言葉を紡ぎ始めた。
「このトールズに入学してから半年が経った。俺はリィンがオトしかけた女子の火消しに奔走した」
「おい」
リィンの声が聞こえた気がした。
──たぶん、気がしただけだろう。
「みんなも、それぞれの思い出を築いてきただろう。それはお前の、お前らだけの思い出だ。だが、このミニコンサートのためにかけてきた時間はみんなで共有した思い出だ」
思い返す。およそ1ヶ月程度の練習期間だったが、とても濃密で充実した…青春だった。
「俺たちは昨日、どうして旧校舎の異変を収めた?」
もちろん、旧校舎探索の任を受けていた責任感もあるだろう。
「どうして皆が一丸となってあの強大な影に立ち向かえた?」
それは、皆の気持ちが一致していたからだ。
「今日この日! この学院祭を、ミニコンサートを!やるためだろ!!」
皆の顔を見る。その表情の色は揃っている。きっとナギトも同じだ。
「さあ、ハッピーエンドは目の前だ! 俺たちの唄で!演奏で!!学院祭を締めてやろうぜ!!!行くぞⅦ組!!!!」
☆★
暗い。静か。息遣い。鼓動。
幕があがる。まだ暗い。
マイクを口元に近づける。まだ静か。
そっと息を飲む。息遣い。
暗い講堂で、静かな雰囲気の中、観衆の息遣いすら聞こえるような静寂。鼓動。
鼓動、鼓動、鼓動。──鼓動鼓動鼓動鼓動鼓動鼓動。
一斉に照明が点灯する。それはステージを明るく照らし、白い衣装を纏ったユーシスとマキアスが歌い始める。
インパクトのある初手。それぞれ貴族派と革新派の重鎮を父に持つ彼らの息のあった歌い出しは観客に相応の衝撃を与える。
そこにサビから加わるナギトの声。貴族と平民の確執が取り除かれたⅦ組の姿が体現されていた。
観客の心を掴んだまま一曲目は終わり、二曲目のボーカルであるエマにバトンタッチ。
それも無事大盛況で終わり、Ⅶ組のミニコンサートは終了────かと思いきや。
舞台裏に下がったⅦ組に聞こえてきたのはアンコールだった。実はこれも想定内で、三曲目も用意してあった。
Ⅶ組は再び舞台に上がって演奏を始める。
その曲は昔からある、誰でも知っているような歌、“I swear〜”。
「「I swear …I wanna steer my way 空を巡り行けば Will be there……きっと会えるから 約束の場所へ」」
ナギトとエマをボーカルとした三曲目だが、真の狙いは別にある。
クロウが「さあ、皆さんご一緒に!」と言うと、ナギトの期待通りオリヴァルトがいの一番に歌に参加した。それを見てほかの観衆も唄い始める。三曲目は観客参加型のものを選出していた。
「「「I swear……どんな遠くにいても 巡り行けば きっと奏でられるから 青い歌 I'll be there…… 歩み進む道は 七色の輪 ずっと忘れないように また青い空仰ぐ」」」
Ⅶ組と観衆が唄い終わり今度こそ俺たちの舞台は終了した。
☆★
後夜祭。
Ⅶ組がグラウンドに足を踏み入れるのとほぼ同時に中央に設置されていたキャンプファイヤーが燃え上がった。
それぞれ知人が来ているようで、行動しようとした所で、ナギト、リィン、エリオットがクロウに呼び止められた。
話の内容は今日のステージに関する感謝と労いだった。
やがてエリオットは父親に呼ばれて去り、リィンは少しだけ話すと気恥ずかしくなったのか、皆の元へ走って行く。
その背中を見てナギトとクロウは揃って「は」と息を吐く。その後、顔を見合わせて苦笑した。
「なんだかんだで良かったぜ、俺はお前と同室でよ」
「別れ話みてーだな」
クロウが切り出した話題にいつものようにボケを挟む。やはりいつものようにスルーされたナギトだったが気にも留めない。
だって実際にこれは別れ話なのだから。
通常ならクラスはそのまま持ち上がりで2年生になる。
しかしⅦ組はとことん例外であり、来年度はどうなってしまうかわからない。それにクロウは予定通りなら今月いっぱいでクラスを去ってしまうのだ。
だからこれはルームシェアをしていたナギトとクロウの別離の話だった。
「男の同室なんざうぜーだけかと思ってたが、あんまり悪くなかったぜ」
「だな。満足に自分を慰める事すらできなかったが」
「そりゃこっちのセリフだ」
2人は軽快に言葉を交わす。笑って拳をぶつけ合った。ささやかな友情の確認である。
皆に合流すべく歩き始める。一歩先を行くクロウの背中が、とても儚く感じられて。
「クロウ」
思わず呼び止めた。クロウは何気なしに「ん?」と振り返る。
その顔に、何と声をかければいいかわからなかった。
だけど、なにか、とても、重要な、場面の、気がして。
「どこにも、行くなよ?」
ようやくひり出したのは、それこそ別れ話を告げられる男のようなセリフだった。
その言葉にクロウは何故か目を瞬かせて驚いた後、
その後、クロウと別れたナギトは後夜祭の様子を眺めていた。
後夜祭ではキャンプファイヤーを囲うように男女がゆるりとダンスをしている。溶け合うような視線を交わし、心を交換するように、ゆっくりステップを踏む。
参加しているのは少数だが、そいつらは全校生徒公認のバカップル共である。
ナギトとしてはラウラを誘いたい気持ちもあったが、そんなの自分の想いを周囲にカミングアウトするようなものである。正直気恥ずかしい。
しかし、ラウラには昨日「全部が無事に終わったら俺から告白する」というような事を言ってしまったため、そのうち隙を見てダンスに誘わなければいけないのだが。
なんて、自分に言い訳している内にオリヴァルトとアルフィンが“景気付け”という事で踊り始める。
オリヴァルトの声で、みんなが踊り始める。
グエン・ラインフォルトとシャロン・クルーガー、帝都知事カール・レーグニッツとイリーナ・ラインフォルト会長。サラ・バレスタイン教官とヴィクター・S・アルゼイド子爵。果てにはアンゼリカ・ログナーとジョルジュ・ノームまで。
集結しつつあったⅦ組も、踊りを始めた面々の行動の早さに舌を巻きつつ、また一旦バラける事となる。
オリヴァルトとアルフィンのおかげで、まだ幾分かダンスに誘い易くなりはしたが、それでもまだ覚悟が決まらない。
そんなナギトの元に現れたのはアルフィンだった。エリゼも伴っている。
「あら、ナギトさん。こんなところにいたんですね」
「皇女殿下。後夜祭は楽しんで頂けているようで」
「今夜は無礼講よ。そんなに固苦しくしなくても大丈夫です」
「はは、気遣い、痛み入ります」
変わらぬ態度のナギトに腹を据えかねたのか、アルフィンは少しだけイタズラっぽい顔を覗かせた。
「ナギトさん、もし良かったらなのですけど。私のダンスのお相手をしてはもらえませんか?」
「姫様……」
そのイタズラっぽい顔のアルフィンを諌めるようにエリゼが声を出す。
対するナギトは、この誘いが本気であれからかいであれ、対処に困る。
所詮はいち士官学院の学院祭、後夜祭での事ではあるが、“帝国の至宝”とさえ謳われるアルフィンと踊ったとなれば、明日から少なくとも学院での話題をかっさらってしまう事請け合いだ。
さすがにそれは面倒だし、何よりラウラに勘違いされては参る。
助け舟を求めてエリゼを見てみるが、肩を竦めるだけ。どうやら自分で乗り切るしかなさそうだった。
「アルフィン皇女殿下、お気を使わせたようで申し訳ありません。さすがはあのオリヴァルト殿下の妹君だ、良く人を見ていらっしゃる。 私が想い人がいるにも関わらず踊りに誘えていないのを見かねて発破をかけに来たのでしょう? 殿下にそこまでされては男ナギト・シュバルツァー、腹を括らねば。それでは、アルフィン殿下…ありがとうございました」
一口で、早口で捲し立てるとナギトはアルフィンの前から逃亡した。適当にでっちあげた理由ではあったが、アルフィンなら本当にそうした理由でナギトをダンスに誘ってもおかしくないと感じた。なんせあのオリヴァルト・ライゼ・アルノールの血縁だ。
「……うん?」
ちょっとした違和感。どうして自分はオリヴァルトに対してそこまで信頼を置いているのか。確かに、これまでの短い付き合いでオリヴァルトが信頼に足る人物とは思っている。しかし、それはⅦ組の仲間たちと同程度ではないはずだ。苦楽、寝食を共にしたⅦ組の友たちとは違うはずだ。
ラジオで彼の冒険譚を聞いているから?……そんな訳がない。ただ、その場面を鮮明に想像する事ができて、他のラジオ番組より面白くて、彼を、オリビエ・レンハイムを信頼している。
エステル・ブライトがそうであるように。
「それは俺じゃないのに……」
「ナギト?」
思考の沼からナギトを掬い上げたのはラウラだった。柔らかい声音でナギトの名を呼ぶ。
「ラウラか。どうだ後夜祭、楽しんでるか?」
ナギトは寄せていた眉根を一瞬で元の位置に戻すと笑顔を作り出す。ラウラはそんな様子を訝しんだが、ある意味いつも通りのナギトであり、さして気にするでもなく会話を前に進める。
「うん、見てるだけでもなかなから楽しいものだ。まさか我が父がサラ教官と踊るとは思わなかったが」
「その内教官がラウラの母親になったりしてな──と、さすがにデリカシーがなかったな、悪い」
軽口が弾み過ぎてついいらぬ事まで言うナギトの悪癖が出た。しかしラウラは「構わぬ」と器の大きさを見せる。
「して、そなたはどうだナギト。後夜祭は楽しんでいるか?」
「え、うー、あーっと……はい、いや、いいえ」
「ふっ、どちらだ?」
ラウラの問いにこれ以上なく返答に困ったナギト。ラウラの追撃はすぐだ。こうなっては覚悟を決めるしかない。
せいぜい格好良くダンスに誘ってみるとする。
「楽しむさ、これからな。ラウラもどうだ?」
「ふむ?」
ここまで言えば伝わるかと思っていたナギトだったが、ラウラのニブチンにも困ったものだ。昨日の“ステラガルテン”での約束を忘れてしまったのか。あるいは小悪魔らしさを演出しているのか。
ナギトは紳士らしくお辞儀をして手を差し出した。
「Shall we dance?」
キャンプファイヤーに揺れる影の列に加わる。ダンスの作法は特に知らないが、鳴っている音楽もゆったりしたものでゆっくり揺れているだけで良さそうなのは幸いだった。
ゆっくりと、ゆったりと、ステップを踏む。
手を腰に、視線はずっと交わったままで、雰囲気に揺られて、ゆらり、ゆらり。時間が溶けていくようで。
世界には音楽があり、ナギトとラウラがいて───それだけで完結しているようにさえ感じられる。
ゆっくり、拙く、ステップを踏む。
たまに足を踏みそうになって、慌てて避けるとそれでバランスを崩したりして──、とても、楽しい時間。
音楽も佳境に入る。
ナギトとラウラはダンスを中断して、両手を重ねてただ見つめ合う。
「ラウラ」
今はその音の並びさえ愛おしい。
「なんだ、ナギト」
そう名前を呼ばれるだけで嬉しい。
この関係を、これからも続けていくために。2人で前に進んでいくために、言葉を紡ぐ。
「俺さ、お前のこと好きなんだ」
そこまで言うと、世界を沸騰させていた熱が一気に引いていく。まさしく熱に浮かされた気分だったが、冷水をかけられたようだ。
側から見ても告白真っ最中だよな、なんて思考が一瞬で思考を駆け抜けていく。
最後は“勢い”とか、“熱に浮かされて”とかじゃなくてちゃんと俺の心で言えって事かよ女神様。ナギトはらしくなく女神の存在を肯定し──。
「ああ、それは昨日聞いたばかりだ」
ラウラはナギトの言葉を待っているようだった。しかして急かすわけでもなく、ナギトが昨日の誓い“俺の方から言わせて欲しい”という我儘を。
「だから──────」
不意に、音楽が途切れた。
グラウンドから、後夜祭から去る者がいた。
オリヴァルト、アルフィンを始めとするそうそうたる顔ぶれが、揃って尋常ではない雰囲気のまま去って行くのだ。
クレアも、オーラフ・クレイグも、カールやイリーナ、ヴィクターや、ルーファスですら例外ではなく、険しい表情を見せる。
いい所で邪魔されたナギトだったが、どうやらそんな場合ではない雰囲気を悟り、Ⅶ組メンバーで集合する。アンゼリカやジョルジュも一緒だ。
オリヴァルトを筆頭とする有名人が去ったその場から学院長ヴァンダイクが数名を引き連れて現れた。ヴァンダイクは短く学院祭の終了を宣言すると、信じられない事を口にした。
「先程、帝国政府より正式な通達がありました。帝国東部国境にある《ガレリア要塞》が壊滅……いや、原因不明の異変により“消滅”したそうです」
日常の崩壊の足音はすぐそこまで迫っていた。
☆★
ガレリア要塞と言えば、帝国東部国境を守る要塞だ。クロスベルを挟んだ隣国カルバード共和国を牽制するための列車砲がある事でも有名だ。
そのガレリア要塞はつい先日もテロリストに狙われた事から警戒を強めていたはずだが、そんな要塞が壊滅した。
「いや、消滅か……」
ヴァンダイクは確かにそう言っていた。“消滅”とは何なのか。いや、ナギトはそれを知っている。ガレリア要塞を消滅せしめた存在を。
「──神機アイオーン」
どうして知っているのかはわからない。しかしナギトはこの段に至って認めた。己に《剣鬼》以外の
そして、神機アイオーンを含むクロスベルの問題は自らが関知しなくても良いと。
クロウと「おやすみ」と言い合って布団に潜る。
時刻が0:00を回ったその時、ナギトに思い出された記憶があった。
☆★
「なにを見たのかしら?」
柔らかい──妖艶な──甘い毒のような声音。太刀の柄に手をかけ、振り返る。
「はい、動かない」
周囲に魔剣が展開されている時点で──否、先手を取られた時点で負けていた。
記憶を見ていたナギトはそれほど無防備だっただろうか、こんなに容易く背後を取られてしまうとは。
制圧を諦めたナギトはゆるりとした動作で得物を手放すとそのまま両手を上げて白旗アピールだ。
「…お久しぶりですね、ヴィータ・クロチルダさん」
「あら、この格好なのにわかっちゃうのね」
そこにいたのはヴィータ・クロチルダ。ただ、私服なのか変装なのか帝都歌劇場で見たドレスではなくパンツスタイルだ。美女は何を着せても似合うのだからずるい。
「そんな仰々しい杖を持ってたらそりゃね。この剣も魔力やらで編んだ作り物──殺傷力高そうなのが冗談きついですけど」
ヴィータは蒼い石を核とする杖を装備していた。きっと彼女の得物なのだろう。ナギトは周囲に浮く魔剣をコツンと指で弾いた。その様子に今度はヴィータがくすりと笑んで、
「さすがの洞察力ね。まだ本調子じゃないというのが信じられないわね……ナギトくん」
「お褒めに預かりどーも」と軽く返事をしてヴィータの続く言葉を待つ。わざわざこんな場所に潜り込んで接触してくるくらいだ。何らかの用があるに違いない。
「さて、じゃあ本題だけど……少しだけ、君の手助けをしてあげようかと思ってるの」
「手助け…?」
「そう、手助け。なにやらエマに言い寄られて困ってるみたいじゃない?」
ヴィータの言い方にナギトは「はっ」と笑った。
「それは確かですがね。…内容が物騒なもんで」
昨夜、第七層を攻略中にエマから持ちかけられた話は“ナギトが《灰の騎神》の起動者になったらエマと協力する”というものだ。
そして昨夜は攻略後即解散だったため問い詰められる事はなかったものの、学院祭が終われば詰問される事は目に見えていた。なんせ出し物の打ち合わせをしている時からちょくちょく目が合うのだ。
「妹が苦労をかけるみたいね。だからこれは姉としての尻拭い……少なくとも1ヶ月、エマからナギトくん…君に騎神について話が振られる事はないわ」
「ほう」とナギトは眉を上げる。ヴィータの言い草から察するに、きっとあれだ。
「お得意の暗示ってやつですか?」
「ええ、便利なものよ。もう先にエマに接触して暗示をかけてきたからこれは事後報告なのだけど」
「なんとまあ」ナギトは嘆息する。仕事が早いなんて所の話ではない。
「つーかエマにも暗示って効くんですね」
「あの子、まだ未熟者だから」
ヴィータの回答はシンプルなものだった。
“姉の捜索”なんて目的を掲げていたエマがちょっぴり可哀想に思うナギトだった。
「で、その代わりに俺に何をさせようってんです?」
そんな思考を切り捨ててナギトは真面目な己を取り戻す。
ヴィータはナギトに取引をしに来たはずなのだ。エマという面倒事を先延ばしにしてやったのだから、〇〇をどうしろ、というような指示が来るはずだ。相手は蛇の使徒、油断などはあってはならず───
「何も求めないわ」
──だから本当に怪訝に思う。その答えに。
その態度を表情に出す事でヴィータから続きを引き出す。
「だってあなた……私の事が嫌いでしょう?」
ヴィータの言いたい事はわかった。ナギトはヴィータの事が嫌いだから、その言い分に従うわけがないと思っているのだ。
「いや、そんな事はありませんが。むしろ美女なんで大好きです」
「嘘よ。だってあなたの目には温度がないんだもの」
「なに?」とヴィータの導いた答えに眉を顰めた。
「あなたにある好悪は上っ面……そうね、愛着はあっても愛情がないと言うべきかしら。──この世界に対して」
それは────それは、決して聞き捨てならない言葉だった。
「ふざけるなっ! 愛がないだと……俺が、俺たちが、どんな願いで────!!」
かん、とヴィータの杖が床を打った。その音でナギトの沸点を超えていたはずの感情は一気に落ち着く。
ナギトはどうしてあんな挑発でいきなり自分がキレてしまったのか検討もつかず、感情の揺れ幅に驚くばかり。
ヴィータがもう一度杖で床を打ち鳴らすと、今度はナギトの周囲に展開してあった魔剣が消え去る。
「とりあえず、私からはそれだけよナギトくん」
ヴィータは1ヶ月だけナギトから“エマからの詰問”という問題を取り上げただけ、それを伝えに来ただけだった。
「そうですか」とナギトは受け取り、ヴィータは踵を返そうとしたが、その足で振り返りナギトに言った。
「その様子で大丈夫?……今の出来事を今日の間だけ忘れる事もできるんだけど、する?」
エマへの暗示が何らかの意図によるものだとしたら、今回のこれは気遣いだ。
ナギトはこれから学院祭のステージ。この心境のままでは十全なパフォーマンスなど望むべくもない。
「俺に暗示は効かないって話じゃありませんでしたか」
「本来ならね。でも本人の同意があれば別。こういう魔術は本人の同意の有無で効き目がかなり変わってくるのよ」
しかしと考えたナギトの杞憂はヴィータの説明で氷解する。
「……お願いします」
こうしてナギトは翌日0時───今この時まで、この記憶を忘れる事になったのだった。