七曜歴1204年10月30日
その一発の銃声が、帝国の運命を変えた。
その事を、俺は誰より知っているはずなのに。
忘れてしまっている。
覚えていなきゃいけないのに、忘れてしまっている。
☆★
「クロウ、もう起きて準備しろよ」
学院へ出発する時刻になってもクロウはベッドから起き上がらない。ナギトは制服のボタンを留めてため息をつく。
「ん〜、どうせ今日は鉄血の演説ってんで自習だろ。そんな日くらいはゆっくりさせろってんだ」
クロウはまだ枕に頭を埋めたままだ。ここまでだらしないクロウは久しぶりだ。
しかし鉄血──《鉄血宰相》の演説があるとは初耳だ。
「《鉄血宰相》はお嫌いか?」
ナギトの言葉にクロウはパチっと目を開けると上半身を起こした。
「さあな。俺は貴族派でも革新派でもねえからな。お前はどうなんだよ?」
「俺もお前と同じだよ」
ナギトとしては《鉄血宰相》ギリアス・オズボーンに対して好悪の感情はない。“好きの対義語は無関心”とはこの事だろうか。大した人物だとは思うが、それだけだ。
ナギトの答えにクロウの目が細められる。まだ眠いのか。
「単位落としても知らんぞ」
そんな風に話を切り上げてナギトは寮の自室を出る。学院に着いたのはHRが始まる直前だった。
☆★
学院祭から数日───帝国はこれまでにない緊張感に包まれていた。
ガレリア要塞が巨大な球状にくり抜かれた報道写真は、あの列車砲の威容を知る国民たちを戦慄させるに充分過ぎるものだった。
噂に過ぎないがクロスベルに進行した機甲師団がその都度呆気なく撃退された、などという話もあった。また、これこそ眉唾が過ぎるというものだが、クロスベルが帝国の宿敵であるカルバード共和国と組み、ガレリア要塞という防壁を失った帝国を侵略してくるのでは、という噂もまことしやかに囁かれていた。
「あると思うか、ナギト?」
HRギリギリに教室に到着したナギトだったが、担任教官であるサラは未だ来ず、Ⅶ組メンバーは円になって話し込んでいた。
話題は現在の帝国を取り巻く情勢についてだ。
「いやあ、ないと思うけどなあ……」
ナギトからリィンに問いかけられたのは帝国に蔓延している噂──カルバードとクロスベルが手を組んで帝国を侵略するという想像についてだ。
否定的なナギトの意見にユーシスが「なぜだ」と問う。
「西ゼムリア通商会議でクロスベルが提唱したのは“独立”……カルバードの力を借りてちゃ傀儡政権になるだろうよ」
また「ふむ」と考え込むⅦ組メンバー。そこは大前提なのだ。それでも人間、悪い想像はやめられないものだ。
と、そこでようやくサラが現れて、今日の授業が中止になる事を伝えた。
そして、今日の正午から帝都のドライケルス広場にてオズボーン宰相による声明が出される、という事も。クロウが言っていたのはこの事だと思い至る。
ひとまず、各教室でラジオを流す事になったので気になるようなら正午までに教室に来ておけ、とのこと。
クロウはまだ来ない。
暇になったⅦ組はそれぞれ別行動を取る事になった。ナギトはフェンシング部に顔を出す事にした。
「お、パトリックじゃん。おつかれ〜」
「む、ナギトか。珍しいな、最近顔を出してなかったのに」
「学院祭の準備とかあったし。一応フリーデル先輩には言っといたけど」
などと会話しながら部室に入る。部室ではフリーデルとロギンスが試合をしていた。フリーデルはロギンスを吹き飛ばすと、
「あら、来たのね2人とも。やる?」
「パトリックと約束してたんで!」
すぐに剣を合わせたがるフリーデルを前にナギトはパトリックと肩を組む。もちろんそんな約束はないが、パトリックもフリーデルの餌食になるのは嫌なようで、すぐに呼応した。
実は、8月中にナギトは一度フリーデルに勝利している。あの時は感覚を失う前で絶好調だったための勝利(それでも辛勝だったが)だ。
その月の特別実習で大怪我を負って、復帰後は絶不調。多少復調したが、それ以降はずっと敗北続きだ。“鬼気解放”を使えばあるいは──と思うが、部室でそんな殺傷力の高いモードを使うのもどうかと思うので自重しているナギトである。
パトリックとの試合が始まる。
先手を打ったパトリックの刺突をヘッドスリップで躱す。次撃の振り下ろしを半身になって避け、反撃の横薙ぎ。
「くっ!」
パトリックは苦悶の声を漏らしつつもガード。攻撃から防御への転身がパトリックは上達していた。
「おっと、今ので決まると思ってたんだが」
「ふっ、君の想像通りに動くほど、このパトリック・ハイアームズは安っぽくないという事だ!」
強めた語尾と共に強撃を放つ。勢いに押されて後退したナギトにさらに追撃するパトリック。
「は、成長したのはお前だけじゃないぜ!」
迫る横一文字を力強くかち上げてパトリックの体勢を崩す。しかしこれだけでは攻撃→防御の切り替えが上達したパトリックの致命的な隙にはならない。ナギトも剣を振り切った体勢だ、ゆえにそこから放てる蹴りでパトリックの腹部を打った。
「うぐ」と息を漏らし、たたらを踏むパトリック。そこに、
「疾風──!」
ナギトは脚力を爆発させて模造剣でパトリックの腹を痛烈に打ち据えた。ナギトの勝利である。
膝をついたパトリックだったが数秒後には立ち上がり、ナギトと向き合う。どうやら直前に闘気でガードしていたらしく、ダメージは少ないようだ。
「ふぅ、まだ君には勝てないか」
「でもまあなかなか上達したんちゃう?」
「………“今は”勝てないだけだ。だが、今に見ていろ。僕は君なんてあっという間に抜き去ってみせる!」
ナギトの賞賛とも言えぬフォローに、パトリックは調子を崩されつつも、さらなる飛躍を宣言した。
「ああうん、がんばってね」
「何でそんな他人事みたいに!?」
それを心地良く思いつつも顔には出さず、ナギトはあえてつれない態度を取る。それにパトリックがツッコミを入れて──、これがこの2人の距離感だった。
その後、まだ部室に留まるらしい先輩方に挨拶をしてナギトとパトリックはフェンシング部から退場した。
当て所もなく学院の敷地内を歩く。
「……これから帝国はどうなるんだろうな」
四大名門の一角を占めるハイアームズ侯爵家の子息として思う所があるのか、パトリックはいやに深刻そうな顔で問いかけてきた。
「どうだろうなぁ……。帝国の武力はクロスベルやカルバードを圧倒しているとは思うが、クロスベルにはガレリア要塞を消滅させた超常の兵器があるからな」
「ああ、もし戦争になったらこの学院はどうなると思う?」
「安全策をとって無期限の休学……が濃厚だと思う。さすがに学徒動員するほど人手不足じゃあるまいしな」
それは当然の帰結だった。如何に帝都近郊とは言え、このトリスタの町に戦火が降り注がないとも限らない。
ナギトの答えを受け取って「そうだな」とパトリックも同意する。しかし、その瞳には再び闘志が宿った。
「だが、僕は君との勝負は諦めないぞ。君が僕に負けたと言うその時まで、僕たちはライバルだ!」
やはりパトリックの決意はナギトにとって心地良い。こんな真っ直ぐな精神はとても好ましい。
だから、そんな気持ちは素直に伝えてやらない。
「うわぁお、すごい理論持ち出してきたな。じゃあ俺たちは死ぬまでライバルだな」
「くっ、慢心は身を滅ぼすぞ」
「実体験かな?」
軽快に会話する2人。先程までの沈鬱な雰囲気は消え去っていた。くだらない言い争いに付き合えば敗色濃厚なパトリックは「口の減らないやつめ」と打ち切る。
「だがまあ、了解だ。お前が俺をライバルと呼んでくれる限り、俺もお前をライバルと呼ぼう」
そしてナギトはパトリックの言葉を受け入れた。ここでシリアスなのもやめ時だと定めたナギトはいつもの調子に戻る。
「っかー!名言キタねこれ。“ライバル”以外にも使える汎用性の高そうな名台詞ですよコイツぁ」
「仲間、などと寒い事を言い出すのではないだろうな?」
「お前、時々俺に対して酷いよね」
どうやらパトリックもナギトの扱いを熟知してきたらしい。
やがて校門まで来た2人はそこで別れる事にした。パトリックは正午の演説まで寮で休むつもりらしい。
ナギトも読みかけの本を寮で読む事にして、第三学生寮の自室に戻る。さすがにもうクロウの姿もなく出発したのだと思われる。ナギトはベッドで寝転がりながら“カーネリア”を読み始めた。
☆★
ナギトが“カーネリア”を全巻読み終えた頃にはすでに時刻は11:30を回っていた。適当に支度して学院の教室に向かうと、同じようにⅦ組のメンバーは揃いつつあった。
クロウはまだ来ない。
正午になり、ラジオの声が現場アナウンサーに変わると告げる。教室ではラジオを中心に円になっており、ただならぬ緊張感に息を呑む者もいた。
「はい、こちら帝都ヘイムダル。ドライケルス広場のミスティです」
「────あ?」
ラジオから聞こえたアナウンサーの声に、聞き覚えがある。つい先日も、生で聞いた声だ。
しかし、ナギトとは違う意味で反応するのが数名。
「おおっ、ミスティさんか」
「ああ、アーベントタイムの」
「うーん、相変わらず良い声だねぇ」
マキアス、アリサ、エリオット。どうやらアナウンサーのミスティとやらは“アーベントタイム”というラジオ番組の出演者らしく、クラスメイトの間でも何度か話されていた内容だったらしい。
しかしそれにナギト以上に驚愕を示したのはエマ。
エマは慌てて、この声の主を知っているのかと皆に問い質した。マキアスは、アーベントタイムというラジオ番組のパーソナリティを務めている人だと言い、エリオットは、その容姿とたまにトリスタで見かける事を説明した。
「は、ははは………やられたなエマ。俺もお前も…馬鹿にされてんぜ、こりゃあよ」
レグラムでグリアノス越しに会話した時も、学院祭2日目旧校舎で会った時も、世俗からは隔絶した雰囲気だったから。
「お前らも、ファンと名乗ってながら気づかないか、マキアスにエリオットよ。お前らは帝都の特別実習でもこのミスティさんに会ってるぜ」
「なに、それは───」
「え、どういうこと?」
マキアスとエリオットに言いつつもナギトの胸中は“やられた”の四文字だけだ。
「ヴィータ・クロチルダ───帝都が誇る《蒼の歌姫》様だよ」
「ええ!?」と驚愕するマキアスとエリオットに、「知ってたのか!?」と別ベクトルで驚くリィン。そんなリィンにファンたる2人が詰め寄るが、リィンは「演説が始まるから」と宥める。
「ああ、ミスティって響きが似てると思ったけどミルスティンから取ってんのかな」
そこにナギトが更なる爆弾をぶっこんだが、ファンたちは宰相の演説と比較して後者を選んでようでラジオに聞き入る体勢をとった。
「帝都市民、並びに帝国の全国民の皆さん──ご機嫌よう。エレボニア帝国政府代表、ギリアス・オズボーンである」
ゴクリと、無意識のうちに喉を鳴らす。
警戒しろ、と本能が訴えかけてくる。
この男に飲まれるな、と。
「──諸君も、ここ数日の信じがたい凶報はご存知かと思う。れっきとした帝国の属州であるクロスベルが“独立”などという愚にも付かない宣言を行い……あろうことか帝国が預けていた資産を凍結したのである! 当然──我々はそれを正すために行動した。それは侵略ではない。“宗主国”としての権利であり義務ですらあるといえよう。
──しかし“彼ら”は余りに信じがたい暴挙に出た! 《ガレリア要塞》──帝国の誇る鉄壁の守りを、謎の大量破壊兵器をもって攻撃……これを“消滅”せしめたのである!」
ラジオ越しですら迫力は満点だ。間の取り方も完璧だ。これが国家の頂点に立つ為政者の持つべきカリスマだと思い知らされる。
もしナギトも帝都で生でオズボーンの演説を聞けば他の聴衆と同じ反応をしていたかもしれない、そう思わせるだけのものがあった。
「諸君──果たしてそのような“悪意”を許していいのか!? 偉大なる帝国の誇りと栄光を、傷付けさせたままでいいのか!?」
そしてその内容も、誇り高き帝国民の心を揺さぶって余りある。
「否───断じて否!鉄と血を贖ってでも正義は執行されなくてはならない!」
わあああ!とラジオから聴衆の声が聞こえてきた。
オズボーンを《鉄血宰相》と言わしめる決意と覚悟が示された事でより一層盛り上がっている。本拠地である帝都とは言え、民衆の支持は熱狂的過ぎた。
しかし、この教室ではそんな支持を得られようはずもなく。
ユーシスは「やはり、予想通りの方向に持っていくつもりのようだな」と言い──、そこでARCUSを手にどこかに通信しようとしていたミリアムに、サラ教官がつっこむ。
ミリアムは「やっぱ繋がんないや」と言ってARCUSをしまう。何の話かと聞くと。
「ボクが引き受けてた1番重要“だった”任務のお話」
“だった”──それは過去形。しかし、それを今、通信でどこかに伝えようとした事は──
「ん〜、もうちょっと早く気付けばなぁ。
でもまあ、クレアもレクターも、オジサンの読みすら上回ってたし」
“クレア”──クレア・リーヴェルト。
鉄道憲兵隊の大尉にして《氷の乙女》の異名をとる導力演算機並みの処理能力を持つ女。
“レクター”──レクター・アランドール。
情報局特務大尉であり、事交渉なら負け知らずの《かかし男》。ノルドで勃発しかけた帝国と共和国の戦争はこの男によって回避されたと言える。
そして“オジサン”──ミリアムがそう呼ぶのは、たった1人。ギリアス・オズボーンのみ。
クレア・リーヴェルト
レクター・アランドール
ギリアス・オズボーン
この3人を出し抜ける人物が、いたのだ。
それは─────
「──今回ばかりはクロウの勝ちでも仕方ないよね」
───────────────あ。
帝都地下、ガレリア要塞、ザクセン鉄鉱山、1番重要“だった”任務、同時期の編入、『運命を変えろ』の声──
《C》──
カチリ、何かが嵌まる音がした。
もう、クロウは来ない。
「そういうことね。ミリアム、あんたの目的の1つは《C》の調査だったってわけね」
ミリアムの言葉で理解したサラが、それをⅦ組のメンバーに伝えていく。
ナギトにとっては、その声が遠い。
クロウ。クロウ・アームブラスト。《C》。
そうだ、あいつが《C》だったんだ。《帝国解放戦線》のリーダー。幾度もⅦ組と対峙し、死んだはずの男。
その全てが、きっとここに至るための布石だった。今日この日───ギリアス・オズボーンを暗殺するための。
ナギトは、気づかなきゃいけなかった。誰より近くクロウのそばにいたのに。誰より長くクロウと一緒にいたのに。何より強くクロウを救わねばと願っていたのに。
「これは、紛う事なき『国難』である!」
そんなナギトを現実に引き戻したのはラジオから聞こえるオズボーンの声だった。
「そして『国難』を前にあらゆる対立は乗り越えられるべきものであろう。『革新派』に『貴族派』──俗に言われるそのような名前のなんと空々しい事か! 既に皇帝陛下からも心強いお言葉を頂いている──。このギリアス・オズボーン、帝国政府代表として、陛下の許しを頂き、今ここに宣言させていただこう」
やはり、この演説による目的はクロスベル独立という『国難』を乗り越えるために、という名目のもとで正規軍と領邦軍を合併し貴族派の勢力を削ぐ事。
「正規軍、領邦軍を問わず帝国内すべての“力”を結集し……クロスベルの悪を正し、東からの脅威に備えんことを──」
───「言わせるかよ」────
そう、聞こえた気がした。
次いで、銃声。
オズボーンの呟くような声が漏れて、倒れる音が聞こえた。
ギリアス・オズボーンは撃たれたのだ、《
観衆の騒ぐ声だけがラジオから聞こえたかと思うと──、ミスティの慌てながらも状況を伝えようとする意思が見られて──
途端に、ミスティの声が変貌する。
帝都のホテルで会った時の声に。グリアノス越しに会話した時の声に。旧校舎で話した時の声に。ヴィータ・クロチルダの声に。
「──と言っても音だけだと、ロクにわからないでしょうね。なら、士官学院の皆さんには学院祭で愉しませてくれた“お礼”をしちゃおうかしら?」
鳥肌がたった。このラジオ越しにでも伝わるような、肌が粟立つような感覚は、まさしく“魔女”に対して感じるそれだ。
「響け 響け とこしえに──」
それは、まさしく響いていた。《蒼の歌姫》と呼ばれるに値する美声。学院祭で歌ったナギトとはそれこそ次元が違う。
「夜のしじまを破り── すべてのものを 美しき世界へ──」
ラジオの上、黒板に映写されるようにして、その窓は開いた。エマが絶叫する。
「《蒼の深淵》の秘術──『
それは、その術の名だ。しかし、そんな事を気にしている場面ではなかった。
なにせ、その映像はこれまでにない急展開を描いていたのだから。
銀色の飛行艦から降下した機械仕掛けの騎士──《機甲兵》とも呼ばれる有人人型の兵器によって、あのアハツェンを擁する機甲師団が為す術もなく破れていく様を。帝都が占領される瞬間を。
仮面を割られた《C》の正体がクロウである事を。
そのクロウがクレア大尉に銃を突きつけられた状態で蒼い騎士人形に乗って帝都から去る様子を。
それはまさしく、このエレボニア帝国で内戦が勃発した事を如実に示す現実だった。
唐突に唄は止み、同時に映像も終わる。
サラはナイトハルトからの通信に応え、Ⅶ組の面々に「絶対に学院から出るな」と釘を刺した上で正門へ──おそらくは帝都近郊であるこのトリスタを陥しに来るであろう『貴族派』──《機甲兵》の対処へ向かった。
確かに帝都を押さえたのなら、その近郊も押さえるのは戦略として定石だ。加えてこのトリスタにはトールズ士官学院があり、そこには各方面の重要人物の子息が在籍している。彼らの身柄を押さえれば事を有利に運べるのだから、ある意味でトリスタは帝国で内戦を起こす上で重要な拠点とも言えた。
サラたちの背中を見送った後、しばらくしてリィンが新たに声を上げた。
「俺たちの力がどこまで通用するか判らないが──みんな、せめて助太刀くらいさせてもらわないか……!」
それには皆が賛成の意を示す。
しかしナギトだけは苦渋の表情だった。どうすればいいかわからない。
ここから先、絶望が待ち受けている確信があるから。例え再会できるとしても、それは各人の心に深い傷を残すだろうから。
しかしナギトは同時に同室だったクロウの正体に気づけなかった己の無能にも嫌気が差しており、皆と迎合する答えを出した。
「無茶だ無謀だ──と言った所でお前らは止まらないんだろうな。だから、俺も行く。つっても、教官たちからしたら足手まといになるだけだろうし………クロウの──《C》の性格からして、東にも兵を伏せてるだろうし、俺たちはそいつらを叩こう」
「ナギト……ああ、行こう!」
学院正門で、Ⅶ組を制止するトワとジョルジュをなんとか説得してトリスタの町に出る。
トリスタの西口が見える位置まで来て、教官たちと《機甲兵》の戦いを見て、絶句した。
その場にいたのはサラ、ナイトハルト、トマス、マカロフ、ベアトリクス、ヴァンダイクの6人だ。
一分隊にさえ達せぬ人数にしかし、西門は守られている。すでに装甲車数台が中破ないしは小破させられていた。
伝説の元軍人2名に、最年少A級遊撃士、第四機甲師団の若きエースに高位アーツを連発する中年2人が相手ではさもありなん。
事実、敵領邦軍兵士は「もう無理です!」なんて言い出す始末だ。
だが、そこにあの帝都を占領した《機甲兵》がやってくる。
その数5機……されどその装甲は厚く対アーツ防御も兼ね備えている。
しかし、それでも教官たちは怯まずに《機甲兵》に向かっていく。
が、さすがに分が悪い。相手に余力があるのに対して教官たちには決め手がない。
そこで満を持して現れたのは我らが第三学生寮の管理人にしてスーパーメイド、シャロン・クルーガーだった。
「ここは私にお任せを。サラ様たちの突破口、必ずや開いて見せましょう」
教官らに助太刀しようとしていたⅦ組に恭しく礼をすると、その頭上を易々と飛び越えて行く。
シャロンは舞うように戦場を飛び跳ねると、鋼糸で《機甲兵》を縛りあげた。
おそらくこれで西側の戦力差は拮抗した。ならば次は東口だ。周到な《C》の事だから東側にも兵を伏せているはず。しかし伏兵は兵を伏せてなければ意味がないため、おそらく数はあまりいないとナギトは踏んでいた。
ガイウスとフィーが東口から気配を感じたようで、Ⅶ組総員で急行した。
トリスタ東口に接近してきている機甲兵は2機。
内一機はスカーレットが駆る隊長機シュピーゲルだ。
「あらあら、まさか《剣鬼》まで出張って来るなんて。2機がかりじゃ大人気ないと言ってる場合じゃないかしら」
トリスタ東口に陣取るⅦ組を前にスカーレットはそう言い放つ。どうやら生身の人間が相手だからと言って手加減するつもりはないらしい。
「先頭の機甲兵は任せる。俺は《S》の方を相手にするが……まあ、早くやってくれたらうれしいかなー、なんて」
いつものように冗談めかして言うナギトに厳しい視線が集まるが、きっとⅦ組全員がそれを最善手と信じた。
「わかった。 ──状況開始。Ⅶ組、全戦力を持ってトリスタ東口の防衛を開始する!」
リィンの号令にみんなが「応」と答えるのを背中で聞きながら、ナギトはスカーレットの機甲兵の前に立った。
「さあ、踊ろうぜ《S》……存分に!」
「せいぜい愉しませてちょうだい!」
最新の騎士を前にナギトは吼えた。
「──鬼気解放!」
溢れ出す闘気はしかし、機甲兵を前には頼りない規模。だからこそ己を鼓舞する。心はホットに、頭はクールに。
振り下ろされた巨剣──機甲兵用のブレードをステップで避け、闘気を太刀に集約する。瞬間二撃。
「緋空十字斬!」
十字を象る斬撃はブレードを振るった機甲兵の手首にヒットしたが、その剣を取りこぼす事すらなかった。
「ちいっ!」
次なるブレードの横撃を避けながら舌打ち。ブレードに着地して機甲兵の腕を駆け上がった。狙うは機甲兵の顔面部──おそらくそこに何らかのセンサーがあるとナギトは踏んでいた。
「龍炎撃!」
それは強かに機甲兵の顔を打ち据える。
しかし。
「鬱陶しいわね!」
スカーレットの駆るシュピーゲルには何の痛痒もないようだった。乱雑にナギトを振り払ったスカーレットは「悪いわね」と言った。
「“リアクティブアーマー”──操縦者の意思で展開できる防御結界のようなものね。一定以下の攻撃を完全に無効化するわ」
「はっ、チートかよ」
どうやら並の攻撃では機甲兵シュピーゲルを傷つける事すらできないらしい。さすがに完全無効化は話を盛ったはずだが、確かに防御力が見た目以上に高いのは理解できた。
ならば、より攻撃力の高い攻撃をすれば良い。スカーレットがその隙を見逃すとは思えないが、リィンたちがもう一機の機甲兵ドラッケン(こちらにはリアクティブアーマーはなさそうだ)を倒してこちらに合流するまでに、シュピーゲルのアーマーが如何程か探っておく必要性があると感じたナギト。
「ったく、ハードモードだな」
愚痴るようにして、太刀にいつも以上に闘気を押し込みつつ守勢に回る事を決意した。
シュピーゲルのブレードを避ける、躱す。必要最小限の動きで、それを続ける。
幸いにして機甲兵の動きは人のそれと比べて鈍重だ。きちんと初期動作を見ていれば避ける事は難しくなかった。気をつけねばならないのは、それと並行して太刀に闘気を注ぎ続ける作業を行なっている事だ。
こちらは風船に空気を入れ続けるようなもので、いつ破裂するかわからない。よもやゼムリアストーン製の武器が壊れるとは思わないが、ナギトの太刀に闘気を押し込む速度と太刀の闘気を抑え込む技術の釣り合いが取れなくなった途端、闘気そのものが質量となってあらぬ方向に放たれる事になるだろう。
それが敵に向かえば良いのだが、味方に向かえば即死の可能性もあった。故に一分の隙も油断もなく、作業に臨む。
「じれったい──」
シュピーゲルが振り上げたブレードに闘気が纏われた。どうやら攻撃を避け続けられた事で業を煮やしたスカーレットは戦場そのものを薙ぎ払う暴挙に出た。
「──わねっ!」
シュピーゲル渾身の袈裟斬り。しかしそれはナギトにとって隙でしかなかった。
跳躍してそれを躱したナギトは空中で太刀を構えた。
「限定集束」
溢れ出す闘気。それは強さの証明になる。身体に収まらぬほど強大な闘気。可視化するほど濃密なそれ。
すべて、くだらない。
溢れたそれは。漏れ出たそれは。ただの闘気のロスだ。
───そんな思想を基に生み出された絶招。
未だ実戦で使えるほどの練度ではなく、しかしそれでしか勝機を見出せぬ相手。
「──真気統一」
ただ《剣鬼》当時の剣圧を上乗せするだけの“緋剣”ではない。《剣鬼》当時の闘気をたった一刀に込める破滅的な術技。
「破甲剣────!」
それが、振り下ろされる。
シュピーゲルは左手の盾で、ナギトの攻撃を受け止め──られない。バターを熱したナイフで切るように、盾は切り裂かれる。盾を構えていた左手を肘まで切り裂いて、ナギトは着地した。
「は、……はあっ、くっ」
とんでもない消耗だった。叶うならすぐにでも倒れ込みたい。そんな衝動を抑えてシュピーゲルを見上げる。
左腕を半壊させただけとは言え、リアクティブアーマーを突破されたショックがあってスカーレットはほんの少しフリーズする──ナギトのそんな見立てを、
「──甘いわッ!」
粉砕する《帝国解放戦線》幹部の意地。振られたブレードをナギトはまともに受けた。辛うじてガードはできたが、突き抜けた衝撃は全身の骨を砕かれたかのようなイメージを与える。
「かっ」
吹き飛ばされたナギトは派手に吹き飛び、背中を強かに岩にぶつけてしまう。肺から酸素を吐き出して、意識が遠のくのを感じた。
視界の端でリィンたちが機甲兵を下したのを見て、若干の安堵を覚えながら──
☆★
意識の覚醒と同時に目に飛び込んできたのは、スカーレットの操るシュピーゲルに敗北したクラスメイトの姿だった。
立ち上がったリィンは胸に手を当て、その奥底に眠る鬼の力を解放させようとしていた。
違う。
「ち、が……」
そうじゃない。
「そうじゃ、ない……!」
掠れる声を、咳き込む喉を酷使して伝える。
「そうじゃないリィン!“彼”を、呼べえっ!!」
“彼”を。この状況を覆せる灰の騎神を。
──VALIMARを。
その言葉が届いたか否か──刹那の時間、リィンの動きが止まる。
呟くように。囁くように。
「来い───」
手を挙げて、その名を叫ぶ。
「《灰の騎神》ヴァリマール!」
それは、Ⅶ組が旧校舎の第7層で発見した騎士人形の事だ。あの『最後の試し』を乗り越えた先に得た、巨いなるチカラ。
ヴァリマールは空を飛んでやって来てリィンの前に着地した。
スカーレットはその登場に驚いている。まだ動かせないはずではなかったのか、と。
光に包まれたリィンはいつの間にか来ていたセリーヌと共にヴァリマールに乗り込み──
八葉一刀流 八の型をもって《S》の操る隊長機シュピーゲルを倒したのだった。
これで東口の防衛は成功──かと思いきや、そうではなかった。後詰めが、それも最強の、最悪の後詰めが来てしまったのだ。
──────運命を変えろ───────
それはヴィータ・クロチルダの幻想の唄で見た、蒼い機体。《機甲兵》とは似て非なるもの。
それは、それは、それは──────
「来い──《蒼の騎神》オルディーネ!」
「まさか生身の人間相手に“奥の手”を使う事になるとはな」
「あばよ、《剣鬼》」
───それは、《蒼の騎神》。
ユミルの地にて、《剣鬼》を倒したクロウの騎神だ。
ナギトは思い出した。自らが記憶を失った直前の出来事を。
ナギトは何らかの理由でユミルに向かう道中に《帝国解放戦線》の幹部たちと刃を交えた。
《G》《V》《S》《C》──その4人を相手にして一歩も劣らぬ──否。圧倒する力を見せつけた《剣鬼》に対して《C》がとった手は《蒼の騎神》の使用だった。
呼び出した《蒼の騎神》に乗り込んだクロウだが《剣鬼》の力はそれすらも凌駕し──《蒼の騎神》の奥の手をクロウは発動させた。
さすがの《剣鬼》も奥の手を出した《蒼の騎神》には勝てず、追い詰められた崖から転落するに至ったのだ。
その崖からの転落で奇跡的に助かりながらも、記憶を失って生まれたのが“ナギト・シュバルツァー”だった。
リィンの乗る《灰の騎神》とクロウの操る《蒼の騎神》が対峙する。
リィンの叫びはクロウには届かない。
学院生クロウ・アームブラストはただのフェイクだと。学院で築いた思い出のすべてが、偽物だと。嘘だと。そう宣言した。
偶然か必然か。リィンとクロウ。
この2人は対峙する運命だった。
Ⅶ組の残された皆は2騎の騎神が刃を交えるのを黙って見ているしかなかった。
軍配は、クロウにあがった。
ヴァリマールがオルディーネを破ったかと思いきや、クロウが奥の手を出し、一振りでヴァリマールを戦闘不能に陥れたのだ。
倒れこんだヴァリマールの前に、Ⅶ組は立つ。たった今ヴァリマールを倒したオルディーネから庇うように。
無論、このオルディーネに今の自分達が勝てる可能性がない事は承知の上で、Ⅶ組はヴァリマールを──リィンを守る。
リィンとヴァリマールは、これから混迷の国と化すだろうエレボニア帝国にとり、必要不可欠な存在だ。だから、守らなければならない。
たた、そう……ほんの少しだけ、弟のように思うリィンだからこそ守りたいと思う意思がない事もない。いつもは「お兄ちゃん、お兄様」と茶化すが、たぶん実年齢はナギトの方が上だろうし、弟みたいに思ってた節はあった。
ナギトは倒れ伏したヴァリマールの核に向かって話しかける。
「リィン……強くなったよ、お前は。トールズに入学してから、Ⅶ組の皆んなと出会ってから、力だけじゃなく、精神的な意味でも。だからもう、俺のお守りは必要ないよな」
「ナギト……まさか!?」
「はっ、一応言うが死ぬつもりはねぇぞ。 まあ、お前のお守りをする必要がないなら俺は俺の好きなように動くさ」
“運命を変えろ”───その声の意味も、なんとなく理解できた事だ。
「だから。だからリィン──俺のその信頼を裏切るなよ?」
それは、例えナギトという存在がなくなっても強く生きろという意味だ。
死ぬつもりはさらさらないが、死ぬ可能性はある。クロウがオルディーネで、本気で向かってくれば死ぬだろうと思うくらいにはまだ現実を見れている。
「行けっ!」
ナギトが叫ぶと、ヴァリマールは立ち上がり、空を駆けるようにしてこの場を離脱していく。
「やめろ、やめてくれええええッ!」
離脱する直前、リィンの悲痛な叫びが聞こえて来た。それでもⅦ組メンバーは振り返らずにオルディーネに──クロウに武器を向ける。
「さて、離脱した兄リィンに代わり、いつものをやらせてもらいたいのだが、いいだろうか?」
「フン、さっさとやれ」
「ええ、景気いいのを1発頼むわ」
ユーシスとアリサの同意は得られた。
他のクラスメイトたちも同じ気持ちのようだ。
「トールズ士官学院、Ⅶ組総員──
──希望を未来に繋げ!
───絶対に死ぬな!!」
かくして戦闘は開始された。
☆★
どれだけ意気込んでも現実は厳しいもので、オルディーネを前にⅦ組の力は通用しなかった。
しかし、そんなピンチは唐突に終わりを迎えた。“紅い翼”──カレイジャスがやってきて囮を買って出たのだ。
木端士官学生とカレイジャスを駆る皇子オリヴァルト、《光の剣匠》ヴィクター、どちらの優先順位が上かなんて明白である───
────そんなクロウの意思が感じられて、散り散りに逃げるメンバーとは別に、ナギトは“紅い翼”を追うクロウを追った。
「チッ、逃げられちまったか」
そう漏らしたのはオルディーネに乗るクロウだ。
“紅い翼”が視界から消え去ったのを確認してそう呟いた。
「逃した、の間違いだろ」
木陰から身を出しつつナギトは言う。
「……ナギトか。どうして追って来た」
呆れと警戒が混ざったような声音。騎神の装甲に遮られて見えないが、その眼光はいつかナギトを見ていた鋭いものになっているだろう。
あの鋭い視線はナギトが《剣鬼》の記憶を本当に失っているかどうか、見極めるためのものだったと今更ながら理解する。
「まだ、余地があるんじゃないかと思ってな」
「説得の余地なら、とうにねーぞ」
クロウは聞く耳を持たない構えだった。今はそれすら痛々しく思えた。
「まあ聞けよ。お前は士官学院で築いてきた思い出のすべてが嘘だと言ったな?」
「ああ。何度も言うようだがクロウ・アームブラストはただのフェイクだったってわけだ」
思わず「は」と息が出た。
「嘘だな。……クロウ、お前が学院で過ごしてきた時間は本物だ。例えお前の本分が《C》でも、クロウ・アームブラストとして過ごしてきた時間は嘘じゃない」
そんな当たり前の事を言う。失った記憶が戻ったとしてもナギト・シュバルツァーとして過ごした時間は偽りじゃないと教えてもらったから。
「お前がそれを認めて、それでも割り切って俺たちと相対するのなら、もうお前は敵でしかなかっただろう。だが、お前は思い出が嘘だと言った。それは、お前はあの思い出が本物だと認めてしまったら《C》ではなく俺たちの友人であるクロウになってしまうからだ」
だからそんな当然の真実を、ナギトはクロウに伝える。
そうして、間があった。
永遠とも思える間が。それはナギトの思いを正しくクロウが受け取るための時間のように思えた。
「──だったら、なんだってんだ」
クロウはそう言った。
おそらくは自分でもわかっていたであろう事を他人から指摘されて、まだ否定したいけど実はもう肯定してしまっているような……そんな矛盾したような感情が表出していた。
「大人しく戻って来い……ってのは無理だよな」
「ああ、当然だな。あれだけの事をやらかしたんだ。そう簡単に戻れるわけがねえ。それをリィンの野郎……後輩になれだの言う事聞けだの…」
それはナギトも理解している事だ。あのギリアス・オズボーンを暗殺したのだ。それだけの大罪を犯してただの学院生に戻れるわけがない。
「だったら贅沢は言わねえよ」
だったら、クロウを仲間に戻すのではなく。
逆に、クロウの仲間になればいいのだ。
「どうだクロウ───俺をスカウトしてみないか」
運命を変える。そのために。