双龍橋での人質救出から数日後、カレイジャスはユミルの地に停泊していた。
と言うのも、温泉郷と名高いユミルの温泉で不気味な出来事が起こっているため、その解決を依頼されて向かった次第である。
が、「ひとまず調査は僕たちでやっておくから、君たち2人は家に帰るといい」というⅦ組の総意によってナギトとリィンは一時の休息を得る事となった。
シュバルツァー邸宅に帰り、テーブルを囲んで茶を飲む。そこでナギトは義父テオと話をした。聞かれたのは貴族連合の狙いだ。
しかし、これについては貴族連合潜入中に得た情報はカレイジャスの皆と共有した以上のものはない。
やがて邸宅を出てⅦ組の面子と合流しようとした所で、リィンがおもむろにナギトに向き直った。
「どうだ、ナギト……久しぶりに」
かちゃりと太刀を持ち上げてみせる。
それはトールズ入学前のように手合わせをしないかという意味だ。
「はっ。いいね。じゃあみんなに──」
「実はもう話はしてあるんだ。依頼はみんなに任せよう」
「……周到だな。いいぜ、やろう」
ARCUSを取り出してⅦ組の連中に連絡しようとしたナギトだったが、それはすでにリィンが済ませていたようで、この手合わせを実現させるために準備をしていたのがわかる。
そうして2人は向かう。ユミル渓谷道を登り、いつもの場所へと。
☆★
この手合わせにはいくつかの目的があった。
まず前提として、この手合わせそのものが目的だ。楽しみだ。
次に、自身の今の実力をナギトに見せるため。トリスタ防衛戦の時にナギトが言った「お前は強くなった」──あのセリフを、再びナギト自身に納得させるための。
3つ目はナギトの実力を測るため。ナギトはかつて超人的な強さを誇ったが、5度目の特別実習で大怪我を負ってからは調子を崩してしまっていた。トリスタ防衛戦の時にはある程度は戻っていたが、今はどうなのか。単独行動を許してもいい強さがあるのか。
最後に、ナギトが《閃嵐の騎士》かどうかを判断するためのものだ。
リィンがヴァリマールを駆って戦っていた際に2度会敵した貴族連合の英雄。《閃嵐の騎士》の戦いっぷりは八葉の剣士を思わせ、敵ながら導くような言動はナギトらしさを感じさせた。
以上の4点が、この手合わせでリィンが確かめるべきものだ。
そういう確認を終えて顔を上げると、ナギトと目が合った。
「ん、どうかしたのか?」
言われたナギトはわざとらしく目玉をぎょろつかせると、肩を竦めて「べっつにー」と答えた。
やがて渓谷道も終点に差し掛かり、いつかの帰郷の際に氷の魔獣と対峙した広場に出た。
ここがトールズに入学するまで毎日のようにナギトとリィンが剣を比べ合っていた場所だ。
日が暮れるまでそうしていたいと思わせるような心地の良い時間だった。
今回は様々な疑念を抱いての立ち会いになるが──一時、それを忘れる事にするリィン。
決意を固めたリィンの、十歩先でナギトが振り返った。
「華は持たせてやらねぇぞ?」
にやり、笑って太刀を抜く。
それはリィンの知っているナギトそのものの姿で、疑念を忘れたいリィンを後押しした。
「望むところだ!」
リィンもまた太刀を抜いて構えた。
そして───
「──神気合一!」
解き放つ、鬼の力。パンタグリュエルでようやく自己のものとした、かつて恐れていた力。
黒髪は白銀に変化し黒瞳は灼熱に染まる。
漲る力は烈火の如く、溢れる闘気は燃え盛り、いずれ青年が高みに届く事を想像させるに足るものだ。
「人と人は互いに影響し合って、生かし合う───そんな当然の事を、俺はわかってなかった。でも、アルフィン殿下のおかげで気づけたんだ、その事に。とりわけ……ナギト、君の影響は大きなものだぞ?」
柔らかく、しかし挑発的に笑んだリィンに、ナギトは「はっ」快哉をあげた。
「それはうれしいね。しかし…見事なものだな……その理は《剣鬼》が終ぞ至れなかった領域だ」
リィンの語った“人と人が影響し合い、生かし合う”───そんな当然の道理を、当時《剣鬼》は理解していなかった。
「《剣鬼》……過去のナギト自身がか。だが、その様子だと今はそうじゃないみたいだな?」
ナギトの言葉の内容をリィンは素早く理解する。
人の影響、生かし合う道理は、Ⅶ組の中でもナギトが最も理解していたものだった。体現者と言ってもいいほどに。
だからこそ、リィンは思う。
この兄弟分はやはり、自分の一歩先を進んでいるのだと。
「──鬼気解放」
ナギトもまた解放する。かつて恐れた過去の自分、《剣鬼》と呼ばれた男の闘気。もはや発動に言葉を発する必要もなかったが、言う方が雰囲気も出ようというもの。
にやりと笑ったナギトは言った。
「その問いには我が剣をもって答えるとしよう」
悪辣に笑む、剣呑を隠さないナギトの放つ闘気はリィンのそれに倍する。その事実にリィンは臆さず。
「いくぞ、ナギトっ!」
「こいっ!リィン!」
斯くして、2人の試合は始まった。
☆★
宣言の通り、先に仕掛けたのはリィン。構えた太刀から放たれるのは鬼の力を手にして強大化した緋空斬。
迫るそれをナギトは難なく巻き取って放つ───より早く、リィンが距離を詰めている。
風の速度で切り抜ける、八葉一刀流は二の型疾風。その秘技。
「裏疾風!」
弧状の斬撃が飛来する。ナギトはそれを跳んで躱し、地上のリィンへ向けて緋空斬を放つ。
が、地面に立っていたリィンの姿がぼやけて消えた。
「分け身!?」
ただ気配をそこに残すためだけの分身。しかしナギトのように闘気──気配を感知して戦うタイプには効果抜群の囮だ。
そして、それが囮だと気づいた時にはもう遅い。
跳躍したナギトの頭上で闘気が膨れ上がる。
「孤影燎原」
ナギトより高く跳んだリィンが選んだ戦技はナギトが得意とする、小孤影斬を数多に撃ち出すもの。必殺の威力はないが、その攻撃範囲は防御を選択させるもの。
必然ナギトも防御せざるを得ず、勢いのままに地面に叩きつけられた。
好機。そう見たリィンは太刀に業炎を纏って突撃する。
勝負が決着する。そんな当然の未来を、ナギトは受け入れない。
神気合一したリィンの、さらに倍する闘気。それを固めて刃と成す。急造のそれは太刀のような流麗はなく、しかし人ひとりを挟み込んで胴体を千切るくらいには力を秘めている。ナギトが“幻造”と呼ぶ、闘気でものを構築する戦技によるものだ。
その暴威に、リィンはナギトにぶつけるはずだった業炎撃を、己に迫る長大な刃を相殺するのに使った。
その間にナギトは立ち上がり態勢を立て直し、リィンもまた着地していつものように太刀を構えた。
勝負は仕切り直しの様相を見せる。
「……いや、正直ナメてたみたいだわ。お前のこと」
ナギトは己の苦戦を鑑みて率直な感想を述べる。話しかけられたリィンは、警戒を解かずに言葉を返す。
「そうだろうな。ナギト…君は口では良いように言うが、芯の所では俺たちⅦ組を信じていない。──今回はその傲慢を突かせてもらった」
毅然とした言動はナギトが思い知るに充分だった。数瞬、瞑目したナギト。
「そんな事ない──とは言えないらしい。俺はどこかでお前らを過小評価してたみたいだな。……オーケー、認識を改めるわ。……本気でいく」
いつだったか、実技テストでⅦ組の連中をまとめて打ち倒した事があった。きっとあの時からナギトはリィンたちを格下だと、庇護すべき対象だと思っていたのだ。どこかで兄貴面していたのだ。
しかしリィンは──Ⅶ組の奴らはそうじゃないと。俺たちは仲間なのだと主張している。
それはとても喜ばしくて、ナギトを奮い立たせるのに充分過ぎた。
「雷電収束、雷光確立──」
全力を出す。その誠意を。
「──雷軀来々」
ナギトの周囲に帯電した分身が3体侍る。それらはナギトの指示でリィンへ吶喊する。
「蒼き焔よ、我が太刀に集え…!」
リィンは素早く太刀に蒼炎を宿すと肉薄するナギトの分け身を斬り払う。散り際に放つ雷電すら焼き払い、ナギトの次撃に備えた。
「雷神裂破!」
そして放たれた雷撃に蒼炎の太刀で対抗する。
宙空で激突した雷と蒼炎は互いを喰らい合い───結果、相殺という形で終わる。
「破空 : 薙」
しかし、奥義を撃った後の立て直しはナギトの方が早かった。闘気総量によるものもあるが、リィンが鬼の力にまだ慣れていない事が大きい。
放たれた闘気の圧力に吹き飛ばされたリィンは岩壁に叩きつけられ、衝撃で周囲に積もった雪が崩れ去る。
リィンの姿もまた雪に埋もれてしまった。
「神威残月」
そこに容赦なく放たれる神速の斬撃。
訪れるはずの決着をしかし、リィンも許容しない。
「──蒼焔よ!!」
瞬間、太刀の蒼焔が膨れ上がり、リィンの全身を包んだ。周囲の雪は蒸発し、迫る斬撃の威力を大きく減衰させ、太刀の一振りでかき消した。
岩壁を蹴って着地したリィン。周囲の雪が瞬く間に蒸発していく。
「蒼焔の鎧か……考えたな…」
太刀に宿して破壊力を高める蒼焔を、鎧として用いる。それは並の敵では近付く事すら叶わない上等な防御だ。
消費する
「いくぞ」
短く言うと、リィンは突撃を始めた。次が最後の攻防になるという予感はナギトにもあり、だからこそ全霊で受けて立つ。
「緋技──」
迫るリィンに緋空斬を放つ。いくつも、いくつも。それはリィンに直撃する軌道ではないが、その動きを阻害するものであり、
それらは空中で互いにぶつかると砕けた。舞い散る緋空の欠片は紅葉の如く──
「──
それが、ナギトの太刀に集束していく。
「蒼焔よ、我が太刀を焦がせ……!」
リィンの全身を包んでいた蒼焔もまた、太刀に集束する。
そして2つの太刀が激突する───刹那。
「
「────斬!」
ナギトの太刀に集束しつつあった緋空斬の欠片、すなわち闘気が拡散した。
緋技“
つまりこれも蛇口は全開でありつつ、外からさらに闘気を集めて放つ───最大火力を超えた火力を出す奥義だ。
これは強力な戦技ではあるが、そのぶん難易度が高い。全力の闘気を太刀に込めつつ、すでに放った闘気を太刀に集約させる……そんな並列作業が必要なわけだ。
その点、リィンの新しい蒼焔の太刀も類似してはいるが、纏っている蒼炎を太刀に注ぎ込むだけでいいので扱い易さではこちらが勝る。
“最大出力+外付けの力”───同じ目的で編み出された戦技。片方は成功し、片方は失敗した。
ならば失敗したナギトが押し負けるのは道理──ではない。
単純にナギトの瞬間最大出力がリィンの最大出力+外付けの力を上回ればいいだけ。
「お、おおおおおっ!」
「はぁああああ!」
ナギトが吼える。リィンも同じように雄叫びをあげた。
鍔迫り合い、拮抗する力。交わる視線、互いの熱量は同等で───、
「──ははっ」
──それが嬉しくてナギトは笑ってしまった。
脱力。ナギトの手から太刀が弾き飛ばされる。
リィンの太刀から蒼焔も消え失せた。ナギトと同じくリィンも限界だったのだ。
これであとは、返す太刀を突きつけて試合は終わる。
しかし、やはりナギトがそんな敗北を甘受するわけがなかった。
リィンが太刀を返すより速く、ナギトは鉄山靠を決め、戦技を放つ距離を確保。
「──破甲拳!」
そして、八の型を打ち込み、勝負を決するのだった。
☆★
「──納得できない」
「はいはい。ほら起きなさい」
破甲拳をくらって仰向けに倒れたリィン。すでに神気合一は解けている。一息ついて回復を図った後、ナギトの手を借りて立ち上がった。
リィンが「納得できない」と言うのは、試合に負けた事に対してではない。
この勝負、太刀を弾き飛ばされた時点でナギトは剣士として敗北していた。しかし、即座に八の型を用いて試合には勝利した。
ナギトとしては試合に勝って勝負に負けた心持ちだ。
そしてリィンは、剣士としての勝負に勝利した事に対して納得できないと言っているのだ。
「ナギト、どうして手を抜いた?」
「手を抜いたわけじゃない。俺は最善と思う行動をして、失敗しただけ」
先にもリィンが指摘した通り、ナギトには慢心があったし、なによりリィンの実力がナギトの想定を上回っていた。
「お前は強かったよ、本当に。試合運びもずっとそっちが上手だった」
「…それを互角に持ち込んでいたんだから、ナギトには恐れ入るよ。闘気の総量と出力…共に底が知れないな」
試合運びそのものはリィンが常にイニシアチブを握っていた。ナギトは力押しでトドメを先延ばしにしていたに過ぎない。
「特に最後の……新しい蒼焔の太刀はやばいな」
「でもナギトなら打ち破れたはずだろう?」
確かに、あの場面でナギトの緋技が成功していたらリィンの奥義を打ち破れていた可能性は充分にあった。だが逆に“摩天洸葉・一振重”でなければあれには対抗できないと踏んでいたのだ。
だからこそあの戦技を選択し、失敗した。《剣鬼》時代の記憶を取り戻した事で実力は底上げされたが、実習でヴィクターと戦った際の感覚は未だ取り戻せていないようだ。
それにもし戦技が成功していたとしても、鍔迫り合いで負けていた公算はある。
「そうかもな」
あの蒼焔は、ナギトの闘気を燃やしていた。ただの力ではない。相手の耐性を貫いて火傷状態にする、そんな蒼焔の太刀の側面の顕現。
あれは単なる火の特性ではない。仮にナギトが真似して“焔の太刀”を使っても、ただ威力が高いだけの技になるだろう。火傷耐性がある者に対しては火傷状態にする事はできないはずだ。
だからきっと、リィンの焔は特別なのだ。
ナギトが最後、笑って力が抜けたのもあるが、あれは純粋に限界が近いのもあった。
そういった面もあり、ナギトは剣士としての負けを受け入れたのだ。
「でも負けは負け、勝ちは勝ちだ。俺は慢心してたし、お前はそれを突いた。そっちは新技を成功させたし、こっちは奥義発動に失敗した。……あんまりぐたぐだ言ってると、ギャラリーから見損なわれるぞ?」
「ギャラリーって……あ」
ナギトに指摘されて、ようやくリィンは気づく。この手合わせの広場にⅦ組のメンバーが集っている事に。
「みんな……いつから?」
「最初からだ。貴様らが渓谷道に入るのを見てな」
「ええ、悪いとは思ったのだけど、跡をつけさせてもらったわ」
ユーシスとアリサがナギトらについて来た経緯を説明する。
「ああ。依頼の方も調査は一段落したしな」
「うん、合流しようかって話してた時にリィンたちの姿を見かけたんだ」
「ええ、ナギトさんの方は気づいていたみたいですけど…」
マキアスとエリオット、エマがそれに捕捉する。
「黙ってついて来たのは謝るけど……でも、すっごかったねー!」
「リィンも、もちろんナギトも……凄まじい強さだった」
「2人とも楽しそうだった」
「良い物を見させてもらったぞ」
ミリアム、ガイウス、フィー、ラウラはこの立ち会いの感想を述べた。
リィンはポカンとしたあと、むくれっ面でナギトを見た。
「気づいてたなら言ってくれれば良かったのに」
「まあ雑音だろ。渓谷を登る時から作戦考えてたみたいだし……集中切らしちゃいかんでしょうよ」
リィンも思い返してみればそうだ、と納得する。渓谷道でナギトが自分を見ていたのは暗に“追跡者に気づいてないのか?”と言っていたのかもしれない。「べっつにー」とはぐらかされたのがそうだろう。
となればナギトは、曰くその“雑音”とかねてより続く不調がありながら、鬼の力を制御したリィンを上回った事になる。
「……敵わないな」
本当に、そう思った。
義兄弟として肩を並べて戦うに、未だ自分の格が足りないとリィンは考える。
しかし───
「何言ってんだ、こっちのセリフだぜリィン」
───しかし。
「お前はちょっと俺に幻想を抱き過ぎだ。剣で上回られてそれを言われちゃ俺も立つ瀬がない」
それは違うと言われたナギトが棄却する。そして。
「……やっぱ強いよ、お前は。さすがは俺のお兄様だ」
言った。リィンがずっと望んでいた言葉を。
からかうよう時と同じように“お兄様”と呼ぶ。それもまた、失われた日常を想起させて。
潤んだ瞳を気合いで悟られないように努める。
そしてまた、リィンもいつものように言うのだ。
「だから、お兄様って呼ぶな!」