トールズ士官学院
トールズ士官学院
エレボニア帝国中興の祖《獅子心皇帝》ドライケルス・ライゼ・アルノールが建立した士官学院。 学院で語り継がれている“若者よ、世の礎たれ”はかの獅子心皇帝が遺した言葉だ。
七耀歴1204年4月、その士官学院に新しいクラスが設立された。その名も特科クラス《Ⅶ組》。
《放蕩皇子》ことオリヴァルトが提案し、設立されたこのクラスは、特別実習と称して帝国の各地を訪れていた。
それは、今も同じだ。 Ⅶ組は色んな場所を訪れて、色んな人と出会い、色んな事を学んだ。
しかし、これは特別実習ではない。 トールズ士官学院(帰る場所)を奪われた。だから各地を転々とするしかなかったのだ。
だが、奪われても、抵抗はやめなかった。 正規軍と協力し、貴族連合に支配されていた町を解放した。バリアハートまで解放され、貴族連合はトールズ士官学院のあるトリスタから防衛線を下げざるを得なくなった。わずかな戦力を残し、貴族連合は退いた。
今は手薄だ。今が好機だ。奪われたものを、取り返せ。
奪還の時、来たれり。
「本当に行くのか?」
質問ではなく、確認だった。 作戦開始まで、あと5分を切った。
リィンの視線の先には、全身を包帯で覆うナギトの姿があった。
「行くとも。……ここで行かなきゃ、格好がつかん」
もっと多くの想いがあった。もっと多くの言葉があった。それを一言にした。 それが、そのセリフだった。どうしてこう言ったのか。それは、この言い回しこそがナギト・シュバルツァーらしいと思ったからだ。 トールズ士官学院で過ごして来たナギト・シュバルツァーらしいと思ったからだ。
「そうか。……なら、行こう。俺たちの士官学院を取り戻しに!」
「………ああ!」
そうして、作戦は開始された。
トリスタに残る貴族連合の最後の防衛隊と対峙する。 最後の砦として立ちはだかるゴライアスとケストレルを、リィンとヴァリマールは易々と突破する。その手には、長らくの問題であった武器───その解決策であるゼムリアストーン製の太刀が握られている。
「……お見事」
カレイジャスからその様子を眺めていたナギトはそう言う。強くなった。太刀筋に迷いがない。 内戦下という特殊な状況が、急成長を促した。それが正しい成長の仕方ではないとしても喜ばしい事だ。
こうしてリィン率いるA班は表からトリスタへ突入した。 このトールズ士官学院奪還作戦は表から突入するA班と裏から潜入するB班で構成されていた。
ナギトが所属するA班はトリスタから士官学院に入るルートだった。
戦闘音が気になって町に顔を出すトリスタ住民たち。しばらくして現れたのは、少し前まで第三学生寮に住んでいた学徒たち。Ⅶ組のメンバーだ。
その中には、貴族連合に下り士官学院を制圧したと噂される青年がいたものの、その青年と仲間たちの揺るぎない決意を目の当たりにし、住民たちは学徒たちにエールを送る。この顔は信じるに値するものという確信を持って。
学院の校門をくぐると、そこに待っていたのは『騎士団』団長のパトリックだった。 ここにおける『騎士団』とは、貴族連合の指示の元でトールズ士官学院を統治する者たちの総称だ。
それは当然“貴族連合に従順”と思われている貴族生徒によって構成されている。
その貴族生徒たちも本当は、トールズ士官学院の解放を望んでいた。しかし、それでは筋が通らないと言い出すのだ。
トールズ士官学院は内戦開始から僅かで制圧された。そしてその制圧された地を任されたのが騎士団だ。ならば、その騎士団が何もせずにこの学院をあけ渡すのは貴族としての沽券に関わる、と。
「そうだろう?ナギト・シュバルツァー」
それが貴族の義務だと言うように、パトリックはナギトに問う。
「……まったく面倒だなぁ、お前ってさ」
それを、ナギトは笑い応える。受けて立つとその笑みから伝わった。
戦闘開始。
Ⅶ組メンバー数名と騎士団の4名のバトルが始まる。 ナギトは初めから戦闘不能だ。リヴァルの“貴き復讐”を喰らったせいで、生死の彼岸を行ったり来たり。それから僅か数日後にこの作戦だ。本来なら絶対安静の所を無理言って出て来たのだ。 戦闘不能なのも理解してくれ、と言うもの。
だが、そのナギトを狙ってパトリックが飛び出して来た。 リィンたちが意図的に見逃した節すら窺える。 確かにパトリックとは親交があったが、それにしてもこのフラフラ男に何を望むのか。
「馬鹿兄貴…気ぃ効かせたつもりかよ」
「いつかの続きといこうか!」
パトリックはそんな事を言いながら剣を振り抜いた。直上から真下へ。少なくとも本人はそのつもりだった。
繰り返すが、ナギトは今、戦闘不能だ。絶対安静の状態をおして出て来た。
それでもなお、隔絶した力の差が2人の間にはあった。
振り下ろされた剣を一歩引いて避け、その刀身を掌で回す。重心を崩されたパトリックの顔面を、痛烈な平手打ちが襲った。
悲鳴をあげながら倒れるパトリック。 今、ナギトに何をされたのかわからない。 剣で切ったと思ったらいつの間にかビンタを喰らっていた。
倒れたパトリックに、ナギトはいやらしい笑顔を向ける。
「悪いなパトリック。今は見ての通り重傷なんだ。今は遊んでやるしかできねえわ」
ナギトの顔の横にゆらぐ波紋。そこに剣が出現する。“幻造”だ。剣が射出されるが、パトリックは紙一重で避ける。
「…内戦中に力を上げたようだな」
「そういうお前はあんまり成長してないな」
パトリックの賛辞にナギトは相手をこき下ろす事で答えとした。
そう言うのも当然で、ナギトはかつて《剣鬼》と呼ばれた達人だった頃の実力を取り戻した。それに対してパトリックは学院内で燻っていただけだ。ある程度は鍛えられたとしても、ナギトや内戦で揉まれたⅦ組と比べるとその成長は緩やかなものだ。
「抜かせ。……しかし、君と決着をつけるのにこの場はふさわしくないのは理解した。……怪我が治ったら再戦だ、いいな?」
「おうよ」
再戦の誓いに短い言葉で答える。パトリックは満足げに頷くと、リィンに向けて歩いていった。
パトリックはリィンとも多少なり因縁がある。今この場ではナギトとの因縁よりそちらを優先したのだ。
「初めからそうしろよ」と愚痴めいた言葉を呟きながら、ナギトは笑った。
戦闘が終了する。
リィンたちがパトリックたちを下したのだ。 その後、B班も合流し学院長らがすでにパトリックらの手によって解放されていた事を知る。
ここにトールズ士官学院の奪還は成った。
☆★
士官学院生でごった返す学院の敷地内を闊歩するナギトの肩に大きな手が置かれる。
「ちょっといいかな、ナギトくん」
振り返ると、そこにいたのはヴァンダイク学院長だった。白髪を蓄える老齢の男性であるが、その筋骨隆々の肉体からは少しも衰えという言葉が思い浮かばない。戦車をぶった切ったとかいう逸話を持つ超人だ。
ナギトが「なんでしょう?」と話を聞く姿勢を見せると「渡したい物があるからついて来てほしい」と言われた。 言われるがままにヴァンダイクの後を追うと、学院長室にたどり着いた。電灯が室内を照らし、机の引き出しを探るヴァンダイクの背中に影をつくる。
ヴァンダイクは「おう、あったあった」とそれを引っ張り出すとそれをナギトに手渡した。 それは巻物だった。どことなく既視感を覚える。ヴァンダイクも東国の筆を嗜むとは聞くが、もしや何らかのメッセージだろうか。
「さるお方からの手紙じゃ。君に向けてのな」
“さるお方”とはもったいつけた言い回しだ。 正規軍名誉元帥の地位を持つヴァンダイクがさるお方と呼ぶこの巻物の送り主とは───
まさか皇帝とかないよな──などと思いながらも、巻物の紐を解き、最初の一文に目を通す。
“馬鹿弟子へ”
「はいクソ」
その十文字にすら満たない宛名された人物への呼び方で、わかった。半ば反射的に悪態をつく。
ナギトは右手で頭を抱えて天井を仰いで、そのままヴァンダイクに問うた。
「あの、学院長………これ、マジですか?」
「マジじゃよ」
間を置かぬ即答にナギトは「Ahーーー!」と叫ぶ。
「ファック!全部掌かよ、あのじじい!」
☆★
「失礼します」
ナギトはそう言って学院長室を出た。 巻物にはすでに目を通してあり、師のニヤケ面が浮かぶそれは懐にしまってある。
ナギトはトイレに行くと鏡の前に立って身嗜みを整える。崩れかけた髪型をセットし、ボタンのかけ違いなどがないか見直す。
着ているのはリヴァルに八つ裂きにされたはずの紺色のコートだ。 「どうせ戦ってる内にボロボロになりそうだなー」と考えて予備を用意していたのだ。一張羅の二着目を着ていると言ったところか。
「さて…と!」
ナギトはギムナジウムに足を運ぶ。 なぜかと言うと、そこにラウラの気配を見つけたからだ。ギムナジウムでも水練に使われる一角にラウラの姿はあった。友人のモニカと一緒だ。 ナギトの姿を認めると、モニカは驚くがラウラに何かを呟くと、そのまま水練場を走り去っていく。
ラウラはぎくしゃくした様子でナギトに声をかけた。
「き、奇遇だな。ナギト……」
「あ、いや。ラウラの気配を追ってここに来たんだけど」
ぬけぬけとそう言うナギトに、ラウラは赤面する。
「なっ……、そうだったのか」
ナギトはそんなラウラの反応を楽しみながらその横に並び、プールに張られた水を見つめた。
「……プール、使えるみたいだな」
赤面させるようなセリフを吐くモードから一転したナギトに内心でホッとしながら、その声に応える。
「そのようだな。学院に残った生徒たちが整備してくれていたようだ」
「ここに思い出がある生徒たちが、帰って来た時に寂しい思いをしないように気を利かせてくれたのかもしれんな」
ラウラの返事がない。 会話が続かないとはこの事だ。ナギト自身がこの話題を続けたいと思っておらず、それをラウラが察したかもしれない。と、ナギトは思い、何か話題を考えるが思い浮かばない。 本題に入ろうとラウラの名を呼んだ所で、ラウラとの互いの名を呼ぶ声が重なる。
それに2人は笑い「どうぞ」と譲り合う。 その譲り合いは果たして、ナギトに軍配が上がった。
「ふむ、それでは私から」
ラウラはわざとらしく「んん」と咳払いしてナギトに視線を合わせた。心なしか、その顔は未だ赤面しているように思えた。
「その……後ででいいのだが。私と一緒に第三学生寮に行かないか?久しぶりに我らが過ごした場所を見ておきたいのだ」
ラウラの提案に、ナギトは目を見開く。 ナギトの反応にラウラは不安を感じたのか、少し顔を落とす。ほとんど同じ身長なのに上目遣いになった。紅潮した頰に、わずかに潤んでいるような瞳に上目遣いまでされては、ナギトは目をそらすしかない。
「……あー、いや。全然ダメとかじゃないんだよ。ただ、俺もおんなじ事を考えてたからさ、驚いただけ。返事はもちろんオーケーです!」
ナギトはなんとかラウラに振り返り、ニカッと笑った。 返事を聞いたラウラは安心し、ナギトとは違いふんわりと笑う。小さく呟く「よかった」はナギトの耳には届かない。
「んじゃ、またあとでね、ラウラちゃん。 俺はちょっと話しておきたいやつがいるから」
ナギトはスチャ、と敬礼紛いにラウラに挨拶し、そのまま水練場にラウラを置いて後にする。 唖然とするラウラだが、たった今ナギトが出て行ったドアが開き、そこに視線を吸い寄せられる。
「ラウラー、後で連絡するわ」
「う、うむ!ではまた後でな」
それでナギトは今度こそ水練場を後にする。
ナギトはまた気配感知を行い、そいつを見つけ出す。そいつの元まで行くと、そいつもナギトに気づいた。 ナギトがくいっとアゴを動かす“ついて来い”と言外の内に伝えたのだ。そいつは取り巻きたちを置き去りに、ナギトの後を追った。
二人の足が向かったのは屋上だ。“コ”の字型に設計されている屋上には、僅かな人影があるのみで、話すには絶好の場であると思えた。
ナギトはそいつを先導し、コの字型の屋上の直角部分に差し掛かり、ベンチに座ってイチャコラするバカップルを発見した。
「おうコラ、誰に許可とってここでイチャついてんねん!ああん!?」
「やめたまえ!チンピラか君は!」
両手をポケットに入れて、肩をくねらせながら威嚇するようにバカップルに近づくとパトリックに注意された。
「ああ、ナギトか。こうして話すのは久しぶりか?」
そんな2人のコントをスルーしてナギトに話しかけたのはバカップルの男の方、アランだった。
「あ、あー、うん。そうかな」
アランとはフェンシング部で知り合った仲だ。 アランの隣の女子、ブリジットはアランの幼馴染みで、今の甘ったるい雰囲気から察するにようやくくっついたようだ。
ナギトはやらかした気持ちになり“早々にこの場を立ち去らねば!”と思考を加速させる。
「まあ、なんていうか?末長くお幸せに!」
とりあえずの着地点が見えて、そこで自分を受け止めようとする者に爆弾を投げ込み、そのまま退散する。
背後からは「き、気が早いってば!」と聞こえた気がしたが、たぶん気がしただけだ。
ナギトは進み、屋上の鉄柵に両腕を置いて体重をかけた。
「パトリックやい、お前ずっと俺の事ストーキングしてるけどなんのつもり?」
「君が僕について来いと言ったんだろう!? 明確に言ったわけじゃないが……こう、アゴでくいっとしたじゃないか!」
ナギトのボケにパトリックが見事にツッコミを入れる。パトリックとの付き合いも長くなったもので、これは内戦前の距離感だ。少し懐かしい気持ちになる。
「という冗談はさておき」
「冗談で済むか!まったく君は……」
ナギトの言葉に翻弄されながらもパトリックは話題を切り替えた。
「その傷はどうした?」
パトリックの疑問はナギトの状態を見たからだ。 僅かに空いた胸元から首にかけて、肌を晒す隙間すらなく巻きに巻かれた包帯。それを見て傷を負っていると考えるのは当然というものだ。
「これか…まあ、ちょいとな。心配してくれんの?」
「ふん、話し出すきっかけ作りに過ぎん」
ナギトのニヤケ面にパトリックはわざとらしく顔をそらしながら答える。
「ま、心配すんなよ。傷は我が気術により一秒毎に大回復してるわけだから」
「なんだそのトンデモ回復術は……」
ナギトの冗談かどうかわからない発言に反応しつつも追求はせずに、本題に入る。
「……君には感謝している。僕たちを、トールズ士官学院を助けに来てくれた事を」
ナギトは雰囲気を一変させ、視線をパトリックから夜の影に覆われたグラウンドに移した。
「何の事を言ってんのかさっぱり」
「君がとぼけるつもりならそれでいいがな……」
ナギトのとぼけっぷりにパトリックは呆れ「それじゃあここからは独り言だ」と続ける。
「内戦直後……僕たちは学院を制圧された怒りで、貴族連合に真っ向から反対していた。今ならわかる。怒りのまま貴族連合に立ち向かえば学院生に被害が出ていた。……それを防ぐには無理矢理にでも冷静になる必要があった」
パトリックの独白は続く。 視線はグラウンドに向いたままだ。それも当然。これは独り言だ。感謝を伝えているわけでもない。視線を合わせる必要もない。
「その役割を担ったのが、ナギト・シュバルツァーだった。貴族連合の手先として学院に戻ったやつは、熱くなっていた学院生たちを力づくでクールダウンさせた。……少しばかり考える必要があった。やつは学院を裏切ったように振る舞いながらも、その真意は学院のためを思っているように見えた。その謎を解き明かす鍵となったのは、内戦開始当日に交わした言葉の中にあった。 それは僕がやつをライバルと呼び続ける限り、やつは僕のライバルであるという事だ。やつはそれに対して、何にでも当てはまると言った。それは例えばライバルだったり、学友だったり……仲間だったりするわけだ。やつが去った学院で僕は考えた。 仮にやつを仲間だとして、その行動の意味はなにか? ──冷静になっていたから、答えはすぐにわかった。怒りのままに貴族連合に反旗を翻していれば怪我では済まなかっただろう、とな。やつは何を語っていた?その行動は何よりも雄弁だった。やつは学院生でもトップクラスの実力者を倒して見せた。僕にはやつの行動がこう思えたのだ。“俺に任せておけ。こんなに力があるんだから大丈夫だ。その代わり、お前たちは学院を頼む” ──果たして有言は実行された。やつは仲間と共に学院に舞い戻り、貴族連合の魔の手から解放した」
語り終えたパトリックは途端に沈黙した。 やけに饒舌になっていた事を今更になって恥じているのだろうか?
ナギトはそんな雰囲気を打ち破るべく、ナギトらしい茶化し方をする。
「まあ、その感謝は受け取っておくとして」
「って、やっぱりわかってるじゃないか!」
「まあまあ、そんなツッコミ役狙わんといてや」
「狙ってなどいない!君がボケ続けるから自然と出るだけだ」
パトリックの切り返しに、ナギトは面食らったように一瞬黙ってから笑う。パトリックもそんなナギトを見て笑った。 楽しい。可笑しい。面白い。良かった。この自由に笑い合える場所を取り戻せて。
二人でひとしきり笑い合った後、ナギトは「それじゃ、またな」と唐突に別れを告げた。
「どこにいくつもりだ?」
パトリックの素朴な疑問に、ナギトはいつもの笑みのまま答える。
「どこってパトリック……、そりゃあお前……“家”だろ」
そう言ったナギトは振り返らずに屋上から姿を消した。
パトリックはその背中に「なるほど」と声を浴びせる。あいつの家と言えば、あそこしかない。
「っと、そうだパトリック」
屋上から消えたナギトが、ドアから半身だけ姿を見せて質問を投げかける。
「貴族連合の支配中に、この学院に変なじーさん来なかった?」
パトリックは記憶を甦らせる。思い出されたのは苦い記憶だ。
「あ、ああ来たぞ。……どんな手段を用いたのか、貴族連合の監視をすり抜けて敷地に入ってな、僕ら『騎士団』が止めようとしたが、何もわからない内に転ばされていた。………どうやらヴァンダイク学院長の古い友人らしいが……」
「かっ! まったく………。了解、知りたかったのはそれだけだ。んじゃ今度こそバイバーイ」
やはりナギトの育て親にして師匠は、この学院に立ち入って逸話を残していったらしい。そんな話に何となく“あの人らしい”と感じつつ、ナギトは屋上を出た。
☆★
校舎から出て人混みの中でARCUSを懐から取り出す。 そろそろラウラと合流して第三学生寮に向かおう。通話履歴からラウラの番号を呼び出そうとして、分かりやすいシンボルを見つけた。
「おーい、ラウラ!」
青い髪と私服は、学生服を着込んでいる他の学院生とは異なり個性的である。私服という個性はナギトも同じで、ラウラは声に反応してナギトを見つけた。
様子を見るとラウラもARCUSでナギトを呼び出そうとしていたらしく「考える事は同じだな」と二人して笑い合った。
「んじゃ、もう行くか?」
「うむ、行くとしよう」
2人は並んで、半年以上を過ごした家に向かって歩き出した。
第三学生寮まであと一つという角を曲がった所で、目的地のドアが閉じられていくのを、ナギトは見た。
閉じるドアの向こう側に消えた人影は二つ。目立つ赤色の衣装はリィン、流れる金砂の如き煌めきの髪色はアリサのものだ。
それを見たナギトの表情はいつも通り、邪悪な笑みだ。
「ははあん?ほうほう、そうかそうか」
「クックック」と邪な笑みを浮かべるナギトに、後ろから声がかかる。
「何をやっているのだ」
驚き振り向くと、そこにいたのは自分とラウラと先の2人を除くⅦ組の全員だ。
その足はやはり、第三学生寮に向いていた。 なんだ、考える事は同じか。ナギトはそう思い、その笑顔から邪悪なものが消えた。と、思いきや、邪悪なものは声をかけてきたユーシスに転移していたのだ。
「おやおや、これはもしや……逢引の邪魔をしてしまったかな?」
「くっ……この野郎、こんな時だけわざとらしく貴族口調を使いやがって」
「でも、否定はしないんだな」
「マキアス!否定なんてするわけないだろ!つーかお前ら息ぴったりだなこんちくちょう!」
息ぴったり、そう言えばユーシスとマキアスは取り乱すと知っていたからそう言う。 それ以外の面子には「否定なんてするわけないだろ!」で赤面させて黙らせた。それで空気は一転する。
「いいか?俺とラウラはさっき、リィンとアリサが学生寮に入って行くのを見た」
「へえ、なるほどね。読めたわ」
まだそれだけしか言ってないのに読めたと言うサラに「早すぎです」とナギトは苦笑いする。
「んで、俺たちは学生寮に戻りたい。だがリィンとアリサを邪魔するのも忍びない」
「あ、それが名分ですね」
お前もか、エマ。
皆まで言うなと言われているようだが、ナギトは続けた。
「そこで、そこで折半案がありますれば。俺たちがリィンとアリサにバレないように学生寮に入るんだ」
「要はあの二人のやりとりを覗こうという話だな」
「お前、要約し過ぎだ。俺が下世話好きなやつみたいじゃねえか」
話を簡潔にまとめたユーシスに悪態を吐く。しかしⅦ組の皆はナギトの折半案に賛成のようだ。こんな面白いもの、見逃せない!とでも言うように。唯一、止めるかと思われたラウラでさえ、好奇心には勝てないようだった。
「少し……重いのだが」
「すまんが我慢してくれ」
シーっと言うようにガイウスに謝る。 リィンとアリサの二人は二階の窓から街道を見下ろせる位置に立って話していた。 その二人にバレないように話を盗み聞きするためには階段に詰めるしかないのだが、詰めるためには重なる必要があった。上に。 当然の如く、最もガタイの良いガイウスが一番下となるわけだが、それで先程の意見が出たわけだ。
2人の会話は、すでに終盤に差し掛かっているらしかった。
「───好きだ、アリサ。この先、何があろうと……たとえ互いの道が別れてしまったとしても。君を愛しく想うことだけは決して変わらないと思う」
告白。リィンはアリサの目をまっすぐに見つめて愛を語った。
たまらない。好きな人にあんな顔をされて、そんな事を言われては、たまらない。 アリサがリィンに抱きつく。リィンは優しく受け止めて、両手をアリサの背中に回した。
「悩んで、苦しみながらも、どこまでもまっすぐに、“前”を向いている……そんなあなたと一緒だったから・・・道を見出す勇気を掴む事ができた。 私も────あなたの事が好きよ、リィン」
2人の唇が重なった。
その長いようで一瞬のような口づけは、「あいて!」というトボけたような声で遮られた。
ガイウスが支える盗み聞き組の最上に位置するミリアムが落っこちたのだ。ドスンという効果音と共に痛みを口にする。
それで気づかれたと悟った全員がリィンとアリサの前に姿を現した。
「ミリアム!それにみんな……サラ教官まで!?」
驚くリィンと、わなわなと震えるアリサ。 そんな二人にわかりやすいようにナギトはグッドサインを出した。
それはもう、満面のニヤケ面で。
「グーじゃないわよ!あんたの手引きね、ナギト!」
顔をひっぱたかん勢いでアリサはナギトのグッドサインを叩き落とした。
「みんなもなに笑ってるのよ、もう!」
アリサはぷりぷりと怒ってそっぽ向くが、次の瞬間には、その首がぐるんと回ってナギトを見た。それはいつものナギトのような邪悪な笑み………その様子は言ってしまえば、とても恥ずかしいが、それ以上に面白いものを思い出した、というようなものだ。 きんぱつのあくま、降臨である。
「ナギト……私、知ってるんだからね。あなた、ラウラと二人きりで会う約束してたそうじゃない?しかもこの場所で」
なぜお前がそれを知っている? ナギトは考えたが、弾き出された答えは一つだ。
視線をラウラにぶつける。 その視線から逃れるようにラウラは目を逸らした。
「おぃぃぃ!ラ〜〜ウ〜〜ラ〜〜さ〜〜〜ん!?」
ここに来る前に、ラウラはアリサに相談していたのだ。ナギトと共に学生寮に行く事になったのだが、どうすればいいのか?という内容だ。 その答えは「ありのままがいいんじゃない?」というものだったのだが、その代償がこれとは。
これから何が起きるのか、それは言うまでもない事だが、あえて言うのなら、それは公開処刑だ。
ルールは二つ。
一つは、ここでやるつもりだった行動をとる事。
一つは、みんなをいないものとして振る舞う事。
「やっと……取り戻せたんだな。ここを……俺たちの第三学生寮……家を………」
ナギトは愛おしげに壁のレンガを撫でる。いつもの見慣れた風景の一部が、こんなにも懐かしい。
対するラウラは未だ硬い。みんなに見られている事を意識しているのだ。 しかしナギトは初っ端から全開である。聞いてる側が恥ずかしくなるようなセリフを並べ立てるつもりだった。
「う、うむ……そうだな。ようやく帰って来る事ができた」
しかし、ラウラもまたふっきれる事にした。 私はもう、大半の生徒が見てる中でナギトへの想いを語ったではないか。
ラウラは「ナギト」と名を呼び、その視線を自らに求める。ナギトは求めに応じて、ラウラを見る。琥珀色の瞳は、この前知り合ったヨシュアと同じだな、なんて思考を吹っ飛ばす爆弾が投下された。
「私の想いは先にも伝えた通りだ。私はそなたに惚れている。そなたの事が好きなのだ。どうしようもなく、これ以上なく……我が人生において最上と定めた剣の道と並ぶ程に………」
その言葉に、ナギトは顔面をぶっ叩かれたような衝撃を受けた。驚いたわけではないが、その上目遣いは反則過ぎる。
「故に……そなたにもう一度問いたいのだ。ナギト、剣の道は好きか……?」
その質問は当然のように、あの時を思い出させる。とある教室に拵えられた偽物だが美しい、星空の庭園。
ナギトは一瞬だけ太刀に目を落とした。 左手で柄を撫でる。その感触はいつでも隣にあったものだ。 記憶を取り戻していなかったあの頃の答えを否定するつもりはない。 だがそれでも、ナギトは新しい答えを声にした。
「あの時の俺は、剣は誰かを守る力になるから剣の道が好きだと言った。……その答えは今でも変わらない。……だけど、その意味を、今の俺は理解している。 誰かを守るだけなら、槍でもいい、弓でもいい、銃だっていい。でもなんで剣なのか──それは剣でしかわからないものがあるからだ。剣以外じゃ伝わらないものがあるからだ。少しばかり記憶を取り戻したけど、その根源にあったのはやはり剣だった。俺の人生は剣の道そのものだ。……上手くは言えないけどさ、生まれた時から共にあったものだから。もう分かち難く結びついて離れないものになっちまってるわけなんだよ。だから好きだよ、ラウラ。俺は剣の道も」
剣の道“も”。
それだけでナギトは流れを変じさせた。
複数形が示す他のものは、たった一つしかない。ラウラだ。
ラウラはそれを理解してより一層、頬を紅潮させた。そして、言葉では表せない想いを行動で表現した。
ナギトの手がラウラの手に絡め取られ、胸元に誘われた。今度はナギトが頬を紅潮させる番だったが、ラウラは構わずに続けた。
「この鼓動は未来永劫そなたのものだ。私の道は……これからずっとそなたと共にあると誓おう。しかしこれは私の我が儘でしかない。だから聞かせてくれ……ナギト。 そなたは……私の事が………好き、か?」
これはいけない。こりゃあもう無理ですな、ラウラさんよ。 YES以外の答えがないとはこの事だ。
そんな潤んだ瞳で、そんな事を聞かれてしまっては、答えは一つしかない。
ナギトは空いている左手を顔に当てながら天井を仰ぐ。
「あー、これはもうダメだ。辛抱たまらんです。全部終わってから、とか無理だわ」
ナギトは天井からラウラに視線を移動させる。 今度こそは視線を逸らさずにまっすぐに瞳を見つめて、答えを口にした。
「好きだ、ラウラ。大好きだ。愛してる」
ラウラがそうしたように、ナギトも言葉にできない想いを行動で表そうとして、顔を近づける。 唇が触れ合うまであと僅かという所で、たった一本の指に止められた。 ラウラの人差し指だった。唇に感じるその感触が、記憶に残るラウラの唇の感触と酷似していると脳裏によぎるが、それは今では些細な事でしかない。
拒否された?その推測は瞬時に否定される。眼前の瞳は、それを望んでいるが、それ以上に言葉を求めているのだ。
「………辛抱がたまらんのだろう?」
至近距離で見るラウラは、いつもとは違っているように思えた。それはただの錯覚なのか、それとも今のラウラは普段と違っているのか。
そう聞いたラウラは、意地悪に口角を釣り上げる。流れた汗が首を伝って胸元に消えていく。
「もう、全部終わってから、では無理なのだろう?」
そう問うラウラを表現する言葉が見つかった。妖艶だ。今のラウラは妖艶なのだ。 空腹な所に餌を出されてからおあずけを食らっているような気分になる。欲しい。ラウラ。食べてしまいたい。だけど、逆らうなんてとんでもない。
「だったら、言う事があるはずだ。そうだな、ナギト……」
ナギトは、ラウラが求めているものを必死に考えた。言う事?あの時、俺は何と言った?学院祭のステラガルテンで。
──“「全部終わったら、俺の方から正式に言わせてほしい」”
そう言った。ああなるほど。ナギトは納得した。ラウラらしい。つまりはちゃんと手順を踏め、と。ラウラの指が唇から離れる。 ナギトは自由となったその口で、望まれたセリフを口にする。あの後、言えなかったセリフを。ずっと言えなかった言葉を。
「ラウラ、好きだ。俺と付き合ってほしい」
空白など、ない。 沈黙など、もってのほか。
ナギトとラウラの二人は、互いに惚れ合っていたのだ。しかも、互いに好きになった理由は、相手の
言葉を受け取ってラウラは両手をナギトの首に回す。唇と唇が触れ合う直前に、ナギトだけに聞こえるようにラウラは囁いた。
「───喜んで」
そうして、窓に映る影が一つに重なった。