鉄は熱い内に打て作戦、終了!
夢を見る。
死ぬ夢。彼が、死ぬ夢。
その手からゆっくりと、命の灯が消えていく。
何故だと思った。どうしてこんな悲劇が許されるのかと。
涙は止まらなくて、でも彼の名を呟く事すらできなくて。ただ俺たちはそれを眺める事しかできなくて。例え声を出しても彼の耳には届かず、定められた物語は定められたままに終わる。自分が何をしようと結末は変わらなくて、受け入れるしかなかった。
それでも……ああ……夢を、見る。
彼が生き残る夢。彼が死なない夢。チリひとつ誤算を許さぬ運命、それに風穴を開けて彼を生還させる夢を。
夢を見る。夢を。夢を見る。夢を見た。夢見た。だから俺たちはーーーーー
ーーー運命を変えろーーー
奇跡を背負う。何千万、何億と世界が観測した結末を書き換えるために。
☆★
「眠すぎて眠い」
「文が繋がってないと思うんだが」
ナギトは自らを起こしに来たリィンを見て言った。
夢を見ていた気がする。内容なんて忘れてしまったけど、とても悲しい夢を。
夢を見ていたという事は睡眠が浅い証明であり、未だ眠いのも当然だ。そんな益体もない事を考えたナギトだったが、さすがに授業を欠席するわけにもいかず、リィンには「先に行っといてちょ」と言って身支度を始める。
「やだぁ〜、遅刻しちゃうゥー!」
なんて言いながらトリスタの町を走る。
止まって話をしているリィンとエリオットの間を「遅刻遅刻ゥー!」と言いながらすり抜けて、少しした所で何者かにぶつかった。
まさか、運命の出会い!?こんなシチュエーションでぶつかるなんて運命の出会いに違いない。
と、思ったのも束の間。男の声だったため希望は絶望へと変わる。
「あっ」
しかも、ナギトがぶつかったのはどうやら貴族生徒。しかも見知った顔だった。
パ、パトリックゥー!?と喉まで出掛かり、セリフを飲み込む。彼とはすでに面倒事を起こしている。今日の放課後にフェンシング部で勝負する予定なのだ。そんな彼とこれ以上の揉め事を抱え込みたくないナギトは倒れたパトリックに手を貸す事もなく、
「サーセンっしたぁーッ!」
叫んで、疾風の如く学院への道を駆け上がるのだった。
☆★
やがて放課後となり、憂鬱さマックスのナギトの周りにリィン、エリオット、ガイウスが集まった。
クラブは何にするか決めたのか?、なんて話をする。
エリオットは吹奏楽、ガイウスは美術部にそれぞれ所属するらしい。
「ナギトはどこか決めたのか?」
「正式に所属するクラブはないかな。週一くらいでフェンシング部に通う事にはなったけど」
「へぇ、フェンシング部か。あれ?でも八葉一刀流じゃフェンシングにはならないんじゃないか?」
リィンは当然のように疑問をぶつけてきた。
「だから正式に所属するわけじゃないんだよ。……まあ色々あって週一で顔を出す事になった」
遠い目をするナギトにリィンは察したように「そ、そうか」と言うしかない。
その後、サラが教室に戻って来て、誰か生徒会に行ってくれないかと話があった。なんでも学院生活に欠かせないものがあるとか。
その役目はリィンが引き受けたので、ナギトとエリオット、ガイウスはそれぞれクラブに向かった。
☆★
ナギトがギムナジウムの一角…フェンシング部で使われている部屋に入ると、そこではすでにフェンシング部の面々が待ち構えていた。
部長であるフリーデルに始まり、ロギンス、パトリック、アランまで勢揃い。パトリックはふん、と鼻を鳴らすと「あまりに遅かったから逃げたのかと思ったぞ」と言う。
「すまんすまん」と軽々しく謝ったナギトにパトリックは再び青筋を立てそうになり、今朝の追突について追及しようとしたが、ナギトの雰囲気の変化がそれを許さなかった。
「さて、やろうか」
剣呑。そう表現するのが最も正しかろう。声音こそ穏やかだが、その裏には刃圏に入ったものを尽く斬り伏せる鬼の如き威容が感じ取れて、パトリックは思わず生唾を飲み込む。
生唾は飲み込めても吐いた唾は飲み込めないのが道理…否、誇り。
ロギンスから刃引きしてある模造剣を受け取り、構えた。
「一年Ⅰ組所属、パトリック・T・ハイアームズ」
「一年Ⅶ組所属、ナギト・シュバルツァー」
「いざ参る」と声が重なり、模擬戦が開始する。
大きく振り込んだパトリックが横殴りの一閃を見舞う。が、薙ぎ払ったはずのナギトの姿は陽炎のように消え去り、一瞬の後に目の前に出現する。
剣すら邪魔になる超至近距離で、ナギトはパトリックの胴体を押しつつ足を絡めとり転倒させ、その喉元に模造剣を突きつけた。
「終わりでいいか?」
一瞬の攻防。ただの一度も剣を交わす事もなくナギトとパトリックの勝負は決着した。
卑怯だぞ、なんて負け惜しみすら言えない程の実力差を味わったパトリックは自失のまま突きつけられた剣の鋒を見つめている。
遅れてフリーデルが「勝負あり!」とナギトの勝利を宣言する。
剣を下げたナギトはパトリックを立ち上がらせて、未だ勝負前の気迫を取り戻さないのを見かねて、あえて辛辣な言葉をかける。
「家格だけで調子に乗るなよ、パトリック。人の価値はそんなもんじゃ測れない。それに誇りってのは見せびらかすもんじゃないだろ」
その言葉に食ってかかりそうになるパトリックだったが交差した視線、透徹した眼差しに弾き返されて黙した。
それを見ていたフリーデルやロギンスは予想外の結果に意見を交わしていた。
「おいおい…一瞬かよ」
「これは…ナギトくんの作戦勝ちね」
フリーデルが見抜くナギトの作戦とは、先に見せたナギトの変貌……要は殺気をぶつけられたパトリックが、それに飲まれまいと強気に踏み込んでくる事を見越した誘き寄せだ。
殺気を当てられて強ばった体をほぐす間もなくナギトは勝負を終わらせた。作戦がまんまと当たったとしても上出来な結果と言えるだろう。
「なるほどな。実力差以上に経験の差があったってわけか。……ナギトはパトリックの実戦経験の少なさを見抜いて、気当たりによる作戦を実行したわけだな」
「ええ、おそらくはそうでしょう。こんな場においては少々品がないと言えばそうなのだけど」
とは言え、だ。殺気をぶつけて相手をコントロールするなど、とてもじゃないができる事ではない。それが実力が近しい相手なら尚更だ。此度の模擬戦はナギトの圧勝に見えたが、実の所はそれほど力の差があるわけではない。事前にパトリックの人物像を把握し実戦経験が少ない事を予測できたのもあるが、それ以上にユーシスやフリーデルの剣筋を見ていた事が大きい。
それがなければ、あるいは何の因縁もなく新入部員同士の力比べなどであればパトリックに軍配が上がっていた可能性もあった。
機械音が鳴る。ナギトは懐からARCUSを取り出すと着信を確認した。
「では、今日の所は失礼します」と低頭すると部員らの返事を待たずにナギトは退室、通信に応答した。
「ナギト・シュバルツァーです」と名乗るのとほぼ同時に担任教官のわざとらしく作った低い声音が耳朶を打つ。
「グーテンモルゲン、我が愛しの教え子よ」
「グーテンモルゲン、我らが麗しの教官殿。何か用です?」
「何よこなれた対応しちゃって、可愛くないわね〜。ナギト、ちょっと今から時間を貰えるかしら?もし無理なら夜に寮でも良いんだけど」
「ほう?教官と学生で夜の密会ですか。なんとも心躍りますね」
「あんた、あたしが教官室で教頭に睨まれながら通信してるのわかってて言ってるのよね。まったくいい性格してるわ」
「挨拶の時点で小ボケかましてるし、睨まれてるの俺のせいじゃないですよね。…まあ今なら教官のために時間を作る事はできます」
「言い方。ホントに疑われかねないからやめて」
軽快に言葉を交わしながらサラはナギトに用件を告げる。「少し話したい事があるから教官室に来て欲しい」と。ナギトは二つ返事で了解し、すぐさま教官室に向かう。
「やっほー、ナギト。元気してる?」
会うなりサラは気安く言葉をかけてきた。
さっき会ったばかりでしょうが、という言葉が喉元までせり上がってきたのを抑えて返答。
「元気ですけど」
「素っ気ないわね。そんなんじゃモテないわよ?」
余計なお世話だ、という言葉を再度飲み込み、顎をしゃくって教頭を指す。
電話口でならいくらでもボケて見せるが、教官室でバカをやるほどの胆力はナギトにはなかった。
入学して約半月で、いかにも神経質そうな教頭に目をつけられるのは避けたいナギト。しかしサラは気にした様子もなく言葉を続ける。どうやらサラにとって教頭に睨まれるのは日常茶飯事らしい。
「まあ、あなたを呼び出したのには理由があってね、本来なら特別オリエンテーリングの時に言っておくべきだったんだけど」
サラはそこで一度区切る。一瞬だけ躊躇いがあって、それから本題に入った。
「えっと、言いにくいんだけどあなたのARCUSの適正についての話よ」
ARCUSの適正について。《Ⅶ組》に選ばれたのは特別ARCUSの適正が高かった者たちという話だ。
ARCUSの真価と言えば味方の動きをリアルタイムで読み取る戦術リンクだが、それ以外にも通信機能や戦術オーブメントとしての機能も備えている。
ナギトの頭を過ぎるのはオリエンテーリングでの一幕。魔法使いデビューだ!と息巻いて放った導力魔法ファイアボルト…火球が飛び出すはずのそれは火花と言って差し支えない威力であった。
「実はね、あなたのARCUSの適正はほかの《Ⅶ組》メンバーと比較すると低いのよ。ギリギリARCUSを使えてるって感じね。それでもARCUSの様々な機能を扱うのには困らないんだけど……ただ1つだけ、ほかのメンバーには劣る点があるのよね」
もしかして俺のアーツ適正低過ぎ……?という疑問があったが、今のサラの話を聞く限りではおそらく違う。
「アーツの出力の話ですか?」
「気づいてたのね」と言うサラにオリエンテーリングでの出来事を伝える。少しだけ気の毒そうな表情のサラを無言で見つめて次の言葉を促す。
「察しの通り、あなたがアーツを使うと、通常とは比べ物にならないほど効果が小さくなって出力されてしまうわ」
やはり正面から言われるとショックを受けるナギト。戦術オーブメントを手に入れてからこっち、アーツを使うのを楽しみにしてただけにがっかり度合いも推して知るべし、だ。
しかしそこは発想を逆転してポジティブシンキングするナギト。
アーツ系統のクオーツをARCUSにセットしても効果が低いのであればステータスアップ系統のクオーツを優先してセットできるのだと。
「なによ、あんまりショックじゃなさそうね?」
「いや、ショックですけど」と返事をしつつ、“どうして自分のARCUSがそんな仕様なのか”という点について考えるナギト。
ARCUSの適正が低いなら他のクラスに振り分ければいいだけ。リィンと兄弟だからと言って気を利かせて同じクラスにした、なんて学院にとっては何の利点もない。
というか、ARCUSを使える代わりにアーツの出力が低くなる…とはどういう事だろう?ARCUSを使う代償にアーツの出力を落としたというように理解するのは曲解だろうか。
無理矢理にARCUSを使用可能にしてまで自分をⅦ組に入れたかったのか、と考えるのはさすがに邪推か。
しかし曲解に邪推を重ねて、あるいは正道に立ち戻る事もある。マイナスとマイナスをかけ算するとプラスになるように。
それに、とナギトは視線を教官室に走らせる。放課後だからと言って教官すべてが教官室に集っているというのは出来過ぎではなかろうか。それはまるで、ここでナギトが暴れても制圧可能な面子を揃えているかのように感じられて。
ナギトはそこまで考えて、跳躍した思考を笑う。考え過ぎだと。
「あと、もう1つ話があるわ」
ナギトの思考の決着を知ってか知らずか、サラは話題を変える。“教官に向いてないのではないだろうか”というナギトの評価が誤りであるというような教官らしい瞳。
「貴族生徒と平民生徒の集まる《Ⅶ組》において、あなたとリィンの存在は特別よ。それは否定しないわね?」
特別。確かにそれはそうだ。リィン・シュバルツァーとナギト・シュバルツァー。共にシュバルツァー男爵家の姓を名乗ってはいるが、その実態は養子。身分は貴族でありながら心持ちは平民より…という所だろうか。
というより養父の影響で悪い意味での貴族らしい貴族ではない、と言うべきか、ともあれ貴族と平民という身分の差の中間にいると言えるだろう。
「だから、あなたとリィンには《Ⅶ組》の“重心”になってほしいのよ。“中心”ではなく“重心”に」
中心ではなく重心。サラの言葉を咀嚼するナギト。
ユーシスとマキアスの例が最たるものだがⅦ組は色々と爆弾を抱えているクラスだ。価値観の相違など、様々な事柄がⅦ組の絆を深めるのを阻害する要素になるだろう。それには身分の違いも一役買う事は間違いなく。
それらを未然に防ぐ、あるいは事が起こった後に対処するのに適した立ち位置を得ろと。
「と言っても、あなたはリィンと比べると一歩引いてるところがあるのよね」
そこまで見ているとは、とナギトは目を細めて驚く。ナギトはⅦ組では今のところユーシスとマキアスの喧嘩の仲裁役のような立場に収まっていて、それこそが重心の役目だと思われる可能性もあったが、実はそうではない。
ナギトは喧嘩を止めても、それ以上は踏み込まない。あくまで当人たちの問題として片を付けるべきである、というのがナギトのスタンスであり、サラが「一歩引いている」と言う点なのだ。
「あたしはリィンに“重心”としてクラスをまとめるように言うわ。
でも“重心”として動くようになれば否が応でもストレスが溜まってくると思うの。だから、あたしがあなたに頼みたいのはリィンのケア……言うなれば“重心”の“重心”って所ね」
「“重心”の“重心”ですか。いや…これはもはや“重心”の重臣と言えるかもしれない…!」
ハインリッヒ教頭にバレないように小ボケを挟みつつリィンについて考える。
リィン・シュバルツァー。一見すると落ち着いた好青年だが、その実とても不安定な子供だ。
入学して半月で色んな爆弾が見え隠れするⅦ組だが、リィンのそれはⅦ組の中でもとびきりだ。そんな爆弾を抱えているリィンに重心が務まるかどうか。いや、そんな爆弾だからこそ容易には爆発しないだろうと考える事もできる。
そう考えれば、やはりリィンこそがⅦ組の重心にふさわしいのだと結論した。
「それじゃ頼んだわよー」とナギトの小ボケを受け流しながらサラは会話を打ち切った。ナギトも捨て鉢に了解の意を示して教官室を出る。
その足が向かうのはギムナジウムだ。先程のパトリックに向けた言葉は諫言ではあったが、刺々しいものが混じっていたのも間違いはない。始まったばかりの学院生活で四大名門の子息の不況を買うのはまずいと考えたナギトは謝罪すべくフェンシング部に向かったが、すでに部活動は終わっていた。
空を見上げれば夕陽はほとんど沈んでいて、暗がりに包まれかけている。サラとの会話にそれなりの時間を割いていたようで、パトリックへの謝罪は後日に取っておく事を決意したナギト。
そのまま第三学生寮に帰ろうとしたが、ギムナジウムの出入口でラウラと遭遇した。
「む、ナギトか。そなたも今、帰りか?」
「ラウラもそうみたいだな」と返しつつ一緒に帰る構えを取る。
「そなたはフェンシング部であったな。クラブ活動すら剣を選ぶとは、そなたも中々に剣が好きなようだ」
「まあ週一で顔を見せるくらいの幽霊部員だけどな。華の青春すべてを剣に捧げるのはちょいと遊びが足りないと思うし」
「ふむ、“遊び”か。私の剣には未だない要素ではあるな。それがどんなものか聞いても?」
「うーん、言葉で説明しようとすると難しいんだが…」
ラウラもナギトの同道を拒まず、二人は並んで帰る事になったのだった。会話の内容は剣の談義という色気のないものであったが、二人の表情から笑みが欠けることはなかったという。
☆★
さあて今日は待ちに待った自由行動日だ!と息巻いて部屋を飛び出したのが昼過ぎだったナギト。
普段から朝に弱いナギトだったが自由行動日は“思いっきりだらけるぞぅ!”と意気込んでいたのもあって二度寝、三度寝を敢行。本格的に目を覚ましたのが昼過ぎになるという、貴重な自由行動日の半分を寝て過ごすという覚悟を貫徹し、少しだけ後悔していた。
「さてさて何するか…」
帝国時報にさらっと目を通し、昼食を終えたナギトはトリスタの中心にある小公園で大きく伸びをする。
昼過ぎである事を考えれば帝都まで行って遊ぶ選択肢は除外される。かと言ってトリスタで何かする事もない。暇つぶしに時間学院の図書館に向かおうとも考えたが、そこでピンときたナギト。
よし、ラウラの水着姿を拝みに行こう!
決意は決して声に出さず胸に秘める。町中でリィンが走り回る様を見かけたが、あれは住民に話しかけて回ったりするいつものマラソンだろうと決めつけて声をかける事はしない。
ルンルンしたままギムナジウムに向かうと、その入口の近くに少女が立っていた。貴族生徒を意味する白い制服にブロンドの髪を伸ばした美少女が。
リィンなら話しかけるだろうか。でもなぁ…俺だしなぁ…一応制服だから不審者扱いはされないだろうけどなぁ……
とナギトが話しかけるかどうかを迷っていたら、その美少女からナギトに話しかけた。
「あの、すみません。フェンシング部の方でしょうか?」
「あー、っと。幽霊部員…入ったばっかで幽霊部員というのもなんですがフェンシング部の幽霊部員です!」
普通に答えようとしたナギトだったが彼女の憂い顔を見て、わざと明るく馬鹿らしく返事をする。外してしまったが。
「私の知り合いがフェンシング部に入部したらしくて、様子を見に来たんですけど、部室を前にしたら勇気が出なくなってしまって…」
知り合いと聞いてまず浮かんだのはパトリックの顔だ。貴族同士だし何かと縁もあろう、と。しかし、そんな予測は次の言葉に裏切られる。
「なので、もし良ければ代わりに様子を見て下さいませんか?私の知り合いはアランと言います」
アランという名前を記憶から掘り返すと、フェンシングに入部した平民生徒であった事が思い出された。
ほう、ほう……ほう?どことなく面白い波動を感じる。平民男子と貴族女子の身分を超えたラブロマンスの予感がナギトの中で迸った。
二つ返事で了解すると美少女はブリジットと名乗る。それを聞いてフェンシング部室に「お疲れ様ですぅ」としれっと入る。
入る、と。そこではすでに勝負が決していた。
パトリックとロギンスの。すでに昨日の時点で一色触発だったらしいが、パトリックがナギトとの勝負を控えている事もあって今日に持ち越したのとこと。
結果は引き分けで、それを見ていたアランは「やっぱり貴族には勝てないのか」といった旨の発言をしており、劣等感が垣間見える。
確かに見方によっては部内の実力の序列はまずフリーデルがいて、それからパトリックとロギンスが次いで…となる。幽霊部員であるナギトも含めれば部内の上位三人は貴族生徒であると言える。
アランの言葉に「そんな事はない」と言うのを飲み込んだ。剣の腕に生まれが関係ないーーーなんて事はない。
貴族というのはそも、過去に偉業を成し遂げた者の末裔であり才覚が他の者より優れて産まれる確率は高い。加えて、英才教育に際して剣術を修めさせる事もあるだろう。武を尊ぶ帝国なら尚のこと。
だが。
「大切なのは剣を振るう理由だ」
それを差し置いても大切なのはーーーと、ナギトは口にしていた。
「パトリックの剣技は自分を飾り付けるための装飾品に過ぎない、言わば惰性」
これまでの修練が、今の実力に至らせているのみ。
「お前の剣を振るう理由はなんだ、アラン。……女に悲しい顔をさせるなよ」
そこまで言って「な〜んちゃって」とおどけるつもりだったナギトだが、アランが「剣を振るう理由…」とまじめ腐った顔で呟いているのを見て喉元で押し留める。
リィンのようにクサいセリフを連ねるのは小恥ずかしいし、他人の恋物語なんて野次馬根性フルスロットルで見守りたいところなのだが、そこに“剣”を意味付けられると真摯に対応するしかないナギトであった。
「剣を振るう理由、か」
口の中だけで呟いて、自嘲する。アランに言っておいてナギト自身もそれをわかっていないのだ。自分が剣を振るう理由を。
今はただ、手に馴染むというだけで八葉一刀流に縋っているが、記憶を失う前の自分が剣を振るう理由はわからない。
しかし、このトールズでならそれを見つけられるかもしれない。そんな予感がナギトにはあった。
「貴様は……来ていたのか」
息を整えて立ち上がったパトリックはナギトの姿を認めると声をかけてくる。話しかけられたナギトは朗らかに笑うと、
「おうパトリック、昨日はすまんかったな!言いすぎたわ!」
昨日の出来事を軽々しく謝った。それはある種の気遣いでもある。
“決闘”なんて重々しいものを回避し、“勝負”という体裁も立たない程の結末を迎え、しかしそれを“喧嘩”にまで落としめる言葉。
勝負のように白黒つけるでなく、明暗を分かつのでなく。喧嘩両成敗という形でこの出来事を収めようというのがナギトからの提案である。
パトリックは一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたが、おおよその意図を察すると自らを鼓舞するように「ふん」と鼻を鳴らした。
「先日の件については、僕にも過ぎた部分があった事は認めよう。しかし今後は貴族を貶める発言は控えてもらいたい…これでも四大名門の一角、ハイアームズ家の子息だからな。他の者たちの手前、面子もある」
「うん、わかった。今後は気をつけよう…お互いに」
売り言葉に買い言葉、学生だからこそ喧嘩で終われる出来事だ。二人が大人で同じような闘争があったのなら、後に引けぬ決闘以上の最悪を迎える可能性だってあるだろう。
今後はお互いに言葉には気をつける、という事で話は決着した。
真面目な話が終わると、ナギトは深い笑みから朗らかな笑顔に表情を変えてパトリックの肩を抱いた。
「おっし、じゃあこれから友達だな。よろしくマイフレンド!」
うざったらしく絡んでくるナギトを引き剥がして、パトリックは叫ぶ。
「ええい、何がマイフレンドだ!僕たちはライバルであるべきだろう!」
「ほほう、ライバルとな?なら今から模擬戦でもやるか?」
「それは」と言葉に詰まるパトリック。ロギンスと一戦交えた直後であり、消耗した今では歯牙にもかけられず敗れると見たのだろう。しかし逃げ腰の台詞を吐くわけにもいかず。
「あら、いいわね。それなら私も混ぜてもらおうかしら」
そこに割り込んだのはフリーデルであった。スー、と血の気が引いていく音を自覚したナギト。
ああ、つい今さっき言葉には気をつけると自分で言っておいてすぐにこれだ、とナギトは自省する。
フリーデルと模擬戦という事態をどうやって回避すべきか思考を巡らせる。思い浮かんだのはブリジットの顔だった。そもそもフェンシング部に顔を出したのはブリジットからの依頼があったからであり、その報告のためならば模擬戦から逃れる良い口実となるだろう。
「すみません、用事を思い出したので今日はこれで」
「それはどれくらいかかるのかしら?」
「10分もあれば」
即答していた。逃げようとしていたはずなのに、フリーデルの嘘ついたら針千本飲ます(物理)という笑顔に逆らえず、恐怖のままに真実を曝け出してしまった。
その後、ナギトはフリーデルに言われるままに急いでブリジットに報告を済ませ、フェンシング部に戻って模擬戦を行った。地獄の百本勝負(部内総当たり戦)が終わる頃にはナギトはやつれ果てているのだった。
まこと、口は災いの元である。
☆★
フェンシング部の百本勝負でやつれ果てたナギトを潤したのは、ラウラの水着姿であった。
休憩するという彼女と談笑しながらラウラの水着姿を視姦したナギトはご満悦だ。ジロジロ見すぎだ!というツッコミ待ちでもあったのだが、ラウラはそっち方面には疎く、ナギトが少しだけ罪悪感を覚える結果となった。
その罪悪感を抱えたままギムナジウムを出ると見計らったかのようにARCUSが着信音を鳴らす。
「士官学院《Ⅶ組》、ナギト・シュバルツァーです」
「あ、リィンだけど」
リィンの話は「今から旧校舎を調べるんだけど手伝ってくれない?」というものだった。どうやら学院長であるヴァンダイクからの依頼らしい。
探索メンバーが男子だけだったので気乗りはしなかったが、付き合う事にした。
メンバーはナギト、リィン、エリオット、ガイウスの4人だ。
旧校舎に足を踏み入れると、その異様さが身に染みてわかる事となった。
「…嘘だろ」
「ふむ、俺たちが前に来た時より2回りは部屋が狭くなっているな」
「それに、あの石像もないみたいだし…」
レクレーションの最後にガーゴイルと戦った部屋の大きさが変わっていたのだ。
それに、前に来た時にはなかった門すら出現している始末。
さらに進むと、この旧校舎地下の構造そのものが変化しているのがわかった。
すでに帰りたい気持ちマックスのナギトだったが、リィンの言葉により先に進む事が決定してしまっていた。
徘徊する魔獣にはさして苦戦する事もなく、最奥の部屋に辿り着く。
「ここが終て……んん?」
ここが終点みたいだな、と言おうとしたナギトだったが、その前に眼前の空間が歪み始めた。
歪みが収まると、そこには魔獣が出現していた。
この旧校舎地下を徘徊するただの魔獣とは違う、一筋縄ではいかないと思わせるような気配を漂わせている。
いや、これはむしろガーゴイルと同じ魔物に属する類いなのではないか。
見た目は、毛むくじゃらの鬼と言った所だが、油断はしない方がいいだろう。
戦術リンクを駆使して何とか魔物の体力を削っていく。
裂帛の叫びと共にエリオットのアーツとガイウスのクラフトが魔獣に直撃する。
しかし魔獣はそれを意に介さず(というよりは意図的に無視して)ガイウスに肉薄。振り下ろすだけで大ダメージを与える腕を高く持ち上げた。
「伏せろガイウス!孤影斬!」
崩れた体勢で、しかしそのまま伏せる事はできたガイウスはリィンの指示に従う。
ガイウスが伏せた上の空間を孤影斬が走り魔獣の胴体を深く切り裂いた。
エリオット、ガイウスから続く三連撃に魔獣はたたらを踏む。ダメージは着実に蓄積しているのだ。
そこにナギトが踏み込み、切り裂かれた胸板を刺突でさらに深く抉る。
苦し紛れに魔獣は両腕を振り回す。ナギトはそれを後退して躱した。
「ナギト!」
「ああ!」
リィンと戦術リンクを繋いで同様に太刀を構えた。
「「四の型」」
魔獣が吼える。決死の覚悟がX字に交錯し、魔獣の剛腕が振われるより速く斬撃が刻まれる。
「「紅葉切り!」」
パチン、という納刀音が小気味良く響き魔獣が崩れ落ちる。
「ふっ」と息を吐いてリィンに微笑みかけたのはナギト。笑みを向けられたリィンもまた笑い、ここに戦いが決着した。
「すごいや…」
「ああ、さすがは兄弟と言ったところか」
文字通り息ぴったり、というのがエリオットとガイウスの感想だ。呼吸の一つすら違わぬ連携。戦術リンクの恩恵もあるのだろうが、それ以前の絆が2人の連携の妙なのだろうと理解した。
その後、ナギトらは学院長ヴァンダイクに旧校舎について報告する事になった。
ヴァンダイクの話によると、旧校舎はたびたび異変が報告されていたが、今回のように内部の構造がまるっきり変化していた事はさすがになかったそうだ。
それに、旧校舎ができたのはトールズ士官学院の設立以前……かの《暗黒時代》の産物らしい。
《暗黒時代》とは栄華を誇った古代ゼムリア文明の《大崩壊》後に人々が彷徨った、まさしく暗黒の時代の事だ。
《暗黒時代》は女神を崇拝する七曜教会の活躍により終焉を迎えたものの、その残滓は大陸各地に残っているようだ。
☆★
それから数日が経過し、実技テストの日がやってきた。
機械仕掛けの魔獣らしきものを相手に3人〜4人を一組として相手にする。ナギトはリィンやガイウス、エリオットと組み、先日の旧校舎探索の経験もあってか余裕を持ってテストをクリアする。
他の面子も3人一組となって機械仕掛けの魔獣と対峙するが、戦術リンクがあっても未だ連携はぎこちなくテストはクリアしたものの及第点と言った所だった。
実技テスト終了後、サラから《Ⅶ組》の特別なカリキュラムについて説明がなされた。
それは特別実習と言い、A班、B班に別れて帝国各地に赴き、用意された課題を達成するというものだった。
ナギトの所属はA班。メンバーは、ナギト、リィン、アリサ、ラウラ、エリオット。行き先は貿易地ケルディック。日時は今週末、両班共に鉄道で移動との事だった。
☆★
特別実習開始日、朝早くに目覚めてしまったナギトは周囲を軽く散歩してから学生寮に戻った。
準備も終えて30分前には集合場所である寮の玄関にあるソファに寝転がっていた。
しばらくするとリィンがやって来て、その後すぐにアリサもやって来た。
妙な沈黙にナギトは青春臭い波動を感じとる。この時点ですでにニヤニヤがノンストップだったが、からかうのを我慢してリィンとアリサのやり取りを見守る。
2人はいくつか言葉を交わした後、同じタイミングで謝り合い、そしてまた同じタイミングでどうして謝るのかと互いに聞く。
それから、妙に気が合うみたいだな、みたいな会話をした後にエリオットとラウラもやってきた。
やってきた2人は、リィンとアリサが仲直りしたのをわかったようで少しいじる。
……いや、2人ともあれは素なのか?
狙って言ってるわけじゃないのなら…非常にデンジャラスである。
「さて、これであとはナギトだけか」
ラウラがそう言う。どうやらリィンらの立ち位置からはナギトが見えないようで「呼んでくるよ」と言ってリィンが階段に向かおうとするが、無駄足なので止めておく。
「その必要はない」
微妙にカッコつけながらソファからむくっと体を起こしたナギトに硬直するリィンとアリサ。
「ナ、ナギト……いったいいつからそこに?」
リィンの問いにナギトはニコッ!と効果音が出そうなほど快活な笑みを見せる。
「えっと…じゃあまさか私たちのやりとりを……」
アリサが冷や汗を垂らしながら聞いてくる。
ナギトは何も言わずにニカッと笑い、グッドサインを見せた。
☆★
列車は走る。有角の獅子紋を背負う若人たちを乗せて。
貴族派と革新派の陰謀渦巻く帝国の地を駆け抜ける。
行き先はーーー貿易地ケルディック。