デイジィとアベル(二)カザーブの休息   作:江崎栄一

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〇二 丸腰の女

 小男は悲鳴をあげ、腕を押さえてうずくまった。手の甲に、銀色のフォークが深々と刺さっている。そのフォークを確認し、苦悶の表情を浮かべた。そこには血が滲み始めていた。

「誰だ!」

 大男が周囲に怒鳴り散らした。

 一瞬の静寂が訪れたあと、ハスキーで、ドスの効いた女性の声が響いた。

「やめな! 大の男が寄ってたかって、そんな坊やに乱暴か?」

 青いドレスを着た女の人がこっちに向かって歩いてくる。その鋭い眼つきは、まっすぐに大男へ向けられていた。女の人は二十歳くらいだろうか。ほっそりとした体形で、武器も持っていない。周囲には取り巻きもいないようだ。それでもこの女の人は、整った顔に余裕を含ませていた。

「なんだ……。女じゃねぇか。お前がやったのか?」

 大男の声は、安堵しているようにも、この女の人を馬鹿にしているようにも聞こえた。

「ああ、そうだよ。お前たちがあんまりにもみっともないんでね」

 女の人は、不敵な笑みを浮かべた。周囲の人たちは道の端に捌け、オレたちを取り囲むような格好になった。

「ふざけやがって……。痛えじゃねぇか、このアマがぁ!」

 小男が手からフォークを抜いて、地面に叩きつけた。怒りに歪んだ顔で、女の人に向かって歩き始めた。

「へえ、あたしとやろうってのかい……」

 それを見ても、女の人に動じる様子はなかった。まさか、この人は荒くれ者相手に喧嘩するつもりなのか。そんなの無茶だ。丸腰の女が、武器を持った男三人を相手に敵うはずがない。

「いい女じゃねえか。おい、あんまり乱暴にするんじゃねえぞ」

 大男が薄ら笑いを浮かべながら、小男に向かって言った。はなから勝った気でいるようだった。無造作に女の人へ歩み寄っていく。

 二人の間合いが縮まった。

「があっ!」

 小男が叫んで、突進した。腰を落として両腕を前に突き出している。真正面から掴みかかるつもりだ。

 女の人はそれを見ても特に構える素振りを見せなかった。だが小男の手が届きそうになった瞬間、素早く横に飛んで、その突進を難なくいなした。

 目標を失った男は、脚を踏ん張って身体を止めた。その止まった背中に向かって、女の人は一歩踏み出し、すかさず間合いを詰めた。

「くそっ!」

 小男が振り返った瞬間、ドレスのスリットから白い脚が物凄い速さで飛び出した。

 そのつま先が、男のあご先に突き刺さっていた。

 鋭い前蹴りだった。

 小男は呻き声もなく崩れ落ちた。

 ぴくりとも動かない。完全に意識を失っているようだ。

 女の人は、宙で剥き出しになった脚をゆっくりと降ろし、スカートの中にしまった。

「なんだ。威勢ばかりで大したことないじゃないか」

 あまりの早業にオレは声を発することができなかった。

「てめえ!」

 大男と、取り巻きの痩せ型の男が、腰に帯びた剣の柄を掴んだ。その顔から、さっきまでの薄ら笑いは消えていた。本気で闘うつもりのようだ。

「危ない……。に、逃げてください」

 何とか声を振り絞って、それだけ言った。その声は届いたようで、女の人はオレを一瞥して、余裕の笑みを浮かべた。

 誰かの声がした。

「デイジィ、手を貸すぞ」

 一人の若い男の人が、女の人に駆け寄った。浅黒い肌に黒い髪。長身に屈強な肉体。いかにも強そうな人だった。

 仲間がいたのか……。

 オレはホッとした。デイジィと呼ばれた女の人は実際強いようだが、剣を持った男二人を同時に相手することはさすがに不可能だろう。

 しかしデイジィと呼ばれた女の人は、仲間の男の人の胸に手を当てて、後ろへ押しやった。

「アベル……。手助けは無用だよ。この程度の連中、あたし一人で十分だ」

 そう言って、再び挑むような視線を荒くれ者たちに向けた。

「舐めやがって……」

 それが火に油を注いだのか、とうとう荒くれ者二人は剣を抜き、女に向かって構えた。銀色に輝く刀身。鉄の剣だ。

 周囲に観衆たちの悲鳴が響いた。この温和なカザーブの町中で剣を抜くなど御法度だ。

「お前ら、素人だね。悪いことは言わない。とっとと降参しな」

 女は余裕の表情で、荒くれ者たちを素人呼ばわりした。

 大男は険しい表情で、女の人との間合いをゆっくりと詰めていった。

「クソ女が……。調子に乗るんじゃ……ねえ!」

 大男が剣を振りかぶった。

 オレは恐怖に固まり、目の前の状況から眼が離せなくなった。

 剣が、女の人に向かって真っすぐに振り下ろされた。

 女の人は、また小さくステップを踏んで、その斬撃を難なくかわした。

 巨大な剣。一撃喰らえば致命傷になるだろう。大男は次々に剣を振るう。しかし、全て空を切った。女の人の動きは洗練されていて、無駄がない。相手の太刀筋を完全に見切り、最小限の動きで交わしているようだ。その様を見続けているうちに、いつの間にかオレの中の不安は消え、美しい動きに見とれるようになっていた。

「くそぉ! ちょこまかと逃げ回りやがって!」

 大男が荒い息をたてる。

「どうしたんだい。そんなに息を切らして」

 女が嘲笑うように言った。

「うがぁ!」

 大男がもう一度振りかぶった。

 その瞬間、女の人は素早く一歩踏み出し、身体が開いた大男の懐に潜り込んだ。

 腰に構えた右の拳を、顎先に素早く叩き込んだ。

 大男の動きが止まった。

 振りかぶった剣が、大男の背中側の地面に落ちた。

 大男の膝から力が抜け、前のめりに顔から地面に崩れ落ちた。そのまま女の人の足元で土下座をする格好になって、ピクリとも動かなかった。

 さっきの小男と同じように、一発で意識が飛んでしまったようだ。

「さて……。お前はどうするのかな?」

 残りの一人、痩せ型の男に向かって言った。

「ぐっ……。くそぉ!」

 その男はたじろぐように後ずさりしていた。そしていきなり踵を返し、人だかりに向かって駆け出した。

「逃がすと思うか!」

 女の人も颯爽と駆け出した。

 もの凄い速さだった。男との距離は一瞬で縮まった。女の人は宙へ跳び上がり、男の後頭部に手を当てて加速させた。

 体勢を崩した男は、そのまま前に倒れた。

 男は何度か地面を転がったあと、立ち上がろうとした。そのタイミングに合わせて女の人は男の腕を取り、背中で捩じり、動きを封じた。

「ぐああ! て、てめぇ!」

「さあ、年貢の納め時だ」

 男は動きを封じられていた。

 周囲に観衆たちが、わっと沸いた。

「すごいぞ、姉ちゃん!」

「こっちに来て一緒に飲もう!」

 観衆に向かって、女の人は笑顔で手を振った。さっきまでの険しくて挑発的な眼は潜み、優しい顔になっていた。

 遅れてやって来た自警団に荒くれ者の男たちを引き渡すと、アベルと呼ばれた男の人と一緒にオープンバーのテーブルへ向かった。この町の中央広場には屋台が立ち並び、公共のテーブルで食事を取ることができる。さっきまでそこで食事をしていたようだ。

 女の人は椅子に腰かけると、頭の後ろで両手を組んで、背もたれに寄りかかった。薄暗い空の元、剥き出しの肩や脇の白い肌が眩しい。楽しそうな顔で、連れの男の人と談笑している。今の出来事など、まるで意に介さないようだった。

 オレは、この人の美しい動きと強さに心を奪われていた。考えるよりも先に、この人の前へ駆け寄っていた。

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