アリアハンで魔王バラモスを倒したその日、あたしとアベルは二人だけで新たな旅を始めていた。冒険を共にしたかつての仲間、ヤナック、モコモコ、ティアラには言わず、夜逃げするように皆の元を離れた。
「デイジィ……。早く行こう」
アリアハンの住民が寝静まる頃だった。アベルの家の玄関をノックした。感じていた不安とは裏腹に、そこには満面の笑みであたしを迎え入れるアベルがいた。アベルはあたしを強く抱き締めたあと、手を引いて下弦の月に照らされた野原を進んだ。最小限の荷物だけを手に、あたしたちはカザーブへと向かう山道を歩いた。弱々しい月明かりだけが頼りだった。でも、辛く長い冒険を続けていたあたしたちには十分だった。
世界の平和を取り戻した喜びを噛みしめる仲間たちに一言もなく別れることに罪悪感はあった。皆、話したいこともあっただろう。でも、この機会に旅立たなくては他の面倒なことに巻き込まれてしまう。魔王が倒れたといっても、まだこの世界には奴らの残した傷跡に苦しむ人々が大勢いる。清かった河川の水は「死せる水」に汚染され、生活用水を失い、住処を離れざるを得なくなった者。魔法によって作り出された宝石モンスターに故郷を破壊されたも者。
苦しむ人々を助けることも大切なことだとはわかっているが、さすがのあたしも八年間にもおよぶ冒険の日々には疲れていた。魔王討伐という大仕事を終えた直後くらいは、ゆっくりしたかった。休む暇もなく、また新たな大仕事をやらされるなんて勘弁してほしい。これからしばらくは、アベルと二人だけで安らかな時を過ごしたい。
魔王討伐の冒険が終盤に差し掛かった頃、あたしとアベルは互いに想い合っていることを知った。ずっと支え合って、互いを思いやりながらいくつもの修羅場を潜り抜けてきた。そのせいで、仲間意識がいつの間にか愛情に変わっていた。それに気づいたきっかけはイエローオーブを求め、二人だけでコナンベリーへ向かったこと。四日間夜を共にする中で、アベルはあたしに愛の告白をした。前からアベルのことを想っていたあたしは、その告白を受け入れた。
二人の想いが通じたあとは、関係が発展するのに大した時間はかからなかった。最終決戦を目前にし、常に死の恐怖が隣り合わせ。そんな状況では、愛を欲するのは当たり前のことだろう。レイアムランドで将軍ハーゴンとの闘いの前夜、あたしたちは燃え上がり……。愛を交わした。
思えばあたしとアベルは似たような境遇だった。どちらも親もいなければ兄弟もいない。そんな天涯孤独の身で、失った何かを求めて旅を続けていた。アベルは魔王に攫われた幼馴染のティアラを、あたしは奴隷商人に連れ去られた弟と妹を。最終決戦を終えたとき、あたしたちを突き動かしていた全てがなくなった。あたしたちは糸が切れたように緊張を失い、自分たちの自由と楽しみを求めたい気持ちになっていた。
だからこうして二人だけで旅に出ることにした。行く先など決まってはいない。しがらみから逃れることが目的だった。
その旅で、最初に訪れた町がこのカザーブ。アリアハンからはそう遠く離れていない。川沿いに山を登り、一日半歩き続ければ到着する。
高原に位置するこの町は、牧畜や高原野菜の栽培が盛んで、美味い物がたくさんある。それに高原ならではの気候は、日中こそ陽射しが強くて暖かいが、夜になると一気に冷える。厳しい冒険を続けていたあたしたちにはいい休息になる場所だった。
ここに来てから一週間が経った。
最初の三日間は闘いで傷ついた身体をゆっくりと休めることに専念した。朝は遅くまで寝る。昼間もせいぜい食料品を買うために外出する程度。あとはアベルと一つのベッドで横になり、他愛もない話をして、愛を交わした。
楽しい毎日だったが、冒険の中であたしが負った心の傷は深かった。人生の大半を犠牲にしてやっとのことで探し出した弟のトビーは、あろうことかあたしたちの宿敵であるバラモスの配下となっていた。皮肉にもあたしたちは剣を向け合いながら再開することになったのだ。
トビーはあたしと剣を交える中で改心し、最後には正気を取り戻した。しかしほとんど話をする時間もないままあたしの目の前でバラモス親衛隊長のジキドに殺された。そして妹は遠い昔に死んでいたことがわかった。
このカザーブでゆったりとした時間を過ごしていると、時折このことを思い出して悲しみに暮れた。その度にアベルに身を委ねた。心を保つために、愛を感じていたかった。アベルも生き別れになっていた父親を、再会した直後に失っている。それなのに、文句の一つもなくあたしを慰めてくれた。この男を愛して良かったと思う。
そうやって過ごしているうちに身体の疲れはなくなっていた。二人とも元来じっとしているのが苦手な性質だ。カザーブの町を散策してみることにした。ずっとベッドの上で過ごしているのも退屈になったし、色々な町の生活を試してみるというのも旅の目的の一つだったからだ。
二人で繁華街を歩いた。今までは武器屋や旅の助けになる道具屋ばかりを見ていたが、今は違う。日用品や装飾品、二人の生活を彩る物品に目が行くようになった。中央大陸の地図も買った。今まで使っていた竜伝説の地図や勇者の地図は役目を終えた。もう宝も神器も探す必要はない。これからは自由な旅を楽しむための、普通の地図がいい。
二人でその地図を見て、これからどんなところに行ってみたいか話し合った。あたしの方が旅が長く、色々な町を知っている。今まであたしが旅してきた町をアベルに教えてやった。アベルは楽しそうに話を聞いた。それでもあたしにも知らない町はまだたくさんある。こうやって、未知の旅を話し合うのは楽しかった。
町の周辺にある草原や森も散策した。この近辺の川や湖は、「死せる水」による汚染を免れたようで、水が透き通っていた。山道には綺麗な花が咲き乱れている。
「まだリンドウが咲いているんだな」
あたしが紫色の花に見とれていると、アベルがその名前や生態を教えてくれた。意外にもアベルは花に詳しかった。他の女の陰を感じたが、仕方ない。それよりも、こういう穏やかな話題で話せるのが嬉しい。二人で歩を進め、山の上から辺りを見下ろした。美しく広がる森を眺め、涼しい風を受けながら二人で佇んだ。
もう、命をかけるような闘いはしなくてもいいんだ。
こんなに幸せな気持ちになれることが信じられなかった。弟たちを取り戻すために、強さと金を求め続けた、かつての殺伐とした日々が遠い昔のように感じられた。辛い冒険の日々だったが、今では懐かしく思う。あれに耐え抜いたおかげで、アベルに出会い、こうやって二人で歩いているのだから。
「おい……。久しぶりに二人で剣の修行をしないか?」
あたしから聞いた。アベルは一瞬驚いた顔をしてから、笑った。
「そうだな……。やろう。なんだか懐かしいよ」
ここまで磨いた剣の腕をを捨てるのはもったいない。それはアベルも同じ考えだったようだ。アベルは即座に賛同した。その次の日から、昼時に二人で森や草原に行き、木刀で修行を始めた。素振りをし、組手をしたりした。
一年ほど前、アベルに剣の稽古を付けてやった頃を思い出す。あの頃のアベルは剣の持ち方も知らず、ただ腕力に任せて振り回すだけの素人だった。あたしの太刀筋を読むことも、動きを捕らえることもできず、いいようにあしらわれるだけだった。それが、あたしとの猛特訓を終え、その後の闘いの日々でめきめきと強くなっていった。気が付けば、あたしがアベルの背中を追いかけることの方が多くなっていた。
「やっぱり……。随分と腕を上げたんだな」
今日の修行を終えて、あたしたちは木陰に腰を降ろしていた。タオルで顔を拭って、アベルの顔を見上げた。
「そんなことないさ。オイラ、まだまだデイジィの動きには付いていけないよ」
まんざらでもない顔をして、アベルは水筒の水を飲んだ。日の光を受けて、額や首筋に溜まった汗の雫が煌めいた。辺りには、風に吹かれてさざめく木々の音と、野鳥の鳴き声だけが響く。モンスターの気配はない。
ちょっと平和すぎるところへ来てしまったのかもしれない。今までの冒険では経験したことのない平穏さだ。このカザーブという地方は、平和な田舎町だとはいっても、色々な国から人が流れ込んできているらしい。繁華街を歩くと、明らかに余所者といった出で立ちの連中を見かける。
バラモスが生きている頃は、世界中の大国がモンスターの襲撃を受けて壊滅した。そういうところから流れてきた人々なのだろう。あたしも街で買い物をしていると、どこから来たのかよく聞かれる。確かにあたしは中央大陸の生まれではないので、この近辺の人たちとはちょっと見た目が違う。よそ者だと思われるのは仕方のないことだ。
そういうときは、あまり関係者のいなさそうなグリーンラッド大陸のネザー出身だと嘘をつくことにした。天使の岬へ向かうときにあたしたちも一度行ったことがあるから、どんなところかは大体わかる。それに、ネザーは人の流出が激しかった。そこから流れてきたのだと聞いても、誰もおかしくは思わないだろう。
「デイジィ、そろそろ行こうか。晩飯にしようよ」
アベルが立ち上がり、あたしに向けて手を伸ばした。その手を握ると、アベルはあたしを引き寄せた。