デイジィとアベル(二)カザーブの休息   作:江崎栄一

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〇六 夜の誘惑

 薄暗い部屋の中、時計の針は夜の六時半を指していた。

 この高原の町は、昼と夜の寒暖差が激しい。さっき屋台で食事をしていたときは感じなかったが、宿に戻ってみると部屋の中が冷たくなっていた。暖炉に火を入れ、夜のひとときを過ごす支度をした。

 アベルは部屋の温度を見ながら暖炉の調整をしている。あたしはベッドのヘッドボードに枕を立てかけ、胡坐をかいてそこに寄りかかっていた。片手に地図を持ち、カザーブ近辺にある町の配置を眺めた。まだ下着だけだと寒いので身体にシーツを巻き付けてたが、手足が動かせるように、膝下と肩は露出させた。

「ここから一番近い大都市だったら、アッサラームになるのかな」

 あたしはアベルに声をかけてから、ぶどう酒で唇を濡らし、グラスをベッド脇のナイトテーブルに置いた。

「アッサラーム? ここら辺では一番大きな街だ。デイジィはやっぱり賑やかなところが好きなのか?」

 アベルは部屋の隅にある暖炉の前に椅子を置いて、火の様子を見ながらぶどう酒を飲んでいる。平静を装ってはいるが、時折獣のような眼をあたしに向ける。その視線はシーツからはだけた胸元や膝の辺りに注がれる。

「好きかっていうと違うのかもしれない。あたしは今まで人が集まるところばかり尋ねてきたからかな……。そういうところの方が落ち着くんだ。それにあたしたちは逃避行の旅だろ。隠れるなら人込みの中の方がいいじゃないか。木を隠すなら森の中っていうだろ?」

 そう言ってあたしは笑いかけた。

「そうだな。賑やかなところへ行こう。お前の言う通り、そっちの方が落ち着けそうだ。こんなアリアハンの近くの町にいたら、いつ知り合いに見つかるかわからないもんな。アッサラームか。目立たないように新しい服も買ってさ、しばらく落ち着いて過ごそう」

 アッサラームは巨大な貿易都市だ。山脈と海峡に挟まれ、中央大陸の要所を行き来するためにはここを介さなければならない。必然的に人や物が集まり、街が発展する。

 アベルはあたしに話を合わせているが、心ここにあらずといったように、据わった眼で、もう一度大きくぶどう酒を喉に流し込んだ。大きく鳴った喉仏から、アベルの興奮が読み取れた。

「ちょっとペースが速いんじゃないか? そんなに飲むと潰れちまうぞ……」

「心配するな。ほどほどにしてるつもりさ」

 あたしもナイトテーブルに置いたグラスに手を伸ばした。シーツが胸から剥がれそうになると、すかさずアベルの視線が胸元に注がれた。ぶどう酒を一口啜って脚を崩してみると、今度はその視線が膝のあたりに移った。アベルの動揺が手に取るようにわかり、つい笑ってしまう。

 あたしはアベルの眼の動きを楽しんでいた。少し腕や脚を動かすだけで、アベルは眼を血走らせる。表情が徐々に険しくなり余裕がなくなっていく様子を見るのも面白かった。だが、ほどほどにしておかなければならない。やり過ぎると部屋が暖まる前に我慢の限界が来てしまうかもしれない。

 ニヤつきながらじっとアベルを見つめていると、眼が合った。アベルは慌てたように瞬時に目を逸らし、ぶどう酒を喉に流し込んだ。

 アベルは大きく喉を鳴らしてから、話題を変えた。興奮を無理矢理抑えつけるような、低い声だった。

「デイジィ、あの子に教えてやらないのか?」

 広場で出会った少年、シバのことを言っている。あたしの強さに見とれ、いきなり弟子入りを志願してきた鼻息の荒い小僧だ。

「あいつはまだ子供だ。つきっきりで教えるなんて、何年かかるかわからない。あたしたちはいつまでもここにいるわけじゃないだろう。そんな時間はない」

 かつての自分のことを、不意に思い出していた。あたしが剣を学ぼうと思ったのは十歳。あたしに力がなかったばかりに、弟と妹を奴隷商人に拉致された。二人を探し出すためには、女一人で世界中を周れるだけの力が必要だった。思えば、シバよりも若い年齢だった。

 アベルは眼を瞑って、考え込むように椅子の背もたれに寄りかかった。

「もしもオイラが小さい頃にデイジィに出会っていたら……。やっぱり同じようにお願いしただろうな。やっぱりあの当時、素人だったオイラから見ても、お前の剣は他とは違うってことがよくわかった……」

 アベルは遠い眼をしながら言った。

「あのときのアベルは既に身体が出来上がっていた。剣は素人だったが、既に宝石モンスターとやり合えるくらいの実力があったじゃないか。冒険を続けながら剣を教えてやる期間は一ヶ月程度だったが、あんたがあたしの猛特訓についてこれたから、すぐにモノにできたんだ。状況が違う。あいつには無理さ」

 これはアベルもよくわかっていることだろう。ネズミを使って脅迫してきたとはいえ、あのときアベルが本気で強くなりたいということがわかったから、まじめに修行をつけてやったんだ。決して生易しい修行ではなかった。それに耐え抜くことができたのは、アベルに素養があったからだ。

「わかっている。あんな厳しい修行、子供には耐えられないよ」

 アベルは眼を開き、天井を見つめながらしみじみと言った。

「オイラ、あのときにデイジィと出会えて良かった。少しでも早かったら相手にしてもらえなかったかもしれないし、遅かったら……もうオイラは死んでいただろうな」

 確かにそうだったのかもしれない。あのとき剣を上達させていなかったら、アベルはその後の闘いの中で命を落としていただろう。なにせあの直後に、アベルは単身でネザーに向かい、古代エスターク人であるルドルフ将軍と闘っているのだ。

 人生には、運命に決められた時期というものがある。

「だから、あいつには諦めてもらうしかないんだ。今はその時じゃない」

 アベルは苦笑いをしながらあたしを見つめた。反論はないようだった。

 そこで話を打ち切りにして、グラスのぶどう酒を飲み干した。気が付けば身体にアルコールが回っていたようだ。足先を触ってみると、常時より暖かくなっているのを感じた。

 それに、部屋の暖もとれた。

「大分、暖かくなってきたな……」

 確認するようにそう言って緊張しながら視線をアベルの方に移しすと、また眼が合った。鋭い眼つき。アベルはあたしのことをずっと見ていたようだ。今回は眼を逸らさない。しばらくの間、あたしたちは見つめ合った。

 アベルの視線の獰猛さが増した。暖炉に向き直り空気口を絞って火を弱めた。もともと薄暗かった部屋が更に暗くなった。ベッド脇の読書灯だけが、頼りなく周囲を照らした。そろそろ夜が始まる。

 アベルはゆっくりと立ち上がると、ベッド脇に歩み寄り、あたしに向かって手を伸ばした。

「デイジィ……。地図を貸してくれ」

 言われた通り地図を差し出すと、手荒く奪い取られた。何が見たいのかと訝ったが、アベルは地図を畳んでナイトテーブルの上に置き、上着を脱ぎ始めた。

 アベルの屈強な胸板や、引き締まった胴が露わになった。読書灯の光を直接受け、彫刻のように刻まれた筋肉の割れ目に深い影が現れる。その肢体に見とれ、あたしは生唾を呑み込んだ。

「どうした、アベル……? まだ話の途中だろ?」

「もう……。我慢の限界だ」

 アベルは無造作にあたしの足首を掴んで引っ張り、無理やりベッドの中央に移動させた。

「待てって……。この乱暴者……」

 アベルがベッドに上がり、あたしの肩に手を付いて押し倒した。胸元がはだけ、下半身を隠していたシーツは太腿まで捲れ上がった。あられもない姿でベッドに仰向けに横たわるあたしに、アベルは険しい視線を注いだ。あたしの両肩を抑える手に力が入り、肩の肉に指が食い込んだ。もう止めることができない段階に来ていた。

「お前が誘ってるんだろ」

 アベルが怒るように低い声で言い、シーツを荒々しく掴んだ。

「あっ!」

 身体に巻いていたシーツが引き剥がされ、下着しか纏っていない裸体が露わになった。あたしはとっさに膝を閉じ、胸を腕で隠して顔をそむけた。バラモスとの最終決戦を前に初めて抱かれて以来、何度も裸を見られているが、まだ慣れない。恥じらいの気持ちは消えなかった。

 アベルは荒い息を立てながら、あたしの全身を嘗め回すように見ている。まるで腹をすかせた猛獣が、捕らえた獲物を見るような眼だった。これから始まる激しい愛の予感に恐怖を覚えた。さっきまでは自分から挑発していたというのに、いざ事が始まってしまうと気が弱くなる。あたしはまだまだウブだった。

「優しくしてくれって……何度も言ってるだろ……?」

 震える声で懇願した。アベルは右手を額に当ててしかめつらを作り、絞り出すように言った。裡から沸き上がる情欲を必死に理性で抑えつけようとしているようだった。

「デイジィ……綺麗だ。お前が欲しくてたまらないんだ」

 アベルはあたしの上に覆いかぶさり、背中に腕を回り込ませて抱きしめた。頬と頬が触れ合った。上半身が締め付けられ、吐息が漏れた。すぐ耳元で、アベルの熱い息遣いを感じる。あたしは両腕をアベルの首の後ろで結んだ。こうやってしばらくアベルの温もりを肌で感じていると、徐々に恐怖が薄まっていった。

「アベル、いいんだよ……。好きにしな」

 アベルの抱きしめる力が強くなった。骨が軋むようだったが、その腕力に身を委ねることにした。しばらくの抱擁を続けた後、アベルはベッドに手を付いて身体を離した。そして喉仏を鳴らし、ゆっくりと顔を近づける。

「お前が好きなんだ……」

 アベルの声は、落ち着きを取り戻していた。

「あたしも、好きだよ……」

 眼を閉じると唇が重ねられた。

 熱い舌がねじ込まれ、口の中が蹂躙された。何かを求めてあたしの中に深く潜り込もうとしているようだった。あたしも舌に力を入れてアベルを受け止めた。相変わらずの荒々しいキス。不器用なところも愛しかった。

 互いに口を貪り合っていると、アベルの手があたしの胸に触れた。

「あ……」

 つい甘えるような喘ぎ声が出た。アベルが優しく胸や鎖骨の辺りを撫で始めた。

「デイジィ……。あとはオイラに任せて」

 アベルはブラジャーの下に手を滑り込ませ、乳房を直接鷲掴みにした。熱い手で揉みながら、身体全体で覆いかぶさり、また唇を重ねた。

 あたしは身体の力を抜いて、すべてをアベルに委ねた。


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