デイジィとアベル(二)カザーブの休息   作:江崎栄一

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〇七 野原で

 アベルの振り降ろす木刀が、鋭い音を立てて空を切った。かなりのスピードを持った斬撃だが、あたしに見切れないほどではない。空振りした木刀がアベルの腰の辺りで動きを止めた。身体が回転した反動で、剣が元来た方向へ戻ろうとする。その瞬間を狙って、素早く木刀を打ち込んだ。

 木を叩く乾いた音が響いた。

「くっ!」

 アベルが木刀を落とした。一瞬視線を落とした隙に、喉元に木刀の先端を突き付けた。アベルは顎を上げて、動きを止めた。

「勝負あったな……」

 口だけ歪めて笑いかけた。アベルは悔しそうな顔をしてから、諦めたように笑った。知る限りでは、あたしにしか見せたことのない表情。

 あたしたちの間を、涼しい風が通り抜けた。

 この日あたしたちは遅い朝食を済ませ、町から離れた森へ向かった。今日は重点的に組手の練習をすることにした。カザーブに来てからというもの、昨日のひと悶着を除いては、実戦から遠ざかっている。あの程度のゴロツキなど物の数には入らないが、この組手の相手はアベルだ。相手にとって不足はない。なにせ、あたしが唯一その強さを頼り、尊敬する人間なのだから。

 昨日の練習の目的は訛った身体を慣らすことだったので、ほとんど基礎練習しかしなかった。それに組手用の木刀も準備していなかった。あたしとアベルが真剣で斬り合ったら、一歩間違えば相手を殺してしまいかねない。そんなことを避けるために、今日は武器屋でヒノキの棒を買った。これを組手用の木刀に使う。

 その他にも、今朝は色々と買い物をした。トレーニング用の新しいシャツとズボン、食事のための水筒とパンを買って、リュックに詰め込んだ。冒険の日々では荷物や洗濯を減らすために、ずっと軽装で過ごしていた。だから、せっかくこうやって余裕ができたのだから、違う格好も楽しみたい。

 二日前に見つけた、山の中の原っぱに向かって小道を歩いた。当然のようにアベルはあたしの前を歩き、安全を確かめながら進んだ。まだまだガキのくせに、誰かさんのおかげで多少は女をエスコートする術は心得ているようだ。他の女の影を見るのはあまり気分のいいものではなかったが、こういう気遣いを受けて、あたしはまんざらでもなかった。アベルに甘えて、その背中にぴったりつ付いて行った。

 まずは二人で素振りを繰り返し、基本の技を練習した。これだけで随分汗をかいたが、今日の仕上げとして本気の組手をした。アベルと剣を交えるのは、実に一年ぶりだ。素人だったアベルに修行をつけてやった日々を思い出して、なんだか照れ臭かった。

 十分知っていたことだが、やはりアベルはとてつもなく剣の腕を上げていた。スピード、パワー、間合いの取り方。どれも申し分ない。しかしずっと巨大なモンスターとばかり闘っていたせいで、対人戦と言う意味では技も経験も未熟だ。あたしの動きを捕らえることはできず、ほんの一瞬できた隙をあたしに突かれて勝負が決した。一対一で剣の勝負をするのであれば、あたしとの実力差は大きかった。

 アベルの喉元に当てがった木刀を降ろした。

「さすがだな……デイジィ。オイラじゃ、まだまだ敵わないよ……」

 昨日でかい口を叩いたからなのかもしれない。素直に負けを認めながらも、バツの悪そうな顔をしている。

「なあに、すぐに追いつけるさ。一息ついて、昼飯にしようぜ」

 あたしたちは日向に腰を降ろし、バッグからパンと紅茶の入った水筒を出した。辺りには涼しい風邪が吹き、遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。

 パンを齧った。円形のマフィンにハムとチーズとレタスを挟んだ簡単なもの。運動した後の身体には、ぶ厚いハムの肉汁が心地いい。ぬるくなった紅茶もまだ香りを残し、爽やかな気分にさせてくれる。隣のアベルは一心不乱にがっついている。あたしのより一回り大きいパンなのに、みるみると小さくなっていき、あっという間に消えてなくなった。アベルよりも幾分か時間がかかったが、あたしもすぐに平らげた。アベルにも紅茶を注いでやって、二人で啜りながら一息ついた。

 自然とアベルの肩にもたれかかっていた。

 こうやって、安らいだ気持ちで男に寄り添う日が来るとは夢にも思わなかった。一人で冒険をしていた頃を思い出す。誰も頼りにしないで一人賞金稼ぎとして世界各国を旅して周った。当然、パートナーとなる男もいなかったし、欲しいとも思わなかった。戦士の鎧と兜では隠しきれない美貌のせいで、言い寄って来る男は多かったが、どいつもこいつも歯ごたえがないか、信用できない連中だった。

 そっとアベルの顔を見上げた。遠くを見つめながら、カップに口を付けている。

 あたしが唯一頼りにできたのが、このアベルだ。戦士としての強さだけでなく、優しくて強い心を持ち、利害など抜きで誰かのために行動できる男。自らの安全など省みず、あたしですら足踏みする窮地を平然と乗り越えてきた。そんな姿を見続けて、初めて異性に心を惹かれた。

 あたしにとってただ一人の男と、こうやって寄り添っている。

「アベル……。あたし、幸せだ」

 アベルがほほ笑みながら、あたしに視線を落とした。

「オイラもさ……」

 アベルの腕が、あたしの背中に廻った。アベルは腕に力を込めてあたしを引き寄せて、優しくキスをした。ベッドの上とは違う。唇と唇が触れ合うだけの、軽いキスだった。

「デイジィとこうして一緒にいられるなんて、夢のようだよ」

 もう一度キスをしようとしてくるので、両手で押し返した。

「こら……。ベタベタするのは宿に帰ってからだって、言ってるだろ……?」

 あたしはアベルの腕を振りほどいて立ち上がった。胸の高鳴りを感じつつ振り返った。アベルは残念そうな顔をしていた。

「どうした、変な顔して?」

「お前のことをもっと抱きしめていたかっただけさ」

 あたしはため息をついて、アベルに歩み寄った。

「……しょうがない奴だな」

 今度はあたしから、座っているアベルの肩に手を置いてに口づけをした。あたしたちは顔を近づけたまま、しばらく笑い合った。無意識にアベルの頭に手を当て撫でていた。屈託のないアベルの顔がかわいかった。

 そのまま頭を撫でていると、背後に生き物の気配を感じた。

 あたしたちの間に緊張が走った。

「デイジィ……」

 アベルが小声でいった。

「ああ……」

 殺気はない。しかし明らかにこっちを監視している。

 周囲に眼を走らせていると、木陰の草むらで何かが動いた。風邪の流れに逆らうような、微かな動き。

「誰だ! 姿を見せな」

 あたしがドスを効かせた声で怒鳴ったが反応はない。姿を現すつもりはないようだ。

 監視しているのがバレているのに、往生際の悪い奴だ。

「もうわかってるんだ、とっとと出てきな! さもないと、痛い目を見ることになるよ」

 脅し文句を言って、気配のした先に歩き出した。

 あと十歩の距離になったとき、茂みから小さな影が現れた。

 木刀を構えると、その影は地面に膝を付いて顔だけ上げて弁明を始めた。

「ま、待ってくれ……。オレだよ」

 小柄な少年がいた。

 昨日、シバと名乗った少年だ。

「お前……」

「こ、こそこそして悪かったよ。姉ちゃんは、剣士なのかい? 格闘だけじゃなくて、剣も凄い腕だ。速くて、強くて、綺麗で……。姉ちゃんほど凄い人は世界中どこを探したって、いやしないよ」

 眼を輝かせ、興奮した様子で言ってくる。あたしは呆然としていた。

「オレ、やっぱりどうしてもあんたの弟子になりたいんだ。もう一度、考えてくれないかな」

 あたしは頭を抱えた。顔が熱くなった。

「いつから……見てたんだ?」

 剣を振るうところを見ていたということは、さっきキスしていたところも当然見ていたのだろう。

「実は、姉ちゃんたちが歩いて行くのを付けていたんだ……。だから、さっきあの男の人とやってた組手も見たよ。ああ、本当に凄いよ。姉ちゃんみたいに強くて格好いい人がいるなんて、今でも信じられないよ」

 アベルがあたしの肩に手を置いた。

「お前って、本当に子どもに好かれ易いんだな」

 その能天気な笑顔が癇に障った。

「アベルっ……」

 あたしはアベルを睨みつけた。乳繰り合っているところを見られてしまったというのに、無頓着な男だ。いい男なのに、こういうところがガキ臭いというか、デリカシーにかけるというか……。あたしが恥ずかしがっていることに気づかないのだろうか。

 ため息をついて、シバに向き直る。ここで口ごもっていたら、恥の上塗りだ。

「シバ。あんたの熱意はわかったよ。でも、昨日言ったように剣を教えてやることはできない」

「ど、どうしてさ。少しの間だけでもいいんだ。オレ、教えてもらったことをずっと練習するよ!」

 シバの真剣な視線が痛かった。

「あたしの剣は、一年や二年の修行で身に着けたものじゃないんだ。短期間であんたに教えてやれるものじゃない」

「それはわかってるよ。でも、オレ、どうしても……」

 悲しそうな顔を見て、胸が痛んだ。

 もうこれは、あたしの育った環境によるものだから仕方ないのかもしれない。小さな男の子に頼られると、どうしても心が傾いてしまう。アベルが強くなりたいと言って、あたしに土下座してきた日を思い出す。プライドの高いお山の大将のくせに、バラモスに攫われた幼馴染を助けるためなら、女のあたしにも土下座して師事を仰ぐ。しばらくの間、人間不信に陥り、損得勘定だけで生きてきたあたしの眼を覚まさせてくれた。

 あの時は情にほだされて剣を教えることになった。そのおかげであたしたちは無事にバラモスを倒し、こうやって二人でいられるというわけだ。だけど今は別だ。辛いところだが、あたしにも旅を楽しみたいという想いがある。断るしかない。

「あたしもいつまでここにいるかわからないんだ……。やっぱりダメだ。諦めてくれ」

「時間がないんだったら、せめてカザーブにいる間だけでもいいんだ。お願いだ」

「あんた、剣の心得は?」

「ない……」

「だったら尚更ダメだ。素人が一朝一夕に上達するものじゃない」

 あたしは言い切るしかなかった。

「オレ、諦めないよ……」

 すまない。

 何度言われてもダメなんだ。あたしにも都合がある。

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