デイジィとアベル(二)カザーブの休息   作:江崎栄一

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〇九 暴れ猿

 アベルは獣道にはみ出た木の枝を切り払いながら進んだ。町の西門から出て、北に向かって歩くこと一時間。深い森だ。大木が立ち並び、日の光はほとんど届かない。町の猟師たちは、時折農地に現れる害獣を追い払うために、この道を使って山の奥へ進むそうだ。長老の話では、この先に開けた場所があり、そこで巨大な猿が目撃されたという。

「デイジィ、油断はするなよ」

 アベルは振り返らずに言った。

「誰に言ってるんだ……心配無用だぞ」

 久しぶりに戦士の鎧を身に着けた。やっぱりこの格好が一番動きやすい。モンスター相手に闘えると思うと、気持ちが昂ってくる。今日は大暴れして、早く良い知らせを長老に持って帰ってやろう。

 昨日長老と話したとき、体面上はアベルとあたしの正体を伏せておいたが、おそらく長老は感づいただろう。バラモスが倒れたという噂に、あたしたちが密接に絡んでいるということを。

 時おりカザーブに現れる荒くれ者どもではなくあたしたちに依頼をしたのは、言外にこのことを察知し、信用できる人間だと判断したからに違いない。その判断が間違いではなかったことは、すぐに実証される。

 あたしたちは淡々と森を進んだ。

 奥に進むにつれて、気温が下がる。

 どこまで進んでも、一向にモンスターの気配などしない。

 こんな山奥の、何もないところに本当に巨大なモンスターが来たりするのだろうか。不意に、アベルが足を停めた。

「デイジィ……。開けた場所が見えてきたよ。気を付けろ」

 アベルの言った通り、森の中に野原が現れた。目の前が明るく照らされた。その中央には綺麗な湖がある。きっとここには、水を求めて動物たちが集まることだろう。透き通った湖の水面にあたしの顔が映った。満たされているからなのか、眼つきからは喧が落ちたように優しく見える。

「なるほど、この湖の近くに狩りの獲物が来るってわけか。その獲物を狙ってモンスターもここに来たんだな」

 暴れ猿が目撃された場所は、ここで間違いなさそうだった。身の丈四メートル。茶色い毛に覆われた巨大な猿。

「ところでアベル、さっきから……。気づいてるか?」

 声を潜めて言った。

「ああ、でもモンスターではないようだ」

 あたしたちの後ろを、誰かが付いてきている気配があった。

 誰が尾行しているのか、引き返して捕まえても良かったが、特に殺気を感じたわけではない。もしかしたら、町の誰かがあたしたちの監視をするために付いてきたのかもしれない。そうであれば、むしろ都合がいいと思った。

 宝石モンスターは仕留めた時点で消滅してしまう。本当に退治したかどうか、証拠を示すのが困難だ。あたしたちに誤魔化すつもりなんてないんだ。しっかりと目に焼き付けておくといい。

 湖の周辺を探索した。

 ところどころ木がへし折られ、土が引っ掻き回されたようになっている箇所がある。モンスターが暴れた跡だろうか。

 辺りは静かだ。青空を小鳥が飛んでいるが、それ以外には一切の動きがない。モンスターが来たせいで、動物たちもここを避けるようになったのだろうか。もしかしたら、こんなところにはいないのかもしれない。そう考え始めたときだった。

 突然、木の軋む音がした。

「デイジィ! 気を付けろ」

 前方に黒い影が現れた。

 巨大な猿が一匹、木から木へと飛び渡り、あたしたちに向かってくる。

 それに気づくのと同時だった。頭上に別の気配を感じた。

 巨大な猿が、背後の大木からあたしたちに向かって飛び降りてきた。

「くっ!」

 あたしとアベルは同じ方向に飛び退き、茂みの中に降り立った。

 こいつらは、あたしたちに襲い掛かるタイミングを見計らっていたようだ。おそらく一匹が静かに背後に忍び寄っていたのだろう。それを待って、もう一匹が囮となって正面から接近して、隙をつこうとしたんだ。

 一息つく暇はなかった。もう一匹の猿が、牙を剥いてアベルに飛び掛かった。

「アベル!」

 あたしが声を張り上げたとき、アベルは既に剣に手をかけていた。そして飛び掛かる猿の口目掛けて抜き放った。

 しかし、斬撃は空を切った。

 アベルの殺気を感じ取った猿は、間合いに入り込む前に踏みとどまっていた。

 あたしたちは二匹の巨大な猿と、数メートルの間隔を置いて睨み合っていた。

 猿たちは身をかがめて地面に拳を突いているが、それでもあたしたちよりも遥かに高いところに頭がある。長老から聞いていた通り、四メートルくらいはありそうだ。

 白目で睨みつけながら、剥きだした歯の間から涎を滴り落とす。真っすぐに向けられた敵意から、宝石モンスター特有の凶暴性が読み取れた。

「こいつらが暴れ猿か?」

 剣を抜きながら、判り切ったことをアベルに聞いた。

「間違いないようだな……。簡単に倒せる相手でもないようだ」

「一五〇〇ゴールドも貰うんだ。簡単な仕事じゃ役不足だ……。行くぞ! アベル」

 唸り声をあげ続ける暴れ猿に向かって、あたしは突進した。

 警戒心を露わにした暴れ猿は、巨大な右の拳を振りかぶり、あたしに向かって横殴りに振り回した。

 遅い。

 はっきりと挙動が読めた。

 あたしは跳び上がってその拳を避けながら、一気に間合いを詰めた。

 そしてがら空きになった暴れ猿の首元を十文字に切り裂いた。

 そのまま暴れ猿の身体を飛び越えて着地したとき、背後から咆哮が聞こえた。暴れ猿は首元を抑えながらもがくと、光を発し、爆発音とともに消滅した。跡には赤い宝石が一つ残った。

 本当に宝石モンスターだ。口元が緩んだ。

 もちろん戦利品の宝石は回収するが、長老たちに伝えるかどうかは状況によって決める必要がある。報酬以外に宝石まで手に入れたんだとあっては、がめつい女だと思われかねない。

 アベルの方を見ると、同じように暴れ猿が断末魔の悲鳴をあげているところだった。そいつの姿が消滅するのを見届けた。

「案外、他愛もない連中だったな」

 あたしは宝石を拾い、アベルの元へ駆け寄り、もう一つの宝石も拾った。

 それにしてもバラモスが死んだ後も宝石モンスターは健在だということか。確かに、宝石からモンスターを作り出すのはバラモスの専売特許ではない。古代エスターク人の編み出した秘法だ。そもそもあの魔王バラモスですら宝石モンスターの一種だった。魔力によって生み出されたモンスターは、一匹ずつ片付けていくしかないということか。

 それならそれでいい。今後の仕事になる。

「デイジィ、大丈夫だったか?」

 アベルがあたしに歩み寄り、いきなり抱きしめた。

「わっ! 何するんだ!」

 あたしは口では抗議しながらも身体の力を抜いて、身を任せた。

「どうしても我慢できなくてさ」

「アベル……。宿に戻ったら好きにしていい。でも、人前では抑えろ」

 アベルは漸く尾行者の存在を思い出したようだ。あたしを放し、バツの悪い顔をした。

「そ、そうだったな……。すまない」

 どんな奴があたしたちを監視していたのか、面は拝ませてもらおう。

 尾行者の気配を感じた方向に向き直った。

 そして、早速駆け出した。

 あたしの脚なら、一瞬で辿り着けるだろう。逃げる暇など与えない。

 あたしの接近に気が付いたようだ。木陰から小さな影が飛び出した。

 その影が走り出そうとした先に回り込んだ。影は驚いたように踏みとどまった。

 その喉元に、剣先を当てた。

「あ……。あんたは」

 その姿には見覚えがあった。数日前に町の広場で荒くれ者に襲われていた少年、シバだった。

「一体、こんなところまで何しに来たんだい……」

 あたしは剣を鞘に納めながら聞いた。

「ちょ、長老に言われてモンスター退治に来たんだろう? オレ、姉ちゃんがどんな風に闘うのか見てみたくて付いてきたんだ。やっぱり凄いな。あんなデカいモンスターを一瞬で切り裂いちまうなんて」

 少年は興奮したように、早口で言った。

「ああ、あたしたちにとっては、こんなの朝飯前さ」

 ため息をついた。

「それに、あの男の人も凄い強さだ……。あの人は、姉ちゃんの旦那さんなのかい?」

 顔が熱くなるのを感じた。

「……そんなようなものだよ」

 そう言ってから視線を移し、驚愕した。

 大勢の暴れ猿がアベルの前に立ちふさがっていた。

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