その夜。
私は布団の中で、携帯を見ていた。
SNSを開くと、黒森峰のアカウントが目に入る。
公式アカウントではなく、生徒たちの個人アカウント。
その中に、まほ殿の写真があった。
研究室で、資料を読んでいる写真。
凛とした横顔、真剣な表情。
『西住隊長、今日も研究に没頭中です!』
というキャプション。
写真を見ていると、胸が締め付けられる。
まほ殿と、河野くんが二人きりで戦車の話をする。
私だって、河野くんと戦車の話がしたい。
でも、まほ殿ほどの知識はない。
「負けてるなぁ...」
知識、経験、カリスマ性、知性、
そして、河野くんとの関係でも。
全部、負けている。
携帯を置いて、天井を見つめる。
(どうすれば…)
どうすれば、河野くんの隣に立てるのか。
どうすれば、まほ殿に並べるのか。
答えは、出なかった。
翌週の水曜日。
「今日、まほさんのところに行く日なんだ」
昼休み、購買で偶然会った河野くんが言った。
「そ、そうなんですか…」
「はい。放課後すぐに出発します」
河野くんが、少し緊張したような表情をしている。
「だ、大丈夫ですか?」
「うーん…正直、緊張してます」
河野くんが、苦笑いする。
「大会も出たことない一般人ですよ。はぁ、なんで俺なんだろ」
「そ、そんなことは」
(でも、あんなに仲良さそうだったのに…)
「失敗したらどうしよう…」
河野くんが、不安そうに呟く。
その表情を見て。
私は、思わず手を伸ばしていた。
「だ、大丈夫です!」
河野くんの手を、握っていた。
「!?」
河野くんが、驚いたように目を丸くする。
「あ…」
私も驚いた。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて手を離す。
「あの…秋山さん?」
「は、はい!?」
「ありがとうございます」
河野くんが、照れたように笑う。
「秋山さんが応援してくれると、なんか勇気が出ます」
その笑顔。
胸が、ドキドキした。
「が、頑張ってください!」
精一杯の声を出す。
「はい!」
河野くんが、満面の笑顔で答えた。
放課後。
河野くんは、黒森峰に向かった。
私は、部室で一人、ソワソワしていた。
(今頃、まほ殿の研究室にいるのかな)
時計を見る。
16時10分。
想像してしまう。
まほ殿の研究室。
広い机に、たくさんの資料。
そして、二人で並んで座って。
落ち着かない。
模型を作ろうとしても、集中できない。
本を読もうとしても、頭に入ってこない。
携帯を見るがメッセージはない。
当たり前だ。
今、河野くんはまほ殿と一緒にいる。
「はぁ...」
ため息をついて、窓の外を見る。
黒森峰の方角を見つめる。
(河野君、何してるのかな)
ー黒森峰女学園
河野は研究室の前に立っていた。
深呼吸して、ノックする。
「どうぞ。...よく来たな、河野」
微笑んで出迎えたつもりだったが、どうやら少し緊張しているみたいだ。
「お、お邪魔します」
入ると同時に河野は目を丸くした。
壁一面に本棚に詰まった戦術書、戦史、戦車の資料集に驚いた様子だった。
「すごい...」
「ふふ...驚いたか?」
ここまで純粋に嬉しそうだとこちらまでうれしくなる。
自然と笑顔がこぼれる。
(本当、不思議な子だ)
「あの...これ全部、まほさんの?」
「ああ。私の研究資料だ」
私は切り替え、資料を手に取る。
「さて、早速だが」
ストンと河野の隣に座った。
無意識だったが距離が近い。
肩が触れそうなくらい。
「どうした?」
「い、いえ」
「そうか。では、これを見てくれ」
少し驚いた様子を見せた河野だったが何事もなかったように資料を読み始めた
「これが、今回整理してほしいデータだ」
厚い資料。
河野に頼みたかったのは各国の戦車部隊の運用データの分析準備だ。
「すごい量ですね」
「ああ。だから、君の力が必要なんだ」
「わ、わかりました!頑張ります」
口に手を当て難解な資料を一生懸命に読んでいる。
本当に素直でわかりやすいやつだ。
「ああ。期待している」
二人は資料を見始めた。
「ここの部分、時系列順に並べ替えてほしい」
「わかりました...ってあれ? でもこのデータ、年代が合わないような...」
「ん?」
河野の資料をのぞき込む。
すると少し体がびくついた河野が固まった。
驚かせてしまったかな。
「ああ、本当だな...これは誤植だ。よく気づいたな」
「あ、いえ」
「さすがだな」
(本当にこの子には驚かされてばかりだ)
「君に頼んで正解だった」
その言葉に、河野の顔が赤くなる。
どうしたのだろうか、暖房が暑すぎたかな。
「あの、まほさん?」
「ん?」
「少し、離れてもらえますか...」
「?」
「あ、いや、その...」
「ああ、すまん、これじゃ君が資料を見れないか」
誤植に気が付いた河野に感動するあまり、距離感がおかしくなっていたことに気が付き、少し離れた。
「すまん、資料を見るのに夢中になってしまった」
「い、いえ」
(いかんいかん、状況によってはセクハラだなこれは...)
これまであまり男性と接してきた経験が少ない弊害を身をもって感じる。
河野が気分を害していないといいが...
「では、続けるぞ」
「は、はい...」
二人は、また資料に向かった。
2時間後。
「よし、今日はここまでにしよう」
資料を閉じる。
「お疲れ様でした」
河野も、ホッとした表情を見せる。
「助かった。君のおかげでかなり進んだぞ」
「いえ、まほさんの説明が分かりやすかったので」
「そうか。...最後に礼もかねて少しゆっくりしていけ。お茶でも淹れる」
「あ、お構いなく...」
「遠慮するな。年上の厚意は受け取るものだ」
電気ケトルでお湯を沸かし始める。
男の人は紅茶とかの方がいいのだろうか。まあ、そんなものないが。
「まほさん、こういうこともするんですね」
嬉しそうに安堵したような表情を浮かべる河野。
その笑顔になぜかみほの顔が浮かんだ。
「私だって茶くらい入れる。私をなんだと思っている」
「あ、すみません」
「ふふっ」
委縮している様子に先ほどより鮮明にみほの姿があった。
「...みほにも、同じことを言われたことがある」
「みほさんに?」
「ああ。『お姉ちゃんも、普通のことするんだね』とな」
むかしの良き思い出、自然と表情が柔らかくなる。
「あいつは、私のことを買いかぶりすぎている、昔からずっと」
お茶を淹れて、河野の前に置く。
「ありがとうございます」
「気にするな」
自分の分のお茶を持って座る。
「あの、まほさん」
「ん?」
「なんで、俺なんかを選んだんですか?...うれしかったですけど、もっと優秀な人、たくさんいるはずです」
「簡単な話だ。君には、固定観念がない」
「固定観念?」
「ああ。戦車道をやっている人間は、どうしても既存の戦術に縛られる。経験則というなの鎖でな」
無論その中に私も入っていることを自覚している。
故に、逆に鎖のない人間はすぐにわかる。
「今の戦車道は西住流か島田流、基本的にはそれぞれの流派の戦術になぞらえたものがほとんだ。特異な戦術もまれに出るが、それもあくまでどちらかの流派の基本を軸としている」
「西住流と島田流...」
「...だが、君は違う」
「君は、純粋に戦術を見ることができる。流派に縛られず、客観的に」
「そんな...ことは」
「...とまぁ、これは表向きだがな」
河野を選んだ根本的な理由は違う。
未経験者なんて大学内でも大勢いるのは事実だ。
「君は、私の話を純粋に楽しんでくれる」
「え?」
「みほ以外で、私の戦術論を楽しそうに聞いてくれる人は、少ない...というかいないな」
「えっと、それって...」
「皆、私の意見ではなく「西住流 西住まほ」の意見として聞く。西住流の後継者としてのな」
「西住流の...」
「だが、君は違う。私を、純粋に一人の人間として見てくれる。黒森峰の隊長でも、西住流の後継者でもなく、私自身を扱ってくれる...それが嬉しいんだ」
柄にもなく本音が出てしまった。
こんなに自分に正直になったのは久々だ。
「あの...」
「ん?」
「俺も嬉しいですよ。まほさんと、こうやって話せること」
「そうか」
(ほんと、なんだろうなこの子は、魅力と呼ぶにはあまりに特異な...)
「では、これからもよろしく頼む」
「はい!」
打ち解けた二人は、お茶を飲みながら今度は、戦術ではなく他愛もない話をした。
大学院のこと。みほのこと。高校時代のこと。
西住まほは普段見せないような表情をし、河野は緊張から解き放たれたリラックスした様子だった。
そんな二人の時間はあっという間に過ぎていった。
ー夜
河野から、メッセージが来た。
『秋山さん、今日はありがとうございました。まほさんの研究室、すごかったです!』
そのメッセージを見て私は、布団の中で携帯を握りしめた。
(楽しかったんだ…)
河野くんが、楽しそうに書いているのが分かる。
まほ殿と過ごした時間。
それが、楽しかったんだ。
「そっか」
返信を打とうとする手が止まる。何を書けばいいのか分からなかった。
『お疲れ様でした』
悩んだ挙句、ありきたりな言葉で返し携帯を置いた。
しばらくボーっと天井を見つめる。
(私...どうすればいいんだろう)
どうすれば、河野くんの隣に立てるのか。
まほ殿のように河野くんと、対等に語り合えるようなそんな存在になれるのか。
答えは、まだ見つからなかった。
まほ襲来編、完結。