「ごちそうさまでした」
河野が嬉しそうに言う。
「...ああ」
私は頷いた。
久しぶりに、心から楽しいと思えた食事だった。
重荷を忘れてただ河野と一緒にいることを楽しめた。
「まほさん」
「何だ」
「今日は、ありがとうございました」
河野が笑顔で言う。
「楽しかったです」
「...そうか」
私も、楽しかった。
(...この人といると)
(私は、ただの西住まほでいられる)
西住流の看板でもなく。
大学選抜のリーダーでもなく。
ただ一人の女性として。
「また、一緒に食事に行きましょうね」
河野が言う。
その言葉を待っていたかのように──
「...ああ」
私は即答していた。
「いや、その...」
私は少し躊躇した。
でも、言わなければならない。
「今度は...私から、誘おう」
その言葉に、河野が驚いた顔をする。
「え?まほさんから?」
「...ダメか?」
「いえ!嬉しいです!」
河野が満面の笑みを浮かべる。
その無防備な笑顔を見て──
私の心臓が、激しく鳴った。
(...この人をもっと、知りたい)
ー駅のホーム
河野を送って、駅のホームまで来た。
「それじゃあ今日はここで」
河野が言う。
「...ああ」
私は頷いた。
でも──
手を、離したくなかった。
さっきから、ずっと河野の手を握っていた。
「まほさん?」
河野が不思議そうに見る。
「...すまない」
私は慌てて手を離した。
顔が熱い。
「いえ、大丈夫です」
河野が優しく微笑む。
「じゃあ、また!」
「...ああ」
河野が電車に乗り込む。
窓越しに、手を振ってくれる。
私も、小さく手を振り返した。
電車が動き出す。
河野の姿が、遠ざかっていく。
(...会いたい)
もう、そう思っている自分がいた。
たった今、別れたばかりなのに。
(...私は、どうかしている)
ー西住家
「ただいま戻りました」
実家に戻ると母が居間にいた。
「おかえり、まほ」
「はい」
私は母の隣に座った。
「まほ」
「何でしょうか」
「最近、雰囲気が少し変わったな」
母が私を見つめる。
「...何がですか?」
「...うまく表現できないが、表情が柔らかくなった...気がする」
母の言葉に、私は驚いた。
「そんなこと...」
「いや、確かに違う」
母が続ける。
「以前のお前は、いつも緊張していた」
「常に、完璧であろうとしていた」
「でも、今は...」
母が優しく微笑む。
「少しだけ、肩の力が抜けている」
その言葉に──
私は、何も言えなかった。
確かに、最近は少し楽になった気がする。
河野といると──
「河野という男性のことか」
母が直球で聞いてきた。
「っ...!」
私の顔が、一気に熱くなった。
「な、何を言っているんですか、母上」
「...今日もその子だろう?」
母が言う。
「風のうわさでな。お前が、河野という男性と親しくしていると」
「い、いえ! かわっ...彼は、研究の協力者で...」
「本当にそれだけか」
母の鋭い視線。
「...」
私は、答えられなかった。
それだけ、なのか。
本当に、それだけなのか。
違う。
河野は、もう私にとって──
「まほ」
母が優しい声で言った。
「...すまない。詮索する気はない。...それにお前が、誰かと親しくすることは悪いことではない」
「母上...」
「私は...みほにしてしまった過ちを、繰り返したくない」
母の声が少し震えていた。
「お前に厳しくしすぎた」
「完璧を求めすぎた」
「お前に背負わせすぎた」
母が私の手を握った。
「だから...」
「だから、もしお前が大切に思えるような人がいるのなら」
「それを、大事にしなさい」
その言葉に──
涙が、出そうになった。
「母上...」
「その河野という男性に、会ってみたい」
母が言った。
「え?」
「お前が、初めて心を許した人物だ」
「どんな男性か、見てみたい」
母が微笑む。
「...わかりました」
私は頷いた。
ー研究室
「まほさん、今日もお疲れ様でした」
河野が資料を片付けながら言う。
「...河野」
「はい?」
私は、河野の方を向いた。
「...今週の土曜日、予定はあるか?」
「え?週末ですか?」
河野が首を傾げる。
「特にないですけど...」
「そうか」
私は少し躊躇した。
心臓が、激しく鳴っている。
でも、言わなければならない。
「...お前がよければだが...その...西住家に、来てほしい」
その言葉に──
河野が固まった。
「に、西住家...ですか?」
「ああ」
私は頷いた。
表情は、完璧に平静を保っている。
でも、手が少し震えていた。
「母が...お前に会いたいと」
「お、お母様って...あの西住流家元の...? お、俺何かまほさんに粗相を...」
河野の顔が、一気に青ざめた。
「落ち着け、大丈夫だ」
私は慌てて言った。
「母は...ただ、話がしたいだけだ。私が原因でもある」
「で、でも...」
河野が震えている。
「僕なんかが西住家に...」
「お前なんか、ではない」
私は強く言った。
「お前だから、だ」
その言葉に──
河野が顔を上げた。
「まほさん...」
「来てくれるか?」
私は河野を見つめた。
内心では、ドキドキしている。
もし断られたら──
「...わ、わかりました。事情はよく分かりませんが...まほさんの力になれるなら」
河野が頷いた。
でも、その声は震えていた。
「本当か?」
「はい...でも、すごく緊張します...」
河野が不安そうに言う。
「大丈夫だ」
私は河野の肩に手を置いた。
「私が、そばにいる」
その言葉に──
河野が、少しだけ安心した顔をした。
ー西住家 まほの部屋
「母上、明日...河野さんをお連れします」
私は母に報告した。
「そうか」
母が微笑む。
「楽しみだ」
「...あの、母上」
「何だ?」
「あまり...厳しくしないでください」
私は珍しく、頼んだ。
「河野は...緊張しやすい人なので」
「ほう...なるほどな」
母が興味深そうに見る。
「お前が、そんなことを頼むとは...よっぽど気に入ってるなその河野とやらを」
「...」
私の顔が、少し赤くなる。
「...それは河野次第だ...と言いたいところだがまぁ、数少ない娘のお願いだ。善処しよう」
母が優しく言った。
「ありがとうございます」
私は、ホッとした。
でも、内心では──
河野が、あまりにも緊張しすぎて倒れたりしないか。
母が河野をどう思うか。
不安が次々と湧いてくる。
ー西住家玄関
「お邪魔します...」
河野が小さな声で言う。
手がまだ震えているようだ。相当緊張しているように見える。
「まほ、戻ったか」
母の声が聞こえ、河野が、ビクッと体を震わせる。
「はい、母上。...お話ししていた河野さんも、お連れしました」
「そうか。通しなさい」
母の声に──
河野の顔が、また青ざめる。
「だ、大丈夫ですか...僕...」
河野が小さく呟く。
「緊張しすぎて...変なこと言わないか...」
「大丈夫だ」
私は河野の肩に手を置いた。
「お前は、お前のままでいい」
「でも...」
「いいから」
私は河野を見つめた。
「私が、そばにいるから」
その言葉に──
河野が、少しだけ落ち着いた。
「...はい」
「よし、行くぞ」
私は河野の手を引いて、応接間に向かった。
ー応接間
母が座っていた。
河野を見て優しく微笑む。
「よく来てくれた、河野さん」
「は、はい!お招きいただき、光栄です!」
河野が大きな声で言う。
緊張しすぎている。
「...河野、落ち着け」
私は小さく囁いた。
「す、すみません...」
河野が小声で謝る。
「座りなさい」
河野が正座しようとして──
また、足がもつれそうになる。
「っ...!」
私は咄嗟に河野の腰を支えた。
「大丈夫か?」
「す、すみません...」
河野が恥ずかしそうに座る。
私も、河野の隣に座った。
いつもより近い距離で。
母が、その様子を見て微笑んでいる。
「河野さん、急に呼ばれて混乱しているんだろうが、そんなに緊張しなくていい」
「は、はい...で、でも...」
河野の声が震えている。
「私が君がどんな子かを見たかっただけだ。そんなかしこまらないでくれ」
母が優しく言った。
「はい...」
「まほから、いろいろと話は聞いている。娘が随分世話になっているわ」
「い、いえそんな! 好きでやってることですし...」
「研究の協力をしてくれているそうだな」
「はい! まほさんの研究は...本当に素晴らしくて」
河野がゆっくりと話し始めた。
「僕が手伝えることは少ないですが...」
「少しでも、まほさんの力になれればと思っています」
その言葉に──
母が優しく微笑んだ。
「そうか。噂にたがわずまっすぐな子で安心したよ。まほを支えてくれて、ありがとう」
「い、いえ!そんな...!」
「...まほは、お前の話をする時...とても、穏やかな顔をする」
その言葉に──
私の顔が、真っ赤になった。
「母上!」
「本当のことだ。気が付かないとでも思ったか」
母が微笑む。だが、少し悲しそうにこう続けた。
「...こんな娘の顔を見たのは久々だったものでな」
小さくそういうと、ちらりと私の方をみた後、まじまじと河野を見つめた。
苦笑いをしながら少し気まずそうな河野をみて、少し微笑む。
少しの沈黙ののち、思いついたようにこう話し始めた。
「まほ、少し席を外してくれないか」
「はい?」
その言葉に──
私は、固まった。
「...え?」
「直接会ってより興味がわいた。この子...いや、河野さんと二人で話したい」
母が静かに言った。
その言葉に──
私の心臓が、跳ねた。
「で、でも...」
「いいから」
母の声は、有無を言わさぬものだった。
「...わかりました」
私は部屋を出た。
でも──
(...気になる)
母が、河野に何を言うのか。
河野が何を答えるのか。
私は隣の廊下に隠れた。
障子越しに声が聞こえる。
(...聞き耳を立てるなんて)
西住まほらしくない。
でも──
止められなかった。
続く