翌日。
大学院の廊下を歩いていると、研究室の扉が少し開いていた。
中から、声がした。
「...あの、河野さん」
「はい」
「これ、よ、よかったら」
小さな声だった。
私は、足を止めた。
扉の隙間から、そっとのぞいた。
小柄な少女が、河野の前に立っていた。
うつむきがちに、弁当箱を差し出していた。
河野が受け取った。
「ありがとうございます、愛里寿さん」
少女が、ぱっと顔を上げた。
明らかに嬉しそうに唇をかみしめている。
(...たしかあの子は島田家の)
知っている。
島田流の次期当主。最年少のプロ候補。
噂では男性恐怖症という話だったのだが...。
(...いきなり想定外ね)
愛里寿が、河野の隣に自然に座った。
さっきまで震えていた手が、今は膝の上で静かに揃えられていた。
河野が弁当箱を開けた。
「...いただきます」
パクリと一口。
「…っっっ!!」
河野の顔色が、みるみる変わった。
目に涙が浮かんだ。
額に、汗が滲んだ。
(…なに? どうしたの)
「あ、あの今日は俺に好みを合わせたって...」
「ええ、大変だったんだから。味わってよね」
「はい。...いやでもその...辛さが」
「河野さんに合わせて辛さは控えめにしたんです! 自信作です」
「そうなんですか」
「はい。...河野さんのために徹夜で作りました」
(...何あれ、ごはんと思しき部分が真っ赤なんだけど。島田家どうなってるの)
河野が、次の一口を口に運んだ。
また目に涙が浮かんだ。
でも、咀嚼し続けた。
愛里寿が、じっと河野を見ていた。
心配そうに。でも、どこか嬉しそうに。
「...河野さん、大丈夫ですか」
「だ、大丈夫ですよ」
「顔が赤いですよ」
「...そうですか」
「あの、水、持ってきますね」
「いえ、大丈夫です」
「でも」
「大丈夫ですって」
河野が、また一口食べた。
また泣きそうな顔をした。
(...あの男、どうしてそこまで)
一瞬そう思ったが、考えは変わった。
愛里寿の手が絆創膏だらけだったからだ。
(...あれじゃあ冗談でも食えないなんて言えないじゃない、何この地獄)
「...ボコは負けない」
「え?」
「正直辛くて死にそうですが...ボコなら食べきりますもんね」
「そうです。ボコは決して投げ出しません」
愛里寿が、少し真剣な顔で言った。
「ボコはどんな状況でも、どんな逆境でも逃げ出しません」
「なるほど」
「だから河野さんも、その...かっこいい所見せてください! 私のボコなんですから」
「...えーん」
河野が、また一口食べた。
また泣きそうな顔をした。
(...おかしいわね、ちゃんと聞こえてるのに何言ってるのか全然わからないわ)
愛里寿の口元が、かすかに緩んでいた。
男性恐怖症の面影は、今この瞬間、どこにもなかった。
私は、扉から離れた。
「ノンナ」
「はい」
「調査の初日から、早速大きな収穫だったわ」
「そうですね」
「...あの子男性恐怖症って聞いてたんだけど」
ノンナが、少し間を置いた。
「...情報ですと克服はされてないようです」
「...ならあれは?」
「心境は測りかねますが...特別な存在なことは間違いなさそうですね」
私は、少し黙った。
「...むかつくわね」
「何がですか」
「全部よ」
ー別の日
大学院の正門近くを歩いていた。
「ノンナ、あれ」
「...はい」
河野が、外のベンチに座っていた。
隣に、二人の女がいた。
二人とも面識のある人物だった。
一人はたしかアンツィオ高校の元隊長だ。
名前は確か...安斎千代美だったか
「...もう一人はケイね。あんまり知らないけど」
金髪の、大柄な女。
こいつもサンダースの元隊長だ。
現在サンダース大学でミスサンダースだったか...。
「...にしてもなんで、こいつらと河野が?」
「...安斎さんについては河野さんの古くからの友人だそうです」
「ふん、俗にいう幼馴染ってやつか。どーりで」
河野が何か話していた。
ケイが、河野の肩を叩いて笑った。
千代美が、呆れたような顔をしながらも口元が緩んでいた。
三人の間に流れる空気が、ひどく自然だった。
私はそのまま、物陰に身を潜めた。
調査を続けるのよ。
「まほさんに褒めてもらっちゃったんだ。『お前の分析は悪くない』って」
「グレート! まほにそこまで言わせるとは、やるねぇ」
河野が、照れくさそうに頭を掻いた。
「いや、それだけで。後は全部ダメ出しだったけど」
「あっはは! 男子にも容赦ないなあの子」
ケイが、豪快に笑った。
「...そういや最近カチューシャもよくまほのとこ、もといお前のところにくるらしいじゃん」
頬杖をつきながら、コーヒーカップを見つめながら千代美がポツリとつぶやいた。
「え? ああ、うん、よく来るね。研究室にいくときは大体いるかな。初めて会った時に相当怒らせちゃったみたいでやたら絡んでくるようになったよ」
千代美の顔が、わずかに動いた。
「...そうか。目的はまほの研究か?」
「うーん、どうだろ。視察って言ってるし、研究のことは聞いてくるから多分そうだとは」
「へー、K様がねぇ。そんなイメージなかったよ」
「...河野」
「ん? なに?」
「あいつが来るの、嫌じゃないのか、ああいうタイプ苦手だろ」
「え? あー、まあ」
「まほがいるし心配はしてないが、嫌だったら言えよ、断る手伝いくらいするぞ」
河野が、少し考えた。
「...正直に言うと苦手かな、今でも」
「うん」
千代美が、静かに聞いていた。
「距離感が独特というか。急に来るし、上から来るし、なんか企んでる感じがするし」
「...そうだな」
「あっはは、手厳しいけど、合ってるね」
ケイが、うんうんと頷いた。
「...なら」
千代美が、静かに聞いた。
河野が、少し空を見た。
「でもね...最近、ちょっと考えが変わってきた」
「...というと?」
「確かに生意気だけど、研究はちゃんと読み込んでたし、戦車道への熱意は本物だなって思ったよ」
河野は続ける。
「それに、ノンナさんからの信頼は本物みたいだし、人望もある」
「カチューシャが自分から話したわけじゃないだろ、全部憶測じゃ」
河野が、少し首を傾げた。
「いや、まあでも...なんとなく伝わってくるんだよね。一緒にいると」
千代美が、しばらく黙っていた。
「...そっか」
「嫌じゃないよ、今は。むしろ、もう少し話せたらなって思う時もある」
ケイが、にやにやした。
「へえ、案外ちゃんと見てるじゃん、河野も」
「そ、そうかな」
「千代美、いらぬ心配だったわね」
「別にしてない」
「してたじゃん、今の確認」
「...それは河野が嫌な思いしてないか気になっただけで」
「千代美...それを心配って言うんだよ...」
「うるさいなぁ! お前は!!」
(...)
私は、物陰でそれを聞いていた。
最初は苦手だった。
でも、最近ちょっと考えが変わってきた。
(...この男)
いけ好かないと言った口で。
苦手だったと言いながら。
ちゃんと、見ていた。
(...そういうことね)
胸の奥で、何かがじわりと広がった。
誰もが私をK様として見る。
カリスマとして。アイコンとして。
でもこの男は。
苦手だと思いながらも。
ちゃんと、私を見ていた。
(...もっと話したい、か)
腹は立つ。
立つけれど。
口元が、気づいたら緩んでいた。
「ちーちゃん、心配してくれたんだぁ」
「だからしてないって言ってんだろ! 調子ノンナ!」
「...調子ノンナ...ふふっ」
「だー! そういう意図でいったわけじゃないわあほ!」
「河野さんってよくわからないところでツボるわよね」
河野が、くすっと笑った。
(...あの笑顔)
研究室では見たことがない笑い方だった。
力が抜けていて、自然で。
子供みたいに、ただ楽しそうで。
(...そういうことね)
あの場所では、河野は完全にくつろいでいない。
私がいる限り、きっとそうなのだ。
胸の奥で、何かがしぼんだ。
(...でも考えが変わってきたって...言ってたわよね)
さっきより少しだけ、その言葉が温かかった。
「ノンナ」
「はい」
「...帰るわ」
「...調査は」
「もう十分よ」
十分すぎるくらい、わかった。
私は踵を返した。
少しノンナとスケジュールの確認をしたのち、帰宅途中、何者かに声をかけられた。
「ちょっといいかしら、K様? もといプラウダ大学のカチューシャさん」
大学院の廊下で、行く手を塞がれた。
振り返ると、千代美が壁に寄りかかって腕を組んでいた。
笑っていなかった。
「...なに、私忙しいんだけど」
「さっきベンチの陰にいただろ、なんで隠れてた」
私は、少し間を置いた。
「あんたには関係ないわ、視察よ」
「ふーん」
千代美が、静かに一歩近づいた。
「K様」
「なに」
「あんたが河野に好意を持つのは、別に構わない」
「...好意?」
私は、少し鼻を鳴らした。
「傲慢ね。別に好きでもなんでもないわよ。いけ好かない男だもの」
「じゃあなんで視察してるんだよ。矛盾してるぞ」
「ふん、調査よ。むかつく相手の弱点を集めてるのよ」
「...それだけか?」
「そう。認めさせたい相手、と言い換えてもいいわ」
千代美が、じっと私を見た。
「...何を企んでる」
「どういう意味」
「そのままの意味だ。お前、河野に何がしたい?」
「だから、認めさせたいのよ。私本来の魅力をね」
「それだけ?」
「しつこいわね、それだけよ」
千代美が、少し間を置いた。
「...利用する気じゃないだろうな」
「利用? あー、まあ結果としてならないとは言い切れないわね」
「...下手なこと言うもんじゃないぞ」
「あら、私何か変なこと言ったかしら」
「お前にどんな力があったとしてもな、河野が傷つく可能性があるなら」
千代美の声が、低くなった。
「...容赦しないぞ」
「...威勢がいいじゃない、やれるもんならやったら?」
私は、少し口角を上げた。
「河野の幼馴染さん?」
「...」
千代美が、一歩踏み出した。
ーその瞬間
ノンナが、音もなく私の前に出た。
千代美とカチューシャの間に、静かに、でも確実に割り込んだ。
表情は穏やかだった。
「...安斎様。ご用件はもうお済でしょうか」
「どけよ、ノンナ、私はこいつに」
ただ、動かなかった。
千代美が、ノンナを見た。
ノンナが、千代美を見た。
「...彼女に代わって非礼は詫びます。しかし...手を出すとなれば」
「...」
「...こちらも動かざるを得ません。河野様がそれを喜ぶとは思えませんが」
廊下に、沈黙が流れた。
千代美が、ゆっくりと息を吐いた。
「ちっ...しゃーないな」
一歩、引いた。
視線を私に戻して、静かに言った。
「...河野には言ってない。ケイにも」
「...そう、意外ね」
「あいつが知ったら何するかわからんからな」
千代美が、踵を返しながら言った。
「それと」
「なに」
「次からはもう少し上手く隠れろ。ただでさえ有名人なんだから」
それだけ言って、廊下の向こうに消えた。
私は、しばらく立ち尽くした。
「ノンナ」
「はい」
「...ありがとね。守ってくれて」
「...いえ、役目ですから」
「なんでかしら、ちょっとムキになっちゃった」
「...らしくないですね」
「なんで笑うのよ」
「笑っておりません」
少し間があった。
「ノンナ」
「はい」
「...あの子、強いわね」
ノンナが、少し間を置いた。
「...同感です」
車が走り出した。
夜の街が、窓の外を流れた。
(...厄介な番犬がいるわね)
でも、口元が緩んでいた。
(なおさら燃えてきたわ)
そして。
(...いけ好かない男ね、ほんとに)
窓の外を流れる街を見ながら、私はそっと目を細めた。
(でも)
その先は、心の中にしまっておいた。
※
このキャラ出して欲しい、この子はこう言う設定がいい等があれば気軽にください。
参考にさせていただきます。
基本的にガルパンのキャラは全部okです!
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