カフェを出たとき、空は夕方の色に変わっていた。
「河野様」
呼び止められて振り返ると、ノンナが立っていた。
カチューシャは先に車へ乗せたらしい。
少し離れたところで運転手が待機している。
「...こちらを。カチューシャ様のスケジュールと、現場の注意点をまとめたものです」
差し出されたのは、分厚いファイルだった。
「うわ、すごい量ですね」
「...苦労を掛けます」
「い、いえ! ありがとうございます。目を通しておきます」
「はい」
ノンナは、そのまま立ち去るかと思った。
けれど、少し間を置いてから、静かに口を開いた。
「...ひとつだけ、ファイルに書けなかったことがあります」
「はい」
「カチューシャ様は...疲れたと仰いません」
河野は、ファイルから顔を上げた。
「...そう、なんですね」
「はい。これまで聞いたことがありません」
ノンナの声は、いつもより少しだけ低かった。
「無理をさせぬよう、気にかけていただけるとありがたいです」
「...わかりました」
「ありがとうございます」
ノンナは軽く頭を下げて、車へ戻っていった。
(...疲れたといわない、か)
河野は、ファイルの重さをもう一度確かめた。
ーーーー
その日の夕方、大学のベンチには、いつもの三人が集まっていた。
「...ちょっと待って、もう一回言って?」
沙織が、身を乗り出した。
「ですから、二週間だけK様のマネージャーをやることになりまして」
「K様って、あのK様? カチューシャ?」
「はい」
「えええええ!?」
沙織の声が、中庭に響いた。
「声が大きい」
麻子が、片目だけ開けて言った。
「だって麻子! K様だよ!? ハリウッドだよ!? ファンクラブ会員第一号のくせに反応薄くない!?」
「...羨ましくはある」
「ほら!」
「でも、こいつが行くと面倒が増える気しかしない」
「こいつって...」
河野が小さくなると、華が上品に微笑んだ。
「それで、お引き受けになったんですね」
「はい」
「まほさんは、なんと?」
「本人が決めるなら尊重する、と」
「まあ、まほさんらしいですね」
華は、ゆっくりと紅茶を口に運んだ。
その笑顔は、とても穏やかだった。
穏やかなのに、なぜか河野の背筋が少しだけ伸びた。
「でも河野さん」
「は、はい」
「カチューシャさんに、あまり良い印象を持っていなかったのでは」
「あ...それは、最初は確かに」
河野は、少し考えた。
「正直に言うと、今でも苦手なところはあります」
「ですよね」
「でも」
河野は、空を見上げた。
「...この前少しお話して少し...印象が変わったかな」
三人が、同時に河野を見た。
「研究のことも、ちゃんと読み込んでましたし。ノンナさんからの信頼も厚いですし。ああいう人が、ずっと一人で気を張ってるなら、ちょっと放っておけないなって」
「...」
「...」
「...」
三人が、ゆっくりと顔を見合わせた。
沙織が、そっと麻子に耳打ちした。
「ねえ、これ、また増える流れじゃない?」
「増える」
「やっぱり」
「あの、何か言いました?」
「ううん! なんでもない!」
沙織が、にっこり笑った。
「え? あ、はい」
「あ!で、でも! 現場で誰かに食事に誘われても、簡単についていかないでよね」
「は、はい」
「...河野」
少し間を置いてから、鞄の中から何かを取り出した。
「...これ、持っていけ」
「え?」
差し出されたのは、小さなカイロだった。
「現場は寒いところも多いだろ。夜は特に」
「あ...ありがとうございます、麻子さん」
「別にたいした理由はない」
「はい」
「ただ、風邪を引かれると困る」
「はい」
「...それだけだ」
麻子の耳は、少しだけ赤かった。
沙織が、にやにやしている。
華は、上品に笑っていた。
河野は、カイロを両手で包んで、ふわっと笑った。
「助かります、ありがとうございます」
「...そうか」
(この男は本当に...)
三人の心の声は、珍しくぴったり揃っていた。
ーーーー
夜。
河野が家に帰ると、リビングから騒がしい声が聞こえた。
「ただいまー」
「おかえりお兄ちゃん!!」
弟の龍弥が、廊下を全力で走ってきた。
「うわっ、どうした」
「聞いたよ! 聞いちゃったよ! お母さんから!」
「え、何を」
「K様のマネージャーやるって!!」
「なんで母さんが知ってるんだよ」
「さっき学校の先生から電話あったって! 単位の調整の件で!」
(大学、手が早いな...)
龍弥は、目を輝かせて河野の肩を掴んだ。
「お兄ちゃん、これが何を意味するか分かってる!?」
「いや、二週間手伝うだけで」
「K様と! 同じ現場で! 同じ空気を吸うんだよ!?」
「落ち着け」
「サイン! サインもらってきて! お願い!」
「マネージャーが個人的にサインをもらうのは、ちょっとどうなんだ」
「じゃあ写真!」
「それもだめだろ」
「じゃあ髪の毛一本でも!」
「それは犯罪だ!」
龍弥が、がっくりと肩を落とした。
「...でも」
「ん?」
「お兄ちゃん、ちゃんと気をつけてね」
龍弥は、少し真面目な顔になった。
「K様は素敵な人だけど、現場って怖い人も多いって聞くから。お兄ちゃん、警戒心ゼロだし」
「どういう意味だ」
「そのまんまだけど...ううん、なんでもない」
龍弥は、ため息をついた。
「お兄ちゃん、これ持っていって」
差し出されたのは、小さな手帳だった。
「なにこれ」
「メモ帳。現場は覚えることが多いから、絶対いるよ」
「...ありがとう」
「あと、髪もちゃんとセットして行ってね。明日の朝、僕がやるから」
「そこまでしなくていいって」
「やる」
「...はい」
河野は、素直に頷いた。
(この弟には、本当に頭が上がらないな)
ーーーー
自室に戻ると、河野はノンナのファイルを机の上に広げた。
ページをめくりながら、ふと、さっきの言葉が頭に浮かんだ。
『カチューシャ様は、疲れたと仰いません』
河野は、龍弥からもらった手帳を開いた。
真っ白な最初のページに、ペンを走らせた。
『明日、覚えること』
『K様と呼ぶ』
『スケジュール確認』
そこで、ペンが止まった。
少し考えてから、最後に一行だけ付け足した。
『無理してないか、気をつけて見る』
河野は、手帳を閉じた。
麻子のカイロを、鞄の内ポケットに入れた。
明日は早い。
電気を消して、ベッドに入った。
天井を見上げながら、なぜか、カフェを出るときのカチューシャの背中を思い出した。
小さくて、まっすぐで、なのに少しだけ強がって見えた。
(...頑張ろう)
その気持ちが、単なる仕事への意気込みなのか。
それとも、別の何かなのか。
河野本人は、まだ気づいていなかった。
※
このキャラ出して欲しい、この子はこう言う設定がいい等があれば気軽にください。
参考にさせていただきます。
基本的にガルパンのキャラは全部okです!
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