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帝国王女を迎えての祝賀会は、連邦政府主催でここ、アウフューデン城で行われる。湖畔に建てられたこの古城は、改装を繰り返しつつ海外からの国賓を迎えてきた。既にリアレ王女は到着し、今頃は晩餐会に向けて身支度を整えていることだろう。それは私、燕雀寺祢鈴と彼、アシュベルド・ヴィーゲンローデも変わりない。
「う~ん」
クラシックな夜会服に身を包んだアシュベルドが、鏡台の前で何やら唸っている。ちなみにここは、私にあてがわれた部屋だ。足しげく女性の私室に入り浸る我らが大隊指揮官殿だが、私の月の盾での立ち位置は長官の信頼できる相談役であり、非公式だが腹心扱いだ。ありがたいことに誰一人、私と彼の関係を邪推する職員はいない。
彼は既に身支度を終え、こうして私の部屋に顔を出している。幸い私もほぼ着替え終わっていた。裾の長い濃いワイン色のイブニングドレスは、着物と勝手が違って動きにくい。首からは黒真珠のネックレスと、耳にも同じイヤリング。久方ぶりに豪奢に着飾るな。しかし、私が彼に「どう? 似合っているかね?」と聞くことはない。代わりに――
「君、穴の空くほど鏡を見つめてどうしたのだね?」
椅子に座る私の疑問は、自分についてではなく彼についてだ。さっきから彼は鏡に顔を近づけている。
「ストレスが顔に出てるなあ、って思ってさ」
「なるほど」
「正確には、目に出てるなあ。鈴は気づかないかもしれないけど、目が死んでるみたいな感じになってる。ちょっと嫌だな、この感じ」
鏡から顔を離し、彼はこちらを見る。言われなくても、私は彼の顔の変化には気づいているが? 確かに、どことなく目つきに陰鬱さがある。元より鋭利な顔立ちの彼だ。眼光に暗い輝きが混じると凄みが増す。
「むしろ、いい感じに相手に威圧感を与える双眼になっていると私は思うがね。頽廃的な雰囲気が出ていて、それはそれで魅力的だ」
「そ、そう? そうかな? こんな感じとか? それともこうかな?」
私が誉めると、アシュベルドはたちまち嬉しそうになる。実に分かりやすい人間だ。彼は鏡に向き直ると、様々な角度でポーズを取り始めた。格下を蔑むような表情。不敵な笑みを浮かべた表情。一切に飽いたようなニヒリストの表情。だんだん自分に陶酔してきたのが分かるぞ。
「鏡の前で百面相はやめたまえ。見ていて笑えてくる」
私は冷静に突っ込みを入れる。
「べ、別にいいだろ。周りの人にどう見られているのかっていうのはいつも気にしなくちゃならないんだから」
まあ、それは正しい。そして実際、彼は衆目を惹きつけ、魅了する才能を有しているが、同時に努力を怠らない。
「それに、まだ気は抜けないからな」
ナルシシズムから脱却した彼は、打って変わった真面目な顔でそう言う。この切り換えの速さと的確さは、さすが一組織の頂点と言えよう。
「リアレ王女殿下の第一印象はどうだったかね?」
「帝国では“白銀の名花”として親しまれているけれど、あえて俺はこう言いたいね」
意味ありげな沈黙の後、彼は言う。
「――綺麗な花には刺がある」
この真面目な表情。私からすれば、先程までの変に格好をつけた面持ちよりも余程魅力的だ。もっとも、世間は後者の方に熱狂しているのだが。
「油断ならない相手、ということか」
「ああ、そうだ。王女殿下は正真正銘の王族、人の上に立つべき支配者の器だ」
どうやら、彼の目に王女殿下は、理想にして完璧な指導者の姿に映ったようだ。
「あー辛い。祝賀会なんか出たくない。殿下も適当に月の盾を見学して帝国に帰って下さればいいのに。あんなカリスマ相手に自分を装い続ける自信、俺にはないぞ」
「心中、察するよ」
私はわざとそっけない返事をする。
「察する、か」
案の定、やや不服そうな顔を彼はする。
「それ以上の言葉を、御伽衆から聞きたいかね?」
私はそれだけ言って黙る。
御伽衆は依頼主の悩みを聞くのが仕事だ。代わって解決案を出すのが仕事ではない。
「……いや、ありがとう。そうだね」
私の言わんとすることを、彼は理解したようだ。
「よし、がんばるぞ」
少しは気が晴れたのか、アシュベルドは拳を握りしめて気合いを入れる。
「期待しているよ。私も共に行こうじゃないか」
私は椅子から立ち上がる。
「ありがとう、鈴」
その私に、彼はさりげなく手を差し出してくれた。
「おや、エスコートとやらをしてくれるのかね?」
冗談めかして言うが、彼はうなずく。
「周りの目があるから、途中までだけどね。……駄目かな?」
確かに、皆の憧れの的である長官殿を私が独占するわけにはいかないな。
「ふふん、私が断るわけないじゃないか。嬉しいよ」
しかし、こうやって彼に淑女として扱われるのも悪い気がしない。ああ、確かに悪くないとも。私は彼の手を取り、彼もまた私の手を取る。不思議なものだ。手と手を通して、見えない私の心と彼の心とが一瞬つながるような気がするのだから。
――――こうして私は、彼による密やかなエスコートをほんの少しの間だけ楽しませてもらうのだった。
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