武人な狼奴隷とむっつりな聖女さま   作:エルフスキー三世

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狼武人は主君を得る

 競売のあと奴隷小屋に戻されたキリカは、召使らしき老婆に布で体を拭かれ、瓶に入った毒々しい緑色の液体を傷口や打撲の上からべっとりと塗られた。

 異臭と激痛に顔をしかめたキリカであったが、熱と共に痛みと腫れが徐々に引いていくのを感じ、塗られたそれが即効性の薬であると知って驚いた。

 それから簡素だが作りのしっかりとした丈の短いワンピースを着けさせられた。

 まるで小さな童が着る着物みたいだが、そのような物でも裸よりマシとキリカはとりあえず安堵した。

 

 身支度を整えてくれた老婆が去ると屈強な男たちが現れ、着いてくるようにキリカに命じた。

 

 狭い通路を男たちに支えられながらよたよたと歩き、考えるのは己のこれから先の未来ではなく、先ほど見たお姫さまのような高貴で美しき女性のこと。

 おそらく今の自分は、この異人だらけ(・・・・・)の国において最低の身分のはずだ。

 獣人とはいかなる魑魅魍魎の類かは知らぬが、人より身分が上ということはあるまい。

 そして、この欠損の酷い体では武人としての大成も難しいだろう。

 そんな条件で成りあがるには、どれほどの時間と労力を要するかは分からない。

 しかし、と、キリカは残った左手の拳を握りながら思った。

 

 あの美しき女を手にするためには、どのような艱難辛苦でも乗り越えて見せる‼

 

 現実逃避の強がりではなく、キリカは本気で誓った。

 彼女を見た瞬間に魂が震えたのだ。

 キリカは、おっぱいの大きい女が好きだった。

 それを置いても、運命と言うものを本気で感じた。

 あのような美しい女を自らの物にするには、金か、武力か、権力か……あるいはそのすべてが必要なのかもしれない。

 それでも絶対やり遂げて見せると決意したのだ。

 

 男が憑依した今のキリカは悲観主義者であった以前とは違い、恐ろしいくらいに前向きの楽観主義者で、そしてどうしようもなく阿呆であった。

 

「く、くく……」

 

 突然、邪悪な顔で笑いだしたキリカに、両脇にいた男たちは驚きビクッと体を震わせた。

 

 さらに武人は考える。

 確か……自分を競り落とした者は高級そうな服を着た髭男だった。

 浅黒い肌の性欲の強そうな油っギッシュなおっさんだった。

 

(助平そうだし隙を見て、ノシて、金品を奪って逃げるか……)

 

 再び悪い顔で含み笑いをする狼獣人の美少女を男たちは不気味そうに見ていた。

 

 それから案内されたのは、外とは明らかに作りの違う綺麗な部屋。

 結論だけ言うと、キリカが主人の元から逃げ出す必要はなくなった。

 なぜなら案内された先には油ギッシュな中年男ではなく、キリカが一目ぼれしたお姫さまのような清楚な美女がいたからだ。

 

「は、初めましてキリカ……ですよね? ええっと、私の名前はラスク、あなたの身受けをした……その、主人となる者です」

 

「…………なんと?」

 

 目的としていた美女が目の前に現れキリカは心底びっくりした。

 驚愕をあらわにするキリカに美女は……ラスクは何を勘違いしたのか、慌てたように手の平を前に突きだし、ぶんぶんと振った。

 その美しい線を描く頬は朱に染まり、豊かなおっぱいがぶるんぶるんと揺れた。

 

 キリカの視線がおっぱいに一瞬で奪われた。

 

「あ、ああ、違う! 違うのです! 確かに私はあなたをお金で買いましたが、私が望むのはそのような主人と奴隷のような強制的で歪な関係ではなく、ええっと、恋び……ひ、ひえっ⁉ で、ではなくですね……そ、そう、お友達! 心を通わせられるお友達になりたいのです! ええ、いいですよねお友達⁉ はい、お友達から始め(・・)ましょう⁉」

 

「は、はあ……?」

 

 キリカは言われた内容を飲み込めず、吟味するかのようにラスクを見つめた。

 ラスクは一口で言いきったせいか、子供のように顔を赤く染め、はぁはぁと息を乱している。

 キリカの中で何かがすとんっと落ちた。

 ラスクの憂いを帯びた顔を見た瞬間、その言葉に嘘偽りはないとはっきりと理解できた。

 

(……く、不覚なり!)

 

 そして、キリカは先ほどまでの浅ましい己を深く恥じた。

 

(なにが、なにが、この女を手に入れるだ‼)

 

 目の前の美しい女性は、奴隷の身の自分に救いの手を差し伸べようとしている。

 それだけではなく、友になろうとまで言ってくれた。

 逆の立場ならどうだっただろうと、自分の人としての器の小ささ、物欲にまみれた下劣さに気づいてしまったのだ。

 そして女神のような高貴な女性を物扱いし、欲情の対象にしようとしたことが心底恥ずかしくなった。

 

「あ、あの……だめですか?」

 

 ラスクが泣きだしそうな表情で問いかけてきた。

 その透き通る声に、獣の心が清らかなもので満たされる。

 これが男のときは鼻で笑っていた坊主どもが目指す悟りの境地……明鏡止水というものであろうか?

 

(らすく……と申したか……考えてみれば女になった身だ、どう逆立ちしても、この方と男女の仲になるのは不可能だった……)

 

 本当は可能なのだが、その場合、元男のキリカの男心がごりごり削られる。

 というか、ラスクの内面はキリカに対しての性欲まみれなのだが、女と禄に付き合ったことのない元童貞には分かりようもない。

 そして、ラスクの清楚な美貌も、キリカの中で彼女の評価を爆上げする原因になっていたのだ。

 

 美人はお得とはまさにこのことである。

 

(ふふ、前世において尊敬に値する……忠義を尽くせる主君(・・)といえる者にはとうとう巡り合わなかった……あるいはこれこそが神のおぼしめしなのかもしれぬ……そうか、ああ、それもよかろう……そうと決まればっ‼)

 

 キリカは欠損した体で、瞬足といえる動きで、ラスクの前で片膝をついた。

 その赤の双眼はらんらんと輝いていた。

 恐るべきことに、室内にいた誰もが、不自由な体のはずのキリカのその動きを捉えられなかった。

 目の前にいた聖女ラスクでさえも……。

 それは男が生前に修得した技能。

 人の意識の隙をつき、一瞬で視線の外に出る瞬歩という技である。

 周りの男たちが慌てて、ラスクの身に危険が及ばぬようにキリカを取り押さえようとするよりも早く。

 

「それがし、藤木(・・)キリカと申す! 前世は修羅道に生き、武士とは到底言えぬ品なき畜生同然の身なれど、らすくさまを主君と仰ぎ、眼前に立ちふさがる敵すべてを切り捨てる、ただ一振りの刃となることをここに誓う‼」

 

 大音響で宣言したのだ。

 室内が静寂に包まれた。

 

「以後、良しなに‼」

 

 キリカが『よろしくお願いしますっ!!』と最後に告げた。

 

「え、あ、はい……お願いします……」

 

 ええ、なんでそうなるの……と、呆然と返答したラスクの顔が言っていた。

 跪きラスクのつま先だけを見ているキリカは当然気がつかない。

 多分見てても気づかないだろう。

 なぜなら、主君を得た幸運に武人は唯々興奮していたから。

 

 お嫁さんが欲しかった聖女ラスクの誤算。

 

 それは、キリカが可哀そうなほど思い込みの激しい戦いしかできぬ武人(あほう)だったこと。

 ともあれ、狼獣人のキリカは聖女ラスクにお姫さま抱っこされ、お持ち帰りされることとなった。


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