太陽と月のハイタッチ 作:黒樹
真夜中、悪魔が私の居城に乗り込んで来た。神器【聖母の微笑】をアーシアの中から譲り受ける儀式の途中、奴らは私の居城を土足で踏み荒す。
あともう少しなのに。私があの人を癒す力を手に入れて、アーシアは自由を手に入れる。それで全てが終わるはずだった。
それも全て無駄な足掻き。邪魔が入ったけど無事にアーシアから神器を譲り受ける事ができ、予想はしていた通りアーシアの意識は薄れゆくばかり、その身体を抱えて兵藤一誠は教会の地下を抜けて外に出る。あいつの仲間がはぐれ神父達をボコボコにする中、私も目的は達成したとばかりに地上に戻ることにした。
割れたステンドグラスから月の光が射す。朽ちた教会の片隅で兵藤一誠とアーシアは何やら話をしていた。起き上がれず力なく横たわるアーシアに向けて兵藤一誠が何か励ますような言葉を掛けている。まるで映画のワンシーンのように映る光景を私は端から見つめていた。やがて意識を保つ事が難しくなったのかアーシアは眠りに就いた。
「アーシアァァァ!」
「煩いわね。寝た子が起きちゃうでしょう?」
「おまえ……!木場と小猫ちゃんは!?」
「死んでないわよ。肌に傷をつけた報いはいつか必ず受けさせるけど」
地上に出る時、あの騎士の一撃を掠めたおかげで私の肌には一筋の切り傷がついた。一生残ったらどうしてくれようか、と思うが今の私にはこれがあるのだ。アーシアから譲り受けた神器を使い、腕に翳すとたちまち傷は癒され消えていく。本当に凄い力だ。これがあれば私は貧弱な彼の傷を癒す事ができる。人間っていうのは弱っちぃから守ってあげなくちゃ。
「それじゃあ私は行くわね。もう二度と会うことはないでしょうけど、サヨナラを言っておくわ」
ひらひらと手を振りながら、翼を再展開する。再び空に飛び立とうとしたところで、あいつは吠えた。
「待てよ!おまえは絶対に許さねぇ!逃がすかよ!」
「……はぁ。うざい男は嫌われるわよ、知らないのかしら?」
あいつが神器を具現化する。襲い掛かってきたのでひらりと躱して光の槍を放った。見事にあいつの足を貫いてあいつは地面に腰を落としてしまう。これでもう立ち上がることはないだろう。
「まだだ……!こんなの…アーシアの痛みに比べたら!頼むよ神様、いや……悪魔が祈るなら魔神か?誰でもいいや。せめて、一発だけでもあいつを殴る力を」
「まさか、立ち上がった?バカな全身が内側から焼けて痛いはずなのに!」
–––BOOST!!
あいつの神器の倍加が発動した。
「たかが1が2になったところで……」
–––BOOST!!
二度目の倍加。それはあの神器ではあり得ないはずだった。
「……おまえのそれは一体?なんなのよ!?」
形状が変化している。それに暗くてもよくわかるくらいに赤い。緑の宝玉が手の甲の中心に輝いている。
–––BOOST!!
三度目の倍加が発動した瞬間、私は恐怖を感じてあいつに背中を向けていた。
「逃がすか!」
あいつの方が一歩早く、私の腕を掴む。翼を羽ばたかせ逃げようとしたけど握力まで軒並み上がっていて腕が軋むような感覚がした。後ろに引っ張られた瞬間、私の心を絶望が満たした。
「吹っ飛べぇぇぇ!!」
「なっ、とま–––」
最後まで言い切ることは出来ず、あいつの拳が私の顔面を強打した。
気がつけば私は誰かに引き摺られていた。教会の中へ連れ戻される中、私はぼんやりとした頭で考える。私はどうしてここにいるのか。気絶していた意識が未だ朦朧とする中、教会の祭壇の前に放られる。
「……部長、連れて来ました」
「朱乃、目を覚まさせてやりなさい」
「ふふふ、わかりましたわ」
突然、冷水が浴びせられた。軽く溺れそうになりながら私は噎せて朦朧とする意識がはっきりと戻るのを感じた。周りを見渡せば悪魔達が私を囲っている。逃げ場などない、この体では逃げることもできない、万事休す。
「初めまして、堕天使レイナーレ。私はグレモリー家次期当主、リアス・グレモリーよ」
私の前に立つ紅髪の女がそう名乗る。
「まさか、滅殺姫か……!」
「これが何かわかるかしら?」
その手からひらひらと舞い落ちるのは黒い羽だ。カラスのものではない。あれは私と同族の堕天使の羽。それが三種類。私の部下達のものなのは見ただけでわかった。
「言っておくけど、あなたを助けには来ないわよ?見たらわかるでしょう?」
「何が目的でこんなことを……!」
「あなたは私の大切な眷属を傷つけた。それ以外に理由が必要かしら?」
「邪魔をしたのは、おまえ達が先のはず!」
私は自分の脅威を排除しただけだ。あれが突っかかって来たから退けた。ただそれだけの話。私は悪くない。
「でも、あなたよね?イッセーを殺したのは」
「それは上司に言われて仕方なく!」
危険だから消せ。そう言われて従っただけなのだ。兵藤一誠という神器持ちの少年を殺したのもそう。じゃなきゃ、そんな面倒なことはやらない。そう説明するのも無駄だろう。
思えば私の役割は損なものばかり。どうして私がこんな目に遭っているのか。
……会いたい。
ただ一目でいいから、あの子に会いたい。
私はその一心で必死に命乞いをした。
「一誠君助けて!本当は殺したくなかったの!言われたから仕方なくなのよ!」
「……夕麻ちゃん」
「ほら、その証拠にまだ一誠君に買ってもらったシュシュも持ってるの!」
「……部長、頼みます」
それは決別の言葉だった。
「ねぇ、嘘でしょ……?やだ、助けて……!」
あいつと入れ替わるようにあの紅髪の悪魔が私の前に来る。
「まだ死にたくない!私は彼ともう一度」
「さようなら。地獄に消えなさい」
腕を振りかぶり、全てを消滅させる魔力が放たれようとした刹那–––
「ちょっと待ったぁぁぁ!」
廃墟と化した教会に訊きたくてやまなかった声が響いた。
「カナ、タ君……?」
悪魔達が振り向いた先にはカナタ君がいた。ずんずんと歩いて私と悪魔達の間に割って入る。私の前に立って庇うような姿勢を見せた彼の背中は大きく、それだけで私の心が温かくなった。
「大空がなんでこんなとこに!」
「……叶多先輩」
「イッセー、小猫も知っているの?」
「……はい。先輩とはよくお昼ご飯を一緒に」
そんな会話を繰り広げる悪魔達を無視して、カナタ君は私の前に屈むと私の頰を両手で挟んだ。ちょっと腫れてるね、青痣になってる、とか言って優しく撫でてくれた。あの神器よりも温かく涙が溢れそうになる。
「大空叶多君ね。少なくともここには人払いの結界が張ってあるはずだけど、どうやって入って来たのかしら?偶然というわけでもないわよね」
「人払いの結界?あー、認識の外に出してしまうってやつ?それって最初から目的地がその場所だと意味ないんじゃない?」
「確かに明確な意思を持っていれば、一般人でも迷い込むことがあるわね……それであなたはその堕天使のなんだと言うのかしら?」
「うーん。どうだろうね?」
わからないと、カナタ君は首を傾げた。
「僕はただ堕天使の魅惑に引っかかった愚かな人間かもしれないし。でも男なら当然のことだよね。そういう意味では僕はレイナーレを好いてるのかもしれない。少なくとも、殺されると困るってのは考えるまでもないけど」
「……珍妙な乱入者ね」
「今度は僕から質問したいんだけどいいかな?」
ええどうぞ、と紅髪の悪魔が質問の許可をした。
「殺すなら、僕が貰っていい?」
「それはできないわね。危険な堕天使を生かしてはおけないわ」
「レイナーレは多少口が悪いけど、悪い子じゃないよ」
「じゃあ、あなたは今後彼女が何かをした場合、責任が取れるのかしら」
「それは誰に対しての責任なのかな?」
「彼女の行動で被害を受けた人に対して、かしら」
「そう?僕はてっきり君のテリトリーで目障りな事をされた損害について、と思っていたんだけど」
あ、図星?とカナタ君が嗤う。それに対して高慢なはずの紅髪の悪魔は不敵な笑みを見せるばかり。
「……そうね。私情もあるわ。私の大事な下僕を弄んだ罪、そしてさっきの命乞いを聞いたでしょう?あの堕天使はまだイッセーを弄んでいるのよ。あなたもそうに違いないわ」
違う、と私は叫べなかった。
反射的に声が出そうになったけど、その前に彼が口を開いたから。
「グレモリー先輩だっけ。命乞いの効率的な方法って何か知ってる?相手の情を買うことだよ。そりゃ君達には彼女の命乞いが人を馬鹿にしているように聞こえたのかもしれないけど、レイナーレが兵藤を弄ぶ為にそんなことを言ったとは到底思えないよ」
「堕天使はそういうものよ。あなたにはわからないでしょうけど。小猫、彼を此処から引き摺り出してちょうだい」
「……わかりました。部長」
白い髪の悪魔の少女がカナタ君と対峙する。
「…叶多先輩、外へ行きましょう」
「小猫ちゃんはどっちの味方なの?」
「…私は部長の眷属です。でも、私は叶多先輩の味方です」
私を遠ざけて守ろうと言うのだろう、白髪の悪魔は手を取ってと言わんばかりにカナタ君へ手を伸ばした。
「味方ね。小猫ちゃんの気持ちは十分わかった。だけど、僕はその結果を望んじゃいない」
「…それが答えですか。わかりました」
カナタ君が拒み、白髪の悪魔が彼の隣に並ぶ。
「…ごめんなさい、部長。私は先輩の味方です」
「小猫、あなたまで!?」
驚いたことに白髪の悪魔は主人を裏切った。私を認めたわけではないけれど、カナタ君を信じているのだろう。ちらりと私を一度だけ見下ろした目には「叶多先輩に感謝してください」と書いてあるような気がした。
「ところで兵藤、君はレイナーレをどうしたい?」
「どうって……」
不意にカナタ君があいつにそう質問をした。
「殺したいのかそうでないのかはっきりしなよ。兵藤はどうして欲しいのか言葉にしていないだろう?まさか曖昧なまま生殺与奪を他人に預けるの?」
「でも、そいつはアーシアを!」
「傷つけた。それで君を殺したことに関してはどう思ってるの?」
「それは……」
「兵藤、君はこうして生きている。悪魔になって前の暮らしと比べてどう?結果論だけなら、君に不都合なことは一つもないだろう」
「……」
ついには言葉で相手を黙らせてしまったカナタ君、そこに紅髪の悪魔–––御主人様が割って入る。
「あなたの言い分はわかったわ。でも、やっぱり堕天使をそのままあなたに引き渡すことはできないわ」
「平行線だね。じゃあ、仕方ない。一つ勝負をしよう」
「勝負ね、まぁ殺し合うよりはいいかしら」
まるで最初からそう決めていたようにカナタ君は提案した。
「単純な力比べだよ。一対一の対戦形式。勝負は簡単、戦意が喪失するか負けを認めるまで闘う。できれば僕の相手は男がいいんだけど。女の子相手だと加減が難しいから」
「大した自信じゃない。私の眷属に敵うと思ってるのかしら」
賭けは成立した。
そこでカナタ君は首のチョーカーに手をかける。
「先に謝っておくけど、ごめん–––」
外したと同時に光が爆ぜ、廃墟となった教会を満たす。
思わず腕を翳して光を遮り、発光源のカナタ君の方を見た。
「–––私の勝ち確なのよね、その賭け」
光が晴れた先には少女がいた。白を基調としたワンピースに紺色のショールのようなものを羽織っている。女神のような法衣にも見える衣装を押し上げるように存在する双丘、その谷間や鎖骨は露出している。衣装から伸びた白く華奢な腕や足は指先にまで嫋やかで見るもの全てを魅了するかのよう、一言で表すならばそれは女神のような完成された美貌を持っていた。薄く朝焼けのように青みがかった銀髪は腰まで伸びており、愛らしい顔に収まる瞳は青空のように透き通った青。
堕天使、女である私が見惚れるほどの絶対的美貌はこの世のものとは思えない造形で、そこにいないカナタ君の姿を探した時、私は彼女の持っている見慣れたチョーカーに気づいた。
「さぁ、始めましょうか。私があなた達に敗北を刻んであげるわ」
その少女は、圧倒的な魔力と絶望、希望を振り撒く女神のように無邪気に微笑んでいた。