ロクでなし魔術講師ととある新人職員   作:嫉妬憤怒強欲

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第2話 ロクでなし講師来る/彼から見た魔術決闘

 寝台と布団が血で真っ赤に染まり、殺人事件のような有様になってから数時間が過ぎる。室内備えの時計は既に十二時を過ぎ、昼休みの時間。

 再び治療を受けた後のセシリアは今は血色が良く、新しいシーツに取り換えた寝台の上で寝息を立てていた。

 

……先程まで三途の川を渡っていた時とは大違いだ。

 

「ふぅ……」

 

 午前の一仕事をようやく終えたとクリストファーは息をつき、椅子に背を預けて寛いでいると、医務室の扉がガチャリと開かれる。

 

「痛ぇ……マジで痛ぇ……」

「……ん?」

 

 全身引っかき傷と痣だらけ、ズタボロとなった青年が、涙目でゾンビのようによろよろと入ってきた。その姿を見てクリストファーは思わずぎょっとする。

 

「すんませーん、怪我したんで治療お願いしまーす」

 

 年は十代後半から二十代前半の間。黒髪黒瞳で長身痩躯であり、目鼻立ちは整っているがそれを台無しにして余りある怠惰な目付き。仕立ての良いホワイトシャツに、クラバット、黒のスラックスというかなり洒落た衣装に身を包んでいるのだが、この男はこの服を着るのがどれほど面倒くさかったのか、徹底的にだらしなく着崩している。

 

 一目見ただけで真面目とは縁遠いと思わせる空気を纏っていた。正直、左手の手袋がなければこの男が講師であるとは誰も分からないだろう。

 

 

 というか……

 

「……あのすみません。誰ですか貴方?」

「ん?あぁ、えー不本意ながら本日から約一ヶ月間、二年二組の担任を勤めますグレン=レーダスと申します。以後お見知りおきを」

「はあ…自分は医務室に勤めるクリストファー=セラードと申します。こちらこそお見知りおきを………貴方でしたか、今日から赴任する講師というのは……」

 

 クリストファーも自己紹介する。

 目の前にいる男の名はグレン=レーダス。大陸でも屈指の魔術師であるセリカ=アルフォネアの推薦で、一か月前に突然辞職したヒューイの後釜として今日から赴任することになった非常勤講師である。

 

「不本意ながらということは自分の意志で来たわけではないという事ですか?」

「俺はなりたくはなかったんすけどね。この学院にセリカっていう偉そうな女がいるでしょ。ガキの頃からそいつの世話になってたんだが、急に仕事しろとか言い出しやがったんすよ。それでやりたくもねえこんな仕事をさせられることになったんすよ」

「……それはそれは」

「あーそれよりチャチャッと治療してください。これから昼飯食いに行くんで」

「……かしこまりました」

 

 グレンの微妙に丁寧じゃない物言いを気にせず、クリストファーは丁寧に応じて治療に当たる。

 何処に仕舞ったかな、と思い出しながら棚を探って、湿布用の布とハーブやらをすり潰して練り込んだ薬を取り出す。それを痣になった部分に貼り付けるようにして上から包帯を巻いて抑えた。

 

「はい、終わりました」

「あれ?【ライフ・アップ】かけないんすか?」

「その程度の痣やひっかき傷なら塗り薬ですぐに治りますので必要ありません。何分自分は法医師ではありませんので治癒効率の調整は難しいのでそれでご勘弁を」

「あー、まぁ、そりゃそうだよな……闇雲に法医呪文をかけるだけでは後遺症が残ってしまうケースもあるしな……」

 

 あまり魔術に対しての熱がないのか、クリストファーの説明に納得したグレンは片眉を上げて興味深そうに質問してきた。

 

「……しっかしオタク、魔術師としてのプライドねえの?」

「プライドだけでは患者にかかる負担が軽くなりませんので」

 

 そう返すと、『なんかどっかの誰かに似ているな』とグレンがブツブツと呟き出したが、クリストファーは気にせずに、仕事机から診察記録の用紙を取り出す。

 

「ところで差し支えなければ何故そのような怪我を負った経緯を教えて頂けないでしょうか? 診察記録にそういったのも記入しなければならないので」

「着替え中の女子生徒たちにリンチに遭いました」

 

 ……。

 

 一瞬、医務室内に沈黙が走る。

 

「は?すみません。今なんて?」

「いやだから女子更衣室に間違えて入っちまってリンチに遭ったんですって。いやぁ、まさか昔と違って、男子更衣室と女子更衣室の場所が入れ替わってたなんて知らなかったっすよ」

「……」

 

 あまりにもアホらしい理由に、クリストファーは頭を押さえて無言になってしまう。この学院でラッキースケベを実現させることができる講師はグレン一人だけだろう。

 

「しっかし、最近のガキ共は発育が良いな……一体、何を食ったらあんなにすくすく育つんだ?……一人発育不良なのもいたけど」

 

 と、当の本人に聞かれたら命を落としかねない恐ろしいセリフをグレンが呟いていたが、聞かなかったにし、診察記録に聞いたことをありのまま記入する。

 

「それじゃ治療ありがとうございましたー」

 

 グレンは最後に礼を述べ、「メシだ、メシ」と呟きながら退室し……ようとしたところでピタッと止まって振り返り……

 

「ここ、サボリ場にしていいっすか?」

「出入り禁止にしますよ?」

 

 

 しょうもない質問をしてきたグレンに、クリストファーはピシャリと敬語ながらも素っ気なく返した。

 

 『チぇッ、なんだよ』と舌打ちしながらも、今度こそグレンは退室する。

 

 

 

「……念の為、胃薬飲もう」

 

 

 その背を見送ったクリストファーはなんだか胃がキリキリと痛くなってしまい、昼飯を食べる前に、薬棚にある胃薬に手を伸ばすのであった。

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 それから一週間、グレン=レーダスについてあまりいい評判を聞かない。

 

 初日最初の授業に大遅刻した挙句、授業内容は初っ端から自習という怠慢。それを二組の生徒に咎められ、渋々と授業自体はすることになったが、その授業の内容は間延びした声で要領を得ない魔術理論の講釈を読み上げ、黒板には判読不能な汚い文字を書くという、やる気が一切ないグダグダとしたもので、最低最悪なもの。それからありとあらゆる授業がいい加減で投げやりに行われ、それが日に日に悪化してきているという。

 

 その話からこの学院に関わる全ての人間達が等しく持っているはずである魔術に対する情熱、神秘に対する探究心という物が、彼にはまるでないようだ。

 

 故にこの一週間で彼と二組の生徒達、他の講師達の間には凄まじいまでの温度差が生まれ、余計な軋轢が生まれている。

 

 

 そして、その日の最後の授業となる第五限目に事態が急変した。

 

 

 

(何やってんだ。あいつら……)

 

 

 その向こう、等間隔に植えられた針葉樹が囲み、敷き詰められた芝生が広がる学院の中庭にて、二年次生二組の担任を受け持っている非常勤講師グレン=レーダスと女生徒が互いに十歩ほどの距離を空けて向かい合っていた。

 

『なぁ、この決闘どっちが勝つと思う?』

『さあな、あの講師あんまりいい評判聞かないけどあのアルフォネア教授、イチ押しの人だからな……』

『なんかこの決闘は黒魔の【ショック・ボルト】の呪文のみで決着をつけるみたいだぞ?』

 

 二組のクラスの生徒達や、他の野次馬達がザワザワしながら二人を遠巻きに取り囲み、そこはさながら即席の闘技場のようだ。

 

(……生徒と講師との魔術決闘ね)

 

 魔術師の決闘。それは古来より、連綿と続く魔術儀礼の一つである。魔術師とは世界の法則を極めた強大な力を持つ者達だ。呪文と共に放つ火球は山を吹き飛ばし、落とす稲妻は大地を割る。彼らが野放図に争いあえば国が一つ滅びる。

 

 そんな魔術師達が互いの軋轢を解決するために、争い方に一つの規律を敷いた。それが決闘である。心臓により近い左手は魔術を効率良く行使するのに適した手であり、その左手を覆う手袋を相手に向かって投げつける行為は、魔術による決闘を申し込む意思表示となる。そして、その手袋を相手が拾うことで決闘が成立する。

 

 決闘のルールは決闘の受け手側が優先的に決めることができ、決闘の勝者は自分の要求を相手に一つ通すことができる。

 

 

(そして手袋を投げたのは……あの女子生徒か)

 

 グレンと向かい合っている女生徒、純銀を溶かし流したような銀髪のロングヘアをサラッと流している少女は、二年次生二組の生徒システィーナ=フィーベル。

 魔導の名門である大貴族『フィーベル家』の令嬢で、座学・実技ともに高成績を誇る学年トップの秀才。

 そして、生真面目すぎる性格と口うるさいこともあり、『お付き合いしたくない美少女』『説教女神』『真銀(ミスリル)の妖精』『講師泣かせのシスティーナ』などというあだ名で有名な、良い意味でも悪い意味でも扱いに困る生徒だ。

 魔術を神聖視している節があり、形骸化された魔術儀礼に過ぎない魔術決闘を古き伝統として重んじている。

 

 そんな彼女が決闘の相手という事は、グレンという男の素行に業を煮やした彼女が、グレンに手袋を投げつけて決闘を申し込んだ。

 

 そしてグレンに対する要求の内容は―――『真面目に授業をすること』。

 

(……まあ、そんなところだろう)

 

 この勝負でどちらが勝つのかにまったく興味がなかったが、今日は医務室に殆ど人が来ず、上司もいつものように寝台で休んでいる。書類仕事も大体終わり、暇を持て余していたクリストファーはその決闘を見届けることにする。

 

 

 

 

「《雷精の紫電よ》――ッ!」

 

 ついに、決闘の火蓋が切られた。

 

 システィーナはグレンを指差しながら呪文を唱えた刹那、システィーナの指先から一条の雷光が放たれる。

 彼女が唱えた呪文は黒魔【ショック・ボルト】。

この魔術学院に入学した生徒が一番初めに手習う初等の汎用魔術だ。微弱な電気の力線を飛ばして相手を撃ち、その相手を電気ショックで麻痺させて行動不能にする、殺傷能力を一切持たない護身用の術である。

 

 一節詠唱は《雷精の紫電よ》、三節詠唱は《雷精よ・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ》。

 基本的に呪文の詠唱は三節で行われるが、略式詠唱のセンスさえあれば一節による詠唱も可能である。

 これにより、【ショック・ボルト】の撃ち合いの勝敗は、いかに相手より早く呪文を唱えるかの否かの一点に集約される。

 

 一節詠唱で放たれた輝く力線が真っ直ぐグレンの胸元へ飛んでいき――グレンは得意げな顔でそれを受けた。

 

「ぎゃぁあああーーッ!!!」

 

 バチバチと派手な音を立てて感電するグレン。びくんッと身体を痙攣させ、あっさりと倒れ伏した。

 

「え?」

 

 システィーナは指を突き出した格好のまま硬直し、脂汗を垂らした。決闘を遠巻きに眺めていた生徒達もこの結末にざわついている。

 予想を斜め上にいく結末に誰もが唖然とする中、回復したグレンは立ち上がる。

 その後、『卑怯だ』『これは三本勝負』『五本勝負』とグレンによるグレンの為の特別ルールによって、再び決闘が始まったのだが何度やってもグレンの呪文よりもシスティーナの呪文が早く完成し、システィーナに一発も【ショック・ボルト】は当たることは無かった。

 作業のように行われたその決闘で地面に大の字で痙攣しているグレンは一節詠唱ができないことがわかった。

 あれこれと言い訳染みたことを言うグレンだが、決闘はシスティーナの勝ち。システィーナの要求をグレンは呑まなければならないのだが。

 

「は? なんのことでしたっけ?」

 

……この男、決闘での約束を反故にしやがった。

 

 それに当然の如く腹を立てたシスティーナが食って掛かるものの、グレンは『俺、魔術師じゃねーし。魔術師のルールとか引っ張ってこられても知らねーし』という言葉を残し逃亡。

 だが、まだ身体にダメージが残っているらしい。グレンは何度も転びながら、それでも高笑いだけは一人前に走り去って行く。

 

 

 そして……

 

「すんませーん!感電した上に転んでしまったんで治療お願いしまーす!」

「なんでさ……」

 

真っ直ぐ医務室にいけしゃあしゃあと来た。

 

 もはや、呆れるしかない。

 

 

 

 また胃がキリキリと痛くなりだしたクリストファーは、グレンに効果はあるが途轍もなく沁みる塗り薬を渡して医務室から追い出した後、大量の胃薬を口に運ぶのであった。

 

 

 

 




とある法医師「……私、出番ない!?」Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン


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