ロクでなし魔術講師ととある新人職員   作:嫉妬憤怒強欲

7 / 9
追想日誌の話を少々加えました。



第7話 スネーク・ハント(中編)

 グレンがシャドウに初めて対面したのは三年前のこと。

 聖暦1850年、グレンがアルザーノ帝国国軍省管轄の、帝国宮廷魔導士団の中でも魔術がらみの案件を専門に対処する部署『帝国宮廷魔導士団特務分室』にまだ在籍していた頃、ある要人の娘を救い出してすぐの任務のことだ。

 

 

 かつての仲間たちと共に与えられた任務の内容は、人里から離れたある古城に隠れるラス=ワーテルロ卿の討伐。

 

 ワーテルロ卿は国内では音に聞こえた超一流の魔術師であった。だが、その正体は人類の進化への貢献と称して“人間の人工的な吸血鬼(ヴァンパイア)化”という禁忌の研究を行なっているS級外道魔術師であった。

 

 吸血鬼は世界真理を追い求め続ける魔術師達の、その最終到達点の一つでもある死を超越した存在『不死者』の中でも高貴とされる存在。“人を捕食する”という本能を持ち、生まれながらに人に仇為す、決して人と相容れない、誇り高き怪物であり、アルザーノ帝国の帝国法では、いかなる理由があろうと即刻処分しなければならないと定められている。

 

 だがワーテルロ卿は自らの探究心のために法を破り、あろうことか領民を片端から誘拐して、自身の魔術研究の素体に利用していた。

 

 攫われた領民の数は三百を超えた時、宮廷魔導士団にその犯行が露見し、グレンたち特務分室が動いた。

 

 生存者なんて、最初から期待できない状況だった。

 

 それでもグレンはまだ生きているかもしれないと、まだ助けられるかもしれないとどこかで期待していた。

 

(クソッ………! クソッ………!)

 

 だが現実はむなしく、既に攫われた領民のほとんどが食屍鬼(グール)へと変えられていた。

  

 食屍鬼はその吸血鬼の“出来損ない”とされる下級も下級。知性は皆無で、不死の肉体を維持するには吸血では足りず、人の肉まで喰らうが、身体が朽ちる速度に再生が追いつかず、どこまでも醜く腐り果てていく哀れな存在である。

 

 ワーテルロ卿の元へ向かうため、城内に溢れるかつては領民だったその異形の存在たちをその手で始末するグレンは精神的に疲弊していった。

 

(ちきしょう………!)

 

 そして、ようやく大量の食屍鬼を踏破したグレンたちはワーテルロ卿がいる研究室に辿り着いた時だった。

 

「ま、待て! わ、私が悪かった。もうこんなことは二度としないから助けてくれ!」

『無理だな』

「じゃ、じゃあ…今までの研究成果を全部渡す!」

『興味がない。今更命乞いしてももう手遅れだ。お前は超えてはならない一線を越え過ぎた』

「た、頼む!」

『……だから今まで弄んできた命の数の分だけ、お前も苦しみを味わいながら――――死ね』

「やめろ………来るな………やめろやめろやめろオオオオオオおおおおお!」

 

 異常なまでに怯えた悲鳴の後に、研究室から複数の忙しい咀嚼音が響き渡る。

 

「うぎゃぁああああああああああああああああああ――ッ!?」

(っ!? な、なんだ今の悲鳴は………!?)

 

 我に返ったグレンたちは何が起こっているのかすぐに研究室の中を入る。

 

「なんだよ………こりゃ………」

 

 研究室の惨状にグレンたちは言葉を失う。

 

「痛い、痛い、痛い!――っ!」

 

 グレンたちの標的であるワーテルロ卿は――生きたまま喰われていた。

 

 身体をロープで縛られ、【スペル・シール】により呪文の起動を封じられたまま天井から宙吊りになって動けないところを、大量の食屍鬼達が群がってその足を貪っていた。

 

「嫌だ嫌だ嫌だシニタクナイ!やめてくれやめてくれ………!」

 

 ワーテルロ卿は泣き叫ぶように悲鳴を上げるが、ワーテルロ卿に実験素体にされ知性の無い生ける屍へと変えられた領民達は耳を貸さずただ肉を食い千切る。

 

 最も本能的な欲求である「食欲」に突き動かされたことによるものなのか、それとも単なる「復讐」によるなのか、あるいはその両方かもしれない。

 

(いったいなにがどうなってやがるんだ?)

『……遅かったな』

「――っ!?」

 

 突然の声にグレンたちは上を見上げる。

 そこにはグレンたちの標的であるワーテルロ卿を天井から吊るし、生きたままその足を飢えきった食屍鬼達に喰わせている張本人である――――黒衣の怪物がいた。

 

『――初めましてだな、特務分室の諸君』

 

 

 

 

 

 

「――せい、――んせい、グレン先生ってばッ!」

「――うおっ!? ど、どうした白猫!? 急に耳元でデカい声出すな!」

「どうしたもなにも、さっきから声かけても全然返事しなかったじゃないの!」

「は? あっ………ああ、悪い」

 

 ふと昔のことを思い出していたグレンはシスティーナの呼びかけに我に返る。

 

 現在グレンとシスティーナは戦闘が行われている西館から脱出し、一度生徒たちがいる東館二階に向かっていた。

 

 西館から響き渡っていた何かと何かが激突する音もそこではもう聞こえない。

 

 

 今のところ敵の追撃が来ていないのは好都合だ。

 今のグレンの状態は、システィーナの【ライフ・アップ】で出血は何とか止まったがまだ傷口を完全には塞ぎきれておらず、いまだマナ欠乏症から抜けきれていない。応急手当ではなく一刻も早く本職の医者か白魔術の専門家に診せる必要がある。

 

「………これもあいつが片付けてくれたおかげか」

「………あの……先生」

「ん?」

「先生は……その、アレと…あの人と知り合いなんですか……?」

「……」

 

 予想外の問いに、グレンは一度沈黙する。

 グレンの過去を、システィーナは知らない。

 宮廷魔導士時代の頃の彼が戦った敵の中でも最も異質と言っていい怪人。

 彼の性質を知る理由を語るには、まずグレン自身の過去を語らねばならない。

 

 だが、今それは必要のないことだ。

 

 しかしこのまま、彼女の精神状態に揺らぎを残しておくのも良しとは言えない。

 考え抜いた末、彼は1度腹に溜まった息を吐き出し――それから問いに対する『答え』を紡ぎ出した。

 

「……昔の奇縁っていうヤツだよ。俺と、あいつは……それよりも着いたぞ」

 

 東館二階の二組の教室の扉の前に着いた二人は、用心しながら、扉の取っ手部分に手をかけようと手を伸ばす。

 

 すると、手が扉の取っ手部分に触れる前に、ガチャリと静かに扉が開かれた。

 

「あれ? あんたは――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左から、右から、正面から、刃が迫る、迫る、迫る。

 空気を引き裂いて、真空を切り裂いて、刃の切っ先が迫る――

 

『フン――』

 

 ガキン!ガキン!

 

 シャドウは正面から突っ込んできた二本の浮遊剣を振るった曲剣で弾く。

 先に飛んできた浮遊剣を斜め斬りで、次に手首を返すことなく斬り返して続く第二撃の剣を打ち払った。

 

 ガキン!ガキン!

 

 両刃の刀身が大きく彎曲している曲剣の形状は、彎刀のように斬りつけることと、直剣のように連続して斬撃を加えることを両立させている。また、鎌のように切っ先で引っ掛けることもでき、薙ぎ払う形でも大きな威力を発揮していた。

 

 三方向からシャドウに襲いかかる三本の剣は、達人の技量に匹敵する速さと鋭さでシャドウを切り刻まんとする。

 

 だがシャドウはそれらを右へ、左へとかわし、曲剣で弾いていった。

 

 シャドウはたった一本の曲剣の剣捌きで五本の浮遊剣に対処しつつ、冷静に分析する。

 五本のうち三本の剣は達人の動きをしていたが単調で無機的。それに対して残る二本は有機的な剣撃を繰り出していた。まるでその二本だけは『生きている』ようだ。

 

 

『この動き………さては両方か』

 

 そう、レイクの操る五本の剣は、術者の自由意志で自在に動かせる二本の剣と、手練れの剣士の技が記録され自動で敵を仕留める三本の剣で成り立っていた。

 

「ご名答だ。しょせん手練れの剣士の技を模した所で自動化された剣技は死んでいる。五本揃えた所で真の達人には通用せん。かと言って五本全てを私が操作すれば………しょせん私は、魔術師、やはり真の達人には通用せん。私はこれまで何十人もの騎士や魔術師を暗殺し、三本の自動剣と二本の手動剣の組み合わせが最も強い、と結論した」

『ほう? 質と量の両立か…貴様も魔術師らしくない』

 

 レイクがとった戦法は自動剣と手動剣で互いの短所を補いあうというもの。五本とも自動化して動かすよりもその組み合わせで、隙を見せないようにしている。

 

 そして、この手動剣の動きは素人のものではない。超、とまではいかないだろうが一流の剣技だ。遠隔操作でこの動きができるということは、この男自身も相当の剣の使い手のはずだ。この男に剣を持たせれば、並みの剣士ならば瞬殺されるだろう。

 

 魔術師は肉体修練で練り上げる技術をとにかく軽んじる。精神修練で培う魔術の下に置きたがる。ゆえに、この男もグレンやシャドウとは違った方向性で魔術師から外れた男だった。

 

 

『成程………ならこちらは少し戦法を変えよう』

「なに?」

 

 シャドウが突然曲剣を懐に仕舞い、新しい得物を取り出した。

 

『これで……貴様と互角だ』

「ナイフだと?」

 

 それは『ダーク』と呼ばれる黒塗りの短剣。切りつけるものではなく、狙い撃つことを主として作られた投擲短剣を三本、両手の指の間にそれぞれ挟んでいる。

 

『………ハァッ!』

 

 裂帛の気合いと共に、シャドウが僅かに左腕を振りかぶった。

 

「なっ――」

 

 放たれた短剣の速度は、それこそレイクの浮遊剣に匹敵する。

 それら六本がレイクの咽、心臓、眉間と、急所などの急所目掛けて真っ直ぐ突き進んでいることを、レイクの掃除屋としての鋭敏な判断力は瞬時に察知する。

 

「ちぃ――ッ!」

 

キンッ!キンッ!キンッ!キンッ!キンッ!キンッ!

 

 だがレイクは咄嗟に二本の剣を操作し、レイクの眼前で交差して防いだ。

 

 しかし、シャドウの攻撃はまだ続く。

 

 シャドウは懐から短剣を新たに六本取り出し、廊下内を跳ね回りだした。

 壁にいたかと思えば天井に張り付き、天井から床に張り付いて短剣を高速連射。

 

 短剣が手元から離れればまた懐から新たに短剣を取り出して掃射。それらの作業を繰り返し、前後左右に動き回りながら絶え間なく放ってくる。

 

キンッ!キンッ!

 

 

「くっ――――」

 

 それにレイクの周囲を浮かぶ五本の浮遊剣が反応する。二本の手動剣は腹を盾にし、残る三本はいなし、弾き、防ぐといった迎撃態勢に入った。

 

キンッ!キンッ!キンッ!キンッ!

 

 火花が散り、短剣があらぬ方向に飛んでいって地面と壁に突き刺さる。だが、そのすべてを完璧に捌ききることができず、レイクの身体のあちこちを掠めていった。

 

 レイクはシャドウの俊敏な動きと矢継ぎ早に繰り出される短剣を目で追いながら、五本の浮遊剣で弾くことに集中する。

 対抗呪文を唱える隙が無い。

 少しでも気を緩めれば、確実に短剣に急所を貫かれることを、レイク自身理解していた。

 

 六十本ぐらい短剣が放たれたところで、ようやく連射が止む。黒衣に忍ばせていた短剣はすべて使い切ったようだ。 

 

『まだだ――』

 

 と、ここでパターンが変わった。シャドウは懐の曲剣を再び手に取り、大きく身をかがめて踏み込んでいく。

 

「馬鹿め!≪炎獅子――」

 

 突進してくるシャドウに向けてシャドウが呪文を唱える。

 一節詠唱による黒魔【ブレイズ・バースト】の超高速起動。これができれば、たった一人で一軍とも渡り合えるとされる高等技術である。

 

 灼熱の炎でシャドウを焼き殺す算段だろう。

 

 

 だが――――

 

『馬鹿はお前だ』

 

「!」

 

 赤い眼で睨まれた瞬間、悪寒が奔った。

 レイクは、起動しかけていた【ブレイズ・バースト】の魔術を解除し、即座に屈む。その瞬間、今まで自分の首があった場所を短剣が通過していた。シャドウはレイクの行動を見越していたのか、レイクが詠唱を完了するより先に、床に突き立っていた一本の短剣を拾い上げ、投擲したのだ。

 

 黒い刃を躱し、再び剣を操ろうとして──そして、そこで気づく。シャドウの姿が、そこにないことに。

 

 それは剣士故の直感と言うべきか。

 認識するより先に、レイクの体が勢いのままに右に横転していた。

 

「――――ぐ………!」

 

 左脚を切り裂かれる感覚と共に痛みが走る。真上から襲いかかってきた曲剣は、レイクの咄嗟の行動で切っ先が掠めただけ、だが、決して浅くはなく、傷口から紅が散華する。

 

 完全に不意を突く一撃。意識の外からの攻撃だった。

 

『チッ、外したか』

 

 舌打ちをした黒衣は、レイクの真上をすり抜けて背後に着地する。

 

「おのれ――――!!」

 

 レイクは即座に振り返り、背後に浮遊剣を飛ばすが、そこにシャドウの姿はなく、黒衣はとうに天井へと跳んでいた。

 

 

 

 先程まで剣が激しくぶつかり合う金属音が鳴り響いていた空間に沈黙が訪れる。

 

 

(まさかここまでとは………)

 

 全身傷だらけのレイクは負傷した左脚を抑えながら、内心、シャドウの立ち回りに舌を巻いていた。

 

 たった一本の曲剣で五本の浮遊剣の猛攻をしのぐ剣捌き。更に、近接戦闘は殆ど行わず、黒塗りの短剣を浮遊剣と同じ威力の弾丸として放つアウトレンジ戦法。

 魔術の台頭によって存在意義を失っていたこれらの前時代的な武器により、魔術師であるレイクは追い詰められていた。

  

 それに加え、人間のものとは思えない俊敏な挙動と身体能力。天井に張り付いているシャドウはまるで壁を這う蜘蛛のよう。本当に人間なのかも怪しい。

 

「………貴様はいったいなんなんだ?」

『―――』

 

 シャドウは何も答えない。だがレイクの頬には額から流れ落ちた汗が垂れた。緊張の汗だ。

 

 曇りとはいえ日が沈む前の時間帯に現れた、影に紛れ、闇から外道魔術師を奇襲し、虐殺する殺人鬼。

 これはもう、並の暗殺者でもできる立ち回りではない。

 

――下手をすれば逆に狩られかねない『強敵』だ。

 

「…まぁ、いい。貴様の実力は認めるが、二度目は通用せんぞ?」

『傷だらけの状態でよく吼える。そんな台詞が言えるのはどんな状況でも自分の有利を信じて疑ってない真の強者か、あるいはもっともらしい権威のもとに身を寄せて強くなったつもりになっているただの勘違い野郎だけだ』

「世迷い言を……さっきは油断したが既に貴様は弾切れ、魔術を使う私の方が有利だ」

『………ふん、あくまでも自身を強者と驕るか。まあいい。どうせすぐにどっちかわかる』

 

 雰囲気から次の一合が最後になることを敏感に感じ取り、レイクは五本の剣を浮かせ態勢を立て直すと、身構える。

 

 もうシャドウの手元には投擲短剣はないだろう。ならばシャドウに残っているのは曲剣による近距離戦のみの筈だ。

 

 きり、と空間に緊張が走る。まるでその場の気温が一気に氷点下を振り切ったかのようだ。

 

 その沈黙は無限にして、一瞬。

 

 そして、

 

「――死ね!」

 

 レイクが五本の剣を放つのと。

 

『≪~~・――――』

 

 シャドウがレイクに向かって跳び、なんらかの呪文を詠唱を開始したのは同時だった。

 

「このタイミングで魔術を!? だが、たとえそれが一節詠唱だったとしても無駄なことだ!」

 

 レイクの宣言どおりだった。

 五本の剣が閃光のように翔ける。魔力を流し込んで強化したのか、速度が先程よりも格段に向上している。それに、浮遊剣には熱、電気、冷気の耐性を付与する【トライ・レジスト】が付呪されており、強力な軍用の三属攻性呪文は通らない。この速度で仮に詠唱が完了したころで、魔術による攻撃は通じず、その身を貫かれているだろう。

 

 

 剣先がシャドウの左腕を、右脚を、胸を、腹を、肩に触れる。

 

 あと数秒で、シャドウの身体を深々と刺し穿つだろう。

 

 

 急所には当たらないだろうが――勝負は決した。

 

――かのように思えた。

 

 

『――全てを薙ぎ払う刀剣を》!』

「何ッ!?」

 

 寸でのところでシャドウが呪文を完成させた瞬間、シャドウの左手から激しい紫電が伸び、五本の浮遊剣を奔る。すると、強固な金属でできている筈の刀身は、レイクの意思に反して、粘土の様に形が崩れていき、粒子化して、シャドウの左手へと集まっていく。

 

 そして――数秒後に紫電が収まった時、五本の浮遊剣は一振りの鉈へと形を変え、シャドウの左手に握られていた。

 

「錬金術っ!?しかも【形質変化法】と【元素配列変換】を応用した高速武器錬成だと!?」

 

 レイクはそのあり得ない光景に驚愕していた。

 シャドウが魔術を、錬金術を使ったことにではない。天の智慧研究会に所属しているメンバーならよく知っている高速武器錬成術を、シャドウが使ったことに対して驚愕したのである。

 

 

『終わりだ』

「ッ·····《光の障壁よ》!」

 

 レイクが身を守るために咄嗟に対抗呪文【フォース・シールド】を唱え、魔力でできた光の六角形模様が並ぶ障壁を眼前にて展開する。

 

『無駄だ』

 

 だがシャドウは間髪を容れず、レイクへ獣の如く駆け出しながら鉈を振るった。

 

 放った横薙ぎの一撃は魔力障壁を真正面から叩く。

 

 すると、魔力障壁が厚み三ミリメトラしかない刀身にいとも簡単に紙切れのごとく切り裂かれ、瞬時に砕け散った。

 

 

「!?」

 

 レイクは回避しようとするがシャドウの方が速く既にレイクの懐に飛び込んでいた。

 

――そして。

 

『やはりお前もただの勘違い野郎の方だったようだな』

 

ドスッ────!

 

 

 鋭い物が肉を穿つ鈍い音が鳴る。

 シャドウの曲剣の鎌のような切っ先が、レイクの左胸部――急所を完全に貫通していた。

 

 ぴしゃ、と滴る緋色が飛び散り、壁と床を叩いた。

 

「……ふん、見事だ」

 

 レイクは微動だにしない。直立不動のまま、自分に剣を突き立てた者に賞賛を送った。

 

 不意打ちが卑怯だとかそんなことを言うはずもない。魔術師は騎士じゃない。魔術師の戦いは一対二だろうが一対三だろうが、あらゆる手段と策謀を尽くして相手を陥れ、出し抜き、そして最後に立っていた者こそ正義で強者なのだから。

 

「そうか…………思い出したぞ」

 

 レイクはシャドウの左手にある鉈の意匠を見ながら、何かを納得したようにつぶやいた。

 

「七年前まで、我々の組織が擁している暗殺部隊、掃除屋(スイーパー)に一人、体の半分に火傷を負った少年がいたそうだ。その者は錬成したたった一本の鉈だけで組織にあだなす標的……何十人もの閣僚や騎士、凄腕の宮廷魔導士たちを殺した」

『――』

「無垢な少年のような率直さで敵の懐うちに入り込み、冷酷な狩人のようにその命を奪い取る。その二面性を持ち合わせた彼はいつしか『フランク=イェーガー』と呼ばれ、帝国の魔導士だけでなく同じ組織の人間からも恐れられていた………突然の宮廷魔導士団強襲の際に死んだと聞いていた………が………」

『………で、何が言いたい?』

 

 赤く、憎悪と憐れみと蔑みを混ぜ合わせたような目をするシャドウの問いに、レイクは口の端を吊り上げ凄絶に笑った。

 

「ふっ、今までの殺戮は我らへの復讐のつもりか……馬鹿め……貴様がどう足掻いたところで『天の智慧研究会』を…大導師様の計画を止めることなどできはせんぞ……!特に組織の命令を忠実に実行するだけだった廃人風情ならなおさらな!」

『……遺言にしては随分とありきたりなセリフだな。試験だったら赤点不合格だ』

 

 

 シャドウがそう言った次の瞬間、シャドウの黒衣の内側から黒い瘴気のようなものが溢れ出た。

 

「..ッ!! き、貴様...なんだこれは...!?」

『あれから色々あったんだよ。お前らが想像もつかないようなたくさんのことが………お前を動揺させるためにワザと使った【隠す爪(ハイドゥン・クロウ)】とは比べ物にならない。まだ完全には制御できていないが……とりあえずは手足の様に動かせる。こんな風にな!』

 

 闇の霊気のようなオーラにも見えるそれはまるで無数の手足のように蠢き、既に死に体のレイクの身体に絡みつきだした。

 

「ぐああああああ――ッ!?」

 

 薄れていく意識の中、黒い手足が触れてから体の内側にある魂が割れ砕けたような途轍もない苦痛を感じ、レイクは絶叫を上げる。

 

 

 弄られている。捻じられている。狂わされている。

 

 生命力、魂、マナ……人を人たらしめ、一個の生命として息づかせる超自然的なエネルギー………レイクのそういったモノを、内側から容赦なく破壊しているのだ。

 

 全てが捻じれ狂い、レイクの肉体にも変化が現れる。

 全身の血管が浮き出て破れ、骨が砕け、神経がズタズタに引きちぎれ、腕だけではなくやがて足までが腐り落ちていく。 

 レイクの体内にある膨大な魔力の暴走が肉体の自壊を引き起こしていた。

 

「あ、あがぁ……!!?」

 

 その時のレイクの端まで見開かれた眼は、今自分に起こっていることが信じられないと、感情を表しているようだった。

 

『……お前らは七百年もの間、この世界の真理を解き明かすだのなんだのと、くだらない利己的な理由で次から次へと他人を玩具の様に弄び続けてきた。そして俺のように帰る場所を失った子供達に無理矢理言葉を植え付け、使い捨ての殺し屋に仕立て上げた』

「………が…ガハッ……」

 

 苦悶の表情を浮かべているレイクの口と目、鼻、耳、顔にある穴という穴から血が流れ、もはや絶叫を上げることもできない。

 苦痛の中、レイクの頭にシャドウの言葉が強く響き、焼き付けられていく。

 

『感じるだけの苦痛と恐怖を味わいながら死ね。それが俺への…いや、魔術という「言葉」に寄生するお前らに支配され、全てを奪われた俺たちに対する償いだ…』

 

 そう言ってシャドウがレイクの胸から曲剣を力一杯に引き抜いた瞬間――

 

グシャッ

 

 「ぐぼぉッ…」とレイクから鈍い音と弱々しい声が響き渡り、ダランと身体が下に垂れ、崩れ落ちる。

 

 既にレイクは死んでいた。

 肉が崩れ、大量の血が流れ出て、足や背骨が通常ではありえない方向に折れ曲がった状態でままピクリとも動かない。

 

 これほど汚らしく惨たらしい光景はあり得まい。

 何も知らぬものがこの死体を見れば、人間の範疇を大きく越えた、凶暴で残酷な怪物に殺されたと思うだろう。

 

『お前が何と言おうが、俺はいずれ他の連中やお前らが崇拝している大導師の首を取りに行く』

 

 レイクが聞くことのできなかった台詞を、シャドウは独り言のように低く呟く。

 

『自分たちが寄生していた全てが崩壊していく様をあの世から見届けるんだな』

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。