ロクでなし魔術講師ととある新人職員   作:嫉妬憤怒強欲

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第8話 スネーク・ハント(後編)

 学院校舎から中庭へ出て、並木道を抜けた先にて聳え立つ白い巨塔――白亜の塔。

 そこには、離れた場所と場所を繋いで一瞬で移動することを可能とする超高等儀式魔術を補助する魔導施設『転送法陣』が敷設された転送塔である。

 学院にある転送法陣は帝都オルランドと繋がっており、学院の講師陣は前日にこれを使って早馬で三、四日かかる距離を一瞬で移動した。

 

 誰もいない筈の今の転送塔の近くは無数の石で出来たゴーレムで埋め尽くされている。

 その内部、長く続く螺旋階段を登った先、塔の最上階にある薄暗い大広間の中心で、膝をついて座っているルミアがいた。

 

「どうして……どうして貴方のような人がこんなことを……ッ!?」

 

 転送法陣の上にいる彼女は悲しい顔を浮かべ、涙を目頭に貯める。

 

 少し離れた片隅にいる柔らかい金髪の涼やかな表情をした二十代半ばぐらいの優男。その人物のことをルミアはよく知っていた。

 

「どうしてなんですか、ヒューイ先生!」

 

 何を隠そうこの男、一ヶ月前まで二組の担当講師として教鞭を執っていたヒューイ=ルイセンその人である。

 表向きには一身上の都合で退職、真実は突然の失踪からの行方不明となっていたが、その理由は態々語るまでもない。今この場にいてルミアを出迎えたことが、ヒューイが敵側の人間である証左だ。

 

 静かにルミアの悲痛な叫びを聞いていたヒューイはやがて口を開く。

 

「僕はもとより、王族、もしくは政府要人の身内。そのような方が将来この学院に入学された時にこの学院とともに自爆テロで死亡させる。僕はそのための人間爆弾なんですよ」

「そんな………それじゃあ、ヒューイ先生は十年以上も前からそんな僅かなないかもしれない事の為だけにこの学院に在籍していたってことですかッ!?」

「ええ、僕自身すっかり忘れかけていましたけどね」

「――!?」

 

 明かされる衝撃の事実にルミアは言葉を失う。つい最近まで生徒達から慕われていた人気講師が、その実十年以上前から仕組まれていた人間爆弾だったなんて到底受け入れられないし、こんなことを考えつく人間の正気が疑われる。

 

「ですがルミアさんが入学したことで少々事情が変わりましてね………貴方は少々特殊な立場なので生け捕りになりました。ですので転送法陣の転送先を改変し、ルミアさんを組織の元へと送り届けます。同時に僕の魂を起爆剤にこの学院を生徒諸共爆破することになる」 

「ば、爆破!?」

 

『成程……外に出られないよう結界の設定を書き換えたのはそのためか』

「「っ!?」」

 

 ルミアとヒューイしかいないはずの部屋に第三者の声が響く。

 入口付近に広がる暗闇、その中にいつの間にかいる影法師を見た二人は驚きを隠せない。

 

「貴方は……誰なんですか?」

 

 ルミアは気丈に振る舞いながらも、恐る恐る目の前の人物に素性を問い質すも―――

 

「………そうですか、ということは他の皆さんは『シャドウ』である貴方にやられたということですか」

 

 その答えはヒューイからもたらされた。

 

「え!?」

「ですが妙ですね。それならグレン=レーダスが来てもいい頃合いですが……」

 

 驚くルミアを他所に、ヒューイは冷や汗を流しながら暗闇で赤い目を光らせる影法師――シャドウに問う。

 

『さあな? 今頃見当違いの相手を学院にテロリストを招き入れた裏切り者じゃないかと疑って無駄な時間を取っているところだろう。少し前に危うく殺されそうになったというのに酷い仕打ちだ』

「……ああ、彼ですか………彼にはとんだとばっちりを受けさせてしまいましたか」

『これから学院にいる連中を巻き添えに自爆しようとしている奴がよくそんなセリフを吐けるな』

 

 石を畳のように一面に敷き詰めてできた床を見るとヒューイの足元にも法陣が展開されている。しかし、ルミアのような転送法陣ではなく、なぜかルミアの法陣と連結していた。ヒューイの法陣の術式を読み取ったシャドウは呆れたような目を細める。

 

『…白魔儀【サクリファイス】……己の魂を引き換えに莫大な魔力へと還元する換魂の儀式でこの学院を爆破か。こんな胸糞悪いことをやるのがお前らクズ共の取り柄だったな』

「それは否定しません」

『…にしては転送先の再設定がまだ終わっていないな』

「僕の腕前ではルミアさんの転送するための転送法陣の改変は間に合いませんでした。ですがその法陣は転送用でもあると同時に強力な結界でもあるんです。無理矢理壊そうものならアルフォネア教授の神殺しの術でもない限り…」

『………ふん、調整が終わるまでの時間稼ぎか』

「ええ、あと十分もすれば再設定は完了し、起動します。それと僕を殺しても【サクリファイス】が自動的に発動するので解呪することをお勧めします。最も今取り掛かったとしても間に合うとはとても思えませんが……」

『用意周到なことだ………』

 

 書き込まれた五層構造からなる白魔儀【サクリファイス】は通常なら一層ずつ解呪していくしかない。グレンが来ていれば魔力が足りなくても迷いなく自身の血を簡単な魔力触媒に黒魔【ブラッド・キャタライズ】で解呪術式を書き込み、黒魔儀【イレイズ】で儀式魔法陣を解呪するだろう。

 

 

『だが――俺には俺のやり方がある』

 

 ルミアがなにか叫んでいるがシャドウは完全無視し、ルミアを囲む転送法陣の最外層―――ではなく、その手前の石畳の上を右手で触れる。

 

「いったい、何を………?」

『まあ、見ていろ』

 

――どんなに優れた代物であろうと人間が作ったものである限り必ず弱点はある。それは魔術も例外ではない。

 

 

「「――っ!?」」

 

 ヒューイとルミアの眼前で、突如シャドウの右手から黒い瘴気が溢れ出した。

 シャドウの能力――――レイクを殺すときに使った闇の力を再び発動したのだ。

 複数の黒い手足へと形を成し、床を這って法陣の周囲を囲んでいく。

 

 だが、黒い手足は法陣自体には直接は触れず、石と石の間の隙間へと入り込んでいく。

 

――転送法陣というのは確かに便利な代物だ。蒸気機関車の実用化がまだ当分先のこの時代、これさえあれば都市間移動を駅馬車や徒歩よりも早くこなすことができる。だが便利そうに聞こえても欠点がある。設定変更に時間がかかっているのはその一つだ。

 

 転送法陣はヒューイが如何に転送法陣のような空間系魔術に関しての天才だとしても、転送先の設定改変を実行するのに半日はかかる。

 そして一番の問題は、敷設に適した土地の霊脈の関係上、世界中のどこにでも自由に敷設できる代物ではない。言い換えれば、土地に張り巡っている霊脈の、特に潤沢なマナが流れる霊絡を通さなければ転送もできないし、転送できる場所も限られるのだ。

 

 

 黒い手足はルミアの座る石畳の裏側――学院の転送法陣と土地に張り巡っている霊脈とを繋げる霊絡を徐々に侵食していく。それはまるで一本の太い糸を内側から腐食し、複数の手で引きちぎっているかのようだ。

 

 そして――――

 

ブチンッ

 

 繋がりが完全に断たれた瞬間、転送法陣の機能にいくつものエラーが発生。法陣を構築する各ラインの魔力路を走っていた輝きが途切れ途切れに弱まっていき、更に浸食は法陣が描かれている石まで進んでいって、結界を維持できなくなる。

 

『さて、これで終いだ』 

 

 やがてルミアの足元のの石畳にビシリとヒビが入った途端魔力路の断線が広がっていき、五層もあった法陣は硝子が砕け散るような音と共に、その力を失うのであった。

 

 

 

 

 

 

「まさか転送法陣をこんな方法で無効化するとは………」

 

 訪れた沈黙を先に破ったのは、ヒューイの声だった。

 黒い手足について未だ理解できていなかったが、ヒューイは今目の前にいる殺人鬼によって計画が完全に阻まれたことを悟っていた。

 

「僕の負けですか………」

 

 計画は阻まれ、己が存在意義さえも奪われたというのに、何故かその声に怒りや憎しみの類は感じられない。

 

 あるのは悲愴。痛々しいほどに感じられる、深い悲しみと……仄かな喜びのみ。

 

「不思議ですね。計画は頓挫したというのに…………どこか、ほっとしている自分がいる」

 

 カチャリ――と首元に鋭い刃が当てられる。

 法陣を破壊した後のシャドウの行動は早かった。

 黒い手足が霧散し、シャドウの中へと戻っていってすぐに懐から曲剣を取り出し、死神の鎌のようにヒューイの首元に添えていた。

 

『あとはお前だけだ』

「な!?や、やめて…やめてください!もう終わったじゃないですか!」

 

 ヒューイを殺す気だと気づいたルミアは止めようと臆せずに叫ぶ。

 

 だが――

 

『はぁ?何寝ぼけたこと言ってんだ。お前たちの前ではいい先生だったろうが奴らに手を貸した時点でこいつは敵なんだよ』

「で、でもいくらなんでも殺すなんて………!」

『死んだ守衛たちの遺族や殺されそうになった自分のクラスメイト達にも同じセリフが吐けるのか?』

「――ッ!?」

『それに余計な情けで怪我をするのは自分だけじゃない。その責任をお前は背負えるのか?』

「そ、それは――」

 

 シャドウの言葉に、ルミアはどう答えれば良いのか分からず言葉に詰まった。

 

『………ふん、口先ばかりで何もできない温室育ちの小娘が、いい加減その口を閉じてろ』

「――きゃっ!?」

 

 そう言ってシャドウが自らの右手をルミアに向けた瞬間、再び右手から複数の黒い手足が伸び出し、ルミアを拘束しだす。

 

「ん――っ!んん~~っ!」

 

 黒い手足がルミアの頭、胴、足に絡みつき、ルミアが拘束から逃れようとするも逃れられない。また口元と目元まで覆われ、今の状況を確認することも声を出すこともできずにいた。

 

『せめてもの配慮だ。こいつの死に様は見せないでやる』

 

 邪魔者の動きを封じたシャドウはヒューイの方へと再び向き直る。

 

「…………最後に一つだけ」

『なんだ?』

「僕は一体、どうすればよかったんでしょうか? 組織の言いなりになって死ぬべきだったのか…………それとも組織に逆らって死ぬべきだったのか? こうなった今でも僕にはわからないんです」

 

 僅かに顔を上げ、天井を見つめるヒューイの顔にはどこか悲愴の色が滲んでいる。

 

『知らん。自分の道も碌に選ばず結局流されるがままに行動したお前の自業自得だ。今更そんなことを悔いても仕方ないだろ?お前がしようとしたことを全部組織のせいにするんじゃない』

 

 手にしている曲剣を後ろに引き、体を捻り、構えを取る。

 掲げられた鎌刃が闇の中で妖しく赤く輝く。

 命を刈り取る瞬間であるからこそ、その刃は一層の輝きを放つものなのだろうか。

 

 

『じゃあな』

「ん――っ!」

 

 このままじゃヒューイ先生が殺される!

 ルミアは口をふさがれながらも我武者羅に叫んだその時――――

 

「チェストォオオ!!」

 

 ガシャアアンッ!

 

『――っ!?』

 

 雄叫びと共に階段へと続く扉が破壊され、破片を飛び散らした。突然のことにシャドウの手が寸でのところで止まった。

 

 

 

「ルミア無事か――ってうええ!?これ一体どういう状況だ!?」

「ん!? んんんん、んれんせんいぇい(え!?その声はグレン先生!?)」

 

 扉を蹴破って乱入してきた人物――――自身の現担任であるグレン=レーダスの声を聞いて、ルミアは声を上げる。

 

『………』

 

 今のグレンの顔色は良くなっている。魔力が大分回復したようだ。

 

 だが来るにしても少し遅すぎた。

 

『………はぁ』

 

 なんだかどうでもよくなったシャドウは曲剣を下ろし、同時にルミアの拘束も解除する。

 

「え?」

「おい、今の黒いのなんなんだ!? それにそこにいる奴は!?」 

『………興が醒めた。もう帰る』 

「はっ!? 今帰るっツったか!? 悪いがテメェにいろいろ聞きてぇことが山ほど――」

『じゃあな。裏切り者をどうするかはお前の好きにしろ』

「あっオイ待て!」

 

 グレンが一歩前へ進もうとする前にシャドウは懐から黒い球体みたいな物を取り出し、床に投げた。

 途端、球体が爆ぜ、黒い煙幕が部屋に立ち込める。

 

「ゲホッ!ゲホッ! おい、ルミア無事か!?」

「ゲホッ、は、はい! 大丈夫です!」

 

 黒い煙が彼らの視界を奪い、程なくして全て階段へと流れていった頃には。

 その場にいた黒いローブの人物の姿はどこにも見当たらなかった。

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 クリストファー=セラードという名は、表の世界で活動するための偽名の一つにすぎない。

 彼の本当の名は当の昔、かつての平和な故郷と共に失われた。

 

 北セルフォード大陸の北西端にあるアルザーノ帝国から見れば、南北に延々と延びる”竜の背骨”と呼ばれる超高度山脈帯を隔てて東側に位置する王政国家レザリア王国――その国境付近の南端の麓にて、彼の生まれ育った小さな村があった。

 

 温帯の気候区にあったその村ではハトムギやアブラナなどの食用及び食品加工用の穀物の栽培・収穫が畑で行われていた。

 

 物心つく前に彼の両親は流行病で亡くなり、唯一無二の肉親である姉と二人、そこに十年も平和に暮らしていた。

  

 畑仕事の手伝いをしたり、夕方まで友達と虫取りやチャンバラをして遊び、食事前には神に献身的に祈りを捧げる。それが彼の全てだった。

 

 

 だが聖歴1840年10月、彼の村は突如アルザーノ帝国の魔導兵達の襲撃を受け、そして――――全て奪われた。

 

 

 集落を襲った敵は嬉々としながら魔術を使っていた。詠唱とともに指先から放たれるそれは村を蹂躙する。

 住んでた村が焼かれた。畑も、家も、勿論人も。

 更には炎上した菜種油が彼の右半身の皮膚を焼いていった。

 

 最初に死んだのが誰なのかは知らない。ただ騒ぎがあって、帝国が攻めてきたと大声で叫んでいた人の声が短く濁った悲鳴と共に消えていく。その中には彼の唯一の家族である姉も含まれていた。

 

 余りの痛みに意識を手放す前、炎や雷、悲鳴、怒声、そして村人と姉が燃えた煙の焦げ付くような臭い、それらが村のあちらこちらから耳に鼻に目に飛び込んできたのを今でも覚えている。

 

 

 次に意識を取り戻した時には帝国領内の天の智慧研究会のアジトに運ばれていた。無知で幼かった当時の彼以外にも連れ去られた子供が何人かおり、皆何がどうなっているのかわからないまま外道魔術師達にルーン語を喋らされ、高速武器練成術【隠す爪(ハイドゥン・クロウ)】を無理矢理習得させられた。

 

 【隠す爪(ハイドゥン・クロウ)】

 この術は通常の鋼より圧倒的に優れた剛性・靭性を持たせた特殊鋼材であるウーツ鋼を素材にした武器を文字通り高速で錬成することができる。だが、その術式は術者の安全性を考慮されておらず、深層意識野の使わせ方がデタラメなもので、錬金術に対する圧倒的な天賦のセンスを持つ術者以外が使用すれば、脳内の演算処理がオーバーフローし、自我と思考を奪われ、いずれ廃人と化すという禁呪法に近い代物であった。

 

 

 そんな危険な術を無理矢理習得させられ、彼と他の子どもたち共々、その代償に脳の機能と意識に途轍もないダメージを受けた。

 そして魔術師を殺す訓練を受けさせれられ、更には『天の智慧研究会』に指導者である大導師に対する忠義という行動原理を植え付けられて、ただ命令を忠実に実行するだけの捨て駒の暗殺部隊『掃除屋(スイーパー)』に所属させられた。

 

 あとはレイクが言っていた通り、彼は錬成したたった一本の鉈だけで組織にあだなす標的……何十人もの閣僚や騎士、凄腕の宮廷魔導士たちを殺した。

 無垢な少年のような率直さで敵の懐うちに入り込み、冷酷な狩人のようにその命を奪い取る。その二面性を持ち合わせた彼はいつしか『フランク=イェーガー』と呼ばれ、帝国の魔導士だけでなく同じ組織の人間からも恐れられていた。

 

 

 だが、レイクや他の外道魔術師でも把握できていなかった事実があった。

 

 それは、彼の自我だけは完全には消えていなかったこと。

 術との相性が良かったからではない。

 皮肉にも彼の自我を残すことになった要因は――幻肢痛だった。

 無くした右腕の皮膚が、指先が、右目辺りが痛み、死んでいった家族の痛みと苦しみだけが、いつまでも消えず、今でも故郷で焼かれているかのように疼く。

 

 その尋常ではない痛みだけが、彼の意識をこの世界に僅かに繫ぎ止めていた。勿論そのことは天の智慧研究会に悟られまいと忠実な廃人を演じ続け、命令のままに人を殺す恐怖に耐え続けていた。

 

 最初は仇討ちのつもりだった。だが帝国の魔術師だけでなく罪の無い人間までも暗殺する仕事を繰り返していき、その度に他の子供たちがゴミの様に死んでいくうち、彼の精神は疲弊していった。

 

 

 それでも彼はなんの根拠も可能性もなくとも希望を持ち続けていた。

 家も家族、自らの証明も奪われ、彼に残されたのはこの痛みと『信仰』だけだったのだ。

 この苦行を耐え抜けば必ず祖国が助けに来てくれる。そしていつか、救いの神がこの地獄を終わらせてくれることを願った。

 

 

 

 だが現実の世界は残酷で、どこまでも彼を裏切り続けた。

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 それから数時間後、フェジテ支部の宮廷魔導師団対テロ部隊が学院の結界を突破し、今回の事件の事後処理を行っていた。

 

 シャドウは一人、学院の屋上の鉄柵越しに学院の様子を眺める。

 

『全部終わった後に登場とは……役に立たん連中だ…』 

「そう言わないであげなよ」

 

 突然、後ろから声がし、首だけ回して振り返る。

 

「魔術学院は国軍省、魔導省、行政省、教導省とかの各政府機関の面子や縄張り争いがうるさい魔窟だからね。呼ぶとしても迅速に…ってワケにはいかないよ」

 

 そこには白衣に身を包んだクリストファーが静かにたたずんでいた。

 

「はー事情聴取は結構きつかったー」

 

 だが普段の彼とは違い、子供の様なくだけた口調をしている。

 

『誰にもぼろは出していないだろうな?』

「心配ないよ。こういった時のアリバイ作りのために結構練習したからね。それにあの子たちは普段からそんなに君と話す機会がないから”どこか冷めた変わり者”ぐらいしか認識されていなかったし」

『そのほうが効率がいい。あまり相手の記憶に残りすぎれば、いずれ此方のやることに支障が出るからな』

「けどその結果、君がテロリストを学院に招き入れた裏切り者じゃないかってあの《愚者》疑ってたよ?勿論、君が蛇狩りを始める前に打ち合わせた通り、”自分が銃を持った男に殺されそうになった時、突然黒いローブの人物が現れた。ローブの人物が銃を持った男を殺し姿を消した後、自分は見張りの魔術師がいなくなった教室に静かに入って生徒たちの拘束を解いただけで何も悪いことはしてない”ってちゃんと反論したけどね……まあ、しばらくしてセリカ=アルフォネアから連絡が来た時には君への疑いはなんとか晴れたよ」

『それは俺も把握している。わざわざ全快するチャンスを与え、小娘を探す時間を与えたというのに………』

 

――――折角の御膳立てが台無しだ。

 

『まあ済んだ話はもうどうでもいいことだ………それより、いつまでその姿でいる? いい加減変身を解いたらどうだ、”ドリュー”』

「おっと、そうだった」

 

 シャドウにドリューと呼ばれたクリストファーの姿がグニャリと歪みだし、形を変えだした。

 

「やっぱり長く他人の姿でいると変身を解くのをついつい忘れちゃうよ」

 

 色を失い、徐々に躰がどろどろと溶けていく。

 まるで芋虫が蛹を経て、蝶に変わる様に……ぐにゃりと蠢き……形を変え………

 ……やがて、一人の青年の姿を再結像する。

 蝋燭の様に真っ白な肌に草の様な緑色の短髪、瞳孔が縦に裂けた金色の瞳を持つその青年――ドリューはまるで人間に縁どられた別のナニかのようだ。

 

「で、あっちの方はどうだった?」

『ああ。ついさっき”他の連中”から連絡が来た。あのダークコートの男の頭から吸い出した情報にあった例の転送先の場所に幹部クラスが何人かいたらしい。そいつらはまだ殺さず例のマーキングをして泳がせておく方針のようだ』

「………ふうん、ということはその場には組織のリーダーがいなかったか。なかなか一筋縄じゃいかないね。まあ、今回は偶々の状態で幹部をマーク出来ただけでも結果オーライか。………それで、今回の襲撃のせいで予定が大きく狂っちゃったけど、これからどうする?」

『………少し待っていろ』

 

 シャドウは一度赤く光る目を閉じる。それもほんの数秒。

 沈黙が続き、やがて再び目を開いた時、シャドウの目はクリストファーの時のオレンジがかった金色の目になっていた。

 

「ドリュー、俺は次の指示が来るまでまだしばらくここに潜伏する。お前は一度外に出て情報収集に戻れ」

「あの女の子と《愚者》はどうするの?」

「今のところ俺の正体には気づいていない。暫くは様子見だ」

「了解。それじゃあ僕はもう行くよ」

 

 そう言って、クリストファーに化けていたドリューは今度は宮廷魔導師団の制服を着た男へと姿を変え、その場から立ち去っていく。

 

 完全にドリューの姿が見えなくなったところで、シャドウの黒いローブが霧散し、クリストファーとしての姿に戻る。

 

 そのとき、彼の視線が注がれる先には金髪と銀髪の少女二人に挟まれて何か言い合いをしているグレンの姿があった。

 

「………」

 

 中庭にいる彼らの姿を確認したシャドウ――クリストファーは、突然懐からヴラムから奪った魔銃を取り出し、その銃口をグレンへと向ける。

 

(やはり、いっそのことこの場で終わらせようか――)

 

 現在魔銃に込められている金属製の筒――――金属薬莢には【ライトニング・ピアス】が付呪されている。その威力、弾速、貫通力、射程距離の高さなら屋上からでも中庭にいるグレンの後頭部を容易く打ち貫けるだろう。

 

「………いや、今日はやめておこう」

 

 だがクリストファーは引き金を引かず、魔銃を懐に仕舞って屋上から立ち去るのであった。

 

 

 

 

 

 アルザーノ帝国魔術学院自爆テロ未遂事件。

 

 最悪な結末の憂き目を逃れたこの事件は、関わった敵組織のこともあり、社会的不安に対する影響を考慮されて内密に処理された。学院に刻まれた数々の破壊の傷痕も、魔術の実験の暴発ということで公式に発表された。

 帝国宮廷魔導士団が総力を上げて徹底的な情報統制を敷いた結果、学院内でこの事件の顛末を知る者はごく一部の講師・教授陣と当事者たる生徒達しかいない。

 

 無論、全てが完全に闇へと葬られたわけではない。

 

 かつての女王陛下の懐刀として帝国各地で密かに暗躍していた伝説の魔術師殺しや、世界を滅ぼす悪魔の生まれ変わりとして密かに存在を消されたはずの廃棄王女、一年前に死んだはずの連続殺人鬼がこの事件の解決に関わっていた……そのような出所不明な様々な噂がしばらく真しやかに囁かれた。

 

 

 

 だが、人は飽きる生き物、一ヶ月も経てば誰の話題にも上らなくなった。

 

 


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