「お前誰だ?」
こんな時に鬼かよ!?
そう叫びたくなるのをぐっと堪えた。
目の前にいるのは着物を綺麗に来た細身の鬼だ。その鬼は額に三本の角が生えていて、髪は乱雑に切り揃えられている。
そして大人の女性を肩に担いでいた。
「……」
「誰だって聞いてんだよ。さっさと答えないとぶっ殺すぞ」
どうする、考えろ。
この女の子は生きている。だけど今は最悪の形で鬼がやってきてしまった。
鬼と戦うこと自体、俺は問題ない。だけどこの女の子を巻き込んでしまうのは危険だ。それに担がれている女性も、もしかすると生きているのかもしれない。
どうするのが最善手なんだ?
全力で離脱する? それはあの女性を見捨てることになる。それにそう簡単にこの鬼が見逃すはずがない。
助けを乞う? そもそも俺は今一人だ。頼れる者は誰もいない。
戦うしかないのか? 女の子を守った状態で? あの女性だって守らないといけないかもしれないのに? そんなことが俺にできるのか?
「おいっ、あ? その刀は……なるほどねぇ。鬼殺隊ってやつも懲りないもんだな。この前も一人殺して食ってやったってのにすぐまた俺に食料を送ってくるんだからよ」
いや、戦うしかない。
この状況を切り抜けるには俺が戦い、鬼を切るのが最善手だ。
気合を入れろ。覚悟を決めろ。これくらいできなくて俺の目標は実現なんてできないぞ。
「お前が報告にあった鬼だな?」
「いや〜、とうとう僕も鬼殺隊に目をつけられ始めたようだけど、お前らが何人来ようが無駄なんだよ」
だけどさすがにこの女の子をここに置いたままは戦えない。どうにか安全なところに避難させないと。
「無駄かどうかはわからないぞ。もしかしたら今日でお前は終わるかもしれないんだからな」
「言うじゃねぇか。まぁ、どうやって気付いたかは知らねぇが、僕の術を見破ってるわけだからそれなりにやれはするんだろうけどよぉ。ところでそいつをどうするつもりだ? あぁ?」
鬼が指さしてきたのは俺が助けた女の子だった。当然気付くか。
「そいつは俺のとっておきなんだ。まさか連れていこうとしてるわけじゃねぇよな?」
肌でひしひしと感じる鬼の圧。よほどこの子を取られたくないようだ。
「逆に訊くが、俺は鬼殺隊だ。鬼殺隊が人を助けないとでも思っているのか? だとしたらとんだ馬鹿だな」
「……ほぅ? よく回る口じゃねぇか。イラついて引き裂きたくなるぜ」
圧が増す。常人なら殺到してしまうだろうが、このくらいで俺は怯んだりしない。
俺は鬼の動向に注意しながら女の子を両手に抱きかかえた。
「おい、今すぐ餌を下ろせ」
「断る」
ここまでの執着ぶりを見せてくるとなると、もしかしたらこの子は『稀血』なのかもしれない。こんな小さな子が鬼を引き付けてしまう。それはなんて酷なことだろうか。
「そうかい。そんじゃお前殺して終わりにするわ」
鬼は肩に担いでいた女性を無造作に投げ捨てた。その行いに今にも刀を突きつけたくなるが、戦うのはこの子を避難させてからと思いとどまった。
お互いに一瞬睨み合うが、先に動いたのは俺だった。
鬼がいる方角とは逆の方へと駆け出す。
「逃げさねぇよっ」
当然後ろからは鬼が追いかけてくる。元の身体能力の差がある上に、俺は女の子を一人抱えているからじわじわと距離が縮まってしまう。
それでもどうにか鬼との距離を離そうと木々の間を縫ったり、方向転換をしながら逃げた。だけどこの追いかけっこをいつまでも続けるわけにいかない。
どこかに女の子を寝かせられないだろうか。
ただでさえ女の子は稀血で、今は夜だ。この鬼は俺が相手すれば女の子にはたどり着けないだろうけど、もし俺が戦っている間に別の鬼に見つかってしまったら危ない。
「ちっ、俺を殺すんだろ鬼殺隊! だったら逃げてんじゃねぇよ!」
一向に捕まらない俺にイライラしだして鬼が叫んでいる。何を的外れなことを言っているんだろうか。鬼の討伐と人の保護、秤にかけるなら人を守る方に傾くのは当たり前だろう。あくまで人命が優先だ。
あの女性のこともあるからと最初の場所から離れすぎないようにしながら逃げていると、地面が凹んでいる箇所を見つけた。大きさ的には子供くらいなら二、三人は入れそうだ。鬼が言っていたことを肯定するわけじゃないが、このまま逃げていても埒が明かないのも事実。
幸い鬼との距離が今は少し空いているから見られる心配はない。俺はここまで腕に抱えてきた女の子をその凹みのところに寝かせてから、適当にその辺りにある茂みや葉っぱをかき集めて女の子が見えないように隠した。
「これで一先ずは大丈夫か」
残るは鬼と女性の安否のみ。鬼の気配がこちらへ近づいてきているのがわかる。このままここにいてはせっかく隠した女の子の居場所がバレてしまう。
必ず迎えに来ることを今は意識を完全に失っている女の子に誓いながら俺は気配の来る方へと飛び出した。
敢えて派手にいく。そうすることで意識は完全に俺だけに集中するだろうから。
「はあぁぁぁっ!」
「追いかけっこはもういいんだなっ?」
気合の声と共に正面から迫る鬼へと切りかかった。だが当然防がれてしまう。
勢いのまま鬼を通り過ぎたところで鬼へと向き直り刀を構えた。
「ああ。お前の頸を切る準備はできたんでな」
「……餌をどこに隠した?」
「訊かれたところで答えるはずがないだろうが。少しは考えろよ」
鬼がいきなり飛び掛かってきた。
意標を突かれたが、直線的な動きだったため横に飛びのくことで躱した。
「訊いた俺が馬鹿だったな。お前をズタズタに引き裂いてから探せばいいだけのことだったわ」
俺の言葉に怒りを露わにした鬼は殺気立っている。
今度は俺が鬼に切り込んでいった。間合いを詰めて刀を振るう。
しかし軽々と躱されてしまった。
だがそれが鬼との本気の攻防の始まりだった。
俺の急所を貫こうと鋭くまるで鉤爪のように伸びた爪が襲い掛かる。その爪を切ろうと刀を振るが甲高い音を立てるばかりで切断には至らない。
かなりの硬度があるその爪は、もし一撃でも受けようものなら致命傷になりかねない。少しも緊張の糸を緩めることはできなかった。
「防ぐだけじゃまだまだだ、なっ」
「ぐっ!?」
爪にばかり気を取られていたせいで突然の蹴りに反応できずそのまま吹き飛ばされてしまった。
飛ばされながらも空中でなんとか身を翻して木にぶつかることだけは回避する。攻撃は受けてしまったが、体勢を立て直すいい機会になった。
あの爪が厄介だ。まさか切ることも折ることもできないとは思わなかった。型を使えばそれも可能だろうけど、そう何度も型を繰り出すわけにもいかない。手の内は極力見せず、ここぞというときに仕留めに行きたい。
この鬼は明らかに俺が今まで遭遇した鬼の中で強い。それはつまり、それだけの人間を食べてきているということだ。
「おい、鬼。今までどれだけの人を食ってきた」
「食った餌の数? そんなのいちいち覚えてるわけねぇだろうが」
鬼とは最初から存在しているわけではない。人間が、鬼にされる。
目の前の鬼も、元は人間だったのだ。それが今では体だけでなく心までも変わり果てている。
「お前は何で鬼になった」
「だからそんな小せぇこと覚えてねぇって言ってんだろ! 今俺は鬼として楽しい毎日を送ってんだよ。そんなこと気にもならねぇわ!」
息を整えた俺は再び鬼へ肉薄した。振り下ろした刀は両の爪によって防がれる。そのまま鍔迫り合いの形で固まった。
「なら、ならお前はあの場で死んだ人たちや殺した人たちに何も思うものがないと言うのかっ!」
思い返すのは見るも無残な姿に成り果てた者たちが磔にされているあの光景。
あの光景を造ったのが目の前の鬼なのはわかりきっているが、それでも糾弾せずにはいられない。
なぜあそこまで酷いことができるのか、と。
「人間はただの餌だ」
俺の激昂に対して鬼は嘲るように言葉を吐き捨てた。
「人を辞めて畜生にまで成り下がったのかっ」
拮抗した状態から更に刀へ力を込めて鬼を弾き飛ばした。
やはり鬼はどこまでいっても鬼なのかもしれない。
北の方で倒した鬼然り、この鬼然り、その他の鬼然り。
今まで見てきたすべての鬼は人を襲うことを良しとし、かつては同じだった人を食うことに何の躊躇いもなく、己が人以上の優秀な存在として振る舞ってきた。
哀れむ価値のない、低俗な鬼たち。
カナエさん。鬼とはこんなにも醜い存在だ。人を平気で下に見る。他者を想う心がない。
鬼と仲良く。そんなカナエさんの思いを否定することはしません。俺だってそんなことがあればとは思います。そうすれば悲しみは生まれないだろうから。
でも現実は厳しい。
だから俺は鬼と仲良くしようとすることで悲しむ人が増えるなら、迷いなく鬼の頸を跳ねる。
「さっきから口が多いな。そんなに余裕があるのか? もしかして僕が本気を出してるとでも思ったか? そんなわけねぇだろぉがよ」
「それは俺だって同じだ。問答は終わったからな。すぐにでもその頸を地面に落としてやる」
この鬼も他の鬼と変わらない『鬼』だった。それがわかれば後は鬼の頸を切って任務を終わらせるだけだ。
「……さっきからその生意気な態度が気に入らねぇっ! この術を使うのはお前みたいな小物には勿体なかったがもういいっ。むしろこの術で徹底的に殺す!」
鬼は己の指を噛み切ってしまった。ダラダラと傷口から血が流れているが鬼は気にしていない様子だ。それもそうだろう。どうせあの傷もすぐに塞がる。
俺にとって問題なのは何で鬼が指を噛み切ったのかだ。
未だ血の流れる指で、鬼は来ていた着物を乱雑にはだけさせると、胸の中央に血で何やら描いていた。
「覚悟しろよ。この術を使うからには──」
「なっ!?」
信じられないことに、鬼が目の前から姿を消したのだ。まるで自然に溶け込むかのようだった。
そして何より……。
「気配が、ない」
鬼と対峙すれば必ず感じる鬼の気配が全く感じられないのだ。
だがついさっきまで目の前にいたのは確かだ。それに姿を見えなくしたとしても、音さえ聞こえれば対応できる。
そう考えていた。
しかし、それが間違いだったと気づいた時には遅かった。
「づっ!?」
腕に走る痛み。
隊服を切り裂く形で五本の筋が入っていた。
傷自体は刀を振るのに支障が出るほどではない。だが、そんなことよりもだ。
「何も感じなかったのに!?」
気配がないのは気付いていた。においもしなくなっている。だけど音だけは聞こえるはずだった。
なにせ姿が消えてもそこにちゃんと存在しているはずだから。
だけど攻撃されるまで俺は気付くことができなかった。
姿を消した時から注意深く構えていたからわかる。
これは、厄介だ。
意味がないとわかりながらも、俺は次の攻撃に備えていた。俺の方からは何もできない。
あの鬼の嗤う顔が目に浮かぶようだった。