やはり俺が十師族を守護するのは間違っている。   作:ハーマィア

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多分一番深雪が不憫なSSです。 





浅はかな計画

 何気ない朝の登校風景。

 

 昨日、確かに尋常ではないトラブルはあったものの、今朝は司波兄妹にとって穏やかな朝であると言えた。

 

「あ〜れ〜え〜」

 

「……は?」

 

 しかし、この兄妹は平穏というものとは悉く縁がないらしい。

 

「……っ!?」

 

「あ。やばい」

 

 ——ふにゅん、と白いやわもちが、それを掴もうとする手の形に沿って形を変え、みるみるうちに深雪の顔は赤く染まる————

 

「……また……、この……下種は……っ!」

 

「……やっぱお前の胸だよな、この感触」

 

 ……そう。

 

 正面から飛び込んできた八幡が深雪の胸に顔をうずめる、この瞬間を迎えるまでは。

 

 何故だろう。それを二度としないと彼女の前で誓ったはずの彼は、何故か自ずから深雪の胸に飛び込んできた。

 

 そして2、3回、確かめるように胸を揉んで頷く。

 

 直後、鋭い発破音が辺りに響く。二秒も経っていなかった。

 

 それは、深雪が八幡の頬を叩いた音。

 

 魔法も使わずに使われたそれは、八幡の頬にピンク色の痕をくっきりとつけていた。

 

 言葉もなく、よたよた、と後退り、尻餅をつく八幡。

 

 その顔は——下卑た笑みを貼りつけていた。不愉快極まりない視線が、深雪に向けられる。

 

 身の毛がよだつ、殴りつけるように凄まじい寒気が深雪を襲う。遅れてやってきた吐き気を堪え、深雪は感情を吐き出した。

 

「……っ! このっ! 痴漢!」

 

 此処は始業時間帯の第一高校校内。

 

 八幡が何をしたのかよく見ていない登校途中の生徒たちは、深雪の顔と、張り上げた声とを確認して——怒号と共に八幡を、取り囲んだ。

 

 可愛いは正義とはいつの言葉だったか。

 

 可憐な少女の涙は、正義感に満ち溢れた男児の心を揺り動かしていた。

 

 あちらこちらで既に現場の撮影を始めている者たちもいる。そして、八幡を取り囲む全員は、八幡を睨んでいた。

 

「……い、いや、待てよ。ただぶつかっただけだって。偶然、偶然だから——」

 

「嘘です! この男は悪かったと言って、一昨日も私に辱めを……っ!」

 

 そうだ。八幡は「偶然だ」なんて言っておきながら、その実は確信を持って深雪に痴漢をしていた。

 

 入学式の日に八幡が深雪に対して痴漢を働いたのも、監視カメラがあった場所。調べれば、出てくるはずだ。

 

 あの時は、確かに悪意がないと感じ取れたからこそ見逃した。……だが、本当は違った。

 

 ドス黒い感情に深雪は呑まれていく。

 

「お前……」

 

 圧倒的な敵意をもって、達也は深雪の前に立つ。

 

 やはり。……やはり、やはりやはりやはり——!

 

 そして、決定的な「ひとこと」を深雪は突きつけた。

 

やはり(・・・)、貴方は犯罪者だったのですね! 消えなさい、私達の前から!」

 

 それをきっかけにして男たちが八幡を取り押さえにかかる。

 

 一人の生徒がCADを駆使して重力を操り、八幡を膝から崩れさせた。

 

 そして、残りの生徒が八幡の手を、足を、腰を、背中を、頭を、地面に押さえ付ける。

 

「……う」

 

 呻き声すらまともに上げられず、八幡は押し黙った。

 

 そんな彼に向けられる、軽蔑の視線の数々。

 

「……最低」「司波さんにそんなことするなんて」「エリートでも犯罪者は犯罪者だね」「彼、新入生次席らしいよ?」「やだ、一位を取れなかった腹いせ?」「器が小さいんだな」「入学早々セクハラとか」「え、これどうなるの?」「よくて停学悪くて退学」「いや、いなくなってくれた方が良いよ」「ゴミ掃除か」「そういえばこいつ、雪ノ下さん達にも手を出してたな」「じゃあ、これで彼女たちもこんな奴に苦しめられなくてすむな」「こいつがいたせいで彼女たちに話しかけることができないで困ってたんだ」「親に申し訳ないとか思わないのかこのゴミ屑」「思ってたらこんなことしないよ」「お父さんお母さん悲しんでるよね」「そんなことわからないよ」「魔法師の恥」「お前みたいなのがよく第一高校に入学できたな」「もしかして書類偽造した?」「ありそう」「それだろ」「それしかない」「間違いない」「うわあ」

 

 そうしてちょっとした騒ぎになりかけた時、騒ぎを聞きつけ、腕章をつけた生徒が輪の中心に割って入ってきた。

 

「何事だ? ……なんだと?」

 

 関本先輩! ……と、誰かが声を上げる。肩に腕章をつけたその生徒は、学園の風紀を取り締まる風紀委員だった。

 

「その男が、司波深雪さんに痴漢したんです!」

 

 女子生徒の声が、風紀委員——関本の耳に届き、関本は八幡に顔を向ける。

 

「……話を聞く。その男から離れなさい」

 

 同時に、八幡には関本のCADも向けられていた。

 

 決定的だ。この八幡の状態を見て、誰もがそう思った。

 

 恐らく、先ほど誰かが呟いた通り、深雪が然るべきところで涙まじりに証言さえすれば、この学園で彼を見る事はもうない。

 

 だが——

 

「——?」

 

「……………………」

 

 あまりにも愚かな行為の代償を受けるその咎人の顔には、先ほどまでとは断じて違う、何かを確信した笑みがあった。

 

 まるで、ここまでが彼の思惑通り、予定通りに進んだかのような、違和感を感じさせる微かな笑み。

 

 しかし、彼が笑んだとは言っても口元が僅かにそれを形作っただけであり、ほぼ、深雪の見間違いでも済まされる程度ではあったのだが。

 

 それを見逃せる程、深雪は乙女ではなかった。

 

 ……まさか、何か目的の為に自分を利用したのか!?

 

「——!」

 

 声にならない声を上げかける深雪。しかし、関本に肩を掴まれ、引き起こされた八幡は周囲には聞こえない声量で関本と言葉を交わしていた。

 

 ちらり、と司波兄妹の方を見やり、ため息を吐く関本。

 

「——」

 

「……はぁ。取調室まで連行する。怪我はしていないな?」

 

「いや、めちゃくちゃ殴られたりしたんすけど。あいつとかあいつとかあいつに」

 

 周囲の人間を見回しながら、鳩尾や肋、うなじの部分だったりを攻撃していた人間を的確に指差していく。しかし、指摘された生徒たちは逆に八幡を睨め付けていた。

 

「傷ができていないなら何よりだ。自業自得だと思え」

 

「はぁ〜? 明らかに釣り合ってないでしょ。偶発的、事故的な過失に対してそこまで責任を追及するんですか?」

 

 わざとらしく肩をすくめ、周囲の感情を煽る八幡。実際にヒートアップするのは深雪ではなくその他大勢が殆どだが、その言葉に対する怒りなど深雪には最早無かった。

 

……何を、企んでいるの……っ!?

 

それは、かつて深雪の遠い親戚の、彼女によく似た少女が抱いたものと同じ疑問。

 

しかしその疑問は実際に口にされる事はなく、ただ深雪に深い疑惑と疑念を押し付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八幡がオペレーション名「みゆきち作戦」を思いついたのは、昨晩のことだった。

 

 一軒家、築五年の比企谷家リビングにて「どうすれば穏便に学校生活を送ることが出来るのか」という議題に対し、悩みに悩んで眠くなった末に考え出された案がそれだった。

 

「よし、もう一度司波深雪に痴漢をしよう」

 

 ぼきゅり。ほぼノータイムで両サイドからかまされたフックとアッパーは見事八幡の顎にクロスヒットし、脳を揺らすと同時に彼の身体を宙へと打ち上げた。

 

 八幡の体を軽々と打ち上げた千秋は、拳に「はぁ」と息を吹きかけ、べちゃりと受け身も取れずにただ落ちてきた八幡に視線を向ける。

 

「あんただから手加減したけど、ただの変質者なら素粒子に還っていたところよ」

 

「誰かこの人に、手加減の意味を辞書で調べて教えてあげて……」

 

 よたよたと、ふらつくその足で立ち上がる八幡は、首をコキリと鳴らす。

 

 着地の衝撃であらぬ方向に折れ曲がっていた両足は、いつの間にか元通りに治っていた。

 

 そして、立ち上がる八幡の前に立ちはだかるのは、細身ながら押してもびくともしなさそうなほど練り上げられた印象を抱かせる、鋼の身体を持つ青年。

 

 フックを繰り出し脳を揺らした、八幡の隣に佇む感情を見せない青年——元造は、自分の頭を押さえ、頭蓋の内から湧く痛みを堪えながら言った。

 

「他の人間を犠牲にするなら誰を犠牲にしても良い。だが、孫にだけは手出しをさせんぞ」

 

 それに対して八幡は、今ようやく意識を落ち着けて、元造に向き直った。

 

「でも、もう(・・)そうするしかない(・・・・・・・・)です(・・)

 

 諦めにも似た口調で話す八幡。その瞳が蒼煌色(・・・)に輝いているのを見て、元造も肩を落とした。

 

「……運命は、変えられぬのか」

 

「人の手で変えられない出来レースが運命ってものですからね」

 

 八幡のその言葉を聞いて、元造はそれ以上は口を閉ざし、黙って消えた。

 

 運命。元造の口にしたその言葉の意味は、この場にいる全員にとって重い意味を持つ。

 

 その重圧を背負ってなお気軽げに両手を真上に向けて伸びをする八幡は、とてもそうには見えない。

 

「まぁ、当然ながら痴漢して終わりじゃない。目的はその先の比企谷の信用度の底下げだ。事件の有無は別として『発生した問題を世の明るみにしてしまう安い家だったのか』と認識してもらう必要があるからな」

 

「はい、お兄ちゃん」

 

「なんだ小町」

 

 と、それまで一切会話に参加する気配が無かった、彼の妹である小町が手を挙げる。

 

「『せんせい』は許してくれるかな? ほら、頑張って六道に入れたのに」

 

 比企谷の人間でありながら比企谷の事情には詳しくない(八幡含むその他の人間が小町には話さなかった)小町は、八幡のやることに不思議そうに首を傾げた。

 

 そんな小町の疑問に八幡は体ごと向き直り、ケータイを取り出す。

 

「言い忘れたが、これは先生からの指示だ。先生曰く『もう六道の地位に拘る必要はない』らしい。だからこれで、堂々と六道離脱が可能になる」

 

 千秋が手を挙げる。

 

「すんなりと抜けられるの?」

 

「今回の目標は『六道を辞めさせられる』ことだから、向こう側から「辞めろ」と言ってくるように仕向ける。具体的に言えば嫌われるのが手っ取り早いからそうする」

 

「手っ取り早いけど、それなりには長期化するってこと?」

 

 と、この場にいるもう一人、ブレザーの制服を着た短髪の少女——相模南が聞いた。

 

「そうなる。……まぁ、欲を言えば来年までには辞められるように頑張るつもりだけど」

 

「自己申告で辞めようとするとどうなるんだっけ?」と、千秋。

 

「四葉の嫡女と結婚」と、八幡。

 

 ゴッ←南が足を滑らせてローテーブルに脛を強打する音。

 

 ベギッ←勉強していた小町がシャーペンをへし折る音。

 

「……ちょっ、ちょっと待ってお兄ちゃん!?」

 

 魔法の他に中学生としての一般科目の勉強をしていた小町は、ゴミとなったペンを箱に捨てながら、同じく取り乱している千秋と共に八幡に詰め寄った。

 

「……どういうこと? 何を考えているの?」

 

「しらねぇよ向こうに聞いてくれよ味方だと思って心中を吐露したらそんな感じで脅されてんだよ……」

 

 諦めたようにため息をつく八幡。しかし、それと同時にあの行為にはそういう意図もあったのかと、その場にいた人間は悟りつつあった。

 

「司波深雪に嫌われる為……? 結婚を押し付けられたとしても、そこで縁が止まってしまうようにしたのね?」

 

「ぴんぽん大正解。六道を抜ける為の最終手段はまぁ用意してあるし、当分の目標はできるだけ短時間かつ半永久的に司波深雪に嫌われること。そうなってしまえばあの魔王も手が出せないだろうしなあ」

 

「そうだよね……って、お兄ちゃん雪乃さん達はどうするの? 十師族(あっち)の方からもたくさん婚約の話が来てたよね?」

 

「断りの手紙を出した上で電子媒体紙媒体問わずメール関連アカウントを全部受取拒否にしたから当分は問題ない」

 

「主人への対策が迷惑メールそのものだ……」

 

 ケータイの機種変更もこれで三回目になるが、四葉真夜はいつの間にか八幡のニュー携帯の番号を調べ上げて一番最初に電話をかけてくる。それはもう、ケータイのアドレスを記憶せざるを得ない程には、迅速に。

 

 

 

「さーて、どうするか。……まぁ、痴漢をするなら出来るだけ派手なところが良いな。それでいて警察とかの介入が無い場所……校内か」

 

 ぶつぶつと呟きながら、ケータイを取り出す。作戦の詳細を詰めるのに、八幡は議論を必要としていなかった。

 

「あ、遅くにすみません。ちょっと聞きたいんですけど、明日の先輩の巡回ルートってどうなってます? ——分くらいに校門前って通りますか? その時間にちょっと痴漢するんで、なる早で先輩に来て欲しいんですけど……」

 

 スピーカーから『何を犯罪宣言しているんだ!?』——という文句が飛んできたのは、当然のことであると記しておく。

 

 協力者にひとしきりの作戦概要を説明し、了解を得て翌日の作戦に臨むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、八幡は協力者たる関本勲によって取調室にて事情聴取を受けていた。

 

「……まぁ、確認が取れたものはこの一件だけだが。比企谷八幡、今日から一週間の停学処分だ」

 

 本来、痴漢などの犯罪行為であれば外部組織である警察の介入がある。ただ、今回はその行動に計画性がなかった事と、一応は初犯であることから、保護観察の意味で一週間の停学処分となった。この処分は警察の指導によるもので、そこに民間人が介入する余地など、普通は無いはずであった。

 

……しかし。

 

 荷物をまとめ、後は帰宅するだけとなった筈の取調室に、訪問者があった。

 

「失礼する。……お前が、比企谷八幡か」

 

 連絡も、前触れもなくそこに姿を現したのは、風紀委員長の渡辺摩利。舌打ちをしそうなほど顔を歪ませて顔を背ける関本を他所に、事態を把握し、自分を睨み始めていた八幡を見下ろす。

 

「……風紀委員長様が、なんの御用事でしょうか」

 

 その言葉に含まれるトゲを微塵も隠そうとしないのは、内心に違わぬ敵意の表れか。

 

 しかし、その視線を受けてなお、摩利は不敵に嗤った。

 

「まだ伝えていないことがあってな」

 

「……?」

 

 摩利の意図を、八幡が察せずにいると。

 

「ウチは毎年、新入生で首席を務めた生徒を生徒会に勧誘しているんだが……学年総代からの提案というか、入会条件だ。比企谷八幡、お前を生徒会役員〝会長補佐〟に任命する」

 

 摩利の言葉と同時にその少女が取調室に入ってくる。その隣には、当然のようにその少女の兄がいた。

 

「……は?」と呟くのは、関本。

 

 一方の八幡は、摩利の背後にいる少女に自分の思惑を見透かされたような気がして、先程摩利に向けたものよりも数倍濃い敵意をその少女に向ける。

 

 しかしその少女は、視線を向けられて冷ややかに笑みを浮かべていた。

 

 思惑通りに事が進んだ、と言わんばかりの笑みで。

 

 当然、八幡と結ばれる気などさらさら無いに違いない。八幡と四葉家当主との間に結ばれている縛りを、彼女は知らないのだから。

 

 しかし、これでは八幡の為にも彼女の為にもならない。

 

 それなのに。それなのに——

 

「……これで、貴方の計画の一部でも阻害できたのなら、御の字、というものでしょうか」

 

 未来という確定した事象において、彼自身がこれほど憤ったことなど、あっただろうか。

 

「…………ッッッ!!」

 

——司波深雪は、冷笑と共に八幡を見下していた。





強制のうコメ状態、みたいな。

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