やはり俺が十師族を守護するのは間違っている。 作:ハーマィア
自ら望んだ幸せ。
「ママ、いってきます!」
靴を履き、スマホをポケットに入れて、少女は背後の母親に振り返った。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「だいじょうぶだし! 結乃ちゃんと摩由ちゃんが守ってくれるから!」
元気よく、天真爛漫な笑みを浮かべる少女だが、少女が挙げた二人の名前を聞いた途端、母親の笑顔が曇った。
「あー……できればあの二家のトコには行って欲しくないんだけどな。……悪影響だし」
娘がその二人に——ではなく、その二人が娘に対して悪影響を及ぼすことを危惧して、母親はやんわりと愚痴を溢した。
「結乃ちゃんも強くてかっこよくて、摩由ちゃんは正しくてまじめだよ? 女の子の服を着させてくれたりするし」
最近娘——否、息子がスカートを穿きたがるのはそのせいか。
疑惑に対して確証を得た表情でため息をつくと、母親は膝を折って息子と視線を合わせた。
「
「わあっ! やった! ありがとうお母さん! 二人におことわりの電話してくるね!」
父を好きにして良い——と聞いた途端、嬉しそうに階段を駆け上がっていく、少女にしか見えない可愛らしさの少年。親である自分ですら間違えそうになる時があって、その度に夫の子供なんだとしみじみに感じていたりする。
それを見送りながら、二十五歳、一児の母になった優美子はキッチンへと戻った。
普段は魔法師の仕事で家を空けている為に、家事などは全て夫にまかせきりになってしまっていて、だというのに文句のひとつすら言ってこないのは流石に申し訳ないと思って、こうして休日くらいはと、キッチンに立つことにしている。
だが、主夫としてのスキルを覚醒させた八幡があれやこれやと効率的な収納術を実践し始めた結果、キッチンの主である八幡がいなければまともに料理すらできず、優美子がやったのは自動洗浄機に息子と食べた後の食器を放り込むだけ。
乾燥や収納まで自動でやってくれるという驚異の万能機器であるが、明らかにそれではカバーしきれない調理器具などがキッチンにはあったりして、自分の夫は料理人にでもなるつもりなのか……なんて、考えたりもしてしまうのだが。
仕事を取り上げられた優美子が肩を落としてリビングに戻ると、娘——ではなく息子に叩き起こされ、それなのに自分が起こした時とは違い全く嫌そうではなくむしろ最高の微笑みと共に、息子に手を引かれて寝室から出てきた夫——八幡の姿があった。
「また天袖にデレデレして。……っつ、妻よりもそんなに息子の方が良いわけ?」
「可愛さの種類が違うだろ。お前はなんていうか、抱きしめたくなるような可愛さで、天袖は抱き上げたくなるような可愛さだ。天袖も母さんをぎゅってしたいよな?」
「なー!」
驚くような親バカに恥ずかしいくらいの愛妻心。その真心を見せつけられて、今日も優美子は夫に敗北する。
「……アリガト」
二人に聞こえるように小さく呟いて、優美子は階段を駆け上がり、今八幡と天袖の二人が出てきたばかりの、三人の寝室に戻る。
この部屋は八幡も天袖も寝床にしているが、今は気にする必要もないだろう。
「〜〜〜〜っ!!」
ベッドに飛び込み——思う存分、優美子は身悶えした。
結婚して子供ができれば、多少なりとも相手に対する心に落ち着きがでるものだという。
だが、優美子の体を駆け巡るこの甘い稲妻は、恋人だった頃よりもより強く、より激しくなって優美子を襲っている。
まるで、朝起きる度に夫に恋をしているかのようだ。とても抑えられるものではない。
「……あーしが、おかしいんだよね」
言葉にしてみるも、納得は出来なかった。
だって、自分でもあり得ないくらい本気で八幡が好きなのだ。これはもう、立派に病気なのに違いない。
五分ほど身悶えした後、優美子の視界に惹きつけられるものが映る。——それは、高校生の頃の八幡だった。
気になってふと顔を上げたその先には、電子パネルで登録した写真を映し出す仮想端末スタンド。
数秒で切り替わる写真の中で、高校卒業の日に撮った写真にやはり惹きつけられる。
中央に八幡と優美子、その周囲に雪乃や結衣、何故か駆けつけた真由美と摩利、一条の跡取り娘やこの頃はまだ四葉家の次期当主の立場だった深雪の姿もあった。
「…………」
言葉は何もない。けれど、胸にこみ上げるなにかがあった。
あれから、十年が過ぎた。
数多の苦難を乗り越え、八幡と結ばれた優美子は今、幸せな生活を送ることができていた。
あの輝かしい日々は、優美子にとって宝物と言える。
高校一年生の時が一番、慌ただしい時期だったと優美子は断言する。
入学したばかりの四月、反魔法師団体によって学校でテロが行われた。
多数の負傷者が出たあの事件では、まだ片想い中の相手でしかなかった八幡が事件解決のために奔走したと聞いている。
そういえば、テロ組織の鎮圧に向かった達也たちから聞いた話によれば、主犯の潜伏していたアジトが廃工場どころか周辺の土地
時期は八月の九校戦。
犯罪組織の妨害など色々あったけれど、入学した初年度は無事に第一高校が三連覇を達成することができた。
ただ、驚きだったのは新人戦のモノリス・コードで八幡が第三高校の選手とすり替わり、達也と接戦を繰り広げたことか。
そういえば八幡は四月の事件の直後に転校していた。恐らくは任務絡みだったのだろうが、結局はそれも聞けずじまいだ。
それにしても、十年が経っても記憶がいまだに霞みすらしないほど、あの一戦では驚くほど多彩な魔法を見せられた。
特に印象に残っているのは、古式魔法の吉田家が執着しているという最高位精霊『竜神』の召喚やヒトの知覚速度を鈍くする広域戦術魔法『曇天』。あとは、決着の瞬間に見た、天を裂くほど長大な、白を基調とする七色のレーザーか。
あれほどの激戦は後にも先にもないだろうとの事だが、自分達の息子が高校に入学する頃には、また一波乱起きるのではないか——と噂されていたりする。
そして十月。教材にも載るほどの歴史だという『灼熱のハロウィン』事件が起きた。
大亜連合による横浜侵攻は、敵味方共に多数の死者を出した。
日本が投入した未公表の戦略級魔法により辛くも勝利を納めることが出来た。
そして……優美子を含め、あの場にいた十三人全員が、十師族・六道と『祖師』比企谷の決別を目撃している。
……それからは、あまり思い出したくはない。
日本への人外存在の侵入であったり、スターズとの衝突だったり。
大亜連合の怨霊・顧傑との決戦。
水波の衰弱を嘆く九島光里のパラサイト化、その死であったり、様々なことを経験した。
ただ、魔法師になることを辞めて優美子を受け入れてくれた八幡は、とてつもなく優しかった。
これで良かったのか、と問われればその答えはだせない。この先も、恐らくは答えが出ることはない。
だが、これで良かったのだ。全てを盗み見るエシェロンⅢは破壊され、新ソ連ももう日本に手出しはしない。誰も、優美子と八幡と天袖の幸せを崩せはしないのだから。
『……ふふ……やってきたことに後悔はありません。水波さんはきちんと自分の道を選び取った……ただ、八幡さんの笑顔を見ることができないのが……心残りです。……こんな所で達也さんに負ける、なんて』
少女を救う為に人外と化し、その生き様によって少女を救った化け物。
その最期の言葉は、今も心に染みついている。
『幸せに、なって』
そう言って灰と消えた少女の顔は、確かに笑っていた。
その意思を汲むつもりはないが、優美子は自分の選び取った道で歩み続ける。
だってこれが生きるということで、後悔しないということなのだから。
…………本当に、これで良かったのか?