やはり俺が十師族を守護するのは間違っている。 作:ハーマィア
大変失礼致しました。
物体変質錬金術式
それは、ある物質に全く別の、本来では有りえないような性質を付与する魔法。
通常製錬作業などにみられるエネルギー弾性しか持たない金属に、本来ゴムなどが持つ〝エントロピー弾性〟、所謂『弾力』を持たせたり、鋼に麩菓子のような脆さを付与したりすることができる。
だがその本質は決して相手を拘束する為ではなく、錬成した物質を研究し新たな資源や建築の資材として活用する為に使われる、極めて平和的かつ将来性のある、新世代の魔法だ。
静が今回錬成したアウルムは、変質という術式の特性を十分に利用し尽くし、強度・耐久性共に極めて優れている。静が過去に錬成した例でいえば、ワイヤー状に錬成し、飛び立つための加速に入っていた『大型貨物輸送機』に結びつけて強引に停止させ、離陸させなかった事もある程だ。
しかし。
世の中常に新しいものが強いとは限らない。
埋もれていく歴史の中で、未知である事こそを最も警戒すべきだ。
現に、比企谷はこうして未知の存在に圧倒されているのだから。
「ねえ〜〜〜〜〜〜〜〜」
一般的な女子生徒の筋力では伸ばすことすら不可能である筈の黄金が、イチジョウの動きを抑えきれずにゴムのように伸び、悲鳴を上げていた。
「どおーーーーーーして」
「わらひのころ」
「ていあってわかうの〜〜〜〜?」
至極単純な問いかけだ。だからこそ、彼女が行っている様に対する恐怖は際立つ。
「……?」
……際立つ——筈なのだが。
……反応がない。
イチジョウの体勢では今の状況をまともに見聞きすることはできないが、耳だけでも澄ませてみる——と。
「先生本当に可愛いです」
「いやっ、あのな、ひきがや……!?」
指が髪の毛に触れ、毛先をくすぐる音が聞こえる。
「あぅん……っ!」
溢れる熱い吐息と、艶やかに響く色香を含んだ声。
甘酸っぱい香りはしない。それでも、その場の雰囲気で彼らが何をしているのかは容易に想像できた。
それを理解した途端、胸の奥がきゅう、と締め付けられるような痛みをイチジョウは覚えた。
つられて、こちらまで吐息が熱くなりそうだ。
「……………………」
……どうやら、彼らはこのわたしを前にして「苦しませて死なせてくれ」と懇願しているらしい。
発砲音が、数発分廊下に響いた。
金属に覆われていない箇所から新たに羽を生やし、声のする方向へ乱れ撃ったのだ。しかも、威力を下げて。
「……はは」
撃った部分は新たな黄金に覆われてしまったが、望み通り、楽には死なせない——と心にしながら、イチジョウは攻撃の反応を待った。
「……?」
表情が変えられたなら、彼女は大いに眉をひそめた事だろう。
「……お、おい。巫山戯るな、私とお前は教師と生徒だぞ……っ」
「その前に男と女じゃないですか……どうしてこの手を退けようとしないんです? 言葉よりもまず態度で示さないとだめですよ」
「そ、それは、お前が無理やりやってきたからっ……んぅっ!」
「……あーあ。こんなにもたわわに実らせて。職員室の先生方は、平塚先生から目を背けるのに必死だったんでしょうね」
何事もなかったかのように、会話は続いていた。
「…………!」
外したとか、避けられたという考えはイチジョウに無かった。
敵である自分を前にして、情事に及ぶとは。……比企谷八幡は一体何を考えているのか。
まさか、勝てないと踏ん切りをつけて諦められた?「どうせ死ぬなら」という簡単な理由で?
……ふざけるな。
こんな人間が生を謳歌することが許されるのなら。
なぜわたし
この目で彼らの双眸を捉え、死ぬ間際まで眼球がこちらに釘付けになって離れないよう、徹底的に恐怖を叩き込んでやる。
ぎゅいぃうぐぎぎゅぎょぎぎぎぎぎぎ、と鉄骨がねじ曲がる音を響かせてイチジョウは二人の方向を向いた。
「……なる程。最大強度のアウルムではその動きを完全に封じられない、と」
ぎょっ、となったイチジョウを誰も責めはしまい。敵なのだから。
イチジョウが目にしたのは、八幡の瞳。つまり、目が合ったのだ。
彼の目つきは、先ほどまでじわじわと伝わってきた、こちらのことなど放っておいて情事にふけているような雰囲気を微塵も出していない。
彼らの体勢も、衣服の乱れも先の戦闘によるものと思われるもの以外は普通だ。
二人が公僕に見咎められることなどまずありえないが、今すぐ職務質問されたとして『敵性勢力と戦闘してました』で説明がついてしまうような普通の格好を、八幡とその隣に立つ静はしていた。
八幡が口を開く。
「まぁ、平塚先生は大丈夫だって言うんですがね。俺が錬成したものじゃないですし、耐久性はどんな感じかなってちょっと体を動かしてもらいました。十分理解できたので、元の体勢に戻ってもらって結構ですよ」
「お前マジで覚えてろよ……!」
つまり、今までのは全て演技。胸元を隠す静が顔を赤らめているのが気になりはするが、イチジョウを引っ掛けるための罠だったのだ。
何のためかといえば、八幡が口にしたように、イチジョウを焚き付けて煽る為。
————!
煮えたぎるマグマの様に荒れ狂うイチジョウの心は、今沸点を迎えた。
「…………お…………あ…………え…………!!」
八幡と静に睨まれながら、イチジョウは身体のあちこちからギチギチと不気味な音を鳴らし、黄金によって固められ閉じることもできなくなった口で言葉を絞り出す。
反っていた姿勢は元に戻り、ガクガクと顔を揺らしながら、イチジョウはこの状態を作り上げた静を見ていた。
「……それにしても一体、なんなんだ、コイツは」
問いかける静の表情には、若干の焦りが見て取れた。しかし、それを説明することに対する躊躇いの時間は八幡に残されていない。
「敵ですよ。……あんたら六道の」
床に手を当てていたものの、立ち上がった八幡の言葉に、静は目を見開いた。
「……
喉が急速に渇いていくのが実感できる。
恐怖を前にして、恐怖が身に入り、逃がそうとして汗をかく。
……人の、生物が持つに赦された力の限度を明らかに超えた化け物。
六道というシステムが設立されることになった本当の所以。
〝自分たちはその為に作られたが、いざ戦えば自分たちが彼らに敵うかどうかはわからない〟
彼女は、50代という若さで亡くなった曾祖母から半ばお伽話扱いでその話をよく聞いていた。
いつもにこにこと柔らかな表情を浮かべていた曾祖母は、死の間際もそのことを口にしていたが、その時だけは、表情から笑みが抜け落ちていたのをよく覚えていた。
その御伽噺が、自分の目の前で呼吸をしている。
どれ程の恐怖が彼女を襲ったのか、計り知れない。
ぐぐぐぐ……。
一歩を踏み出そうとするイチジョウだが、5センチほど踏み出したところで黄金がイチジョウの力を完全に抑え込み、ばちん、とゴムで弾かれたように元の体勢に戻る。
「見たところ、枝先みたいなもんですけどね。本体はこんなレベルじゃないです——よっと」
立ち上がり、切断された腕から流れ出る血を放置したまま、八幡は静を見る。
「……再成できないのか?」
八幡の傷を見て静は眉を潜めた。
「奴さんの干渉力が桁違い過ぎて、何も魔法がかからないんすよね。灼いて傷口を塞ぐのも無理。切れ端であのレベルだと、本体は時空間に干渉できそうなくらいの力を持ってそうですけど」
「……普通の魔法では倒せない、か」
「戦略級でも、殺せませんよ」
「…………」
拳を握りしめ、考え込む静。しばらくすると顔を上げた。
「……そういえば、先程校内放送があったな。至急下校しろという内容だったが……」
「ああ。俺が六道経由で流した警報を受け取った会長が流したんだと思いますが」
「……やっぱりあったよな? 私の端末も激しいくらいに音が鳴った。……だが」
「数秒後には、全員が全員、忘れていたと」
わかっていたかのように、或いは諦めたような表情で八幡は結末を口にした。
「……アイツの能力なのか?」
「おそらくですけど、そうでしょ」
「自分の記憶を消す能力? いや、それだとただの避難呼びかけに過ぎない放送を皆が忘れる理由がわからないな」
「自分にとって不都合なものが発生した場合にその不都合な記録を消す能力か、自分に敵対しようとしている人間に関する記憶を消すかの条件発動型だと思うんすけどね」
八幡の言葉になるほど、と頷きながら、え、と口を開けて八幡を二度見した。
「……何故、私とお前は記憶を失っていない?」
先程のイチジョウの反応を見るに、もっともな疑問だ。
八幡は、イチジョウが目覚める原因となったチカラの吸引をしている。だからイチジョウ自身が記憶を失わない程度の力には抵抗力があるのかもしれないし、イチジョウは自分を能力の対象外にしているのかもしれない。そうなると、イチジョウのチカラを奪った八幡はイチジョウ自身であることになり、八幡に対して能力が発動しないことになる。
だが……。
「俺に関しては、たぶんアイツの能力を奪ったからなんですけど、……それだと先……せい、が……」
「……比企谷? ……っ!」
言葉が切れる。そして、活性化するサイオン。それは八幡が臨戦態勢に移行したということであり、静も警戒しなければならないのだが、イチジョウを静が世界最強を自負するオリで捕獲した今、八幡が慌てている理由が静にはわからな——く、なくなった。
目の前の現実が、絶望を教えてくれる。
「……金という金属に限らず、全ての物質は極端な温度変化に弱い。だが、火で炙ったり凍らせる程度じゃ損傷したりしないはずなんだがな……」
ぽろ、ぽと。ずしゃああ。
イチジョウを拘束していた筈の黄金は、拘束力を失い、まるで泥のようにぐずぐずに崩れ、剥がれ落ちていた。
「あれは——多分、融解とか昇華とか、そうじゃない。強ければ強いほどに脆くなる——物質の特性が反転しているんだと思います」
「はあっ!? そんなの、干渉力がどうとかいう問題じゃ……!」
「そういうもんですよ、十神ってのは。現代魔法みたいに事象を上書きすることで効果を発揮する魔法は使えませんが、代わりに桁違いの干渉力によって現代魔法の効果を受ける事もない。ヤツらの前に立った魔法師は面白いくらいに無力になりますから。……リングとルールの中でいかにやりくりするかってのが魔法なのに、そのリングを持ち上げて叩きつけてくるもんだから、本当に十神ってのはやり難い……」
「……?」
静は、八幡の口ぶりに違和感を覚えた。
まるで、以前十神と相対したことが有るかのような——と。
「……仕方ないので、もう一回粘着塗れにしてやるぜぐうぇべべべっ!?」
やれやれ、と首を振り、静の技を真似て左腕に黄金を纏う八幡の、襟首を掴んだのは静。
「一度やった攻撃が二度も効くかバカもん! 逃げるぞ!」
静が走り始めるのとイチジョウの攻撃が着弾するのは、ほぼ同時だった。
一撃目を躱し、二撃目の爆風を背中に受けて加速、そのまま脇にある階段を壁を蹴って下りていく。
階段を駆け下りたなら、即座に走り始めなければ。止まっているわけにはいかない。
だが。
「っ!?」
「ちょっ!?」
階段を下りきったところで、静は足を滑らせ——否。
「影——?」
静の足下、いつの間にか生じていた影から伸びる腕に足首を掴まれ、影に体が沈んでいくのだ。
静に抱えられていた八幡はそれにいち早く気づいて脱出しようとした。だが、それを認識した時には既に二人は影の中にいて、影を認識した時点で、二人は逃げるという選択肢を奪われてしまっていた。
「く……ここ、は……?」
生まれて初めて影の中に入るという経験を得た八幡だが、見た感じ全くの暗黒空間というわけではない。
足を付く感触からして床ではなく地面はあるし、暖色の光が天井から差し込む事で周囲の状況が、他人の表情の明暗までよく見えた。
静の能力? ……いや、この現象には静自身も驚いていた。となると、影の中に世界を作り出す——なんて、2次元世界に3次元の理を持ち込むが如き芸当が可能な人間が他にいるのだろうか。
「一体……あっ!?」
影の中で立ち上がろうとして、周りは見えるが周囲の把握がままらない中、八幡は真正面から飛び込んできた何者かに押し倒される。
それと同時に、この影の世界を作り上げた人物の正体も割れた。
「くっ……!?」
この謎空間はイチジョウの新たな能力かと思いきや、
「フフフフフフフ。……八幡! だぁーいすきっ!」
八幡に抱きついたのはとある少女。
だが、明るく親しげなこの声に八幡は聞き覚えがあった。
彼女は、今朝八幡のベッドに潜り込んできた。
彼女は八幡の知人の、……クローン。
USNA軍に保管されているDNAマップを元に作成された、代えの聞かない戦略級魔法師のバックアップ。
「……お前、は……!?」
陽の光は時に黄金に例えられる事もあるが、この暗闇においての彼女の髪の金色は余計に明るく、際立っていた。
まさに生き写しだ。クローンなのだから当然だが。
あらゆる点が同じという中でただ一つ、色白な肌の知人とは違う健康的な褐色の肌をしている彼女は——
「シールズ……!?」
「……リーナって呼んでよ、八幡……」
八幡の家に居るはずの彼女は、何故か今、第一高校の女子用制服を身に纏い、八幡の胸元に顔を埋めていた。