やはり俺が十師族を守護するのは間違っている。 作:ハーマィア
今回は九千字超えてしまいました。読みにくかったらすみません……。
「シールズ……!?」
八幡と「ネファス(アンジェリーナ=クドウ=シールズのクローン体)」の再会は、驚きと共に始まった。
こんな所に居るはずのない彼女だ、八幡が驚くのも無理はない。ただ、彼が本当に驚くのはこの後だった。
もぞ……もぞ。
「シールズ?」
思考が停止する八幡を他所に、彼の腹に馬乗りになり、ネファスは彼の首筋に狙いを定め、何が良いのか、全身を密着させて鼻息荒め、しかしながらゆったりとした動作で、かふかふと匂いを嗅いでいた。
「…………」
驚いていたのは、八幡だけでは——もちろん、ない。
「……シールズ?」
静は、彼女の立場からすれば正しい反応をしていた。
彼女を知っている、という反応だ。
だが、八幡としては敵対さえしてくれなければどうでも良い。
「……おいシールズ。何のためにここにきた? 悪いが、お前に構っている時間は——」
「バカ」
ネファスを押し退けて立ち上がろうとする八幡だが、逆にネファスのチョップが彼の脳天に振り下ろされて床に転がる事となった。
「……っ、……!?」
いつの間にかふかふかのクッションに変化していた影の床は、倒れ込む八幡を優しく受け止める。
「……何のつもりだ」
すぐに腰を浮かせて、低く、暗い声で八幡はネファスを睨め付ける。睨まれたネファスは、何一つ動じていない顔で八幡を睨み返した。
「だって八幡、このままだと死ぬよ」
バカバカしい、と八幡は
「だからなんだ? 言っておくが俺は右腕の止血が出来ていない。もってもあと1、2分で意識を失う。手を早く打たないと——」
八幡のネファスを見上げる目は、腐っていた。
虚勢を張る瞳ではない。己の死すら平然と向き合って見せる、慣れによって痛みに鈍くなった瞳だ。
或いは、子供のように理屈を知らない瞳のようで——
「んっ!」
「んぅ!?」
——落ち着かせるには、それなりの手段を獲るしかなかった。
お喋り途中の八幡は開口していて、実に舌を入れ易かったのだ。
相手の口内に舌をねじ込んだ後、両腕を使って抱きしめ、自分の体と八幡の体とを密着させたネファスは次の口撃に移る。
「んあ……」
「っ……」
八幡の下顎と舌の間に自分の舌を滑り込ませ、八幡の舌を裏側からゆっくりと舐め上げる。
びりびりぞわぞわっ! とでも表現したい、寒気というか悪寒を感じ取った八幡。
〝それ〟は、知らない感覚。
〝キス〟は、「いちおう」ディープな方も経験のある八幡だが、今回のキスがもたらすぞわぞわとした快楽は今までに体験したことがない。
自分にとって未知のものや感覚に対し、守るものがない場合、普通八幡は逃げる事を選択する。
が。
外から鍵をかけられたわずか6畳ほどの檻の中で、血に飢えた猛獣から二十分逃げろと言われているようなもの。逃げようとするだけ無駄であり、逃げるだけ、絡まっていく。
「ん——!」
「はぷ——っ」
そうした攻防が6秒ほど行われて、八幡の瞳から決意の灯火が失われた。
——堕ちた。
ネファスの確信は、気のせいではない。
八幡の焦りや反抗心が入り混じったが故に判断を急く心は、確かに折れていた。
無理だと理解して絶望したのではない。突如差し込まれた
途端にガクガクと膝を震わせ、今にも崩れ落ちそうな八幡の腰にネファスが手を当てて支える。
口内で逃げ惑う八幡の動きが鈍くなった舌を追い詰めて絡ませて、ちゅ、と少し吸った後、ネファスは漸く離れた。
「——っぷは。……だから待ちなさい。出血なら、止めてあげるから」
「……、しゅけ、……しゅけつ?」
呂律の回らない舌と熱に当てられて回らない思考で、八幡はネファスを見上げる。しかし彼女の視線は八幡を見ていなかった。
視線を辿る——と。
「……なん、だ、これ……?」
肩の傷口に、傷口を覆うようにして〝黒い何か〟が集まっていた。それは、炭のようにも、灰のようにも、石のようにも見えた。
黒い物体が傷口に触れることによる痛みはない。
物体が集まってくる元に目を向けてみれば、八幡達の足元やどれくらいの高さがあるのかわからない天井、影で出来ている壁などから、〝それ〟が千切れるようにして八幡の腕に集結してきている。
八幡の肩の傷口に集まった黒い物体は、暫く停滞した後、無くなった八幡の右腕の形を取り始めた。上腕、肘、前腕、手首、拳——と。
指の爪までが元通りになり、指先がぴくん、と震えたかと思うと、握っていた拳が八幡の意思で動かせるようになる。関節も、思い通りに動く。
「再生……しているのか」
思わずそう溢す八幡だが、治ったというには足りないものがある。それにネファスは首を横に振った。
「うんにゃ、違うよ。欠損した腕を造って傷口に接続して、不足している八幡の血液を補っただけ。神経かよってないでしょ?」
「……確かに」
確かにネファスの言う通り、造られた右腕は触覚が機能していない。触れても何も感触が無いのだ。
つまり、イチジョウの干渉力はまだ効いているということ。
「…………」
でも、それを自分の胸を触らせることで確かめさせるのはどうなのかと八幡は思う。
「……それじゃあ」
勢いを完全に削がれ、冷静さを取り戻した八幡はネファスを見上げる。
「まず聞いておきたい事がある」
訊かれたネファスは、今朝のように、八幡の腹に跨がっていた。
「何かしにゃん?」
「お前が、俺を憶えているのはなぜだ」
「————」
ネファスの脳裏を、疑問符がくすぐった。
(あれ? ここが何処だって訊かないんだ?)
自分がそういう状況に居たのなら、真っ先に思いつく言葉だが。
〝こういう場所がそういえばあったな〟とでも思っているかのような表情だ。とても、数秒前にキスで蕩けていたような顔には見えない。
「……ああ、それ? 話せば長くなるんだけど……」
言葉を選ぶのに手間取る。油断と迷いが生じたからだ。そんな彼女を八幡は、そこに更に追い討ちをかけるように、
「手短に話せ。この空間に関する能力を俺が不思議に思わない理由なら、後で話してやる」
——決定的だった。思考を読まれている。
感じたのは単純な驚き。しかしその感覚は、ネファスに違う言葉を紡がせた。
「……今話してくれる?」
いつの間にか、質問される側だったネファスが質問している。
「……いや、関係な——」
好意的だったのに、協力する気でいたのに、こちらを疑うような八幡の姿勢に嫌気が差し始める。
そうか、これが。
くつくつ、とネファスの心——その奥底から笑いが湧き出る。
「ヒキガヤ八幡クン」
その衝動を抑えられずに、ネファスはそれまでの会話を断ち切った。
「ワタシにはオリジナルからコピーしたスターズ所属隊員としての知識や記憶がそのまま引き継がれている。ワタシは自分でも
そう。本来であれば、アンジェリーナ・クドウ・シールズは知り得なかった事実。
疑心以上の確信が持てなかった、バレるはずのない八幡の能力。
「なんの話をしているんだ。……いいか? 今は切羽詰まった状況で、お前が協力的であるということさえわかれば、俺にとってこの空間がどんなものであろうと」
それを彼女は、今知った。
「未来が視えるのね、八幡」
「……………………あ?」
ネファスは、ハッキリと突きつけた。……八幡の表情が変わる。
「さっきから——いえ、ワタシの中の八幡と出会った時の記憶から、どうもおかしいと思ってたの。スターズにいた頃から八幡って時々、与えられた任務に対して、テストの答えをカンニングしたような言動や行動をする時があったし」
八幡の表情は、ネファスの話を聞いているうちにだんだんと険しくなっていく。
「なるほどなるほど。……いやあ、納得したわよ」
グチ、と音が鳴った。布を破くような音。
嫌な音だ。
「…………」
八幡はついさっきもこの音を聞いて腕を失ったのだから、当然かもしれない。
「さて、それじゃあ。……さっきの八幡の質問だけど」
ズアアアアア!! と蒼穹のように透き通った色の翼が、ネファスの背から広がった。
イチジョウの翼と、色という一点のみを除いて、瓜二つの翼。
「ここまでやれば、流石にわかるよね?」
にこぉ、と曲がった笑みを浮かべるネファスに八幡は、構えを取らないまま、ネファスの瞳を見つめた。
☆
あるクローンの少女が〝その力〟を受けとったと自覚したのは、彼女がこの世に生を受けたのとほぼ同時だった。
その力は、自分の記憶のどれとも違う、全く別の力。彼女は魔法技能を少しでも損なわないようにと、記憶や魔法師としての経験はその時点での本体の記憶をコピー(バイタルチェックの悪用だ)しているものの、十五年分の記憶のどこにも、その力に関して思い当たる節がない。
だがその力の正体は、彼女が生まれてから2週間ほど経過して、事態の発覚を恐れた彼女の名付け親——彼女は『ネファス』と名付けられていた——によって、処分されかけた時に判明する。
銃を突きつけられ、魔法もろくに使う事が出来ない、まともに思考する事すら難しいような環境下で彼女は、記憶の中の想いびとである八幡に逢いたいと願った。
実験により生み出され、実験により死んでいく
引き金が引かれるその瞬間、少女の無垢なる願いが、運命の女神を微笑ませた。
銃口に怯えたネファスがぎゅっ、と目を瞑ると、次の瞬間、彼女はとある部屋の中にいた。
六畳程の大して広くない部屋だ。四面ある壁のうち三方は白色の壁に囲まれ、床は座り心地の良いマットが敷かれている。天井はタイル状の白色照明が9枚、部屋を照らしていた。
監視カメラ等は見当たらないが、壁の中にでもあるのだろうか。
残る壁の一面、そこは壁の代わりに分厚いガラスが同じ役目を果たしていて、ガラスの向こうには数人の白衣を着た男達がこちらの様子を窺っている。
ネファスが彼らに視線を向けると、彼らはその顔を恐怖に歪め、腰を抜かしてしまっていた。
見ての通り、状況も、場所も恐らくは全く違う。別次元にでも飛ばされてしまったかのような変わり様だ。
どうするか。集音されているのかはわからないが、語りかけてみるか。
「……!」
口を開きかけて、しかし、まてよ、とネファスは目を閉じて考えてみる。
あの時自分は、何かしら声を発した筈だ。もしかしたら、それが能力発動のトリガーになっているのかもしれない。
これから迂闊に声を発し、それによって何かの能力が発動して、全く別の状況になってしまった場合、今度こそ自分は助からないのではないか。——そう思ってしまったのだ。
しかし、そう思うことでまた別の思考が浮上してくる。『ひょっとして、このままここにいても殺されるのではないか』。彼女がこの部屋に来た時に考えていたことだ。
そして彼女はこの時、行動しても行動しなくても、どちらも正解に見えたし、どちらも間違いに見えていた。
ただし、今回は動かなかった事が吉と出たようだ。考えることで、〝考えるという行動〟をしたことで彼女は事態の正解を掴んだ。
彼女は既に能力を行使していた。じわじわと、アドレナリンが抜けて痛みを知覚していくように、彼女はその事を理解していく。
事実の反転。それが、彼女の起こした奇跡だった。
しかも、事実の反転度合いを正から負への180度完璧に決めるのではなく、能力の幅としてある程度自由に決める事ができる。
彼女はクローンだ。本来生まれてはいけない人間として、存在自体が間違っているということになる。つまり、現状を100パーセント反転させれば彼女は生まれなかった事になるのだ。反転の能力——そこに彼女の生きたいという意思が反映された結果、処分されてしまうという事実だけが反転されて、実験体としてではあるが生き残っているという事実に書き換えられたのだった。
そうして、効果を実感して、彼女は震えと共に確信した。
〝これは、世界を根こそぎ変えてしまう事ができる能力だ。〟
例えば明日、一時間だけ人類の〝繁栄〟を反転させたとする。
繁栄の逆転——それは、〝滅亡〟に他ならない。
因果律が働いて、明日の一時間の間に人類が滅亡する為のあらゆる厄災が人々を襲うだろう。
流星群。或いは太陽の爆発。或いはマテリアル・バーストという選択肢だってあり得る。
世界が、人類滅亡という目的のために動き出すのだ。
考えただけで恐ろしくなったが、どうやらそれはこの力の本来の主が使う力であり、彼女に与えられた力の出力は自分の事実のみ改変できる程度しかない。——と、彼女は思い出した。
力に使い方が刻まれていたのだ。取扱説明書も同時にプレゼントしてくれるなんて、なんで親切な神様だろう——そんな風に誤解する余地も生まれなかったほど〝力〟は事細やかに説明してくれた。
力は確かに目的を持ってネファスを選んでいたのだ。
力の持ち主であるイチジョウはこんな計画を立てていた。
〇——『その死が広められることのない人間で、なおかつすぐに死にそうな人間を見分けて取り憑く性質』を持った能力を自身から切り離し、世界に放つ。
一——能力がヒトに取り憑き、取り憑いた人間が死んだ後、その死をトリガーとして能力が反転し、それまで単体だった力が増殖、情報次元を通って拡散、大勢の人に付着する。
二——能力が不特定多数の人に行き渡ることで、その能力を受け取った一人一人があらゆる事象を反転させる力を持つ事になり、魔法師を遥かに超える危険度の新人類が誕生する。
三——当然、反転するという出鱈目な力を抑止する為に、通常兵器よりも魔法が選ばれ、世界中を巻き込んだ世界大戦が勃発する。
四——その後、魔法の行使に伴って世界中で想子が励起し、龍脈が胎動し、イチジョウの眠り繭となっている想子の壁を吹き飛ばし、イチジョウの本体が目覚める。
これが、イチジョウが目論んだ計画の一つ、プランAだ。
もうひとつ、プランBはネファスの他に力を埋め込んだ日織という少女が、何者かに力の本質に触れられる事をトリガーとして日織から強制的に信号を送り、本体が強引に覚醒するというもの。
手っ取り早さで言えばBの方が圧倒的に早いが、彼女の本質に迫ろうとする人間なんて一世紀に一度現れるかどうかだし、それに気づいたとしても次に会った時には忘れているだろうしでこのプラン自体、確実性に欠ける。
安定性、確実性の観点から、イチジョウはプランAが先に完成する——と思っていたのだ。
しかし、事実としてそうなりかけた彼女だが、そこで偶然にも、今まで知覚すらしていなかった能力を使ってしまう。
そこが、イチジョウの計画にはなかった計算違いだ。
生まれつき羽が無い人間は空を羽ばたく方法を知らない。だから、使い方を教えてもいない力がその人間のために使われることはない——とタカを括っていたイチジョウの意に反してだ。
傲慢さゆえの
さらに。ネファスが能力に気付いてから監獄を脱出するまでの間、イチジョウの能力はネファスによって書き換えられ、イチジョウによる干渉を受けることが無くなったのだ。
さらにさらには、覚醒後に反転の能力者達から能力を回収して力を取り戻そうと考えていたイチジョウの目論見はこれで潰れ、能力の四分の一程をネファスに与えた力に注いでいたせいで——さらにさらにさらに、本体の大幅な弱体化まで望めるようになった。
「つまり。ワタシの行動は全て、八幡にとって……だね?」
「や……その、疑ってすまなかった。ホントすいませんでした。このとおり」
八幡が話を聞き終わって二秒。彼は速やかに、頭を下げた。
「え? え? ……あ、ちょ、八幡に頭を下げて欲しいわけじゃなくて……」
混乱するネファス。彼女は自分の真実を知って欲しくて話したのだ。誤解を謝って欲しくて打ち明けたのではない。
しかし、一向に頭を上げようとしない八幡。彼なりに、誤解や冤罪という罪の重さを知っているからかもしれない。
八幡よりも先に痺れを切らしたネファスは、
「……じゃあ、でえと」
そこで八幡は漸く頭を上げた。
「……え?」
とぼけているのではない。意味が、理解できていなかったのだ。
妙に気恥ずかしくなったネファスは、声を張り上げ——
「……っ、で・え・と! ショッピングしたり食事したり、ただ散歩したり——いっぱいしたいことあんの! 付き合ってもらうからねニホンショク巡り!」
恥ずかしがるポイントが違うとか言ってはいけない。
「……あ、ああ。わかった。付き合うよ」
こくりこくりとしきりに頷きを返す八幡。だが、その頷きには一回一回に力強さがあって、虚言ではないことが見てとれた。
「一回だけじゃないよ」
「ああ」
「スシが食べたい」
「ああ」
「赤ちゃんもつくらせてくれる?」
どたがたっ。彼らの背後で、盛大に転ける音がした。
「ああ」
「……ほ、ホント!?」
何言ってんだ、お前が言ったことだろ——とでも言いたげな呆れた顔で、八幡はネファスを見る。
「俺とお前の血液から遺伝子情報を汲み出して培養ポッドで受精卵を作ればいい。……けどそうじゃないんだろ? キスしちゃったし、セックスくらい今更だ」
せっくす、と八幡が口にしてネファスの顔がぽん、と赤くなった。飲み込んだ食べ物を反芻するように『せっくす』を繰り返したネファスは、恥ずかしさで震える手をぎゅ、と握りしめ、上目遣いで八幡を見る。
「じゃ、じゃあ……週末にでも」
「言質に紛れていきなり何をぶっ込んで来てんだオイ」
彼らのおふざけも、ここまでだった。
「……はい、それじゃあ作戦を発表しまーす」
「……はーい」
大きなタンコブをひとつずつ、それぞれ左と右に作った八幡とネファスはあからさまにテンションが低い。
原因は静であり、要因は彼らの自業自得なのだが、それに加えてとある事実が、彼らを気疲れさせていた。
「はい、じゃあ
前半はポップで明るげに、後半はコキュートスの様に耳が凍傷を負いそうなほどに鋭く冷たい。そんな声色で、八幡はウィンドウの向こうで俯く材木座義輝を睨む。
睨まれた材木座は、弱々しく言葉を口にした。
『いや……だってほら、物理攻撃はもとより干渉力で勝てないのだろう? 核を撃ち込んだとしても跳ね返されるだろうし……そもそも死という概念が彼奴にあるのか、という話になってくるんだが……って、何を笑っておるのだ?』
そんな彼の反応に、萎れていた八幡はにやりと笑みを零す。彼の言葉が嬉しいのではない。彼が自分を忘れずにいた——それが、嬉しい。
「いや、なんでもねえよ」
……そう。
八幡を絶望的状況に追い込むキッカケとなった材木座は、実は記憶を失ってなどいなかったのだ。
記憶を失っていない理由は、材木座が所持していた結晶片。
食堂で日織——イチジョウの能力が暴走した際、彼女の体からばら撒かれた翼の破片だ。それを研究用サンプルとして材木座が持ち歩いていた為に、記憶消去の対象から外れたものと八幡と材木座の二人は考えていた。
そして、先程まで聞き取っていたネファスの話の途中で材木座から連絡があり、材木座の嘘が判明したのだ。
「……で、そっちはどうなんだ? 星導館の生徒会長サマは上手く撒けているのか?」
笑みを収めた八幡は、材木座に彼の現状を聞いた。材木座が八幡からの電話にて記憶がない様に振る舞い、嘘を吐いたのは、それ程にのっぴきならない事情があったからだ。
唐突な材木座の笑い声が、八幡の鼓膜を直撃した。
唐突に笑いが吹き出す程、笑ってしまえる質問だったのか。
それとも、笑ってしまうような何かがあったのか。
いずれにせよ、余裕があるのは良いことだ。耳を押さえながら、八幡は続きを待った。
『それなら大丈夫だ』
材木座からの返事に、八幡は安堵の息を吐く。
正直、下手をすれば魔法科高校どころか東京が消し飛びかねない状況は続いているが、材木座が直面している危機もそれに引けを取らないくらい、八幡にとっては面倒なものだからだ。
「そうか、よかった。いやあ、あんな化け物につけ狙われる気持ちはホントよくわかる——」
『横にいるからな』
「……」
声が、凍った。
思考まで凍りついてしまったかのような、幻覚——錯覚が八幡を襲った。
春を迎えたというのに忘れていた冬がやってきたかの様な、背後に迫るこの寒気はなんだ。
生命の終わりである〝死〟が肩揉みをしているかの様なおぞましさ。
自動車に踏み潰される虫、もしくは隕石によって滅びることとなった恐竜はこんな気持ちでいたのか。
電話の相手が変わった音がした。
『——久しぶりですね八幡。お元気でしたか?』
聴けば、風鈴の様に落ち着く声。だが今は、象ですら一瞬で昏倒する程の猛毒を含んでいる。
「……っ」
声が喉を通らない。恐怖が声帯に絡みついているのだ。
『八幡? どうしました?』
名に神を冠する絶対敵ですら臆することなく立ち向かう八幡だが、どんな英雄にも生命の終わりや悲劇が付き纏うように、彼にも弱点が存在する。
弱点というか、天敵だが。
「……」
『比企谷八幡さん?』
誰だって命があるように、敵わない相手の一人や二人、誰にだって絶対いる。八幡の場合、その一人が電話の相手であるというだけのこと。
しかし、彼が勇気を出さなければならない場面で勇気を振り絞らずに、一体どこで戦えるというのか。
『黙っていれば、見逃してもらえると思っているところも相変わらず可愛らしいですが——いい加減にしないと、怒りますよ?』
立ち上がれ、比企谷。
敵わない相手にこそ立ち向かわなければ、英雄になんてなれないぞ——そんな幻聴を、八幡は聞いた。
英雄になれない? 当たり前だ。八幡は英雄になる為に生まれてきたのではないし、英雄になりたいとは思わない。思えない。
……けれど。
もしも、自分が勇気を振り絞ることで救われる誰かがいるのだとしたら。
それを見逃すことはきっと、自分の罪に数えられるのだろう。
だから、彼が起こすこれは英雄の選択ではない。
罪に怯える愚かな人間の、意地も汚い逃避行なのだ。
「……あの」
『……! 久しぶりですね八幡。あなたが突然アスタリスクを去ってから、私はずっと——』
「……人違いです」
八幡は通話を切った。
話の外でずっと待たされてる敵さんがそろそろブチ切れそう。
軽く捕捉しておきますと、この作品の魔法と星辰力の力関係は魔法<星辰力でかなりの力差があるので、どの国も魔法を圧倒できる能力を持つアスタリスクとの関係を持とうと必死になっています。アスタリスク自体が日本の領土にあったりするのですが、魔法協会も日本政府も要請や命令などでアスタリスクに何かを強制できる権限を持ちません。交渉できる権利はあります。第三次世界戦争中に台頭してきた統合企業財体がアスタリスクを管理しており、あくまでも彼らがアスタリスクのスポンサーです。