やはり俺が十師族を守護するのは間違っている。   作:ハーマィア

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 ————それは、少女が決して出会うはずのなかった禁忌。

〝神の怒り〟を原型に、人類文明そのものが産み出す災禍を皮肉って創られた災禍級異能。

〝氷〟は地球に食糧難の原因となる寒冷化をもたらし。

〝炎〟はさまざまな国の首都を灼くことで世界戦争の引き金を引き。

〝雷〟は戦争を継続させるためにエネルギーを各国に送り届けた。

【彼女】が生まれて、もうすぐ100年。


朧月夜に誘われるは、雷姫の御手

「————…………あや」

 

 目を覚ました八幡。

 

 彼の口から漏れたのは、ため息でも悲嘆の声でもなく、ただ言葉を噛んだだけ。

 

 そんな彼の言葉に反応するように、八幡が見つめる知らない(和室の)天井の下方から、声が聞こえた。

 

「……? あや?」

 

「っ……気にしないでくれ。ただ寝ぼけて言っただけだ」

 

 声の主は八幡が知っていた通り、一色家の長女、一色愛梨。

 

 そして、今の彼女(・・)は自分の声色の高さに納得していた。

 

 過剰ダメージによる強制変身(・・・・)。それがもたらす胸の疼きに、八幡は思わず胸を押さえる。

 

 ボヤけた視界で、八幡は彼女と目が合う——と。

 

 金色の絹糸が、空を舞った。

 

 それほど勢いよく。

 

「ごめんなさい!」

 

 1番に、彼女は頭を下げてきた。

 

「……え?」

 

 戸惑う八幡を置いて、頭を下げたまま愛梨は続ける。

 

「貴方にこんな大怪我を負わせてしまったことを謝りたかったんです。……そ、それに、その、助けてくれた……のに、お礼も言わずにいたから……」

 

 もしかしたら、彼女は人に慣れていないのかもしれない。愛梨を正面に見た八幡はそう思った。

 

 いろはから聞いた限りではここ数ヶ月ロクに外出もしていないらしく、高校の入学式も、参加していないのだとか。

 

 そしてそれは、彼女自身の問題らしくて。

 

 ——八幡はそれ以上踏み込むべきではないと考えた。

 

「気にしないでくれ。俺が勝手にやったことだし、それにあんたが怒るのは当然の事だ。自分の尊厳を貶されて怒らない方がおかしいしな」

 

(罪悪感なんて抱かれたくない。責任なんて負ってほしくない。関係なんて持たないで欲しい。……当然か)

 

「……わ、わかりました」

 

「フレンドリーにして欲しいわけじゃないが、敬語は使われたくない。だからやめてくれないか」

 

「……え、ええ。……わかったわ」

 

(……調子は戻ったのか……?)

 

 顔を上げて八幡と視線を合わせ、ぎこちない笑みを浮かべる愛梨。その目元は腫れていたのか、赤く見えた。

 

 八幡が最初に姿を見た時よりもほんの少し声にはりがあるように聞こえる。

 

 とはいえ、それもガンガン響く耳鳴りに加えて身体中が熱と倦怠感と激痛を訴えている中で聞いた言葉だから、正確には聞き取れていないのかもしれない。

 

「……お医者様は目覚めるのは明日以降と言っていたのに……」

 

「だろうな。実はちょっと無理してる」

 

 ごほごほっ、と咳き込む八幡。

 

 医者から何を聞いたのかはわからないが、八万の場合、冗談で無く自分の体の事は自分が一番理解している。

 

 愛梨に受けた攻撃のダメージなど、今の八幡の容態を少し悪化させているに過ぎない。

 

 おそらくは、浴室に長く留まり過ぎたせい。

 

 体が浴室の熱気で温められ、その後一気に涼しくなった外に放り出された事で湯冷めし、体調を崩して熱を出した。

 

 なので、彼が引いたのはただの風邪だ。

 

 ……そのはず、なのだが。

 

「…………っ。……っ?」

 

 罪悪感や八幡に向ける心配の感情が愛梨の顔には見られない。それどころではないのだ。

 

 顔を赤くして、ただ八幡を見つめるばかりで薄く開かれた彼女の口は何も言えていない。

 

 膝の上で揃えられた彼女の両手は硬く握りしめられており、ふるふると震えている。

 

 感動の幅が振り切れると、人は言葉を持たなくなるらしい。

 

 そんな知識を実感しながら、八幡は言葉を続けた。

 

「一条とか一色……あんたの妹はそうは思ってなかったんだろ」

 

「え? ……え、ええ、そうね。一条さんも、いろはも、貴方はすぐに目覚めると言っていたわ」

 

 気の抜けた表情を見せていた愛梨は、八幡の言葉で理性を取り戻したのか八幡の反応に食い気味で頷く。

 

「…………」

 

「…………」

 

 同じように顔を赤くしながらも、テンションが正反対な程に違う2人の内心は、こんな風。

 

(……な、何……? 今の儚げな彼(?)の顔、もの凄く、胸にクる……!)

 

(……ま、こいつも湯冷めしてたんだろうな)

 

 この訣別したかのような認識のすれ違いが、後に大きな悲劇を生む……のかもしれない。

 

「信用されてるんだか、ただ見放されてるんだか……わからんけど、それ以外になんか言われてんだろ」

 

 むしろ、八幡にとってはこちらの方が本命だった。恐らくは、一色愛梨にとっても。

 

「……ええ。私が貴方から、魔法の力を奪ったって2人に聞いた。それについて、貴方から聞かなきゃいけないって言われたわ」

 

「その前に」

 

「?」

 

 当然八幡も愛梨が現在手にした力について話さなければならないだろうと、起きる前から考えていたし、愛梨も彼に謝る事以外はそのことを考えていた。

 

 ただ、今の八幡はそれよりも心配している事があった。

 

「俺と一緒に来ていた2人……短髪とセミロングの黒髪の姉妹、いただろ? あいつらがどうなったか知らないか?」

 

 それは、八幡が気絶している間に行われた重要な会議。その結末だ。

 

 氷と翼。八幡の知る少女、雪ノ下雪乃のクローンである2人。日本の魔法師にとって無視することが出来ない彼女達の処遇について、日本の魔法師の頂点に立つ十師族の一条家と彼女達を受け入れている一色家、そして十師族を守護する折本家の当主達が話し合い、結論が出た筈なのだ。

 

 八幡は、その結論をまず何よりも聞いておきたかった。

 

 未来視で確証は得ているけれど、それは過去に起きた事実のように確定しているものではない。

 

 たった1人の人間が魔法によって地球の運命を終わらせかねないように、たった一ミリ、たった一つのズレによって望んだ世界が跡形もなく崩れ去る可能性もあり得るのだから。

 

 要するにこれは、目で見て安心したいという八幡のエゴである。

 

「……2人? ……ああ。あなたの横で寝てるわ」

 

 まさかそんな反応が返ってくるとは思わなかったが。

 

「ッ!? っつ……あがぁ……!!」

 

 急激に振り向いたせいだろう。体の各所が悲鳴を上げ、八幡は仰向けに倒れ込んだ。

 

「ん〜むにゃむにゃ、ですからハンバーガーにポテトを挟むのは邪ど……ぐぅえっ!?」

 

 そして。確かに八幡の隣で寝ていた氷の鳩尾に八幡の肘鉄が重なり、彼女の寝言をぶった斬る。

 

「あぐ……ぐぅ……むにゃむにゃ」

 

「……こいつに何か変な薬を嗅がせたんじゃないだろな」

 

 しかし、1秒ほど悶絶しただけでまたすぐに寝息を立て始めた氷を見て、八幡はイロイロな恐怖を飲み込めず、冷や汗を垂らした。

 

「……それは知らないけれど、彼女達は一応貴方達と同じ客人として扱うことに決めたらしいわ。貴方が運ばれた後、材木座さん? が貴方の代わりに父達と話していたみたいだし」

 

 そう、愛梨は八幡の目を見て話す。覗かれてるような居心地の悪さを感じて八幡は彼女から目を逸らし、

 

「なるほどな……じゃ、安心だ——」

 

「…………オイ、いつまで人の顔面鷲掴みにしてる気だこのやろう」

 

「……ひっ」

 

 指の隙間から覗く翼の鋭すぎる眼光に、怯えた声を洩らす。

 

 同じ姉妹でも寝付きの良さは別。いや、氷はそもそも寝付きの良さとは無関係な気もするが——

 

「……言っとくけど。わたし達があんたのそばで寝てんのは、あんたの近くが一番安全だから。……それを脅かすならぶっ殺す」

 

 爛々と輝くその瞳に温度がないのは、込められた意思が殺意だからなのか。

 

「危険物には触りたくない主義だから安心しろ。事故だ」

 

 謝罪の意味を込め、ているのかどうかは不明だが八幡は翼の頭をゆっくりと撫でる。

 

「ん……なら、いい……」

 

 ぽす、と意識を失って八幡に寄りかかる翼。オリジナルである雪乃よりもかなり軽い小さな体をゆっくりと布団に寝かせ、自分は2人に触れないよう、這い出る。

 

 その光景を黙って見ていた愛梨は、

 

「……恋人?」

 

「そんなわけ無いだろ。むしろ敵同士だった」

 

「……」

 

 2人を起こさぬよう、愛梨も八幡の後を追いかける。

 

 障子の前に立つ八幡の横顔は何かの後悔に追われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「妹とか一条の説明は?」

 

「演算が必要ない魔法……とか、超能力……とか、色々言っていたけれどイマイチ理解出来なかったわ。魔法式無しで魔法が発動するわけ無いもの」

 

「了解。まずそこからだな……」

 

 氷達が寝ている部屋のすぐ外の縁側。

 

 八幡が寝ていた部屋の内側は破壊の痕跡が見られなかったものの、一歩外に出れば柱にヒビが入っていたり、この場所から見える向かいの屋根の瓦が剥がれていたり庭の木が折れていたりと、先の衝撃による影響はあちらこちらにみられた。

 

 ただ、もう夏だというのに涼しさを感じるこの時間。外に出て作業をしている人間はいない。

 

 静けさに加えて人がいないという寂しさが、八幡と愛梨の存在を際立たせている。……そんなふうに、愛梨は感じていた。

 

 部屋から持ち出した座布団を床に敷いて座る愛梨の視線は、隣であぐらをかき、伸びた髪をゴムでまとめる八幡の横顔だけを見ている。

 

 見惚れていた、とも言う愛梨の行為は、八幡が彼女に振り向いたことで誤魔化さなければならなくなった。

 

「……なぁ。魔法が……ん? どした?」

 

「……はっ、え、え……!? ……な、なんでもないの! ……なんでもない! ない……!」

 

 元々、自分が八幡から力を奪ってしまったというのにも愛梨は半信半疑だ。

 

 久しく感じていなかった怒りの感情が魔法を顕現させたのかも知れないと思っていたし、具体性が何一つないいろは達の話もイマイチ信じ切れずにいた。

 

「……それじゃ話を戻すが、魔法はそもそも想子を消費して頭ん中で組み上げた設計図をぷ——じゃなくて、設計図を現実にする為の事象干渉力と共に現実世界の情報座標に投射する。これは知っているな?」

 

「え、ええ」

 

「んで、これが根本的に間違っている」

 

「……ええ!?」

 

「……いや、魔法の作り方という意味では間違っていないが、魔法が存在できる理由としては間違っている、と言った方がいいか」

 

「間違っている……? 数式も答えも合っているのに、何が間違っているというの?」

 

「答えが合っていなかったから、あんたはここ数ヶ月魔法が使えなかったんだろ」

 

 八幡のこの一言が、愛梨に興味を引き寄せた。

 

「……!」

 

 しかし、そこまで強い引力のようなものを感じてはいない。漂ってきた香りに気付いて、それの元が気になった——その程度の興味でしかなかった。

 

「……実際にどこがどう間違っているとか指摘するのは色々と都合が悪いから説明はしないが、大体で言うと魔法式自体に元々「欠陥」があって、それだけでは絶対に発動しない。じゃあ何で欠陥がある状態で魔法が発動しているのかといえば、それは世界に満ちている『人類に観測できないエネルギー』がそれを補填しているからだ」

 

「……貴方の言う通りだとすると、魔法式に足りていないのは魔法を現実にさせるエネルギー、ということ?」

 

「大体はそうなんだと思ってくれればいい。純粋なエネルギーそのままが必要とされているわけじゃないけどな。……で、その欠陥を補った魔法式のひとつが、お前に宿っている【文明の雷姫(ルーサ)】だ」

 

「ルーサ……」

 

「【文明の雷姫】が持つ権能は雷撃とか磁力とか電子制御とか雷・電気に関する力の掌握。放出系統の魔法と違うのは、能力が肉体に影響を及ぼす点だ」

 

「影響……?」

 

「ちょっと斬るぞ(・・・)

 

 その動作に、音は無く(・・・・)

 

「え? ——っ、……あ?」

 

 言葉と八幡の動き、どちらが速かったのか。愛梨が自分の右腕(・・・・・)を切り落とされたと気づくのに、瞬きを挟まないといけなかった。

 

「ひっ————」

 

 悲鳴を上げ、上げかける愛梨。

 

落ち着け(・・・・)。もう治ってる」

 

 しかし。

 

「…………ゑ?」

 

 もうひとつ愛梨が瞬きをすると、彼女の腕は元通りになっていた。

 

 愛梨は今の光芒の中で何もしていない。ただ驚き、ただ叫ぼうとしていただけだ。

 

 最早、腕が切り落とされた事さえ錯覚だったのではと思ってしまう。

 

 ……床に、自分の腕が落ちていなければ。

 

「………………」

 

 目を見開いて自分の腕と転がる腕を交互に見る愛梨は、呼吸さえ忘れていたかもしれない。

 

「傷を負う。能力が傷を癒す。信じられんだろうが、その効果は骨や神経、失くした筋肉までもを復活させる」

 

 愛梨がその腕に触れる。するとその腕は触れた箇所からバチバチと音を発し、雷に変わってやがて消えた。

 

「そして、あんたの自己再生の場合、その速度は光速に匹敵する」

 

 ほんの少しの焦げ跡が残る床をただ呆然と見つめる愛梨。

 

 彼女は八幡が口にしている言葉の1割すら、聞き取っていなかった。

 

 能力を使用した。二度目だ。

 

 流石にそろそろ、気づくべき頃合いか。

 

「……?」

 

 愛梨の視界の端に、何か蠢くものがある。

 

 黒くて、小さくて、最初は虫かとも思ったそれ(・・)

 

(……っ!?)

 

 気付いた時には、愛梨の視界いっぱいに体積を増やしながら彼女の眼前に迫っていて。

 

 ガブぁ。

 

 喰らわれる。

 

 でも。

 

「————————あ」

 

 瞬きひとつ。それで、その悪夢は消え去っていた。

 

 正気に戻った愛梨の視界には、愛梨が壊してから何も変わらない縁側と床であぐらをかく八幡の姿。

 

 その幻覚は錯覚だった。

 

 しかし、その幻覚が消え去り、彼女の体感時間が現実と同調した時。

 

 彼女はもう。

 

 ■■することを。

 

 終えていた。

 

「正確には、お前が能力を得た瞬間からお前は本当の意味で傷を負うことがなくなる」

 

「……」

 

 しかし、まだ。

 

 ダウンロードが終わったからといってインストールが終了していない以上、彼女はまだその事実に納得できない。

 

「どんな傷を負ったとしても、それは『ただ切れただけ』『切り離されただけ』という現象に留まってしまうからだ」

 

 彼女がそれを完全に理解するまで、あと数十秒。

 

「……、待って」

 

「これは情報世界のエイドスにおいても同じ事が言えて、どんな魔法の影響を受けていたとしても最終的には」

 

「待って…………ちょっと待って! 一体何の話を(・・・・・・)しているの(・・・・・)!?」

 

「……なんのって、お前が俺から奪った力の話をしてんだろが」

 

「こんなの魔法じゃない。……欠陥を補ったって、それだけでこんな、奇跡なんて目じゃないレベルの業を発現させるなんて……」

 

「……今のお前の言葉、魔法が使えない一般市民の魔法師に対する評価と同じだぞ」

 

「……っ!」

 

「人間じゃない。魔法じゃない。価値観なんて人それぞれだが、やってる事はただの差別だ。受け入れた方がいいぞ、目を瞑るよりも」

 

「……で、でも、どうしてこんな力が、私に……」

 

「知らねえよ。お前に引き寄せられたのが【文明の雷姫】で、俺がお前に……触った、から……」

 

 震える、握りこまれた八幡の拳。その悔しそうな表情からは余程後悔していると感じる念が——

 

「……………………」

 

「……なんだよ」

 

「……そこまでおぞましい顔をされるとイラつくわね」

 

 ——八幡の苦虫を噛み潰したかのような苦悶に満ちた表情には、ただ単純に嫌悪というその二文字が浮かんでいる。

 

 それは、愛梨の混乱を吹き飛ばすほどの不満で。

 

 照れでも恥じらいでもないあんまりな評価に、愛梨の中で八幡への対抗心が生まれた。

 

 誇るつもりはないが、愛梨も自分のスタイルに自信はある。彼女の友人をして「平均的」と言われるくらいには育っている筈だし、美しさで同年代の少女達に劣っているとは考えていない。

 

(私の裸姿を目にしたくせに、体に触れたくせに! 何で後悔してるの……!?)

 

 胸の内に湧いた悔しさ。何故自分は悔しいと思っているのか、そもそも悔しさを感じる必要すら無いということに、少女は気づかない。

 

 しかし、それとは別に(・・・・・・)

 

「……はぁ。……ま、これで理解しただろ。お前がどんなにやばい力を持ってしまったのか、という事に」

 

 思わず立ち上がってしまった愛梨の顔を見上げる八幡。視線が交差して、愛梨は彼の瞳にあるもの(・・・・)が欠けていると気付いた。

 

 それは、彼女にとっての反撃の狼煙だった。

 

 ——ゼロ。

 

 それと同時に、愛梨は軽い目眩のようなものを覚えた。

 

 それは、知識の流入。

 

 元々愛梨には存在しない、知らない記憶が脳内に溢れる。それは【文明の雷姫】が持ち込んだ、【文明の雷姫】自身が蓄えた記録。

 

 1秒にも満たない立ちくらみの後、彼女は理解した。

 

 自分に欠けていた感情。目の前のこの男に溢れている感情を。

 

「……ええ。貴方、こんなに大変な能力をあと数十個持っているのね」

 

「…………!」

 

「それと——」

 

 愛梨は口を閉じた。

 

「!?」

 

 しかし、声は八幡の脳裏に響き続ける。

 

「(……こんな風に、口を閉じていても意思の疎通ができる)」

 

「……っ!」

 

「(他の子はどうか知らないけれど、たとえ貴方が望んだとしてもこれ以上他者に能力を奪われないよう、貴方と貴方の力の結びつきを強化した結果、こうして私と貴方の間にパスが出来た。……面白いわね?)」

 

 不敵に笑う愛梨。彼女に睨まれた八幡は、ほんの少し焦りを顔に浮かべた後、萎れたように床に座り込んだ。

 

 それは諦めで、全てを知られてしまった自分に向けられるであろう憐憫や同情を覚悟した顔。

 

 弱点という受け皿を用意する事でその下には踏み込ませない。それより上の全てに対する準備を終えた、余裕ある顔。

 

 しかし、愛梨はその皿を砕き割る。

 

 偶然に知ってしまったこと。その偶然が引き寄せた力だからこそ、無関係ではいられないから。

 

 八幡に、【文明の雷姫】を取り込む事で彼への理解を進めた愛梨が問いかける。

 

「……貴方、どうしてそんなに怒っている(・・・・・)の?」

 

「……怒っている? 俺が? ……ああ、別に俺の態度は元々こんなもんだし、お前にはもう怒ってなんかないから安心しろ」

 

 そう言って薄ら笑いを浮かべる八幡。だが、彼女が今まで遭遇した事のない怖さが今の八幡にはあった。

 

 触れてはいけない核心に触れた時の、決して肯定できない拒絶。

 

 竜の逆鱗に触れたという感触が愛梨には確かにあった。

 

 それでも、愛梨は前に進む。

 

 選ばなければ何かを間違う(・・・・・・)——そんな前提も何もない、悪寒じみた直感と共に。

 

 そして。

 

 まだ数時間、出会ったばかりの男の子に、愛梨は踏み込み過ぎていた。

 

「いいえ、そうじゃない。……貴方は、何かに(・・・)怒っている(・・・・・)。人や出来事にじゃない、遭遇したことすらない何かに、貴方は怒っている————」

 

 流れてきた知識は、当然のように全て愛梨の知らない記憶だった。

 

 だが、その中でも特に、厳重に隠されていたもの。

 

 気にしないよういくら厳重に固めていても、見ない見ないと意識してしまうからこそ簡単に見つけられて、挙句触れるだけでするりと解けていくトラウマ。それが、八幡にとっての〝怒り〟だった。

 

「————お前」

 

「……っ」

 

 一瞬、目を合わせた筈の八幡が愛梨の目に映らなかった。

 

 そう思い込んで、知らずのうちに自分が目を逸らしている事実を否定してしまう程、再び見た彼の目はどす黒く濁っていた。

 

 それは、紛れもない比企谷八幡という人間の本性——その、ほんの一部。

 

 ある種、彼女は熱に浮かされていたのかもしれない。

 

 情報を得てしまったことで、触れない方が明らかに賢明になれた八幡の禁忌に触れてしまった。

 

 しかし、それでも。

 

 

 

『あう、うぁ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』

 

 泣きじゃくる紅葉(・・)色の少年。

 

 透明なクリスタルのペンダントを握りしめて、未来()の姿からは想像もできないほどみっともなく泣き崩れている。

 

 美しさなどカケラも無い見苦しさの塊。しかし、そこには確かな熱があった。

 

 

 

〝世界を変える〟——絵空事を本気で覚悟した少年の、すべてのはじまり。

 

 記憶の最奥にて愛梨が垣間見た、幼き日の八幡。

 

 泣きじゃくる少年が小さな瞳で見据えるのは、誰にも見えない、少年だけが理想とする世界。

 

 誰もが笑うし、誰もが泣く。でも、誰も失われる事のない世界。

 

 誰も不満を抱く事はなく、誰もが真に満ち足りていて、何よりそこには偽物が無い(・・・・・)

 

 でも、その世界は明らかに、ひとつ間違っていて。

 

 達成されたところで、「少年が」幸せになるビジョンが存在していない。

 

 それでは意味がないのに。

 

 誰かが幸せでも、八幡がいなければ、彼を知る人間は心に爪痕を残すだろう。

 

 ——どうして。

 

 幸せを望まないのか。

 

「……あー、ちょっといいか」

 

「……なに、かしら」

 

 開きかけた愛梨の口は、八幡の言葉によって遮られた。

 

 それは明らかに話題の切り替え、追及の断絶だった。

 

「先に説明しなきゃいけないことは全部伝えた。というか、お前自身理解した筈だ」

 

 その口調は自分の黒歴史を知られていると自覚しているとは思えない、今まで通りの喋り方。

 

 隠しているつもりなのかわからないが、最早八幡と感覚を共有してるとすら言っていい愛梨は、彼の心を鋭敏に読み取っていた。

 

「ええ。あなた(・・・)の力を得た人間は、元々その力を持っていた貴方に惚れてしまう——なんて、貴方が思い込んでるところもね」

 

「……わかってんなら口にしないでくれるか。恥ずい」

 

「それについていくつか、私から指摘したい事があるのだけど」

 

「……何だよ」

 

 不貞腐れた顔の八幡。愛梨はそんな彼の顔も可愛らしいと思いつつ、自らの胸に手を当てた。

 

「貴方と貴方の能力は繋がっているから、その引力に感情が引っ張られるという理屈はなんとなく理解できる。……でも、それだとおかしいじゃない」

 

「……何が? 現に、今まで能力を渡した奴らは全員俺に求婚してきてんだぞ。そうでなくたって雪ノ下なんかは純粋で……あり得ないだろうが」

 

「昆虫食に対する拒絶反応と似たようなものかしらね。馴染みがないから、気味が悪いとか」

 

「そういうんじゃない。心理学的に、生物学的に人間の在り方としておかしいんだよ」

 

「人間関係で『本物』を欲するあなたが、そうやって人の気持ちにフタをして人の気持ちから逃げるというの?」

 

「…………」

 

「……ああ、そういう話がしたいのではなくて」

 

「……お前から始めた癖に……」

 

 先程よりもほんの少し空気が和らいでいる。あくまでほんの少しだが。

 

 それは彼の内側に踏み込んだおかげか——なんて思いながら、矛盾を解消する為に愛梨は続ける。

 

「あなたの力は、元々はあなたが持っていたものではないでしょう?」

 

「……! ……そこまで見えてんのかよ」

 

「あなたがその人(・・・)に恋心を抱いていたというのも、それなら納得が出来る」

 

「暴露やめてくんない。隣で人が寝てるんですけど」

 

「あなたが寝てる横でいろはが皆に喋っていたわ」

 

「アイツあとで〆る……」

 

「それで、此処からがわからないところなの。あなたは力を保有して使えるというだけで、資格は何も持っていない。単純に言えば、あなたが『文明の雷姫』の所有者だと証明するものが何もない」

 

「だろうな。けど、あんたがその力を放棄すれば自然と俺の元に戻ってくる。そういうのを所有者って言うんじゃないか」

 

「それは、あなたの先代……桜井穂波さんがあなたの中にいるからでしょう?」

 

 八幡の顔が、水が油に変わったかのように、わかりやすく変わった。

 

「……………………は?」

 

「正確には、あなたはまだ所有権を継承していない。所有権は桜井さんが死亡して初めて継承されるものだから。そうでしょう?」

 

 考えもしなかった。盲点だった——そんな風に八幡は考えていた。

 

「…………」

 

「だから、あなたの周りにいる女の子達はあなたの力に引き寄せられた訳じゃない」

 

「……、じゃあ」

 

「かといって、桜井さんが引き寄せているわけでもない。そうだったなら、私もあなたの中に別の誰かを感じていただろうし」

 

「…………」

 

「というわけで、あなたがハーレムの中心にいるのは女の子達の勘違いでも何かの間違いでもなく、あなたが事を為してきた結果よ」

 

「……! ……ぐ、ぅ……」

 

「少しひたむきにやり過ぎじゃないかしら。あなたは何でもかんでも必要な事に首を突っ込んで、物事の前後すら無視して行動してきた。けれど、人と人の間にはちゃんと恩義と接点が生まれるんだから、それを無視した結果ね」

 

「……う、……!」

 

「……まぁイロモノばかりが集まってしまったのは少しだけ同情するけど。その年でもう童貞捨ててるって貞操観念どうなってるのよ」

 

「うるさい」

 

「……要するに、それをあなたが負担に思う必要はないってこと」

 

「————」

 

「女の子を救うのは結構だけど、その女の子にはちゃんと自分の意思があって自分で行動してる。だから、『余計なお節介』はいいのよ」

 

「……余計な、お節介、……ね」

 

「自分と関わった事実を無かったことにしようとするのは、全くの無駄でしかないわ」

 

「……なんだと」

 

「だってそれ、後腐れなく関係を無かったことにするという事だから、それまでにより集中してその子に関わるということなのよ。逃げ切れるわけないじゃない」

 

「……え」

 

「『それほどまでに自分を大切にしてくれている』——そう思い込む子たちが何人いると思ってる? それくらい一途なオトメがあなたを逃がす訳ないじゃない」

 

「……………………」

 

「あなたが彼女達にこれ以上出来ることは、女の子を救わないこと。関わらないことよ」

 

「……はっ、そんなん余裕」

 

「あなたが手を貸さなきゃ死ぬって状況でも見捨てないといけない」

 

「……、」

 

「それが出来てから、負担だとかそれ以降を考えなさい」

 

「……余計なお世話だ」

 

 その言葉で、2人の会話が終わる。

 

 元々、知識の中の興味本位で話しかけていた愛梨だ。彼女が八幡をこれ以上追及する理由はない。

 

 言葉の裏で八幡の背負う重荷を軽くする、という愛梨の思いつきは失敗したように見えた。

 

「…………」

 

「……え、そんなに簡単に『八幡フラグ』って立つものなの?」

 

「……っ!」

 

 見えただけで、中身の方は愛梨には丸わかりだったが。

 

 顔を真っ赤にしてそっぽを向き、頭を抱えて唸る。

 

(……あなた自身の惚れやすさをどうにかしなさいよ。……あ、これも聞こえてるのか)

 

「……ほんと、にやめてくれ……」

 

 羞恥8、嬉しさ1、照れ1割合の瀕死状態で愛梨を睨め付ける八幡。

 

 中々の良さ。本当に胸にクる。

 

 でも、これで終わり。本当におわり。

 

 恥ずかしがる八幡の姿を十分に堪能(・・)したところで、可哀想と思う気持ちが湧いた愛梨は話題を変えた。

 

「……ちなみに、あなたはこれからどうするの?」

 

 愛梨の質問に、顔の赤みが引かない八幡はこう答えた。

 

「明日。会いたい人間がいる」

 

 明日は日曜日。八幡が会いたい人物。つまり、

 

「あなたの協力者?」

 

「俺というより比企谷の、だけど」

 

「そう。活動拠点はしばらくウチにするのかしら」

 

「少なくともイチジョウの件が片付くまではな」

 

「……誰に会うのか、聞いてもいい?」

 

 この質問は、別にしなくても良かった。

 

 ただの気まぐれに過ぎず、ほんの少し気になっただけだ。

 

 しかし、この質問が無ければ、明日の愛梨の予定はまた違ったものになっていたかもしれない。

 

 愛梨の質問に、何故か思案顔の八幡。

 

「……あんたって、三高に知り合いはいるのか?」

 

 肯定する。すると次に八幡は「その中に生徒会のメンバーはいるか?」と訊いた。

 

「……一応、今も私は生徒会役員よ。家で仕事もしているから」

 

「それじゃ、あんたなら三高の生徒会室まで行けるな」

 

 用事で会うのなら、約束や予約を取り付けているのだろう。しかし、そこで愛梨を頼る理由がわからない。

 

 学園内ならば学内マップを確認しながら行けば迷うことはない筈だし、通行に必要なパスも学園が発行してくれているはずだ。

 

 なのに、わざわざ愛梨に頼ろうとするのは生徒会長との仲介役でも頼もうというのか。

 

 ……たしかに、あの(・・)生徒会長をまともに相手したくないというのは理解出来なくもない。

 

 愛梨は引きこもってはいるがコミュニケーション能力に支障がある訳ではないので問題はない。しかし、それならば必要な『態度』というものがあるだろう。

 

「……行けるけど、その、『あんた』って呼び方やめて。トゲのある距離の取り方みたいで嫌」

 

「一色姉」

 

「製品番号みたいで嫌」

 

「……一色、でいいだろ。妹と一緒の時は呼ばないから」

 

「……うん、良いわ」

 

(なんだこの間)

 

「……それじゃ、生徒会室まで連れて行ってくれるか。生徒会長に話がある」

 

「わかったわ。……ええと、ウチに編入するという事?」

 

「まぁ、だいたいな。あとは、この後について色々と相談したりしなきゃなんねえし」

 

「この後……?」

 

 九校戦だろうか。と、愛梨が考えたところで八幡が答えを出した。

 

「十神対策だ。予知通りなら、イチジョウとの決戦は丁度九校戦とぶつかる。それも競技の真っ最中にな」

 

「ああそう、十神……十神!?」

 

 まるで、講義内容でも確認されたかのような気軽さで言いのける八幡に、【文明の雷姫】から得た情報により十神を理解していた愛梨は思わず、八幡の顔を二度見。

 

「あんな化け物が出てくるなんて、間違いなく犠牲者が出る……よりによってなんで九校戦なんかに……」

 

「そりゃ、奴の本体が九校戦が行われる富士演習場の真近く、富士の樹海の中に封印されてるからだろ」

 

「……そうなのね。それなら納と——え」

 

 三度、八幡を見る愛梨。

 

 何を言ってるんだ、とでも言っているかのような目で八幡は愛梨を見返した。

 

「十神の中で居場所を掴めていないのは四神だけ。半分以上はその本体の居場所がわかってる。……何せ、ヒキガヤは十神に対抗するために一〇〇〇年以上の時間を掛けてきたんだからな。それくらい知ってて当然だ」

 

 それを訊いて、愛梨は今更のように。

 

「……これ、全部聞かなかったことにして明日から普通に暮らすのはダメかしら」

 

「世界の真実をいくつか知っといてそれはねぇだろ。記憶をリセットして力も返してくれるってんなら出来んこともないが。ただその場合、お前の魔法力は今度こそゼロになるけどな」

 

「ぜ、ろ……くっ」

 

 力の消失。それは、愛梨を最も苦しめていた鎖。その鎖に再び繋がれるどころか、それまで希望にしていた魔法でさえ失ってしまうのだという。

 

「余剰想子を作る機能を心臓が持たなくなる。つまり、いくら魔法式を知っていても魔法は使えなくなる。それでもいいなら、」

 

「いい訳、ないでしょう……」

 

 悩む間も、なかった。

 

 我が身が可愛いというだけではない。戦略級魔法すら優に超えるこんな特殊な力を、あと数十個も持ち合わせているという比企谷八幡(こんな爆弾)からほんの少しでも目を離した時、一体世界はどうなるんだ——という危機感が、彼女の首を横に振らせていた。




実は一番出てないサキサキの設定を一番最初に考えてたりする。

一高と三高の表記を間違えてました。ゴメンナサイ。
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