やはり俺が十師族を守護するのは間違っている。   作:ハーマィア

57 / 62
人の心は憎しみよりも愛が勝つ。

愛は依存性が高く、憎しみは腐りやすいからだ。




十神・サエグサ

 それは、少女が今までに味わった事のない感覚、体験だった。

 

 生き物の気配がしない。

 

 まるで、その場所だけが全く別の領域に侵されたかのような、異物感ではなく喪失感がある。————だというのに。

 

 ちょうど人型にくり抜かれた空間に、何か別のものが収まっていた。

 

 堪えようのない恐怖だ。

 

 四十九院沓子は、そのヒトガタを見て冷や汗を止められずにいた。

 

『未知というものは確かに恐怖だ。だが、そんなものより、何も無い——〝虚無〟以上に恐ろしいものはないんだよ、沓子』

 

 沓子の脳裏に、かつて父親に教わった言葉が駆ける。

 

『零は終極だ。虚無は結末だ』

 

 知ることで踏破できる未知とは違って、虚無に対抗できる術は何も無い。頂点がゼロなのだから、それより下に潜り込む隙が無いのだ。

 

 だがそれでも、それ自体が放つ威圧感は拭いきれないものとばかり思い込んでいた。

 

 実際にその存在を、目にするまでは。

 

 十神サエグサ。

 

 そう名乗った瀕死の女は、挨拶を終えると八幡に向かって歩き出した。

 

(……じゃが)

 

 沓子の前には何も無い。正確には、何も感じ取れない。

 

 次元の違う力というものは、基準とするべきものが世界に何もないが故に観測することが出来ない。

 

 沓子は間違いなく1人の女を目の前にしているのに、そこには何もない(・・・・)のだ。

 

 女がいる。死にかけだ。頭ではそう理解している筈なのに、沓子の小さな耳とくりくりとしたつぶらな瞳以外の感覚が、全力で何も無い事を告げている。

 

「比企谷さま♪ サエグサがお迎えにあがりました……。お迎えというかお誘い——襲いというか。夜這いですけど☆」

 

 軽やかな足取りで、しかしその見た目などは何の価値もないのだと言わんばかりの不釣り合いさで歩み寄る女。

 

 眠る八幡に歩み寄ろうとするサエグサの前に、沓子は立った。

 

「ちょっと……待ってくれるかの」

 

 その歪さを前にしてとりあえず立ち塞がったというだけでも、沓子は十分に抗って、動いていた。

 

「……お話ですか? お断りします。比企谷さまとお話をしたいので」

 

 和かに、しかしはっきりと拒絶の意を示す十神。これ以上はないと言外に言い渡される中で、沓子はさらに踏み込んだ。

 

「夜這いというにはまだ明る過ぎる。それに、お主がどのようなことを企んでいたとしても行為の最中に動けなくなってしまっては意味がないと思うが?」

 

 サエグサに対し沓子の取った行動は、答えを期待してのものではない。

 

 十神を名乗ったこの女が本気で行動するつもりなら、沓子が何をしようと意味をなさないからだ。

 

 故に、賭けに出た沓子の目的は時間稼ぎ。

 

 八幡がこの女の気配に気づき、目を覚ますまでのわずかな時間でいい。

 

 たった数秒。それだけの為に、沓子は自分の命を散らす気でいた。

 

 だから、サエグサのこの反応は沓子にとって予想外と言うしかなかった。

 

「……ああ! ま、まぁ、夜這いというには確かに明るさに過ぎますわね。わたくしも人の目は一応気にしますし。——こうしましょう」

 

 何故か少し顔を赤くして、照れた様子のサエグサはパタパタと手で顔を仰ぎ、パチン、と指を鳴らした。

 

 魔法式は見えない。十神は魔法を使えないとは聞いた事があるが、何をしたのか沓子にはわからなかった。兎も角、見た目上の変化は無い。

 

「ん……?」

 

 ——突然、空が暗くなった。……いや、曇った(・・・)だとか、そんな生ぬるいものではない。

 

 雨が降るなんて予報してたか、と沓子が思う間も無く、既に起きていた変化は急加速していく。真水にスポイトで色素を次々と入れて真っ黒にしてしまう様に。

 

 空の薄暗さが赤みを帯びたかと思えば、瞬きの後に見上げるこの昼空は、大小様々な星の煌めく夜空となっていた。

 

「……………………は?」

 

 目の前の光景が沓子の把握能力の限界を軽々と超えて、彼女の脳はショートした。

 

「…………?」

 

 右を見る。左を見返す。沓子と同じような顔をした少女達が、沓子と同じように空を見上げている。誰1人、理解できたという顔をしている者はいない。

 

 沓子もそうだ。この光景を目にしたからといって、誰が頷くことが出来ようか。

 

「……、……」

 

 ことばがかたちにならない。

 

 誰もがその異常事態に立ち震えている最中、それを引き起こした当人はくすくすと嗤う。

 

「時間を『夜』にしました。これで思う存分楽しむ事ができますわね?」

 

「……、あ」

 

 恐怖心。沓子の心内に生まれた感傷はまさにそれだが、それこそ波のように定まらなかった沓子の思考が元に戻るきっかけとなった。

 

「……ま、まて!」

 

「……まだ何か?」

 

 横を通り抜けようとするサエグサの肩を掴んで、沓子は問いかける。

 

「一体何をした!? 昼を夜になど……まさか、地球の自転を弄ったのか!?」

 

「地球の自転……? いいえ。そんなものより、もっと手っ取り早く」

 

「は……?」

 

「……ほら、そろそろ身体が追いついてきた頃でしょう?」

 

 言葉とともに、サエグサは自分の手を自分の目に覆うように被せて、——数秒もしないうちに今度は沓子達の方にも変化が現れた。

 

「————? なん、だ……?」

 

 最初は、目眩のように瞼が重くなった。しかしそれだけではなく、続いて沓子の体が影響を自覚する。

 

(————く)

 

 心が重い、いや心が軽い。浮いてしまう。

 

 意識がふわふわとして、まるで泥酔しているかのように思考が定まらない。

 

 だのに、ずぶぶぶと沈んでいく感覚がある。頭が重いのだ。

 

 物理的な重量の変化ではない。これはむしろ、精神的な攻撃に似ている。

 

「……眠くなる……精神、操作系か」

 

 手元のCADにすら手を伸ばせない。立っているだけでも精一杯で、あと少しでも気が緩めば、沓子は意識を失うに違いない。

 

「いいえ? それは貴女自身が抱えた疲れです。頑張った日の夜って眠くなりますでしょう? わたくしは現在の時刻を夜にしましたので、その夜という時間に従って貴女達の体内都合が合わせられたのですわ」

 

「…………!」

 

「ただ……地球を真っ逆さまにしようと思えばできないこともありません。が、すごく調整が難しいので、手元が狂って氷河期とかに突入しちゃったらごめんなさい☆」

 

 裏ピースを目にあて、足を半歩開き、沓子も見たことのないポーズをキメたサエグサ。

 

 沓子は、奇妙なポーズをとるサエグサの姿を最後に——眠りについた。

 

 そしてサエグサは、裏ピースをそのまま自らの頬に当て、うっとりと陶酔した表情を浮かべてにへら、と口を歪める。

 

「ああああああ。とても、とてもとても楽しみですわ」

 

 見た目で既に淑女ではないこの変態は、ぼろぼろと妄想を吐き連ね始めた。

 

「嫌と言っても責め続けられて、やがてそれを受け入れて、自ら求めるようになってしまう……惰性と求性の螺旋……あはぁ、とんでもないほど淫靡な旅が愉しめそうですわぁ……」

 

「……うわぁ」

 

 雅音の言葉である。——彼女は、倒れた沓子とは違ってピンピンしていた。

 

 むしろ夜になってからが本番と言える雅音の生活は、早寝早起きの規則正しいリズムを繰り返す沓子とは異なり、眠気などはもたらさないらしい。

 

「あはは……絶滅かも?」

 

 雅音の他にもかおりにも影響がない。そして辺りを見回してみれば、サエグサの作り出した夜の影響を受けていないのはかおりと雅音の二人だけ。玉縄や愛梨達は沓子のように眠ってしまっていた。

 

 だが、雅音と違ってかおりは夜型の生活サイクルではないし、雅音よりも玉縄の方が昼夜逆転の生活を送っている。

 

 そして何より、十神が〝わざわざ口にして指定した効果〟の強制力は人間の操る魔法の干渉力とは完全に別次元のものであり、比べ物にすることは叶わない。

 

 故に、雅音とかおりの二人がサエグサの影響を跳ね除けているのには、精神性とは別の理由があった。

 

「それよりも……だけど」

 

 雅音とかおりが無事でいられる、驚きの理由はなんと——その前に。

 

 性欲の化身の様な少女にドン引きされて尚、サエグサの妄想は止まってはいなかった。

 

「まず、相手の身体に噛み跡を残す、というのもやってみたいですわ。痛みを伴う鮮烈なセックスは勿論、愛に溺れて何をしたかまでは何も覚えられない……そんな夢中になるくらいのセックスも。……指で、口で、胸で、全身で。お互いの愛液に塗れて、どろどろに溶け合うまで愛し合いますの」

 

 まさかの連呼に、雅音は思わず八幡の耳を押さえた。

 

「……ちょっと耳塞ぐぞ比企谷。目覚めなくする呪文かもしれない」

 

「■■■——? ■■■■……×××。×××!」

 

 聞くに耐えないとか、もはやそんなレベルではなかった。

 

 その後もおよそ三〇分、重ねた妄想を述べに述べたサエグサは尚も喋り続けている。

 

「わたくし達に寿命なんてくだらないものはございませんし、まずは700年。たっぷりと2人だけの時間を過ごすつもりですの」

 

 げんなりとした表情でサエグサの妄吐を聞いていたものの、とある事に気づき、横を見るかおり。

 

「……ねえ雅音、これって」

 

 八幡を守るために横に移動していた雅音も、かおりの問いかけに頷いた。

 

「……ああ、うん。多分、彼女……」

 

 悪魔の如き口からの呪詛、天使のような瞳の輝き。

 

「以前にお誘いをかけた時は雑草のようなあの村娘に取られてしまいましたが、今度こそは何回も何回も何回も何回もふふへあふふふふ」

 

 二人はサエグサを見て確信した。

 

「……ちょっと、いいかな」

 

「はい……?」

 

 くねくねとした動きを繰り返すサエグに、雅音は声をかける。

 

 サエグサは、夜でありながらも何故か平然としている雅音にわずかばかり動揺した様子で、反応を見せた。

 

「……どうして、起きていますの? 普通の人であれば就寝している時刻だというのに」

 

「ああ、それは——」

 

 素直に説明に入ろうとしていた雅音の袖を引っ張って、かおりが止めに入った。

 

「……ちょっと雅音、そんな簡単にバラしていいの?」

 

彼女も沓子と同じように八幡を目覚めさせれば何とかなると考えていたので、出来るだけ会話を引き伸ばそうとしていたのだ。

 

 しかし。かおりの問いかけに雅音は堂々と答えた。

 

「……うん。だってきちんと教えないと、多分私たち殺されるし」

 

「……!」

 

 目の前にいるのが十神だということを、かおりは少し忘れていたのかもしれない。

 

 対等な立場ではないという認識を、かおりは改めて得た。

 

「……ええと、あたしの体は——」

 

 笑みを保ったまま自分に対して視線を注ぐサエグサに、かおりは返す為の笑みを浮かべた。

 

(……ウケる。膝どころか全身が震えて笑ってる……!)

 

 それから二分間。かおりが口を開く間に放たれた言葉の全ては自分の能力説明に使われた。

 

 出来るだけわかりやすく、かつかおりが持つ能力の端から端までを簡潔に説明して、語り手は雅音へと移った。

 

「私は、八幡から受け取った能力の副作用でほぼ全ての異能を無効化しているんだ」

 

「『十神(わたくし)』の力を無視できるのですか」

 

「私達の能力は、元はといえば比企谷からもらったもの——だからね」

 

「……………………、…………なるほど、そうでしたの」

 

 頷くまで多少の時間はあったが、それ以上はさしたる興味もなく、サエグサは納得した様子。

 

 サエグサが比企谷を知っている。それを雅音達は気にならない訳はなかったが、そこに触れては話が終わってしまう。

 

「ところで、なにか?」

 

 大きな寄り道を終えてやっと本題に入れる——と思ったところで、雅音は果たしてこれ(・・)が口にして良いものか、伝えて大丈夫なのかと思い始めていた。

 

「……ええと、貴女の愛の大きさは私達には測りきれない、という事は何となくわかるんだけど」

 

 しかし、雅音は元々好奇心に弱く、それ以上に度胸の強さでいえば父親の剛毅をも上回っているのだ。

 

 引き返せるラインはとうに過ぎて見えなくなっている事を察した雅音は、とことん突き進む事に決めた。

 

 雅音がそう口にすると、サエグサはパキ、と音を立てて首を傾げる。

 

「……え? わたくしの愛が、理解……わからない……?」

 

 無明に突き落とされた仔羊のように、雅音が起きていたとわかった時よりも困惑——怒りを見せるサエグサ。

 

「い、いやっ! 君が比企谷を全身全霊で愛してるという事はわかるんだけど!」

 

 慌てて雅音がフォロー(?)をすると、ぽっ、とサエグサは顔を赤くした。

 

「全身全霊……まさにその通りですわ」

 

(うーわちょろっ!)

 

 ひょっとしたら、ホメてノバす暖かい系言葉で彼女を丸めこめるかもしれない、と思いつつも雅音は続きを話す。

 

「…………その、貴女は700年続けられるかもしれないけど、比企谷の方はそんなに続けられるかなぁ……」

 

 会話を伸ばすと決めた上で必要なものは話題とそれに追随する価値、或いは興味。

 

 沓子がそれを始めた時点で雅音もかおりも会話を引き延ばすと決めているが、流石にこれはサエグサの興味を惹き過ぎたかもしれない。

 

「……え?」

 

 困惑から抜け出せないサエグサに「あーもーおわったなー」なんて思いつつ、雅音は言葉を続ける。

 

「特に問題なく続けられるって話は聞いた事ないけれど、一回ごとにインターバルが必要っていうか、賢者モードっていうか……?」

 

 書物で得た男性の事情。実際に雅音は八幡と最後まで添い遂げた事はないので知識でしかものは言えないが、サエグサがこれからやろうとしている事は恐らく失敗に終わる。

 

 その事を暗に、しかしサエグサがそれに気づくような言い回しはないかと雅音が苦悩していると。

 

「……かおり?」

 

「……まかせて」

 

 そこに、八幡を膝に乗せたままのかおりが加わる。彼女は雅音を援護してくれて——

 

「比企谷って結構甘えたがりだし、戻るまではずっと甘えてくるから不満になったりはしないと思うけど」

 

「萎えるというか萎れるというか、私たちとは感性そのものが違うらしくて。一回したらもう終わり——みたいな雰囲気があるんだよね」

 

「そうそう。限界が近くなると何回も名前を呼んで抱きついてくるのに、終わると急に大人しくなるんだよね。相変わらず抱きついてはくるけど」

 

 …………。

 

 なんだかズレてる気がする。

 

「「……え?」」

 

 二人は視線を合わせた。

 

 客観的な情報を話す雅音に対し、かおりのそれはまるで体験談であるかのように主観的で、二人の言葉は明らかに噛み合わない。

 

「お二人とも……いったい、何の話をなさっていますの???」

 

 混乱する二人に、最初から話について行けていないサエグサが挟み込む——と。

 

「……おや?」

 

「「——っ!?」」

 

 それまで散漫だったサエグサの意識が、かおりの膝上に集中する。

 

 視覚情報が半分潰されていようと、恐らくは関係なく想子の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。

 

 サエグサの視線の先にいたのは、かおりの膝枕で眠る八幡。

 

「……?」

 

 だが、サエグサはそこで疑問符を浮かべた。

 

「……比企谷……()? 八幡ではなく(・・・・・・)……?」

 

 サエグサは八幡の容姿を見て戸惑っているが、その戸惑いの理由であろう、その名前に心当たりがなく、かおり達は困惑していると。

 

「——く、う……」

 

 突然、目覚めていた筈のかおりが、かくん、と首を倒して眠ってしまった。

 

 発生した変化はそれだけにとどまらず、かおりの寝落ちを始まりとして、波紋のように広がっていく。

 

 だが、それは稲妻のように一瞬の事だった。

 

「……!?」

 

 ——瞬間、サエグサの作り出していた夜が掻き消える。

 

「……っ!? なんじゃ!?」

 

 眠っている〝状態〟にさせられていた沓子は瞬間的に(・・・・)目を覚まし、顔を上げる。

 

 沓子が目を覚まして初めて見た顔は、空を見上げるサエグサの困惑した表情だった。

 

「……な、どうして、……?」

 

 状況をどう見ても、サエグサが自ら消したのではない。

 

(ということは)

 

 これをしでかしたのは。

 

 たった一人しかいないだろう。

 

 神の権能を否定できる、この場で唯一の対抗戦力である彼——

 

「……その呼び方をすんじゃねえ」

 

 明らかに痛みを引きずる系の(二日酔いの)表情で、いつの間にか八幡は体を起こし、サエグサを睨んでいた。

 

(間に合った——!)

 

 安堵の息が、沓子の内から漏れた。

 

 彼女がそう思うのは仕方ない事であり、八幡が起きたせいで、サエグサを前にして緊張の糸を緩めてしまったのは、間違った選択である筈がない。緩めても緩めずとも、どちらも落とし穴に繋がっているのだから。

 

「……八幡、この女子は知り合いかの? さっき十神などと名乗っておったが——」

 

「ん? ……あー」

 

 悠長に関係などを聞こうとして、沓子はサエグサの変化に気付けずにいた。

 

「ひき、がや……」

 

 ただし。

 

「……っ!?」

 

 十神という彼女は、虫や獣といった思考を持たない存在よりもある種短絡的で、理性や忌避といったストッパーを持ちつつも瞬時にかなぐり捨てるほどに〝八幡に対しては〟歯止めを効かせないらしい。

 

 それを沓子が知る由もなく、彼女が気づいた時にはもうサエグサの手は八幡の眼前に迫っていて。

 

「色々あんだけどな」

 

 それを八幡が察していないというのは、あり得なかった。

 

「限定的な協力者……みたいな扱いというか」

 

「……、あっ……」

 

 耳を突き穿たんとするほどに鋭く左右から襲いかかるサエグサの両腕を八幡は身を捻って躱し、生々しさをさらけ出した胸元から下腹部にかけての傷の中に容赦なく右手を突っ込む。にちゅぬちゃ、と何かを探すようにサエグサのナカを弄る八幡に、サエグサは吐息から艶と色気を滴らせる。

 

「まぁとにかく今回、イチジョウが片付くまでこいつは味方だ。誓ってもいいぞ」

 

 神経といえば皮膚にばかり意識が行きがちだが、身体の中にもきちんと神経は通っている。

 

 それを傷つけるのではなく愛撫するかの如く優しく蕩けるように撫で、————ているように現在進行形で頭がゆでだこ状態の沓子には見えた。

 

「……んっ、……くあっ。んぃ、……ひっぐ!? ……いや、…………っぐぅ! あ、うぅぅぅぅああんっ!? ……ぁう……ああ!」

 

 耳を塞ぎたくなるような嬌声の中で、八幡は平然とサエグサの臓物を掻き回す。

 

「詳しい話はこいつを片付けてからだ」

 

(……な、なんて卑猥な、いやグロテスクなものを……まてまてこんなので欲情するとかうわうわこんなの絶対性癖歪むていうかわし神社の娘じゃぞおおおおおあああああ!?)

 

 サエグサの口端から涎が垂れる。それと同時に、奇妙な光景が顔に当てた手の指の隙間から沓子の前に現れた。

 

 八幡が手を挿れる前は明らかにスカスカだったサエグサの体内が、今や八幡(♀)の手が殆ど身動きできない程にみちみち、と脈を打っている。

 

 先程女の体からずり落ちた中身がその場所から消えていた。そして、よく似た色の艶のあるものが八幡の腕の真上に見える。

 

「————!!」

 

 明らかに、サエグサの体に欠けていたパーツが元に戻っていた。

 

 八幡が何故そうしたのかは不明だが、これはどこをどう見ても淫——治療行為。

 

(治す……その瀕死の状態こそが鍵だとでも言うのか……?)

 

 八幡が腕を抜き取ると同時に、腹の傷も閉じて、消えていく。

 

 だが、サエグサ(・・・・)にとって重要なのは医療行為そのものではなかった。

 

「あぅ、…………ッッッ!? 比企谷様、まさかわたくし、を……っ!?」

 

 除霊。〝瀕死である〟という条件付けがされた器を己が手足としているサエグサを、器としての前提条件を消失させる事で器から引き剥がしているのだ。

 

 傷が塞がり、潰れていた目も機能を回復した。

 

「……ひっ、ひきがやさまっ!? 聞いていたお話とまったくまるで違うのですが、あたっ!?」

 

「……落ち着けよ、体なら用意してやる」

 

 八幡にしがみついてぶる、と全身を震えさせるサエグサは、耳元で囁かれて一瞬うっとりと惚けた表情をしたかと思うと、八幡の腕の中でがくりと意識を落とした。

 

 そして、まるで呼吸をしていなかったサエグサの体は、彼女が眠りにつくと同時に寝息を立て始め、静かで規則的な呼吸をしていた。

 

 その変化ぶりは女の顔にも現れていて、まるで憑き物が落ちたかのようにすっきりと安らかだ。

 

「……さて、と。『乖離』」

 

 女の体を魔法で空気を固めて作ったベッドに横たわらせて、八幡は彼女に手を翳す。

 

 すると、女の体から何か〝不透明な白いもやの様なもの〟が吸い出されて、八幡の手の中に収まる。

 

「『虚奏(エル)』」

 

 そして、左手に持っていた(・・・・・)愛らしい見た目の白クマのぬいぐるみにそれを押し付けた。

 

 もやは八幡の掌に押されてするりとぬいぐるみの中に入っていき、しばらくすると俯いた格好で八幡に握られていたぬいぐるみはゆっくりと顔を上げる。

 

 心理構造正式転環術、通常呼称『虚奏』。

 

 精神の転居、或いは肉体の衣替えと言い換えてもいいこの術式は、不老不死の研究過程

で生み出された副産物だ。

 

 そして、魂の住み替えという術の目的である以上、通常は魂の移住先は同じ人類の肉体でなければならない。

 

「…………」

 

 それを人型であるとはいえ、体を動かすための筋繊維一本すら編まれていないぬいぐるみの体を使って八幡と視線を合わせている常識外れの順応力は、流石は十神と言ったところか。

 

 自分の腕を見た後、ほんの少しだけ開閉できる口をあぐあぐと動かして、握られた体勢のまま、自分を握る八幡を見つめる。

 

 どうやら呆然としているらしい。

 

「よし、それじゃ次は——おい、暴れるなこら」

 

 ぬいぐるみがもぞもぞ、と八幡の掌の中で暴れ始めた。

 

 ぬいぐるみに瞼はないので表情だったり感情だったりを読み取る事はできず、また発声器官すらないぬいぐるみの体ではぺしぺしと八幡の手首を叩くだけで他に何の抗議もできない。

 

 そしてぬいぐるみ——もとい、サエグサは慣れない体で操作がおぼつかなくなってきたのか、動きが鈍くなった。八幡はそれを懐にしまうと、抜け殻の方に目を向けた。

 

端末(・・)の趣味、悪すぎんだろ——」

 

 基本的に存在するだけで世界に軋みをもたらしてしまう十神は、足場となる世界を壊さないためにも、直接触れたりせず、端末と呼ばれるものを介してこの世界に干渉する。

 

 中には世界の破壊を気にせずに動く十神もいるが、サエグサやイチジョウなど、世界の中に用がある者達は少なくとも端末を用いて世界に干渉してきている。

 

 条件は様々だが、人間である場合が殆どで、イチジョウやヒキガヤ(・・・・)のように器に対して自らの力を注ぐ行為は普通であればあり得ない。

 

 力の注ぎ具合が少ない為に干渉が弱く、簡単に魂を引き剥がせてしまうのだ。

 

 そして八幡は、目の前で眠っているこの女がサエグサの端末にされていた事に、彼女を目にしてすぐ気付いていた。

 

「——ここ30年くらい、若い婦警が事故か事件で死んだって話は無いよな」

 

 近寄り、女の顔を見下ろす八幡。

 

「30年……まぁ確かに、そんな事故は聞いた事もないが」

 

 八幡の言いたいことを理解した沓子は、自分に思い当たる節がない事を確認し、八幡の懐でぐったりとしているサエグサに目をやる。

 

 八幡によって魂を肉体から引き剥がされても、器を選ばない傲慢さはさすが十神。

 

 ……ぬいぐるみの体故に感情はわからないが、疲れているのではなく八幡の体に密着して興奮しているように見えるような気がする。どんなメンタルだ。

 

「てことは、報道すらされてない、直近の事……」

 

 おそらくはごく最近に起きた事故か事件で死亡しかけた可哀想な婦警なのだろう。

 

 死体というか本体がここにあるのだから、ひょっとしたら彼女がこうなってしまった事すら周りには知られておらず、このままでは無断欠勤扱いで懲戒免職にされてしまうかもしれない。

 

 ただ十神に絡まれたというだけで確かにそれは可哀想だ、なんて沓子が思っていると。

 

「……95年だ」

 

 2095年。つまりは今年。ここ半年の間に女は事件に遭遇しているらしい。

 

「……同じ年内……という事は、未解決事件どころか、未発見事件じゃな。或いは闇に葬られるほどの理由がこの女にはあったり——」

 

「いや」

 

 沓子の想像を止めて、八幡は続きを話した。

 

1995年(・・・・・)の5月、この女は幹線道路の事故対応の最中に失踪してる。つまり、ピッタシ100年こいつはあの状態のまま居たってわけだ」

 

「……なんじゃと」

 

「問題は、なんでそんな長期間この女の体を使い続けたのかって話なんだが」

 

 それを聞いて、沓子が、雅音が、能力の反動で眠ってしまったかおりを除くほぼ全てのメンバーが目を剥いた。

 

 100年間も、人が瀕死の状態で保つわけが無い。

 

 それにそれ程長い期間自我を乗っ取られていたのなら、人格なんてとうに擦り潰れてなくなっている。

 

 まともな治療が効く段階は通り過ぎているのに、そんなギリギリの状態で命を繋ぎ止めていられる十神の能力の異常さ。

 

 そして、そこから無傷の状態にまで回復できる治療を施せる八幡の能力の非常識さに、ため息を吐かない者はいなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。