やはり俺が十師族を守護するのは間違っている。   作:ハーマィア

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意味のあること、ないこと。

意味を成すこと、成さないこと。

殺してくれれば、少しは恨んだのに。


きたれ、懇親会

 喧騒と言うには物足りないけれど、退屈には程遠い。

 

 魔法科高校各校の生徒達の会話やうっすらと聞こえてくるBGMは、その場所を穏やかな空間にはさせていない。

 

 しかし愛梨の耳を打つそれらの雑音は、壁1枚を隔てた隣の部屋の出来事のように今の自分には関係ないものとして聞こえていた。

 

「四葉って……何?」

 

 ゆっくりと、震える声で八幡に尋ねる。

 

 もしかしたら聞き間違いかもしれないし、いや思考が繋がっているから丸わかりなのだが、一応の希望をかけて。

 

「十師族の四葉。あのヒトのカタチをした外道(・・)、四葉家当主四葉真夜の姪だよ」

 

(詳しく説明するんじゃないわよアホンダラ!)

 

 聞き間違いどころか、思い違いもあり得なかった。この女はわざと目の前の少女の秘密を口にしている。

 

「……ちょっと! 一体なんのつもり!? 本人の前でそれ(・・)を言うなんて……!」

 

 八幡の首根っこを掴み、彼女の顔を引き寄せて言う。

 

 愛梨と八幡の間に繋がる意識のパスは、愛梨に八幡の思考をより強く伝える。しかしそれは精神がひとつになったという訳ではなく、あくまでも橋渡しがされただけの状態である為、意思の疎通に会話が必要である事に変わりはない。

 

(……心配するな。わざとだから)

 

(……わざとって言っても、——!)

 

 しかし、愛梨が八幡の意図したことを理解しようにも、時間が足りなさ過ぎた。

 

 八幡達が相手にしたのは「一般的」という理屈が通用しない、たった1人の為に国を滅ぼすような、接触することが禁忌とされる存在だ。

 

「……一体、どういう事でしょうか……? わたしが四葉家の……何ですって?」

 

 語気を強めて、笑みを深めて、深雪が一歩を踏み出す。

 

「あ……えっと…………」

 

 以前の愛梨であればその場を動けず、真っ先にこの状況に陥った原因を責める事など、困難だったに違いない。…………だが。

 

 あたふたとしながらも、深雪の迫力に対して物怖じしない自分がいることに、愛梨は内心驚いていた。

 

 だが、この場を切り抜けられなければ、その余裕は何の意味もない。

 

「だから、お前がトーラス・シルバーの妹で、四葉家当主の姪で、……ん?」

 

 しかし、この状況で尚も火に爆弾を投げ込み続けようとする八幡を止めたのは、愛梨ではなかった。

 

「やあやあ一色さん、比企谷! 料理は楽しめているかな? 明日、いや明後日からの試合に備えてしっかりと食べておくことをおすすめするよ!」

 

「といってもエネルギッシュでクレバーな君達にはウェルノウンなことだと思うけど、食べ過ぎにはイナフ! 気をつけてくれたまえ。君たちはヴァリアブルなストレングスだからね!」

 

 懇親会の雰囲気に殊更似合わない、にこやかで攻撃的な笑みを浮かべるハイテンションな2人——かおりと玉縄が現れた。

 

 突然の登場に深雪が疑問符を浮かべるも、2人の勢いは深雪が接触しようとするのを許さない。

 

「……? あの」

 

「ああ、ごめんなさい! 明日のことで少し話し合わなくちゃいけないことがあるの! ——だからちょっとこっち来い」

 

「本当に申し訳ない!トリビアルなプロブレムだけど、オーバールックする訳にはいかないんだ! ——よくここまでトラブルを巻き起こせたな」

 

 だが2人の行動は決して八幡を護ろうとしてのものではなく、半ばヤケクソ、「テメェこの野郎」という手間を増やされた苛立ちの感情が殆どを占めている、敵意しかないものだった。

 

 深雪に背を向け、2人の間に挟まれて八幡は肉を齧る。

 

「どうしたんだお前ら」

 

「……じゃ、ない! あんた正気!? こんな場所で堂々と何言ってんの!?」

 

「……君は未来が見えていた筈だが。こうなる前にいくらでも回避する方法はあったんじゃないのか」

 

深雪に聞こえない声量で、顔を突き合わせた2人は怒っていた。

 

「お前らが来てくれなかったら、危なかったかもな」

 

 八幡の表情には、一滴たりとも後悔や自責の念が見えない。少なくとも玉縄やかおりには、八幡が彼らに対し「悪い」と考えているようには思えなかった。

 

「おま、…………?」

 

「あんっ、……!?」

 

 八幡の視線が、2人のことを最初から一瞥もしていないのに気付くまでは。

 

(……体が……)

 

 八幡が見つめる先。そこに何がいるのか、2人にはわからない。

 

 視線を向ければわかるのかもしれないが、八幡に押さえつけ(・・・・・)られている(・・・・・)以上、振り向くことも叶わない。

 

 彼らにわかるのは、八幡の視線は2人が先程までいた場所に向けられていることだけ。

 

 そこに「何」がいるのかまでは、悟ることもできなかった。

 

「……もういい加減、よろしいでしょうか……?」

 

「——あっ」

 

「……そういえば、いたね」

 

 苛立ちを隠さない深雪の言葉に、かおりと玉縄は我に帰る。

 

 魔法師の間で「アンタッチャブル」などと揶揄される程には恐るべき存在である筈の四葉の人間。

 

 八幡から原稿用紙4行程度で四葉の恐ろしさを説明されてはいるものの、その存在を思考の隅に置くことすらなく、完全に忘れ去っていた彼らは、決して四葉を恐れていない訳ではない。

 

 ただ、この場において最も(・・)恐怖するべき存在は司波深雪ではないというだけのこと。

 

 極冷の威気が、彼らの背中に吹きつけた。

 

「やはり……あなた(・・・)が……?」

 

 無視に次ぐ無視。いない者としてすら扱われた事のない深雪が、本気で存在を忘れられていた。

 

 深雪が胸に抱えた、八幡に対する気持ち。

 

 屈辱などという言葉では到底説明出来ない。

 

 いや、怒りが不足してるだとか、憎しみという感情自体、違う気がするけれど。

 

 何せ今彼女は八幡を恨んでいないのだ。恨みつらみが発生する理由が無い。

 

 たかが無視された程度で怒るほど、深雪は荒ぶってはいなかった。

 

 では、八幡を前にしてこの昂る気持ちは。

 

 必然性がなく、突拍子もない。

 

 深雪自身、誰かに強制されたとしか思えない、感情の起こりだった。

 

「——深雪っ!」

 

「……っ、お兄様……」

 

 そんな深雪の自分でも理不尽に感じるほど唐突に沸騰しかけていた理性を冷やしたのは、彼女の日常——最愛の、兄の声。

 

 まだ遠くにいる。けれど深雪が絶対に安心できるその声に、深雪は

 

 ビキ、バギキギッ!!

 

「——っ!?」

 

 己の身以外の全てを、隣の人間(・・)に持って行かれた。

 

 グラスに入れた氷に飲み物を注ぐと氷にヒビが入るような、軋みと亀裂の入り混じった音が辺りに響き渡る。

 

 音は八幡の周りから聞こえているようで、彼の周囲には絶え間なく不協和音が響いている。

 

「……っ、…………!?」

 

 その音を聞いたのは深雪だけではない。玉縄やかおり、愛梨。状況を注視しつつその場所へとやって来ていた隼人や優美子達も、八幡の変化に思わず足を止める。……そして。

 

 良く聞こえるその音が「何かが凍る音」であるとかおりが気付いた時、玉縄は目撃していた。

 

 八幡の額には、角のような、冠のような——普通の人間であればまず生える事のない異常が、現れていた。

 

「封印解放——緋羅」

 

 その言葉を二人が聞くのは初めてかもしれない。……だから、初めの数秒、彼らは八幡が何に(・・)なろうとしているのか、理解出来ていなかった。

 

 明らかな臨戦体勢。

 

 戦略級魔法でもあり得ない濃度の想子放出に、思わず二人の声が出る。

 

「比企谷……っ!?」

 

「お、い……!?」

 

 間違いなく死人が出る。これから起こる惨劇を映像のようにハッキリと想像させる程、八幡の臨戦態勢はどうしようもないものになる——筈だった。

 

「——ん」

 

 不意に八幡が視線を逸らす。

 

 かおり、玉縄、愛梨、深雪、隼人、優美子、真由美。その誰もが八幡に意識を集中させている中で、何かに気付いた八幡が視線を顔ごと逸らした。——と。

 

「……?」

 

 ……深雪は、令嬢としての立ち振る舞いやあらゆる作法を身につけてはいるが、兄のように戦闘訓練を受けている訳ではない。

 

「————え」

 

 そうでなくても、八幡の視線に釣られ振り向いた瞬間に飛んできた(・・・・・)物体など、深雪には避けようがない。

 

 ————————ずぱぁんっ。

 

 破裂というには少しばかり鈍い音を響かせて、生クリームとスポンジ、トッピングの苺が深雪の顔面をべっとりと甘く染め上げた。

 

「…………」

 

 何が起きたのか。簡潔に説明するなら、ウェイターが運んできたホールケーキが深雪の顔を直撃した——それだけだ。

 

『…………』

 

 ケーキが深雪の顔に飛んできた直後から数えて数秒。

 

 その場は、殺人現場や墓場などよりも死の空気に包まれていた。

 

 深雪の顔に貼りついたままだったケーキが、ゆっくりと剥がれ落ちる。

 

「…………」

 

 ケーキの直撃を受けた深雪は淑女として予想だにしない出来事が起きたためか、思考回路がショートしていた。棒立ちだ。

 

「ちょっと深雪っ! 大丈夫!?」

 

 呆然と立ち尽くす深雪の側に彼女の友人が駆け寄り、深雪にケーキをぶつけたウェイターから渡されるタオルやペーパーを使ってクリームを拭き取る。

 

「…………」

 

 その友人と共に駆け寄ってきた八幡の知り合いも、流石に友人がクリームまみれ状態なのは放っておけないらしい。

 

 八幡に一瞥した後、深雪の友人と同じようにクリームを拭き取っていた。

 

 一方八幡は、愛梨の手を取り出口へと体を向けている。

 

「よし、今のうちに逃げるぞ」

 

 その言葉で、一同は全てを理解した。

 

「やっぱり君か」

 

 そのまま八幡の後を追う玉縄は、深雪がケーキを顔全体で味わう羽目になった原因が八幡であることを悟りつつ、ひとまず危機は去ったと胸を撫で下ろす。

 

「どのみち司波兄妹は俺の事を見つけてた。なら、多少強引でも事故を起こしてしまえば関係なくなる。不自然さなんて後からいくらでも付け足せるし、気にしてる暇なんてない」

 

「それなら最初から会場に入らなければ良かっただろう」

 

 すれ違いざまにウェイターのドリンクを取り、手にしていた料理を流し込む。一息つくと、歩きながら八幡は玉縄に語りかけた。

 

「今会場にいない六道、誰だと思う?」

 

「誰って、平塚、雪ノ下……」

 

 名を口にする途中で玉縄は気付き、

 

「あと川崎さんっ。一応ホテルには来てるみたい」

 

 かおりは冷や汗を垂らす。

 

「そう。その三人に加えて由比ヶ浜が、最初から会場に現れなかった」

 

「——つまり、お前がこちらに現れなかった場合は部屋で待ち伏せしていたという事か」

 

「待ち伏せまではされないだろうが、スプリンクラーの故障とかの事故に託けて話しかけられてた可能性は高い。オレが隕石落として逃げようとしてたみたいに」

 

「……」

 

 かおりから視線を投げかけられた愛梨は、目を合わせる事なく逸らす。

 

 数秒の沈黙の後に、審判は下った。

 

「比企谷ー? 部屋に戻ったら雅音と交代ね」

 

 つまりはかおりと相部屋。事実上の自由行動禁止令の発動だ。

 

「え……なんで」

 

 嫌なんだけど、と拒否しようとする八幡の顔面を鷲掴みにして、かおりは彼女の耳元で囁く。怒りを伝えるように——恐怖が沁みるように。

 

「あんたの頭は鶏か? 3歩歩いたら忘れるのか? 昨日の夕飯言ってみ?」

 

「串カツです……いやだからな? 隕石は『あくまで』この事態を打開する手段の一つなんだって。他にも策はいくつかあったし、本気で落とすわけ無いだろ」

 

 やれやれ、とかおりの目の前で首をすくめる八幡の隣で愛梨が作るばつ印。

 

「……そっか」

 

「おう。信じてくれるよな?」

 

「ううん。もう信じらんない」

 

 八幡の部屋替えが確定したのだった。

 

「……ん?」

 

 八幡の部屋鍵を没収し、面倒が再びやってくる前に退散しようか——とかおり達が出口へ向かっていると、1番後方を引きずられていた八幡が入口の何かに気づく。

 

「……とまれ」

 

「……どうしたんだい、比企谷君?」

 

 何を言うまでもなく、八幡は前を歩く玉縄を盾にするように彼の背中に隠れた。

 

「……何であいつがここに来るんだ……? メリットなんて無いはずだろが」

 

 玉縄の質問に応える事なく、自らを鼓舞するかのように笑い、正面入口を見つめる八幡。

 

 玉縄に触れる手は震えていた。

 

「……?」

 

 彼女がここまで怯える理由。人に対し殆ど怯えを見せる事のない八幡が見せた弱み。何を考えているのか理解できない等の内面的な理由が原因の怯えを見せることはいくつもある。だが「直接的な戦闘力で敵わないから」という弱音で怯えるのは、彼女(・・)に対してだけだ。

 

『あの美少女はどこの魔法科高校の生徒だ!?』

 

『ばーかよく見ろ。制服が違ぇし、来賓だろうな。……どこの来賓だ?』

 

 その少女の登場に、会場が揺らいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衝撃波、もしくは地震。人の意識が起こす連鎖的な変化は災害を錯覚させるほどに強力で、具体的に言えば——

 

「……っ!」

 

「……! おっと、失礼」

 

「……いえ。……」

 

 人間離れした容貌で名高い深雪とぶつかってしまった男子生徒が、深雪に見向きもしないほどだ。

 

 もっとも。その深雪自身もその少女に惹きつけられていたのだから、気にする暇もなかったが。

 

 容姿で言えば自分(深雪)の方が上。それなのに、言葉も交わしていないというのに安堵しそうなほど穏やかな気持ちになってしまうのは、彼女の浮かべる笑みがそれだけ自然だから、なのだろうか。

 

(…………笑顔…………)

 

 ある男子生徒の言葉が脳裏に孵る。

 

『……昔はそうでもなかったけど、今じゃ比企谷が人前で笑顔になる状況は緊急事態以外あり得ない。それも自分が望んだ緊急事態ほど、特に』

 

 笑み。あれは笑みと言って良いのだろうか。

 

 深雪の見るその先には、奥歯を浮かせ、わずかに口角の締まりが緩んだだけの恐怖に怯えているヤハタの顔。

 

 彼? 彼女? ——が行う巨大な仕込みの殆どが、ほんの小さな出来事(本命)の為の布石。

 

「……っ」

 

 彼女の登場によって何が変わるのか。気になって仕方ない深雪だったが、それを理解する為の一歩を踏み出そうとした時、支えられた兄の手によって彼女は冷静になった。

 

「達也さん!」

 

「お兄様……」

 

 深雪と深雪の友人のほのかが達也に反応する。達也はほのかに頷きを返すと、再び深雪に眼差しを向けた。

 

比企谷に(・・・・)ケーキをぶつけられたみたいだが、大丈夫か?」

 

 クリームなどは髪や制服にも飛び散ったが、魔法で既に綺麗にシミまで落とされており、衝突の影響など殆ど残っていない。

 

「はい。謝罪もしていただきましたし、……え? 比企谷さん……が?」

 

 しかし、不運にも偶然によって起きたはずの事故は達也によって否定される。

 

 深雪は先程のアレを完全なる事故だと思い込んだが、全てを見ていた達也はウェイターの不自然過ぎる挙動に注目していたのだ。

 

「ケーキを運んでいたウェイターは、誰かにぶつかられた訳でも自分でケーキを投げた訳でもない。比企谷が用意した何かに躓いていた」

 

「……ということは、まさか」

 

「今の強力な想子波動も、ただの囮だろう」

 

「……何か脅威が迫っていた、という訳ではないのですね」

 

 胸を撫で下ろす深雪。だが、妹がまだ何か(・・)不安そうにしているのを達也は見逃さない。

 

「ですが、お兄様……」

 

「……大丈夫だ(・・・・)。奴が使用した魔法は効いた(・・・)訳ではない」

 

 達也が深雪の目を見て言う。それが意味することを理解した深雪はもう一度、安堵の息を吐いた。

 

 人前で頭を撫でるようなことはしないが、代わりに優しい眼差しを送って、達也は次に動く。

 

「——雫」

 

 次の問題を片付けるために。

 

 深雪のそばにいた雫は、深雪の正体(・・)を八幡が口にする時、言葉が発せられるよりも先にほのかの耳を塞いでいた。

 

 それはつまり深雪の正体が知られたらまずいと知っている、深雪の正体を知っているということ。

 

 達也の中で今、優先行動順位が改められた。

 

「……うん」

 

 話をする前に場所を変えようとする達也に雫は頷き、彼の後についていく。

 

「雫……?」

 

 達也の表情、雫の顔。不安な表情を浮かべるほのかが二人の後を追おうとするが、今度は深雪がほのかを止めた。

 

「パーティが始まる前にスピード・シューティングの術式が完成したとお兄様は仰っていたから、そのお話をするのではないかしら」

 

「そうなの?」

 

「ええ。お兄様をして〝すごいもの〟が出来たと仰っていたから、期待していいと思うわ」

 

「今から? もうすぐ〝老師〟のお話があるのに……」

 

「もうすぐって、まだ私達も到着したばかりじゃない。それにここの料理は美味しそうだし、お兄様もお腹を空かせているでしょうから、お話もすぐに終わるのではないかしら」

 

 話題を挟み込み、そちらに意識を移すことでほのかの不安を躱す。

 

 深雪のアシストに感謝しつつ、達也と雫はパーティ会場の外に出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……単刀直入に聞こう。俺達の正体(・・・・・)を知っているのか?」

 

 パーティ会場すぐ外のバルコニー。他に人影はなく、またこちらを窺う様子もないことを確認して達也は切り出した。

 

「……知ってる」

 

 達也の問いに対して雫は静かに頷く。

 

「八幡から聞いたから」

 

 ……ただ、その後に続いた科白のせいで達也は眉間に皺を作ることになる。

 

「……そうか」

 

 思わずため息が出た。徹夜明けでもため息は吐かないというのに。

 

「……八幡の知り合いは全員あなた達の正体を知ってるし、たぶん三高も八幡が会話をした人はほとんど知ってると思う」

 

「……頭が痛くなる話だな」

 

 悩みの種。それに対する達也の言葉——だけではない。

 

「……達也さんにとってはそうかも?」

 

 達也の殺意(・・・・・)()平然と(・・・)受け止めている。

 

 意識を感じ取れるかどうかの領域ではなく、達也の向ける視線の種類を理解した上で受け止めて、返事(・・)を返してきた。

 

『次やったら殺すぞ』——そんな明確な殺意と共に、比企谷八幡(ヤハタ)を名乗る少女は『毒蜂』を達也に刺していた。

 

 距離など関係ない。彼女は、大切な存在に近づこうとする敵には容赦しない。

 

「…………っ」

 

 達也にとって毒蜂という魔法は対処の難しくない魔法だが、対処をしなくては死に直結する危険な魔法でもある。

 

 雫がすでに達也のことを知っていて、他に見学者がいないこの状況だから、達也は遠慮なく術式解散を行使した。

 

 情報の世界で、毒蜂の魔法式が術式解散によって弾け、散っていく。

 

「……きれい」

 

「っ!?」

 

 あろうことかその様を「綺麗」だと表現した隣に立つ少女に、達也は思わず戦慄した。

 

「……まさか、君も視えていたのか?」

 

「……先に戻ってる。達也さんも早く戻った方がいいと思うよ。深雪だけでほのかを抑えておくの、もう限界みたいだし」

 

 達也の質問には答えない——いや、扉と雑踏越しに目視でわかるはずのない二人の状況をはっきりと云う事で、雫は返事をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやはや」

 

 両手に肉。頭に乗せた皿にはいちごケーキ1ホール。

 

 肉にかぶりつき、もっきゅもっきゅ、と幸せそうに食べ物を頬張る八幡。触れてすらいない、彼女の頭上付近をふわふわと飛ぶジョッキ。そこから流れ落ちるジュースを一滴残らず飲み干して、ようやく一息ついた。

 

「なんとか切り抜けたなー」

 

 あの少女(・・・・)の登場に心底怯えていた八幡だったが、いつの間にか行っていたトイレから出てきた後は、すっかり会場に来たばかりの調子を取り戻していた。

 

 当初は自室に戻る予定だった八幡達。しかし会場の外を六道の面子がガチガチに固めており、脱出は不可能だと諦めて大人しくもぐもぐしているのだ。

 

「……ほろほろいふほ」

 

「物噛みながら喋んな穢らわしい」

 

「いや言い過ぎでしょ会長……」

 

 もちろん、接近してこようとする隼人や真由美達の追跡を躱しながら。

 

「あーんむっ」

 

 空をふわふわと浮いて、八幡の口の中へとステーキ肉が飛び込んでいく。

 

 1枚のステーキをひとくちサイズ感覚で頬張る八幡、そして魚のように宙を泳ぐステーキの大群に、思わず玉縄は首を横に振る。

 

「いや、飛行魔法を自分の飲食の為だけに使いこなすんじゃないよ。一応先月発表されたばかりの術式のはずだろう」

 

 八幡の周りにはジョッキの他に皿に盛られた料理がいくつも浮いていて、八幡自身も魔法によって浮遊しているのだ。

 

「使ってるのは浮遊魔法だから問題ないだろ」

 

「プロセスが違う魔法というだけで結果は同じだろうが」

 

「『飛翔魔法(・・・・)』は全くの別もんだぜ」

 

「話になっていないじゃ……ん?」

 

 ここで、玉縄は八幡の顔が赤いことに気づいた。

 

「……来賓に出されるアルコールを間違えて取ってきたな……?」

 

(口に入れば味の違いで気付きそうなものだけど……)

 

 これだけ多くのメニューを次から次へと食べている。味の違いがアルコールの有無に直結する訳ではないが、多少なりともわかりにくくなっているのかもしれない。

 

 それに。

 

「……はぁ」

 

 八幡の動きが緩慢になっていても、八幡の周りを取り囲む料理達は変わらずに八幡の周りを回っている。

 

 思考がまとまっていない。それなのに魔法展開に少しも支障が無いというのは、魔法師として異常だ。

 

「べろべろばー」

 

「……意識を共有してるだけでこっちまで酔ってくるわ」

 

(……まるで、全くの別人が比企谷と彼の周囲の料理を浮かせているようだ)

 

 しかし、10を超える数の皿を皿同士にかけられた魔法が干渉し合わないように展開するとなると、それだけでも異次元のリソースを要求される。それを維持し、動かすとなれば尚更1人では御しきれない。

 

 展開する魔法の規模のみをみれば、間違いなく彼女以外に実行は不可能なのだ。

 

(……これだけの精度を保った術式の実行が人間に不可能って時点で、コイツ以外選択肢が無くなるんだよな……)

 

 玉縄は、八幡がヒトである可能性を捨てきれずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、懇親会会場より離れた場所にある、とある女性用トイレ。

 

「…………」

 

 雪ノ下陽乃はそこで、立ち尽くしていた。

 

 会場とは階も違うこの場所は彼女以外に利用者もなく、それ故に目撃者もいない。

 

 利用者はいない——が、人は彼女以外にもいた。

 

 手洗い場の床に倒れている、第三高校の制服に身を包んだ『とある少女』。

 

 意識の無いその少女の右肘から下は欠損しており、その先は陽乃が手にしていた。

 

「……、」

 

 震える陽乃の唇が、その少女の名を紡ぐ。

 

 その少女の名は——

 

 

 

 ——比企谷八幡。

 

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