PRIMEVAL - Reverberation   作:Tutu-sh

1 / 25
極東の地で Part1

緑の生い茂る山の中では、いまだにセミが勢力を振るっている。周囲を見回しても姿は全く見えないが、最後の繁殖の機会に賭けてオスたちが力を振り絞って空気を震わせているらしい。耳に入る音だけであればまだ夏真っ盛りと言わんばかりの喧しさに包まれている──もっとも、虫に詳しい者からすれば全く鳴き声も違うのだろうが──けれども、肌を撫でて流れてゆく風には熱気の中に清涼感が感じられる。秋はすぐそこまで迫っているのだ。

「フゥーッ……」

男は木々を見渡すのをやめ、滴る冷たい汗を肩にかけたタオルで拭うと、足元に目をやった。

そこにはノジュールと呼ばれる石がごろり、と転がっている。ここ一帯には珍しいほど硬いノジュールに手を焼いていたのだ。男は今年修士を終え、就職するつもりでいる。社会人になれば趣味に没頭する時間も気力もないだろう。彼は論文に追われる日々の時間を縫い、山の沢で石を叩いて化石探しに精を出していたのだ。限られた大学生活で最後の楽しみといったところだった。ハンマーの柄を握り直す。穏やかにせせらぐ冷えた川の横で、もう一度ハンマーを振り下ろそうとしたときだった。

 

バキン、と大きな枝の折れる音がした。

(……え?)

シカか?イノシシか?まさかクマということはないだろう、北海道じゃあないのだ、クマに対する特別な用意などしてはいない。そんな思考が巡るうちに、折れた枝が大きな音を立てて茂みに落下する音が響く。枝が折れたあたりからは葉や枝の擦れる音が聞こえてくるが、どうもその高さが妙だった。周波数による音の高さではない、発生源の物理的な高さだ。

ツキノワグマは木登りが得意だという。今枝を落とした犯人がツキノワグマである可能性が高くなってきた。疑心暗鬼になり、音のする方へ視線を送る。揺れ動く枝葉の間に、別の動く物体が見えた。

だがどうも、動いているのはクマではないようだった。

体はもっと灰色や青色に近く、一瞬ながら体毛はないように見えた。そして遥かに巨大。背丈にして4メートル近くはあるのではないか。そして重く響く足音。日本にこんな動物が存在したのか……一瞬アフリカゾウが頭をよぎるが、すぐに別の存在の可能性が浮上した。

 

「──恐竜、か?」

 

思わず声に出てしまう、驚きの声。彼自身何を口走っているのか理解できずにいた。遠い過去で滅び去った生物が、どうしてこの時代に、しかも日本で居合わせることが出来ようか。まだ動物園から脱走したアフリカゾウの方が現実味があるというものだ。

だがその生物の動く様子を見るほど、他の選択肢が消えていく。ゾウやキリンというまだいかにもあり得そうな哺乳類の候補は既に脳内からフェードアウトし、茂みの間に垣間見える姿と体格から、絶滅種の中で同定が進んでいた。角竜や剣竜では揺れ方がおかしい。遥かに横長に木々が揺れているからだ。同様の理由で鳥脚類も除外される。やはり竜脚類の何か、あるいはパラケラテリウムという可能性も──?

 

「……おいおいおいおい」

自分でも気づかないうちに、彼は物音のする茂みの方へ足を踏み出していた。何をしているのだ、危険だ、と冷静なままの自分が最大限の警告を発する。しかし動き始めた好奇心はその警告を無視し、一歩、また一歩と足を動かしていく。未知の存在を目の前にした喜びからか、危険に向かって歩を進める自身に対する呆れからか、男は白い歯を見せて笑みを浮かべながら前進していく。

(大丈夫、おそらくは植物食の何か……あまり刺激せず、後ろから見るだけなら──)

もし肉食なら?という思考が一瞬よぎるが、すぐにそれを押し殺した。目に入った光景からの希望的観測でしかないが、肉食恐竜でないという最大の根拠は──もしそうなら、非常に危険だからだ。そんなことは考えたくもない。

斜面に生えた植物を掴み、時には土にハンマーを打ち込みながら斜面を登る。安定した広い林道に手をかけ、全身をそこへ乗せる。不安定な足場から解放された喜びを一瞬享受するが、すぐに目的の物に目をやる。その動物は、まだ目に見える範囲の場所を歩いていた。

 

正解だった。

 

数十メートル向こうを行くその動物は、見るからに竜脚類の恐竜だった。

 

後ろ姿なので正確な姿は分からないが、どうやら尾は長くないようだ。この時点でディプロドクス科は除外される。4メートルもあるように感じたのは頭部の高さで、全身はそこまで巨大ではない──とはいえ、人間など容易に一撃で蹴り飛ばせる体格ではある。道の脇に生えていた樹に体を押し付けながら歩いているせいで、圧力に耐えられなくなった木が根元から崩落し、沢に向かって土砂とともに倒れ込んでいった。倒木による凄まじい音、そして恐竜が一歩一歩踏み出す足が地面に着く音が体に響き、男は感動を覚えていた。好奇心を必死に押し留めながら冷静に見極めようとしていたが、実物を前にしてその冷静さは吹き飛んでいた。現代のアニマトロニクスでは再現できそうもない滑らかな動きに、幻覚作用を疑ってしまう。男はこの動物がどこへ行くのか、着いていくことに決めた。

 

 

竜脚類を刺激しないよう注意を払いながら、数十分は歩いただろうか。幸いにも風向きが味方し、男の立つ側が風下になっていたため、竜脚類に気取られることはなかった。単に気付かれても距離や体格差ゆえに度外視されただけかもしれないが、何にせよ危害が及ばないのなら十分だった。

 

「……何だ、あれは」

やがて竜脚類の巨体の向こうに、白い物が見えた。竜脚類が歩を進めるほどに、その白い物体の姿が如実に現れてきた。物体は球体だった。白く光り輝く球体。何者かに砕かれた硝子の破片のようなものが宙を漂い、神秘的な球体を作り上げている。今まで耳にしたことのない形容しがたい音を立てて、その球体はぽっかりと宙に浮かんでいる。姿が見えても、その正体が全く掴めない。この竜脚類といい、そしてあの球体といい、男の脳にこれほど多くの疑問符が浮かんだ日もそうないだろう。

竜脚類は球体を前にしても歩を止めなかった。むしろその球体に向かって歩んで行く。高さ5,6メートルはあろうかという球体に近づくと、竜脚類はそこへ首をゆっくりと差し込んだ。

(何をしているんだ……!?)

球体に入り込んだ竜脚類の頭は、光に包まれて消えていった。だが存在はしているらしく、竜脚類は何事もないかのように依然前へ進んでゆく。ズブズブと光の中に身を埋めていき、やがて短い尾の先端も光に呑まれていった。

 

その後に残されたのは、男1人。

「一体……これは……?」

幼い頃より図鑑や文献で何度も目にした恐竜と違い、こちらは完全に初めて目にする物であった。自分の知識を遥かに超越した領域の存在。飛んでいる硝子片を掴もうとするが、空を切るようにすり抜けてしまう。電気やプラズマの類ではない、圧倒的に異次元の存在だった。

「……」

ゴクリ、と唾を飲み込む。竜脚類はこの中へ消えていった。これがもし、タイムポータルのようなものだとすれば、太古に絶滅した恐竜が山の中にいた理由が説明できる。ポータルそのものの原理は全く見当もつかないが、少なくともあの生物がいたごく単純な理由は掴めそうだ。

好奇心が再び首をもたげた。ぶるる、と身震いしながら震える腕をゆっくりと球体の方へ伸ばす。やはり物理的な感覚は無いに等しい。そのまま竜脚類がしたように光の中へ身を沈めてみよう──

 

──そう考えた時だった。

「止まれ!」

突如として背後から大声が響く。驚いて咄嗟に振り向きかけるが、それと同時に上着の後襟が凄まじい力で手繰り寄せられる。一瞬体が宙に浮きそうになり、そのまま後襟を掴んだ剛腕が振るわれる。バランスを崩し、男は腹側から地面に叩き付けられた。

「ぐあッ……」

砂利が布越しに肉にめり込む痛みに、苦痛の声が漏れる。だがそんな声を全く聞き入れないかのように、冷徹に銃口らしきものが突き付けられる。襟を掴んだままの人物が口を開いた。

「ちょっと静かにしていてもらおうか、抵抗すれば撃つ。結構痩せたナリだが、思ったより浮かなかったな。さてはその背中の荷物だな?」

背後の男の声は低く、いとも容易く振り回されたところを見るに体格もかなりありそうだ。地面に叩き付けられた男は彼を睨みつけるが、彼はそれがどうしたという目で男を見下ろしていた。顔のサイドに無精髭が茂り、肌は日本人の域から一歩踏み外したように日焼けしている。想像通り、腕には発達した筋肉が隆起し、浮き上がった血管が存在を主張している。彼はそのまま冷めた目線を浴びせ、片手で銃を構えたまま、滑らかな手つきで胸ポケットから何かの端末を取り出した。

「リーダー。突然通信を中断して済まなかったな。時空の亀裂に辿り着いた、かなりデカい。さっきの獣道も間違いなくここから出てきたヤツだ。……ああそう、じゃあ20分後だ。それともう1つ。報告なんだが……目撃者がいた。おそらく民間人だ」

 

自分がどれほど大きな事件に巻き込まれたか。

地面に組み伏せられた男は、まだ気づいていなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。