PRIMEVAL - Reverberation   作:Tutu-sh

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牙を剥く大河 Part2

男子児童が一級河川に飲まれた直後、土手に逃げ延びた小学生たちを包んだものは底知れぬ恐怖だった。つい一分前まで共にボールを蹴り合っていた級友が、忽然と水の中から戻ってこなくなる。その「元凶」に襲われたのが、彼ではなく自分だったら──と、十年と生きていない彼らの人生において、間違いなく未曾有の危機であった。

その恐ろしさは、児童の行動を著しく抑制した。状況の急激な変貌に彼らの脳は体から置き去りにされ、一切の合理的判断が不可能に陥った。大人への伝達。学校への報告。警察への通報。その全ての選択肢が彼らの頭から消え失せ、ただ涙を流して怯えるしかなかった。

唯一「元凶」を目撃しなかった男子児童だけは、クラスメートたちの異様な光景に当惑しつつも、外部の人間へ知らせることを考えていた。彼がクラスメートを説得してようやく大人が事態を知ったときには、既に一時間が過ぎ去っていた。

大人は迅速に警察へ通報し、児童の通う小学校にも通報した。やがて駆けつけた警察は捜索隊を展開し、児童に事情聴取を始めた。河川敷でサッカーをしていたこと、児童の一人が川へ落ちたことが彼らの口から小学生らしい語彙で語られた。嗚咽の中で語られる一部始終は当然滑らかに喉から発せられたわけではなかったが、話を聞く警察官たちは、彼らの言う一つの単語に引き留められた。

「ワニが出た。ワニが将を食べちゃった……」

 

 

「ワニ?」

舗装の整った国道を、自衛隊車両2台に守られるようにして乗用車が駆ける。乗員は調査チームのメンバー。運転席には大吾が座り、真剣な顔つきで行く先を見据えている。助手席に座る織部はいつものように沈黙し、後部座席に白夜・里亜・葦人の3人が座る。疑問の声を発したのは、男二人に挟まれて若干窮屈そうに身をよじった里亜だった。

「それ、動物園からの脱走とかじゃあないんですか?そうでなくても、飼育個体が脱走したとか。ほら、ワニを家で飼ってる人、いるじゃないですか。その場合は動物園の責任だったり、警察や猟友会の仕事じゃないですか?」

「今回のケースでは、出没した場所が河川敷だそうだ。近隣にワニを飼育する動物園や水族館はなく、上流域にも存在しない。飼育許可を持つ人間が付近にいないか環境省にも依頼して調査してもらっているが、おそらくいないだろう。それよりは、時空の亀裂を通って現代へやって来た可能性の方が高い」

「ですが、探知装置は作動しませんでした」

ハンドルを握って後ろを振り向かないまま返答する大吾に、葦人が考えを述べる。大吾はバックミラーにちらちと目線を配り、前を向いたまま口を開く。

「配属されて2日で、随分と探知装置を信頼しているんだな」

「原理を説明されましたからね。亀裂の引き起こす電波障害を、全国の基地局と連携して網羅的に解析しているんでしょう?亀裂が開いたなら分かりますよ。ましてや、開いた推定時刻は白夜がメンテナンスを始める前です」

「だいたいは合っている。だが2つ間違いがあるな」

「間違いですって?」

「1つは、いまだ時空間の構造は我々人類に未知であるという点だ。全ての時空の亀裂が電波障害を起こす保証はない。それに、これまでに発見された亀裂の多くは電波障害を引き起こしているが、その程度にもそれぞれの亀裂で差がある。一様ではないんだ。極限まで影響力の小さい亀裂が開いたなら、探知装置が別の要因によるノイズと解釈することもありうる。可能性が低くとも、用心は必要だ」

「……」

長年勤務しているであろう彼にそう言われてしまうと、葦人には返す言葉がない。彼らの窮地を救い、山城の奪還に貢献したとはいえ、目の前の運転手は自身と比較にならない経験とい知識を有する。彼の言うことに他の三人も黙っており、勤続2日の自分にこれを否定できる根拠はない。

「そして2つめ。用心が必要と言った直後にこう言うのも何だが、こっちの方が遥かに重要だ」

「はい」

「時空の亀裂が今日開いて生物が入り込んだとは限らない。ずっと昔、何年も前に開いた亀裂から侵入した生物が、今活動を開始した可能性だってあるのだからな」

「え──」

横から白夜が口を挟む。

「すまない!葦人。謝ろうとは思っていたんだ」

「……謝るとは?」

「僕も『あり得ない』と反応してしまったけど……実際に世界各地の同業組織が同様の事例を何件も確認していてね。すまない、あれは僕が探知装置を過信していたゆえに出てしまった一言なんだ」

「いえいえ、気にしないでください。人間誰しも判断を誤ることはあります」

「そうかい!?助かるよ!」

両手を合わせて謝罪する動作をしていた白夜は、葦人の言葉を聞いてパッと表情を明るくした。里亜の存在を飛び越えて肩を組もうとし、葦人は迷惑そうな表情でそれに巻き込まれ、里亜は突然の邪魔に小さく舌打ちした。

 

やがて車は国道から下って停車した。調査チームが次々に下車するとともに、武装した自衛隊が勢いよく飛び出す。迷彩服に身を包んだ彼らに申し訳なさを覚えるが、今は感傷に浸っている場合ではない、と葦人は頭を振るう。視界が捉えた先には報告を受けた河川敷が広がり、既に捜索隊や鑑識が展開されていた。

到着に気付いた鑑識の一人が、大柄な警察官に耳打ちをした。現場監督らしいその男はやや小太りではあったが、筋肉もその陰にしっかりと裏打ちされているようだった。調査チームの姿を目に入れた彼は被っていた帽子を取って頭を下げ、ぜひ迂回して階段から降りてくるように声をかけた。自衛隊に囲まれた調査チームはその指示に従い、河川敷へ降り立った。

「URAの方ですか。自衛隊の皆様もご一緒で。お疲れ様です。今回の事件ですが、現生のワニがどこかの施設から脱走したという線で操作しておりますが、どんな種類のワニかあいにく分からなくてですね。まあ細かい種類なんて捜査に関係ないだろうと思ったのですが、上がぜひ来ていただくとおっしゃったので。お手を煩わせてすみません。地球上の生物全てを対象にした遺伝学のチームと伺っています」

──なるほど。協力関係にあるとはいえ、国家の機密を警察や自衛隊に流して良いのかと疑問に思ってはいたが、そういうことか。科学捜査や危険生物の駆除班として他組織には話をつけておき、真相を知るのは上層部のみに制限されているわけだ──葦人は、世間におけるURAの扱いをこの場で察することとなった。

握手の手を差し出す警察に応えたのは、チームリーダーの大吾だった。捜査中に暑くなって袖を捲ったのであろう、濃い毛の生えた太ましい腕に、シャツの上からでも筋肉の存在が感じられる大吾の腕がはまり込む。

「いえいえ、ありがとうございます。そちらこそお疲れ様です。そして、何か進展は?」

「それがですね、襲ったのはどうやらワニのようですが、目撃者が子どもだけ。監視カメラの映像もない。詳しい特徴を聞き出そうとしても、あまりのパニックで細かいことまでは覚えていないようでして」

「まあ、道理ですね。子どもたちは?」

「既に家へ帰しました。捜査に支障が出るやもしれませんし、ここも安全は保障できませんからな」

「良い判断です。何か生物は、あるいは痕跡は見つかっていますか?」

「ええ、行方不明児童や生物そのものはいまだ見つかってはいませんが、足跡がこちらに。ただ、先ほども申し上げました通り、何の種類までかは──」

鑑識に誘導され、大吾が足跡の方へ向かう。残る調査チームも彼の後に続き、二人が覗き込む先に視線を送った。そこにあったのは、水を含んで柔らかく崩れかけた──否、もはや崩された茶色の土砂であった。生い茂った草は泥に塗れて土に練り込まれ、その上に足跡が重々しくスタンプされている。その付近でどうやら体を引きずったらしく、草も土砂も曲がりくねった軌道を描いている。

「この指の形状……明らかに哺乳類ではないですね。指と爪も発達しているように見える。おそらくは爬虫類。脚もまだヒレではなく、陸上を歩行できる半水棲の動物」

「つまり、ワニでしょうか?」

「どうでしょう。今の地球ならワニとオオトカゲぐらいしか容疑者はいませんが、過去の地球では話が別ですからね……」

そう言いながら大吾はスマートフォンを取り出し、足跡を写真に収めた。現生種・化石種を問わず収集されたデータとの照合が開始され、一秒間に数千枚という画像データが件の足痕と対比・解析されてゆく。その処理を進行させながら、大吾は次の判断を下した。

「現場での捜索は警察の方々にお任せします。現場を荒らすのもよくありませんからね。我々は別の場所を捜します」

「別の場所を?」

監督している警察官が訝しげな反応を見せる。作業に当たっている鑑識官もふと顔を上げ、発言した大吾を見つめた。一方の大吾は、さも当然という涼しげな顔を浮かべている。

「ええ。既にこれだけ捜索されていて未発見であれば、別の場所を当たって捜索範囲を広げた方が得策です。同じ場所を探すよりも」

「具体的にはどこを?」

「それはこれから検討します。調査チームで」

大吾は鑑識の面々に微笑みかけると、次に調査チームの方へ向き直した。畳まれた紙をするりと胸ポケットから抜き取り、それを目の前で展開してみせる。そこに記されていたのは、国土地理院発行5万分の1地形図。由緒正しい、日本で唯一の基本測量を反映した地図。

「諸君、作戦会議だ」

 

地図は警察が用意した卓上に置かれ、四隅は水筒やEMDを重石として固定された。大吾がある一ヶ所に丸をつけて指さした。そこは今面している一級河川沿いであった。

「ここが現在地だ。児童を襲った爬虫類がどこへ向かったか……」

「一括りに爬虫類と言っても行動パターンは1つじゃありませんよ~。それに亀裂を越えてきているなら、それこそ現生種の行動パターンはアテにできないと思いますね……」

「それはそうだが、ある程度の傾向が分かれば捜索範囲も限定される。十分だ」

「これだけ俺たちが首を突っ込んでおいて亀裂生物じゃなければ、骨折り損だがな」

「しかしその可能性があるんだ、やるしかないだろ」

「分かってるさ、リーダー」

フーッと息を吐いて、椅子を並べてベッドにしていた織部が体を起こした。首をコキコキとならしながら、地図の閲覧会へ出席する。自分の意見を折られた里亜も、心なしか口を尖らせていた。

「皆駄目だねー。もっと意識を高く持たないとー」

「五月蠅いですよ。そう言うならあなたも仕事してくださいよっ」

「分かったよー」

白夜が眼鏡の位置を調整し、地図をしげしげと眺める。その様子を見て他のメンバーもやる気を少し湧かせたらしく、地図上に視線を走らせてゆく。白夜がゆっくりと、思考をまとめた。

「──子どもを攫うほどの大型爬虫類で、かつ陸上でも行動可能……それでいて淡水のこの川に侵入して長らく生活しているところを見るに、海生爬虫類はまず除外されますね。プリオサウルスだとか、あとはモササウルスだとか」

「じゃあやはりワニか?」

「水かきもないんですもんね。ワニは過去・現在を問わず無数の種がいますから……解析に時間がかかっているのもそのせいかなと思いますねー。判断材料が足跡だけというのもあるかとは思いますけど」

「ふむ……」

織部は白夜の返事に納得しきって沈黙した。だがワニという分類群もいささか広いもので、種類や体格など、この川におけるワニの行動を左右する要素はいくらでもある。さらなる絞り込みが必要である。

「小学生を襲って水中へ引きずり込んだ……ううん、サイズの情報が乏しいわね」

「さっきの足痕はどうなんです?」

「ん、ああ、まだ解析が完了していないが、これだ」

大吾が携帯を地図の上に滑らせる。この端末はURAの技術という人類にとっての裏技を駆使して改良を重ねたもの。撮影時にスケールは置いていなかったが、被写体との距離を自動的に計測しておおよそのスケールを表示する機能が備わっていた。その機能を作動させると、数値が画面上に表示された。数値は約40センチメートル前後を推移した。

「かなり大型ですね……前肢か後肢かも分かりませんが」

「泥が崩れていて誤差も大きいとは思うが、ナイルワニやイリエワニに相当すると見ていいだろうな」

「それだけの巨体なら、生息域は下流でしょうか?」

「イリエワニは海を泳ぐこともあるから、ありそうだねー。化石種にも沿岸部から化石が産出したやつはいるし。ちなみにそいつ、イリエワニよりデカいよ」

 

「……」

調査チームのメンバーで議論が進む中、葦人は独り静かに考え込んでいた。四人の声が遠のいていく。水を通ってこもった音が伝わるように、彼らの会話が意識の外へフェードアウトしてゆく。厳密には、彼の意識の方が四人から遠ざかっていた。人間の暮らす地上から離れ、ワニの潜む水中の中へ意識を沈め、その行動を読み解く。

ワニが生息する環境を考えてみると、不自然な点がまず一つ思い浮かんだ。日本はワニが生息するには寒すぎる。ワニは通常熱帯・亜熱帯地域に生息する。確かに、イリエワニのように外洋まで進出するものには中国南部まで辿り着くものもいる上、そもそも揚子江にも土着のワニが生息する。従って、温帯の本州に絶対に生息できないと断定できる状況にはない。

しかし、この季節が問題であった。現在はまだ春も始まったばかりの3月であり、まだ肌寒さを感じる時期。布団から外に出れば鳥肌が立つし、外出にコートが必要な日もある程度の気温。恒温動物の人間でさえ根を上げかねないこの気温の中、ワニがどうやって水中で過ごすというのだろう。

そして重要なのは、ワニがこの冬には既にこの時代に潜伏していたということ。仮に過去に亀裂から侵入した生物であるのなら、この水温よりも温かいどこかの水域で冬を過ごしていたはずだ。

 

その水域がどこか、地図に目を通した彼には目星がついた。

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