PRIMEVAL - Reverberation 作:Tutu-sh
「葦人?」
下流へ捜索範囲を広げる方針に固まりつつあった会議の中、葦人が黙りこくっていることにふと大吾は気付いた。どこか違う場所を眺めているようでいて、しかしテーマの中枢を射止めているような目つき。他の三人もまた、葦人の目に何かを感じ取った。
「……どうした、葦人?」
「……大吾さん。いえ、リーダー。生物の潜伏水域ですが、僕の予想は違います」
「何?」
全員がそこに浮かべていた顔は、虚を突かれた表情だった。
「……根拠を聞かせてもらおうか。私たちが話していた内容は聞いていたか?」
「ええ。巨体ゆえ川幅の広い下流や入り江を生息域に持つと。ですが──考えてみてください。このワニが亀裂から侵入したものなら、探知装置が開発されるよりも前からこの川で生息していたんですよね」
「そうだ」
「つまり、少なくともこの冬を生き延びたということですね。何故日本の川の水温でワニが越冬できるのか。加えて、大型爬虫類の時代は今よりも概して温暖だというのに」
「……確かに」
「南洋へ進出して戻ってきた……とかはどうだい?」
「まだ3月です。戻って来るには早すぎますね……。それに、渡り鳥と違ってわざわざ北へ戻ってくる理由もありません。熱帯域の方が適した気候で、食料も多いでしょう」
「それもそうかー……」
「では君が考える、潜伏場所はどこなんだ?」
「ええ、冬でも一定の水温が確保される場所──」
葦人が人差し指を伸ばす。その指先を地図へ降ろし、現在地から上流へ、川を辿って遡ってゆく。指が辿り着いたその場所は、2キロメートルほど北上した地点。派川との分岐点の直上。その岸辺には何やら巨大な施設の存在が示されている。
「工場ですか?」
その正体を掴みかねている里亜とは対照的に、これまで沈黙していた織部の目に光が灯った。その施設が何たるか、織部の記憶の倉庫から情報が取り出される。
「……ナガタビールの工場か!」
「そうです。僕も一度足を運んだことがあります。ビール工場といったものは通常もっと交通の便の良い場所に建てられるはずですが……ここは例外です」
「ビール製造に必要な莫大な水が簡単に手に入るからだな。一級河川に面した立地。まさに理想的だ」
「ええ。おそらくこの工場からの放熱を利用して、ワニは冬を生き延びた。水が温かいので魚も寄り付き、生存に必要な十分な食糧も供給できるのかもしれません」
「なるほど……」
「なくはなさそうだねー」
「……そうだな。実はついさっき警察から聞いたことだが、この近辺で家屋の被害やペットの失踪が相次いでいるそうだ。ナガタビールもその範囲内にある。可能性は高いな」
大吾はふう、と息をついた。
「よし、決まりだ。ナガタビール周辺を捜索する」
「ありがとうございます!」
「織部、自衛隊の方にも伝えてくれ」
「了解だ」
調査チームのメンバーはそれぞれ荷物を持って車の方へ向かって行く。大吾は卓上に広げた地図を畳んでEMDを仕舞うと、ふと動作を止めた。可能性の高い候補地が見つかったというのに、その目は喜んではおらず、むしろ余計な面倒ごとを背負い込んだようだった。
「ナガタビールか、面倒だな」
彼の小さな呟きは、その場の誰の鼓膜を震わせることもなく、風に流れて消えていった。
調査チームはナガタビールに向けて車を走らせていた。巨大な工場が小さなジオラマのように遠くから見え始める。ビール工場のすぐ下流は細い──といっても、一軒家を押し流せる程度の幅はある派川が本流から枝分かれしている。そのうちその派流に沿うことになる道を、彼らの車は走っていた。片側には山が、もう片側には民家がまばらに並んでいる。自衛隊車両を満足に展開するためには、この道が最適だった。
「警察の捜索隊の方は上流に当たらせないんですねー」
白夜が運転席の大吾に話しかける。社内の配置は児童失踪の現場へ向かったときと同じだった。白夜は自らの赤い長髪を手持無沙汰にいじっている。その様子や腕を組んで沈黙する織部を横目に見ながら、大吾が答えた。
「当然だろ?亀裂生物は我々の管轄だ。警視庁の上層部はともかくとして、彼らを捜索に参加させることはできんよ。それに、遠洋から偶然流れ着いたワニの可能性だって消えたわけじゃあない。その場合は下流で彼らに任せるのが筋だ」
「向こうだってきちんと対動物用の装備は整えているはずですもんね~。任せましょっ」
「そうですねー……。ところでリーダー」
「どうした」
「亀裂生物でも普通に今いる生物でも、どっちみちナガタビールの岸に潜伏していたら少し厄介じゃあないですかねー?捜索自体に何か言われる可能性だってありますよ」
大吾の目がやや大きく開く様子が、バックミラーに映る。横で会話を聞いていた葦人は白夜の発言の意図を掴みかね、そしてそれを聞いた大吾の反応も気にかかった。
「……お前もそう思うか」
「ええ。当然でしょう」
「まさかあんな所にナガタビールの工場があるなんて……ついてないですよ、本当」
「本当それなんだよねー。まあそんなこと言っても仕方ないんだけど……」
「まあ、事態が収束してから連絡を入れたら良いだろう。必要なら局長も引きずり出すさ」
局長を引きずり出す、という言葉でさらに会話の内容が掴めなくなった。鼓舞う座席からでは確認できないが、織部もどうやら快くない顔をしているようだ。どういう意図なのだろう。ナガタビールとURAに何か関係があるのだろうか。葦人は突然読めなくなった会話にメスを入れた。
「ちょ……ちょっと待ってください。どうしたんですか?ナガタビールに何か?」
「ん、ああ、そっかー。君はまだ知らないのか」
「……ええ、分かりません。何かあるんですか、ナガタビールとURAに?」
「えーっとね、ちょっと待ってねー。ナガタビールっていうのは──」
「え」
説明のために思考をまとめようと、空に目をやろうとした時だった。
窓から見える小山の麓には、墓地があった。
砂地に生えた雑草はその管理体制の甘さを証明していた。その墓石の隙間に植物でも岩でもない、何か異様なものが見えた。四肢が生え、腹這いの状態で横たわる生命体。長大な尾と鋭利な歯の並ぶ口からは、明らかにこの日本に野生で生息する生物ではないことが見せつけられる。
白夜の目が受容した情報は、一瞬で脳まで伝達された。
「車を止めろッ!リーダーッ!いましたッ!」
「何ッ!」
咄嗟に大吾が急ブレーキを踏み込む。凄まじい悲鳴を上げながら車が運動エネルギーを失う。後続の自衛隊車両を避けるために猛烈にハンドルを回して急旋回し、アスファルトを削ろうかという勢いでタイヤが路面をかき鳴らした。激しい反動が調査チームを襲い、壁や前方座席に叩き付けられて苦痛の声が上がった。
「痛ッ……ちょっと何ですか!?」
「白夜!どこで見たんだ!?」
「墓地です!墓地に生物がいました、外見はワニに似ていましたが、それでも細かくは──」
「構わん、実物を見る。全員EMDを持って外へ出ろ!」
調査チーム全員がEMDを構えて飛び出す。既に後方の自衛隊車両は反対側に逸れて緊急停止しており、異変を察知した前方の自衛隊車両もUターンを始めていた。既に生物を目撃してから車は数十メートル突き進んでおり、一同は墓地へ駆け戻っていった。
地面では背の低い雑草とコケが地面に黄緑色のコントラストを与え、墓碑には夥しい数の灰白色の地衣類が付着している。直方体の石碑が無数に立ち並ぶ、一種の石造りの迷宮と呼んで差し支えのない空間の中に、一行がEMDと麻酔銃を構えて立ち入ってゆく。
目撃した正確な場所を白夜は思い出そうとしていたが、その必要はなかった。ずるり、ずるりという、砂利に何かをこすって引きずる音が聞こえてきたからである。調査チームと自衛隊は息を殺し、音を極限まで抑え込んだ。だが地面の振動を察知するというワニの特性上、いかにしても生じる地面の上の足音から、おそらく向こうも人間の接近には気付いているはずだ。互いに場所を感知しあっているという実感を持ちながら、遮蔽物に身を隠してゆっくりと音の出所へ距離を詰めていく。
最初にその生物の姿を視界に捉えたのは、先頭を行く大吾だった。白夜が見かけた地点から十数メートル奥へ進んだその生物の風貌は、素人目にはワニのようであったが、ワニの持つ背中の外骨格は存在しなかった。頭部の形状もワニというよりはむしろヘビやトカゲに近い印象を受ける。後肢には足跡に残らない程度の小さな水かきが存在した。さらにその後ろへ伸びる尾は、二股に分かれてヒレをなしている。
(これは、ワニじゃあない──)
間違いなく現在の地球に存在するはずのない形態。亀裂生物の可能性があるという、警視庁上層部の判断は当たっていた。URAが駆り出される正当な理由であることが実証されたが、それに何かを思うよりも先に、悪寒が走った。この生物はワニではない。ワニよりも水棲適応段階が進みつつある、ある生物の基盤的グループ。陸地に上がっていたのは幸いだった。これが川へ戻ればワニよりも対処が困難になる。今ここで、取り押さえなくてはならない。こいつに逃げるチャンスを与えてはならない。
大吾がEMDの準備を完了させたとき、追い付いてきた葦人も生物の姿を認識した。
頭が横を向き、眼球がこちらを捕捉している姿を。
空気中に露出した、二股に分かれた赤い舌がチラチラと動く。その行動の意味を悟らせる時間をも与えず、強靭な尾の筋肉が始動した。尾の圧倒的な力が傍に佇んでいた墓碑を押し飛ばし、飛来する質量弾は大吾と葦人の傍の燈篭へ激突した。
「まずい、退けッ!」
石材と石材の身に響くような激しい衝突音の直後、大刀が斬りかかるように葦人へ倒れ込む。そして燈篭に激突した墓碑はわずかに方向を変え、大吾の半身を押し潰すような形で跳ね飛んでくる。凶悪な質量の直撃を受ければ、到底無事で済むはずがない。
二人は全力で脚を動かして脱出を図った。跳躍の瞬間、燈篭の先端が葦人の頭をかすめて激しい痛みを刻み込み、墓碑は大吾の肩に激突した。
「ぐあッ」
大吾の体は脱出運動の方向を大きく狂わされた。空中できりもみ回転しながら別の墓石へ叩き付けられ、苦痛に息を漏らしながら地面へ落ちる。叩き付けられた先の墓碑もバランスを崩すほどに大きく銃身を揺らし、傍にいた自衛官が数人がかりで抑えつけてようやく安定させた。葦人もいまだ、激痛に頭を押さえて動けなくなっていた。
その間に生物は逃走していた。その巨体からは想像しがたい爆発的な速度を以て、周囲の墓碑や燈篭を次々に挽き倒し、岩石の砕ける音楽を奏でながら逃亡していく。その様はまさに協奏曲、否、競争曲と言った具合であった。巨体を左右へうねらせて突き進むその姿は、家屋を次々に破砕してゆく津波や洪水を彷彿とさせる。
自衛隊が側方から麻酔銃を向けるが、それも生物が弾き飛ばす石材群に阻まれる。雪崩のように倒壊を続ける石碑を前にして、自衛隊も手出しを封じられていた。そして動きづらい墓地という構造までも、生物に味方していた。人間を一切寄せ付けず、生物は墓地を爆走して川へ向かう。
ただ一人、織部を除いて。
生物との直接戦闘経験も豊富な織部だけが、恐怖心ではなく警戒心をその身に滾らせていた。ここで取り逃がせば制圧可能性が著しく下がることを、大吾の態度から察したのか。それとも自分自身の感覚で感じ取っていたのか。最大出力に設定したEMDを携え、倒壊した石碑を飛び越えて単身生物へ突っ込んでゆく。
その道筋は横から攻撃した自衛隊のものとは違う。生物が破壊の限りを尽くして生み出した、文字通りの獣道。砕けた石材が散らばる道の上を駆け抜けてゆく。
「織部さん!?」
「織部、気をつけろ!」
調査チームの声を無視しながら、しかし心には留めながら、EMDの銃口を生物に向けて安定させる。それに気付いたのか、生物の方向から砂利が飛んでくる。凄まじい尾の威力で巻き上げられた砂が視界を遮り、さらに石礫や墓の備品が高速で飛来した。
「ぐッ……」
額に石が当たり、血が滲む。一時のたじろぎを挟みながらも、土煙の中へ突入していく。遮蔽物に阻害されず確実にEMDの一撃を浴びせるための距離まで詰める。ここで放てば陸上で鎮圧できる、その距離まであと一歩だった。
尾の次なる一撃が放たれた。灰のぎっしりと詰まった線香立てが、織部の腹部に直撃した。
そこは昨日、ブロントルニスの脚を叩き込まれた場所であった。勢いを殺したとはいえその威力は凄まじいもので、彼は翌日になっても痛みと不調を抱えていたままだった。そこに叩き込まれた陶器の一撃は、彼を一時的に行動不能へ追い込むのに十分だった。
バランスを崩して失速する織部へさらに砂埃を浴びせ、生物はそのまま破壊を続けて去ってゆく。やがて破壊音が止んだかと思うと、大きな水音が響いた。生物にアドバンテージを与えてしまった、その証明書となる音。絶対に取り逃がしてはならない状況で逃がしてしまうという、最大級の失態。己の不甲斐なさに、織部の表情が歪んだ。
「よくやったよ」
いつのまにか肩と頭の痛みを抑えながら追いつてきた大吾が、ポンと織部の肩に手を乗せた。驚いて振り向くと、大吾も苦痛をこらえた様子ではあったが、それでも顔には微笑みを作っていた。
「昨日の激戦の後だ、仕方ない。むしろ最初に取り逃がした俺に責任がある。よく頑張った」
「……ありがとう、リーダー。だがあんたも、仕方ないことだったさ」
「そうか?そう言ってもらえるとありがたい。立てるか?」
「ああ」
スゥーッと空気を吸い、織部が砂を払いながら立ち上がる。見渡すと、残る調査チームの三人と自衛隊もすぐ傍まで来ていた。皆露骨に悔しさを表してはおらず、織部にもそれはありがたいことだった。
ちょうどその時、大吾のポケットから通知音が鳴った。
「ん、今更か……足跡の解析が終わったらしい」
「ですがもう、だいたい絞れましたね。あれはワニではなく──」
「ああ、分かってる」
取り出された画面には、やはり足跡の解析結果が表示されていた。そこに並んでいる学名にワニのものはなく、いずれもオオトカゲ科の種のものであった。その一覧の最上部に位置した学名、最も可能性の高い名前は、当然ながら化石種のもの。
パンノニアサウルス・イネクスペクタトゥス。現在化石が発見されている中では唯一、淡水域に生息したモササウルス科爬虫類であった。