PRIMEVAL - Reverberation 作:Tutu-sh
「このまま泳がせておけばワニよりも危険だ。どっちに泳いでいったか、検討はつくか!?」
「駄目です、分かりません!」
派流を上から見下ろして探りを入れていた自衛官たちが、残念な知らせを携えて、パンノニアサウルスの消えた地点から墓地へと引き返してくる。この状況では誰もが想定していたことではあったが、パンノニアサウルスは既に痕跡を残さずに水の中を泳ぎ去っていた。既に広がりきった消えゆく波紋が、弱弱しく水面を滑ってゆく。その消滅を網膜に収め、大吾がゆっくりと口を開いた。
「二つに一つだな。派流の上流、つまりナガタビールの方面に進んだか。あるいは下流を下って本流に合流する方向か」
「……答えは出ないぞ。どうする」
「ここでボートを展開して、二手に分かれる。織部と里亜で下流、私、百夜、葦人で上流へ向かう」
「シンプルですけど、それが最善ですかねー。武器はどうします」
「水辺でEMDは使い物にならない。我々も感電する可能性があるからな。だが、麻酔銃も爬虫類には効き目が薄い……」
大吾はしばらく考え込むと、大きく息を吸った。その目が何らかの決断に満ちていることを葦人は悟った。過去何年もの経験から足を踏み外す、苦渋の決断を下すかのようだと彼は感じ取った。
「もはや実弾しかない。89式5.56ミリ小銃および水中銃の使用を許可する」
通例、過去の生物と対峙する際に実弾銃を用いることはない。フクイラプトルの案件でも、ブロントルニスの案件でも、持ち込まれた武器はEMDと麻酔銃に留まっていた。2011年に英国亀裂調査センターの武器がEMDに一新された後を追い、URAも原則としてEMDを標準装備としている。これは生物の殺害による歴史改変を防ぐための配慮であり、かのニック・カッター時代の苦労に基づいたものである。
だがEMDは電気を扱うというその特性上、金属や水の豊富な場では致命的な欠陥を露呈していた。歴史改変の脅威と個人の命を天秤にかけ、大吾は実弾銃と水中銃の使用を認可したのだった。
自衛隊のボート複数隻が派流を遡上し、水飛沫を上げて次々に通り抜けてゆく。白く崩れる波頭の飛沫をその身に浴びながら、大吾の乗るボートが突き進む。目的地は、最も潜伏可能性が高いと考えられるナガタビール排水口。髪から水滴を滴らせながら、双眼鏡のレンズに着いた水滴を拭き取る。水面に睨みをきかせ、目的地点へ向かっていく。
「実弾銃があるからと言って慢心はするなよ。水中に向けて撃てば1,2メートルも弾丸はまともな力を発揮できないからな。本流の平均水深は3,4メートルだそうだ。二人の銃はあくまでも直接攻撃用ではない。発見次第撃て。適切なタイミングを見計らって、私が水中銃を撃ち込む」
「はい!」
威勢の良い返事を返す二人だが、葦人は不安を抱いていた。
彼がこれまでに経験した現場──と言っても二回だけだが、その二回はいずれも実弾を使用しなかった。今この手に握られている銃は、麻酔銃やEMDよりも遥かに危険な代物である。いくら相手が水中の巨大生物といえ、生命を奪うことのできる道具が手の中にある。これまで手にした物体の中で、最も異様な圧力と質量を帯びているようにさえ感じられる。
彼が重圧を感じていることを、大吾も薄々感づいていた。
「葦人!」
「は、はい」
「そう気張るな。この場で最大の責任者は私なんだ。私の援護をするだけのつもりで、銃を構えていたらいい」
状況に即した端的な励まし。だが、それは生物との対峙という極限的状況においては、ほんのわずかでも大いに効果を発揮しうるものであった。
「……はい!ありがとうございます」
一行の乗るボートはナガタビール工場のすぐ近傍まで到達した。イネ科の草本が繁茂するその奥に、わずかに円筒形の排水口の一部が垣間見える。ここ一ヶ所ではなく、この辺りに並んで配置されているらしい。大吾がブレーキをかけると、ボートは波を立てて減速した。後続の自衛隊ボートも速度を落とし、静寂に包まれた川辺にボートのエンジン音と水音だけが響く。
「水温上昇域に入りました。……奴の根城です」
温度計の値を観測していた白夜が報告した。それを聞き終わらないうちに大吾は水中銃を構え直し、続いて百夜と葦人も銃を動かす。現時点で水面を揺らす要因はボート以外に確認されていない。もし不自然な波が立てばそこにパンノニアサウルスがいるとみてよい。水面の変化を見逃してはならない緊張が、三人を包み込む。
「……いた!2時の方角、距離は……約100メートルか?」
大吾のレンズに、不穏な影が入った。彼方の水面が一部黒ずみ、そこを中心に盛り上がりを帯びている。そしてその水面の隆起は何やら運動しているようだった。間違いなく、生物がそこにいる。目測に長けたわけではないが、おそらくプールの端から端までよりは遠いであろうその地点に、あれだけの大きさで存在を主張している。間違いない。
大吾はまだ動けない。水中銃の有効射程距離は10メートルであり、生物の懐へ飛び込めるほどの肉薄した距離でなければ使えない。
だが既に、百夜と葦人の実弾銃はゆうにその有効射程圏内へパンノニアサウルスを収めていた。射撃が開始され、火薬の燃焼音が炸裂する。臭う火薬の空気と飛び散る薬莢を飛び越えた先に、5.56ミリNATO弾が螺旋回転を描きながら真っ直ぐに突き抜けていく。その到達点に向かって、損傷を与えるべく。
パンノニアサウルスは突然の連続した炸裂音に危険を感じたのか、身を水中の奥深くへ沈めた。だが当然、音速を突破した銃弾が間に合わないはずがない。水面に王冠を形成した銃弾は摩擦抵抗を潜り抜け、ウミトカゲの肉に食らいついた。肉を掻き分けて突き進む銃弾に叫び声が上がると同時に、銃創からドス黒い血が漂って川を濁らせ始める。それはボートの上に立つ三人からも明らかに分かるほどであった。
「よしッ!」
「まだだよー葦人。あれだけで死ぬなら苦労しない」
白夜の忠告通り、弾丸をその身に受けながらもパンノニアサウルスは健在であった。生物が生まれついて持つタフネス性と、わずかながらの水の障壁が味方した。トカゲはたった今の攻撃に驚き恐れるのでなく、むしろ外敵に激怒の炎を滾らせていた。自らの独壇場を侵害する存在は絶対的な天敵ではなく、排除すべき害意の塊であった。
彼は潜った。川の奥底まで潜り、急激に黒い影へ距離を詰める。どの影が最初に攻撃したのかは分からないが、現時点で最も近傍に位置する影に目を付けた。
「まずい、来ますよ!」
「白夜さん、撃ちましょう!」
「言われなくても分かってるさ!」
大吾の横に着いた二人が一斉射撃を再開する。だが今度放たれた中間弾薬たちは、強固な水の防壁を進むうちに急激に速度を失い、力なく川底へ沈んでいった。その間をウミトカゲは悠々と泳ぎ抜き、彼の巻き起こす水流は人類の武器を軽く押し流していった。
パンノニアサウルスにも計り知れないことではあったが、NATO弾が十分な殺傷威力を残したまま着弾しうる領域を彼は脱していた。安全圏に開かれた通路をエスコートされるように、ボートの真下へ高速で距離を詰めてゆく。白夜と葦人の焦燥は次第に肥大化を遂げ、冷汗が噴き始めた。
「くそーッ!どうして止まらないッ!血は出ているのにーッ!」
白夜が影に向かって乱射を繰り返すが、飛び出した弾丸はまたもや無力化されていく。彼が安全圏から戻ってこない限り、ボートの二人には打つ手はなかった。やがて白夜の銃が弾切れを起こし、それを目撃した葦人も弾の節約に走らざるを得なくなった。それでもなお、ウミトカゲはボートに向かって依然迫り来る。そよ風にたなびく鉛弾のカーテンを巻き上げて、太古の水辺の王が凱旋を果たす。
「やっと来てくれたな」
パンノニアサウルスの意識に、その武器の存在はなかった。突然痛みが走る怪現象を避けていたに過ぎず、その原理にまで理解は及んでいなかった。自動小銃に代わる第二の武器にして、この場で人類が持ち込んだ主力兵器。それを携えた男が、ボートの中心に陣取っている。
「歯の白いのが見えたとき──だな?」
大吾がそれを作動させる。白金色の光沢を放つ金属の銛が、強靭なワイヤーロープとともに勢いよく射出される。水の抵抗などものともしない一撃が水面を穿った。そのまま水の壁を突破する金属に、パンノニアサウルスは反応が遅れた。
ドグン、とくもった音が水中にこだます。水中銃の前に安全圏など存在しない。半径10メートル以内の物体を確実に攻撃対象に取る破壊兵器。その一撃を背側に受け、突然の激痛に錯乱を起こした。莫大な憎悪が瞬時に膨れ上がり、攻撃への原動力に転化する。
激痛を抱えながら尾を一振りする。爆発的な速度を纏ったパンノニアサウルスが、ボートに体当たりをくらわせる。船上に立つ三人は地震のごとき振動の直撃を受けた。特に長身である白夜がバランスを崩し、水の中へ投げ出される。
「白夜さんッ!?」
「白夜!」
「うぼ──ゴホッ」
大きく水音を立ててもがき、気管に水が入りかけてむせる彼を、パンノニアサウルスが見逃すはずがなかった。苛立ちまぎれにボートへ更なる一撃を加えると、そのまま白夜に向かって突撃する。その頭蓋骨を噛み割り、頚椎を破壊するために。
白夜も水の中で暴れる中、ウミトカゲを何とか視界に捉えていた。この状況で真っ先に狙われるのが自分であることも悟っていた。自分が圧倒的弱者の状況にあることを、彼は自覚していた。
時は来た。白い歯が目の前に現れ、彼も覚悟を決めた。
その直後に紅い血液を噴き出したのは、彼の頸動脈ではなく、ウミトカゲの背中であった。
驚いて目を動かすと、ボートの上に銃を構えた人間が立っている。撃ったのは葦人だった。ボートのすぐそばで狩りを行おうとした巨大なウミトカゲは、格好の的であった。彼は自前の5.56ミリ小銃に残された全弾をトカゲの背中に撃ち込んだのだった。
パンノニアサウルスは再び苦痛に悶え、歯を顔にかすめて急激に潜航した。退きぎわに尾を白夜に叩き付け、再び川底へ潜っていく。
「あっ、逃げるぞ!」
「リーダー!早くそいつを離せーッ!」
水中銃の射程10メートルを決定するワイヤーロープが、ものの数秒も経たないうちに川へ飲み込まれていく。そして限界を迎えたロープは凄まじい張力をその身に宿し、猛烈な力で大吾の体を川の方向へ引っ張った。
「ぐああッ」
身体をボートの各所に打ち付けながら、大吾の体が引きずられる。あまりの力にボートそのものが水面を滑って運動を始めていく。彼は水中銃の放棄を選択した。投げ捨てるようにして持ち手を離すと、水中銃はロープの引力により瞬く間に水へ溶け込んでいった。その水はパンノニアサウルスの流血により、おぞましい色に変貌を遂げていた。
白夜はボートに頭を強打していたものの、幸いにも意識や視力を失うような事態にまでは至っていなかった。自衛隊が次々にウミトカゲへ発砲する音をBGMにして、彼は大吾と葦人に引っ張り上げられた。
「ッー……こりゃあ痣になってるな……」
「すみませんリーダー。僕が落ちたばっかりに……」
「いや、こればかりは仕方ない。あいつが想定外すぎたんだ。実弾をかいくぐって水中銃を持ち去るなんて、誰が予想できる?……それにしても葦人、弾を残していたのはファインプレーだ。よくやった」
「ありがとうございます、ですがそんな──」
「謙遜するなってー。僕を助けんだからぁ……。僕は冷静さを欠いた。銃弾を残した上に僕を救った君には、到底頭が上がらないよ」
「……そう、ですか。ではそのお言葉、嬉しくお受け取り致します」
「フフ、それでいい」
水飛沫を被った二人と川に落ちた一人が束の間の休息を取った頃、自衛隊の銃声が止んだ。彼らもどうやらトカゲの討伐に失敗したらしい。落胆の表情を浮かべている様子は、三人の誰にも手に取るようにわかる。このままでは下流で捜索活動を続行している警察とパンノニアサウルスが衝突してしまう。その危険を考えれば、そのような表情が浮かぶのは至極当然と言える。
だが大吾は、彼らの様子に一つ不審な点を見出した。
「……聞こえるか。皆無事か?」
大吾がトランシーバーに語りかける。若干のノイズの後、すぐに自衛官から返答があった。
『ボートブラボー、無事です』
『ボートチャーリー、同じく無事です』
『ボートデルタ、同じく無事』
『ボートエコー、同じく無事です』
「……そうか。それはよかった。あのウミトカゲだが、負傷して血を流した上に水中銃を引きずったまま下流へ向かった。すぐに探知できるはずだ。すぐに下流に向かって、捕獲作戦続行だ!」
『はッ!』
返事とともに自衛隊ボートのエンジンが稼働し、方向転換の後に波を立てながら下流へ進み始める。大吾たちの乗るボートも同じく発進したが、彼らはウミトカゲの行動に違和感を抱き始めていた。
あれだけボートに接近して攻撃をくわえた生物が、自衛隊ボートには一切の手出しをせずに通り過ぎて行った。敵対行動を避け、逃亡を選択したのだ。銃撃と水中銃のダメージを考えると自然なことではある。
──しかし、逃げ延びることに希望を持って逃亡した先で、彼はおそらく捜索隊に遭遇する。彼がいかなる反応を示すのか、不穏な予感が彼らに訪れていた。