PRIMEVAL - Reverberation 作:Tutu-sh
「おーりっべさん、全然出て来ないですよ?」
「しつこい。見張りに徹しろ、嬢ちゃん」
「あ~またそうやって子ども扱いして!私23ですよ」
「ガキじゃあねえか。うるせえな」
派流の下流では、織部と里亜がボートに乗って探索を続行していた。しばらくは無言で水面を探っていた彼らだが、やがて里亜は痺れを切らしたらしく、織部は彼女にしつこく絡まれる羽目になっていた。大層邪険に扱う織部だが、実際はまんざらでもない様子だった。
『織部、里亜、聞こえるか』
そこへ通信が入った。織部が素早くトランシーバーを手に取るとともに、里亜の表情から遊びが消え失せる。大吾の発言を漏らさぬよう、聴覚のリソースを織部へ向けていた。その鋭い眼光を横目に見ながら、全く切り替えの早い奴だ──と彼は感じた。
「ああリーダー。聞こえるぜ」
『すまない。奴を取り逃がした。奴は今、本流を下って捜索隊の方へ向かっている』
「何だと!?」
確かに通話先の大吾からは、猛烈なエンジン音と水の弾ける音が伝わってくる。全速力で彼らのボートがパンノニアサウルスを追っているというのは、どうも事実らしい。織部は小さく舌打ちする。
「急いで下流へ来いということか」
『ああ。少なくとも私のボートは弾を使い切った。全力の支援を頼む。では』
「了解だ、リーダー」
通信を切って里亜の方を向く。エンジンを動かすように指示を出そうとすると、既に彼女はエンジンを作動させていた。
「……早いな。良い判断だ」
「下流に出たというのなら、早急に向かうだけです。急ぎましょう」
「おう。お前達、さっきの通信は聞いていたな!?下流へ向かうぞ!」
ボート全機が一斉にフル稼働し、白波を立てて滑走を始めた。蛇行も加味し、捜索隊が展開する事故現場まで約3分。パンノニアサウルスが3分以内に捜索隊へ辿り着くか、織部と大吾達が阻止するか。デッドヒートが開始された。
「……時間だ。下流の捜索に加わろう」
警察が主導する捜索隊も、生物と行方不明児童が全く発見されない現状に痺れを切らしていた。生物は上流でURAと交戦しており、少年の亡骸もおそらく喰い尽くされた後に破棄されたため、彼らの捜索活動は全く徒労と化していた。そんなことをつゆも知らない彼らに、ウミトカゲの魔の手が迫っていた。
「警部補!あれは……」
河川上流に赤黒い領域が発生していることに、捜索隊の一人が気付いた。おどろおどろしさを持ったその汚濁は、ある一つの突出を捜索隊に向けて進んでいる。その先端を泳ぐ生物は、水中銃を背中に刺したまま、捜索隊のボート群には目もくれずにその真下を一点突破せんとしていた。
だが捜索隊からすれば、彼が攻撃を仕掛けてきたようにしか見えない。彼は捕食者、彼らは被食者の立場に束縛を受けている。この定めに隷属された彼らに、当初に抱いた認識の思い込みを覆すことなど不可能であった。どよめきを起こしながら、警官隊は銃を手に取った。狙うは、彼らへ真っ直ぐに迫る捕食動物。一斉に引き金が引かれ、銃声が響く。
だが水中で封じられるのは警察の銃も同様であった。鉛弾は勢いを失って水流に流され、逃亡者に存在を主張するだけに終わった。水に漂う銃弾はパンノニアサウルスの神経を逆撫でした。先ほど戦った外敵たちと同様の動きを見せるこの影たちは見せている。彼に備わった野生動物の勘は、害意の存在を感知していた。
やがて銛が水面から飛び込んでくると、その感知は確信へ変わった。頭上に蔓延る生物たちは自らに害意を持っている。ここで逃す気はないようだ。後ろからも追ってきていることだろう。それならば戦うほかない。生き延びるためには、戦って海への退路を生むほかに道はない。
二度、三度と銛が降ってくるのに合わせ、パンノニアサウルスは一隻のボートに狙いを定めた。尾を一振りし、強大な推進力を持って突撃する。捜索隊のボートは自衛隊の所有するボートよりも軽量らしく、体当たりの一撃で一瞬だけ宙に浮かんだ。その一瞬で十分だった。突然生物を見失って右往左往していた捜索隊は、その一瞬で吹き飛ばされることになった。ボートに乗っていた者は皆川へ、パンノニアサウルスのフィールドで転落した。
空気を吸いに浮上するよりも早く、細かい歯の並んだウミトカゲの顎が捜索隊の一人の頭を捕らえた。抑え込んだ獲物はゴボゴボと音を立てながら口から白い気泡を放って騒ぎ立てる。だがその抵抗も最早無意味だった。先ほどはし損ねたことをしてやる。パンノニアサウルスは勢いよく身をよじり、骨の折れる音を水中に響かせた。顎を引き離そうしていた腕から力が抜ける。顎を開いてやると、異様な方向に首のねじ曲がった肉体が漂い去って行った。
他の乗組員もまだ水中に居た。同僚の命を瞬く間に奪われ、怒号や罵声、悲鳴が水上で発されているのが耳に入る。だが進路を妨害されたウミトカゲにとって、その音は彼をさらなる興奮状態に誘うものに他ならなかった。川に取り残された残りの隊員を次々に噛み殺す。肺から空気を失いながら沈んでいく敵たちを、わざわざ捕食する気にはならなかった。既に好奇心から小学生児童を腹に収めた彼に、それよりも大柄な成体の人間を舌に乗せるつもりは毛頭なかった。ただ身の安全のために殺しておかなければならない、という強い本能が刻まれていた。
続けざまに別のボートへ体当たりをお見舞いする。転覆するボートを楯にして、他からの銃撃を防ぐ。そしてそのまま隊員にボートを被せ、残りを次々に噛み殺していく。人間を直接相手にすることは初めてであったが、既に犬猫を何匹も川へ沈めた彼にとって陸上動物の弱点は明白だった。ただ水中に押さえておくだけで、奴らはあっけなく死んでしまう。ボートでボートに挟み込まれた隊員も口から空気を漏らし、やがては動かしていた腕が止まってこと切れた。この要領でもう二隻のボートを壊滅させた。
次々にボートを襲う中で、ついに一発の弾丸がトカゲの肉を穿った。つい、攻撃の最中に安全圏を抜け出してしまったらしい。だがたったの一発の拳銃弾で止まる彼ではない。自らに攻撃を食わえたボートに向かって、勢いよく水面から飛び掛かる。
着地の衝撃でボートは大きく傾き、浸水が始まった。泣きそうな顔で悲鳴を上げる者もいれば、歯をむき出しにして武器を向ける者もボートにいた。手始めに武器ごとそいつの腕にかぶりつく。血管や腱の千切れる感触の後、絶叫と共に温かい血液が喉に流し込まれる。嗚呼、悪くない。だが今はそれどころではない。
叫び回る邪魔者を川へ放り投げ、ボートの奥にいる隊員へ襲いかかる。周囲の警官たちは、仲間に弾が当たることを恐れて迂闊に手出しができない状況だった。ボートの舵を取ってウミトカゲの背側に回り込もうとするが、トカゲもぐるぐるとボートをごと体を回していく。泣き叫ぶ人間の喉を食い破り、最後の一人に照準を合わせる。
「人間舐めるなああッ!」
最後の一人の持つ拳銃が火を噴いた。響く銃声に呼応するように、パンノニアサウルスの肉体からも血が飛び出る。しかし生物は全く意に介していないようだった。既に暴走状態に突入したこのウミトカゲは、もはや自らの命よりも敵の絶命を望んでいるかのように見えた。
「あ……」
カチカチと引き金が虚しい音を立てる。その音の正体は弾切れだった。単独でこの状況を打開することは不可能。それを察知した周囲の警察たちが一斉に銃を向ける。もう仲間の命を危険に晒してでも、この怪物を止めるしかない。
その時、一つの物体が乱戦の場に突撃した。激戦に夢中になっていたパンノニアサウルスも、暴れ回る生物に躍起になっていた警官隊も、迫り来るエンジン音を意識の彼方に置いていた。真っ直ぐに上流から、一隻のボートが高速で接近する。警察の包囲網の外側から、大吾たちの乗るボートが突っ込んできた。
パンノニアサウルスがそれに気づいたときには、既に回避不能な距離まで迫っていた。
「くらってろ」
時速90キロメートルで、ボートはパンノニアサウルスに衝突した。この体格の生物が到底発揮できないであろう反則級の運動エネルギーを受け、パンニノサウルスは水を撒き散らして大きく弾き飛ばされた。一方のボートもただでは済まず、大吾は大きく空中へ投げ出され、襲われていた警察ボートへ叩き付けられた。
「ぐおッ……ああっ、全身紫色になりそうだ」
「だ、大丈夫ですか!?」
「こっちの台詞だ、君。よく耐えた」
大吾の乗っていたボートは転覆間際まで傾いたが、やがてその運動は止まり、逆方向に倒れて大きく水面を打った。空を舞う木の葉のように大きく揺さぶられながらも、葦人と白夜は何とかボートにへばりついて振り落とされずに済んでいた。
「あっぶないッ……」
「しかし、こんな危険な作戦をよく考えましたね。ボートで特攻かますなんて!」
「ハハ。あれだけ捜索隊が密集しているなら、迂闊に銃は使えないからねー。かといって僕らも武器は使い切ってる。だったら、僕らそのものが武器になって、ぶちかますしかないさ」
「全く破天荒だ……ちょっと、意外でした」
「そうかい?まあ、普段がこんな低血圧な喋り方だからなー……フフ、これでまた一つ、僕のことを知れたわけだ。嬉しいよ。君と親密になれるのはね」
揺れが次第に収まってくると、白夜は腰を起こした。周囲の状況確認も兼ねて周囲を見回す。
「リーダー!声は聞こえましたけど、どこですか!?」
「こっちだ。無事だ。骨折は……たぶんしていない」
「ああ、それはよかったですー。すみませんね、無茶な作戦で」
「まあ、終わり良ければってやつだ。あのモササウルスも──」
瞬間、大吾の目が凍り付いた。
ボートの激突に弾き飛ばされたはずのパンノニアサウルスが、姿を消している。そして、水中に残された地の広がりは、生物が海へ逃げて行ったわけでもないことを示唆している。ウミトカゲはまだ、この川のどこかにいる。
「あれをくらってまだ動けるのか……!?」
「え?」
白夜もその血痕を視野に入れる。
「全員気をつけろ、奴はまだこの川に──」
大吾の叫びが終わらないうちに、パンノニアサウルスが水面から飛び出してきた。その顎が食らいついた先は、白夜たちの乗るボート。ボートの端に圧をかけ、その転覆を狙っているようらしい。大きくボートが傾き、葦人と白夜はバランスを崩す。
「くそッ、こっちに来るなよ!」
「白夜さん!どうします!?」
「……ああ、川に逃げるしかないだろうな!奴の反対側に飛び込むんだ!早く!」
指示された葦人は、すぐにボートの端へ駆け寄る。白夜はその姿を見ながら、頭の中で莫大な処理を行っていた。その処理とは、現状に対する恨みと葛藤であった。
(ああ、クソ。あれで生きているなんて、本当にツイてない。想定外だ。そもそも亀裂が開いてもいないのに、どうしてこいつがこの川にいるんだ。ああ、クソッ。もう川に飛び込むしかない。危険すぎるが、もうそれしか手が残っていない。こいつの棲み処に飛び込むしか、飛び込ませるしか──)
白夜もまた、葦人を追ってボートの端へ駆け出した。
ウミトカゲはそれを認識し、攻撃を激化させた。ボートの構造が悲鳴を上げ、浸水領域が広がっていく。葦人たちの駆け寄った側も徐々に持ち上がっていくのが、彼ら自身にも感じられた。
「くッ──」
葦人が今まさに川へ飛び込もうとしたその時、あるものが水中に見えた。一瞬視界に入っただけであったが、"それ"から発せられる違和感は、葦人の脳を大いに刺激した。
ボートの後ろをウミトカゲに襲われている現在で、悠長なことはしていられない。──だが、葦人は"それ"がどうしても気になった。何か、この場に存在してはならないものが網膜に映された気がした。
「どうした葦人!早く!」
飛び込むなら時間を浪費すべきではない。短時間ですばやく、判断を下さなくてはならない。
「白夜さん、水面を見てください」
葦人は踏みとどまって、もう一度水面に目をやった。
そこには"光"があった。
水面の光の反射ではない、明らかに水中に光源が存在した。その光源は水の揺らめきゆえに目視がしづらくなっているが、忘れもしない、半年前に見た"光"と似ていた。むしろ、同一のようでさえあった。
「こ……これは……!?」
白夜も驚きの声を上げる。葦人よりも彼の方が見慣れた"光"。それゆえに、彼の驚愕は葦人のそれよりも大きいようだった。パンノニアサウルスも、水面から照らされるその"光"に気付いた。視線を送る対象を、追い詰めた敵二人からその"光"へ移す。どこか懐かしい、大昔に見た光景だった。
ボートの真下に存在した光源。
そこには、人が余裕をもって通れるほどの大きさを持った、時空の亀裂が開いていた。